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第40回 テレビは多様性を取り戻すべき論

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久しぶりに仕事が早く終わって、夜の7時前に家に帰りついたとする。
ひとっぷろ浴びて、さぁ夕食タイムだ。そういえば、この時間にテレビを見るのは久しぶり。どれどれと、あなたは新聞のテレビ欄を見るだろう。「えーっと、この時間にやってるテレビは……」

恐らく、ここであなたは愕然とするはずだ。4月と10月の改編期でもないのに、ゴールデンタイムの民放はどこも2時間や3時間のスペシャル番組ばかり。しかも、どの番組名を見てもピンとこない。

ためしにテレビをつけてみる。どの局でもいい。そこには――華やかなスタジオセットに、人気タレントと女子アナが司会に扮し、脇のひな壇には毒舌俳優や元アスリート、グラビアアイドル、中堅どころのお笑い芸人らがいて、VTRはどこかの国の奇祭に男女のタレントが体当たりリポートする様子を映し、ワイプにはそれにリアクションするひな壇の彼らの顔が見える――という、恐ろしく既視感のある番組が流れているだろう。

情報バラエティという禁断の果実

現在、ゴールデンタイム(19時~22時)の地上波の民放の番組は、8割近くがバラエティである。中でも多いのが「情報バラエティ」なるジャンルの番組だ。先の例もそうで、要はスタジオに司会とパネラーたちがいて、VTRを見て、トークをする類いの番組である。

そのVTRはグルメだったり、旅ものだったり、生活お役立ち情報だったり、歴史や医療などのお勉強ものだったり――と色々なパターンがあるが、何かしら「情報」が得られるのが共通点だ。スタジオ部分は、時にクイズになったり、ランキング形式になったりもするが、トーク主体である点は変わらない。要は、スタジオ+VTR+トーク=情報バラエティである。

そして――この情報バラエティこそが、近年の“テレビ離れ”の大きな要因の1つであり、テレビ界で密かに「禁断の果実」と呼ばれているのである。

途中から見始める情報バラエティ

情報バラエティの何が問題か?
――困ったことに、視聴率をそこそこ稼いでしまうのだ。
え? 視聴率が取れるなら、別に問題ないじゃないかって? いや、それはそうなんだけど、ここで言いたい問題は、視聴者がその番組を見ようと思って、見始めていない点にある。

どういうことか。
大抵、「情報バラエティ」は2時間とか3時間の長尺で作られ(レギュラー番組のスペシャル版だったり、単発スペシャルだったり)、その長尺ゆえに、視聴者はリモコンでザッピングしている途中で、目に止まって、それを見始めることが多い。VTRが気になったり、パネラー陣の中にひいきのタレントがいたり――まぁ、動機は何でもいい。とにかく、ザッピングの途中でリモコンの手が止まり、ついつい見てしまう――これが長尺の情報バラエティが見られるパターンだ。

つまり、意図して見始めたワケじゃないので、初めからじゃなく途中からの視聴となり、そうなると番組のタイトルすら把握していないケースが多いのだ。

視聴者を逃さないテクニック

そう、途中から見始めた情報バラエティ――。
次なる問題点は、一旦見始めたら最後、ズルズルと番組を見続けてしまう点にある。
え? それも別にいいことじゃないかって?

まぁ、確かに、見続けてもらえる――それ自体は番組作りの正しい姿だろう。その背景には、この65年の日本のテレビの歴史で、いかにお茶の間を飽きさせないで、番組を見てもらえるかを研究し続けたテレビマンたちの苦闘があった。その結果が、VTRとスタジオトークが絶妙に絡み合い、視聴者が何かしらお勉強した気になる「情報バラエティ」なのだ。

それは、秒単位でテロップや効果音が編集され、一度見始めたら最後、飽きることなく最後まで見続けられる。特に50代以上のテレビに愛着のある層ほど、その術中にハマりやすい。
その結果、情報バラエティは毎回、そこそこの視聴率を稼いでしまう。だが――一方で視聴者は、その番組のタイトルすら、最後まで知らなかったりするのである。

若者のテレビ離れへ

いかがだろう。情報バラエティの“禁断の果実”ぶりが、段々見えてきたと思う。
1つは、長尺であるがゆえに、途中から見始めるケースが多いこと。2つ目は、見始めたら最後、絶妙な編集でズルズルと見続けてしまい、特に高齢者ほどその“罠”にハマりやすく、結果として視聴率を稼いでしまうこと。そして――最大の問題は、視聴者はその番組のタイトル、いや、どうかしたらテレビ局すら把握していないこと――。

それは、つまるところ、何を意味するか?
テレビ局としては、そこそこ視聴率が稼げるので、また長尺の情報バラエティを作ろうという話になるだろう。
一方、視聴者は昨夜見た情報バラエティのタイトルやテレビ局すら把握していない。つまり――まるで“視聴習慣”として根づいていないのだ。

そう、視聴習慣が根づいていない――これこそが、昨今の“若者のテレビ離れ”の正体である。

昭和のテレビは人々の生活習慣の中にあった

若者のテレビ離れ――その外敵要因としては、スマホの普及や若者の生活習慣の変化などが挙げられる。だが、その最大の要因はテレビ側にあり、それは「情報バラエティ」なる禁断の果実がもたらしたのである。

そうなると、若者のテレビ離れを食い止める対策は1つしかない。
“視聴習慣”を再び根づかせるのだ。そのためには情報バラエティを減らし、印象に残る、多様性のあるレギュラープログラムを復活させるしかない。

思えば、昭和のテレビは、人々の生活習慣の中に組み込まれていた。火曜9時は『火サス』(日テレ系)、水曜9時は『欽どこ』(テレ朝系)、木曜9時は『ザ・ベストテン』(TBS系)、土曜8時は『ひょうきん族』(フジ系)――。オンエアを見るために、用事を切り上げて、急いで家に帰ることも多かった。

時代劇は週に10本以上あった

現代と昭和で、新聞のテレビ欄を見比べた時、大きく2つの点で異なる。

1つは、現代の民放テレビは年中スペシャル番組が氾濫しているが、昭和の時代は、改編期以外はレギュラープログラムの平常運転だったこと。
2つ目は、現代の民放テレビのゴールデンタイムの8割近くはバラエティだが、昭和の時代は、番組が多様性に富んでいたこと。

例えば――今や地上波で絶滅危惧種と言われる時代劇。昭和の時代は、実に週に10本以上もゴールデンタイムに放映されていたのである。
かの『水戸黄門』をはじめ、先に亡くなられた加藤剛さんの『大岡越前』、他にも『遠山の金さん』、『銭形平次』、『桃太郎侍』、『暴れん坊将軍』、『必殺仕事人』、『鬼平犯科帳』、『江戸を斬る』、『木枯し紋次郎』、『大江戸捜査網』――と、毎日のようにどこかの局が時代劇を放映していた。

昭和の時代、京都の太秦撮影所や松竹撮影所は、いつも撮影が行われ、活気に満ちていた。アイドルや若手俳優は時代劇を経験することで、自然と役者の世界のしきたりや演技の幅を学び、脚本家のタマゴや助監督らも時代劇で修業し、やがて独り立ちした。

当時はテレビが一家に一台だったので、時代劇は家族で見た。平成の時代劇のように、年寄りの娯楽じゃなかった。実際、TBSの月曜8時に『水戸黄門』が始まった当初、助さん役の杉良太郎と格さん役の横内正は共に20代で、アイドル的人気を博した。当時のOLや女子高生は、今の月9を見るように『水戸黄門』を見たのである。

伝説の歌番組『ザ・ベストテン』

今や絶滅危惧種となった番組に、歌番組もある。
最も有名な歌番組と言えば、昭和の人々の“木曜9時”の習慣に組み込まれていた、TBSの『ザ・ベストテン』だろう。

かの番組、最高視聴率は41.9%(関東地区)。その最大の要因は、“時代”を見せたことに尽きると言われる。現に、初代司会者の久米宏サンが、後にこんな趣旨のことを語っている。「『ニュースステーション』はニュース番組の形を借りたバラエティで、『ザ・ベストテン』はバラエティの形を借りたニュース番組でした」――。

そう、毎週木曜9時の生放送。スケジュールが許せば、出場歌手にはスタジオに来てもらうが、コンサートなどで地方にいる場合は、TBSの系列局のアナウンサーが現地にお邪魔して、そこから中継させてもらう――これが、同番組の最大の発明だった。
つまり――『ザ・ベストテン』は、毎週木曜9時に、今を時めくスターたちが“どこで、何をしているか”を伝える番組だったのだ。先の久米サンの言葉は、そういう意味である。

歌番組は歌を聴かせる番組だった

思えば、昭和の時代は、『ザ・ベストテン』をはじめ、各局に歌番組があり、毎日、どこかの局が放映していた。
一例を挙げると――『レッツゴーヤング』、『ビッグショー』(以上、NHK)、『NTV紅白歌のベストテン』、『ザ・トップテン』(以上、日テレ系)、『ロッテ 歌のアルバム』、『トップスターショー 歌ある限り』(以上、TBS)、『ザ・ヒットパレード』、『夜のヒットスタジオ』(以上、フジテレビ)、『ベスト30歌謡曲』、『夢のビッグスタジオ』(以上、テレビ朝日)――etc.

当然だが、当時の歌番組は純粋に歌を聴かせる番組だった。司会者がいて、出場歌手がいて、歌う前に2、3のやりとりがあって、歌う――これだけ。しかも、全て新曲で、それもヒット曲だった。延々トークをして歌手のキャラを無理に立たせたり、懐メロのコーナーを入れる必要もなかった。

だが、今や地上波のレギュラーの歌番組は絶滅寸前。その一方で、各局とも夏と冬に長尺の音楽のスペシャル番組を組むのが定例化している。要するにお祭りだ。
とはいえ、毎週歌番組を放映して、人々の生活習慣に組み込んでもらうことこそ、ヒット曲不足に悩む音楽業界を救う正攻法ではないだろうか――。

ゴールデンで放映された一社提供ドキュメンタリー

絶滅危惧種の番組はまだある。
ドキュメンタリーだ。今やドキュメンタリー番組を、民放のゴールデンタイムで見る機会はほとんどない。
一方、海外に目を向けると、ディスカバリーチャンネルやナショナルジオグラフィックなど、予算をかけて良質なドキュメンタリーを制作するチャンネルが存在し、人気も高い。

しかし――日本でも昭和の時代は、ドキュメンタリーが普通にゴールデンタイムに放映されていたのだ。『三井ワールドアワー 兼高かおる世界の旅』(TBS系)、『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』(日テレ系)、『トヨタ日曜ドキュメンタリー 知られざる世界』(日テレ系)、『NECアワー 野生の王国』(TBS系)――etc.

タイトルを見ても分かるが、ドキュメンタリーは一社提供番組が多い。それは、一社提供だと視聴率主義に走らず、良質なドキュメンタリーを安定して制作できるからである。企業イメージもよくなり、win-winの関係を築ける。
だが、平成になり、各局がし烈な視聴率競争をするようになると、いつしかドキュメンタリーはお荷物となり、ゴールデンから消えたのである。

先にも述べた通り、海外ではドキュメンタリーはメジャーな存在として扱われる。日本でも、もう一度、一社提供の質の高いドキュメンタリーをゴールデンタイムに放送できないものだろうか。視聴率とは別の視点で、“テレビ離れ”を食い止める一定の効果があると思われるが――。

三つ子の魂百まで――子供向け番組が必要な理由

40代より上の世代なら、昭和の時代、夕方5時のテレビはアニメの再放送が定番だったのを覚えているだろう。
そして、6時台のニュースを挟んで、7時の夕食タイムになると、今度は30分の子供向け番組が放送される。アニメ以外に学園ドラマなどもあった。

フジテレビには、長らく日曜夜7時半に『世界名作劇場』(当初の『カルピスこども名作劇場』から数回改題)なる枠があり、スタジオジブリを作る前の高畑勲監督や宮崎駿監督も参加して、『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などの数々の良作のアニメを送り出した。

だが――現在、テレビ界では、それら子供向け番組は激減している。
夕方のニュースは長尺化されて主婦向けとなり、アニメの再放送枠は消滅。夜7時台も、件の情報バラエティが氾濫し、子供向けの30分番組は見る影もない。フジの「世界名作劇場」も1997年で終わってしまった。

俗に、「三つ子の魂百まで」と言うが、かつて昭和の子供たちは、子供向け番組を見て育ち、テレビが好きになった。今、“若者のテレビ離れ”と言われるが、そもそも子供向け番組を減らしておいて、何をか言わんやである。

“下世話感”が評価されたワイドショー

最後に、意外な絶滅危惧種の番組を挙げたい。それは――ワイドショーである。
え? ワイドショーなら、今でも放送されてるだろうって?

いや、『情報ライブ ミヤネ屋』(日テレ系)や『直撃LIVE グッディ!』(フジ系)といった番組は、正確には“情報ワイドショー”と言って、昭和の時代のワイドショーとは少々異なる。
その最大の違いは、“下世話感”の有無である。

例えば、昭和の時代の代表的なワイドショーに『アフタヌーンショー』(テレ朝系)なる番組があった。司会は俳優の川崎敬三サン。そこに、芸能リポーターの梨元勝サンや俳優でリポーター役の山本耕一らレギュラー陣が加わり、芸能界のスキャンダルから、下世話な社会の事件などを紹介して、論じた。ザ・ぼんちが歌う『恋のぼんちシート』の歌詞にもなった「そーなんですよ、川崎さん」の名文句は流行語になった。

昭和のワイドショーがお茶の間に好まれた理由は、いい意味で“下世話感”があったからだ。テレビというとメディアの王様みたいで偉そうに見えるが、時々、こうやって下世話なこともやってくれる。実にくだらない。だが――それがいい、と。くだらないニュースを真剣に論じ合うワイドショーに、視聴者は、安居酒屋でバカ話をしてくれる下町のおっちゃん臭を感じたのである。

一方、今の「情報ワイドショー」は、芸能プロダクションに忖度するあまり、芸能スキャンダルをほとんど扱わない。代わって取り上げるのが、政治ネタである。報道局(政治部)が作るニュースと違い、情報制作局が作る情報ワイドショーは基本、政治家に忖度する必要がないので、上から目線でガンガン叩く。正義のヒーロー気取りだが、過剰な演出や論法に正直、「何様?」と思ってしまう。その結果――テレビはかつての下世話な“親しみ”すらも、失ったのである。

なぜ恐竜は滅んだのか

今から6500万年前、メキシコのユカタン半島に直径10kmの巨大隕石が衝突して、大気中に膨大な量の煤(すす)をまき散らして地球が急激に寒冷化し、恐竜が絶滅したと言われる。

だが――ご存知の通り、小さなほ乳類や鳥類、爬虫類は生き残り、現在、我々人類は繁栄している。恐竜が絶滅したのは、種のバリエーションが少なく、あまりに巨大サイズに特化したために、環境の変化に対応できなかったからである。

そう、進化を制すのは強い個体や「種」ではない。多様な「種」である。環境が変化した時、それに対応できる個体を持っていた種が生き残るのだ。

多様な番組が未来を作る

同じことがテレビにも言えないだろうか。
この先、テレビ界にどんな環境の変化が訪れるのか分からない。だが、ゴールデンタイムの80%近くがバラエティに特化され、スペシャル番組が氾濫する現状は、果たして来るべき変化に耐えられるだろうか?

提案する。
テレビ界はもう一度、かつての昭和の時代のような「多様性」を取り戻すべきである。そしてレギュラー番組を重視して、もう一度、視聴者の生活習慣の中に、テレビを入れてもらうのだ。

このままだと、テレビは恐竜と同じ末路を辿りかねない。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)


第41回 7月クールドラマ中間決算

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さて――7月クールのドラマも中盤を過ぎ、既に終盤を迎えている。

ここで、あらためて同クールの見どころをサクッと振り返ってみたいと思います。えっ、もう脱落しちゃった? なに、録画したまま気がつけば周回遅れになってる?
――大丈夫。前々から言っているように、連ドラというのはいつ見始めてもいいんです。それに特定の回を切り取って見たとしても、優れた連ドラならすぐに全体像が掴めるというもの。だから、“中抜け”して見ても大丈夫。

とはいえ、皆さん、お忙しい。
なので、ここでは、この先どのドラマを見ればいいのか、その指針をお示ししたいと思います。そう、連ドラを後半から見始める利点に、見るべき作品を絞れる特典がある――なんてね。

今クール最高傑作『ギボムス』

最初に、はっきり申し上げましょう。
この7月クールの最高傑作は、TBSの火曜10時から放送されている『義母と娘のブルース』――通称ギボムス、これ一択です。忙しい人は、とにかくこれだけ見るといい。

なんたって、主演・綾瀬はるか、脚本・森下佳子、演出・平川雄一朗と、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『JIN-仁-』などと同じ鉄板の座組。ぶっちゃけ、日曜9時の日曜劇場でもイケたが、今クールは『この世界の片隅に』がある関係(戦争ドラマ+家族の話なので、夏クールの日曜劇場で放映する以外にない)で、火曜10時になっただけのこと。

珠玉の森下脚本

まず、『ギボムス』の何が面白いって、再婚する2人の馴れ初めもプロポーズもすっ飛ばして、いきなり義母と娘の“初顔合わせ”から始まる導入だ。物語の舞台は2009年。つまり、ちょっと前の話。まだスマホはなく携帯の時代で、冒頭は、高校生に成長したみゆき(上白石萌歌)の回想ナレーションだった。
「もし、私の人生を歌にしたとすれば、それはブルースだ」

このドラマ、実はある種のミステリーなんですね。
なぜ良一と亜希子は結ばれたのか?
なぜ良一と亜希子は同じ部屋で寝ないのか?
なぜ亜希子はキャリアウーマンの地位を捨ててまで主婦の道を選んだのか――?

それら諸々の疑問はドラマが進むにつれ、徐々に氷解する。そう、これが視聴者をドラマに引き込む、いわゆる“カタルシス”なんです。

以下は、ネタバレだけど――実は良一、スキルス性の胃がんに侵され、余命いくばくもない体。そこで、自分の勤め先と同じ業界で、やり手のキャリアウーマンとして知られる亜希子にプロポーズしたのだ。自分が死んだあと、娘を育ててほしいと。一方、亜希子も密かに一人で生きる寂しさから解放されたいと思っていた。つまり、この結婚は両者の利害関係が一致した取引――“契約”だった。
「しかしながら、なぜ私に?」
「僕が知ってる女性の中で、一番頼りになりそうだからです」

驚くのは、このドラマの原作は桜沢鈴サンの4コマ漫画であること。4コマを連ドラに脚色した森下さんの筆力も相当なものだが、あらためて原作を読むと、ちゃんとドラマで描かれたエッセンスが凝縮されているのが分かる。決して、飛躍した脚色じゃない。原作を生かし、ドラマも生かす。恐るべし、森下佳子。

綾瀬はるかと竹野内豊の安定感

そして、そんな珠玉の脚本に見事な演技力で応えているのが――メインの綾瀬はるかと竹野内豊の2人である。

まず、綾瀬サン演じる亜希子の振り切ったキャラが抜群にいい。キャリアウーマンと言いつつ、やってることは、広告代理店のD通マンと変わらない。要するに、クライアントのためなら何でもやります――というアレ。すぐに土下座もするし、腹踊りも厭わない。しかも、全ての動作がまるでロボットのように、完璧に遂行されるのだ。その辺りの綾瀬サンの体を張った“新境地”も、同ドラマの見どころの1つである。

一方、竹野内サン演じる良一は、とにかく人がいい。仕事はそれほどできないけど、その人柄の良さで周囲から自然と慕われるタイプだ。これをリアリティ豊かに見せてくれる(本当にこういう人が実在しているように見える)のは、竹野内サンの真骨頂。僕は、彼ほど「引き出し」の多い役者を知らない。

役者の演技を引き出す平川演出

そして、忘れてならないのが、そんな役者の神演技を引き出す、平川雄一朗サンの神演出。笑わせ、驚かせ、そして最後に泣かせる――。

“契約結婚”に踏み切った亜希子と良一だが、そんな風にひょんなことから一緒になった2人が、やがて真実の愛を育むのは、『逃げ恥』でも見られたように、古今東西の物語の常道である。
そんなドラマ・セオリーを緩急つけながら、自然と描けるのは平川サンの名人芸。役者もスムーズに役に入り込めるというもの。

素で竹野内豊が泣いた4話の神シーン

同ドラマの印象的なシーンに、4話で亜希子と良一が娘のみゆきのために2人のなれそめの打ち合わせをした帰り、歩きながら2人が交わすやりとりがあった。

亜希子「結局のところ、していないお付き合いをしていたとするほかは、ほとんど本当のことでなれそめが出来てしまいましたね」
良一「逆に言えば、僕たちは意外と普通に結婚したってことになるんですかね」
亜希子「それは違うのではないでしょうか。普通の結婚というのは、共に人生を歩くためにするものではないかと考えます。いわば、二人三脚のようなものかと。しかしながら、私たちのそれは――リレーです」
良一「さすが……(ここで感極まる)うまいこと言いますね」

この最後の台詞のところ、竹野内サンは本当に感極まって泣いてるんですね。見ているこちらも、思わずもらい泣きしたほど。
何気ないシーンの何気ない会話で、役者の自然の演技を引き出す――これが『ギボムス』の演出なんです。

後半は現代パート

そして、ドラマは後半の6話から現代へと時間が飛び、みゆきは高校生となり、上白石萌歌サンが演じている。
一方の亜希子は、専業主婦を続けているものの、容姿に全く変化がない。その辺りの演出の割り切りもいい(描きたいのはそこじゃないから)。親子の会話も、亜希子は相変わらずビジネス敬語で、みゆきは自然体だ。
つまり――良一がいないだけで、2人の関係は基本、9年前から変わっていない。

6話の最後、みゆきが幼馴染みの大樹(ヒロキ)から告白され、驚いてその場から逃げ出すくだりがある。この時の彼女のモノローグが、ドラマの後半戦の火ぶたを切る。

「父が亡くなって9年。私は、生まれて初めて告白というものをされ、義母は再び、働きに出ることにした。ただ、それだけのことだ。――ただ、それだけのことが、義母と私の、親子関係をえぐることになってしまうのだった」

なんと、タイトルの『義母と娘のブルース』は、実は後半戦にかかっていると、この時、僕らは知らされたのだ。考えたら、前半戦は夫婦の絆の物語だったので、本当の意味での本編はこれからなのだ。

そう、ここでも視聴者をドラマの後半戦に惹きつける“カタルシス”が効いているんですね。今後、この2人にどんなブルースなエピソードが待ち受けているのか?――と。

最終回への期待

同ドラマの主題歌は、MISIA の『アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN)』である。これがまたドラマにハマっている。毎回、エンディングでこれがかかると、物語がグッと盛り上がるんですね。

さて、視聴率である。
初回11.5%で始まり、その後徐々に上げて、6話で13.9%と自己最高を更新した。その時点で7月クールのトップを快走しており、2年前に同じ枠だった『逃げ恥』とほぼ同じ軌跡を描いている。このまま行けば、最終回の20%超えも夢じゃない。

もう、これは最後まで見届けるしかないでしょう。

『絶対零度』は事実上のスピンオフ

さて――ちょっと『ギボムス』への思い入れが深すぎて長くなっちゃったけど、ここから先は、その他の見るべきドラマをサクッと紹介したいと思います。

まず、フジテレビの月9。『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~』のシーズン3が絶賛放映中である。これが意外と面白い。
――とはいえ、同シリーズは1シーズンごとにまるで別のドラマと言っていいくらい、各々の世界観が独立している。シーズン1はタイトルの通り、米ドラマ『コールドケース』をオマージュしたものだったし、シーズン2は「潜入捜査」の世界を描き、これは米ドラマの『NCIS:LA~極秘潜入捜査班』を彷彿とさせた。

そしてシーズン3は、まだ起きていない犯罪――「未然犯罪」がテーマである。これは恐らく、米ドラマの『PERSON of INTEREST 犯罪ユニット』をオマージュしてますね。ビッグデータやAIがプログラミングされた“システム”で犯罪を予知するプロットで、従来の刑事ドラマと一線を画す、新しい試みだ。
しかも今作から、主役が上戸彩サンから沢村一樹サンに交代している。タイトルは同じだけど、もはやスピンオフドラマと言っていい。

見えてきた月9の方向性

それにしても、『絶対零度』のシーズン1と2は火曜9時枠だったのに、なぜ今シーズンから月9になったのか。
多分――それは、本作が月9の目指す方向性に相応しいドラマだから。

え? 月9といえば、恋愛ドラマじゃないのかって?
いえいえ、この1年――恋愛モノは『海月姫』しか作られていません。不幸にも、昨年1月クールの『突然ですが、明日結婚します』が歴史的惨敗を喫して、月9は方針転換せざるを得なくなったんです。
で、この1年、試行錯誤を繰り返した結果、前クールの『コンフィデンスマンJP』から、ようやく1つの方向性が見えてきた。それは――ドラマの“世界の潮流”をいち早く取り入れるというもの。

ようやく世界を見始めた日本のドラマ界

そう、世界だ。
日本では、連ドラは苦戦しているが、実は、世界に目を向けると空前のドラマブームである。それをけん引するのはNetflixやHulu、Amazonプライムなどのネット配信企業。何が凄いって、彼らの予算の掛け方だ。1つのドラマの1シーズンの制作費が100億円なんてことも珍しくない。それだけ掛けても、ちゃんと回収できるんですね。何せ、マーケットは世界だから。

一方、日本の連ドラはスポンサーの広告予算で作られ、国内向けである。1クールの予算は3~4億円。そもそもビジネスモデルが違うから、ここからマーケットが飛躍的に拡大することもない。
ただ――このままだと世界の潮流から取り残されると、ようやく日本のテレビ局も重い腰を上げたんですね。

その手始めが、フジテレビは「月9」の改革だったと。将来の海外マーケットを見据え、その枠で掛けるドラマを世界標準に近づけようと考えた。それが、“コンゲーム”の世界を描いた前クールの『コンフィデンスマンJP』であり、従来の刑事ドラマと一線を画した今クールの『絶対零度』(シーズン3)ってワケ。ちなみに、次の10月クールは織田裕二と中島裕翔のバディーもので、米ドラマ『SUITS/スーツ』のリメイクである。

木10久々の二桁

お隣の国、韓国に目を向ければ、実は韓国のドラマはとっくに海外マーケットに舵を切っている。元々、人口が日本の半分しかないので、K-POPも早くから日本をはじめ、海外に進出したように、ドラマも必要に迫られての行動だった。

その結果――近年、韓国ドラマは“脚本力”が飛躍的に上昇したんですね。
ひと昔前、いわゆる「韓流ドラマ」は、『冬のソナタ』をはじめ、ドラマチックすぎる展開(主人公の記憶喪失や出生の秘密など)が定番だったが、今や海外マーケットを意識した、普遍的でクオリティの高い脚本のドラマが増えている。

この7月クールの、フジの木10ドラマ『グッドドクター』もその一つ。同ドラマは2013年に韓国で放映されて人気を博し、昨年、米ABCでリメイクされ、そこでも評判となった。そして今年、満を持して日本にやってきたのだ。

初回視聴率は11.5%。これ、なんと木10枠で二桁を取ったのは、2年ぶりだったんですね。そして、その後もずっと二桁をキープしている。

医療ドラマ版『ATARU』

主人公・新堂湊を演じるのは、山﨑賢人。湊は自閉症で、サヴァン症候群を抱える小児科の研修医という設定。つまり、コミュニケーション能力に難がある。果たして、そんな人物に繊細な医療が求められる小児科医が務まるのか――というのが同ドラマのカタルシスだ。

しかし、そんな周囲の心配をよそに、湊はその抜群の記憶力と、子供のような純粋な心で、次々と奇跡を起こしていく――これが同ドラマの大まかなプロット。要は、かつてのユースケ・サンタマリア(リメイク版は山下智久)主演の『アルジャーノンに花束を』とか、中居正広主演の『ATARU』みたいな路線ですね。医療ドラマ+障害モノだから、鉄板と言えば鉄板だ。

脚本は徳永友一サン。徳永サンは以前もフジで、韓国ドラマ『ミセン-未生-』をリメイクした『HOPE〜期待ゼロの新入社員〜』を手掛けている。これも面白かったので、今作の安定した仕事ぶりも頷けるというもの。未見の方は、同ドラマを見て損はないと思います。

夜の朝ドラ『この世界の片隅に』

さて、次にTBSの日曜劇場だ。今クールはドラマ版『この世界の片隅に』が絶賛放映中である。

ご存知の通り、同じ原作のアニメの映画版が一昨年、わずか63館で封切られたものの、その後、累計400館を超える大ヒット。キネマ旬報の日本映画第一位となったのは記憶に新しい。そんな超・話題作のドラマ版だから、開始前から何かと外野の声もうるさかった。

現状、中盤まで視聴率は10%前後で推移しており、同枠の潜在視聴率を考えれば、ちょっと苦戦している。とはいえ、主人公・すずを演じるのは、ドラマ初主演の松本穂香であり、役者の知名度を考えれば、致し方ない面もある。

一方、彼女の周囲を固めるのは、夫役の松坂桃李をはじめ、尾野真千子、伊藤蘭、二階堂ふみ、田口トモロヲ、宮本信子らと、こちらは実力派俳優たちがズラリと並ぶ。脚本もベテラン岡田惠和サンに、演出チーフがTBSの重鎮・土井裕泰サンと、ぬかりない。

――そう、要はこのドラマ、ヒロインに新人を当て、周囲の役者やスタッフをベテランで固めて丁寧に作り込む、NHKの朝ドラと同じ手法なんですね。恐らく、確信犯。その意味では、クオリティ面で十分健闘していると思う。

あの声明は何を意味していたのか

同ドラマは、序盤、ちょっと物議を醸した騒動があった。
それは、アニメの映画版の製作委員会が、ドラマ版のエンドロールにある「special thanks to映画『この世界の片隅に』製作委員会」のクレジットに対して、自身の公式サイトで声明を発表したからだ。「ドラマの内容・表現等につき、映画に関する設定の提供を含め、一切関知しておりません」――と。

これ、映画版の熱心なファンの中には、「片渕須直監督に無断でクレジットを入れたんだ!」と憤慨する人たちがいたけど、それは早計というもの。もちろん、クレジットは双方了承済みだし、単に片渕監督は「ドラマ版の制作にはタッチしてませんよ」と、インフォメーションしたかっただけ。
多分、ドラマ版を見た映画版の熱心なファンから監督に色々と問い合わせが来て、それに公式に回答する意味合いだったと思う。基本、両者にわだかまりは一切ない。

ドラマ化作品の楽しみ方

ここで、いい機会だから、原作のある映画やドラマの楽しみ方を解説しておきますね。これは他の作品でも同様だから、参考にしてもらえれば幸いです。

基本――小説であれ漫画であれ、原作は原作で完成しており、“最終形”である。まず、この考えをしっかり持っておいてください。だから、原作を映画化したり、ドラマ化したら、それは原作とは別ものと考えるのがスジ。原作は、映画やドラマの“脚本”じゃないのだから(←ココ大事なところです)。そうじゃないと、映画やドラマにする意味がない。それぞれを楽しめばいいんです。

それを踏まえると――『この世界の片隅に』も、原作者のこうの史代さんの漫画がそもそも最終形。映画版はそれとは違う片渕須直監督の作品であり、ドラマ版も、その2つとは違うTBSの作品。各々、好きな作品を楽しみましょう。

『チア☆ダン』は青田買い目線で

近年、TBSのドラマはキャスティングに、あるこだわりが見られる。それは、作品重視でキャストを選んでいること。
え? そんなの当たり前だろうって?

――いえいえ、先に役者を決めてから、それに相応しいドラマの題材を探すことは珍しくないし、視聴率を狙うなら、売れっ子のスターさんを起用するのも間違いじゃない。テレビドラマは見られてナンボだから。
でも、近年のTBSのドラマを見ていると、極力、作品重視でキャスティングしているように見える。今クールの『チア☆ダン』もそうだ。

正直、生徒役で名前と顔が一致するのは、メインの3人――土屋太鳳、石井杏奈、佐久間由衣くらい。あとの人たちは申し訳ないが、一般的な知名度はそれほど高くない。
でも――それでいいんです。同ドラマは、地方の高校の無名のチアダンス部が「全米制覇」という、途方もない夢へ向かって突き進む物語。視聴者にとって、部員たちに変な色が付いていないほうが感情移入できるんです。

実際、同じようなフォーマットに、3年前の同枠で放送された『表参道高校合唱部!』がある。あの時も、主演の芳根京子を筆頭に、生徒役のほとんどは一般的には無名だった。でも、彼らは同ドラマをステップに知名度を上げ、今や森川葵に志尊淳、葵わかな、吉本実憂――と、皆売れっ子になった。

そう、『チア☆ダン』も、未来のスターを青田買いする目線で見ると、より楽しめるというもの。

『dele』は21世紀版『傷だらけの天使』

さて、長くなってきたので、このコラムもそろそろ締めたいと思う。最後にオススメするのは――テレ朝の『dele(ディーリー)』である。

同ドラマ、原作は本多孝好の小説で、企画段階から並行して映像化が進められ、メインの2人――圭司と祐太郎は、山田孝之と菅田将暉を想定して当て書きされたという。それを原作者の本多をはじめ、金城一紀や渡辺雄介、青島武ら複数の脚本家が競作する体で、ドラマ化されたのだ。

“dele”とは、デジタル用語で「削除」の意味。それは、圭司と祐太郎の仕事――クライアントの依頼を受け、その人の死後に不都合なデジタル遺品をすべて内密に抹消する仕事を表している。

さて、ドラマの中身だが、さすがに当て書きしただけあって、2人の役のハマり具合が半端ない。菅田サン演じる祐太郎のアホキャラは笑えるし、山田サン演じる圭司のクールで早口の芝居もカッコいい。2人を見てると、まるで『傷だらけの天使』の亨(水谷豊)と修(萩原健一)を見てるようでもある。

そんな風にメインの2人がノリノリで演じてるものだから、とにかく同ドラマ、面白いニオイがプンプン漂ってるんですね(←ココ大事)。だから、そんなニオイに誘われるように、各回のゲストスターも、コムアイ(水曜日のカンパネラ)だったり、野田洋次郎(RADWIMPS)だったり、柴咲コウだったり――と、ちょっと面白い。これ、空気感を楽しむ意味でも、出来る限り、リアルタイム視聴をおススメします。

大事なのはカタルシス

以上、7月クールのおススメドラマを6本、ご紹介させていただきました。『義母と娘のブルース』、『絶対零度』、『グッドドクター』、『この世界の片隅に』、『チア☆ダン』、そして『dele』――。
今からでも遅くありません。この6本を見るだけで、あなたは7月クールの連ドラを堪能できるでしょう。

え? この6本と、今回選ばれなかったドラマと、何が違うのかって?
――ひと言で言えば、“カタルシス”の有無ですね。

連ドラにとって一番大事なのは、視聴者に「次も見たい!」と思わせるカタルシスなんです。それが、この6本には明確に見られ、残念ながら今回選ばれなかった作品たちには、もう一つ見られなかった。

また、10月クールにお会いしましょう。
ステキな連ドラ・ライフを!

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第42回 6人の“脚聖”

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俗に、連ドラの世界には、こんな格言がある。
「ドラマの9割は脚本」――。

この「9割」は、人によって「8割」だったり、「7割」の時もある。また、同種の格言に「映画は監督、舞台は役者、ドラマは脚本」というのもある。いずれにせよ――ドラマにとって脚本が重要な役割を担うことには違いない。

そこで、今回は脚本家の話である。それも、現時点において、この人が書いている作品なら見ておいて損はないという、実力派の脚本家の話だ。今回は6人を挙げさせてもらう。言うなれば、6人の脚本家の聖人たち――略して、6人の“脚聖”だ。

一人目は、先の7月クールで驚異の右肩上がりの視聴率を見せた“ギボムス”こと『義母と娘のブルース』(TBS系)を書いた森下佳子サンである。

伏線と回収の森下マジック

森下サンと言えば、先のギボムスでも見せてくれた「伏線と回収」に定評がある。大抵の脚本家は風呂敷を広げるだけ広げて、畳まない人が多いが――森下サンは違う。ちゃんと先々を見据えて風呂敷を広げ、ドラマの終盤、見事に畳んでみせる。通称、森下マジック。

例えば、ギボムスでは、前半パート、佐藤健演じる麦田の職業が毎回異なり(バイク便→花屋→タクシードライバー→リサイクルショップ→葬儀屋)、その度に彼がきっかけで、亜希子(綾瀬はるか)の周りで小さな奇跡が起きた。良一(竹野内豊)曰く「奇跡って、割とよく起きるじゃないですか」――なんて。

それが後半パートになると、麦田はパン屋を営み、亜希子はそこで働き始め、2人は急接近する。そして、とうとう9話で麦田の過去の仕事の変遷が亜希子の知るところとなり、かつての奇跡が麦田のお陰だったと気づく。「店長は私にとって、小さな奇跡ということです」――なんと最終回の1つ前に至り、前半パートの麦田の転職の伏線が、“ロングパス”で回収されたのである。

それを受け、麦田が亜希子に告白。さて、2人の恋の展開は?――と同ドラマのボルテージも最高潮に。伏線を回収した上に、最大のクライマックスも演出する。これが森下マジックである。

連ドラのクライマックスは最終回の1つ前

そうそう、同ドラマ、この9話の盛り上がりに比べ、最終回がちょっと物足りなかったという声も聞かれたけど、大体、連ドラというのは最終回の1つ手前の回が一番盛り上がるようにできているんです。何せ連ドラにとって一番大事な要素は、お茶の間に「次、どうなるのか?」とカタルシスを抱かせることだから。

例えば、あの『踊る大捜査線』にしたって、全11話の一番のクライマックスは、真下(ユースケ・サンタマリア)が凶弾に倒れ、湾岸署の刑事たちに拳銃携帯命令が発令された、最終回の1つ前だった。『東京ラブストーリー』も、消えたリカ(鈴木保奈美)を探しにカンチ(織田裕二)が郷里の愛媛に戻り、母校の小学校の柱に新しく彫られたばかりのカンチとリカの名前を見つけるシーンがクライマックス。あれも最終回の1つ前だった。『ロンバケ』も同じく、一番盛り上がったシーンは、瀬名(木村拓哉)と南(山口智子)が初めて屋上でキスを交わした、最終回の1つ前のラストだった。

日テレからTBSに移り、ブレイク

ここで、森下サンの経歴をざっと紹介すると――東大文学部(!)を卒業して、一旦就職するも、脚本家を志してシナセン(シナリオセンター)に通い、遊川和彦サン主宰のコンペに応募して合格。晴れて遊川サン企画の『平成夫婦茶碗~ドケチの花道~』(日テレ系)にて脚本家デビューする。
その後、日テレで数本連ドラを書くも、本格的にブレイクしたのは、TBSの『世界の中心で、愛をさけぶ』から。まぁ、日テレの作品は、どちらかと言えばバラエティ色の強い企画案件。それより彼女には作品主導型のTBSの水のほうが合っていたということだ。

その後の活躍はご承知の通り。『白夜行』、『JIN-仁-』、『とんび』、『天皇の料理番』、そして直近の『義母と娘のブルース』と、着実にTBSでヒットを重ねる一方、朝ドラ『ごちそうさん』や大河ドラマ『おんな城主 直虎』など、NHKの伝統枠でも高い評価を得てきた。

もっとも、『~直虎』は題材がマイナーすぎて視聴率的には苦戦するも、内容面では、井伊直虎(柴咲コウ)と筆頭家老・小野政次(高橋一生)の数奇な運命を中盤過ぎまで巧みに描き、最終回で井伊家の跡取りの万千代(菅田将暉)が、家康から井伊の通り字である「直」、小野の通り字である「政」を取って「直政」の名を授かるという“大ロングパス”を決め、お茶の間は拍手喝采。何かと「スイーツ大河」と言われる近年の大河において、久々にお茶の間の読後感はよかったと思う。

キャリア19年――。森下サンは、今なお第一線で高いクオリティの脚本を生み続ける“脚聖”と称しても過言でないことが、お分かりいただけただろうか。

今最も旬な脚本家・野木亜紀子

続いては、『逃げ恥』や『アンナチュラル』でもお馴染みの野木亜紀子サンである。もう説明するまでもないですね。今最も脂が乗っていると言われる脚本家だ。

まずはそのプロフィールから振り返ってみたい。
脚本家デビューは、フジテレビのヤングシナリオ大賞である。同賞からは、坂元裕二サン、野島伸司サン、尾崎将也サン、橋部敦子サン、浅野妙子サン、いずみ吉紘サン、金子茂樹サン、古家和尚サン等々――佳作も含めて、これまでにヒットメーカーを数多く輩出している。新人脚本家の登竜門は数あれど、ここまで出身者が活躍している賞は他にない。それはひとえに、フジテレビが早くから入賞者にチャンスを与え、局を上げて新人脚本家を育てるからである。

ところが――どういうワケか、野木亜紀子サンという大魚を逃してしまった。近年、彼女が書いているのはTBSと日テレばかりである。もちろん、フジも野木サンの受賞から2年後には、月9のセカンドライターや、土曜夜11時台のドラマというチャンスを与えている。でも、今ひとつ芽が出ず、彼女がブレイクするのはその翌年、TBSの日曜劇場『空飛ぶ広報室』をピンで書いてからである。

フジとTBSの脚本家の育て方の違い

フジとTBSで何が違った?
一見すると、新人脚本家にキャリアを積ませようと、月9という看板枠でセカンドライターのチャンスを与えたり、若者向けの深夜ドラマを書かせたフジは正しいように見える。
一方、TBSは、最初から野木サンを一人前の脚本家として扱い、日曜劇場という大役をピンで任せた。人間、大き目の服を与えられた方が成長する――彼女はその期待に全力で応え、見事に成功させたのである。
あくまで新人脚本家として上から目線で接したフジに対し、一人前の脚本家として扱ってくれたTBS。そこに両局の差があった。

その後、野木サンは、『掟上今日子の備忘録』(日テレ系)、『重版出来!』(TBS系)、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)、『アンナチュラル』(TBS系)――と、ヒット作を連発。そして、この10月から日テレ系の新ドラマ『獣になれない私たち』を書いている。主演は、野木脚本4度目のガッキーと、松田龍平のコンビ。何より画期的なのは、同ドラマは野木サンにとって初のオリジナルのラブストーリーなのだ。

そう、初のオリジナルのラブストーリー――ここに野木亜紀子という稀代の脚本家を解く鍵がある。

ストーリーテリングの名手

意外に思われるかもしれないが、野木サンがメインで書いた連ドラで、オリジナル作品は、前作の『アンナチュラル』が初めてだった。それまでは全て原作ありきの作品である。

一般に、脚本家を志すような人は作家志向が強く、原作のある作品を脚色するよりは、オリジナルを書きたがる。ところが――野木サンは、脚色の仕事も喜んで引き受けたんですね。そして特筆すべきは、そのクオリティが原作を生かしつつ、連ドラとしても最高に面白いという“神業”だったこと。

これは、前回のコラム「7月クールドラマ中間決算」でも述べたが、原作を映画化したり、ドラマ化する場合、原作とは別ものと考えるのがスジである。だって、原作は映画やドラマの“脚本”じゃないのだから――つまり、映画やドラマとして最高に面白くしないと意味がない。

ラブの要素を入れて成功した『掟上今日子』

その点、野木亜紀子サンは、ぬかりない。例えば『掟上今日子の備忘録』では、ガッキー演ずる主人公・掟上今日子が1日寝たら全ての記憶を失う“忘却探偵”である原作の設定を最大限に生かしつつ、連ドラでは原作にはない相棒の隠舘厄介(岡田将生)との淡いラブの要素も取り入れた。

これが連ドラにハマった。基本、厄介の片想いに過ぎないが、恋が進展しそうになると、決まって翌日、今日子から「はじめまして」と言われる、切ない展開が繰り返される。ところが最終回――遂に2人は両想いになる。だが、眠れば最後、今日子の記憶は失われる。睡魔に襲われる中、「私……忘れたくない」と涙ぐむ今日子。このシーンは切なかった。

そう、原作の謎解きの面白さは生かしつつ、“ラブ”の要素も取り入れ、連ドラとして一味違った最高の作品に仕上げる――これが野木サンの“脚色”の優れているところだ。ちなみに、最終回のラスト、及川光博演ずる所長に「経験や感情を身体が覚えていて、いつの日か恋が結実するかもしれないネ」と言わせて、お茶の間に淡い期待を抱かせることも野木サンは忘れない。

野木亜紀子、初のオリジナルラブストーリー

そして、この10月から始まる『獣になれない私たち』である。野木サンにとって日テレの連ドラは、先の『掟上~』以来となる。そして今度は、オリジナル脚本である。

基本、今の連ドラ界は、オリジナルが書きにくい環境にある。90年代の連ドラ全盛期と違い、ドラマの視聴率は低迷し、テレビ局は保険の意味で、人気小説やコミックのドラマ化、あるいは外国でヒットしたドラマのリメイクに走りがちだ。オリジナルが書けるのは、大御所の脚本家先生くらいである。

つまり、野木サンですら、自分を高く売るには、地道に脚色で実績を重ねるしかなかった。そして、ようやく前作の『アンナチュラル』で、初めてオリジナルドラマを書くチャンスを得たのである。とはいえ、いきなりラブストーリーというワケにはいかず、ここでも固定客の見込める医療ドラマと刑事ドラマ(謎解き)の要素を入れざるを得なかった。結果は――視聴率も内容も上々の出来。年間ギャラクシー賞まで受賞し、野木サンは見事、試験にパスしたのである。

そして今回、オリジナルのラブストーリーという、今の連ドラ界で最もハードルの高い(視聴率の取りにくい)ジャンルを書かせてもらえるお許しを得たのである。これは期待せずにはおられない。

野木亜紀子、一世一代の晴れ舞台である。

古沢良太という天才

今年に入って、フジテレビのドラマが持ち直しつつある。
先の7月クールは、月9と木10の2大伝統枠が共に平均二桁の視聴率を獲得。これは実に、2014年の10月クール以来の快挙だった。

復活の理由は何か。
僕は、フジのドラマが“脚本重視”の姿勢に変わったのが一番だと思う。そして、その転機となったのが――4月クールの月9ドラマ『コンフィデンスマンJP』であり、そのキーマンこそ、脚本家の古沢良太サンだった。

そう、古沢良太――。ひと言で言えば、天才脚本家である。
世の中の時流とか、ドラマのセオリーとかをことごとく覆して、それでも面白い脚本に仕上げられるのは、古沢サンにしかできない芸当だ。
例えば、『リーガル・ハイ』の敏腕弁護士・古美門研介(堺雅人)の台詞は、勧善懲悪とか、弱きを助け強きをくじくといった旧来型のドラマ・セオリーとは一線を画する。
例えば――

「うぬぼれるな。われわれは神ではない。ただの弁護士だ。真実が何かなんてわかるはずがない」

「この国では世間様に嫌われたら有罪なんです。法治国家でもなければ、先進国でもない。魔女を火あぶりにして喜んでいる中世の暗黒時代そのものだ!」

「何を基準にして人を好きになるかは個人の自由であり、そこに優劣はない。熊井健吾の場合は顔がきれいかどうか。どんなに性格が悪くても顔がきれいな人がいい。立派なポリシーだ。それを不謹慎だと言う君たちの方が歪んでいる」

――いやはや、痛快だ(笑)。一見暴論だけど、古美門が口にすると、なぜか僕らは納得してしまう。その強烈なキャラクターが違和感なく見えてしまう――そう、そこに古沢脚本の秘密が隠されている。

ファンはキャラクターにつく

よく、『週刊少年ジャンプ』あたりの編集者が、持ち込みの漫画家のタマゴに向かって吐く定番のフレーズがある。それは――「ファンはキャラクターにつく」。

得てして、新人漫画家はストーリーさえ面白ければと、練りに練った物語を作りがちだ。でも、肝心の読者は物語よりキャラクターに惹かれる。だから、まずは魅力的なキャラクターを作り上げろという意味である。

実は、古沢サンは、かつて漫画家を志したことがある。そのせいだろうか、古沢サンの書くドラマは、どれも主人公のキャラが強烈だ。『リーガル・ハイ』の古美門、『デート~恋とはどんなものかしら~』の依子(杏)と巧(長谷川博己)、『コンフィデンスマンJP』のダー子(長澤まさみ)――。
そして――実は、古沢サンが凄いのはここから。それら破天荒なキャラが、最終的にはすんなりとお茶の間に受け入れてもらえるよう、盤石の物語を構築するのである。そのテクニックが神業なのだ。
そう、先のジャンプの編集者が言いたかったことも同じこと。まずは、読者に好かれるキャラクターを作り、その上で彼らが魅力的に見える、珠玉のストーリーを構築せよと。

男主人公がハマる古沢脚本

ただ、古くからの古沢ファンには、直近の『コンフィデンスマンJP』は少々物足りなかったようで――やはり『リーガル・ハイ』や『デート』のほうがしっくりくるという。
実際、視聴率は正直なもので、『コンフィデンス~』が最後まで二桁に届かなかったのは、何かしらの原因があるのだろう。僕は――それは男主人公の有無だと思う。

多分、古沢サンは男主人公のほうが、より魅力的なキャラクターが描けるのだ。『リーガル・ハイ』の古美門、『デート』の巧、もっと言えば『鈴木先生』の鈴木(長谷川博己)――いずれも超個性的で、多面的な性格の持ち主で、人間的にも面白い。それに対して、『コンフィデンス~』のダー子は、ちょっとキャラが一元的過ぎる嫌いがあった。もちろん長澤まさみサンは魅力的に演じていたのだけど――。

ただ、『コンフィデンス~』は嬉しい誤算というか、相棒のボクちゃん(東出昌大)が抜群に面白かった。東出サンの芸風をあんな風に生かせるのは、古沢サンならでは。さらに、リチャード(小日向文世)は安定してうまく、五十嵐(小手伸也)という飛び道具もあった。――となると、次なる楽しみは、番組内で告知された“劇場版”の公開になる。
今のところ、詐欺ではなく、ちゃんと進んでいるようなので、安心してほしい(笑)。もっとも、フジテレビ的には『劇場版コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』が絶好調で、興行収入が90億円を突破して今年の1位がほぼ確定なので、この流れをうまく生かしてほしいところ。

空気を作る天才・奥寺佐渡子

映画の話が出たついでに、あのアニメ映画の話も――。
細田守監督の『未来のミライ』である。『バケモノの子』から3年ぶりのオリジナル作品。前作が58億円の興行収入を記録したことから期待されるも――今のところ興収27億円と半分以下である。何よりヤフーの映画サイトのレビューの点数が目も当てられない。中には冷やかし半分の投稿もあるかもしれないけど、やはり作品のクオリティが今ひとつである感は否めない。

なぜ、こんなことになったのか?
思うに――奥寺佐渡子サンが脚本を書いていないからじゃないだろうか。

そう、奥寺佐渡子サン。ちなみに、彼女が脚本を担当した細田作品は、『時をかける少女』、『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』、『バケモノの子』(※脚本協力)の4本。そして今回の『未来のミライ』には一切タッチしていない。これはもう、そこに原因があると考えるのが自然じゃないだろうか。

正直、前の4作は面白かった。
奥寺佐渡子サンの持ち味と言えば、いわゆる作品の“空気感”である。それを作らせたら、この人の右に出る脚本家はいない。彼女の作品を冒頭から2分も見ていると、気づいたら僕らはスッと物語の中に入っているもの。
例えば、『時をかける少女』もそうだった。冒頭、いきなり真琴と千昭と功介の3人が校庭で野球をしているが、このわずか1分ちょっとのシークエンスで、真琴が活発な女の子であること、3人が恋人関係ではなく友人同士であること――などが自然と伝わってくる。

そう、それが最も生きたのが、彼女が手掛けた一連のTBS金ドラのシリーズだ。

女だらけの鉄板スクエア

『夜行観覧車』、『Nのために』、『リバース』――この3タイトルを見て、すぐにピンときたら、あなたはドラマ通である。
そう、これらは主要なスタッフィングが全て女性たちという座組で作られたTBS金曜ドラマの一連のシリーズだ。原作・湊かなえ、プロデュース・新井順子、チーフ演出・塚原あゆ子、そして脚本・奥寺佐渡子――通称、女だらけの鉄板のスクエア。

よく連ドラには「記録よりも記憶に残る』と言われる作品があるが、まさにこの3作品がそう。取り立てて視聴率がよかったワケではない。しかし、不思議と印象に残り、テレビドラマの各賞を受賞し(つまり審査員ウケもいい)、何よりお茶の間、特に女性視聴者からの反響が高かった。その意味では、先のスクエアに1つ足して、女だらけの鉄板のペンタゴンとも――。

3作品に共通するのは、独特の空気感である。これこそが奥寺佐渡子サンの真骨頂。物語はミステリーベースながら、そこに人間ドラマが深く関わり、特に女性の心理描写が鍵となる。そして独特の読後感――。
3作品は登場人物もストーリーも全く別物である。それでも“シリーズ”と呼ばれるのは、作り手たちの思いが作品を通してダイレクトに伝わり、それをお茶の間が共有するから。そこには、古き良きテレビの送り手と受け手の信頼関係がある。

間違いなく――奥寺佐渡子サンは映画、ドラマ界に欠かせない逸材である。細田監督、次回作はぜひ再考を。

2人のベテラン脚本家

ここから先の話はあまり長くない。
6人の脚聖――残る2人は、これからNHKの2つの伝統枠に挑む、2人のベテラン脚本家である。福田靖サンと宮藤官九郎サン――奇しくも、福田サンは大河ドラマ『龍馬伝』を書いたものの、朝ドラは初挑戦。宮藤サンは朝ドラ『あまちゃん』を書いたものの、大河は初挑戦である。

まず福田靖サン。脚本家としてデビュー後しばらくはテレビ朝日の仕事が続いたが、一大転機となったのは2001年――フジテレビで『HERO』を書いてからである。
ご存知、木村拓哉主演の検事ドラマ。1stシーズンは全話視聴率30%超えの偉業を達成し、これは日本の民放ドラマ史上、今もって唯一の快挙である。

石原隆プロデューサーとの出会い

実は福田サン、『HERO』はピンチヒッターで呼ばれて、途中から参加したんですね。というのも、当初このドラマはフジのヤングシナリオ大賞を受賞した新人の大竹研サンが書くはずだったんだけど、1話を書いている途中で、度重なる直しに耐え切れず、降板。そこで急遽呼ばれたのが――『救命病棟24時』のセカンドライターながら、クオリティの高い脚本が評価され、同ドラマの最終回を任された福田靖サンだった。

福田サンにとってラッキーだったのは、ここでプロデューサーの石原隆サンから、それこそ脚本作りのノウハウを徹底的に仕込まれたこと。プロット作りから、伏線と回収、ドラマツルギー、コメディリリーフ、ゲームチェンジ、ロングパス、そしてカタルシス――etc.

石原サンといえば、『古畑任三郎』や『踊る大捜査線』の生みの親でもあり、古今東西の映画に精通している日本一のプロデューサーである。彼としても、メインの脚本家に降りられた手前、絶対に失敗は許されないし、何せ主演は当時全盛期のキムタクである。そこで自身の持つあらゆるノウハウを惜しみなく福田サンに注いだ。そして福田サンも貪欲にそれらを吸収した。

朝ドラ『まんぷく』への期待

かくして――「群像劇の名手」と呼ばれる福田靖サンが誕生した。以後の活躍はご承知の通り。フジテレビの『救命病棟』、『海猿』、『ガリレオ』シリーズをはじめ、テレビ朝日の『DOCTORS~最強の名医~』シリーズ――いずれも群像劇で、軒並み高視聴率を獲得した。

そして――この10月から始まったNHK朝ドラ『まんぷく』である。朝ドラと言えば、それこそ究極の群像劇。半年間にもわたる長丁場で、登場人物は限りなく多い。綿密なキャラ付け、プロットが求められ、福田靖サンの得意とするところだ。これは期待せずにはおられない。
加えて、今作は朝ドラ定番の実話ベースの物語で、舞台は戦前・戦中・戦後とノスタルジー感も満載。演出も、大阪らしい明るいタッチが期待できる。ヒロインに安藤サクラ、相手役に長谷川博己と、メインの2人も芸達者揃い――これはひょっとすると、凄いドラマになりそうだ。

33年ぶりの近現代路線

一方、宮藤官九郎――クドカンは来年の大河ドラマである。もはや彼については、プロフィールの紹介はいらないだろう。

タイトルは、『いだてん〜東京オリムピック噺〜』である。1912年の日本のオリンピック初参加から、40年の幻の東京オリンピックを挟み、64年の悲願達成までの半世紀にわたる歴史を、「日本のマラソンの父」金栗四三と、東京オリンピック招致に尽力した田畑政治(日本水泳連盟元会長)の2人の主人公で、リレー形式で見せるという。

大河の近現代路線は、1986年の『いのち』(脚本・橋田壽賀子)以来である。実に33年ぶり。正直、当時イマイチの評判だった大河の近現代路線の復活に、クドカンという民放で活躍するコメディ脚本家の起用――古くからの大河ファンの中には不安視する向きもあると思う。

だが、心配ご無用。ここに面白いデータがある。

初舞台で実力を発揮するクドカン

確かにクドカンの得意とするドラマは小ネタ満載のコメディベース。それも現代の若者ドラマが対象だ。大河に求められる脚本とは180度真逆のイメージがある。

しかし――その一方で、「初舞台に強い」クドカン伝説というものがある。彼は、初めての舞台や、初めて組む相手とは、不思議とバランスの取れたいい仕事をするのだ。しかも視聴率もいい。以下がそうである。

【初めての連ドラ】
『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)平均視聴率14.9%【初めてのフジテレビ】
『ロケット・ボーイ』平均視聴率18.8%

【初めての東野圭吾原作】
『流星の絆』(TBS系)平均視聴率16.6%

【初めてのNHK朝ドラ】
『あまちゃん』平均視聴率20.6%

――いかがだろう。見事に高視聴率が並んでいる。
初めての連ドラの『池袋~』は、演出が堤幸彦監督。恐らくクドカンはガチガチに緊張しながら脚本の打ち合わせに参加したと思うし、TBS育ちのクドカンにとって初めてのフジテレビは、演出が河毛俊作サンで、主演が織田裕二。これもコワモテ相手に相当緊張したはずだ。
そして、初めての東野圭吾原作――これは、文壇の大御所とのタッグという、相手も立てないといけない慣れない仕事だったろうし、初めてのNHK朝ドラは文字通り他流試合である。謙虚に打ち合わせに臨んだと思われる。

そう、今度のドラマはクドカンにとって、「初めてのNHK大河」である。成功する鍵は、いかにクドカンに緊張させ、大河の空気を取り入れつつ、彼にバランスの取れた脚本を書かせるかにかかっている。
それが叶えば、同ドラマの成功は見えている。何せ脚本家としての実力はピカ一。あとは、いかにその才能を引き出すか。個人的には、こちらも大河初演出となる大根仁監督との化学反応が楽しみだ。

――以上、駆け足だが、現時点における脚本界の「6人の“脚聖”」を紹介してきた。何はともあれ、彼らの最新作――野木亜紀子サンの『獣になれない私たち』(日テレ系)と福田靖サンの『まんぷく』(NHK朝ドラ)、来年のクドカンの『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(NHK大河)は、見て損はないと思う。これらの感想等については、また本コラムで追ってフォローしたいと思います。

最後に――今回は6人に絞ったけど、もちろん優れた脚本家はまだまだ大勢いる。『カーネーション』の渡辺あやサンに、『結婚できない男』の尾崎将也サン、晴れて100作記念のNHK朝ドラ『なつぞら』の脚本を担当する名人・大森寿美男サン――etc.
ドラマは時代の鏡であり、脚本家も常に時代とリンクする感覚が求められる。新人脚本家も次々に登場している。

一年後の「6人の“脚聖”」は、ガラリとメンバーが変わっているかもしれない。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第43回 『カメ止め』に学ぶオマージュの心得

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あらかじめお断りしておくが――今回のコラムは、映画『カメラを止めるな!』(以下『カメ止め』)のネタバレを含んでいる。なので、映画を未見の方は、先にそちらを見られてから読まれることをお勧めします。

さて――皆さん、忘れてません? 『カメ止め』に盗作疑惑騒動があったことを。
そして数日もすると騒動は立ち消えになり、その後、何事もなかったようにウヤムヤになってしまったことを。

思えば同映画、都内2館から始まった上映が、あれよあれよと全国300館へと拡大。公開100日を超えても週末ランキングのベスト10内に留まり、興行収入は累計24億円を突破――もはや全国ロードショー公開の大作と変わらない大ヒットとなった。

そんな2018年を代表する映画に突然、降りかかった盗作騒動。その真相はどこにあるのか。そして何ゆえ――騒動は立ち消えたのか。今回はその辺りに踏み込んで、話を進めたいと思います。
おっと、今回はテレビネタではないけど、広義のエンタメ話ということで、お付き合いのほどを――。

全てはヤフトピ砲から始まった

忘れもしない、それは“ヤフトピ砲”から始まった。
そう、今からひと月半ほど前の8月21日の朝、突如ヤフートピックスに“カメ止め「原作者」盗作主張”との見出しが躍ったのだ。何やら、ただ事じゃない様相。記事は、その日発売の週刊誌『FLASH(フラッシュ)』のスクープを要約したものだった。

ヤフートピックスとは、Yahoo!のトップページに掲載されるニュースの見出しである。1日約3000件アップされる同サイトのニュースのうち、編集部が随時更新・ピックアップする8本の見出しのこと。通称「ヤフトピ砲」と呼ばれ、1本あたり最大13文字の見出しに過ぎないが――これが凄まじい拡散力を持つ。

そのニュースもヤフトピに見出しが載るや、瞬く間にSNS等を通じて拡散された。それまで破竹の快進撃を続けてきた『カメ止め』を襲った初のスキャンダルだった。

舞台劇『GHOST IN THE BOX!』とは?

記事の内容は、舞台演出家の和田亮一サンによる告発だった。かつて自身が主宰した劇団・PEACEの演目『GHOST IN THE BOX!』(以下、『ゴースト』)に、『カメ止め』が酷似しているという。だから、自分たちを「原作者」としてクレジットしてくれと。
「構成は完全に自分の作品だと感じました。この映画で特に称賛されているのは、構成の部分。前半で劇中劇を見せて、後半でその舞台裏を見せて回収する、という構成は僕の舞台とまったく一緒。(略)……『カメラは止めない!』というセリフは、僕の舞台にもあるんです」

一体、舞台劇の『ゴースト』とはどんな話なのか。
簡単に説明すると、2幕劇である。前半はある廃墟の2階を舞台に、映画サークルの連中や廃墟マニア、作家らが偶然出くわし、不穏な空気の中、次々と謎の殺人事件が起きるというもの。一人、また一人と減っていく戦慄のサスペンスが展開される。
そして後半――この廃墟の3階が舞台となり、一転、コメディタッチとなる。登場人物に新たに映画監督や脚本家などが加わり、前半で観客が見せられていたものがアマチュア映画の撮影シーンだったことが判明する。そして、その舞台裏でどんなことが起きていたのか――その謎解きが面白おかしく描かれる。

『カメ止め』上田監督の告白

一方、『カメ止め』は3幕劇である。1幕目は山奥の廃墟を舞台に、ゾンビ映画を撮っているうちに本当にゾンビに襲われ、皆がゾンビになる話。で、2幕目はそれがワンカット生中継の映画『ONE CUT OF THE DEAD』と明かされ、話が一カ月前にさかのぼり、それを作る人たちの背景が描かれる。そして3幕目で、あらためて1幕目で見せた映画の舞台裏――予期せぬハプニングが次々に起きて、何とか映画を成立させようと皆が奮闘する様子が面白おかしく描かれる。

――まぁ、確かに両作品の構成はよく似ている。和田サンが言うのももっともだ。とはいえ、『カメ止め』の上田慎一郎監督は、当初から劇団・PEACEの『ゴースト』を見て、映画の着想を得たと繰り返し語っている。何も隠し立てしていない。
「この企画の着想は、2013年にPEACEという劇団(2014年に解散)の『GHOST IN THE BOX!』という舞台を見て、インスパイアを受けて作った作品です」

なんだか、双方の言い分が微妙に噛み合っていない。これは一体、どういうことか?

クリエイティブとオマージュの関係

まず一般論として――。
そもそもエンタテインメント界において、“クリエイティブ”と“オマージュ”は切っても切れない関係にある。よく「エンタメのクリエイティブとは、0から1を生み出すことではなく、1を2や3や5にアップデートする作業だ」と言われるが、エンタメにおける優れた作り手とは、どれだけ旧作を知っているかと同義語ですらある。

例えば、あのジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』が、黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』へのオマージュから生まれたのは有名な話である。かの宮崎駿監督の映画デビュー作『ルパン三世 カリオストロの城』も、少なくとも7つの作品からアイデアを拝借し、それを見事なコラージュで仕上げている。それでも両作品はパクリとは言われず、優れたオリジナル作品と称賛される。

パクリ疑惑は一流作家の通過儀礼

もっとも、この手の「パクリかオマージュか」といった論争はエンタメ界ではいつの世にもあり、大体、名の通った作家なら一度や二度はその疑惑をかけられている。いわば通過儀礼。逆に言えば、疑惑をかけられて一人前である。

あの村上春樹サンだって、デビュー作の『風の歌を聴け』が、カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』のパクリだと指摘された過去がある。実際、短いセンテンスで構成された文体や独特のユーモア、途中に挿入される手描きのイラストなど、両作品は実によく似ている。言うまでもなく、それは村上サンによる確信犯的オマージュである。

漫画界では、石ノ森章太郎サンにその手の話が多い。例えば、『サイボーグ009』のラスト――009と002が宇宙から地球の大気圏に突入し、流れ星となって燃え尽きるシーン。地上でそれを眺める子供たちがとっさに願い事を唱える描写は、レイ・ブラッドベリの『万華鏡』のラストと酷似している。これもまた――限りなく“翻訳”に近い、石ノ森サンなりのオマージュである。

美しきオマージュの連鎖

そうそう、あのディズニー社だって、映画『ライオン・キング』が手塚治虫の『ジャングル大帝』のパクリだと指摘されたことがあるが――当の手塚プロダクションは何ら問題にしなかった。むしろ「もし手塚本人が生きていたら、『自分の作品がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ』と語っただろう」と喜びの声明を発表したほど。もっとも手塚サン自身、『ジャングル大帝』はディズニー映画の『バンビ』をオマージュしたものと過去に明かしている。つまり、オマージュの連鎖だ。

要するに――この手の問題で「パクリだ!」と騒いでいる人たちは、そういったエンタメ界のルールを知らないだけなのだ。工業製品などと違い、エンタメのアイデアに特許も実用新案もない。極論を言えば、全てのエンタメ作品のオマージュ元をさかのぼれば、かのシェークスピアの36通りの物語に行きつくと言われるし、もっと言えば、それすら元をたどればギリシャ神話である。

そう、エンタメのクリエイティブとは、美しきオマージュの連鎖なのだ。

異例のエンドロール

さて、それを踏まえた上での『カメ止め』である。
上田監督自身が再三、述べている通り、それは舞台劇の『ゴースト』にインスパイアされ、生まれたものである。それ自体は正当な行為であり、もちろん『カメ止め』をオリジナル作品と呼んで差し支えない。

いや、そればかりか、劇中に「カメラは止めない!」と台詞を入れることで、ちゃんとオマージュ元を明かしている。本来、エンタメの世界ではそこは明かさなくていいのに(見る人が、「あぁ、このシーンはあの映画が元ネタになってる!」と発見すればいい話)、わざわざ明かすことで、クリエイターの姿勢としては、むしろフェアプレーすぎるほど。

ところが――その一方で、舞台裏で何が起きていたかというと、冒頭で紹介した告発記事が出る一カ月ほど前に、和田亮一サンが上田監督に抗議し、『カメ止め』のプロデューサーも交えて三者の間で話し合いが持たれている。そして、8月の全国拡大公開にあたり、エンドロールに【原案:劇団PEACE『GHOST IN THE BOX!』】と追加表記される運びになったのだ。異例の措置である。

もう1つのオマージュ元

普通、オマージュ作品をそのように表記することはない。なぜなら、上田監督は『カメ止め』を作るにあたり、『ゴースト』以外に、あの作品にもインスパイアされたからだ。――三谷幸喜サン脚本の舞台劇『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』である。

同舞台は、今は亡き東京サンシャインボーイズの代表作の1つである。タイトルには、全ての舞台人の矜持である「一度開いた幕は何があっても途中で降ろしてはいけない」――が込められている。

そのストーリーは、『マクベス』を上演中の劇団の話だ。看板役者の座長が一人芝居を演じているが、老体で体調が悪く、しばしば台詞を飛ばして台本が改変される。一方、舞台ソデでも大道具が壊れるなど様々なアクシデントが起きて、話はどんどん違う方向へ転がる。仕舞いには座長が舞台上で死にそうになる。今すぐ注射を打たないと危ない。舞台の中止を叫ぶプロデューサー。それに対し、あっと驚く秘策で注射を打たせるなど、何としても舞台に幕を降ろさず奮闘する舞台監督――という話。三谷流の見事なコメディが展開される。

幕を降ろすな=カメラを止めるな!

上田監督は、この『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』に対しても、各所でインスパイアされた旨の話をしている。実際、タイトルの『カメラを止めるな!』は、『幕を降ろすな』へのオマージュである。
「ショウ・マスト・ゴー・オンって幕を降ろすなですよね。だからこっちは(映画なので)、カメラを止めるなです」

――となると、『カメ止め』は2つの作品からインスパイアされたことになる。『ゴースト』と同じ扱いをするなら、こちらもエンドロールで【原案:劇団東京サンシャインボーイズ『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』】と入れなくちゃいけないが――さすがにそれは変である。

そう考えると、先のエンドロールがいかに異例の措置か、分かるというもの。

ピタリと止んだパクリ報道

――とはいえ、ひとまず先の原案表記で落ち着いたように見えた話も、実は和田サン自身は納得しておらず、「やはり原案ではなく、原作表記で」と引き続き要求し、これに対して『カメ止め』のプロデューサーは正式に断っている。そこで、冒頭の告発記事に至ったのだ。

それにしても、なぜ、そこまで原作表記にこだわるのか。
一説には、原作だと原案よりも実入りが多いとする話もあるが、それは契約次第で金額はいかようにでもなるし、和田サン自身は「お金が目的ではない」と答えている。彼の名誉のためにも、そこは否定したい。シンプルに、『カメ止め』にもっと深く関わりたかったと推察する。

それよりも不可解なのは――あの報道から一週間もしないうちに、この騒動がピタリと止んだことである。メディアの続報もない。
一体、2つの作品の間で何があったのか?

『GHOST IN THE BOX!』の元ネタ

これは僕の推測だけど――多分、和田サンに近い演劇関係者が、彼に何かしらの助言をしたのではないだろうか。

今回の件、そもそも演劇関係者や演劇好きの方々なら、初めから違和感を覚えていたと思う。それと言うのも、当の『ゴースト』自体――恐らく影響を受けたであろう作品が存在するからだ。
――英国の舞台劇『ノイゼズ・オフ』である。

それは、劇作家のマイケル・フレインの代表作の1つと言われる。1982年にロンドンのウエスト・エンドで封切られ、翌83年にはブロードウェイにも進出。大ヒットして、トニー賞の最優秀作品にもノミネートされた名作だ。
日本でも翻訳された舞台が、『ノイズ・オフ』や『うら騒ぎ/ノイゼズ・オフ』などと何度かタイトルを変え、博品館劇場(1992年)、ル・テアトル銀座(2002年)、新国立劇場(2005年)――と、数度上演されている。

『ゴースト』はこの『ノイゼズ・オフ』に、実に構造がよく似ているのだ。

『ノイゼズ・オフ』の構造

『ノイゼズ・オフ』は3幕劇である。
1幕目は、劇中劇である『ナッシング・オフ』の開幕間際のリハーサルが描かれ、演出家が客席の通路に立って指示を出している(実際に演出家役の俳優は客席の側にいる)。
劇中劇は、貸し手が見つからない別荘内で起きる話だ。週末、メイドがテレビを見ようと訪れたり、不動産屋が愛人を連れてきたり、オーナー夫婦が遊びに来たり、泥棒が入ったりと、皆が鉢合わせてドタバタのコメディが展開される。

2幕目は、この舞台を180度反転して、数週間後の公演の舞台裏が描かれる。実は役者たちの間には愛人や二股といった複雑な人間関係や病的な“癖”があり、次々と起こるハプニングをとっさの機転で乗り越える様子が面白おかしく展開される。

そして3幕目は、再び舞台を正面から見る構図に戻る。千秋楽を迎え、役者たちの人間関係はさらに泥沼化し、舞台裏の混乱が舞台上にも影響を及ぼすようになる。ストーリーはどんどん変わるが、役者たちは何とか客の前で取り繕おうと、即興でストーリーを繋がらせるべく奮闘する――というもの。

――いかがだろう。『ゴースト』と構造がよく似ていないだろうか。
この『ノイゼズ・オフ』は、少しでも舞台をかじったことがある人なら誰でも知っている超有名作品だ。劇団を主宰するほどの和田サンが知らないはずはない。

演劇界の良心

あくまで、これは僕の推測だけど――演劇界の良心が働いたのではないだろうか。演劇関係者の誰かが、和田サンに『ノイゼズ・オフ』の話をして、「君も先人の作品にインスパイアされて、名作を生み出したじゃないか」って。

もちろん、仮にそうやって『ゴースト』が生まれたとしても、そのオリジナリティやクリエイティブが少しも揺らぐことはない。名作は時代を超えて、オマージュによって受け継がれるのだ。

もちろん、三谷幸喜サンも『ノイゼズ・オフ』は百も承知だろう。『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』が同舞台から多少なりとも影響を受けたのは、言うまでもない。

伝説の舞台劇『最後の伝令』

さらに三谷サンに関して言えば、戦前の伝説の劇作家・菊谷栄からも強く影響を受けている。三谷サンのクリエイティブの源は、旧作への豊富な知識がベースにある。『ショウ・マスト~』が菊谷サンの舞台劇『最後の伝令』にインスパイアされて生まれたのは、知る人ぞ知る話である。

『最後の伝令』は、日本の喜劇王と呼ばれ、「エノケン」の愛称で親しまれた榎本健一の代表作である。菊谷サンは彼の座付き作家だったのだ。
これも、劇中劇を描いた話である。舞台はアメリカの南北戦争。北軍兵士のトムと恋人・メリイの別れを描く悲恋の物語が展開されるはずが――役者は台詞を忘れるわ、舞台監督は段取りを失敗するわで、舞台裏は大混乱。それでも何とか物語を成立させようと、皆が即興で対応する様子が面白おかしく描かれる。

ほら――『ショウ・マスト~』とよく似ているでしょ。

オマージュが先人に光を当てる

話は変わるが、アップル製品のiMacやiPod、iPhoneなどの革新的デザインを生み出したデザイナーに、ジョナサン・アイブなる人物がいる。彼が、ドイツのインダストリアル・デザインの父、ディーター・ラムスに影響を受けたのは有名な話である。
あの数々の美しいデザインは、ラムスが半世紀以上も前にブラウン社で手掛けた商品デザインへのオマージュから生まれたものなのだ。

いや、何もここでアイブを“パクリ”と糾弾したいワケじゃない。デザイン業界もエンタメ業界同様、優れた先人の作品にインスパイアされ、新作を生み出すことをオリジナルと評価するので問題ない。
それよりも大事なことは、アイブのデザインが評価されることで、オマージュ元であるラムスのデザインにも光が当たり、かつての偉業が再評価されることである。

オマージュの連鎖の真意

そう、先人に光を当てる――これこそが、オマージュの連鎖を語る上での真の心得なのだ。
もう、お分かりだろう。映画『カメラを止めるな!』が大ヒットしたことで、そのオマージュ元である和田亮一サンの『GHOST IN THE BOX!』や三谷幸喜サンの『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』にも光が当たり、再評価される――これこそが大事なのだ。

もっと言えば、さらにさかのぼって、マイケル・フレインの『ノイゼズ・オフ』や菊谷栄の『最後の伝令』も掘り起こされ、先人たちの偉業を皆が知ることになる。そして、それらに影響を受けた若いクリエイターたちが新作を生み出す――それがオマージュの美しき連鎖である。

僕は、『カメ止め』にインスパイアされた次なる作品の登場を、今からワクワクしながら待っている。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第44回 バラエティ最前線

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先の10月20日、フジテレビの新番組『超逆境クイズバトル!!99人の壁』がスタートして、初回視聴率が6.7%と好発進だった。
え? その視聴率で好発進はないだろうって?

いえいえ、バラエティの視聴率で大事なのは「伸び代」なんです。この数字は、過去3回放映された特番時代より高かった――これが最も大事なこと。

 特番時代1回目 2.9%
 特番時代2回目 5.8%
 特番時代3回目 4.3%
 レギュラー初回 6.7%

――ほら、ね。
さらに言えば、視聴率以上に僕が感心したのが、レギュラー化にあたり、特番時代から何一つ基本的なフォーマットを変えなかったこと。よく、特番時代はエッジの立ったキャスティングや演出をしていたのに、レギュラー化されると、つい幅広い視聴者にウケようと、大物タレントを起用したり、余計なロケ企画が加わったりと、演出がマイルドになる傾向がある。

それが『99人の壁』は、MCは佐藤二朗サンのままだし、大物タレントは加わらないし、クイズの基本ルールは変わらないし、番組はコロシアム風のスタジオセット内で全て完結するし――全くもって潔い。

そして、何より僕が最も感心したのが、栄えあるレギュラーの初回放送なのに、番組のゴールである“賞金100万円”(番組内では「GRAND SLAM」と表現)を達成したチャレンジャーが出なかったこと。普通の番組なら、初回なんだし、ヤラセとは言わないけど、景気づけやご祝儀の意味で、100万円を出したはずだ。でも――出さなかった。

これを見て、僕はあの『ザ・ベストテン』(TBS系)を思い出した。第1回のオンエア前に、時のスター山口百恵が11位と判明し、上司のギョロナベさん(渡辺正文)から「山口百恵を出さないとは何事か! ちょっとランキングをイジればいいじゃないか」と怒られても、「ランキングは絶対です」とガンとして譲らなかった山田修爾プロデューサー。その公正さが、同番組を成功に導いたのは言うまでもない。

僕が『99人の壁』を「これはひょっとすると凄い番組かもしれない」と思ったのは、そういう理由である。

入社2年目のADが企画した番組

なぜ、『99人の壁』は、そんなにも思い切ったことができたのか。
それは、同番組の成り立ちと無縁ではない。

そもそもの企画の発端は、フジのバラエティ番組の制作セクション・第二制作室の「企画プレゼン大会」だった。この時、優勝したのが『99人の壁』で、提案者は入社2年目のADの千葉悠矢サンである。そして、優れた企画は実際に特番を制作してオンエアするとの公約通り、昨年の大晦日に放送された。視聴率こそ2.9%だったものの、SNSはクイズマニアを中心に、そのシンプルなルールとエッジの立った演出が大評判となり、その反響が、2弾、3弾の特番へと繋がったのである。

この時、フジテレビが偉かったのが、入社2年目の千葉サンに全てを委ねたこと。普通なら、先輩のディレクターやプロデューサーが企画を現実的な路線に修正するところ、それを禁じたのだ。結果、〔企画・演出 千葉悠矢〕のままオンエアされ、大評判となった。そしてレギュラー化に際しても、その路線は引き継がれたのである。

『99人の壁』のフォーマット

ここで、あらためて『99人の壁』のフォーマットを簡単に解説しておこう。
まず、事前オーディションで選ばれた100人が、東・西・南・北の「壁」に25人ずつ座り、「ブロッカー」となる。最初は抽選で選ばれた1人が「チャレンジャー」となり、あらかじめ申告しておいた自分の得意ジャンルのクイズが出題される。

クイズは基本、早押しである。1問目は1つの壁=25人と対決し、以後、勝利するごとに壁が1つずつ追加される。2問目(50人)、3問目(75人)、4問目と5問目は自分以外の99人と対決し、5問全てに勝利すれば「GRAND SLAM」となり、賞金100万円がもらえる。
但し、途中でブロッカーに阻止(正解)されたら終了。今度はそのブロッカーが新たなチャレンジャーとなり――以下、同じことが繰り返される。

――番組のフォーマットは以上である。極めてシンプルだ。だが、これにもう一つ、番組の重要なフォーマットが掛け合わされる。MCである。

MC佐藤二朗の役割

この番組のもう一つの特徴は、MCがプロの司会者やお笑い芸人ではなく、俳優であること。役者は決められた台詞を喋るのは得意だが、場を和ませたり、出演者をイジったりするフリートークには基本、向かない。

そこで、佐藤二朗サンである。俳優ではあるが、コメディの才があり、時々アドリブを入れる芸風でも知られる。彼にしか出せない一種独特の世界観を持つ。二朗サンの起用にあたり、前述の企画者の千葉サンは、こうオーダーしたという。
「MCを演じる佐藤二朗でお願いします」――。

これはうまい。役者はフリートークのプロではないが、役を演じるのはプロだ。しかも二朗サンは演技中にアドリブを入れるのはお手の物。その結果、あの独特の間を持つ司会者・佐藤二朗が誕生したのである。

フォーマットセールスの可能性

一人のチャレンジャーが99人のブロッカーと対決するクイズ・フォーマットに、俳優が司会者を演じるMCフォーマット。『99人の壁』はこの2つの掛け算で作られる。同番組がここまで世界観にこだわる理由は何か。
――フォーマットを海外に売るためである。実際、千葉サンは過去にインタビューで、その旨の発言をしている。
「買ってもらえるのであれば万々歳なので、どんどんやってください!っていう感じです。『99’s wall』みたいな感じで(笑)」

クイズのフォーマットは輸出しても、このまま流用できるだろう。司会者も、その国のアドリブに長けた俳優を起用すれば、あの世界観に近づくと思われる。できない話ではない。

そうそう、個人的に同番組で僕が気に入ってるルールがもう一つある。レギュラー版から追加された「QAR(クイズ・アシスタント・レフェリー)」なるシステムだ。まるでサッカーW杯の「VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)」を思わせるが、要はクイズの問題や解答に何かトラブルがあった際に、別室にいるクイズ作家やスタッフらが協議し、判定を下すというもの。これも既存のクイズ番組にない新しいフォーマット。ぜひ、一緒に海外に輸出してほしい。

バラエティ番組は揺り戻し局面へ

――以上、長々と新番組の『99人の壁』を取り上げてきたが、今回のテーマは「バラエティ最前線」である。
今、テレビ界ではどんなバラエティ番組が注目されているのか。先の『99人の壁』もその1つだが、僕は全体の傾向として、今、バラエティは“揺り戻し”の局面に来ていると思っている。

そう、揺り戻し――。
この5年ほど、テレビ界はずっと日本テレビの天下である(昨年まで4年連続年間三冠王)。日テレの強みと言えばバラエティだ。『世界の果てまでイッテQ!』をはじめ、『ザ!鉄腕!DASH!!』、『しゃべくり007』、『有吉ゼミ』、『幸せ!ボンビーガール』、『秘密のケンミンSHOW』など、主に家族で楽しめる番組を多く持つ。ロケで“頑張る系”や“感動系”のVTRを作り、スタジオ部分は計算されたトークで盛り上げる――それが日テレ流のバラエティの作法である。

ところが最近、これらの番組が全盛期の勢いを失いつつあるように見える。いや、視聴率はまだまだ高い。ただ、SNSで話題になる機会がめっきり減っているのだ。日曜日に家族揃って見るには見るが、それ以上バズることはない。

一体、今はどんな番組がSNSを賑わせているのか。

『水曜日のダウンタウン』 の凄さ

今、最もSNSを賑わせているバラエティ――それは「水曜日のダウンタウン」(TBS系)と言っていいだろう。
なんたって、TBSの至宝・藤井健太郎サンが演出する番組。オンエアされる度に、毎回番組がTwitterのトレンド入りするのはもちろん、先日、エイト社が実施した「テレビ視聴しつ」調査でも、10代が最も満足する番組の3位に入っていた。理由は「攻めた企画がとても面白い」――そう、日テレ流の家族団らん型のバラエティへの反動なのか、最近、同番組に代表される振り切った企画や演出の番組が注目されているのだ。

同番組、例えば、おぎやはぎの矢作サンが毎度プレゼンする「勝俣州和ファン0人説」のシリーズなんて、いい具合に攻めている。普段、バラエティ番組の名バイプレイヤーとして重宝される勝俣サンは、テレビでよく見かける反面、実はコアなファンは少ないんじゃないかとする説だ。目の付け所が面白い。この時の矢作サンの攻め方もいい。「勝俣サンのことを嫌いな人は一人もいません。ただ、ファンが一人もいないんです」

また、「どんなバレバレのダメドッキリでも、芸人ならついのっかっちゃう説」も、かなり面白いシリーズだ。昨今、巷のバラエティ番組はドッキリの企画が横行しており、これだけ多いとターゲットに気づかれそうだとお茶の間が薄々思っていることを、ちゃんと企画にしてくれたのだ。バイきんぐ・小峠サンがターゲットの回は、財布を盗んだ濡れ衣を被せられ、警官に逮捕されるバレバレの展開。それでも、隠しカメラに気づかないフリを続け、その後の裁判で死刑が言い渡されると「死刑かよっ!」とちゃんとツッコんでくれたのだ。

メタフィクション的面白さ

つまり――『水曜日のダウンタウン』の面白さは、通常のバラエティがやる企画を前提として、その予定調和をいかに崩すかにある。いわゆるメタフィクション(現実と虚構が交差する世界)的な面白さだ。

それゆえ、時として攻め過ぎた結果、いつぞやのコロコロチキチキペッパーズ・ナダルが番組スタッフに拉致・誘拐される様子を通行人から目撃され、通報を受けて警察沙汰になる騒動も――。
だが、敢えて弁護したい。昨今、コンプライアンス云々と、テレビ界でも色々と自主規制の厳しい中で、ここまでギリギリを攻める地上波の番組が他にあるだろうか。
先日オンエアされた「クロちゃん(安田大サーカス)のベッドの下、ギリ人も住める説」なんて、江戸川乱歩の名作「人間椅子」ばりのホラーでチャレンジングなドッキリ企画だった。クロちゃんに気づかれないように、細身の若手芸人がクロちゃんのベッドの下に住み続けるというもの。2人がベッドの上下に寝ている絵は相当シュールで、こんな非常識な企画は間違いなくココでしか見られないものだった。

ダウンタウンという偉大なるセーフティーネット

『水曜日のダウンタウン』 が面白い理由は大きく2つある。1つは、前述の演出を担当する藤井健太郎サンである。柔軟な発想、大胆な実行力、何よりコンプライアンスを恐れない冒険心――。そこから数々の名企画が生まれた。

そして、もう一つが、どんな企画・番組でも成立させてしまうダウンタウンの存在感である。一見無謀な企画でも、あの2人がいれば、不思議と番組が成立してしまう。少々の不祥事でも番組が吹き飛ばないのは、ダウンタウンという偉大なる“セーフティーネット”のおかげである。

思えば、この30年――テレビの新しい企画は、ダウンタウンが開拓してきたと言っても過言ではない。『夢で逢えたら』や『ダウンタウンのごっつええ感じ』(いずれもフジ系)でコント番組の扉を開き、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日テレ系)ではフリートーク芸を世に知らしめた。『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジ系)では歌番組にトークの面白さを持ち込み、前年に視聴率6.6%まで落ち込んだ『24時間テレビ』(日テレ系)は、ダウンタウンがMCを務めた年に大胆リニューアル。『サライ』や「チャリティマラソン」といった現在に続く名物企画が生まれ、17.2%の高視聴率を獲得、同番組は復活したのである。

ちなみに、僕は人に、最近のオススメの番組を聞かれると、こう答えるようにしている。「忙しければ、一週間で『水曜日のダウンタウン』だけ見るといいです。ニュース番組ではないけど、今の世の中の面白いことや、最先端の笑いが肌で感じ取れますから」。

Amazonプライム・ビデオの挑戦

いかがだろう。日テレの家族団らん型バラエティへの反動からか、『水曜日のダウンタウン』に代表される“攻め”のバラエティの台頭――。
その動きは、地上波以外にも波及している。いや、むしろ地上波じゃないから、攻めやすいとも。――Amazonプライム・ビデオである。

皆さん、昨年あたりからテレビCMでAmazonプライム・ビデオの番宣をよく見ません?
例えば、松本人志プレゼンツと題して、10人の芸人が賞金1000万円をかけて密室で笑わせ合う『ドキュメンタル』シリーズや、その第二弾で、8人の参加者が「氷の塔」に集結し、何が起きても絶対に動いてはいけないルールの『FREEZE』。そうかと思えば、車好きの芸能人たちが自らハンドルを握り、様々なバトルに挑む『戦闘車』等々――。そんな中で、今、僕が一番ハマっている番組がある。
『今田×東野のカリギュラ』である。

「カリギュラ」は最高のバラエティ

番組によると、「カリギュラ」とは、禁止されるほど試したくなる心理現象という意味だそう。番組コンセプトは、地上波では危険すぎて放送できないと一度ボツにされた企画書を発掘し、蘇らせるというもの。MCは往年の名コンビ、今田耕司と東野幸治の2人だ。扱う企画は、ドキュメント、スタジオ企画、トークと、その形態に縛りはない。とにかく面白そうなネタなら、何でもやってしまおうという無謀な番組である。

これが相当面白い。現在、シーズン2が配信中だが、例えば、シーズン1では「東野、鹿を狩る」なる企画があって、実際に東野サンがプロの猟銃ハンターらと一緒に鹿を狩る様子をドキュメントで追った。最初はスタッフも含めてバラエティモードで参加するが、ガチでハンターたちに怒られ、そこからは狩猟・解体・食す――と真剣モードで番組は進んだ。雪上に点々と血が流れる鹿を引きずる東野サンの表情なんて、真剣そのもの。確かに映像の刺激が強すぎて地上波ではオンエアできないが、全体を通して「生きる」「命の重み」といったメッセージが伝わる神企画だった。

珠玉の企画たち

『カリギュラ』で取り上げられる企画は、硬軟織り交ぜて幅広い。
例えば、「自作自演やらせドッキリ」なる企画がある。昨今“ヤラセ”疑惑のあるドッキリを、ならば最初からヤラセと分かった状態で作ろうというコンセプト。ターゲット自ら台本を書き、筋書き通りのドッキリが展開される。キャスティングも面白く、ロバート秋山や竹中直人といった芸達者たちが登場。要は、ドキュメンタリー形式のドラマである。

「SARAI選手権」は、芸人のペアが指定されたターゲットを拉致する企画である。あらかじめプロの傭兵から技を習得し、準備をするが、ターゲットは一切企画を知らされていないので、街でガチの捕物劇が展開される。普通に目撃者に通報されたらアウトである。ターゲットは柔道家の篠原信一や元力士の貴闘力らで、芸人ペアは“死”の恐怖を味わう。

「訳あって地上波ではなかなか会えない、あの人は今!?」は、トークの企画である。初回は、元EE JUMPのユウキ(後藤祐樹)が登場。両腕や首筋にびっしりと入った入れ墨に驚かされたが、今や彼も三十路となり、思慮深い大人に。そんな彼が話す、アイドル時代の葛藤や恋愛、姉(後藤真希)との関係、逮捕の裏側や刑務所での壮絶なイジメなど――とにかく強烈だった。

地上波が忘れていたものを教えてくれた「人間火の鳥コンテスト」

中でも、同番組最高傑作と言われる企画が、「人間火の鳥コンテスト2018」である。
平成ノブシコブシ吉村、ドランクドラゴン鈴木拓、矢口真里ら炎上芸人・タレントが、それぞれの方法で“火の鳥”となり、空を舞う企画。
準備段階からドキュメンタリーで追い、機体の制作やシミュレーションを繰り返す様子が映し出される。本番当日、緊張する3人が炎に包まれて宙を舞うが、一歩間違えれば死と隣り合わせだ。笑い、感動し、最後にまた笑う――地上波が忘れていたものが、そこにはあった。
この「火の鳥」はガチで面白くて感動できるので、ぜひ視聴されるのをオススメします。

一茂・良純はなぜ今年の顔になれたのか

さて、話は再び地上波に戻る。
バラエティと言いつつ、その実態は、〔VTR+スタジオトーク〕の情報バラエティが大半であると、以前、当コラムでも指摘した件――覚えてます? そんな状況の中、“今年の顔”とも言える活躍を見せる、2人のベテランタレントがいる。
長嶋一茂サンと石原良純サンである。

今や、彼らを見ない日はないと言われるほど。以下は、彼らが定期・不定期に出演する主な番組である。

長嶋一茂
『羽鳥慎一モーニングショー』(テレ朝系)
『ワイドナショー』(フジ系)
『くりぃむクイズ ミラクル9』(テレ朝系)
『今夜はナゾトレ』(フジ系)
『櫻井・有吉 THE夜会』(TBS系)
『ザワつく!一茂 良純 時々ちさ子の会』(テレ朝系)

石原良純
『羽鳥慎一モーニングショー』(テレ朝系)
『週刊ニュースリーダー』(テレ朝系)
『ぴったんこカン・カン』(TBS系)
『ネプリーグ』(フジ系)
『くりぃむクイズ ミラクル9』(テレ朝系)
『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレ朝系)
『ワイドナショー』(フジ系)
『ザワつく!一茂 良純 時々ちさ子の会』(テレ朝系)

――もちろん、これ以外にも、特番へのゲスト出演も多い2人。毎日見かけるというのは、決して大袈裟な話じゃない。面白いのは、この10月からは2人が揃う番組『ザワつく!一茂 良純 時々ちさ子の会』まで始まったから、まさに今年の顔である。

彼らの芸歴は短くない。もう90年代からずっと活躍している。それが、ここへ来て、今さらのように再ブレイクしたのはなぜだろうか。

文春砲が世の中を動かした

一旦、話を変えます。
先日、ヤフートピックスに掲載されたメディアコンサルタントで電通総研フェローの境治サンの記事『文春砲の落日~テレビは文春・新潮を急激に取り上げ消費した~』が大変、興味深かった。

それは、いわゆる「文春砲」――週刊文春発のスクープ記事が、テレビのワイドショーや情報番組に取り上げられた回数をグラフで表した渾身のレポート。2015年までは比較的平穏だったのに、2016年1月から突然グラフがハネ上がったのが印象的だった。発端は「ベッキー&川谷絵音、不倫報道」である。

以来、「宮崎謙介議員、不倫疑惑」、「舛添要一都知事、政治資金問題」、「小出恵介、未成年女性と不適切関係」、「船越英一郎&松居一代、離婚騒動」、「斉藤由貴、不倫報道」、「山尾志桜里議員、不倫疑惑」等々――文春砲をテレビが取り上げる度にお茶の間は沸き、世論が動いた。世の中はワイドショーが動かしているとさえ言われるようになった。

それが、今年1月の「小室哲哉、不倫疑惑」あたりから風向きが変わり始める。文春砲をテレビがあまり取り上げなくなったのだ。お茶の間から疑問の声も聞かれるようになる。以後、段々とトーンダウンし、それと比例するように、ワイドショーも不倫やスキャンダルを取り上げる回数が減っていった。

文春疲れのお茶の間

え? 文春砲のトーンダウンと、一茂・良純ご両人の人気に何の因果関係があるのかって?
いやまあ、これは僕の仮説だけど――ここ数年の文春砲に端を発する、人のスキャンダルで盛り上がる風潮に、そろそろお茶の間が疲れてきたのじゃないだろうか。いわゆる“文春疲れ”だ。

以前は、過激な発言をするコメンテーターやタレントはテレビ局に重宝された。でも、過ぎたるは猶及ばざるが如し。お茶の間は、彼らの棘のある言葉に段々と疲れ、代わって長嶋一茂や石原良純のような明るく、安心できるキャラクターが求められるようになったのではないだろうか。

2人に共通するのは、有名な父親を持つ抜群の知名度と、正論が許されるお坊ちゃん的ポジショニング、そして適度なツッコまれキャラである。知名度はテレビにとって最も大事な要素だし、正論を吐いても許されるキャラは、番組にとって使い勝手がいい。そして2人とも基本ツッコまれやすく(←ココ大事)、どこか憎めない。

気がつけば、文春に疲れたお茶の間に、一茂サンと良純サンは歓迎されたのである。

オードリー若林の覚醒

最後に、この人物の話をして、今回のコラムを終えたいと思う。その人物とは――オードリーの若林正恭サンだ。

え? なんで今さら若林サンだって?
それは、僕自身もほんの少し前まではそうだった。

話は、今年の元旦にさかのぼる。
何の前触れもなく、僕が推す女優・南沢奈央サンとオードリー若林サンの熱愛がスクープされたのだ。正直、ショックだった。何せ奈央ちゃんには、それまで浮いた話一つなかったのだ。
だが――よくよく考えると、若林サンはその辺のチャラい芸人さんでもないし、コンビではネタ担当で頭はキレるし、フリートークも安定して面白い。そして、どちらかと言うと女性に奥手で、マジメな印象である。何目線かよく分からないが、「まぁ、許してやるか」という結論に至った(※その後、先日の破局騒動に至りますが、それはまた別の話とゆーことで……)。

それから――僕は、若林サンのことをもっと知ろうと、彼の本を読むことにした。春先のことである。調べると『社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)と、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(KADOKAWA)なる2冊の著作がある(※ちなみに、今年8月に3冊目となる「ナナメの夕暮れ」(文藝春秋)を上梓)。
読んでみて驚いた。めちゃくちゃ面白いのだ。

作家・若林正恭の実力

前者は、2008年に『M―1グランプリ』で2位になり、売れ始めた30歳からの自伝を含むエッセイである。自身の中にある矛盾や社会に対する違和感を、主観・客観織り交ぜながら、時にユーモラスに自己分析したもの。雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載時には、読者投票1位を獲ったほど、多分に共感できる内容になっている。

そして後者は、その続編とも言える位置づけである。2016年夏に、若林サンが一人キューバへ旅して、そこで得られた経験や思いを綴ったもの。単なる旅行記に終わらず、ここでも自身への問いかけや社会への探求が綴られる。珠玉は、キューバを通して東京で生きる人々へのメッセージにもなっている点。さらに、同書は優れた紀行や旅のエッセイに贈られる「第3回斎藤茂太賞」も受賞した。審査員の一人、椎名誠サンは本書を「純文学」と評したという。

芸人で、文才に長けた人は少なくない。
しかし、若林サンは、例え芸人の殻を脱いでも、純粋に作家として評価されるのではないだろうか。

ひら推し×オードリー

少々、前置きが長くなったが、ここで、今回最後の“推しバラエティ”を紹介したいと思う。
オードリーが司会を務める『ひらがな推し』(テレ東系)である。

それは、「坂道」グループの末っ子、けやき坂46の冠番組だ。通称・ひらがなけやき。漢字の「欅坂46」の妹分だが、AKBで言うところの非・選抜=アンダーメンバーではなく、別ユニットのニュアンスが強い。
事実、今年の1月30日から2月1日にかけて、平手友梨奈の病欠で休演になった欅坂46に代わり、まだデビュー前にも関わらず、武道館3DAYSを開催して3万人を集めたけやき坂46――。

とはいえ、一般的には彼女たちは無名である。そんな無名の冠番組の司会に指名されたのが、オードリーだった。
そして――これが抜群に面白いのだ。

「坂道」グループで一番面白い

番組は、日曜深夜の放送である。24時から坂道グループの3番組(『乃木坂工事中』『欅って、書けない?』『ひらがな推し』)が順次オンエアされるが、その3番目だ。既に25時台に突入し、およそ普通の勤め人の見る時間帯じゃない。さらに言えば、メンバーを見ても誰も知らない。
しかし――この3番組を通して見ると、なぜか『ひらがな~』が図抜けて面白いのだ。
理由は?
――若林正恭がいるからである。

前の2つは、既にメンバーの知名度が高いこともあるが、アイドルの番組である。それに対し、「ひらがな~」は、バラエティ番組なのだ。視聴者が名前も性格も知らない女の子たち20人ほどを会話のキャッチボールで操り、彼女たちの個性を引き出しているのが、若林サンである。時々、飛び道具で春日サンを放ち、彼女たちをかき乱したり――。

面白いのは、30分間の番組が終わるころには、当初は知らなかった彼女たちの個性や立ち位置が、なんとなく見えているのだ。何より凄いのは――僕らは「けやき坂46」に対し、ちょっと興味が湧いているのだ。
恐るべし、若林正恭。

打倒・日テレを制すのは?

いかがでした?
バラエティ最前線――。王者・日テレのバラエティが往年の勢いを落としつつある今、その次を狙って、様々な企画・人物・番組が走り出している。

シンプルなルールとエッジの立った演出の『99人の壁』。
攻めの企画とメタフィクション的面白さの『水曜日のダウンタウン』。
コンプライアンス無視の没企画救済番組『カリギュラ』。
文春疲れと圧倒的知名度で再ブレイクの“長嶋一茂&石原良純”。
そして――作家・若林正恭の手腕が光る『ひらがな推し』。

来年はバラエティ界に、ちょっとした変化が訪れる予感がする。
その時、また、このテーマでお会いしましょう。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第45回 10月クール連ドラ中間決算

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さて、今回は恒例の連ドラ中間決算です。
皆さん、10月クールの連ドラ、見てますか?

まず、最初に申し上げたいのは、今クールの連ドラ、ひょっとしたら今年最高に面白いクールかもしれないってこと。
なんたって脚本家がいい。代表的なところで、井上由美子、橋部敦子、野木亜紀子、大石静――そう、特に女性脚本家がいいんです。それも、珍しくオリジナル作品が並んでおり、いずれもクオリティが高い。ここまでオリジナルが揃うのは近年では珍しい。

そう、実力ある脚本家が、その実力をいかんなく発揮できる――それはとりもなおさず、制作環境が恵まれていることを意味します。脚本家の書きたいテーマと、プロデューサーの書いてもらいたいテーマと、演出陣の撮りたい方向性と、何より俳優たちのモチベーションが合致した結果が、優れた作品を生むんです。

必ずしも高視聴率=面白いドラマにあらず

さらに言えば、今クールに関しては、視聴率はそれほど当てにならないかもしれないってこと――。視聴率自体は否定しないけど、昨今、必ずしもそれが面白いドラマに直結するとは限らない。
先ごろ、日テレの58カ月連続「月間視聴率三冠王」記録をテレ朝が止めたことが話題になったけど、現在の視聴率を構成するサンプルのおよそ半数は、50代以上。つまり――それはテレ朝の編成方針が高齢者に向いていることを意味します。お茶の間の高齢化の波が、いよいよ視聴率戦争をも左右し始めたとも。

そんな次第で視聴率はさておき、今回は純粋に面白いドラマはどれか――その視点から話を進めたいと思います。

テレ東の本気『ハラスメントゲーム』

今クール――概ね前半戦を終えた時点で最も面白いドラマは、テレ東の『ハラスメントゲーム』である。正直、開始前はこれほど面白いとは予想していなかった。今クールの大穴と言っていい。

ご存知、今年4月から新設された連ドラ枠「ドラマBiz」の3作目である。同枠はテレ東らしく、お仕事系のドラマを扱うのが特徴。1作目が、江口洋介主演の『ヘッドハンター』で、2作目が仲村トオル主演の『ラストチャンス 再生請負人』。平均視聴率は、それぞれ3.5%と4.8%――。
で、今作が今のところ平均5.2%(3話まで)。クールを重ねる毎に数字が上昇しているのは、とりもなおさず枠の知名度と、視聴習慣が徐々に根付いている証しである。

全盛期のフジの連ドラのレベル

でも、それだけじゃない。今作は、過去2作と比べて格段に面白いのだ。そこには、テレ東の“本気”が見える。主演・唐沢寿明、脚本・井上由美子、演出・西浦正記――ぶっちゃけ、この座組は全盛期のフジテレビが作る連ドラのレベルである。
お仕事ドラマの枠だけど、そういう縛りを飛び越えて、普遍的に面白いドラマに仕上がっている――『ハラスメントゲーム』が過去2作と違うのは、そこなんです。

唐沢史上最高のハマり役

同ドラマ、何はともあれ、唐沢寿明サンが抜群にいい。これまで彼が演じた数々の役の中で、最高のハマり役と言っていいくらいだ。
唐沢サンと言えば、過去に『美味しんぼ』の山岡士郎や、『白い巨塔』の財前五郎などのハマり役があるが、その種のキャラクターに共通する魅力は、みなぎる自信と適度な遊び心である。そういう役をやらせると、唐沢サンは抜群にうまい。

ところが近年、今ひとつハマり役と出会えない作品が続いた。ドラマの番宣ではあんなに面白い人なのに、役になると変にマジメすぎたり、逆に遊びすぎたり――。

大胆で型破り。遊び心も忘れない

それが、この『ハラスメントゲーム』で演じる秋津室長は、唐沢寿明史上最高のハマり役と言っていい。かつての敏腕社員がある事情で地方のスーパーに左遷されていたところ、社長の特命でコンプライアンス室長として本社に復帰するところから物語は始まる。

とはいえ秋津室長、ハラスメントの知識に疎いし、ふざけたことばかり言うし、およそ有能な人物には見えない。広瀬アリス演ずる部下からも呆れられる始末。だが――やる時はやる。その仕事の進め方は大胆で型破り、そして人間臭い。それでいて、ひょうひょうと立ち回る遊び心も忘れない。
そう、これぞ“唐沢スタイル”である。

珠玉の脚本と演出

そして、そんな唐沢サンを絶妙にアシストするのが、井上由美子サンの脚本と、西浦正記サンの演出である。

井上サンと言えば、何を置いても、唐沢サンと組んだ『白い巨塔』(フジテレビ系)が思い出される。外科医としての腕は超一流だが、目的のためには手段を選ばないアンチヒーロー財前五郎を唐沢寿明に当て書きし、原作者の山崎豊子を唸らせた彼女。今回も、その筆力はいかんなく発揮される。唐沢サンに何を演じさせたら彼が生きるか――それを最も理解している脚本家である。

さらに特筆すべきは、今作は井上サンのオリジナルであること。元々、『きらきらひかる』や『タブロイド』など、ストーリーテリングには定評のある彼女。今作は、旬の“ハラスメント”をテーマに扱うという極めて高いハードルながら、皆がなんとなく抱いている違和感に正論で切り込み、毎回、大岡裁きのように丸く収める。その構成力は見事である。

そして、演出チーフは、あの『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』シリーズ(フジテレビ系)の西浦正記サンだ。彼はFCCというフジの子会社に所属しており、まさにフジのDNAが入った人。ちなみに、彼が監督した『劇場版コード・ブルー』は興行収入90億円を超え、今年の邦画第一位。そんな一流の演出家が、名人・井上由美子の脚本で、大スター唐沢寿明を撮る――これが面白くないワケがない。

『僕らは奇跡でできている』は「僕シリーズ」の再来?

次に紹介したいドラマは、フジの火曜9時の『僕らは奇跡でできている』である。

同枠はカンテレの制作枠で、時に視聴率に捉われないアグレッシブな作品も並ぶので、同ドラマも開始前は視聴率の面からも、さほど注目されていなかった。ところが――これが、かなり面白いのだ。主演・高橋一生、脚本・橋部敦子、演出・河野圭太の座組は、考えてみれば実力派揃いである。視聴率は7%前後ともう一つながら、内容面では『ハラスメントゲーム』と同様、大穴ドラマと言っていいだろう。

物語は、高橋一生演ずる“動物行動学”の大学講師・相河一輝を中心に進む。ドラマの中では敢えて語られないが、恐らく彼には軽度の発達障害がある。ひとたび自分の興味ある分野に没頭したら、もう周りが見えなくなる。それは、かつて草彅剛に自閉症の役を演じさせた橋部敦子サン脚本のドラマ『僕の歩く道』を彷彿させる。今作も彼女のオリジナル脚本なので、橋部ワールド全開である。

高橋一生の見事なハマり役

『僕らは奇跡でできている』の魅力は、これも『ハラスメントゲーム』同様、主演を務める高橋一生のハマり役に尽きると言っていいだろう。

彼の演じる相河一輝は、ナチュラルすぎる振る舞いで、当初は周囲の人々の誤解を招くが――やがてカードを一枚一枚裏返すように、気がつけば皆、彼の存在に癒されており、その言動が気になって仕方ない。このキャラクターを自然に、憑依したように演じる高橋一生サンは見事である。

ウサギとカメの新解釈

主人公・一輝の思考は常に動物行動学がベースにある。あらゆる局面で、それは語られる。例えば、1話で榮倉奈々演ずる歯科医の育実と『ウサギとカメ』の話題になった時もそうだった。

 一輝「先生はウサギっぽいですね」
 育実「私? あ、あの……こう見えてウサギじゃないんですよ、私。意外と努力型。器用じゃないけど、コツコツ頑張るタイプで、どっちかって言うと、カメですね」
 一輝「コツコツ頑張るのがカメなんですか」
 育実「ええ……そうですよね?」
 一輝「……物語の解釈は自由ですから」
 育実「相河さんのカメは、どういう解釈なんですか」
 一輝「カメは全然頑張っていません。競争にも勝ち負けにも興味がないんです。カメは、ただ道を前に進むこと自体が楽しいんです」

――という具合。ほら、なんとなく一輝の思考回路の一端が見えたでしょ? 要するに、一輝自身がカメなんです。

演出・河野圭太の名人芸

そして、同ドラマは演出がベテランの河野圭太サンである。ご存知、あの三谷幸喜サンが最も信頼を置く演出家で、近年の三谷ドラマは全て河野サンの手によるものだ。

同ドラマも、そんな河野サンの名人芸が端々に光る。劇伴とカメラワークの妙が堪能できる。特に感心するのが動物のシーンで、ちゃんと脚本が意図したであろうシーンが描かれる。まるで動物に演技をつけたみたいに。

河野サンの演出のポリシーは、演出家は作品に自分の色を付けるものではなく、いかに脚本をリスペクトし、その世界観を表現できるか――にあるという。三谷サンに限らず、多くの脚本家が河野サンに演出を頼みたがるのは、そういう理由である。

完全復活・大石静

続いて取り上げるドラマは、TBS金ドラの『大恋愛~僕を忘れる君と』である。脚本は、ベテラン・大石静サンのオリジナル。演出チーフはクドカン作品でお馴染みの金子文紀サンだ。主演は戸田恵梨香、その恋人役にムロツヨシという異色の取り合わせがどう出るかが、開始前の注目点だった。
正直、恋人がアルツハイマーで記憶を失っていく設定は使い古された感があり、さほど期待されていなかった。『大恋愛』というタイトルも何だか古臭い。

ところが――これもフタを開けてみないと分からない。面白いのだ。往年の大石静サンの会話劇のクオリティが戻ってきた感。そこに、金子Dのハートウォーミングな演出が加わり、メインの2人――戸田恵梨香とムロツヨシが絶妙の掛け合いを見せる。居酒屋で2人が従業員を肴にアテレコするシーンは、最高に笑った。視聴率も初回10.4%を皮切りに、安定して10%前後をキープ。

大石静、完全復活である。

ムロツヨシは和製ジャック・レモンか

元々、戸田恵梨香という女優は演技がうまい。彼女の場合、役に憑依するタイプで、今回は等身大の役だけに、表情の作り方などが抜群にいい。居酒屋のムロツヨシとの掛け合いでは、素で笑っているようにも見えた。なかなか、このレベルの演技ができる30代の女優はいない。

そして――問題のムロツヨシである。同ドラマの最大の番狂わせが、彼の好演である。正直、これまでの彼は、小ネタやアドリブを入れるコミックリリーフという印象が強く、好き嫌いが分かれた。
ところが――今回、彼が演じる間宮真司は、元小説家で今は引っ越しのアルバイトで生計を立てる、冴えない中年。そんな彼が、戸田恵梨香演ずる女医の尚からの予想外のアプローチに、戸惑いながらも軽妙洒脱に応じる姿は、なんだか往年のジャック・レモンを見るようだった。映画『アパートの鍵貸します』で思いを寄せるシャーリー・マクレーンにどこまでも優しい主人公の男のように。そう、凄くいいのだ。

今後、ムロツヨシさんの役の幅が広がるのが、楽しみである。

偶然は一度だけ

同ドラマは、完全復活した大石サンの珠玉の脚本で、今のところ非の打ち所がない。SNSで感想を追っても、おおむね好評である。

中でも、僕が感心したくだりがある。それは、婚約者がいるのにも関わらず尚が真司を誘い(この時点ではほんの遊び心だったと思われる)、2人が打ち解けた後で、真司の正体が自分の好きな小説家と判明するところ。この瞬間、尚は婚約を破棄して真司を選んだのだと思う。「これは運命だ」って――。

ドラマや映画には、“偶然は一度だけ”という暗黙のルールがある。2度3度あると、途端にリアリティが崩れるからである。優れた脚本家は、神様から授かった、このたった一枚の切り札の使いどころがうまい。尚に、真司が小説家と判明するくだりは、まさに絶妙のタイミングだった。恐るべし、大石静――。

切り札は一枚しか切れないから、切り札なのだ。

月9『SUITS/スーツ』は何が問題か

ここから先の話は、あまり楽しくないかもしれない。とはいえ、もう少しお付き合いのほどを。

続いて取り上げる作品は、フジの月9「SUITS/スーツ」である。米人気ドラマのリメイクという鳴り物入りで始まった同ドラマ。だが――初回視聴率こそ14.2%と好発進だったものの、その後はズルズルと後退。4話目でとうとう一桁まで落ち込んだ。

いや、本コラムの趣旨は〔視聴率より内容〕なので、中身が面白ければ問題ないのだけど――むしろ、その中身が問題なのだ。

身も蓋もない言い方で申し訳ないが、この『SUITS/スーツ』――あまり面白くないんですね。
一体、何が問題なのか。

初回視聴率は主演俳優の力

同ドラマ、初回視聴率が良かったのは、オリジナルの米ドラマのファンもさることながら、やはり主演の織田裕二への期待の表れだったと思う。14%という視聴率は、並みの役者が出せる数字じゃない。織田サンの力である。だが――2話目以降の下落を見ると、明らかに内容面に問題があるとしか思えない。

オリジナルの『SUITS/スーツ』は、マンハッタンの超高層ビルに事務所を構える大手法律事務所を舞台に、ハーヴィーとマイクのコンビワークが展開される弁護士ドラマのバディもの。スピーディーな演出と卓越したストーリー、それにエスタブリッシュメントならではのウィットある台詞が肝である。だから面白い。なぜ、それが日本版では伝わらないのか。

正しいリメイクとは

リメイクの基本は、いかにオリジナルの脚本をローカライズするかにかかっている。とはいえ、単に日本風にアレンジすればいい話じゃない。何を面白がらせるかを見極め、時に大胆に改変することも求められる。

日本版は見たところ、いかにオリジナルを違和感なく日本社会に落とし込むかに腐心した形跡がある。それはそれで大変だとは思うが、1つ、大事な視点が見落とされている気がする。――その話が面白いかどうか、である。

例えば、織田裕二演ずる甲斐と秘書の玉井(中村アン)の会話にしても、オリジナルはいい感じにウィットに富んでいるが、それをそのままやったところで、日本では滑るばかりである。

また、所長役の鈴木保奈美にしても、せっかく『東京ラブストーリー』のキャスティングなのだから、甲斐との間にもう少しドラマがあってもいいと思う。オリジナルになくても、それで話が膨らむなら、やらない手はない。

織田裕二をどう演出するか

そして、もう一つ。実は、こちらの問題の方が深刻かもしれないが、織田裕二演ずる甲斐のキャラクターである。僕は基本、ドラマの批評で役者の演技に口出ししないようにしているが、今回は演出の観点から、例外的に述べさせてもらう。甲斐のキャラは――あれで正解なのだろうか。

以前、織田裕二がTBSでやった探偵ドラマ『IQ246~華麗なる事件簿~』の際は、エルキュール・ポアロなみに作り込んだ芝居をしていたが、今回はあそこまでじゃないにしても、若干、同じ匂いを感じる。ちなみに、オリジナルのハーヴィーは、もう少しナチュラルに演じている。ぶっちゃけ、もう少し肩の力を抜いた、織田サンの自然体の演技の方がよくないだろうか。

この手の問題、本来なら演出家の仕事だろうが、織田裕二クラスになると、なかなか言いにくいかもしれない。それでも、言わねばならない時がある。

その点、相方の中島裕翔は悪くない。彼はジャニーズにしては珍しく“スーツ”の似合う男であり、このキャスティングは正解だったと思う。

よもやの『けもなれ』の苦戦

いよいよ、今回メインで取り上げる最後のドラマである。

いきなりネガティブな見出しで申し訳ないが、スタート前は今クール一の話題作だった『獣になれない私たち』(日テレ系)が、よもやの苦戦を強いられている。初回こそ二桁視聴率だったものの、その後は一桁へ。4話目はプロ野球の日本シリーズの影響で75分遅れのスタートとなる不運も重なり、なんと6%台に落ち込んだ。

一体、なんでこんなことになったのか。

脚本・野木亜紀子のアシスト

フォローするワケではないが、僕は今回、野木亜紀子サンの脚本は割と面白いと思う。可愛いガッキーを期待していた人たちには若干不満かもしれないが、リアルガッキーはそれはそれで、異なる魅力がある。

ぶっちゃけ、役者の習性として、ガス抜きとまでは言わないけど、たまにハマり役とは異なるドラマを演じたくなるんですね。
そして(ココ大事→)、そんな役者のワガママをアシストできる脚本家は、役者の魅力を熟知した人物に限られ――ガッキーの場合、過去に3度組んだ野木亜紀子サンしかいなかったんです。

そう、『けもなれ』のガッキーは、いわば確信犯。一見、デキる女に見られるけど、職場で仕事を押し付けられ、彼氏との仲も色々あって、心が折れそうになる。見ていてツライが、ちゃんと個々のエピソードにリアリティがあるので、感情移入できる。そんなに悪いホンじゃない。

では――誰が悪いのか。

演出と脚本のたすきの掛け違い

ずばり、僕は演出陣に問題があると思う。特に演出チーフの水田伸生サンだ。
元々、彼はエンタメ色の強いドラマを撮るのに定評があった方なんだけど、近年は坂元裕二サンが日テレで書かれる一連の作品(『Mother』、『Woman』など)を手掛けるようになり、その技法に変化が見られるようになった。おっと、それ自体は悪くない。大事なのはここから。

もしかしたら――今回、水田サンは坂元裕二作品と同じ感覚で演出したのではないだろうか。ざらつきのある絵で、会話のディテールを淡々と掘る――みたいな。
だが、2人の脚本家はまるで作風が異なる。坂元サンはいわば“雰囲気ドラマ”の人で、一方、野木サンは“伏線と回収”に命をかけるエンターテインメントの人。そして何より見落としてはいけないのは――この『けもなれ』はコメディなのだ。

はっきり言おう。水田演出と野木脚本――そのたすきの掛け違いが、同ドラマの視聴率とお茶の間の違和感に結び付いているのではないだろうか。あの会社の一連のくだりが、もっと軽いコメディとして描かれていたら、どれだけ救われたか――。

その他の短評

最後に、その他のドラマをいくつか評して、このコラムを終えたいと思う。

予想に反して面白いのは、福田雄一演出・脚本の『今日から俺は!!』(日テレ系)ですね。いつもの福田流のサブカル・ドラマと思いきや、意外にも作り込んである。『男の勲章』のオープニングから80年代ドラマ臭が全開だし、話の展開もベタで分かりやすい。役者の演技も、主演・賀来賢人を筆頭に、いい感じに弾けている。相方の伊藤健太郎のキャラも美味しいし(多分、彼は人気が出ますね)、ヒロイン清野菜名のアクションも映える。個人的には吉田鋼太郎サン演ずるお父さんのボケがツボ(笑)。要はサブカルじゃなく、エンターテインメントに仕上がってる。

『中学聖日記』(TBS系)は、絵作りだけはうまい。そこは、『夜行観覧車』や『リバース』でお馴染みの天才演出家・塚原あゆ子ならでは。一種、おとぎ話のような世界観は、彼女独特のものだ。ただ、脚本が今ひとつ。この手のドラマの肝は、倫理上はNGでも、それでも愛さずにはいられない人間の弱さ・悲しさなのに、それが伝わらない。かつて『高校教師』や『魔女の条件』に僕らが感情移入できたのは、そこが描けていたからなんです。

『下町ロケット』(TBS系)は、演出チーフの福澤克雄サンの描く世界観や、主演の阿部寛サンの熱量は伝わるけど――いかんせん、こちらも脚本が今ひとつ。1stシーズン(2015年版)の八津弘幸サンから丑尾健太郎サンに変わって、ちょっと話が分かりにくくなった。やたら登場人物ばかり多くて、話がとっ散らかってる印象。

最後に『黄昏流星群』(フジテレビ系)――もう、喜劇ですね。いい大人たちが何をやっているのかと(笑)。

――以上、勝手なことを色々と申し上げてきましたが、これだけは言わせてください。本来、ドラマの面白さは、見る人ひとりひとりが決めるんです。他人が何と言おうと、自分なりの「面白い視点」を持っていれば、それでいいんです。

では引き続き、10月クールの連ドラをお楽しみください。もしかしたら後半、あのドラマが突然、面白くなるかもしれません(笑)。
そう――諦めたら、負け。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第46回 妄想!? 平成最後の紅白はコレだ!

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さて、2018年のテレビ界の話題も、残すところ『NHK紅白歌合戦』くらいになってしまった。
今年は平成最後の紅白である。さぞや激動の平成30年史を総括するのに相応しいラインナップかと思いきや――そうでもない。サザンやユーミンが出場するものの、双方ともこれまでもちょいちょい出ていたし、考えたら昭和の時代からご活躍されてるので、特に“平成”感はない。北島三郎サンも特別枠で出られるが、こっちはもっと昭和の人だ。

――というワケで、今回のTVコンシェルジュはいつもと趣向を変えて、全編、妄想で語らせていただきます。題して、「平成最後の紅白・妄想編」――。僕らが待ち望んでいた紅白はこれでしょう、と。出場歌手と曲目を眺めるだけで、自然と“平成”感が湧き上がってくるのが見どころです。

実はこの企画、前にTwitterで「平成最後に相応しい紅白」と題して、チョロッとつぶやいたところ、かつて『とんねるずのオールナイトニッポン』でハガキ職人としても活躍されたガッテム竹内さん( @gtt214214 )が素晴らしいアイデア(出場歌手と曲目案)を提供してくれて、それが元ネタになっています。なので、ガッテムさんの全面協力のもと、お届けしたいと思います。

それでは、平成最後の紅白・妄想編――開演です。

中継禁止令。NHKホールを聖地に

おっと、その前に注意事項を。当紅白では、歌手の“中継による出場”を一切禁じます。
近年の紅白で何が興ざめって、本来、平等であるべき出場歌手なのに、中継でしか出場しない人がチラホラいること。

これ、始めたのは1990年の長渕剛サンからで、この時は東西融合を果たしたドイツ・ベルリンから中継したんだけど、なんと長渕サンが暴走して1人で3曲も歌っちゃって、7分以上も押して、その後の進行がめちゃくちゃになったんですね。ちなみに、この後、紅組の宮沢りえサンも中継で歌ったんだけど、こちらはビルの屋上のバスタブから泡につかりながら口パクで熱唱(?)するという、何だかよく分からない演出に――。

これ、NHKホールで歌うのがダサくて、中継のほうがカッコいいとする風潮だとしたら、大間違い。かのオスカーの授賞式もそうだけど、あの神聖なるステージに立ってスピーチすること自体が栄誉なんです。無駄な演出を省き、シンプルなスピーチ一本で会場を沸かすからカッコいいんです。
1つの会場にスターが集結し、スター同士が気軽に挨拶や抱擁を交わしたりする光景のなんとゴージャスなことか。当紅白が目指す世界観も、まさにアレ。

そう、高校野球にとって「甲子園」、高校ラグビーにとって「花園」、大学駅伝にとって「箱根」が聖地であるように――やはり紅白は、「NHKホール」を聖地にしないといけないんです。偉大なる様式美って、そういうこと。

学芸会的ノリがむしろカッコいい

あと、それに付随して――NHKホールにいると、他の歌手が歌う時にバックで応援させられるのが嫌だ――という歌手の声も少なからず聞く。
この考えにも異を唱えさせていただきます。むしろ、そんな学芸会的なノリがカッコいいんです。作家の永倉万治サン曰く「ものごとにキョリを置いて見ることほど野暮なことはない」――そう、ヘンに気取って距離を置くよりも、徹底的にバカになる方がカッコいいんです。

例を一つ。かのノーベル賞の受賞者たちは、一連の授賞式の一環で、ストックホルム大などの学生たちが主催するパーティにも招かれる。面白いのが、この時に行われる伝統行事。なんと、学生たちと一緒に「蛙とび」をするんですね。「さらなる躍進を願って」という意味が込められているそうだけど、この時ばかりは、大先生たちも童心に帰って蛙とびをする。傍から見ると遊び心が見えて――これがカッコいい。

紅白の応援合戦も、選ばれし大スターたちが年に一度、NHKホールで学芸会のノリで童心に帰る姿が、むしろカッコいいんです。これも、偉大なる様式美。

総合司会は小田切千アナ

さて、前置きはそのくらいに……妄想紅白、いよいよ開演です。
総合司会はNHKが誇る至宝・小田切千アナで行きましょう。ご存知、『NHK歌謡コンサート』や『思い出のメロディー』などの司会を経て、近年は『NHKのど自慢』の司会を5年以上も務めるNHK随一の演芸アナ。風貌は、家電量販店の営業マンみたいだけど、その司会術は名人芸の域。出場歌手に話を振り、会場のお客さんを沸かせ、完璧に歌を紹介して、時間内に収める。そして自分は必要以上に前に出ない――そう、プロフェッショナル。

実際、それぞれの組の司会は、司会と言いつつも、その年の「顔」みたいな存在で、むしろ目立たないといけない。脱線も大いにあり。その分、総合司会がきっちり進行しないといけないワケで、その役割はちゃんと分担させた方がいい。
なので、内村光良サンは総合司会ではなく、白組の司会に徹してもらい、そこで思いっきり遊んでもらう。紅組は現行通り、華のある広瀬すずサンでいいと思う。そして、両軍の司会が活躍できるよう、さりげなく2人の見せ場を作ってあげるのが、総合司会の小田切千アナなのだ。

メドレー禁止令

では、いよいよ本編の歌……と行きたいところだが、ごめんなさい、もう1つだけ注意事項を。当紅白は、メドレーを一切禁じます。
なぜなら、近年の紅白を低迷させた一因が、僕はこのメドレーにあると思うから。

まず、歌手の持ち時間は基本変わらないので、メドレーだとどうしても曲を短くしなければならず、それでは歌の持ち味が伝わりにくい。そもそも、「この一曲」に賭けるから、聴き手を感動させられるワケで――。
次に、メドレーを歌う人と、そうでない人の“格差問題”があるのも気持ちが悪い。そして何より、後から振り返って、その年の紅白の思い出を語りにくいのが致命傷だと思う。ある年の紅白のVTRを見せられても、メドレーを歌われていたら、一体いつの紅白か分からないし、そもそも思い出も何もない。

紅白はその年の世相を映し出すアーカイブ資料としての役割も担ってほしいので、やはり「この一曲」に限定すべきだと思います。

平成の30年を30曲で見せる

さぁ、長らくお待たせしました。いよいよ今度こそ本編です。
当紅白のコンセプトは単純明快。それは――“平成の30年間を30曲で見せる”――これだけ。シンプル・イズ・ベスト。白組15曲・紅組15曲、つまり全部で30組しか出場しない。例年、紅白は40組以上も出るので忙しいが、これだとゆったりした構成で、本来の「歌」をじっくりと聴かせることができるというもの。

そして、出場歌手と曲目は、純粋にその年にヒットしたものに限定します。これなら、1年毎にヒット曲を振り返られるし、聴き手(お茶の間)は自分の思い出とシンクロさせることができる。

それでは、ざっくりと4部構成でお届けしましょう。

第1部/ミリオンセラーの時代(平成元年~8年)

まず、第1部は、平成の幕開けから90年代中盤までをお送りします。この時代の特徴はミリオンセラーが続々と生まれたこと。そして、歌い手たちが多様性に富んだ時代でもあった。人気ドラマやバラエティなど、テレビ番組からヒット曲が輩出されたのも特徴で、さらにビーイング勢や小室ファミリーなどプロデューサーたちも大活躍した。

出だしは、X JAPANの『紅』でド派手に盛り上がりましょう。続いてテレビ番組発のヒット曲のメドレーへ。お約束のように、とんねるずの2人がステージ狭しと暴れまわります。そして、小室ソングとドリカムを経て、最後はPUFFYでユルく締める――。

平成元年 白組 X JAPAN『紅』

平成2年 紅組 B.B.クィーンズ『おどるポンポコリン』

平成3年 白組 KAN『愛は勝つ』

平成4年 白組 とんねるず『ガラガラヘビがやってくる』

平成5年 白組 藤井フミヤ『TRUE LOVE』

平成6年 紅組 篠原涼子with t.komuro『恋しさと せつなさと 心強さと』

平成7年 紅組 DREAMS COME TRUE『LOVE LOVE LOVE』

平成8年 紅組 PUFFY『アジアの純真』

第2部/ディーヴァの時代(平成9年~15年)

続いて第2部は、ミレニアムを挟んだ世紀末から21世紀初頭にヒットしたナンバーをお届けします。この時代の特徴は、歌姫(ディーヴァ)たちの活躍。宇多田ヒカルをはじめ、椎名林檎、浜崎あゆみ、モーニング娘。――。一方で、平成の大スターSMAPが大ヒット曲『世界に一つだけの花』をリリースしたのもこの時期。そして、沖縄出身の歌手たちも注目されました。

そこで、まずはジャニーズと山下達郎が組んだ、あの傑作から参りましょう。続いて、ここからディーヴァたちの怒涛の4連投。宇多田ヒカルが伝説のデビュー曲を披露してくれます。そして沖縄の新しい風を届けて、締めは一夜限りの再結成(※夢です)のSMAPの名曲を。

平成9年 白組 KinKi Kids『硝子の少年』

平成10年 紅組 宇多田ヒカル『Automatic』

平成11年 紅組 モーニング娘。『LOVEマシーン』

平成12年 紅組 椎名林檎『本能』

平成13年 紅組 浜崎あゆみ『evolution』

平成14年 白組 MONGOL800『小さな恋のうた』

平成15年 白組 SMAP『世界で一つだけの花』

第3部/青春の時代(平成16年~21年)

第3部は、2000年代中盤から終わりまで。この時代の特徴と言えば、ジャニーズを始めとする男性グループの活躍。いずれも青春ドラマの主題歌に使われ、ヒットした共通点を持ちます。また、中田ヤスタカのプロデュースでPerfumeがブレイクしたのもこの時期。変わり種では、演歌の坂本冬美がフォークデュオのビリー・バンバンの曲をカバーしてヒットする現象も――。

まずは景気づけに、アテネ五輪の体操日本男子金メダルを呼び込んだ、あの曲から。続いて、人気学園ドラマの主題歌を2曲――あの伝説のデュオが復活します。そして、広島から来たテクノポップユニットが一躍ブレイクした楽曲を挟み、嵐の屈指のヒットナンバーでドカンと盛り上がり、最後は坂本冬美サンでしっとりと。

平成16年 白組 ゆず『栄光の架橋』

平成17年 白組 修二と彰『青春アミーゴ』

平成18年 白組 TOKIO『宙船』

平成19年 紅組 Perfume『ポリリズム』

平成20年 白組 嵐『One Love』

平成21年 紅組 坂本冬美『また君に恋してる』

第4部/グループの時代(平成22年~30年)

最後のパートは、2010年代のヒットソングをお届けします。この時代の特徴は、AKB48を始めとするガールズグループの増殖と繁栄、一方でEXILEを起点とする男性グループの台頭も。彼らのもとで振付は高度なダンスへと変貌し、“聴かせる”から“見せる”パフォーマンスへと進化したのが、同時代の特徴。その最後を飾るのは、ダサかっこいいと評判になった究極のダンスナンバーです。

まずは、AKBの代名詞とも言えるヒットソングを皮切りに、多種多様なグループソングをリレーでつなぎます。途中、西野カナで1クッション置き、後半は坂道グループを2連発。最後は出場歌手全員で、『U.S.A.』ダンスで盛り上がります。

平成22年 紅組 AKB48『ヘビーローテーション』

平成23年 白組 EXILE『Rising Sun』

平成24年 紅組 ももいろクローバーZ『サラバ、愛しき悲しみたちよ』

平成25年 白組 ゴールデンボンバー『女々しくて』

平成26年 白組 三代目J Soul Brothers『R.Y.U.S.E.I.』

平成27年 紅組 西野カナ『トリセツ』

平成28年 紅組 欅坂46『サイレントマジョリティー』

平成29年 紅組 乃木坂46『インフルエンサー』

平成30年 白組  DA PUMP『U.S.A.』

グランドフィナーレ

紅白の勝者が確定したら、いよいよグランドフィナーレへ。
ここは、出場歌手全員で歌います。曲は、美空ひばりの『川の流れのように』。同曲は、元号が平成になって4日目の平成元年1月11日にリリースされた、まさに平成の幕開けを象徴する一曲。同年6月にひばりさんが亡くなられたので、生前最後の歴史的作品となったのは承知の通り――。
よく間違われるけど、ひばりさんが亡くなられたのは昭和ではなく、平成。その意味で、平成最後の紅白のフィナーレを飾るに相応しい一曲でしょう。

――以上、妄想でお送りしました、平成最後の紅白。この機会に、あなたの理想の紅白も考えられてはいかがでしょう。

ま、それはそれとして、本チャンの『紅白』を見るのも悪くありません。SNSで遊ぶなら、やっぱり『紅白』を見たほうが断然面白い。だって、作家の永倉万治サンもこう言ってるじゃありませんか。「ものごとにキョリを置いて見ることほど野暮なことはない」――ってね。

1年間、『指南役のTVコンシェルジュ』にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年もテレビとの楽しい付き合い方をご指南しますので、一つよしなに。また、お会いしましょう。

良いお年を。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第47回 テレビ局戦国時代

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皆さん、あけましておめでとうございます。今年もよきテレビライフを!
さて――昨年10月、日本テレビが2013年12月から実に58カ月にわたわたって守り通した「月間視聴率三冠王」の記録が途切れたのは、まだ記憶に新しい。

日テレの前に立ち塞がったのは、テレビ朝日だった。三冠王の一角をなす「全日」(午前6時~翌午前0時)の部門で、テレ朝が日テレを0.1ポイント上回ったのだ。その原動力となったのが、同局の朝の情報ワイド『羽鳥慎一モーニングショー』だった。奇しくも、日テレの元局アナが司会を務める番組が、古巣を追い落とす構図になったのは、なんとも皮肉である。

そんな次第で、2019年最初のTVコンシェルジュは最新のテレビ局事情をお送りします。題して「テレビ局戦国時代」――。王者日テレに落日の影が見え始め、一方、躍進著しいテレ朝。そしてTBSはドラマに、フジは坂上忍に、テレ東は出川哲朗に、NHKはチコちゃんに命運を預ける今日この頃――明日のテレビ界はどうなるのか? その核心に迫りたいと思います、ハイ。

日テレの落日?

そう、落日が囁かれる王者・日テレ――。一体、同局の番組で今、何が起きているのか?

元々、この1年くらい、日テレはずっと「全日」がピンチと言われていたんですね。それというのも、午前と午後の帯番組が絶望的に不振なんです。朝は『ZIP!』にひと頃の勢いはなく、今や『グッド!モーニング』(テレ朝系)や『めざましテレビ』(フジ系)の後塵を拝している状況。その後枠の『スッキリ』もすっきりしない(!)し、さらにその後ろの『バゲット』なんて、視聴率低迷で昨年10月に『PON!』から衣替えしたのに、局アナメインの地味さが響いてか、前番組よりさらに数字を落とす惨状に――。

午後もパッとしない。お昼の枠の『ヒルナンデス!』は、この時間帯の王者『ひるおび!』(TBS系)は言わずもがな、ここ半年は『バイキング』(フジ系)にも抜かれ、3位が定位置に。そして、長きにわたって午後のワイドショーの王者として君臨した『情報ライブ ミヤネ屋』も、もはや往年の勢いはない。最近は、『直撃LIVEグッディ!』(フジ系)に度々抜かれ、名古屋発の『ゴゴスマ~GOGO!Smile!~』(TBS系)にも肉薄される始末。そもそも午後帯は、2枠あるテレ朝のドラマの再放送が強く、真の絶対王者は『相棒』なのだ。

日曜の黄金リレーも

いや、日テレのピンチはそれだけじゃない。
皆さん、ご存知の通り――いまだ尾を引く『世界の果てまでイッテQ!』のヤラセ騒動だ。まぁ、僕個人の意見としては、たかがバラエティにヤラセも何もないだろうとは思う。とはいえ、あの騒動以来、同番組は視聴率が全盛期に比べて2ポイントほど下落しており、多少なりとも影響が見られるのは事実である。

そして――忘れちゃいけない、その前枠の『ザ!鉄腕!DASH!!』にも騒動があった。そう、昨年5月の山口達也元メンバーのTOKIO脱退以来、こちらも微妙に数字を落としているのだ。何せ“DASH島”や“米作り”をはじめ、ガテン系の仕事は山口メンバーを中心に回っていたから、彼がいないとどうにも弱い。実際、昨年のコメの出来は、今ひとつだという(毎年コメの出来を心配するアイドルは、それはそれで面白いが)。

とはいえ、両番組とも依然、バラエティのジャンルでは1、2を争う高視聴率番組であり、そこまで心配する必要はないようにも思うが――日テレにとっては、コトはそう単純ではないらしい。なぜなら、これら2番組は、同局の強さの象徴である“日曜の黄金リレー”の一角を占めているから。
そう、日曜夕方の『笑点』に始まり、『真相報道バンキシャ!』、『鉄腕!DASH!!』、『イッテQ』、そして『行列のできる法律相談所』へと連なるゴールデンタイムの鉄板リレーだ。ここが痛手を被るのは、日テレにとって視聴率以上に心理的ダメージが大きいのだ。

ドラマも苦戦続き

日テレのピンチはまだ続く。ドラマである。
昨年1年間――なんと日テレはプライムタイムの連ドラで、1つも平均二桁の作品を輩出できなかったのだ。

特に痛いのが、水曜22時の「水曜ドラマ」の枠。以前なら働く女性の応援枠として、『ハケンの品格』とか『ホタルノヒカリ』とか『家政婦のミタ』とか『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』とか、視聴率も話題も取れる良枠だったのに――この1年はさっぱり。ちなみに、先の10月クールの野木亜紀子脚本・新垣結衣主演の『獣になれない私たち』も、前評判は『逃げ恥』(TBS系)の再来と期待値が高かったものの、フタを開けてみたら平均一桁と苦戦した。

ただ、日テレにとって唯一の救いは、先の日曜ドラマ『今日から俺は!!』が予想を上回る評判で、視聴率はともかく、10代の若者たちからの支持が半端ないこと。今や女子高生は、みんなTik Tokで同ドラマの主題歌『男の勲章』を口パクで踊っている。

――とはいえ、ここへ来て急にトーンダウンした感のある日テレの連ドラ。一体、同局で何が起きているのか。

連ドラが好調のテレ朝

一旦、話を変えます。
そんな日テレの不振と対照的なのが、冒頭でも紹介したテレ朝の好調ぶりである。

例えば、連ドラ。先の10月クールは、『相棒』、『科捜研の女』の鉄板のシリーズものに加え、『ドクターX~外科医・大門未知子~』の後継と期待された米倉涼子主演の新作『リーガルV~元弁護士・小鳥遊翔子~』も好調で、どれも平均二桁視聴率(それも15%前後)と安定した強さを見せてくれた。

いや、同局のドラマの強さは、それら『相棒』や米倉ドラマに限らない。以前なら、伏兵と見られていた東映制作の比較的地味な刑事ドラマ群――『警視庁捜査一課9係』と、その後継の『特捜9』をはじめ、『警視庁・捜査一課長』、『遺留捜査』、『刑事7人』等々も、安定して二桁を維持しているのだ。

そう、今やテレ朝のドラマは、1年を通じて民放トップの座に君臨しているんです。

『イッテQ』に迫る『ポツンと~』

それだけじゃない。日テレとは対照的に、テレ朝の好調はバラエティにも及ぶ。例の『イッテQ』の裏では、テレ朝の新番組『ポツンと一軒家』が絶好調なのだ。同番組、昨年10月にレギュラー化されたばかりだが、初回スペシャルでいきなり14.0%の高視聴率。その後も安定して二桁で推移し、11月11日の2度目のSPではさらに上げて15.4%と、『イッテQ』を猛追している。12月9日にはとうとう0.5ポイント差まで肉薄した。

――と、ここで僕らは、ある1つの事実に気づく。
その『ポツンと~』の放送開始は、『イッテQ』にヤラセ騒動が持ち上がる前であり、既にその時点で高視聴率をあげていたのだ。つまり――『イッテQ』の数字の落ち込みは、ヤラセ騒動の影響云々というよりは、むしろ強力な裏番組の登場によるところが大きいかもしれないのだ。

一体、『ポツンと~』の何がそんなに面白いのか。

『ポツンと~』が面白いワケ

実は『ポツンと一軒家』、いきなりレギュラー化されたワケじゃないんですね。一昨年の10月から8回も特番を重ねて、番組の知名度と視聴習慣をある程度お茶の間に浸透させてから、満を持してレギュラー化されたんです。

その番組内容を簡単におさらいしておくと、日本国内を撮影した衛星写真をもとに山奥の一軒家を探し出し、ノーアポでディレクターが訪問する――シンプルに言えば、これだけの番組である。途中で、地元の人々に訪問先の情報や行き方などを教わりながら、ひたすら目的地を目指す。そう、まるでテレ東が作りそうな番組なのだ。ロケにタレントが一切登場しないところも、テレ東感を彷彿とさせる。

それにしても――テレ朝ともあろう局が、なぜ日曜ゴールデンタイムの番組のロケに、タレントを使わないのか?

タレントが出ないバラエティが面白いワケ

『ポツンと~』にタレントが登場しない理由――考えられる可能性は1つ、恐ろしくロケの成功率が低いんですね。

普通、番組のロケというのは、あらかじめスタッフが下調べをした上で、ある程度“撮れ高”を計算してから、タレントを仕込んで本番に臨む。しかし、それではどうしても予定調和な画になってしまう。

対して、『ポツンと~』の場合、売りは“ノーアポ”である。だからこそ、地元の人たちの反応もリアルで面白いし、目的地の一軒家への期待値も上がる。そう、これはある種のドキュメンタリーなのだ。

だが――そうやってガチンコで撮影すれば、恐らくロケの大半は失敗する。散々苦労して訪ねた一軒家が空き家だったり、先方がテレビ出演NGだったりするケースは少なくない。以前、テレ東の『YOUは何しに日本へ?』のロケに対するオンエア率を聞いたことがあるが、確か1%もなかったと思う。つまり、100人に声を掛けて、放送できるのは、よくて1人。そんな過酷なロケでは、知名度のあるタレントは使えない。

しかし、である。
そうやって苦労して作った番組で、1つだけ確かなことがある。100人に声を掛けてオンエアできたVTRは、間違いなく面白いのだ。『ポツンと~』もおそらく同様の方法で作られている。だからオンエアされる“一軒家”のストーリーは、ハズレなく面白く、高視聴率が取れるのだ。

日テレとテレ朝、なぜ明暗を分けた?

――と、ここまで読まれた方は、薄々感じているかもしれない。
ははーん、日テレの番組がマンネリ化する一方で、テレ朝は次々に新しいことにトライしているから強いのか、と。

確かに、そうした一面があるのは事実。
例えば、日テレの朝の看板『ZIP!』にひと頃の勢いがないのも、同番組が守りに入っているからとも言える。それを象徴するのが、例のTOKIO山口メンバーの脱退で、同番組のレギュラーが交代された時のことだ。本来なら、全く別のジャンルの人物をキャスティングしなければいけないところ、同じジャニーズ事務所から風間俊介サンを連れてきたのだ。そこには、視聴者目線ではなく、ひたすら対芸能プロダクションの行政しか見えなかった。

一事が万事、そういうことである。念のために、風間サンが悪いワケではないことは申し上げておく。彼はよくやっている。これは日テレ自身の問題なのだ。

だが――日テレとテレ朝の明暗を分けた真の正体は、実はそこじゃない。真の正体、それこそが、現在のテレビ界を揺るがす巨大な力(フォース)なのだ。

テレビ界を牛耳る真のフォースとは?

そう、日テレの不振とテレ朝の好調。その明暗を分けたテレビ界を牛耳るフォースの正体――それは、高齢者である。

え? フォースだからって『スターウォーズ』のヨーダの話を始めたのかって?
いやいや、別にヨーダが800歳という超高齢の話をしているのではない。テレビ界を動かしているフォースの正体こそが、高齢者なのだ。
どういうことか。

鍵は視聴率である。現在、視聴率を測定するサンプル(関東なら900世帯)は日本の年齢別人口比に対応しており、50歳以上が約半数を占める。加えて、その世代はテレビ好きである。となると――必然的に視聴率を稼ぐ番組は50歳以上が好む番組ばかりになる。しかも少子高齢化で、年々その傾向は高まっている。

端的に言おう。ここへ来て、テレ朝の存在感が増している理由。それは、高齢者が見たい番組が、同局に揃っているからである。

高齢者に強いテレ朝

戦いは、既に朝から始まっている。
早朝4時――他局がニュースワイド番組を放送する中、テレ朝は2015年3月から『おはよう!時代劇』と称して、『暴れん坊将軍』の再放送を流している。バカにしてはいけない。同番組は時間帯1位の視聴率を誇り、その流れで午前の番組に突入している。『グッド!モーニング』や『羽鳥慎一モーニングショー』が好調なのは、そんなアシスト効果もある。

そして午後は午後で、こちらは『相棒』はじめ、刑事ドラマの再放送で、他局がワイドショーを流す中、これも高齢者にジャストフィットしている。
さらに、夜は夜で、これもシリーズものの東映制作の刑事ドラマで高齢者の常連客をガッチリ掴み、そして『ドクターX』や『リーガルV』などの一連の米倉涼子のドラマでは、時代劇的な勧善懲悪のエンターテインメントを提供して、これは幅広い世代に見られている。

極めつけは、例の『ポツンと一軒家』である。高齢者にとって同番組は、山奥に住む同世代の主が登場して、その人生観に共感できる。何より、うるさいタレントが登場せずに静かに見られる――と、全てが高齢者シフトで番組編成が組まれているのだ。テレ朝の強さは、つまりはそういうことなのだ。

日テレの不振の真の原因

――となると、逆に日テレの不振の原因も自ずと見えてくる。
同局が主にターゲットにしている層は、看板番組の『イッテQ』を見ても分かる通り、「家族」である。子供からお年寄りまで幅広く見てもらう番組を作らせたら、日テレの右に出る局はない。

だが、前述のように高齢者の比率が今後ますます高まると、相対的に家族の若年層の比率が下がる。そうなると、リビングで見るチャンネル権は家族の総意から、高齢者に移る。かくして、『ポツンと一軒家』が選ばれるのである。

そう、日テレの不振は、番組に飽きられたというよりは、視聴者の比率が高齢者偏重にシフトしたことが主たる原因と言えそうだ。
この1年、同局の連ドラがひとつも二桁視聴率を出せないのも、ドラマがつまらなくなったというよりは、全視聴者に占める高齢者の割合が増えたからだ。

つまり――日テレの敗因は、家族や女性や若者向けに番組を作った“攻めの姿勢”によるもので、それほど悲観しなくてもいいのだ。

スポンサーの意識の変化も

なぜなら、ここへ来て、スポンサーの意識にも変化の兆しが見られるからだ。
CMには「タイム」と「スポット」の2種類がある。前者は番組の最中に、後者は番組と番組の間に流れる。問題は前者のタイムである。

以前なら、何はともあれ世帯視聴率を重視し、より視聴率の取れる番組にスポンサーは集まったものである。でも、最近は個人視聴率やタイムシフト視聴率も重視する傾向にあり、例え視聴率が今ひとつでも、比較的若い世代が見る番組なら提供したいとするスポンサーが増えているのだ。

ぶっちゃけ、視聴率の上では苦戦中のフジテレビも、実はスポンサーのウケは意外といい。それというのも、同局の番組の視聴者は、比較的若い世代が多いから。反対に、テレ朝は高視聴率の番組でも、スポンサーのウケは今ひとつ。高齢者ばかりが見る番組に、化粧品やゲームアプリのスポンサーは集まりにくいからである。

視聴率から視聴質、視聴熱の時代へ

そう考えると、むしろ視聴率に一喜一憂するお茶の間の側が、時代遅れになりつつあるとも言える。現在、ドラマの放映翌日には、決まってヤフーニュースなどに視聴率の記事が掲載されるが、それを見て僕らが一喜一憂するのは果たして意味があるのだろうか。

それよりも、そのドラマがどんな世代に見られて(視聴質)、どれくらい熱く語られているか(視聴熱)を知る方が、よほど有意義な気がする。事実、昨年の東京ドラマアウォードのグランプリを受賞した『おっさんずラブ』(テレ朝系)は23時台の放送ということもあり、視聴率自体は平均4.0%と低調だったけど、最終回はTwitterのトレンドで世界1位に。しかも、あの『逃げ恥』の最終回をツイート数で上回ったという。視聴熱では間違いなく2018年ナンバー1だったのだ。

そして、先の10月クールでいえば、『今日から俺は!!』は、視聴率はともかく、若い世代に圧倒的に見られていて、“視聴質”的にはスポンサーにとってかなり美味しい状況だった。つまり広告を届けたいターゲット(F1層)にハマっていたのだ。

後年、振り返って2018年は、視聴率から視聴質、そして視聴熱の時代への過渡期だったと語られているかもしれない

ドラマのTBSは安泰

ここから先の話はあまり長くない。

日テレとテレ朝の攻防にページを割きすぎてしまったが、テレビ局戦国時代を語る上で、もちろん他の局が蚊帳の外というワケではない。どの局もそれぞれの持ち味があり、やり方次第で日テレやテレ朝を抜く可能性だって十分ありうる。

例えば、TBSだ。
同局の強みと言えば、やはりドラマである。

昨年1年間を振り返っても、連ドラで爪痕を残せたのは、TBSである。

まず、NHKの朝ドラを除いて、1クール連ドラで昨年最も平均視聴率が高かったのは、1月クールのTBS日曜劇場『99.9-刑事専門弁護士-』(シーズン2)の17.6%だ。昨今流行りの弁護士ドラマ(リーガル・ドラマ)の火付け役でもあり、主人公・深山大翔を演じる松本潤のハマり具合が半端ない。飄々とした性格ながら、頭脳明晰で事件をあっと驚く奇策で解決に導くその姿は痛快だった。

ちなみに、2018年の各クールの平均最高視聴率は、4月クールもTBSで、『ブラックペアン』、7月クールも同局の『義母と娘のブルース』(以下、ギボムス)と、なんとTBSが4クール中3クールを制した(10月クールのみテレ朝の『リーガルV』)。

ドラマの視聴率というと、テレ朝が高齢者向けの刑事ドラマで安定して稼いでいるイメージだけど、クール毎にハネた作品となると、やはりTBSなのだ。つまり、多様なテーマで全世代向けに広くエンターテインメントを届けているのが、TBSなんです。

話題作もTBS

いや、視聴率だけじゃない。アグレッシブなジャンルに挑み、一定の評価を残したドラマも2018年――TBSは事欠かなかった。

1月クールは、野木亜紀子脚本・石原さとみ主演の『アンナチュラル』だ。野木サンがプライムタイムで初めて書いたオリジナル作品であり、死者を救う“法医学”という難しいジャンルに挑み、見事に年間ギャラクシー賞を受賞した。石原さとみの自然体な演技も高評価を受け、ともすれば暗くなりがちなジャンルを、ライトコメディ的手法で明るく見せた塚原あゆ子サンの演出も光った。

そして7月クールは、例の『ギボムス』である。血のつながらない親子愛をテーマに森下佳子サンが珠玉の脚本に仕上げ、綾瀬はるかのコメディエンヌの幅を広げ、竹野内豊の自然体の演技を引き出した。そして、そんな役者たちの芝居を煽りすぎない平川雄一朗サンの神演出――ほぼ右肩上がりの視聴率は、あの『逃げ恥』の再来とも言われた。

さらに10月クールでは、果敢にも『中学聖日記』と『大恋愛~僕を忘れる君と』という2つの恋愛ドラマに挑んだ同局の攻めの姿勢を評価したい。『中学生~』は序盤、視聴率の低迷に苦しんだが、中盤から徐々に数字を上げたのは、名演出家・塚原あゆ子の作り出す世界観にお茶の間が引き込まれた結果だろう。
一方、『大恋愛』は、戸田恵梨香の演技力を深化させ、コメディ俳優ムロツヨシの新しい一面を引き出した。何より、名脚本家・大石静の完全復活を印象付けたのが大きい。最終回は13%を超え、見事に平均視聴率を二桁に乗せて有終の美を飾った。

現場至上主義のTBS

なぜ、TBSのドラマは多様性に富んで、面白いのか。
1つの要因として、同局のモノづくりの姿勢が挙げられる。いわゆる現場至上主義とでも言おうか。プロデューサー・演出家・脚本家をはじめ、各現場で緩やかな1つのチームが形成され、それらが互いに切磋琢磨することで、局全体として優れた作品が生み出されるのだ。

例えば、日曜劇場1つとっても、『下町ロケット』や『陸王』などの池井戸潤作品を数多く手掛ける伊與田英徳P・福澤克雄Dのチームがある一方、『JIN-仁-』や『天皇の料理番』など森下佳子脚本を多く手掛ける石丸彰彦P・平川雄一朗Dチームといった強力なライバルが存在する。
金曜ドラマに目を向ければ、『夜行観覧車』や『リバース』などの湊かなえ作品を手掛ける新井順子P・塚原あゆ子Dチームが独特の存在感を放っている。そうかと思えば、『木更津キャッツアイ』や『監獄のお姫さま』など宮藤官九郎脚本を多く手掛ける磯山晶P・金子文紀Dチームといった飛び道具(?)も存在する――。

いや、現場至上主義は何もドラマに限らない。例えば『水曜日のダウンタウン』の藤井健太郎サンは独自のワールドを構築し、TBSの他のバラエティ番組とは一線を画している。

それぞれの現場が、最高のスタッフィングで、最高の番組を作る――その構図は、あの80年代から90年代にかけてのフジテレビを彷彿とさせる。今後のTBSから目が離せないのは、そういうことである。

復活のフジテレビ

続いてはフジテレビだ。

もう、フジが三冠王から脱落して8年が経つ。その間、同局は「振り向けばテレビ東京」と囁かれるまで視聴率を落とし、近年はそのテレ東にもしばしば抜かれる状況に――。

しかし、一昨年の6月に石原隆サンが新設の「編成統括局長」に就任すると、『みなおか』や『めちゃイケ』といった金属疲労に苦しむ長寿バラエティを勇退させる一方、月9をはじめとした連ドラをテコ入れ――結果、看板枠の月9は、昨年4月クールの『コンフィデンスマンJP』で息を吹き返し、続く『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~』(シーズン3)と『SUITS』で平均2桁と復調した。木10枠も4月クールの『モンテ・クリスト伯-華麗なる復習-』がSNSでバズり、続く7月クールの『グッド・ドクター』は韓国ドラマのリメイクで、実に3年半ぶりに同枠に平均視聴率二桁をもたらした。

一方、バラエティは、お昼の『バイキング』が昨年一気に数字を上げて、日テレの『ヒルナンデス!』を上回るようになり、時間帯2位へ躍進。夜は夜で、新番組『超逆境クイズバトル!!99人の壁』が先の10月にスタート。MCの佐藤二朗サンのトボけた進行と、シンプルで独創的なルールが評判を呼び、まずまずの人気を誇っている。

いずれも、フジテレビのDNA――開局以来、連綿と受け継がれてきた“フリートーク芸”の強みと、80年代末の深夜黄金時代に培われた“アイデア力”の片鱗が垣間見える。今、フジはかつての勢いを取り戻しつつある。

世界に目を向けるフジ

ここからは、2019年以降のフジの展望の話である。

昨年6月、フジの大多亮常務は、ドイツのテレビ局「第2ドイツテレビ」の子会社ZDFエンタープライズ社と組んで、全10話の連続ドラマ『The Window』を製作すると発表した。製作費は20億円。これは通常の連ドラ予算の5倍にあたる。

同ドラマは、イングランド・プレミアリーグの終幕と共に始まる10週間の選手の移籍市場 “トランスファー・ウィンドウ”が舞台になるという。将来を有望視される17歳のサッカー選手を主人公に、家族や恋人、エージェント、クラブオーナー、ジャーナリスト、そして世界の投資家たちがうごめく権謀術数の世界が描かれるとか。大多常務曰く「サッカー版『ハウス・オブ・カード』」であると。今年中の完成を目指し、来年以降の放送を予定しているという。

それにしても――なぜフジは突如、こんなビッグプランを立ち上げたのか。

バスに乗り遅れるな

背景に、現在の世界にまたがる“空前の連ドラ市場”がある。今や世界のドラマ市場は、Netflixら動画配信企業によって、世界の視聴者を対象にグローバル市場が形成されており、1シリーズあたり100億円規模の制作費も珍しくない。それだけ投資しても、回収できる巨大なマーケットなのだ。まさに、連ドラ黄金期。アメリカだけでなく、欧州や韓国もその大きな流れの中にある。

一方、日本のテレビ界は、制作費の9割を広告費で賄い、しかも国内の市場で完結するビジネスモデルである。それはそれで、これまでテレビ界を発展させてきた優れたモデルではあったが、今や広告費の頭打ちと少子高齢化で、これ以上の発展は望めそうにない。世界の潮流から取り残されつつある。

そう、フジの目的はその脱却にある。いわゆる“バスに乗り遅れるな――”。
欧米のテレビ局と組み、世界規模のネット配信をベースとした制作体制を確立することで、制作費の増加や、ハリウッド級の俳優のキャスティングを目論んでいるのだ。そう、フジの視線は世界を向いている――。

既に動いていたフジ

実際、今の日本のテレビ局で、世界に最も近い位置にいるのはフジテレビだ。
同局は既に、あのNetflixと組んで、「テラスハウス」をリニューアルして、製作・配信している実績がある。ちなみに、最新作の軽井沢編の『TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS』は、米・TIME誌が発表した「2018年のベストテレビ番組」の6位に選出されたという。世界の6位だ。

思えば昨年、フジは『グッド・ドクター』と『SUITS』と、海外のヒットドラマを2つもリメイクしており、既にその視点は海外市場へ向いているとも言える。海外ドラマをリメイクする利点は、その脚本のレベルの高さに、視聴者が気づくことにある。フジは既に、お茶の間の“地ならし”も図っていたのだ。

フジの影が見えるテレ東とNHK

さて、最後はテレ東とNHKの話である。
え? どうしてこの2つを一緒くたに語るのかって?
それは――両局ともその好評と言われる番組の裏に、往年のフジの影が見え隠れするからである。

まず、テレ東である。

昨年、同局の最も大きなニュースと言えば、4月から新しいドラマ枠「ドラマBiz」を新設したことだろう。テレ東らしい“ビジネス”に特化したドラマ枠でありながら、キャスト陣は江口洋介をはじめ、仲村トオルや唐沢寿明と、失礼ながらこれまでのテレ東らしからぬ大物の配役。それだけ力を入れているということだろう。

中でも珠玉は、先の10月クールの『ハラスメントゲーム』だった。主演・唐沢寿明、脚本・井上由美子の座組は、あのフジの『白い巨塔』と同じである。加えて、演出チーフは同じくフジの『コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』シリーズを手掛けた西浦正記D。そう――フジテレビのノウハウで作られていたのだ。

実際、同ドラマは視聴率はともかく、内容的にはクールNo.1とも言われ、お茶の間や識者から大絶賛された。ある意味、フジのドラマ作りのノウハウが認められたようなものだった。

チコちゃんを作ったのは、あの座組

続いて、NHKである。

こちらも2018年の同局の最大のヒット番組と言えば、『チコちゃんに叱られる!』で異論はないだろう。
5歳児ながら、歯に衣着せぬチコちゃんの発言と、その多様に変化する表情が話題となる一方、ナレーションを務める森田美由紀アナの淡々としたトーンとの対比もおかしく、お笑いのレベルとしてはかなり高度なテクニックだった。

さもありなん、同番組を作ったのは、フジテレビから共同テレビに出向中の小松純也サンであり、彼はあの『笑う犬の生活』を演出したことでも知られる、フジのバラエティ班のDNAみたいな人。
加えて、メインキャストは昨年3月で終了した『めちゃイケ』からの流れのようにナイナイの岡村隆史サンが務め、しかもチコちゃんの声は、あの木村祐一サンである――。

そう、その3人の座組は、どう見ても往年のフジのバラエティ番組だ。

2019年のテレビ界はどう動く?

テレ東とNHKのヒット番組の裏に見える、往年のフジの影――ある意味、2018年の裏MVPは、フジテレビとも言える。
フジが、かつての栄光の遺産を他局に譲り、自らは世界へ向けて新たなる挑戦に踏み出すのは、企業としては正しい姿だろう。

TBSは、民放一の人材と評されるドラマ作りを今年、さらに深化させていくだろう。世界に誇る日本のドラマ遺産を変わらずに築き上げてほしい。そしてもう一つ、2019年の『水曜日のダウンタウン』からも目が離せない。

日テレとテレ朝の視聴率争いは今年、さらに熾烈を極めるだろう。現状、高齢化に対応したテレ朝が有利に見えるが、家族向けの王道バラエティの需要はまだまだ高い。日テレの底力に期待したい。

何より――テレビ界でいよいよ真価が問われるのは、僕ら視聴者かもしれない。視聴率に惑わされず、本当に面白い番組を見抜く力。そしてSNS等でそれを拡散する熱量――視聴率に代わり、それら「視聴質」や「視聴熱」がテレビ界の新たな指標になると、テレビは今よりもっと面白くなる。実際、既にスポンサーの一部には、それに対応する動きも出始めている。

今年――2019年も、テレビから目が離せない。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)


第48回 今からでも間に合う1月クール連ドラ中間決算

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さて、今回は恒例の連ドラ中間決算です。ちょっと終盤に差し掛かったけど、ね(笑)。

それはそうと、1年の計は元旦にあり――じゃないけど、1月クールの連ドラって、各テレビ局にとって一番大事な作品が並ぶクールとも言われてるんです。
というのも、どの局も年始からスタートダッシュして、局内の雰囲気を盛り上げて、その勢いのまま1年を乗り切りたいと思ってるから。

普通、テレビの視聴率って、そんなに突然上がるものじゃないんですね。バラエティなんて、最低半年間は様子を見ないといけない。でも、連ドラだけは例外で、上手くハネれば視聴率が前のクールの2倍なんてことも夢じゃない。もっとも3カ月間限定の話だけど――。

とはいえ、3カ月間だけでも局内の空気が変われば、他の番組の士気も上がる。だから、年の初めの1月クールの連ドラに、各局は力を入れるというワケ。そう、1年の計は1月クールの連ドラにありってね。

スタートダッシュに成功した日テレ

単刀直入に行きます。
今クール、とりあえずスタートダッシュに成功したのは日テレでしょう。昨年、とうとう1本も連ドラを平均視聴率二桁に乗せられなかった同局だけど、今年は1月クールから、なんと2本の作品が二桁視聴率で快走中である。

1つは北川景子主演の人気シリーズ『家売るオンナの逆襲』、もう1つは菅田将暉と朝ドラ『半分、青い。』の永野芽郁が共演する異色学園ドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』がそう。まぁ、彼ら両作のメインキャストを見るだけで、日テレ渾身の作品であるのは自ずと分かるというもの。

実は日テレ、今年はかなり気合が入ってるんですね。というのも、前回の本コラム『テレビ局戦国時代』でも触れた通り、2018年は日テレの年間三冠王に黄信号が灯り、テレ朝の猛追を食らったから。
結局、なんとか逃げ切って5年連続年間三冠王を達成したものの、ピンチが続いている(むしろ両局の差は縮まっている)状況に変わりはない。日テレが例年以上にこの1月クールの連ドラに賭けるのは、そういうことなんです。

先行逃げ切り狙う日テレ

ちなみに、今年1月の月間視聴率では、日テレが月間三冠王を達成。しかも、ぶっちぎりだった。先に挙げた連ドラが好調な上に、バラエティや情報番組も比較的安泰。『世界の果てまでイッテQ!』なんて、昨年の終盤はヤラセ騒動もあり、数字が下降気味だったけど、今年に入って平均18%台と、標準運転に回復。まっ、裏のNHK大河の『いだてん〜東京オリムピック噺〜』の苦戦という敵失もあるんだけど――。

そして、何と言っても驚きが、1月2日・3日恒例の「箱根駅伝」だ。今年は、往路・復路とも視聴率30%超えと、共に歴代最高。断わっておくが、7時間を超える番組の平均視聴率が30%である。こんな番組は他にない。

そうなると、年間視聴率争いも、このまま日テレが先行逃げ切りか――とも思ってしまうが、そう簡単に行かないのがテレビ業界。例年そうだけど、テレ朝が真に怖い(!)のは、年も押し迫った10月クールなんですね。ここで毎年、米倉涼子主演ドラマ(『ドクターX ~外科医・大門未知子~』or『リーガルV〜元弁護士・小鳥遊翔子〜』)と『相棒』のテレ朝二大巨砲が揃うから。2つとも平均視聴率15%超えが必至だから、これだけで相当な底上げになるんです。

そう、日テレは終盤、テレ朝に追い上げられるから、同局が先行逃げ切りを狙うのは定石。それが今年は、特に力が入っているという次第――。

今クール最大の話題作『3年A組』

では、個別のドラマ評に移ります。
まず、今クール最大の話題作と言って過言ではないのが、先に挙げた日テレの『3年A組』でしょう。なんたって初回から視聴率10.2%と、二桁の好発進。同枠の前クール『今日から俺は!!』が、あんなに評判になりながら、なかなかクリアできなかった二桁視聴率を、初回からあっさり達成したのである。

さらに凄いのが、その後。2話、3話と視聴率を上げ、4話は例の嵐の活動休止報道(フジ『Mr.サンデー』)の真裏に当たって若干数字を落とすも、その後も回を重ねる毎に最高視聴率を更新。ほぼ右肩上がりと言ってもいい。こんな視聴率の推移は、最近では『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)や『義母と娘のブルース』(TBS系)で見られたくらい――。

ベタ×演技力=高視聴率

『3年A組』が好調な要因は何か?
ずばり、ベタな脚本とメイン2人の演技力でしょう。この掛け算が右肩上がりの視聴率を生んでるんです。

脚本を担当するのは武藤将吾サンである。テレビ版の『電車男』や映画『テルマエ・ロマエ』の脚本でも知られるヒットメーカー。同ドラマは彼のオリジナル脚本だけど、巷で言われているように――映画の『バトル・ロワイアル』や『悪の教典』と世界観がよく似ている。また、自殺した女生徒を起点に物語が始まるプロットは、Netflixのドラマ『13の理由』を彷彿とさせる。

そういう話をすると、よくパクリじゃないかって声が聞こえてくるけど、エンタテインメントの世界において、旧作をオマージュして、現代風にアップデートするのは正統なクリエイティブ。逆に言えば、同ドラマは変に奇をてらわず、それら同種のカテゴリーの旧作を踏襲して、“ベタ”に徹したのがよかったと思う。

連ドラにとって一番大切なこと

ここで、あらゆる連ドラにとって一番大切なことをお教えします。
それは――視聴者に「この先、どうなるのか?」と思わせること。これが全て。

ほら、その視点で見ると、同ドラマは極めてドラマ・セオリーに徹した作品だって分かるでしょ? とにかく『3年A組』を見る僕らは、一刻も早く続きを見たい。だから録画やネットなどのタイムシフト視聴じゃなくて、出来る限り生でオンエアを見たい――。そう、そんなシンプルな視聴動機が、右肩上がりの視聴率を生んでるんです。

メイン2人の演技力でドラマとお茶の間が陸続きに

そして、同ドラマが高視聴率を生むもう一つの要素――それがメインの2人、菅田将暉と永野芽郁の卓越した演技力である。

このドラマで、2人に求められたのは、この一見、荒唐無稽な話にリアリティを持たせること。
そこが、お金を払って見る映画との最大の違いなんですね。どんなに面白いドラマでも、どこか遠くの世界で起きている話と思われたら、もうお茶の間の95%の人たちはついて来てくれない。逆に、彼らを惹きつけるには、テレビの中の世界が、ひょっとしたら自分たちと“陸続き”じゃないかって思わせること――。

そこで、“ラウンドキャラクター”の出番である。
ラウンドキャラクターとは、エンタメ界の専門用語だけど、ある一面的な顔しか見せないフラットキャラクターと違い、多面的な顔を見せてくれる深みのあるキャラクターのことだ。

普通の視聴者はラウンドキャラクターに共感する

自分に置き換えたら分かるけど、リアル生活で僕らは多面的な顔を使い分けている。学校や会社で見せる顔と、家で見せる顔とは当然違う。話し相手によっても態度を変える。それが普通の人間だ。そう、テレビドラマの中でそれを担っているのが、まさにラウンドキャラクターなのだ。
そして――大多数の“普通”の視聴者は、そんな風に相手によって態度を変える“普通”の人間=ラウンドキャラクターに共感する。

つまり、同ドラマで菅田将暉演じる教師・柊一颯は、一見サイコパスに見えるが、それは“芝居”。中身はいたって普通の教師だ。だから僕らは、柊がなぜそんな行動を取るのか、その一挙手一投足に惹きつけられる。

同様に、永野芽郁演じる生徒・茅野さくらも、普段はおどおどしつつも、実はオタク気質で、時に饒舌になったりして、こちらも中身は普通の女の子だ。特別な能力やスペックがあるワケじゃない。だから僕らは安心して、2人に感情移入できるんです。

「家売るオンナ」の盤石のフォーマット

さて、続いては、今クールで最も安定した視聴率を見せる北川景子主演の人気シリーズ『家売るオンナの逆襲』である。

ご存知、1stシーズン『家売るオンナ』と、単発スペシャル『帰ってきた家売るオンナ』に続くシリーズ第3弾。視聴率はそれぞれ平均11.6%、単発13.0%と来て、今回が平均11.7%(7話まで)と、相変わらず好調である。

2ndシーズンの新しい設定としては、北川景子演ずる三軒家万智が、屋代課長(仲村トオル)と結婚してることや、松田翔太演ずる留守堂謙治(それにしてもスゴイ名前だ)が同業ライバルとして登場することくらいで――基本的なフォーマットは変わらない。

即ち、主人公の三軒家万智が毎回「私に売れない家はない!」と豪語し、人生で最も高い買い物である「家」を売ることを通して、客の悩みを解決するというフォーマット。物語は基本、一話完結で、客としてゲストスターが登場し、ハッピーエンドで終わる。盤石だ。

先に、連ドラで一番大切なことは、視聴者に「この続きを見たい」と思わせることと書いたが、2番目に大切なことは「安心して楽しめる一話完結」であること。そう、同ドラマは後者の成功モデルなのだ。

コメディエンヌ・北川景子の安定感

そして何より、『家売るオンナ』シリーズに抜群の安定感をもたらしているのが、主演・北川景子サンの徹底したコメディエンヌぶりである。

俗に、笑わない喜劇役者の芝居を「ストーン・フェイス」と呼ぶが、それは往年の喜劇王、バスター・キートンを評する言葉から生まれたもの。そう、優れたコメディアンは自分では絶対に笑わない。だから観客を笑わせる。その意味で、北川景子サンは卓越したコメディエンヌと言って間違いない。

元々、彼女は連ドラデビュー作の『モップガール』から、そのコメディエンヌぶりをいかんなく発揮していた。そう、彼女を生かすには喜劇なのだ。このドラマは、北川景子に何をやらせれば最も輝くかを熟知している人が書いたドラマなのだ。

復活の大石静

さもありなん、同ドラマの脚本は、名人・大石静サンである。
前クールでは、TBSで『大恋愛〜僕を忘れる君と』なる禁断のラブストーリーを書いて、好評を博しておきながら――今クールでは一転、ベタベタなコメディと振れ幅の大きさが半端ない。しかも、どちらも傑作なのだから、これが名人たる所以である。

思えば、5~6年前まで、ちょっとスランプ気味だった大石サンだけど、ここ最近は『コントレール〜罪と恋〜』(NHK)とか『トットちゃん!』(テレ朝系)とか、もはや完全復活したと言ってもいいだろう。

大石サンの次回作が、今から楽しみである。

クオリティは今クールトップ

今クール最も話題性の高いドラマが『3年A組』で、最も視聴率が安定しているドラマが『家売るオンナの逆襲』なら――最もクオリティの高いドラマはなんだろう?
ずばりそれは、TBSの『グッドワイフ』と見て、間違いないと思う。

そう、ご存知、米CBSドラマ『The Good Wife』のリメイクである。
2009年から16年まで7シーズンが作られた大ヒット・リーガルドラマ。夫の州検事が汚職で逮捕されたことから、家族を養うために13年ぶりに弁護士に復帰した主婦が主人公である。ほら、この主婦が弁護士というだけで、お茶の間にとっては、ちょっと親近感が湧くでしょ。

ドラマ・セオリーにおける主人公とは

それにしても、この13年ぶりの復帰(日本版は16年ぶり)という時間設定がなかなか上手い。俗に十年一昔と言うが、その間、どの職場もIT化が劇的に進んでるので、まずは浦島太郎のように戸惑う主人公を描けるというワケ。
しかし、その一方で、どんなに時代が変化しても弁護士にとって変わらない大切なものもあり(弁護士に限りませんね)、主人公の持ち前の人間力で難局を乗り越えるカッコいい描写も描ける。そう、変わりゆく世の中における、変わらない主人公の志――これ、ドラマ・セオリーなんですね。

さて、そんな風に一話完結の弁護士ドラマを横軸に、縦軸では裏切られた夫との関係に腐心する主婦としての人間味あふれる横顔も描かれ、物語としてはかなり重層的だ。日本版は基本、オリジナルをトレースしたものだから、脚本自体は問題ない。あとは、この手のリメイクドラマがいつも問われることだけど、どう日本風にローカライズするか、である。

17年ぶり民放連ドラ主演の常盤貴子

主演の常盤貴子サンは、民放の連ドラ主演は、実に17年ぶりである。
改めて指摘されると、そんなに経つのかと驚くが、ちなみに、同ドラマの前に最後に主演した連ドラが、2002年のフジテレビの『ロング・ラブレター~漂流教室~』というから、相当懐かしい。これ、16年ぶりに弁護士に復帰した主人公と重ねる絶妙なキャスティングでもあるんですね。俗にいう「クリエイティブなキャスティング」とは、こういうこと。

まぁ、僕の見る限り、彼女はいい芝居をしているし、夫役の唐沢寿明サンも相変わらず上手い。この辺りは安心して見ていられる。ただ、視聴率は3話以降、一桁台と若干苦戦しており、正直もう少し取ってもいいと思う。あとは、お茶の間が米国流のシナリオの面白さに慣れることでしょう。

米ドラマのリメイクのメリット

多分、米ドラマのリメイクはこれからもっと増えると思う。元よりドラマのクオリティは保証できる上に、今回の常盤サンのように、長らく民放連ドラから遠のいている大物をキャスティングできるから。

そう、映画や舞台や単発スペシャルやNHKに軸足を移したベテラン俳優たちを――もう一度、民放の連ドラに振り向かせるのに、米ドラマのリメイクは打ってつけなんです。既にドラマの知名度はあるし、クオリティも保証付き。前クールの織田裕二の『SUITS/スーツ』(フジ系)もそういうこと。

あとは、お茶の間が“脚本でドラマを見てくれる”ようになったら、御の字。日本の連ドラ市場がそんな風に成熟したら、出演するスター俳優も今の2倍くらいに増えるかもしれないし、そうなると90年代のような連ドラ黄金時代が訪れるかもしれない。

デリヘルだけど、普通のドラマ

さて、ここからは深夜ドラマの話である。
今クール、僕が最も気になってる深夜ドラマは、テレ東の『フルーツ宅配便』ですね。

このドラマ、東京で務めていた会社が倒産し、あてもなく故郷に戻った主人公・咲田(濱田岳)が、ひょんなことから地方のデリヘル店の雇われ店長になる話。
デリヘルが舞台だから、あぁ、そういうエッチ系の深夜ドラマなのね――と思いがちだが、これが全然違う。たまたま深夜にやっている、普通の人たちの普通のドラマなのだ。

まず、今どきデリヘルは、条例でも認められた普通の職業だし、本番行為は禁止で、法律を遵守しているし、税金も申告している真っ当な会社である。だから、主人公・咲田は拍子抜けするくらい、普通の事務所で、普通の同僚たちと、普通の業務をこなす。

仕事内容はほぼコンビニ

具体的には、お客からかかってきた電話に応じて、派遣先(ホテルや自宅)まで女の子を届ける。チェンジがあれば、女の子を事務所に戻し、代わりの子を届ける。女の子が仕事中は駐車場などで待機して、終われば、再び女の子を乗せて、事務所まで戻る。基本的にはこの繰り返しだ。

あとは、昼間は女の子の募集広告を出したり、新人の面接をしたり、雑務をこなしたり――。まぁ、コンビニの店長が商品の棚卸しをしたり、レジ打ちをしたり、バイトの面接するのと基本、変わらない。

裸やエッチなシーンがない深夜ドラマ

そして、ここが大事なところなんだけど、デリヘル店が舞台ながら、このドラマは基本、エッチなシーンや裸は出てこない。だから、エロな雰囲気は全くない。極端な話、家族でも見られるし、録画したのを昼間見ても、違和感がない。

登場する女の子たちにしても普通だ。事務所奥の待機部屋には出番を待つデリヘル嬢たちが待機してるが、演じるのは、徳永えりに山下リオ、元AKB48の北原里英と、エッチな雰囲気は皆無。まるでアパレル店の休憩室だ。

そうなると何がいいって、同ドラマは毎回、新人デリヘル嬢役で1人のゲストスターが登場するんだけど、割と大物の女優さんをキャスティングできること。内山理名サンや成海璃子サン、筧美和子サンあたりのクラスが普通に出てくれるのだ。これをメリットと言わず、何と言おう。

安易なハッピーエンドにしない

え? じゃあ、このドラマは何で面白がらせてるのかって?
ごもっとも。早い話がデリヘルを舞台にした人間ドラマなのだ。

まず、デリヘル店のディテールを描くことで、ある種のお仕事ドラマのハウトゥものとして楽しめる。この辺りは主人公・咲田を演じる濱田岳の見せ場である。

そして、各回のゲストスターのちょっとしょっぱい話――これがメインの話。
例えば、内山理名演ずる「ゆず」は子連れで、前髪で隠した顔の右半分には、別れたDV夫につけられた大きなアザがある。彼の作った借金返済のために、デリヘル嬢として働き始めるが、アザがネックになり、チェンジされる日々――。結局、彼女は指名を得るために「本番」に手を染め、バレて解雇されるが、彼女の不幸な事情を知る咲田は力になろうとする。しかし――逆に借金の保証人を頼まれ、その額の大きさ(2000万円!)に、声もなく身を引くという、身もふたもない話だった。

松尾スズキ演じるオーナーのミスジさんは、落ち込む咲田にこう忠告する。
「働いてる子たちのプライベートに首ツッコむな」
――そう、実際、下手な同情心をかけても、どうなるものでもない。安易なハッピーエンドにしない。これがこのドラマの真骨頂なのだ。

演出は今、日本映画で最も期待されるあの監督

同ドラマ、原作はビッグコミックオリジナルに鈴木良雄サンが連載するコミックで、ドラマのストーリーは基本、原作を踏襲している。原作もエロの要素は少なく、シンプルな絵柄が切ない雰囲気を醸し出している。

演出を務めるのは、映画『ロストパラダイス・イン・トーキョー』や『凶悪』などのアンダーグラウンドな世界を描かせたら随一と言われる白石和彌監督である。近年は『孤狼の血』などで、2年連続ブルーリボン賞の監督賞を受賞するなど、今、日本映画界で最も期待される監督の一人。はっきり言って、テレ東の深夜ドラマには惜しい(!)人材である。

要するに――アンダーグラウンドな世界を描かせたら随一の監督が描くデリヘルの世界だからこそ、そこに安っぽい裸は出てこないし、描かれる話はリアリティに満ちたものになる。デリヘルの世界を表面ではなく、中身で見せてくれるのだ。

深夜だけど、深夜じゃないドラマ

もう、お分かりですね。
名匠・白石和彌監督まで担ぎ出して、作った同ドラマ。要するに――狙いは深夜ドラマじゃなくて、タイムシフト視聴を想定した、面白いドラマを作るということ。

今や、ドラマの視聴者の約半数が、ネットなどでタイムシフト視聴する時代。ぶっちゃけ、そのドラマが何時に放映されているとか、もはや大した意味はない。大事なのは、そのドラマが面白いかどうか。面白ければ、SNSでバズり、視聴者はタイムシフトで自由な時間に見てくれる。

昨年、深夜ドラマの『おっさんずラブ』(テレ朝系)が、毎年、優れたドラマに贈られるコンフィデンスアワード・ドラマ賞を受賞した。深夜ドラマで初めての快挙だ。そう、もはやドラマの世界に、深夜もゴールデンもない。『フルーツ宅配便』は、いち早くその変化の潮流に気付いて、脱・深夜を狙ったドラマというワケ。たまたま深夜に放送されているドラマなのだ。

ネット+テレビのハイブリッド

さて、本コラムで紹介するドラマも、いよいよ最後である。次に挙げるのは、もはや深夜とも言っていられないチャレンジャーもの。
――『新しい王様』だ。

同ドラマ、ちょっと変則的な形でお茶の間に届けられている。シーズン1(全8話)をTBSが放送し、シーズン2(全9話)を動画配信サービスのParaviが配信する異例の試みだ。既にシーズン1は2019年1月8日からウィークデーの深夜に帯で放送され、同月17日に終了。で、その終了直後にシーズン2の配信がParaviで始まり、以後、毎週木曜に一話ずつ配信されている。

シーズン1・2と言っても、放送と配信で便宜上分けているにすぎず、要するに全17話の連ドラだ。つまり、放送と配信のハイブリッド・ドラマ。それにしても――なんでこんな不思議な座組になったのだろう?

テレビ局を買収する話

端的に言おう。
同ドラマは、テレビ局を買収する話だからである。特に、買収話が本筋になるシーズン2は、テレビ局にとっては禁断の話。その部分だけ配信にしたのは、分からぬ話ではない。噂には、当初TBSに同ドラマの企画を持ち込んだところ、激怒されたという。

とはいえ、その後、シーズン1を見た視聴者から、シーズン2も地上波で見たいという声がTBSに多く寄せられ、同局は態度を軟化させたのか、Paraviの配信から5週遅れでシーズン2の放送も始まった。

もっとも、当初TBSがドラマの内容に激怒したという噂すらプロモーションの一環と言えなくもなく、そんな風に虚実入り混じる噂自体が、このドラマらしいとも言える。

元ネタはあの事件

同ドラマ、物語の核となるのは、藤原竜也サン演じるアプリ開発者で自由人のアキバと、香川照之サン演ずる投資家の越中(えっちゅう)の2人である。アキバが旧来のビジネスの慣習や金儲けを否定するのに対し、越中は「金儲けの何が悪い」と次々に企業買収を繰り返す。物語は、この相反する2人がテレビ局の買収を巡り、虚々実々の駆け引きを展開するというものだ。

恐らく、元ネタは2005年のライブドアによるフジテレビ買収騒動だろう。事実、ルールに縛られないアキバの言動はホリエモンを連想するし(容姿は別として)、「もの言う株主」を実践する越中のスタイルは、かつて村上ファンドを率いた村上世彰代表を彷彿とさせる。

とはいえ、似ているのは2人のキャラクターくらいで、ストーリーはドラマオリジナル。あれから14年も経って、テレビやITを取り巻く世界も激変しているし、1つのフックとして、確信犯的にモチーフ(キャラ)だけ近づけたのだと思う。ネットでバズりやすいという意味でね。

神はディテールに宿る

ただ、同ドラマの面白さの肝は、実は買収劇そのものじゃない。その周りで起きるテレビ界・芸能界・セレブ界を舞台にした、数々の嘘みたいな本当の話である。

例えば、越中が愛人関係にあった舞台女優(夏菜)がある日、勝手に大手芸能事務所と契約してしまい、そこの社長から「ウチの商品に手を付けた」と脅されたり、その和解の条件に「ドラマの主役」を提示され、テレビ局の上層部(八嶋智人)に掛け合ったり、すると今度はその男から交換条件として、付き合いのあるスタイリストの事務所に出資してほしいと頼まれたり、結局、ちょい役しかねじ込めず、その結果、玉突きのように弱小事務所の新人が役を外されたり――と、なかなか面白い。

セレブたちのパーティーも頻繁に登場し、そこへ可愛い女の子を派遣する会社が存在したり、そんな会社を経営するコウシロウ(杉野遥亮)が順調に業績を伸ばしたり、コウシロウに思わせぶりな態度を見せる美女(泉里香)が、実はセレブたちのパーティーを渡り歩く玉の輿狙いの“プロ”だったりと、描かれるエピソードも、そこそこリアリティがある。

仕掛け人は、鬼才・山口雅俊P

面白いのはさもありなん、同ドラマのプロデュース・脚本・演出を担当するのは、かつてフジテレビに在籍し、『ギフト』や『きらきらひかる』、『カバチタレ!』など異色作を数多く手掛け、独立してからは『闇金ウシジマくん』シリーズや、映画『カイジ』シリーズなどの話題作に携わる、奇才・山口雅俊サンである。

つまり、エンタメ界のど真ん中にいる人物が描くテレビ界・芸能界・セレブ界の話なので、これが面白くないわけがない。
もちろん、それぞれのエピソードはデフォルメされて、元ネタが分からないようにはしているが、見る人が見れば、分かるワケで――。

ただ、山口サンの仕掛けが上手いのは、このリアリティ渦巻く物語の中に、確信犯的に1つだけファンタジーを入れていること。
それがあるゆえに、この物語全体が「寓話」になるのだ。

武田玲奈というファンタジー

ファンタジーのキーマン――それは、武田玲奈サン演じるエイリだ。
元看護学生の役で、闇金から借りたお金がいつの間にか莫大に膨れ上がり、返済できずに風俗に売られたり、ひょんなことから芸能事務所の社長の目に止まり、スカウトされて女優デビューすると、あれよあれよと主役に上り詰めたり――。エイリだけは、このドラマの中で唯一、その存在が浮世離れしているんです。

その兆候は、早くもシーズン1の第1話の開始2分20秒に訪れる。闇金事務所から逃亡するナースのコスプレ姿のエイリが、追っ手が迫る中、思い余ってビルの非常階段からパンチラも厭わず、飛び降りる。高さにして20メートルほど。普通なら死ぬ。だが――地上に降りたエイリは膝を少し擦りむいただけで、再び立ち上がって走り始めたのだ。

地球によく似た星の話

そう、この瞬間、このドラマは以降、何が起きてもファンタジーになった。
かつて村上春樹サンがエッセイの中で、読者から小説の中に登場するクルマの装備の間違いを指摘され、「地球によく似た星の話です」とシャレで返していたが、そういうことである。

このドラマも、どこかの誰かから文句が来たら、「地球によく似た星の話」と言い逃れできる。「だって、ビルの上から飛び降りて、膝を擦りむいただけで済む女の子が、この地球上に存在するワケがないでしょう?」――って。

その他ドラマの雑感

最後に、その他のドラマについても、簡単に雑感を記しておきたい。

フジの月9の『トレース~科捜研の男~』は、やはり特筆すべきは船越英一郎サンの存在感である。「歩く土ワイ」と言われるだけあって、2時間ドラマ感が強いものの、スター俳優であるのは確か。アクが強すぎるなど色々言われるが、彼が出てくるだけで、50代以上の視聴者にとっては安心できて、それが二桁視聴率に繋がっているとも。錦戸クンだけではこうはいかない。それにしても、新木優子サンのアシスタント感は異常である。

カンテレ枠の『後妻業』は、実は難しいドラマだ。映画版でヒロイン・小夜子を演じたのは大竹しのぶサンだったが、彼女は心底、憎たらしい女だった。それに比べて、ドラマ版で小夜子を演じる木村佳乃サンは、憎たらしい女を演じているように見える。そう、大事なのは観客に嫌われることであり、嫌われる女に見えることじゃない。これは彼女の演技力云々というより、プロデューサーのキャスティングミスでしょう。コメディほど難しいのです。

『刑事ゼロ』は驚きである。よくあるテレ朝・東映制作の刑事ドラマなんだけど、視聴率は『相棒』に次いで今クール2位。いかにテレビの視聴者が高齢化・保守化しているかということ。申し訳ないが、個人的に全く興味がない。

テレ朝木9の『ハケン占い師アタル』は遊川和彦サンの脚本だけど、視聴率は今のところ平均10%そこそこと、可もなく不可もなく。多分、遊川サン自身が一番分かってると思うけど、ちょっと話の展開に無理がある。要は『女王の教室』(日テレ系)とか『家政婦のミタ』(日テレ系)とかと同じ路線を狙っているんだけど、今ひとつフォーマットが作れてない。杉咲花サン始め、役者陣はよくやってるけどね。

TBS火10の『初めて恋をした日に読む話』は正直、ちょっとイタい。深キョン36歳は驚きだし、全然そうは見えないが、なんだろう、魔法が切れた感じ。今回の深キョンはメイクが完璧だったり、髪型が決まりすぎたりして、隙が見えない。でも、逆にそこに、役者としての“隙”が見える。例えば今回、『アンナチュラル』(TBS系)の石原さとみサンみたいに、ナチュラル路線にイメチェンするチャンスだったかも――。

『メゾン・ド・ポリス』(TBS系)は金ドラにしては珍しい、安定の刑事モノ。比較的、作家性の強い作品が多い同枠だけど、いよいよ背に腹は代えられなくなったか。

さて、本コラムのオーラスは、フジ木10の『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』である。実に不思議なドラマだ。昨今流行りの弁護士ドラマの触れ込みだが、弁護士感は皆無。それより気になるのは脚本である。出演者の一人にバカリズムさんがいるが、今回は彼の脚本ではない。なのに、妙にバカリズム脚本に近づけようとする意図が見え、しかも全く、面白くない。実に不思議なドラマである。

――とはいえ、まっ、いろいろあるから、連ドラの世界は面白いワケで。4月クールも乞うご期待。
またお会いしましょう。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第49回 3回目の視聴率の正体

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いきなりで申し訳ないが、まずは昨年――2018年の年間視聴率ベスト10(ビデオリサーチ・関東地区のデータを基に、事実上の同一番組を省くなど編集)を見てもらいたい。

1位 ロシアW杯 日本×コロンビア   NHK 48.7%
2位 ロシアW杯 日本×ポーランド   フジ  44.2%
3位 NHK紅白歌合戦(2部)      NHK 41.5%
4位 NHK紅白歌合戦(1部)      NHK 37.7%
5位 ロシアW杯 日本×ベルギー    NHK 36.4%
6位 平昌五輪 男子フィギュアフリー NHK 33.9%
7位 ロシアW杯 日本×セネガル    日テレ 30.9%
8位 平昌五輪 開会式        NHK 30.1%
9位 箱根駅伝 復路         日テレ 29.7%
10位 箱根駅伝 往路         日テレ 29.4%

――いかがだろう。ワールドカップに紅白にオリンピックに箱根駅伝……と、まぁ、言われてみればそうだろうな、という強力ラインナップである。

それにしても、世間で「テレビ離れ」が叫ばれる中、こうして年間視聴率の10傑を改めて眺めると、テレビはまだまだ捨てたもんじゃないと思ってしまう。何が驚きって、ここ10年ほど、テレビを取り巻く環境が激変しているのにも関わらず――これら10傑の視聴率はさほど変わってないこと。いや、むしろ紅白や箱根は近年、微増傾向にあるくらいである。

本当にテレビ離れは起きているのだろうか?

生放送・大型番組・SNS

もう、何度か当コラムでも触れてるけど、アメリカの国民的イベント『スーパーボウル』は2010年以降、それまでの40%台前半から、40%台後半に視聴率がハネ上がった。(もっとも、ここ2年はネット経由の視聴が増えたせいで、テレビの視聴率自体は下落傾向にあるが)
ハネ上がった要因として考えられるのは、SNSの爆発的普及である。SNSによって他人の視聴動向が可視化されるようになって、お茶の間が「今、この瞬間、みんなと同じ番組を見ている!」という新たな喜びに目覚めたから。そう、人は元来、他人と楽しみを共有したい生きもの――。

――とはいえ、全ての番組がSNSの恩恵に与かるワケではなく、番組のジャンルによって効果の大小はある。で、最もSNS効果のある番組が“生放送の大型番組”なのだ。要するに、メジャーなスポーツ大会の生中継や、生放送の音楽祭の類い。まず、それらは元より視聴者の母数が大きいので、皆で楽しみを共有しやすい。そして生放送なので、テレビの原点である「次に何が起きるか分からない楽しみ」も味わえる。結果――“祭り”が生まれる。

お祭り番組は昔から強い

そこで、改めて冒頭に示した年間視聴率10傑を眺めると――全てが生放送の大型番組であることに気が付く。そう、どれもSNSによって“祭り”化した番組なのだ。昨年の紅白が盛り上がったのは、オーラスでサザンが「勝手にシンドバッド」を歌っているところにユーミンが飛び入りして、“奇跡のセッション”に会場が祭り化したから。そう、これぞ生放送の醍醐味。

要するに――テレビ離れが叫ばれる中にあっても、その種のお祭り番組は、まだまだテレビに圧倒的なアドバンテージがあるということ。ネットもスマホもこの分野では敵わない。そもそもアクセスが集中したら、ダウンしちゃうしね。賭けてもいいけど――来年の「2020年東京オリンピック・パラリンピック」も大いに盛り上がる。今は「五輪なんていらない」と言う人も多いけど、大体、オリンピックなんていつも開幕直前まで盛り上がらないもの。祭りはリアルタイムでこそ力を発揮するのです。

思えば、テレビ黎明期――街頭テレビの力道山のプロレス中継に2万人もの観衆が押し寄せたそうだが、その頃からテレビの強みは何ら変わっていないのである。

3度目の視聴率の正体

――というワケで、今回のTVコンシェルジュは、テレビの視聴率を取り巻く最新事情に迫りたいと思います。
テレビ離れが叫ばれる中、現状、視聴率の取れる番組とはどういうものか。視聴率の最新事情はどうなっているのか。そして――視聴率によって番組作りはこの先、どう変化するのか?

実は、当TVコンシェルジュは過去に2度、「視聴率の正体」と題したコラムを書いています。今回が実に3度目である。
1度目は、フジテレビが台頭した1980年代以降のテレビ視聴率を担ってきた“テレビエイジ”と呼ばれる昭和30年代生まれの人たちに着目し、2度目はSNSと視聴率の相関関係に言及し、その影響力は視聴者全体のわずか5~10%に過ぎず、テレビの視聴率の9割は“リーチ”と呼ばれるテレビの引力の強さとハードルの低さが生み出している――と説いた。

で、3度目の今回は、改めて視聴率の現状を整理して、視聴率が誘うテレビの未来に思いを馳せようという次第――題して「3度目の視聴率の正体」である。

日テレを追い上げるテレ朝

さて、近年のテレビ視聴率を取り巻くトピックスとしては、ここまで説明したように、昨年の『紅白』や今年アタマの『箱根駅伝』に象徴されるように、「生放送の大型番組」の強さが改めてクローズアップされたのと――もうひとつ、テレビ朝日の堅調さが挙げられると思う。

そう、テレ朝だ。
ここ2年ほど、同局の視聴率は上向き傾向にあり、日テレを脅かしている。ちなみに、2018年の年間視聴率は、日テレが辛うじて5年連続年間三冠王を守ったものの、「全日」(6:00 – 24:00)・「ゴールデン」(19:00 – 22:00)・「プライム」(19:00 – 23:00)の全部門でテレ朝に追い上げられ、中でも「全日」では0.2ポイント差まで迫られた。

その原動力は、テレ朝の朝帯の2つの帯番組『グッド!モーニング』『羽鳥慎一モーニングショー』と、午後帯に3枠あるドラマの再放送である。いずれも視聴率で民放の同時間帯の上位を占めている。いくら夜のプライムタイムで日テレのバラエティが視聴率を稼いでも、全日に均したらテレ朝に肉薄されるのはそういうことである。

カギは東映制作刑事ドラマ

中でも注目は、午後帯に3枠もあるドラマの再放送枠だ。
ご存知、『相棒』を始め、『科捜研の女』などの東映制作の刑事ドラマが、のべつ幕なし放映されている、あの枠である。

驚くべきは、そのランナップの豊富さだ。
先の2つのドラマを始め、『警視庁・捜査一課長』、『特捜9』(『警視庁捜査一課9係』の後継番組)、『遺留捜査』、『刑事7人』、『刑事ゼロ』等々が並ぶ。いずれも複数シーズンを持つドラマなので、毎日再放送しても、弾が尽きることはない。

もちろん、それらのドラマは、本放送でもちゃんと数字を残している(だからシリーズが続いている)。ちなみに、直近シリーズの平均視聴率は――『相棒』が平均15.3%、『科捜研の女』が平均12.5%、『警視庁・捜査一課長』が平均12.8%、『特捜9』が平均14.0%、『遺留捜査』が平均11.8%、『刑事7人』が平均11.8%、『刑事ゼロ』が平均11.6%――と、見事にどれも二桁である。

昨今、二桁に乗せれば御の字と言われる連ドラの世界にあって、この安定感は特筆ものだ。
それにしても、これらのドラマがSNSでトレンド入りすることなどほとんどなく、比較的地味な存在なのに――なぜ、こんなに強いのか。

オーバー65の巨大マーケット

まぁ、これは各所で散々言われてることだけど――ずばり、それらのドラマを支えているのは高齢者なんですね。即ち、国連の世界保健機関(WHO)が定めるところの「オーバー65」の人たち。団塊の世代を核とする彼らの人口は多く、その視聴動向が視聴率に及ぼす影響は測り知れない。

例えば、『科捜研の女』が20年にも渡って人気を維持しているのは、65歳以上の彼らにしてみたら、主人公・榊マリコを演じる53歳の沢口靖子サンは、まだまだ“ムスメ”みたいなものだから。『水戸黄門』で「かげろうお銀」役の由美かおるサンが59歳まで入浴シーンを演じたのも同様である。

とはいえ、彼らオーバー65の視聴動向を探ろうにも、現状、年代別の視聴者を表すデータは、ビデオリサーチ社では、50歳以上は、M3(50歳以上男性)とF3(50歳以上女性)に一括りにされている。今や、日本の総人口で50歳以上の割合は半数近く。2023年には彼らが過半数を超えるとされる巨大マーケットなのに――オーバー50で一括りするのはどうかという声はある。

中高年と高齢者で異なる視聴習慣

そこで、最近注目されているデータが、関東2000世帯5000人超の視聴率を調べているスイッチ・メディア・ラボという会社が算出している指標である。そこでは50歳以上のうち、65歳未満(中高年)を「M3-」「F3-」と表記し、65歳以上(高齢者)を「M3+」「F3+」としている。

――で、早速それが生かされた記事が先日、ヤフーニュースに上がっていた。
メディア・アナリストの鈴木祐司サンが書いた『相棒』と『3年A組―今から皆さんは、人質です―』の視聴者層を比較するコラムで、スイッチ・メディア・ラボのデータを引用したグラフが掲載されていた。
そこで興味深かったのは、『相棒』を見ているのは圧倒的に65歳以上のM3+とF3+層が多く、65歳未満のM3-やF3-層には、思ったほど見られていないこと。反対に、『3年A組』はM3-やF3-層に比較的多く見られる一方、M3+とF3+層にはまるで見られていなかったのである。

そう、ひと口にオーバー50と言っても、65歳を境にその視聴動向は大きく異なっていたのである。

昭和30年を起点とするテレビエイジ

65歳といえば、1954年(昭和29年)生まれである。その前後で、世代が大きく異なるということ。そこで思い出されるのが――以前、本連載で書いた「視聴率の正体、テレビエイジ」と題したコラムだ。

あの時は、「昭和30年生まれ」を起点にテレビエイジが誕生したという文脈だった。彼らは物心つく頃に家にテレビがやってきて、ひな鳥の刷り込みのごとく、テレビが娯楽のお手本となり、以後ずっとテレビと共に育った世代である。鉄腕アトムを始め、ウルトラマン、花の中三トリオ、新御三家、ジュリー、ショーケン等々が、彼らにとってのアイドルだった。

オーバー65は時代劇エイジ

それに対して、テレビエイジ以前――昭和30年より前に生まれた世代(65歳以上)は、最初に目にした娯楽が映画である。そう、当時は映画全盛期。定番はチャンバラ――時代劇で、スターとは時代劇スターを指し、月形龍之介を始め、阪東妻三郎、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫らが今で言うアイドルだった。

こちらも同様に、ひな鳥の刷り込みじゃないけど、彼らはその後のテレビ時代を迎えても、ひたすら時代劇を好んで見続けたのである。『水戸黄門』や『銭形平次』、『遠山の金さん』、『大江戸捜査網』――etc. 先のテレビエイジに対抗するなら、いわば彼らは「時代劇エイジ」である。

え? それなのに、今じゃ65歳以上の彼らは、刑事ドラマを見てるじゃないかって?
そこだ。そこに65歳以上の巨大マーケットを解くカギがある。

東映刑事ドラマはかつての東映時代劇

東映の刑事ドラマの特色は、一話完結の勧善懲悪スタイルである。
主人公や仲間たちが所属する部署はちょっとアウトローな立ち位置で、普段の彼らは、それほど仕事ができるようには見えない。だが、一度事件が起きると、市井の人々に紛れて情報収集し、襲い掛かるピンチを華麗なアクションで切り抜け、最後は見せ場となる主人公の名推理で犯人を逮捕――これ、実は時代劇の文法とほぼ同じなんですね。

そう、かつての時代劇が、今の刑事ドラマなのだ。
戦後の映画全盛期、東映の娯楽時代劇は大衆人気を博したが、そのフォーマットを受け継いだのが、今の東映制作の刑事ドラマというワケ。つまり、オーバー65の視聴者が東映刑事ドラマを好むのは、そこにかつての東映時代劇を重ねているからである。

昨今、時代劇が民放の地上波から姿を消したと言われるが、何のことはない。時代劇が、刑事ドラマに進化しただけの話である。かつての恐竜が鳥に進化して、今も大空を支配しているように――。

テレ朝に謎の暗雲

軽くまとめます。今の時代、視聴率を稼ぐには、団塊の世代を中心とするオーバー65(高齢者)の巨大マーケットを狙うのがいい。チャンバラ映画で育った「時代劇エイジ」の彼らは、同じ文法で作られた勧善懲悪の刑事ドラマが大好物。現状、それで成功しているのが、テレ朝である――。

だが、ここで思わぬ不測の事態が起きる。
先に行われた3月の年度末の定例記者会見で、同局の角南源五社長は厳しい表情でこう発言したのだ。
「営業的にはスポットが低調で厳しい1年でした。広告収入全体としては減収となりそうです」

――え? 視聴率が好調で、日テレとの差を詰めた2018年のテレ朝が、肝心の広告収入は前年比減収だって?
これは一体、どういうことか。

世帯視聴率の終わりの始まり

話は1年ばかりさかのぼる。
――2018年4月、ビデオリサーチが関東地区の視聴率の測定方法を従来の「世帯視聴率」から、「P+C7」に変更した。Pとは「番組」、Cは「CM」、7は「7日間以内の視聴」のこと。これにより、テレビ局の側も広告主との間で、その新しい視聴率の取引指標を用いることになった。

大きく変わった点は、次の2点である。
① 世帯視聴率から個人視聴率へ移行する
② タイムシフト視聴率をスポットCMのセールスに反映させる

個人視聴率とは、従来の世帯視聴率が家族全員を一括りにカウント(その世帯が番組を見ていたか?)するのと違い、家族の中で誰が見ていたかを表す数値。そのデータは性別や年齢別で区分けされる。

一応、従来の世帯視聴率も引き続き扱うので、表向きは、僕ら視聴者には何も変わってないように見えた(ネットニュースなどで扱われる数字は世帯視聴率のまま)。要は、テレビ局が広告主との間で扱う指標が変わっただけである。

だが、これが2018年のテレビ界に大きな変化をもたらすことになる。
カギは“個人視聴率”である。

10代に届いた『今日から俺は!!』

2018年、日テレの連ドラは、どれも平均視聴率が一桁に終わった。
こう書くと、ヒットドラマがまるでなかったように思われるが、そうではない。例えば、10月クールに放映された日曜ドラマ『今日から俺は!!』は、終盤にかけて盛り上がり、最終回は12.6%と自己最高を更新。平均視聴率も9.9%と二桁まであと一歩のところまで迫ったのである。

同ドラマ、何より収穫だったのは、学園ドラマらしく、10代の若者たちに比較的よく見てもらえたこと。さすがにメインの視聴者は、原作(88年~97年)をリアルタイムで知るF2層(35~49歳女性)とM2層(35~49歳男性)だったが、女子高生たちが「TikTok」で同ドラマの主題歌「男の勲章」の振付を踊るなど、10代の若者たちにもちゃんと届いたのである。

若者向けドラマをもたらした個人視聴率

実際、同ドラマは平均視聴率こそ、あと一歩で二桁に届かなかったものの、それは若者の人口がそもそも少ないため。一方、個人視聴率で見ると、10代の支持がはっきり見えたのである。

その結果、2018年の日テレは、全体では前年より視聴率を落としたのにも関わらず、広告収入は前年比横ばいと安泰だった。それをもたらしたのは、『今日から俺は!!』に代表される、若者をターゲットにした番組に広告主が好感を示したからである。
つまり――2018年4月から、広告主と個人視聴率で取引されるようになったので、日テレは彼らの求める若者向けの番組を果敢に作った。そして、狙い通りに若者に届いたことが個人視聴率で可視化されたので、そこに広告が集まったのである。

そう、近年の若者のテレビ離れは、裏を返せば、「テレビの若者離れ」でもあった。それが、個人視聴率の導入で、テレビ局は再び若者向けの番組を作れるようになったのだ。このパラダイムシフトは大きい。

若者向けに、メジャー感のある番組を仕掛ける

もちろん、ただ若者向けに番組を作ればいいという単純な話ではない。『今日から俺は!!』がウケたのは、単に学園ドラマを福田雄一テイストで包んだだけではなく、プロデューサーのハンドリングで、普段の福田作品ほどサブカルに走らず、比較的原作に忠実に脚色するなどメジャー感のあるエンタメ作品に仕上げたから。だから10代にもちゃんと届いたのだ。

これが、以前までの日曜ドラマのテイストなら、もっとエッジを立たせて、キャストももう少し冒険していただろう。

同じ日曜ドラマの、1月クールの『3年A組―今から皆さんは、人質です―』もそうだ。ストーリー自体は冒険的だったが、メイン2人は菅田将暉と永野芽郁というメジャーなキャスティング。エッジを立たせつつも、同時にドラマとしての安心感もあった。

そう、カギはメジャー感の創出にある。若者を狙いつつも、ちゃんとヒットさせる定石を踏む。それを至らしめるのは、個人視聴率が導入された今、番組が面白ければ、正当に評価され、ちゃんとお金が付いてくるからである。

視聴深度が評価され始めた

もうひとつ――2018年4月のテレビ局と広告主の視聴率の取引指標の改定で、番組作りに影響を及ぼした事実がある。
それは、先に記した「タイムシフト視聴率をスポットCMのセールスに反映させる」から生じた――“視聴深度”の深い番組への正当な評価である。

視聴深度とは、視聴率では計れない、視聴者の番組への思い入れを指す。要は、たまたまヒマだったからオンエアを見た視聴者も含まれるリアルタイム視聴と異なり、タイムシフト視聴だと、わざわざ録画したり、ネットで後追いするなど能動的な視聴者の割合が多くなる。つまり、タイムシフト視聴率の割合の高い番組は、視聴深度が深い番組ということになる。

2018年、それが最も可視化された番組が、あのドラマだった。

タイムシフトとSNSで可視化された『おっさんずラブ』人気

それは、テレ朝の『おっさんずラブ』である。
例えば、同ドラマの第5話はリアルタイム視聴率が3.9%である一方、タイムシフト視聴率は4.0%もあった。つまり、タイムシフトがリアルタイムを上回ったのだ。それほど、同ドラマには能動的な視聴者が多く、視聴深度が深かったのである。

加えて、同ドラマはSNSもバズった。なんと、ラスト2回はツイッターで世界トレンド1位に。視聴率こそ平均4.0%と、深夜ドラマの範疇を超えなかったものの、SNSではプライムタイムのドラマを軽く凌駕したのである。

そして、同ドラマが真に凄かったのは、放送終了後。DVD&Blu-rayを始め、オフィシャルブックやLINEスタンプなど番組公式グッズがバカ売れ。主演を務めた田中圭サンの写真集は重版され、今夏の映画化も決定した。極め付けは、「コンフィデンスアワード・ドラマ賞 年間大賞2018」において、最も優れたドラマに贈られる作品賞に輝いたのである。

王道の恋愛ドラマで“メジャー感”を創出

『おっさんずラブ』を生んだのは、先の広告主の視聴率の取引指標の改定で、タイムシフト視聴率もスポットCMのセールスに反映されるようになった要因が大きい。
つまり――例え、深夜ドラマでリアルタイム視聴率は低くても、タイムシフト視聴率の割合が高ければ、視聴深度の深いドラマとして、正当に評価される時代になった。要は、お金が付いて回るようになったのだ。

そうなると、作り手の側も「深夜ドラマだから」と、単なる奇策で話題性を煽るのではなく、ちゃんと視聴者のハートを掴んでお金を稼ごうと、前向きな思いになる。同ドラマのプロデューサーの貴島彩理サンは、作品作りへの思いをこう語る。
「現代の男女の恋愛観を切り取ろうとした企画が、たまたまおっさん同士の純愛ドラマになっただけ。“王道の恋愛ドラマ”として、老若男女だれもが経験したことがある“恋する気持ち”をまっすぐ描くということを掲げて作ってきました」(出典:第12回「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」作品賞受賞コメント)

――これだ。ここでも見えてくるのは“メジャー感”の創出である。事実、同ドラマはいわゆる「BLドラマ」といったクローズドなマーケットではなく、ごく普通のOLたちが夢中になった。正攻法で勝負して、ちゃんと評価されたのである。

2019年の視聴率の正体のまとめ

――以上、現段階における最新の視聴率の正体に迫りました。
まとめると――

① 「生放送の大型番組」はSNS効果もあって、“祭り”化しやすく、ネット時代の今もテレビに圧倒的なアドバンテージがある。その傾向はますます強まっている。来年の「2020東京オリ・パラ」も開幕直前までは静かだろうが、始まればライブ=祭り効果で間違いなく盛り上がる。

②単純に世帯視聴率を稼ぎたいなら、オーバー65の巨大マーケットを狙うのがいい。チャンバラ映画で育った「時代劇エイジ」の彼らは、同じ文法で作られた勧善懲悪の刑事ドラマが大好物。それで結果を出しているのがテレ朝。

③ 但し、2018年4月からテレビ局と広告主の視聴率の取引指標が改定され、「個人視聴率」と「タイムシフト視聴率」が新たな基準になった。それにより、「若者向けの番組」や「深夜番組でも視聴深度の深い番組」が世帯視聴率に関わらず、正当に評価(=予算が投下)されるようになった。

④ それゆえ、従来なら視聴率が取れないことを理由に「エッジの立った」番組作りに向かっていた、それらの作り手たちが、正当に評価されるならとメジャー志向に転じ、普通の人たちにウケる番組作りを始めた。

――と、そんなところである。どうだろう。悪くない傾向じゃないだろうか。
この先、テレビの若者離れが解消され、深夜番組にも十分な予算が当てられ、ますますテレビ界は面白くなりそうである。

そう、テレビの未来はきっと明るい。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第50回 4月クール連ドラ反省会

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さて――記念すべき50回目の「指南役のTVコンシェルジュ」である。

思い返せば、本コラムの第1回が、2016年3月10日。「テレビはオワコン!?」と題して、テレビを時代遅れなメディアと捉えがちな昨今の風潮に対して、「いえいえ、テレビはまだまだ面白い!」とぶち上げ、以来、テレビに関する様々な“面白がり方”を指南してきました。

お陰様で、そこそこご好評をいただき、連載は早や3年が過ぎ4年目に突入――肝心のテレビの方も、意外と言ったらアレだけど、まだまだ頑張ってます。いや、最近ますます面白くなってるとも――。
そんな次第で、今後とも我が「テレコン」をよしなに。

ドラマのレビューに“復習”があってもいい

さて、50回目ですが、だからと言って何か特別なことをやる気はさらさらなく(笑)、平常運転で参りたいと思います。“いつも通りに、最高の一品を”――これが我が連載のポリシー。

で、今回は「4月クールの連ドラ反省会」で参ります。全部を取り上げても冗長になるだけなので、主要な5作品に絞ります。

え? とっくに終わったクールのドラマをなんで今ごろ取り上げるのかって? いえいえ、勉学に予習と復習があるように、連ドラにも予習と復習があっていいはず。むしろ予習は番宣絡みで、各媒体で散々やるけど、終わった後の復習は意外とやらないもの。ならば本連載でやりましょう。そう、エンタメとは温故知新。反省あってこそ、未来のドラマがより面白くなるのです。

なぜ4月クールにエース級のドラマが揃わなかったか

まず、初めに申し上げておきます。先の4月クールの連ドラ、正直、各局のエース級の作品が揃っていたワケではないんですね。

かつては4月クールというと、年度替わりの大事な改編期だし、各局イチ押しのドラマが揃ったものだけど――近年はその限りじゃない。年の初めにスタートダッシュを競う1月クールや、1年で最も在宅視聴率の高い10月クールの方に、その役割が移りつつある(例えば、テレ朝の『ドクターX』シリーズは決まって10月クールだ)。

その理由はシンプルで、近年、ゴールデンウィークが大型化しているから。祝日法の改正で2007年以降、5月4日がそれまでの「国民の休日」から祝日の「みどりの日」に昇格して、5月6日が振替休日になるケースが増えたんですね。要は、連休が長引くと在宅率が下がり、視聴率も下がるから。近年、やれ8連休だ、9連休だと騒がれる度に、4月クールの連ドラの立ち位置は、徐々に低下していったんです。

そして今年、元号が変わって史上最長の10連休に――。こうなるとみんな遊びに出かけちゃって、もはやテレビどころじゃない。それが分かっていたから、今年の4月クールは例年にも増して、各局ともエース級のドラマの投入を控えたというワケ。

その結果・・・

で、その結果、どうなったかと言うと、以下が主要なドラマのゴールデンウィークを含む前後の視聴率である(※太字がGW期間)。

ラジエーションハウス 11.5%(4/22)→9.1%(4/29)10.8%(5/6)→13.2%(5/13)
わたし、定時で帰ります。 10.4%(4/23)→6.5%(4/30)→8.4%(5/7)
インハンド 9.1%(4/26)→7.7%(5/3)→9.0%(5/10)
俺のスカート、どこ行った? 10.9%(4/20)→9.7%(4/27)7.9%(5/4)→8.6%(5/11)
いだてん 8.7%(4/21)→7.1%(4/28)7.7%(5/5)→8.7%(5/12)
なつぞら 22.5%(4/22~27)→20.7%(4/29~5/4)→21.3%(5/6~11)

――ほら、ね。予想通り、見事にGW期間中、どのドラマも視聴率を下げちゃった(そしてGWが終わると再上昇)。ちなみに、JTBによると今年のGW期間中の国内旅行人数、海外旅行人数とも過去最高だったそうで――。

ピンチはチャンス

え? ならば、今年の4月クールのドラマは凡作ばかりだったのかって?
いえいえ、そんなことはひと言も申し上げておりません。単に、スター俳優や大御所の脚本家先生が登板しなかっただけで、こんな時こそ、逆に作り手としては、かねてから温めていたアイデアが試せるというもの。

例えば、キャリアは浅いが有望な若手脚本家を起用できる絶好の機会だし、目を付けていた若手俳優を重要な役に抜擢できる。むしろ“行政”(テレビ局と芸能プロダクションのバーターを含む阿吽の取引)が減ることで、作り手としてはフリーハンドの余地が増える。そう、ピンチはチャンスなのだ。

そんな次第で、先の4月クール、意欲的な作品もそこそこあったんですね。順を追って、解説していきましょう。

なぜ『あな番』は2クールなのか

まず、4月クールで最も面白かったドラマ、それは日テレの日曜ドラマの『あなたの番です』で間違いないでしょう。

もっとも、同ドラマは2クール放映なので、まだ継続中である。今のところ、前半の「第1章」が終わっただけで、7月クール(6月30日スタート)から「第2章」に移行している。
それにしても、なぜ1クールが定番の連ドラの世界にあって、同ドラマは2クールなのか?

企画・原案は秋元康サンである。思うに、2クール展開は、世界のエンタテインメントと接する機会も多い秋元サンなりの戦略だろう。今や世界の連ドラ市場は、Netflixが火を点けた空前の巨大マーケットへと成長。1シリーズあたりの制作費が100億円なんてことも珍しくない(日本は1クール3~4億円)。それだけ投資しても、ちゃんと回収できるだけの巨大市場なんですね。

バスに乗り遅れるな

ただ、日本の現状はどうかと言うと、バスに乗り遅れているのが正直なところ。大きな理由は2つある。前もこのコラムに書いたけど、1つは広告費で賄う日本の民間放送のビジネスモデルがある意味盤石で、伸びしろはないものの、国内市場だけで一応食べていけること。
もう1つは、日本の連ドラはリスク回避から1クール(10話程度)が多く、世界の連ドラ市場で取引されるのは基本2クールなので、流通に乗りにくいこと。

とはいえ、日本の連ドラ市場もいつまでも安泰である保証はなく、テレビの広告費もこの先、ますます縮小が予測されるので――日本も早くバスに乗るべきなのは、テレビ関係者は皆、分かっている。そのためには、まずは2クールドラマを作らないといけない。

――で、今回、秋元サンと日テレが手を組んで、リスクを承知の上、世界に売るための2クールドラマを仕掛けたという次第。枠は、このところ『今日から俺は!』と『3年A組』と、2期連続で結果を出している同局のチャレンジ枠――「日曜ドラマ」である。

交換殺人ゲームとは

ドラマ『あなたの番です』は、とあるマンションを舞台に繰り広げられる新手のミステリーだ。
脚本は、劇作家で脚本・演出家の顔も持つ福原充則サン。テレ東の伝説のカルトドラマ『SICKS~みんながみんな、何かの病気~』のシリーズ構成・脚本も手掛けた異色の才人である。ある意味、異色ドラマの書き手として、これほど相応しい人もいない。

物語は、15歳の年の差新婚カップル、手塚菜奈(原田知世)と翔太(田中圭)が引っ越してくるところから始まる。挨拶のために、マンションの住民会に参加する菜奈。そこで、ひょんなことから「交換殺人ゲーム」に発展する。
「交換殺人」とは、ミステリー用語で、互いに殺したい相手を交換して殺害する行為をそう呼ぶ。犯人に動機がないので、容疑者として疑われにくいというメリットがある――。

ジョークが現実に

もちろん、ゲームはジョークだ。会の参加者13人は、「誰だって一人くらいは殺したい人物がいる」と、投票用紙にその名前を記入し、無記名で投票。シャッフルして、くじ引きのように1人一枚ずつ引いた。本来なら、それで終わるはずの、ほんの些細なユーモアだった。

ところが――その夜、ゲームの参加者の一人である管理人が不可解な死を遂げる。そして、例の投票用紙が一枚、マンションの掲示板に貼られていたのだ。そこには「管理人さん」の文字――。

ドラマは、それを起点に、不可解な殺害事件が次々と起こる驚愕の展開に。住民たちの間で「本当に交換殺人が行われているのか?」「次は誰が殺される?」「犯人は誰?」と、疑心暗鬼が渦巻く――というプロットである。

元ネタはヒッチコック

映画好きの人なら、ここであの作品を思い出すだろう。そう、アルフレッド・ヒッチコック監督の不朽の名作『見知らぬ乗客』だ。
かの作品、まさに「交換殺人」を描いたもの。多分、『あなたの番です』は、これを元ネタにしている。なに、エンタメの基本は温故知新。旧作をオマージュして、現代風にアップデートする手法は王道中の王道。何ら問題ない。

ちなみに、『見知らぬ乗客』のストーリーを簡単に説明すると――テニスプレイヤーの主人公ガイ(ファーリー・グレンジャー)は、かねてより奥さんと上手くいっておらず、離婚したがっている。ある日、彼は列車で移動中に、ファンと称するブルーノ(ロバート・ウォーカー)と出会う。そして雑談するうち、ブルーノから「自分も父親を憎んでいる」と交換殺人を持ちかけられる――という話である。

交換殺人の面白さの肝

もちろん、ガイはこの提案を冗談と解釈し、「完璧なアイデアだ」なんておどけて返し、2人は別れる。しかし後日――本当にブルーノはガイの奥さんを殺してしまい、ガイに「次は君の番だ」と、ストーカーのように付きまとい始める。犯人が次第にサイコパス化するのがこの映画の肝で、ヒッチコック流のゾクゾクする怖さがある。

そう、「交換殺人」の面白さの肝は、冗談で話していたことが本当に実行されてしまい、「次はあなたの番だ」と主人公が脅されるところにある。
実際、ドラマ『あなたの番です』も、ゲームの参加者の一人、藤井(片桐仁)は殺したい人物として、知人でタレントとして活躍する医師の山際の名前を書いたところ――本当に殺害され、それから連日、正体不明の何者かに「あなたの番です」と書かれたメッセージが届いて、とうとうノイローゼになる。

1+1=3

もっとも、『あなたの番です』が秀逸なのは、単にヒッチコックの名作をオマージュしただけに止まらず、そこに“連続殺人”というアイデアを付加したこと。その結果、全く新しいクリエイティブが生まれたのである。

どういうことか。まず、『見知らぬ~』の方は2人の「交換殺人」だから、脅迫相手は分かっている。一方、『あなたの~』はゲームの参加者が13人もいるので、誰から脅迫を受けているのか分からない。そう、視聴者は「恐怖」に加え、そこに「謎解き」の要素も提示されたんですね。いわば、1+1が3になるようなもの――これが面白くないはずはない。

ちなみに、ミステリーの世界において、外界から切り離された舞台(吹雪に取り残された山荘など)で殺人事件が起きて、犯人が身内に限定される状況を「クローズド・サークル」と呼ぶが、同ドラマもゲームの参加者13人の中に犯人が限定される意味合いでは、その類型の1つだろう。加えて、被害者が一人ずつ増えていくくだりは、クローズド・サークル劇の傑作、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせる。

視聴率が苦戦する要因

そんな次第で、『あなたの番です』は、相当面白いミステリーの要素が満載なんだけど――残念ながら、視聴率は同枠の前2作に比べると、第1章の平均視聴率が7.0%と、もう一つ盛り上がっていない。

原因の1つは、“マンション内連続殺人事件”という舞台設定の「遠さ」だろう。俗に「テレビドラマとお茶の間は陸続き」と言うが、前2作は学園ドラマで、何のストレスもなく、僕らはドラマの世界に入り込むことができた。
しかし、今回はマンション内における連続殺人事件の話だ。日常的にありえない設定だし、人によってはここで興味を失い、弾かれた視聴者もいただろう。

もっとも、同ドラマの場合、海外展開を考えているので、極めて日本的な学園ドラマよりは、いっそ奇をてらった設定で、広く色々な国の人に見てもらいたい――そんな思惑が働いたのかもしれない。

視聴者はストーリーを見ない?

そして、もう一つの視聴率が振るわない原因――これは、同ドラマに限らず、テレビドラマ全般に通じる話なんだけど――ただストーリーが面白かったり、人気俳優が出ているだけでは、お茶の間は連ドラを見てくれないんですね。

どういうことか。脚本家の倉本聰サンが、上智大学の碓井広義教授との対談本『ドラマへの遺言』(新潮社)の中で、テレビドラマに対してこう警鐘を鳴らしている。
「映画からテレビに移ったときに、映画は〈ドラマ〉だけれど、テレビは〈チック〉が大事だなって思った。〈ドラマチック〉って言葉がありますでしょう? テレビはむしろ〈チック〉のほう、細かなニュアンスを面白く描くのが神髄じゃないかなって」

――おわかりいただけました?
要は、倉本サンは何を言いたいかというと、テレビドラマはストーリーだけでなく、人間同士の細かなやりとり――つまり人間ドラマの方にこそ、お茶の間を惹きつける面白さがあるのではないかと。

言われてみれば、2時間で「序破急」のストーリーを一気に見せてくれる映画と違い、テレビの連ドラは60分×10話=10時間という特殊なフォーマットだ。そんな長丁場を、物語だけで引っ張るのには限界がある。

実際、過去の大ヒットドラマ――『東京ラブストーリー』にしても、『ロングバケーション』にしても、『踊る大捜査線』にしても――よく考えたら、僕らが面白がって見ていたのはメインのストーリーというより、登場人物のキャラや台詞の醍醐味、小ネタの類い――倉本聰サンが言うところの“チック”の方だった。

メタフィクション的遊び

いや、『あなたの番です』が、何もそれら人間ドラマを疎かにしているワケじゃない。同ドラマもそれなりに人物を掘り下げようと試みている。

例えば、同ドラマに散見されるのが、いわゆる“メタフィクション”(フィクションの殻を破る)的な仕掛けだ。このあたりは脚本を手掛ける福原充則サンなりの遊び心だろう。生瀬勝久サン演じる元銀行員の田宮は、学生時代にユーモア劇団に所属し、現在は市民劇団に参加している設定だが、これはもう、学生時代に劇団「そとばこまち」で活躍した生瀬サンのリアルプロフィールと重なる。ちょいちょいアマチュア演劇人にありがちな青臭いネタを挟んでくるあたり、生瀬サンのアイデアも相当入っていそうだ。

また、袴田吉彦演ずる会社員の久住は、普段から「俳優の袴田吉彦に似ている」と周囲から言われることに嫌悪感を抱いている仰天(!)設定だ。そして交換殺人ゲームでは、なんと、その袴田の名前を書いてしまう。これなど少々やり過ぎな感じもするが、かなりチャレンジングである。

主演の一人、田中圭演ずる翔太のキャラも、やたら“子犬感”を強調しているあたり、どう見ても、『おっさんずラブ』で演じた「はるたん」を意識している。そう、あのウザいキャラは確信犯なのだ。

――とまぁ、同ドラマは、そんな“メタフィクション”的アプローチが端々に見られるが、正直それらが評判を呼んでいるとは言い難く、若干滑ってる感じもする。なかなか難しい。同ドラマの視聴率が今ひとつハネないのは、そんな事情もありそうだ。

原田知世の役者魂

とはいえ、同ドラマの最大の売りと言えば――やはり、永遠の“時をかける少女”、原田知世演ずるヒロイン菜奈の存在だろう。このドラマ、彼女の「役者魂」が見られる点でも注目なのだ。

まず、今回の知世サンは、ご承知の通り、かなり思い切った髪型にチャレンジしている。正直、賛否あるが、多分これには理由がある。ただでさえ童顔な彼女(何せ、時をかける少女だ)が、田中圭演じる翔太と“15歳”の年の差婚を演じるとなれば――それなりの老けメイクが必要になるから。恐らく第2章において、その15歳差が、事件に関わる何らかの重要なファクターになる。だからこそ一目見て、彼女がアラフィフと認識できる、あの髪型が必要だったのだ。これぞ役者魂。

そして、もう一つ役者魂――散々ネットニュースでも話題になっていたけど、第1部の10話のラストに訪れた、知世サン演じる菜奈のよもやの“死”である。
これには日本中が驚いた。連ドラの主演俳優が、ドラマの中盤で亡くなるのは、前代未聞だ。同種の例で思い当たるとすれば、アニメの『タッチ』で、主人公の一人、上杉和也が物語中盤で不慮の交通事故死を遂げたくらいか――。

とはいえ、『タッチ』はアニメだ。一方、『あな番』はリアルな役者が関わっている。病気やケガなどのやむを得ない事情じゃなく、単なるストーリー上の都合で、物語中盤で主役をフェードアウトさせるなど、普通は考えられない。だが、その“非常識”を知世サンは受け入れたのだ。これを役者魂と言わず、何と言おう。

第2章への展望

そんな次第で、『あなたの番です』の第2章は、「反撃編」と銘打って、最愛の人――菜奈を殺された翔太の復讐劇が展開される。翔太にとっては、第1章は次々と殺人が起きて謎が深まる受け身の展開だったが、ここからは事件の全容解明に向けた“攻め”の姿勢に転じるというワケだ。

今のところ、公式ページを見るに、今後のキーとなる人物は、第1章のラストで菜奈の死体を翔太と一緒に見つけた、西野七瀬演ずる数学専攻の女子大生・黒島沙和と、彼女と同じ大学でAIの開発をしている工学部の大学院生・二階堂忍(横浜流星)の2人だと思われる。
二階堂は第2章からの登場人物で、マンションに越してきて、翔太の相棒として尽力する。いわゆる「バディもの」における、もう一人の主役という扱いだ。

黒幕は誰か?

もちろん、今後の最大の見所は、事件の「黒幕」捜しである。第1章のラストで、医師の山際を殺したのは、住民会会長の早苗(木村多江)と判明するが、彼女と夫が逮捕された後に菜奈が殺されたとすれば――別に黒幕がいることになる。

ゲーム参加者13人のうち、既に死亡している4人を外すと9人。早苗を除く8人の中に黒幕がいるのか。いや、映画『そして誰もいなくなった』のように、真犯人が物語の途中で亡くなるケースもある。となれば、死者も黒幕の可能性はあるし、極端な話、菜奈の自作自演の線も消えない――とまぁ、僕らの推理は尽きない。

とにかく、『あなたの番です』――未見の人がいたら、今からでも遅くない。Huluで第1章から見るのをオススメします。ひょっとしたら世界に羽ばたいて、日本の連ドラ史の歴史的な一作になるかもしれない同ドラマ。間違いなく面白いので、見ておいて損はありません。

最高の伸び幅だった『わた定』

おっと、少々、『あなたの番です』にページを割きすぎたようだ。ここから先はコンパクトに行きます。

先の4月クール、『あな番』に続いて面白かったドラマと言えば、やはりTBS火曜10時の『わたし、定時で帰ります』でしょう。平均視聴率こそ9.7%と、あと一歩で二桁に届かなかったものの、初回9.5%で入って、最終回が12.5%と3ポイントの伸び幅はクール最高。ひと言で言えば、お茶の間に支持された面白いドラマだったワケです。

 

さもありなん。同ドラマの制作陣は、脚本が『リバース』『夜行観覧車』の奥寺佐渡子・清水友佳子コンビに、演出チーフは『逃げ恥』『大恋愛』の金子文紀D、プロデュースは『アンナチュラル』の新井順子Pと、申し分のない座組。

加えて、主演を務めた吉高由里子の芝居勘の良さ――。よくCMなどのイメージから、彼女はアンニュイな芝居をする女優と思われがちだけど、直近4作を見ると――『ガリレオ(2ndシーズン)』(フジテレビ)、『花子とアン』(NHK)、『東京タラレバ娘』(日本テレビ)、『正義のセ』(日本テレビ)と、思いのほか多様なキャラクターを演じ分けている。しかも、どれもハマり役で、視聴率も悪くない。そう、実は極めて器用で、且つ打率の高い女優さんなんですね。

連ドラの世界では、よく「鶏が先か卵が先か」なる論争がある。良作が名優を生むのか、名優が良作を生み出すのか――ってやつ。それで言えば、吉高由里子という女優は良作を引き寄せ、且つ自らも輝く、作品と相思相愛の関係になれる稀代の役者と言っていいだろう。

ドラマは時代の鏡

そんな次第で、制作陣と主演女優のマンパワーに優れた作品であることはお分かりいただけたと思う。では次に、具体的に『わた定』がヒットした要因を紐解くことにしよう。それは主に2つある。

1つは、タイトルからも分かる通り、時代感だ。わたし、定時で帰ります――サービス残業や働き方改革が問われる昨今、いち早く時流を取り入れたドラマであるのは一目瞭然だ。
俗に「ドラマは時代の鏡」と言われるが、テレビドラマと映画との最も大きな違いが、そこなんですね。“今”という時代が反映されているか否か。

ストーリーよりディテール

実際、同ドラマの舞台はIT企業で、服装は自由で、上下関係もそんなに厳しくなくて――と、見るからに今っぽい。もっとも、メインストーリーは、吉高由里子演ずる結衣が唱える働き方改革だけど、僕らが物語に惹きつけられたのは、それだけじゃない。ディテールだ。

そう言えば、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙が「どうして定時で帰るだけでドラマになるのか?」なんて、『わた定』を皮肉交じりに報じていたらしいけど、先の倉本聰サンの言葉を借りれば、ドラマチックの「チック」のほう、細かなニュアンスやディテールがちゃんと描かれていたからなんですね。むしろ、みんなが定時で帰れるようになる物語のゴールよりも、その周りで展開される人間ドラマの方に、僕らは惹かれたんです。

ラウンドキャラクターたちが織りなすドラマ

そして、同ドラマがヒットしたもう1つの要因――それは、登場人物たちが“ラウンドキャラクター”だったから。

前にも一度、本連載で『3年A組』を取り上げた際に、ラウンドキャラクターについて説明したけど、要するに、一つの顔しか見せない記号的なフラットキャラクターに対して、複数の顔を持つ、より深みのある役がラウンドキャラクター。そして『わた定』は、そんな人々が織りなす人間ドラマだったんです。

例えば、シシドカフカ演ずる三谷という結衣の同僚は、仕事のない就職氷河期を経験しているので、仕事に対して常に全力投球。同僚や後輩にもその価値観を押し付ける。この辺りはシシドさん定番のドSキャラと思いきや――実は子供のころから皆勤賞で、常に自分の居場所がなくなる不安を抱える弱さも持っている。そんな彼女の二面性が、ドラマをグッと面白くした。

そうかと思えば、泉澤祐希演ずる新人の来栖は、教育係の結衣から何か注意されると、すぐに辞表を出したがる。任された仕事も、思い通りに進まないと、プイッと拗ねる。あぁ、典型的な新人ちゃんと思いきや、一方で他人思いのいいヤツだったり、素直すぎて仕事に熱くなったりと、彼もまた多面的な顔を持つ。

向井理史上最高のハマり役

また、向井理演ずる、結衣の元婚約者で上司の種田もそうだ。
仕事は有能、部下に優しく、人当りもいい万能キャラだが、組織の負の部分をすべて自分一人で背負い込もうとしたり、結衣に自分の思いを伝えきれなかったりと、物語の終盤、彼の優しさがことごとく裏目に出る。完璧だけど、実は不器用。向井理史上最高のハマり役と言われたのも分かる気がする。

極めつけは、ユースケ・サンタマリア演じる部長の福永だ。やる気や根性で仕事をカバーしたがる典型的な古いタイプの上司だが、最終回で「仕事があれば、みんな幸せになれると思っていた。本当は社長も部長も向いてなかった」と、ホンネを吐露――。

そう、同ドラマは、そんな人間臭い彼らが織りなすディテールが、すこぶる面白かったんです。

月9復活は鈴木雅之演出のおかげ

日テレ、TBSと来て、続いてはフジテレビだ。
先の4月クール、視聴率的には、フジの月9『ラジエーションハウス』が平均12.2%と大健闘。これで同枠は4クール連続2桁視聴率と、月9完全復活を印象付けた。

さて『ラジエーションハウス』、なぜ、こんなに数字が取れたかと言うと、放映中から評判になっていたけど、かつての木村拓哉主演の『HERO』を彷彿とさせたんですね。

さもありなん。演出チーフは『HERO』と同じ鈴木雅之サンだし、『HERO』の検事に対して、こちらは放射線技師と、共に縁の下のヒーローもの。主人公は型破りの天才だし、群像劇だし、ちょいコメディテイストだし、画面はシンメトリーを多用と、共通項は多い。おまけに『HERO』で検察事務官を務めた八嶋智人サンが、こちらではナレーションだ。

そう、これらは全て演出チーフの鈴木雅之サンの確信犯なんですね。視聴率の取れるドラマを模索した結果、かつて自身が演出した全話30%超えの伝説的ドラマ『HERO』に行き着いたというワケ――。

脚本・大北はるかという逸材

――とはいえ、連ドラというのは、全ての回を一人で演出するのは稀で、大抵、複数のディレクターで分担する。で、同ドラマが顕著だったのは、鈴木雅之サンの演出回と、そうでない回とで、まるでテイストが違ったこと(笑)。鈴木演出回はシンメトリー使いまくりで、八嶋サンのナレーションにも切れがあり、全体にコメディ臭が強かった。ちなみに、以下が各回の脚本家と演出家と視聴率の比較である。

話数     脚本家    演出家    視聴率
1話     大北はるか  鈴木雅之   12.7%
2話     大北はるか  鈴木雅之   12.3%
3話     大北はるか  金井紘    11.5%
4話     村上優    金井紘    9.1%
5話     金沢達也   野田悠介   10.8%
6話     大北はるか  鈴木雅之   13.2%
7話     村上優    金井紘    11.4%
8話     大北はるか  関野宗紀   13.3%
9話     村上優    野田悠介   11.5%
10話     大北はるか  金井紘    13.3%
最終話    横幕智裕   鈴木雅之   13.8%

――これを見ると、鈴木演出回の視聴率の高値安定感は言わずもがな、脚本家の大北はるかサンが担当した回も数字が高いのが分かる。

ちなみに、大北サンは、2014年に「TBS連ドラ・シナリオ大賞」で入選し、翌年、フジテレビの土曜ドラマ『テディ・ゴー!』で脚本家デビューした若手のホープ。以後、『好きな人がいること』、『刑事ゆがみ』、『グッド・ドクター』と、なぜかフジテレビのドラマでセカンドライターとして経験を積み、この『ラジエーションハウス』でメインライターに。まだ20代の若さで、これからの連ドラ界を背負っていきそうな逸材である。

そう、この4月クールにおける一番の収穫が、実は若手脚本家・大北はるかサンのブレイクだったのだ。

中盤苦戦した『集団左遷!!』

ここから先の話は長くない。
残念ながら、期待されつつも今ひとつだったドラマたちを振り返りたい。その筆頭は、TBS日曜劇場の『集団左遷!!』ではなかろうか。

同ドラマ、平均視聴率こそ10.5%と辛うじて二桁に乗せたものの、中盤は4話連続で一桁を記録するなど、意外なほど苦戦を強いられた。脚本・いずみ吉紘、演出・平川雄一朗の座組は『ROOKIES』と同じで、ドラマのクオリティとしては特に悪いところはなかったのに――。

じゃあ、何が足を引っ張ったかと言うと、残念ながらキャスティングなんですね。端的に言えば、主役の福山雅治サンが主人公のキャラともう一つ合っていなかった、と。おっと、誤解なきよう。何も福山サンの演技が悪いと言ってるワケじゃない。彼の役者としての魅力が、今回はたまたま生かされなかったというだけ。要は、ハマり役じゃなかった。これはもう、プロデューサーの責任以外の何ものでもない。

スター俳優にとって大事なのはハマり役

視聴者がドラマを見る動機として、やはり一番大きいのは主演俳優(女優)なんですね。お茶の間はみんなスターを見たい。
中には、脚本や演出といった裏方さん目当てに見る“通な人”もいるけど、それは三谷幸喜サンや宮藤官九郎サン、福田雄一監督など、裏方と言いつつ、限りなくオモテに近いケース。しかも、それで動かされる人たちは、スター俳優のファンに比べたら、ずっと少ない(彼らの作品が評判の割には、意外と数字が取れないのはそういうこと)。

そして、ここからが本題――。
そんな影響力の大きいスター俳優を起用する際に大事なことは、お茶の間が見たい「ハマり役」で起用すること。よくキムタクのドラマは「何をやっても木村拓哉」と言われるけど、お茶の間はそれを見たいから、全く問題ない。

そもそもハマり役があるのは役者として恵まれたことで、それ即ちスターの証しなんですね。実際、三船敏郎も石原裕次郎も松田優作も、いつも同じ芝居をしていた。逆に言えば、世の俳優と呼ばれる人たちの9割5分くらいはハマり役すら見つからずに、役者人生を終えるんです。

僕たちが見たい福山雅治

それで言えば、スター俳優・福山雅治で僕たちが見たいのは――やはり知的で、クールで、ちょい遊び心のある、お馴染みの役だ。
ほら、『ひとつ屋根の下』のチイ兄ちゃんとか、『古畑任三郎』で演じた車椅子の化学研究員の犯人とか、『美女か野獣』で松嶋菜々子とやり合うディレクターの永瀬とか、最もハマり役と言われた『ガリレオ』の天才物理学者・湯川学とか、それこそ『龍馬伝』の坂本龍馬とか――。

そう、ぶっちゃけ福山サンにはあまり汗をかいてほしくない。いつもクールで、口元に笑みなんか浮かべてほしい。そして、あの魅惑の低音ボイスで物語の核心的なことをサラリと言ってのけ、完全人間と思わせつつ、ちょいハメを外させる――僕たちが見たいのは、そんな福山雅治だ。

よくスター俳優が年を重ねて、性格俳優に転じたり、あえてカッコ悪い役をやりたがるケースがあるけど――正直、お茶の間はそんなのは見たくない。ほら、田村正和サンなんて、若い時から今に至るまで、一貫して「田村正和」を演じているでしょ。アレでいいんです。

『おっさんずラブ』の二匹目のドジョウを狙うも……

さて、4月クールはもう一つ――期待されたのに少々残念なドラマがあった。テレビ朝日の土曜ナイトドラマ『東京独身男子』がそう。

同枠と言えば、思い起こされるのは、ちょうど1年前の4月クールに放映され、社会現象を巻き起こした『おっさんずラブ』である。そう、これも放映前から散々言われていたけど、『東京独身男子』は『おっさんずラブ』の二匹目のドジョウを狙ったのが、見え見えだった。

主演は高橋一生で、友人役に斎藤工と滝藤賢一。3人はそれぞれメガバンク勤務・歯科医・弁護士と裕福ながら、アラフォーで独身という浮世離れした設定だ。それは、明らかに『おっさんずラブ』の主要視聴者である30~40代女子を狙い撃ちしたものだった。

いや、エンタメの基本は温故知新。ヒットしたドラマのエッセンスを模倣するのは悪くない。実際、同ドラマへの期待値は高く、初回視聴率は土曜ナイトドラマ枠としては異例の5.7%という高視聴率。奇しくも、それは『おっさんずラブ』の最終回と同じ数字だった。

ところが――2話で3.2%に急落すると、あとは3~4%台を上下しつつ、最終回は3.5%。結局、一度も初回を超えることはできなかった。いや、それ以上に、放映前の盛り上がりはどこへやら。その後、一度もバズることはなかったのである。

置きに行ったドラマは視聴者に見透かされる

なぜ、『東京独身男子』は失速したのか。
ひと言で言えば、視聴者に見透かされたんですね。「あぁ、これは私たちを狙いに来たのね」って。オシャレで、シュッとしたアラフォー独身男子3人が、ワチャワチャしてたら、それだけで見てくれるだろう――“2匹目の田中圭”はこの3人だ――なんてテレビ局の下心が見透かされちゃった。
そう、安易に置きに行ったドラマじゃダメなんです。

なぜ、『おっさんずラブ』が面白かったかというと、男性同志の恋愛を、あたかも男女の恋愛ドラマのようにピュアに描いたから。そこに一つの発明があった。そして何より――その世界観を、あの吉田鋼太郎サンが大真面目に演じてくれたから。

『おっさんずラブ』にあって、『東京独身男子』になかったもの。それは吉田鋼太郎である。
そう、『おっさんずラブ』がバズったのは、田中圭サンが可愛いアラサー男子「はるたん」を演じたからじゃないんです。アラフィフの吉田鋼太郎サンが乙女のようにピュアだったから。そして、『東京独身男子』が真似るべきは、実はそっちだったんです。

――以上、4月クールの連ドラ反省会でした。その他のドラマは、皆さんが各自で振り返ってください。未来の地図は、過去に埋まっています。

さて、そうこうしているうちに、7月クールのドラマも始まっています。この中から、世界のドラマ市場で戦えるドラマは現れるのか――。

乞うご期待。

第51回 7月クール連ドラ反省会&10月クールちょい感想

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初めに断っておくが、10月クールの連ドラも絶賛放送中のタイミングに、今さら7月クールの連ドラの話をするのは、決して原稿が遅れたワケ――である。ハイ、その通りです。遅れちゃった。ごめんちゃい。申し訳ない。だが、心配はいらない。

そもそも、これだけネットでテレビドラマが見られるようになった昨今、もはや“〇月クール”にこだわることなど、ナンセンスなのだ。今やNetflixやHulu、Paraviなどの動画配信サイトに加入すれば、新作から旧作まで、いつの時代のドラマだって見ることができる。別にオンタイムの視聴にこだわる必要などないのだ。

いや、何も開き直っているワケじゃない。実際、全てのドラマをオンタイムで見ている人間など、この世に皆無なのだ。一週間にオンエアされる新作ドラマの数は、深夜ドラマまで入れると30本近く。断言しよう、その全てに目を通している人間など、テレビ誌の編集者にだっていない。彼らだってチームで分担して見ている。ましてや個人で、全部の新作ドラマに目を通すことなど不可能なのだ。

この世に、存在しない職業がある。それは、テレビ評論家である。サンプル数が限られる映画評論家や音楽評論家と違い、テレビは地上波だけでも毎日24時間、NHKは2チャンネル、民放は5つのキー局で流れっぱなし。その全てに目を通している人間など、今は亡きナンシー関サンくらいのもの――。

それに、だ。
終わってからドラマを振り返るメリットだってある。もはや個々の作品の評価は定まっており、わざわざ低評価のドラマを見て、時間を無駄にすることもない。あなたは既に太鼓判を押された未見のドラマのみを、ネットで狙い撃ちすればいいのです。「新コンタックかぜEX」のCMの広瀬すずサンのように「狙い撃ち♪」――なんつって。

あっ、7月クールの連ドラの話の後は、現行の10月クールの感想もちょいしますので、どうかそれで、ご勘弁のほどを。

7月クールの意味

さて、そんな次第で(すっかりドヤ顔)、まずは今更だが「7月クール」の位置づけの話から始めたい(そこからかよっ!)。大体、いつも「チャレンジ枠」と呼ばれるんですね。2つの意味で――。

1つは、夏場は1年を通じて、最も世帯視聴率が下がる(外出機会が増える&お盆が入る)季節だし、大型スポーツイベントや歌謡祭などで番組自体が度々休止にもなる。だから、必然的にエース級の役者や有名脚本家の登板が回避され、若手俳優や新人脚本家が起用されやすいんです。それでチャレンジ枠。

もう1つは、7月クールは夏休みを迎えることから、学生を中心に若者層の視聴機会が増えるシーズンでもある。そうなると、彼らの好む恋愛ドラマや学園ドラマを流しやすい環境に。今の連ドラは50代以上を狙ったお仕事ドラマが中心なので、その意味でも7月クールは、若者向けの作品に挑めるチャレンジ枠と呼ばれるワケ――。

で、実際、今年の7月クールはどうだったか?
まさに、2クール目に突入した『あなたの番です』(日テレ)が、その戦略でまんまと数字を伸ばしたんですね。

確変した『あなたの番です』

前回の本コラムでも解説した通り、『あなたの番です』は海外に売りやすいよう、2クールで作られたのは承知の通りである。実際、制作費は平均的な同枠のドラマより、かなり高くついており、そもそも番組を販売して利益を回収することが前提となっている。

その手法、まさにアメリカのドラマと同じなんですね。あちらではファーストラン(最初のオンエア)で、制作会社がテレビ局からもらえる金額では、到底、制作費は回収できない。その代り、制作会社が著作権を持つので(日本も早くそうなってほしいところ)、彼らはそのあとで、地方局や海外のテレビ局にドラマを販売することで、制作費を回収していく。初期投資やリスクは大きいものの、当たれば莫大な収益が望める。そのために確実にヒットできるよう、自然とドラマのクオリティは上がる。キャスティングよりも、脚本が重視される。アメリカのドラマが面白いのは、そういう理由である。

で、『あな番』の2クール目だけど、「反撃編」と銘打って、新たに横浜流星演ずる二階堂こと“どーやん”(このあだ名のセンスはどうだろう)がメインキャラクターの一人に加わり、更に、それまで均一に描かれていた住民たちの中から、西野七瀬演ずる“黒島ちゃん”がクローズアップされた。そう――若者層に人気の2人を前面に押し出す作戦に出たんですね。その結果、視聴率はそれまでの一桁から二桁へとステップアップ。最終回は同枠最高の19.4%と、見事に勝ち組のドラマになったんです。

俗に、客は物語よりキャラクターに共感すると言う――。
そう、大多数のミーハーの支持を得るには、感情移入したくなる人物を立たせるのが一番。結局、エンタテインメントは真ん中を取ったチームが勝つゲームなんですね。真ん中=ミーハーを味方につけるには、魅力的なキャラクターをクローズアップさせるに限るんです。

もっとも、キャラクターを売るには、その背景となる物語がちゃんと描かれているのが大前提(ディズニーやピクサーのキャラクターがそうであるように)。その意味では、前半に1クールをかけて丹念にドラマの世界観を作り込んだ『あな番』には、後半、キャラクターがハネる下地が十分あったというワケ。

つまり――前半で物語を、後半で人物をクローズアップさせる戦略は当初からの想定通り。『あな番』2クール構造の裏には、そんな理由もあったんです。

最終回の物議を振り返る

さて、そんな『あな番』だが、最終回は20%に迫る高視聴率を獲得したものの、その結末については、お茶の間の評価は必ずしも絶賛とはならなかった。

一番多かった不満が「最も怪しい黒島ちゃん(西野七瀬)が黒幕で拍子抜けした」というもの。まぁ、分からなくはないけど、そもそもこのドラマ、ミステリー部分は、割とセオリー通りのことしかやってないんですね。セオリー通りとは、推理モノにおける「ノックスの十戒」に代表される暗黙のルールのこと。例えば、「犯人は物語の当初に登場していなければならない」とか「変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない」とか「双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない」等々――。

そのルールに従えば、2クール目から登場した面々(例えば、二階堂や黒島ちゃんのストーカーの内山)は黒幕になりえないし、探偵役の翔太も明白にシロだ。菜奈の双子説もありえないし、明らかに言動が怪しい尾野ちゃんは最も黒幕から遠い。結局、1話で交換殺人ゲームに参加した13人のうち、生き残った8人の中からしか黒幕は選べないのである。

そもそも、ミステリーの世界って、ルールがしっかりしていて、書き手はもちろん、ファンもその道のマニアが多く、素人が軽はずみに手を出せる分野じゃないんですね。新作のミステリーを書こうと思ったら、最低限、古今東西の主要なミステリー作品は読んでおかないといけない(多分、1000作は下らない)し、ネタ被りはもちろんご法度。基本、新しいアイデアは投入できないと思っていい。

その点、同ドラマは菜奈(原田知世)と翔太はミステリー好きという設定で、それは暗に「このドラマはミステリーの世界をリスペクトしてますよ!」と、お茶の間にエクスキューズしていたということ。つまり、いくらストーリーで奇をてらおうとも、肝心の謎解き部分はオーソドックスなパターンで行くという決意表明だったのだ。

そんな次第で、同ドラマの黒幕は黒島ちゃんで、全く問題ないのである。

『あな番』と似ている、あの歴史的名作

それはそうと、彼女に関して1つ面白い考察がある。
黒島ちゃん、そもそも自分でDV彼氏を殺すはずが――交換殺人ゲームで他の人に先を越されてしまった(つまり他の人に彼氏を殺された)結果、図らずもゲームに参加(自分が引いた紙に書かれていた赤池美里を殺害)することになり、誰とも知らぬ相手と“共犯関係”に至ったんです。

この構図、実は横溝正史原作の『犬神家の一族』とちょっと似てるんですね。あの話も、佐兵衛翁の長女・松子が息子の佐清(有名な仮面の人!)に遺産を継がせるために、妹たちの息子を殺して回るが、その後処理を勝手に青沼静馬と、彼に脅された息子の佐清が担い、図らずも両者の間に共犯関係が成立、捜査を混乱させたんです。

もっと言えば、『あな番』はドラマの最後に黒島ちゃんが赤池おばあちゃんの孫と判明するけど、それも『犬神家』におけるキーマンである珠世(映画版で島田陽子が演じた)が、映画の終盤に佐兵衛翁の実の孫と判明するくだりとよく似ている。

そう、『あな番』と『犬神家』は構造が割と似ているんです。
だとすれば、『あな番』における本当の黒幕は、『犬神家』における佐兵衛翁に該当する――赤池おばあちゃんということになる。となると、ラストで彼女が病院の屋上から落とされる(?)描写も、因果応報ということに――。

もっとも、あのシーンについては、物語の一件落着後に、まだ続きがあると匂わせる、ミステリーにありがちな「遊び」という解釈もあります。
例えば、ウルトラシリーズ第一作の『ウルトラQ』に、「2020年の挑戦」という回があるんだけど、未来から来たケムール人が人工の水たまりを使って人間を自分たちの世界へ転送させる話なんですね。で、色々あってケムール人を退治して、物語は一件落着するんだけど、ラストで刑事が冗談で水たまりに足をツッコむと、悲鳴を上げながら体が消える描写で終わるんです。
――そう、『あな番』のラストも、その手の遊びとするのが自然かも。

実際、Huluで独占配信された黒島ちゃんの高校時代を描いたスピンオフを見ても、本編のラストシーンに繋がる新展開はない。もっとも、Hulu版で事件の核心を描いたら、それはHuluに未加入の視聴者を疎外する行為になり、以前、テレビ朝日が『仮面ライダーディケイド』の最終回で「この続きは映画で」とやって、大炎上してBPOからお叱りを受けて以来、その手の手法は地上波のドラマではご法度。だから、本編は本編で完結と考えるのがいいでしょう。

『なつぞら』がオマージュしたあの映画

2クールと言えば、こちらも終わったドラマだけど、一応触れておこう。NHK朝ドラの『なつぞら』である。

同ドラマ、序盤は草刈正雄サン演ずる泰樹じいちゃん人気もあって、北海道編がやたら評判よかったのは承知の通り。中盤以降のアニメ編は、一時客離れが起きたけど、若き高畑勲や宮崎駿らが奮闘したアニメ黎明期の様子がリアルに描かれ、アニメファンからは一定の評価を得たと思う。終盤、なつが結婚して以降は、ちょっと話がダレたけど、史実の『アルプスの少女ハイジ』に該当する『大草原の少女ソラ』を作る辺りから、オープニングのアニメ(ココに繋がるのね!)などの伏線を次々に回収して、一件落着――。

まぁ、全体として朝ドラ100作目のプレッシャーの中、ヒロインの広瀬すずサンはさすがの貫禄で、よく頑張ったと思う(収録中、朝ドラのヒロインは一回は倒れるのに、彼女は無事に乗り切った)し、脚本の大森寿美男サンも過去のヒロイン達をカメオ出演させるなどの行政的なミッションに応えつつ、見事に書き切った。できれば、もっとラクな環境で書いてもらえたら、彼の上手さがもっと見られたと思うけど、それはまたの機会に。

そんな中、最終回のオンエア後に、視聴者の間である興味深い考察が生まれたことを、今回は紹介したいと思います。それは、糸井重里サンや岡田斗司夫サンを始め、ツイッターなどでも言及する人たちが多かったけど――“『なつぞら』は、映画『ラ・ラ・ランド』へのオマージュではなかったか”――というもの。

どういうことか。
まず、なつが着る服は原色が多く(ちなみに、最終回は鮮やかな黄色のワンピースだった)、それは『ラ・ラ・ランド』でヒロインのミアが着ていたポップな色使いの衣装を連想させたんですね。
そして何より、なつと天陽クンの関係が、同映画のミアとセバスチャン(セブ)の関係を彷彿させたこと。両作品とも、2人は互いに夢を抱いて同じ時間を過ごすも、やがて微妙にすれ違いが生じ、別々の道へと歩み出す。ヒロインは夢を求めて遠くへ旅立ち、一方、男は街に留まる――。

確かに、似ている。『なつぞら』で一久さん(高畑勲がモデル)の存在感が薄かったのは、要するにあの物語は、最後までなつと天陽クンの話だったからです。それは、この後の展開を見ても明らか。

――数年後、念願の夢を叶えたヒロイン(ミア、なつ)は結婚も果たし、一女を設け、かつて過ごした街を訪れる。そして、かつて夢を誓い合った男(セブ、天陽)と再会する。

もう一つの世界――パラレルワールド

そう、ここで両作品とも奇跡が起こります。
まず、『ラ・ラ・ランド』では、仮に2人が別れず、共に過ごしていた場合の幸せなパラレルワールドな5年間が、2人の幻想として描かれる。
一方、『なつぞら』では、死んだはずの天陽クンとなつが、心の中で“会話”する。そして、2人は失われた時間を取り戻す――。

ここから先は、いよいよ『なつぞら』の真骨頂です。
天陽クンは、その失われた時間を、死ぬ前に菓子屋の雪月の包装紙にしたためていた。そこには十勝の自然と、「もう一つの世界のなつ」――アニメーターにならず、十勝に留まったなつ(!)が描かれていた。
一方のなつは、そんな天陽クンの思いを受け継ぎ、新作アニメ『大草原の少女ソラ』を描く。それは、ソラ(もう一つの世界のなつ)が北海道に根差して酪農を続ける物語。最終回、ソラはレイ(もう一つの世界の天陽)と再会し、2人の未来に思いを馳せる――

そうなんです。『大草原の少女ソラ』は、なつと天陽クンにとってのパラレルワールドだったんですね。まさに、『ラ・ラ・ランド』のラストに描かれた、もう一つのミアとセブの5年間と同じ構図――。

極めつけは、『なつぞら』のラストシーンでしょう。なつ一家(なつ・一久・優)が小高い丘から十勝の街を見下ろすんだけど、その構図は、雪月の包装紙に天陽クンが描いた画に対して、鏡のように反転していたんです。まさに、両者はパラレルワールドの関係にあったと。

――もう、これは『なつぞら』=『ラ・ラ・ランド』と見て、間違いないでしょう。やっぱり、大森寿美男サンはいい仕事をしてくれました。

若者層にヒットした『凪のお暇』

さて、ここからは7月クールの個々の連ドラの評価に移りましょう。あとで10月クールの話もするので、サクッと行きますね。

まずは、個人的に7月クールでトップと思う作品から。何と言っても、TBS金曜10時の「金ドラ」枠の『凪のお暇』だと思います。
原作はコナリミサトサンの漫画で、脚本はフジテレビヤングシナリオ大賞出身の大島里美サン。全10話の平均視聴率は堂々二桁の10.0%。素晴らしいのは、前半5話より後半5話のほうが、視聴率が高かったこと。更に特筆すべきは、近年、「若者のテレビ離れ」と言われがちなF1層(20歳~34歳の女性)やティーンの人たちが熱心に見てくれたこと――。

そう、早い話が、『凪のお暇』は若者層にヒットしたんです。これぞ、チャレンジ枠と呼ばれる7月クールの面目躍如。
TBSが偉いのは、昨年も7月クールに『チア☆ダン』なる学園ドラマを仕掛けていたんですね。まぁ、アレは平均7%台と振るわなかったけど、そうやって毎年、果敢に若者層にアプローチを続けるTBSの姿勢は評価したいと思います。

それにしても――なぜ、『凪のお暇』はヒットしたのか。
まず、原作漫画から面白いんです。ドラマよりストレートにエッチな描写があったりするけど、そこは女性漫画家だけあって、いやらしさよりも、リアリティの方が引き立つ。それでいて今っぽいユルさがあったり、「人間関係あるある」が描かれていて、ぐいぐいと読ませる。

そう、ドラマの空気感は、ほぼほぼ原作通りなんですね。というより、原作の持つ良さを、脚本の大島里美サンと、演出チーフの坪井敏雄サンが素直に増幅させたという感じ。昨今、ドラマ化に際して、妙に作り手側が自分たちのカラーを出したがり、いわゆる“原作レイプ”に発展する事例が少なくない中、今回の『凪のお暇』ドラマチームの仕事ぶりは素晴らしかった。

加えて、ヒロイン・凪を演じた黒木華サンである。実は彼女、原作の凪より若干、天然感が強かったんですね。俗に、上手い役者は役を演じるより、役を自分に引き寄せるというが、まさにアレ。ドラマ版の凪は、黒木サンにしか出せない天然の味があり、それがまた、ドラマの世界観・空気感に絶妙にハマったんです

あの伝説のドラマを彷彿

まぁ、『凪のお暇』のストーリー自体は、人生に挫折した主人公がドロップアウトして、転がり込んだ先で、様々な人々と出会ううちに「自分」を取り戻して再生するという、よくある“自分探し系”のドラマである。

ただ、抜群に空気感がよかったんですね。
凪のドロップアウト先は、立川の「エレガンスパレス」なる古アパートだけど、とにかく住民たちが個性的で、癒される。そこへ、前述の黒木華サンの天然の空気感が加味されるワケだから、全体にゆるやかな時間が流れることに――。これが実によかった。

この構図、前にどこかで見たことがあると思ったら、2003年に日テレで放送された木皿泉サン脚本の『すいか』なんですね、小林聡美サンが主人公を演じたアレ。あの話も、ひょんなことから日常に疲れたヒロインが会社をドロップアウトして、三茶にある「ハピネス三茶」なる古アパートに転がり込むところから始まった。そこで個性的な住民たちと触れ合ううちに、次第に自分らしさを取り戻していくというもの。そう、物語の基本構造は同じなんです。それに、ドラマ全体にユルい時間が流れる空気感もよく似ていた。

キーマンはあの人

ちなみに、『凪のお暇』における、ヒロインを除く重要なキーマンって誰だと思います?
「空気が読む」のは上手いが、打たれ弱い元カレ役の高橋一生? それとも、癒しキャラで「メンヘラ製造機」のゴンこと中村倫也? 登場した瞬間から、大物感がダダ洩れしていた三田佳子サン?

――残念ながら、彼らはキーマンというよりは、物語を推進する重要なキャラクターだったり、超大物女優だったりして、少々ニュアンスが異なる。キーマンとは、一見、その他大勢のサブキャラの一人ながら、妙にドラマの世界観に寄与したり、さりげなく主人公の背中を押してあげたりする役回りのこと。

ずばり――それは凪の友人で、一時はコインランドリーの共同経営を目指した“坂本さん”こと市川実日子サンです。なぜなら、彼女が脇キャラとして登場するだけで、このドラマにある種のクオリティが生まれたから。

そう、市川実日子――。雑誌「Olive」の専属モデルをスタートに、その後、女優業にも進出。知的な雰囲気を持ちながら、男っぷりのいい性格と、凛とした佇まいが持ち味。いわゆる美人キャラではないが、それが逆に親近感となり、サブカル好きな雰囲気も併せ持つ。

ちなみに、彼女も黒木サン同様、役を自分に引き寄せるタイプで、近年は映画『シン・ゴジラ』やドラマ『アンナチュラル』で存在感のある役を演じたことからも分かる通り、物語のキーマンになりやすい。
そして何より、市川サンは今から16年前に、ドラマ『すいか』において、ハピネス三茶の個性的な住民の一人を演じたんです――。

オマージュにあふれた『ルパンの娘』

続いては、7月クールにおける僕の2推しのドラマ、フジテレビの木10『ルパンの娘』である。
ご存知、大ヒット映画『翔んで埼玉』の監督・武内英樹×脚本・徳永友一のコンビが送る、100%のエンタテインメント・ドラマ――。

かつては木10――木曜ドラマと言えば、唐沢寿明版の『白い巨塔』や『最高の離婚』、『ナオミとカナコ』など、ちょっと大人向けの名作ドラマやミステリーが並んだものだけど、ここ2年ほど――『モンテ・クリスト伯 -華麗なる復讐-』あたりから、シンプルなエンタメ路線に振り切った感がある。月9が「世界仕様」の新しいドラマ作りを目指している一方、木10はもう少し敷居を低く、フィクション寄りの作風を求めているのだと思う。

で、『ルパンの娘』だ。主演の深キョンも映画『ヤッターマン』同様、この種のフィクション色の強い作品だと俄然ハマる。相手役の瀬戸康史サンも今回、体を鍛えて臨んだそうで(なんと筋トレで10kg増量!)、アクションシーンは吹き替えなしでやり切ったとかで、モチベーションが半端なかった。

まぁ、視聴率こそ平均7%台に終わったけど、最終回は自己最高の9.8%と二桁目前まで上昇。SNS等の感想を拾うと、笑って泣けて、また笑えるコメディとして、内容面の評価はかなり高かったと思う。

中でも、僕が感心したのは、これは多くの人たちも指摘している通り、作品の端々に過去の名作へのオマージュが見られたことである。
例えば――

〇タイトルバッグの音楽は『ミッション:インポッシブル』風
〇オープニング映像は007シリーズをオマージュ
〇泥棒一家の華(深田恭子)と警察一家の和馬(瀬戸康史)の“叶わぬ恋”の一連のシーンは『ロミオとジュリエット』をオマージュ
〇Lの一族が活躍するクライマックスシーンの劇伴(ワンダバ)は『帰ってきたウルトラマン』風
〇10話のラスト、教会で和馬とエミリ(岸井ゆきの)の結婚式を司る神父が自らマスクを取って正体(渡部篤郎)を明かすシーンは、『ルパン三世カリオストロの城』をオマージュ
〇そこへ華が乗り込み、花婿の和馬を強奪するシーンは映画『卒業』をオマージュ
〇そして2人が手を繋いで逃げるシーンにかかる曲はチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」

――等々、挙げればキリがない。
俗に、エンタテインメントとは温故知新。旧作をリスペクトして、現代風にアレンジする行為こそ、クリエイティブの一丁目一番地。その意味では、『ルパンの娘』はクリエイティブに満ちあふれた作品と見て、間違いないでしょう。

あとからジワジワ人気が出る作品

多分だけど、“ルパン”つながりで言えば、同ドラマは『ルパン三世』1stシーズンや映画『ルパン三世カリオストロの城』同様、後からジワジワ人気が上がるタイプの作品だと思います。

ちなみに、1stルパンって、本放送時は3%台と壊滅的低視聴率を出しながら(その結果、高畑勲・宮崎駿両氏が演出に加わるのだから、結果オーライとも)、再放送では20%台の数字を叩き出して、2ndシーズンが作られるキッカケになったんですね。
一方のカリ城も、公開当時はその年(1979年)に全国ロードショー公開された映画で、最低の興行収入を記録したそうで。その結果、宮崎駿監督は『風の谷のナウシカ』まで、4年近く映画界を干されちゃったんです。

まぁ、そんな1stもカリ城も、今やルパンシリーズで2大傑作と呼ばれるほどの屈指の人気を誇るので、リアルタイムの数字が悪かった『ルパンの娘』は、むしろ縁起がいいとも言えるでしょう(笑)。

もし、同ドラマを未見の人がいたら、FODに加入して、ぜひ一気見(ビンジ・ウォッチング)するのをお勧めします。ぶっちゃけ、加入した月の末日に解約すれば、料金は発生しないし(笑)。とはいえ、個人的にはフジの過去の名作が見放題だから、FODは加入して損はないと思います。

見どころは?

ついでに、未見の方に、同ドラマの見どころも解説しておきましょう。
前述のオマージュシーンは外せないとして、まず、1話で囚われの身になった和馬の後ろに、天井から仮面をつけた華が逆さ吊りで降りて来て、図らずも2ショットになるシーンがあるんですね。これ、21世紀の恋愛ドラマのベストショットだと思います。ここはしっかり瞼に焼き付けて。

あと、幼馴染みの華に思いを寄せる、世界を股に掛ける泥棒の円城寺輝というキャラがいるんだけど、彼が5話で防犯レーザーを華麗に避けて、入り口までたどり着くシーンも必見です。演じる大貫勇輔サンは世界的なプロ・ダンサーで、ミュージカル俳優でもある。毎回、見られる彼と華のミュージカルシーンも要注目。特に最終回の彼の独唱シーンはセルフパロディとして秀逸です。

そして、9話・10話・11話(最終回)のラスト3話は紛うことなく神回ですね。ここは、余計な先入観なしに見た方がいいので、黙っておきましょう。

7月クールで結果オーライ『ノーサイド・ゲーム』

続いて、僕の推す7月クールの“連ドラ三傑”は――TBSの日9ドラマ『ノーサイド・ゲーム』である。

今となっては、“みんな大好きラグビーW杯”状態だけど、わずか3ヶ月前は、お茶の間はドラマの出演者(大泉洋、松たか子ほか)には興味があっても、ラグビーという競技自体にはさほど関心がなかったんですね。

本当は、W杯との相乗効果が期待できる10月クールの放送がよかったんだろうけど、今クールの日9ドラマは、あの『グランメゾン東京』――ぶっちゃけ、ドラマの放映時期を決める際に一番優先されるのは、役者のスケジュールなんです。となれば、そこが動かせないなら、W杯に向けて盛り上げるタイミングがいいだろうと、夏ドラマになったんでしょう。自局でW杯は中継しないのに、このスタンスは素晴らしい。日テレとNHKは感謝しなきゃ(笑)。

もっとも、7月クールならではの利点もある。先にも述べた通り、他のクールに比べて若干ハードルが低く、色々とチャレンジしやすいんですね。実際、今回の演出チーフを務めたのは、元ラガーマンで、慶応大学時代には日本選手権で社会人1位のトヨタ自動車を破り、日本一にも輝いた福澤克雄監督。そんな彼が「自分自身最高傑作」と自負するだけあって、役者の知名度よりも、ラグビー経験の有無でキャスティングしたりと、“攻めるドラマ作り”ができたのは、7月クールだったからとも言えます。

中でも驚いたのが、ラグビー元日本代表で、キャプテン経験もある廣瀬俊朗サンを、福澤監督自ら口説いて役者として起用したこと。最初こそやや台詞回しがぎこちなかったが(当たり前だ)、回を追うごとに役の“浜畑”になりきり、最終回では準主役的な扱いにまで成長したのは、お見事。やっぱり日本代表でキャプテンまで務めた男は違いますね。

そんな福澤監督ですが、今回、同ドラマにおいて彼の本気度が最も感じられるシーンと言えば、5話でアストロズが宿敵・サイクロンズに挑んだ一戦で間違いないでしょう。約15分間にも渡り、途中にサイドストーリーを挟むことなく、なんとゲーム一本で押し切ったアレ――。スポ根ドラマにありがちな過度なリピートやスローモーションも多用することなく、生の試合のようにリアルタイムで見せ切ったんですね。

なぜ、こんな神業ができたというと、俗に「偶然はない」と言われるラグビーという競技の性格と、ラグビーを熟知した福澤監督の綿密な演出の賜物でしょう。つまり、“頭脳のスポーツ”と評されるラグビーだからこそ、そこに計算され尽くしたディレクションを施すことで、地上波のプライムタイムの15分間に耐え得るゲームを作れたんです。いや、ほんと神業。これ、福澤監督以外じゃ絶対に無理――。

そうそう、面白いのは、今回、このコラムを書くにあたって、改めてこの5話をParaviで見返したんだけど、このW杯の40日間ですっかりラグビーに詳しくなった今の僕らの視点で見ると、手に取るように次の展開が分かったりして、前に見た時よりも数倍面白いんですね。よかったら、皆さんもぜひ。

かつてメジャーなスポーツだったラグビー

ところで、今の若い人たちには知らないかもしれないけど、かつて、昭和の時代はラグビーのドラマって、割とポピュラーだったんですね。日テレの日曜夜8時台なんて、昭和の時代は学園青春ドラマのメッカで、夏木陽介サンの『青春とはなんだ』に始まり、竜雷太サンの『でっかい青春』や中村雅俊サンの『われら青春!』など、ラグビードラマは同枠の定番だった。

そして、忘れちゃいけない、80年代にはTBSの『スクール☆ウォーズ』の存在。ご存知、大映テレビの制作で、伊藤かずえ演ずるヒロインに「馬上から失礼します」と言わせたり、イソップを始めとする濃すぎるキャラたちが人気を博したりと、今も語り継がれる伝説のドラマだ。オープニングでいきなりネタバレしながらも、最終回に「花園」で全国制覇を成し遂げる有終の美は、それなりに感動したのを覚えている。

そう、花園――。高校野球の甲子園に匹敵する、高校ラグビーの聖地ですね。そして大学と社会人ラグビーの聖地と言えば、長らく「国立」こと、国立競技場だった。

思えば、昭和の時代は、毎年1月15日の「成人の日」は、社会人1位と大学1位が聖地・国立で日本一を争う「ラグビー日本選手権」が、長らく日本の風物詩だった。スタンドには成人式帰りの晴れ着の女性たちが花を添えたりして、それはもう、国民的なお祭りだったんですね。

そもそも、なぜ昭和の時代はラグビーが花形スポーツだったかというと――ラグビーって、イギリスの上流階級の子弟が学ぶパブリックスクールで生まれただけあって、明治の時代からそれらの学校を規範とする私大(慶応・早稲田・明治など)に、早くから取り入れられたんです。かつて「蹴球」といえば、サッカーではなく、ラグビーを指したほど(現に、今でも慶応のラグビー部の正式名称は蹴球部だし、早稲田もラグビー蹴球部だ)。そう、昔はラグビーの方がサッカーより、ずっとメジャーだったんです。

それが平成になり、1993年にJリーグができたあたりから形成が逆転。翌94年を頂点に、ラグビーの競技人口は減少に転じ、以後、右肩下がりに。ラグビー界最大のお祭りの日本選手権も、96年を最後に社会人1位と大学1位が対決する“天王山方式”が終了。更に2000年から「成人の日」もハッピーマンデーになったことで、日本選手権=成人の日の構図が崩れ、ラグビーは国民的関心から急速に遠のくことに――。

スポ根ドラマはリアルスポーツとリンクする

それが、なぜここへ来てラグビー人気が復活して、再び、ラグビードラマまで作られたかというと――それはもう、昨今のラグビーW杯の盛り上がりを抜きには語れませんナ。

というか、いわゆる“スポ根ドラマ”の歴史を紐解くと、大抵、そこにはリアルスポーツの隆盛があって、密接にリンクしてるんです。全ての源流をさかのぼれば――そう、1964年の東京オリンピックに行き着きます。あの王者ソ連を破って金メダルに輝いた「東洋の魔女」こと日本女子バレーボールチームと、熱血指導で率いた「鬼の大松」こと大松博文監督に――ほら、例の大河ドラマの『いだてん』で、チュートリアル徳井サンが演じて話題になった、あの人に。

熱血コーチが選手たちを猛特訓して、その苦しみに耐え抜いたチームが一丸となって、時の王者を倒す――そんなスポ根ドラマのフォーマットは、先の東京オリンピックで生まれたんですね。そして4年後――メキシコオリンピックの年に、再びオリンピック熱が高まる中、ドラマとして花開いたんです。それが元祖スポ根ドラマと言われる『サインはV』(TBS系)だった(先ごろ、同ドラマで鬼コーチ役を務めた中山仁サンが亡くなられました。ご冥福をお祈りします)。

以来、スポ根ドラマは、リアルスポーツの隆盛とリンクしながら、続々と作られます。例えば、アニメの『巨人の星』は球界の盟主である巨人の「V9時代」の全盛期に登場したし、プロボウラーの活躍を描いた『美しきチャレンジャー』も、ボウリングブーム真っ盛りに作られた。そして前述の『スクール☆ウォーズ』は、1981年の全国高校ラグビーで奇跡の初優勝を遂げた元日本代表の山口良治監督率いる伏見工業をモデルに作られたのは承知の通り――。

で、今回の『ノーサイド・ゲーム』。恐らく、その元ネタは、今から4年前のイングランドW杯で日本が強敵・南アフリカ相手に勝利し、「ブライトンの奇跡」と呼ばれた伝説の一戦ですね。なぜなら、あの試合で、日本ラグビーは世界に認められ、今回のW杯の日本招致へと繋がったし、同ドラマに出演した廣瀬俊朗サンも、前キャプテンとしてあの試合に接し、試合前にはチームのモチベーションを上げて“陰の功労者”と呼ばれたほど――。

そう、『ノーサイド・ゲーム』の最終回で、アストロズが王者サイクロンズ相手に見せた奇跡の元ネタは、先の大会の「ブライトンの奇跡」だったんです。もっとも、同試合を中継したNHKの豊原謙二郎アナは、4年後の今回のW杯で、あの「日本対アイルランド」戦の実況を担当し、ノーサイドの笛の直後にこう叫んだ。「もうこれは、奇跡とは言わせない!」

――もう、現実の方が、ドラマより先に行っちゃってる(笑)。まさに、事実は小説より奇なり。

7月クール、期待外れに終わった作品たち

さて、ここからは一転、前評判に反して、7月クールの期待外れに終わった作品たちを振り返りたいと思う。
まず――恐らくこれは衆目の一致するところだろうけど、TBS火曜10時の『Heaven? 〜ご苦楽レストラン〜』は外せないでしょう(笑)。

かのドラマ、石原さとみ演じるミステリー作家の黒須仮名子が、自身の美食趣味を満たすためにフレンチレストラン「ロワン・ディシー」をオープンする話である。原作は、佐々木倫子サンの人気コミック。見どころは、彼女が自ら集めた欠陥だらけのスタッフたちが、トラブルを巻き起こしながらも、やがて最強のチームに生まれ変わるというもの――これだけ聞くと、なんだかとても面白そうだ。

実際、寄せ集めのポンコツ集団が成長して、一流のチームに生まれ変わるプロットって、エンタメの世界では『がんばれベアーズ』方式と言って、王道なんです。同じレストランものなら、三谷幸喜サン脚本の『王様のレストラン』もこのパターンだった。

まぁ、そこまでは問題ない。問題は――ドラマ化に際しての演出である。同ドラマの演出チーフは木村ひさしサン。エンドロールで自分の名前を手書きで見せるなど、かなり自己愛の強い人だが、案の定――その姿勢は仕事にも表れている。例えば、本作では登場人物たちのモノローグ(心の声)を、頭の上にCGで顔を映して喋らせるという奇策を用いているが、正直――滑っている。しかもクドい(笑)。見ていてイライラする。一事が万事、この調子なのだ。

以前、三谷幸喜サンが最も信頼を寄せる演出家の河野圭太サン(『王様のレストラン』や『古畑任三郎』でお馴染みのベテラン演出家)がおっしゃっていたんだけど、河野サンが理想とするドラマ演出とは、演出家の存在をお茶の間に微塵も感じさせないドラマなんですね。つまり、観客は自然とドラマの世界観に没頭して、登場人物のキャラクターやストーリーを楽しむ――その状態を陰ながらサポートするのが、演出家の役目だと。そう、要は裏方さん。僕もその意見に大賛成だ。

なぜなら、ドラマはやっぱり「脚本」だから。アメリカのドラマ界はこれが徹底していて、あちらでは脚本家に支払われるギャランティの方が、主演俳優より高いケースは珍しくない。だから、最高の脚本と、それを演じる役者たちの魅力を、いかに削ぐことなくお茶の間に届けられるか――それがデキる演出家の条件となる。

となれば――このドラマ、そもそも登場人物たちが魅力的に描かれていたのか、そこから怪しい。特にSNSなどで「ウザい」と散々やり玉に挙げられた志尊淳サンなんて、被害者の最たるもの。言うまでもなく、役者に芝居(キャラクター)を付けるのは演出家の仕事。志尊サン演じる「川合太一」がお茶の間にウザいと感じられたら、それは芝居を付けた演出家の責任なんです。

せっかく、今の連ドラ界で屈指にキャスティングが難しいとされる役者の2トップ――志尊淳サンと岸部一徳サンを押さえておきながら、彼らの魅力を十分に生かせなかった同ドラマの責任は、つくづく重いと思う。

安く作って、安くなった感の『偽装不倫』

そして、7月クールで、僕の考えるもう一つの期待外れドラマが――日テレの水10の『偽装不倫』である。平均視聴率こそ10.3%と、ギリギリ二桁に乗せたけど、どうにも主役の2人に感情移入できず、ラブストーリーとして致命的に盛り上がりに欠けた感がある。

原作は、『東京タラレバ娘』や『海月姫』でお馴染みの東村アキコサンの漫画だ。婚活に疲れたアラサーの独身のヒロインが、韓国へ一人旅をする機内でイケメンの韓国人男性と知り合い、ひょんなことから「既婚者」と嘘を付いたところから不倫の誘いを受けるというプロット。それ自体は、すごく面白そうだ。

しかし――しかし、である。
これ、ドラマ化にあたり、設定を変えちゃったんですね。杏演ずる主人公の鐘子が一人旅で向かう先は韓国ではなく、九州の博多に。しかも機内で知り合う男性は韓国人ではなく、日本人(宮沢氷魚)になっちゃった。

原作では、異国人同士ゆえに距離感もあって、意思疎通がうまくいかずに鐘子は最初についた「人妻」の嘘を打ち明けられずに悩み続けるんだけど、ドラマ版では日本人同士なので、そこまで距離感はない。ひと言、「本当は独身です。ごめんなさい」と鐘子が打ち明ければ、万事解決して2人はハッピーになれるのに、視聴者は終始優柔不断な鐘子にイライラされっぱなしだったんです。

これ、恐らく昨今の「働き方改革」や、制作費の削減などもあって、ドラマの現場の“懐事情”から設定が変更されたんだろうけど(原作からドラマ化に際し、設定が変わること自体は珍しい話じゃない)、その一方で、世の中には変えちゃいけないこともあって、『偽装不倫』の場合、“日韓の国境を超えた愛”というのは絶対に変えちゃいけなかったんです。

折しも、日韓がギクシャクしている時勢でもあり、だからこそ、そんな二国間で愛を貫く2人に物語性が生まれ、俄然面白くなったのに、惜しい。

これ、実際に僕が経験したことなんだけど、前に博多に里帰りした際に、屋台でたまたま、若い日本人女性と韓国人男性のカップルと隣り合ったんですね。福岡は船で行き来できるくらい韓国と近いので、それ自体は別段珍しい話じゃない。僕が2人に興味を惹かれたのは――その日、2人は明日から“2年間の別れ”をする最後の夜だったんです。

もう、お分かりですね。そう、韓国には兵役の義務があるので、成人男性は2年間、入隊しないといけない。明日、その韓国人男性は国に戻り、入隊する予定だったんですね。で、2年間、2人は離れ離れになると――。これ、めちゃくちゃドラマチックじゃないですか。僕はその時、日韓のラブストーリーは絶対にドラマになると確信したんです。

分かります? 『偽装不倫』もそれくらいドラマチックにできたのに、あっさり根幹の設定を変えたことで、安いドラマになっちゃったんです。

10月クール連ドラ雑感

ここから先の話は長くない。
原稿が遅れたついでに、現行の10月クールの連ドラの感想もちょっとやっときますね。

まずは――こちら。Twitterでは毎クールやってるんだけど、「連ドラ一口批評」を、今回は遅れたお詫びにこちらのコラムで(笑)。その後で、個別に気になるドラマをもう少し詳しく解説しましょう。
では、10月クール連ドラ一口批評から――

『シャーロック』バイオリン。『まだ結婚できない男』歩くだけで面白い。『G線上のあなたと私』波瑠だけ。『同期のサクラ』ワンパターン(褒めてます)。『ドクターX』ワンパターン(どうでも)。『モトカレマニア』脳内議論。『4分間のマリーゴールド』暗い。『時効警察はじめました』お好きに。『俺の話は長い』超面白い。『おっさんずラブin the sky』熱中時代・刑事編。『グランメゾン東京』七人の侍。『ニッポンノワール』疲れる。

――という感じ(笑)。では、以下に個々の感想をもう少し掘り下げます。

『シャーロック』は少女漫画

まず、フジの月9の『シャーロック』から。まぁ、ディーン様の正解というか、ディーン・フジオカを起用するには、やはりこの手のキャラの立った役を当て、外連味たっぷりに見せるのに限りますね。ある意味、少女漫画の世界とも。

フジテレビはBBC版『シャーロック』とは別ものと言ってるけど、それはその通りで、こちらの脚本は井上由美子サンのオリジナル。ところどころに原作を思わせるオマージュが散見されるくらい。
一方、BBC版は原作に忠実に、ドラマが展開する。まぁ、それができるのは、ロンドンの街並みが、ホームズが活躍した19世紀後半からほとんど変わってないからですね。あちらは地震が少なく、且つ石文化だから、平気で築500年くらいの建物に住んでいたりする。ホームズとワトソンの住むベーカー街もほとんど変わってないし、ビッグベンも160年前からずっとそこにある。だから、原作をいじらずに物語が作れるんです。

「月9」がやるべきドラマとは?

僕は、この「月9」という枠は、昨年4月クールの『コンフィデンスマンJP』以降、世界仕様の新しいドラマ(その気になれば海外でも売れるドラマ)を作る枠に変わったと思っている。だから、医療ドラマや刑事ドラマにしても、テレ朝のドラマにありがちな単純な一話完結にはせず、そこに作家的な視点や、今っぽさを入れている。

例えば、前クールの『監察医 朝顔』にしても、単なる法医学者と刑事の父娘の話に終わらせず、そこに東日本大震災で失った母親の遺体を探すというサイドストーリーを入れることで、社会性のあるドラマに仕上げた。

その方法論に立てば、僕は月9でやるべきは、実はシャーロック・ホームズではなく、日本が生んだ名探偵と怪盗――明智小五郎と怪人二十面相だったのではと思う。特に、映画『ジョーカー』が世界的大ヒットしている現状を見るに、怪人二十面相の心理面を、作家的見地から掘り下げて描けば、かなり面白くなったのでは――なんつって。

女性陣を一新した『まだ結婚できない男』

続いては、今クールで僕が最も楽しみにしているドラマの1つ、『まだ結婚できない男』である。もう、阿部寛サン演じる桑野は歩いているだけで面白いが、それはそうと、キャスト陣――特に桑野を取り囲む女性陣を一新したことが議論を呼んでいる。

ただ、これはフォローさせてもらうと、続編モノって基本、ゴールポスト(ドラマの終着点)を動かすか、主人公以外のキャストを一新しないと成立しないんですね。じゃないと、前作の繰り返しになってしまうから。もしくは、かつての『熱中時代・刑事編』みたいにタイトルだけ同じで、パラレルワールドの世界を描くか。ちなみに、今クールでは『おっさんずラブin the sky』がこのパターン。

1つ例を挙げましょう。続編で成功したドラマと言えば、『JIN-仁-』があります。アレは、続編でゴールポストを動かしたんですね。正編では「江戸の人々を近代医療(ペニシリン)で救う」ことがゴールだったけど、続編では「坂本龍馬を暗殺から守る」ことにゴールが変わり、前作を上回る視聴率を獲得した。

これを『まだ結婚できない男』に当てはめると――ゴールポストは「結婚できるか否か」でドラマのコンセプトに関わるので、そこは動かせないんです。ならば、キャストを一新するしかなかったんですね。現状、女性陣で言えば、夏川結衣→吉田羊、国仲涼子→深川麻衣、高島礼子→稲森いずみと、前作からスライドしてるけど、個人的には吉田羊サンは上手くキャラが立っていると思います。

働き方改革は脚本にも影響する

とはいえ、今のところ、『まだ結婚できない男』の視聴率は、15%前後で推移した前作に比べ、10%前後と少々物足りない。13年も経って、テレビを取り巻く視聴環境の変化と言ってしまえば、それまでだけど、僕はもう一つ――ドラマの制作環境の変化もあると思う。鍵は「働き方改革」だ。

例えば、今作の5話は、桑野と例の女性陣らがひょんなことから鎌倉で一緒になる、通称「ロケ回」だった(連ドラは美術さんに負担をかけすぎないために、大抵1回はロケ回が入ります)。これ、前作では4話がロケ回だったんですね。桑野と夏美(夏川結衣)がひょんなことから柴又の「はとバスツアー」で一緒になるも、新人のバスガイドが説明する横から桑野がウンチクを挟み、それが元でバスガイドは泣き出し、夏美とも口論に――。

ただ、この回はもう一班ロケ隊がいて、英治(塚本高史)やみちる(国仲涼子)らは、今は亡き多摩テックの遊園地に出掛け、彼らも家族連れの大混雑に巻き込まれるという、散々な目に遭うんです。つまり、2班体制でロケが組まれていたんですね。

制約を受ける脚本

つまり、同じロケ回でも、今回は鎌倉の1班だったけど、13年前は柴又と多摩テックの2班体制が組まれていたんです。これ、恐らく「働き方改革」の影響で、今や長時間の撮影は回避される傾向にあり、だからと言って、制作費は変わらないので人を増やせず、結果として脚本が制約を受けるんですね。

ちなみに、前作の4話のラストは、柴又の一件を詫びたい桑野が、夏美を自宅マンションの屋上から見える花火に誘うも、夏美はみちるたちと花火に行く先約があり、これを断る。しかし、当日、みちるたちの一行は、またもや大混雑に巻き込まれ、ろくに花火を見られない。そこで夏美が一計を案じて、桑野が一人花火を楽しむマンションの屋上を訪ねる。

夏美「あの……ご一緒してもいいですか」
桑野「(動揺しつつも)ええ、まぁ……そう、おっしゃられるなら、僕は別に」
夏美「(笑顔で)ありがとうございます」
桑野「(ハニかむ)うん……あの」
ここで夏美が後ろを振り返る。
夏美「みんな、いいって!」
次の瞬間、みちるたち一行がドカドカと屋上に上がってくる。

――ほら、めちゃくちゃ面白いでしょ(笑)。
そう、2班体制のロケには、ちゃんとこのラストに繋がる伏線があったんですね。今作の脚本が今ひとつハネないという声もあるけど、そこには「働き方改革」から来る、こんな弊害もあることを、頭の片隅に置いておいてください。

ちなみに、ハリウッドが作るドラマはユニオンの関係でもっと労働時間に厳しいけど、あちらはドラマを売買するシンジケーション(流通市場)が確立されており、ドラマに潤沢な予算をかけられるんですね。日本のドラマ市場も近い将来、そうなりたいところ――。

『俺の話は長い』はシットコム市場を作れるか

さて、続いて僕が、今クールおすすめするドラマが――まぁ、これはみんなも絶賛してるけど、日テレの土曜ドラマ『俺の話は長い』ですね。

1回の放送につき、30分×2話という珍しいフォーマット。これ、要するにアメリカの「シットコム」のフォーマットなんです。ほら、『フレンズ』とか『セックス・アンド・ザ・シティ』とか『ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則』とか、あれがシットコム。

あちらでは、エミー賞などで扱うドラマは、2つのジャンルに分かれていて、1つは60分尺のドラマ部門、もう1つが30分尺のコメディ部門と、ちゃんと30分のシットコム市場が確立されているんですね。

つまり――このドラマは、同じ日テレの『あなたの番です』などと同様、海外市場を狙っているということ。まぁ、実際に売れるかどうかは分からないけど、そういう腹積もりで作っていると。

脚本・金子茂樹の打率の高さ

このドラマの面白さの肝は、何と言っても脚本を手掛ける金子茂樹サンでしょう。2004年に脚本家の登竜門として最も有名なフジテレビヤングシナリオ大賞の「大賞」を受賞し、いきなり翌05年の月9ドラマ『危険なアネキ』に、メインライターとして連ドラデビューを果たしたシンデレラボーイ。

彼の名前を一躍有名にした作品と言えば、これはもう、07年の月9ドラマ『プロポーズ大作戦』ですね。主演は山下智久と長澤まさみ。結婚式の途中でスライドに投影された写真の過去に何度も戻って、プロポーズをやり直すプロットは秀逸だった。後に韓国と中国でもリメイクされたことが、その傑作ぶりを物語る。

その後も、金子サンは、『VOICE[ヴォイス]〜命なき者の声〜』、『SUMMER NUDE』(以上、フジテレビ)、『きょうは会社休みます。』、『世界一難しい恋』、『もみ消して冬〜わが家の問題なかったことに〜』(以上、日本テレビ)など、コンスタントにヒット作を連発。その打率の高さに驚かされる。

役者が出たい脚本家の作品

思えば、スタート前の会見で、出演者の一人の西村まさ彦サンが「大好きな脚本家の作品に出られて幸せ」と言ってたけど、金子茂樹サンの作品って、俳優たちから異常に支持されてるんですね。それだけに、本作品に臨む役者たちのモチベーションの高いこと。

主演の生田斗真サンはニートのくせに口達者なアラサー男をリアリティたっぷりに好演してるし、共演者では姉役の小池栄子サンと姪っ子役の清原果耶サンが、抜群に上手い。清原サンは普段は比較的シリアスな役どころが多いから、この手のシットコムは彼女のキャリアにとって、大きな自信になったはず。

そう、シットコムの利点は、役者たちの実力がダイレクトに分かることなんですね。それだけに、実力ある役者たちに光が当たるのはいいことだし、これを機に、日本でもシットコム市場が根付いたら、ドラマ界はもっと面白くなるはず。ひょっとしたら、近年、連ドラから遠ざかっている三谷幸喜サンがシットコムで復帰してくれたりして――。

『クランメゾン東京』の元ネタはあの有名映画

さて、ここまで長々とコラムを書いてきたが(長すぎる!)、最後は、あのスターで締めくくりたいと思う。そう、木村拓哉主演の『グランメゾン東京』である。

ここまでのところ、視聴率は二桁で順調に推移。しかも4話目で13.3%と、自己最高を更新した。ぶっちゃけ、近年のキムタクドラマの中でも屈指に面白いと思います。その理由は――超・王道だから。

そう、やっぱりスターは王道ドラマが似合うんです。
本作は、かつて天才と呼ばれたシェフ・尾花夏樹(木村拓哉)がある事件がキッカケで没落し、再起をかけて、自分を救ってくれたオーナー・早見倫子(鈴木京香)に三つ星を獲らせるべく、レストランを開業する話。とはいえ、かつてスキャンダルを起こした彼に味方する者は少ない。そこで、まずは仲間集めから始めるが――もう、この展開からして、黒澤明監督の往年の名作『七人の侍』なんですね。

そう、これはオマージュ。日本史上最も有名な作品をリスペクトすることで、もはや逃げも隠れもしない。そう、超・王道で勝負してこそ、天才・木村拓哉の実力が際立つというもの――。

そして、脚本はかつて江口洋介主演の『dinner』を書いた黒岩勉サン。数字こそ伸び悩んだけど、作品としては、僕は傑作だと思っている。今、最も面白いレストランドラマを書ける脚本家は、彼で間違いないと思います。

加えて、演出チーフは、『リバース』や『アンナチュラル』など、今、女性演出家で最も注目される塚原あゆ子サン。空気感まで伝わる瑞々しい絵を撮らせたら、彼女の右に出る人はいないでしょう。

結論――この布陣で面白くならないはずがない。

料理が美味しそうなレストランドラマ

そうそう、意外と忘れがちだけど、レストランドラマにとって大切なこと。それは、作る料理が本当に美味しそうに見えることなんですね。

その点もぬかりない。今回の料理の監修は、あの「カンテサンス」の岸田周三シェフ。ご存知、12年連続でミシュランの三つ星を獲得した若き天才。この人の作る料理は、見てくれだけじゃなく、ちゃんとビジュアル通りに美味しいので、嘘がないんです(本当)。

そして、忘れちゃいけない、キムタク自身の料理の腕。考えてみれば、あの「BISTRO SMAP」で20年に渡り、腕を振るってきたのだから、その辺の料理人より、よほどキャリアがある。同ドラマは料理シーンもたくさんあるが、もちろん全て、キムタク自身が演じている。

今後、同ドラマは三つ星の獲得と併せて、かつて尾花を貶めた“犯人”探しが佳境に入ってくるだろうが、王道ドラマの法則に従えば、真犯人は最も怪しくない人物ということになり、「ハハーン」と予想してしまうが――さて(笑)。

この続きは「反省会」でやるとしますか。今度こそ、早めに書きます(笑)。
また、お会いしましょう。

第52回 クドカン応援&再放送記念~大河『いだてん』を改めて考察する

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皆さん、ご承知の通り――先の3月31日、脚本家の宮藤官九郎サンが新型コロナウイルスに感染したことが、所属事務所の大人計画から発表された。幸い、今のところ症状は発熱のみで、少しずつ快方に向かわれているそう。一日も早いご回復をお祈りします。

さて、そんな中――奇しくも、この4月6日から、彼が脚本を書いた昨年のNHK大河ドラマ『いだてん』の再放送がNHK-BSプレミアムで始まった。となれば、クドカンさんへのエールも込めて、改めてこのタイミングで同ドラマを振り返るのもありかもしれない。再放送を機に、途中脱落した人が戻ってくるかもしれないし、初めて視聴する人もいるかもしれない。何せ、今や僕らは毎日、家にいるのだから。

というワケで、今更ながら『いだてん』を“考察”したいと思います。それは、どんなドラマだったのか。何がよくて、何がイマイチだったのか――改めて分析した上で再放送を見返せば、また違った風景が見えてくるというもの。

『麒麟がくる』好調の影に沢尻砲あり

――と、その前に、現在絶賛放映中の大河『麒麟がくる』についても少々。初回視聴率は19.1%と、16年の『真田丸』以来の高い水準となったのは、ご承知の通り。その後は下がったり、上がったりしながら、まずまずの出足だろうか。個人的には、久々の王道大河の匂いがして、割と楽しんでいる。

とはいえ、一般にドラマの序盤の数字って、内容云々よりも期待値の高さを表しているんですね。つまり、現段階での『麒麟がくる』の健闘ぶりは、舞台である「戦国時代」人気と、多少なりとも「沢尻砲」のお蔭でしょう。

そう、沢尻砲――。
俗に「100の番宣より、1本のニュース」と言われるように、沢尻エリカさんが同ドラマの告知に果たした役割は、やはり大きいのです。普通、マックで女子高生は大河ドラマの話をしないけど、「沢尻エリカ、麒麟惜しいことしたね~」とは言ってそうでしょ。

正直、撮影済みの分はそのまま放映して、新撮分から川口春奈サンに代わればよかったのに、とも思う。川口・帰蝶も魅力的だけど、沢尻・帰蝶がどんな風だったのか、個人的に両者を見比べてみたかったし――。

出演者の不祥事にテレビ局が対処する理由

まぁ、これが民放なら、まだ分かる。あちらはスポンサーの広告費で番組が制作されているので、いざコトが起きたら、スポンサーのイメージを損ねることがあってはいけない。だから、テレビ局の営業担当と広告代理店がスポンサーのところへすっ飛んで平謝りしつつ、代役なり差し替え放送なり、次善の策を提案しないといけないんです。

それに対して、NHKは国民の受信料で賄われる公共放送だ。何かコトが起きても、NHKのイメージを損ねることはあっても、国民のイメージが下がることはない(当たり前だ)。それに、大河ドラマがかなり前倒しで収録されていることは視聴者の誰もが知っている。ちゃんとテロップでお断りを入れたら、「まぁ、予算も時間もかかっているし、仕方ないよね」と、お茶の間は分かってくれたと思う。

1分短縮は『いだてん』チームの作戦勝ち?

現に、前作の『いだてん』は、巨額の税金の申告漏れなどが報じられたチュートリアル徳井サンに代役を立てることなく、テロップで対処して、表向きは編集で1分削った体で放送した。そして――お茶の間はそれを受け入れたのだ。いや、むしろ制作側の英断(徳井サンの出番が意外と多かった)を称賛する声すらあった。

実際、編集前の内容を僕らは見ていないので、本当に彼が演じた大松監督のシーンが削られたのか、真実は誰にも分からない。個人的には、僕は『いだてん』チームの作戦勝ちだと見ている(ニヤリ)。

それに、だ。NHKはかつて同じ大河の『勝海舟』(1974)で、前代未聞の主演俳優の途中交代劇すら経験している。言っとくが、主演の交代だ。渡哲也サンが病気のために9話で途中降板し、10話から松方弘樹サンが代わって主役の海舟を演じたのだ。それでも、お茶の間は何事もなかったかのように視聴を続け、同ドラマは最高視聴率30%超えの成功を収めている。

そう、代役なんて、作り手が思ってるほど、お茶の間は気にしてないんです。『麒麟がくる』の途中で、帰蝶(濃姫)が沢尻サンから川口サンに代わったところで、お茶の間は「だよね」くらいにしか思わなかったはず。ちなみに『勝海舟』は、脚本の倉本聰サンも途中降板して、それを機に東京から北海道へ移住するんだけど――それはまた、別の話。

大河史上最短の全44話に

なんにせよ、撮り直しで得する人間なんて、誰もいない。川口春奈サンだって、新撮分から登場した方が、どれだけ気が楽だったか。まぁ、今のところ川口サンの演技は好評で、彼女がメインで登場した第7回「帰蝶の願い」なんて、前週から1.2ポイントも視聴率を上げて、15%に乗せたほど。

とはいえ、今回の措置でお金と時間が余計にかかり、既に放送開始が2週遅れたのは事実。今年1月、NHKから『麒麟がくる』が大河史上最短の全44話になるのが発表されたけど、2週遅れのしわ寄せが、多少なりとも総回数に影響を与えたのは間違いない。ただでさえ、今年は「東京オリンピック・パラリンピック」の中継で、当初から5週間の休止が決まっていたワケだから――。

――と、思っていたところに、よもやの新型コロナウイルス騒動で、そのオリ・パラの延期である。となると、逆にその空いた5週間の穴埋めをどうするのだろうと心配していたら、今度は「緊急事態宣言」で収録自体が休止に。結果的に、空いた5回分が収録スケジュールを調整する“緩衝材”になりそうで、なんやかんやで結果オーライか。

『いだてん』とは何だったのか

そんな次第で、ちょっと話が横道に逸れてしまったが(長すぎる!)、ここからは『いだてん』の考察に移りたいと思います、ハイ。

さて、ご存知の通り、同ドラマは1年間の平均視聴率が大河ドラマ史上最低となる8.2%。それまでの最低が『平清盛』(2012)と『花燃ゆ』(2015)の12.0%だったから、これはダントツである。しかも、初の一桁。しかし一方で、SNSでは終盤、かつてない盛り上がりを見せたのも、また事実である。

一体、『いだてん』とはどういうドラマだったのか。良作だったのか、駄作だったのか、それとも――。その辺りについて、なるべく客観的な目線から考察したいと思う。

僕が『いだてん』を語る理由

おっと、その前に、まずは僕の立ち位置の説明から。
僕は以前、もう10年以上前になるが――『幻の1940年計画』(アスペクト)なる本を出したことがある。その本では、戦前の1940年(昭和15年)に行われる予定だった東京オリンピックと日本万国博覧会、それにテレビ放送と弾丸列車計画を“幻の4大偉業”として紹介した。

よく、戦後日本の4大偉業として、比較的短期間で成し遂げられた「東京オリンピック・大阪万博・新幹線・テレビ放送」の4つの事業が語られるが、それらのルーツは戦前にあり、コトの真相は戦前から戦後へ計画が分断されることなく続いていた――というのが、この本の趣旨だった。

それって、『いだてん』が描いた、1940年の“幻の東京オリンピック”を招致した嘉納治五郎の志が、戦後に田畑政治や東龍太郎たちへと受け継がれ、1964年に花開いた――とするプロットと基本、似ていると思いません? そんな次第で、僕には少しばかり、『いだてん』に物申す権利があると勝手に自負している。

歌舞伎座で大人計画が上演したのが『いだてん』

さて、まずは視聴率の話から始めたいと思う。
――と言うと、「視聴率なんて関係ない! 大事なのは中身だ!」と憤る『いだてん』ファンの方もいるかもしれないけど、まぁ、落ち着いて。何も、そこを責めようって話じゃない。

なぜ、かくも『いだてん』が歴史的低視聴率に終わったのか。これはシンプルな話、いわゆる“大河ドラマ”じゃなかったからだと思います。要は、クドカンのドラマだったと。それを「大河」の枠で放送したから、客とのミスマッチが起きた――たった、それだけの話なんです。ドラマのクオリティどうこうではなく。

こう考えたらどうだろう。
『いだてん』とは、東銀座の歌舞伎座で、大人計画が上演した演劇だったと。それだと、普段、歌舞伎を見慣れている常連客たちにとっては、相当違和感のある舞台に映っただろう。台詞は早口だし、場面転換も早いし、コメディ色もかなり強い。正直、何をやっているのかよく分からない、というところか。だから、幕間に一人帰り、また一人帰り――。

これが、下北沢の本多劇場で上演していたら、大入り満員でドッカンドッカンとウケたに違いない。SNSで絶賛した人たちは、要は本多劇場の常連客たちだったと。つまり、『いだてん』とは、枠(ハコ)と演目のミスマッチが招いたドラマだったんです。

芥川賞=大河に対する、直木賞=金曜時代劇

個人的には――僕は、『いだてん』は別の枠でやった方がよかったと思う。単刀直入に言えば、大河とは別の“娯楽時代劇”の枠だ。

思い返せば、NHKには昔、総合テレビのプライムタイム(夜8時)に、「金曜時代劇」や「水曜時代劇」と称する娯楽時代劇の枠があったんですね。要は、正統派の歴史ドラマの“大河”と対を成す存在として、エンターテインメント路線の時代劇の枠があったと。いわば芥川賞に対する直木賞のようなもの。

ちなみに、その枠――紆余曲折あって、今では、週末の夕方6時台に放送している、近代劇も扱う「土曜時代ドラマ(40分枠)」と、BSで放送される、昔ながらの娯楽時代劇枠の「BS時代劇(45分枠)」の2つに分かれて、一応存続はしている。ただ、ここ1年くらいは、「BS~」で放送したものを再編集(5分短縮)して「土曜~」で再放送するという同一化が進んでいる。

地上波20時台に「大型娯楽時代(近代)劇」枠の復活を

まぁ、こういう言い方をしたらなんだけど――ぶっちゃけ、夕方6時台の放送にしろ、BSのドラマにしろ、地上波のプライムタイムのドラマに比べて、どうしても“格落ち”感は拭えない。予算も大河と比べて相当低いし、出演者もそれに順ずる。やはり、地上波のプライムタイムで放送してこそ、“大作感”を醸成できるし、予算も増えるというもの。

NHKに1つ提案。
僕は、NHKの娯楽時代(近代)劇枠は、かつてのように地上波(総合テレビ)の夜8時台に戻すべきだと思う。つまり、局の「看板枠」だ。それなら、『いだてん』をやるのに丁度よかったのではないか。視聴者もエンタメ路線に慣れているので何の違和感も抱かなかっただろうし、視聴率も大河でやるより2倍は取れたかもしれない。

大河の視聴率を上回った『天下御免』

実際、かつて「金曜時代劇」時代に放送された、早坂暁サン脚本の『天下御免』(1971-)なんて、平賀源内が主人公で、江戸時代のごみ問題や受験戦争を描くなど、かなりアグレッシブな娯楽時代劇(ちなみに、三谷幸喜サンがこのドラマのファン)だったんだけど――全46話(一年間)の放送で、平均視聴率が30%を超えたんですね。なんと、同じ年に放映された大河ドラマの『春の坂道』の年間平均を10%近く上回ったんです。

僕は、近年、スイーツ路線など迷走しがちだった大河ドラマを立て直す意味でも、大河と同格の大型娯楽時代(近代)劇の枠を、地上波のプライムタイム(夜8時台)に復活させるべきだと思う。それも、半年から1年間の放送に拡大して。それが叶えば、大河は大河で迷わず王道路線を貫けるし、一方の大型娯楽時代(近代)劇枠も、よりチャレンジングな作風に挑めるというもの。NHKさん、どうでしょう?

『いだてん』が犯した2つのミス

では、いよいよ肝心の『いだてん』の内容面の検証に移ることにする。

なんだか、SNSでは終盤、『いだてん』を褒める声ばかりになり、「いだてんを褒めるワタシが好き」「いだてんを褒めるワタシはインテリ」状態になってるきらいもなくはなかったけど――そりゃ、最後まで見続けた人たちは、『いだてん』が好きで見ている人たちだから、そうなるのは当たり前。いわゆる視聴者の“純化”ですね。視聴率6%の世界とはそういうもの。

ただ、全く批判のない世界も、作り手にとっては味気ないし、ドラマ界にとってもあまりいいことじゃないので、このコラムでは前向きな意味で、忌憚のない感想を述べたいと思います。

単刀直入に言いましょう。
僕は、『いだてん』は、2つのミスを犯したと思う。1つは、古今亭志ん生のパートを入れたこと。もう1つは、嘉納治五郎を主人公にしなかったことである。

最初は「古今亭志ん生物語」だった

順を追って説明しましょう。
まず、古今亭志ん生のパートだけど、これはクドカンさん自身がインタビューでも再三語っているように、当初は大河とは関係なしに、「志ん生」のドラマを書こうとしたんですね。

クドカンさん自身、昔から落語好きを公言してるし、かつてTBSで落語を題材にしたドラマ『タイガー&ドラゴン』(2005)を書いて、これは視聴率・内容とも評価され、ギャラクシー賞にも輝いた。だから、タラレバの話になっちゃうけど、どこか別の枠で、シンプルに古今亭志ん生の一代記を書いていれば――普通に傑作として評価されたと思う。

これは僕の推測だけど、恐らくクドカンさんは、志ん生物語を『タイガー&ドラゴン』のフォーマットで書こうとしたのではないか。

「本歌取り」というプロット

そう、『タイガー&ドラゴン』のフォーマット――いわゆる各回のサブタイトルを落語の演目にするってやつですね。例えば『志ん生物語』なら、冒頭、高座で晩年の志ん生が「黄金餅」や「鈴振り」など得意の演目を一席やっている。その語りの途中から回想シーンに乗り変わり、志ん生の青年期のドラマが始まる。で、そのストーリーが、冒頭の演目とリンクする、いわゆる「本歌取り」のプロットになっている――ほら、面白そうでしょ?

実際、そのフォーマットに近い回が、『いだてん』の第39回「懐かしの満州」だったと思う。残念ながら、ラグビーW杯「日本VSスコットランド」戦の真裏に当たり、大河最低視聴率となる3.7%に沈んだけど――志ん生が慰問先の満州で、終戦直後のソ連が侵攻してくる史実を背景に、持ちネタの「富久」を、浅草と日本橋をちょいと往復する話から、“浅草と芝”という遠距離をガムシャラに往復する話へと大転換するエピソードが描かれた。クドカンさん曰く「最も描きたかった回」だったそうで――。

イメージは『フォレスト・ガンプ』

思うに、志ん生の青年期は自著以外の資料がほとんどないので、志ん生物語のベースは、この満州の回のように、史実としての時代を描きつつ、そこにフィクションとしての志ん生のエピソードを乗せる展開になったと思う。そう――イメージは、トム・ハンクスの『フォレスト・ガンプ/一期一会』だ。歴史の重要場面に、ことごとくガンプ=若き志ん生が居合わせるパターン。これなら、明治・大正・昭和の近代史を、志ん生らしい“下町の庶民目線”で描けるというもの。

多分、この段階で、クドカンさんの頭の中には、既にビートたけしサンのキャスティングがあったと思う。彼にとって、たけしサンは中学時代に『オールナイトニッポン』を聴いて以来の憧れの人だし、晩年の志ん生を演じるのに、年齢的にも丁度いい(どちらも70代前半)。何より――晩年の志ん生は、1961年に脳出血で倒れて以来、全盛期の立て板に水の語り口が影を潜めた。ある意味、これはバイク事故で生死を彷徨い、奇跡的に助かった現在のたけしサンとも重なる。

再度、タラレバになっちゃうけど――僕は、この『古今亭志ん生物語』を「土曜時代ドラマ」枠(多分、当初はこの枠で話が進んでいたと思う)で、2クール(半年)くらいやるのが一番よかったと思う。間違いなく、傑作になっていただろう。

だが、そこにNHKの政治力学が働く。そう、“夕方6時台”問題だ。

大河ドラマへの誘い

ここから先は、完全に僕の推測になる。

NHKとクドカンさんの間で、この『古今亭志ん生物語』を話し合ううち、どこかの段階で、「果たして、土曜時代ドラマはクドカン作品を放送する枠として相応しいのだろうか」というNHKの政治力学が働いたのではないか。まぁ、クドカンさん自身は、そういうのにこだわらない人だけど、NHKサイドとしては、『あまちゃん』で朝ドラを盛り上げた功労者でもあるし、もっと大きい枠で扱いたい――という野心が芽生えたのかもしれない。

そうして、色々と話し合ううちに、「大河」の話が出てきたのではないか。ただ、そうなると古今亭志ん生の話だけでは資料も少ないし、さすがに1年間はもたない。そこで――恐らくNHKサイドの提案だろうけど、2020年の東京オリンピックと絡めて、志ん生の話と並行して、日本と近代オリンピックの歴史を紐解く物語のアイデアが出たと推察する。

オリンピックは平和の祭典

日本の近代史というと、戦争の連続で、どうしてもきな臭いイメージが付きまとう。クドカンさん自身もインタビューで、権力者たちの近代史をストレートに描くのには抵抗があるが、志ん生を通してなら「下町の庶民」目線で近代史を語れるからいいと答えている。同様に、NHKサイドは、オリンピックは平和の祭典だから、「スポーツ」目線で近代史を語れば、これも権力者目線とは違う、新たな近代史を描けると説いたのではないか。

そう、「庶民」と「スポーツ」――いわゆる権力者ではない、2つの目線による日本の近代史だ。ある意味、サブカル好きのクドカンさんらしい大河ドラマとも言える。この時点では、そんなに悪くない企画に見える。

だが、そうなると、鍵となる人物をもう一人登場させないといけない。
嘉納治五郎である。

大きすぎた嘉納治五郎

そう、嘉納治五郎――。
ご存知、講道館柔道の創設者であり、アジア初のIOC(国際オリンピック委員会)委員であり、日本がオリンピックに参加する道を開拓し、1940年の幻の東京オリンピックを招致した偉人である。だが、彼自身は戦争への足音が聞こえる中、最後まで「平和の祭典」を唱え続けながらも、志半ばで没した。

そして、そんな治五郎が抱いた「東京オリンピック」への夢は、戦後、田畑政治や東龍太郎らに引き継がれ、やがて1964年に花開いた。そう、オリンピック目線の日本の近代史とは、要するに嘉納治五郎の物語でもある。

――となると、この物語は、古今亭志ん生と嘉納治五郎という2人の人物を主人公に据えるのが順当だろう。
だが、ここで新たな問題が持ち上がる。自著以外、ほとんど資料らしい資料が残されていない青年期の古今亭志ん生に対し、嘉納治五郎は22歳で「講道館」を設立して以来、資料が山のようにある。加えて、IOCの委員になって以降は、世界を股にかけて活躍しており、歴史の表舞台の人物になった。

そう、嘉納治五郎が大きすぎたのだ。志ん生と対を成す主人公として描くには、あまりにバランスが悪いのだ。

浮かび上がった金栗四三

恐らく――打ち合わせ早々、嘉納治五郎の存在感の大きさを悟ったクドカンさんは、日本の近代オリンピック史の物語の案に賛成しつつも、嘉納に代わる、新たなオリンピック関係者を探し始めたのではないか。このままでは志ん生が呑まれてしまうと――。

そうして色々と調べるうち、日本人初のオリンピック選手である金栗四三に行き着いたと。年齢を調べると、志ん生と一つ違いでバランスもいい。しかも、初めて出場したストックホルム大会では、マラソン競技の途中で気を失って、知らない人の家の庭で倒れていたという人間くさい一面もある。更には、それから半世紀以上を経た1967年には、そのストックホルム市に招待され、55年かけてマラソンをゴールしたという感動的な逸話まである。

そう――金栗四三の人生そのものが、壮大なマラソンなのだ。あまつさえ、戦前で生涯を閉じた嘉納治五郎に対して、四三は戦後も生き延び、1964年の東京オリンピックも目撃している。彼こそ、半世紀に渡る日本の近代オリンピック史の語り部に相応しいだろう――クドカンさんは会心の人物の発掘に、きっと心を躍らせたに違いない。

四三のもう一つの顔・駅伝走者

加えて、金栗四三にはもう一つの顔がある。それは、日本発祥の「駅伝」競技の発展に寄与したキーマンであること。
実際、四三は日本で初めて開催された駅伝で、栄えあるアンカーを務めており、また、あの「箱根駅伝」の創設者の一人でもある。四三なくして、今日の「駅伝」の隆盛はなかったと言っていい。

そんな駅伝の醍醐味と言えば、「襷(たすき)」である。そう、襷を繋ぐところに人間ドラマが生まれる。ならば――金栗四三から始まる「日本の近代オリンピック史」の物語も、襷を繋ぐように主人公をバトンタッチできないか。つまり、時代が進むごとに主人公をリレー方式で繋いでいけないか――そんなアイデアをクドカンさんが思いつくのに、そう時間はかからなかったと推察する。恐らく、『いだてん』というタイトルは、この段階で考案されたと思う。

主人公をリレー方式で繋ぐ

例えば、それはこういうプロットだ。
物語の序盤、まず金栗四三が主人公として物語が展開する。彼は日本人初のオリンピック出場を果たすが、思うような結果を残せず、主人公の“襷”を次の時代の水泳選手・前畑秀子へ引き渡す。そして彼女は、あの河西アナウンサーの「前畑ガンバレ」の実況もあり、日本人女性初の金メダルに輝く――。

その後、日本は悲願の1940年のオリンピック招致を成し遂げる。だが一転、戦争の影が近づき、無念の返上へ。そのまま日本は敗戦をも経験する。戦後、もはやオリンピックの“襷”は途切れたと思われたが――そこへ現れたのが「フジヤマのトビウオ」こと古橋廣之進。襷は蘇った。

そして時代は進み、1964年――日本は、一度は潰えた東京オリンピックを成し遂げる。この時、襷は「東洋の魔女」こと女子バレーボールチームの手に渡り、宿敵・ソ連を破って金メダル。その後、襷は再び金栗四三に引き継がれる。アンカーだ。彼は思い出の地、ストックホルムを訪れ、55年かけてマラソンをゴール――。

なるほど、四三に始まり、四三に終わる。これはこれで壮大な大河ドラマだ。企画書面(ヅラ)では、とてもよくできたプロットに見える。

連続ドラマにとって一番大事なもの

ところが、そのプロットには1つ大きな欠陥があったんですね。

連続ドラマにとって一番大切なものって、何だかわかります?
これは、あらゆる連ドラに共通する要素だけど、ずばり――「視聴者はこの続きを見たいか?」――この一点。とあるドラマを見始めた視聴者が、翌週も同じドラマを見続けるのは、シンプルに「この続きを見たい」から。

つまり、連続ドラマにとって欠かすことのできない要素とは、物語を強力に前に進める推進力なんです。ラブストーリーなら、2人の愛は成就するか? ミステリーなら、真犯人は誰か? 医療ドラマなら、患者の命は救われるか? 戦争ドラマなら――死ぬか、生きるか?

その考えに立てば、先の金栗四三に始まり、時代が進むごとに“主人公”をリレーしていくプロットは、一見、スター選手ばかりできらびやかには見えるけど、彼らはそれぞれの時代の象徴に過ぎず、物語を前に進める推進力に欠けるんですね。残念ながら、それだと日本の近代オリンピック史の“ドキュメンタリー”にしかならない。

オリンピックを日本で開催するまでの物語

では、原点に戻って、日本の近代オリンピック史にとって、物語を強力に前に進める推進力は何かと考えると――やはり、それは「オリンピックを日本で開催する」に尽きるんですね。

そう、嘉納治五郎が1909年にアジア初のIOC委員に就任して以来、そのゴールは、いつの日かオリンピックを日本で開催することだった。ならば、やはり嘉納を軸に物語を作るしかない。しかし、彼自身は戦前の1938年に志半ばで没する。そこで物語の後半は、そんな嘉納の遺志を受け継いだ者たちの群像劇になる。ゴールは1964年の東京オリンピックだ。

――これだ。これぞドラマのカタルシス。物語の中盤で一旦、奈落の底へと突き落され(東京オリンピック返上)、そこから這い上がり(戦後の復興)、幾多の苦難を乗り越え(招致活動)、ハッピーエンド(オリンピック開催)。そんなカタルシスたっぷりなドラマのキーパーソンの一人が、偶然にも氷川丸で嘉納治五郎の死を看取り、後にIOC総会で1964年の東京オリンピック招致を決定づける、名スピーチを披露した元外交官・平沢和重、その人である。

平沢氏の名スピーチ

そう、平沢和重。
時に1959年5月――ミュンヘンで開かれたIOC総会で、日本側の最終スピーチのプレゼンターとして登壇した彼は、こう紹介された。
「ただいま登壇した平沢和重氏は、かの嘉納治五郎先生の最期をみとった人物です」――その瞬間、各国のIOC委員たちは身を乗り出したという。IOCはいわば欧州の貴族たちのサロン。多くのメンバーは戦前から変わっておらず(←ここ重要)、嘉納は彼らにとって、かけがえのない友人だったからだ。

彼らを前に、平沢は流ちょうな英語でスピーチした。
「東京は極東(Far east)に位置しております。航空機の発達により“極”という文字は抹消されました。しかし、国際的な理解や人間関係については、この距離感は解消されておりません。IOC委員会の皆様、今こそオリンピック大会を、この五輪の紋章に表された第五の大陸、アジアに導くべきときじゃないでしょうか!」

沸き起こる拍手と喝さい――この瞬間、事実上、1964年の東京オリンピック招致は決まったと言っていい。そう、1940年に一度は潰えた夢を再び引き寄せたのは、平沢の名スピーチもさることながら、やはり彼の後ろに見え隠れする、嘉納治五郎の圧倒的な存在感だった。

東京オリンピックは戦後の奇跡ではなく“戦前からの悲願”

そう、『いだてん』で最も鍵となる部分は、この1940年の幻の東京オリンピックと、1964年の東京オリンピックを繋ぐ“ミッシングリンク”なんです。

一般に、僕ら戦後世代は、東京オリンピックを「戦後の奇跡」と教えられてきた。1945年の敗戦から、わずか19年で成し遂げた奇跡と――。
でも、本当は1909年の嘉納治五郎のIOC委員就任から掲げてきた「半世紀にも及ぶ悲願」だったんですね。その根底にあるのは、平和の祭典であるオリンピックを、いつの日か日本(東京)で開きたいという“志”――。

本来、『いだてん』が最も強調すべきポイントは、そこだったんです。それが、1909年から1964年までの半世紀にも及ぶ“大河”ドラマを描く理由だった。でも、残念ながら後述する諸般の事情で第1部の主人公が金栗四三になり、その辺りの物語の軸=カタルシスが希薄になったんです。

なぜ、金栗四三が主人公になったのか

大河ドラマとして、ストーリーテリング上の理想を言えば、主人公は嘉納治五郎を置いて他にない。でも、結果として一選手である金栗四三がその大役を務めることになった。なぜか?

――答えは、女優。
昨今の大河ドラマは、女性視聴者を意識して、またジェンダーへの配慮もあり、女性を主人公にしたり、あるいは主演男優と同格の女優(多くは妻役)を出すことがアンリトン・ルール(暗黙の了解)になっている。
それに従えば、第1話の時点で、50手前の初老で既婚者の嘉納治五郎が主人公だと、華のある20~30代の人気女優をキャスティングしにくいんです。

そう、大河の主人公は、若く、未婚であることが何より求められる。ある意味、国民的人気女優・綾瀬はるかを四三の妻・春野スヤにキャスティングするために、金栗四三が主人公に抜擢されたと言っても過言ではないのである。

遺志を受け継いだ者たち

話を嘉納治五郎の遺志を受け継いだ者たちに戻そう。もちろん、それは平沢だけじゃない。

戦後、日本体育協会会長やIOC委員などを歴任し、東京都知事として最前線で東京オリンピックの招致に尽力した東龍太郎は元より、『いだてん』では描かれなかったものの――私財を投じて中南米を歴訪し、各国IOC委員たちを“東京招致”へと説得して回った日系アメリカ人実業家、フレッド・イサム・ワダの功績も忘れてはならない。

政治家では、自民党の大物代議士・河野一郎が、戦前には1940年の東京オリンピック反対の急先鋒に立ちながら、戦後は一転、建設大臣として1964年の東京オリンピックの成功に尽力するという、ドラマチックなエピソードもある。

そして、なんと言っても『いだてん』第2部の主人公――朝日新聞記者の田畑政治の存在だろう。彼の場合、1932年のロス・オリンピックで水泳日本代表チームの総監督を務めており、戦前からオリンピックとの関りは深い。事実上、嘉納治五郎の遺志を継いだ筆頭格と言っていい。

第2部は群像劇が理想だった

ただ、理想を言えば、第2部の主人公は田畑に限定せず、フレッド・イサム・ワダも含めた、上記の複数人による群像劇がよかったと、個人的には思う。なぜなら、『いだてん』全体のバランスを眺めた時、あまりに戦前の話が長く、戦後が短すぎるからだ。

実際、放送では10月27日の第40回から、やっと戦後である。ここから最終回のオリンピック本番まで、わずか8話。この間、戦後の焼け野原からの復興があり、“フジヤマのトビウオ”こと古橋廣之進の登場があり、ロンドン五輪に対抗した“裏オリンピック”があり、東京五輪招致活動があり、鬼の大松の「東洋の魔女」引退騒動があり、平沢和重の名スピーチあり――etc

なぜ、これほどのエピソードがあるのに、戦後の話数が短かったか。
これはもう、主人公を田畑一人に特化したからですね。もちろん、彼はこの壮大な物語の最重要人物(キーマン)の1人だけど、彼自身が最も活躍したのは、弱冠33歳で水泳総監督に就任した1932年のロサンゼルス五輪。この時、日本競泳陣が獲得した金5・銀5・銅2の計12個のメダルは、当時の国別1位。そして、今なお日本が参加したオリンピック史上最多である。まーちゃん、凄い!

田畑主人公の副作用

――しかし、そこには副作用もあった。

田畑が主人公の『いだてん』第2部は、先の通り、このロス五輪が最も厚く作られた。第27話から31話までの計5話がそう。一方、田畑が本部役員に昇格して現場を離れたベルリン五輪は、わずか2話である。

その結果、何が起きたかと言うと、あの有名なベルリン五輪の「前畑がんばれ」が、本来なら83年前に金メダルを取ったのと同じ日――8月11日(2019年は日曜日だった)にオンエアできる千載一遇の機会だったのに――それを逸したのだ。せっかく、番宣等で盛り上がれるチャンスだったのに、オンエアされたのは、ロス五輪の男子・競泳陣だった。

オリンピックの政治利用の是非

また、1964年の東京オリンピックの聖火最終ランナーのエピソードも、田畑主人公の副作用か、若干ニュアンスが変えられた。

史実では、聖火最終ランナーを金栗四三や三段跳びの織田幹雄らレジェンドではなく、昭和20年8月6日に広島県で生まれた坂井義則青年にするプランは、自民党の河野一郎のアイデアだった。田畑は朝日新聞時代の同僚のよしみで、これをアシストしたのである。

だが、一方でこのプランは、当時マスコミから「オリンピックを政治利用するのか」と批判されたのも事実。ドラマでは田畑の発案とされ、彼の台詞「アメリカにおもねって、原爆に対する憎しみを口にしえない者は、世界平和に背を向ける卑怯者だ!」と美談仕立てにされたけど、コトはそう単純ではなかったのである。

本来なら、それは1940年の東京オリンピックの時から再三、田畑自身を悩ませてきたテーマ。もっと深く語られてもよかったと、個人的には思う。

『いだてん』の理想的なプロット

さて――色々と語ってきたが、ここらで僕の思う『いだてん』の理想的なプロットを示したいと思う。こうすれば、『いだてん』はもっと面白くなるはず――。

まず、スタートは1909年だ。物語は、嘉納治五郎がアジア初のIOC委員になるところから始まる。この辺りは、オリジナルの『いだてん』と変わらない。但し、主人公は金栗四三ではなく、嘉納治五郎である。そして、古今亭志ん生も登場しない。

翌年、嘉納は近代オリンピックの創始者にしてIOC会長であるクーベルタン男爵から、1912年に開催されるストックホルム五輪に日本も参加するよう、招待状を受け取る。そこで彼は思う――「いつの日か日本でもオリンピックを開催したい」と。壮大な大河ドラマの幕開けである。

嘉納目線+スター選手のリレー方式

そこからは、嘉納治五郎目線で物語が進みつつ、大会毎にその時々のスター選手にもスポットライトが当たる二重構造だ。

当然、ストックホルム大会では、日本人初のオリンピック選手である金栗四三が脚光を浴びる。続く1928年のアムステルダム大会では、日本人で初めて金メダルに輝いた陸上三段跳びの織田幹雄と、日本人初の女性オリンピック選手、人見絹江がクローズアップされる。36年のベルリン大会では、あの「前畑がんばれ」の前畑秀子のサクセス・ストーリーが描かれる。

そして同年――日本が初めてオリンピックに出場してから24年目、遂に嘉納治五郎悲願の1940年開催の「東京オリンピック」招致が実現する。それが第1部のクライマックスだ。しかし、不運にも時勢が悪化。嘉納は最後まで「平和の祭典」を願い続けながら、その77年に渡る生涯を閉じる。

本当の第2部

第2部は戦後のスタートだ。この部分は、オリジナルの『いだてん』とかなり異なる(オリジナルの2部は1924年のパリ五輪から)。そして、主人公は田畑政治に限定しない。田畑を筆頭に、東龍太郎、フレッド・イサム・ワダ、河野一郎、そして平沢和重――嘉納治五郎の遺志を受け継いだ者たちの群像劇となる。

そのフィナーレは、1964年の東京オリンピックの閉会式だ。今なお「史上最高の閉会式」の呼び声高い、五輪史上初めて選手たちが国籍や性別を越え、肩や腕を組んで国立競技場へ雪崩れ込んだという、あの閉会式。それまで整然と並んで入場するのが慣例だったオリンピックの閉会式が、いい意味で打ち破られた瞬間だった。

実はあれ、競技場の外で待ちくたびれた海外の選手たちの一部がお酒を飲んだ上でのハプニング。もしかしたら、終生オリンピックを「平和の祭典」と位置づけて疑わなかった、嘉納治五郎の魂が呼び寄せたイタズラだったのかもしれない――。

――ほら、嘉納治五郎を軸にすると、とてもシンプルなプロットに見えるでしょ? 「いつの日か、日本でオリンピックを開催する」という壮大なゴールに向かって、ひたすら人々が尽力する物語。これこそ、大きな歴史の流れ=いわゆる“大河”ドラマなんです。

『いだてん』の敗因は第1部

先に僕は、『いだてん』が犯した2つのミスとして、古今亭志ん生のパートを入れたこと、そして嘉納治五郎を主人公にしなかったことを挙げた。その2つを改善したのが、先に記したプロットである。

おっと、“ミス”という言い方は、あまりよくないかもしれない。「古今亭志ん生物語」の企画から始まって、様々な大人の事情や政治的な駆け引きもあり、現行の『いだてん』に落ち着いたのだ。それはそれで素晴らしい仕事だし、評価したい。ただ、僕が言いたいのは、返す返すも『いだてん』は、もっと面白くできたということ。少なくとも、第1部は――。

そう、第1部。金栗四三のパートですね。
思い起こせば、『いだてん』がSNS上で評価され始めたのって、第2部からなんです。阿部サダヲ演じる田畑政治編から。さもありなん、田畑編は先に示した理想のプロットと基本的なベクトルは同じ。嘉納治五郎の遺志を継いで、日本(東京)でオリンピックを開催するために関係者たちが尽力する物語。その構造は至ってシンプル。話をグイグイと前に進める推進力もあった。

第2部で減った志ん生パート

もっと言えば、第2部って、実は「古今亭志ん生パート」が第1部に比べて、相当減ったんですね。五輪パートと落語パートの比率は、第1部では3:2くらいだったのが、第2部では4:1くらいに差が開いた。それゆえ、ドラマとして、かなり見やすくなったんです。

もちろん、誤解してほしくないのは、何も「落語パートがつまらない」という話ではないこと。『いだてん』というドラマの理想のプロットとして、五輪と落語を並行して描くのは、やはり無理があった――それだけの話。現に、今でも僕は、クドカンさんの描く純粋な「古今亭志ん生物語」を心の底から見たいと思っている。

4つの話が“入れ子構造”になった第1部

実は、『いだてん』を絶賛してやまない映画評論家の町山智浩サンも、第1部で一度視聴を脱落したと、正直な心境を告白している。
仕方ない。だって第1部って、4つの話が入れ子構造になっていたのだもの。それは――

〇昭和30年代のオリンピック(田畑政治)の話
〇明治から大正にかけての金栗四三の話
〇昭和30年代の古今亭志ん生の話
〇明治から大正にかけての若き古今亭志ん生(孝蔵)の話

――と、まあ、これら4つの話が時空を超えて、行ったり来たりするものだから、熟練のクドカンファンでも、理解するのに相当苦労したはず。ましてや、お茶の間が理解するのは至難の業。「面白い・面白くない」以前に、僕はこの“入れ子構造”に、大半の視聴者はついていけなかったと思う。

予兆は『監獄のお姫さま』にあった

実はこれ、クドカンさんが『いだてん』を書く直前、TBSで書かれた連ドラ『監獄のお姫さま』に、既に予兆があったんですね。

あの話も過去と現在を行ったり来たりする話で、正直――分かりづらかった。視聴率もそれを裏付けるように、初回の9.8%が最高で、後は一度も上がることなく、全話一桁。まぁ、クドカンドラマは視聴率よりSNSで盛り上がると言うけど、正直、SNSもあまり盛り上がらなかった。

やっぱり、2つの時間を行き来する構造って、連ドラ向きじゃないんです。密閉空間で2時間集中して見続ける映画ならまだしも、スマホ片手に、生活音のするお茶の間で見るテレビドラマには向いていない。ましてや『いだてん・第1部』は、その時間軸の移動に加えて、「オリンピック」と「落語」という2つの物語の移動もあったワケで――混乱しないで見ろという方が、無理からぬ話である。

ディレクターズカット版を

NHKに1つ、お願いがある。
来年、1年延期された東京オリンピック・パラリンピックが成功裏に終わった暁には――よきタイミングで、『いだてん』のディレクターズカット版「オリンピック編」を放送してほしい。なぜなら、このまま埋もれさせるには、『いだてん・オリンピック編』はあまりに惜しいドラマだから。

それは、古今亭志ん生絡みの「落語」パートをそっくり削り、第1部をもう少し嘉納治五郎目線に寄せて、2クール――全20話くらいに再編集するというもの。

そもそも、『いだてん』に落語パートを入れたまま、最後まで貫き通したのは、「オリンピックのプロパガンダと思われたくない」というクドカンさんなりの意思表示だったと思うし、終わった後なら、気兼ねなく「オリンピック編」を再編集できるというもの。賭けてもいいけど、かなり面白くなると思う。

考えてくれませんかね、NHKさん。

第53回 ドラマ『BG〜身辺警護人〜』第2シーズンが予想以上に面白かった理由

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続編モノの傑作がある。

有名どころでは、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)シリーズだろう。たのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)や三原順子(現・じゅん子)らを輩出した第1シリーズも傑作だったが、今も語り継がれるのは、圧倒的に「腐ったミカン」の加藤(直江喜一)でお馴染みの第2シリーズのほうだ。最終回の1つ前、中島みゆきの『世情』が流れる中、加藤や松浦(沖田浩之)らがスローモーションで警察に連行されるシーンは、同シリーズ屈指の名場面と言われる。名手・生野慈朗サンの神演出だ。

ドラマ『救命病棟24時』(フジテレビ系)シリーズも、福田靖サンがメインライターに昇格した第2シリーズが最高傑作と呼ばれる。第1シリーズがともすれば米ドラマ『ER緊急救命室』のトレース(焼き直し)のように見られたのに対し、第2シリーズは新設された救命センターを舞台に、いわゆるチームものの群像劇として描かれ、同シリーズならではの世界観を作り上げた。最終回で医局長・小田切(渡辺いっけい)が帰らぬ人となるシーンはお茶の間の涙を誘い、シリーズ最高視聴率25.4%を記録した。

映画でも、続編が傑作と位置付けられるケースは珍しくない。ヴィトー・コルレオーネの若き日の姿を名優ロバート・デニーロが演じた『ゴッドファーザー PART II』は、前作に続いてオスカーの作品賞に輝いた。名匠ジェームズ・キャメロンが監督した『エイリアン2』は前作から作風を一変、イギリス雑誌エンパイアで「史上最高の続編映画」に選ばれた。かの『スター・ウォーズ』シリーズも、2作目の「帝国の逆襲」を最高傑作に挙げる声は多い。

そう、何が言いたいのかというと――今回、このコラムで取り上げる作品もまた、前作を凌駕する傑作ではなかったか、という話。先に最終回を迎えた木村拓哉主演のドラマ『BG〜身辺警護人〜』(テレビ朝日系)の第2シーズンのことである。

不幸な軌跡を辿った第2シーズン

――とは言え、この第2シーズン、放送まで極めて不幸な軌跡を辿ったのは、皆さん、ご承知の通り。当初、4月クールの連ドラとして予定されていたものの、同じクールの他のドラマと同様、新型コロナウイルスの影響で撮影が延期となり、2ヶ月遅れの6月中旬のスタートに。いや、それだけじゃない。なんと全7話に短縮されたのだ。いまだコロナが収束していない状況では、当初予定されていた内容の撮影が不可能となり、前シーズンも担当した井上由美子サンは、脚本を大幅に書き替えたという。具体的には、同ドラマの最大の見せ場になる予定だった、東京オリンピック・パラリンピック絡みの話が全て削除されたと聞く。

加えて、そもそも人気俳優はスケジュールに限りがある。ドラマのスタートが2ヶ月遅れたからと言って、最終回も2ヶ月遅らせるワケにはいかないのだ。稀代の名優・木村拓哉を抱える作品ゆえのジレンマである。

しかし――そんな不幸続きの一方で、この第2シーズン、第1シーズンよりもすっきりとして見やすく、そして面白かったという声をよく耳にした。実際、平均視聴率は前シーズンが15.2%だったのに対し、今シーズンは15.6%と上昇している。

一体、『BG』の第2シーズンとは、どういうドラマだったのか。終了した今だからこそ、作品全体を俯瞰して見えることがある。今回のコラムは、その辺りを掘り下げたいと思います。

“バディもの”への転換

まず、前シーズンと今シーズンの最大の違い、それは「チームもの」(群像劇)から「バディもの」(コンビ劇)に変更されたんですね。第1シーズンの主人公・島崎章(木村拓哉)は、日ノ出警備保障の身辺警護課の一員だったのに対し、今シーズンは組織から独立して私設ボディーガードとなり、高梨雅也(斎藤工)とバディを組んでいる。

そう、この“バディ”がポイントなんです。

チームものは、一般に刑事ドラマや医療ドラマでよく見かける王道パターンだ。個性豊かな仲間たちのパーソナリティや、痛快なチームワークを描けるので、かの『週刊少年ジャンプ』の三大原則“友情・努力・勝利”じゃないけど、お茶の間の共感を得やすい。

対して、バディものは、2人の会話劇が中心になる。ゆえにユーモアのあるやり取りを描きやすい。2人の関係性も、一見クールを装いつつも、根っこで信頼し合うといった、やや大人の関係になる。つまり、チームものより若干アダルトに、そしてコメディに振ったのが、バディものの特徴である。

『ルパン三世』はバディもの

分かりやすく言えば、かの『ルパン三世』がそうだ。あれ、一見チームものと思われがちだけど、基本構造はルパンと次元のバディものなんですね。2人の関係はクールで大人、時々コミカル。実際、テレビ版の第1シリーズでは、五ェ門や不二子が登場しない回も普通にあった。なので、高畑勲サンと共に第1シリーズを演出した宮崎駿サンが、日本テレビから第2シリーズの演出をオファーされた際、「五エ門が出演しない回を作ってもいいか?」と返事をしたのは有名な話。結局、銭形を加えたレギュラー5人の登場は毎回マストだと言われ、要請を断ったそう(後に2回だけ演出)。

ちなみに、宮崎駿監督の映画『ルパン三世 カリオストロの城』は、見事にルパンと次元の大人のバディ作品に仕上がっている。ヒロインはクラリスで、ヒール役はカリオストロ伯爵。五ェ門や不二子の存在感は薄い。

テレ朝シリーズドラマへのリスペクト

それにしても、第2シーズンが作られるに至って、何ゆえチームものからバディものに設定が変えられたのか? 普通に考えると、チームもののほうが物語にバリエーションが生まれ、話を作りやすい気がする。

そもそも、これまで木村拓哉という役者は、連ドラの続編はやらないスタンスだった。例外として、映画も作られた『HERO』(フジテレビ系)があるくらい。何しろ、稀代の名優である。1つの役柄に安住せず、常に新作との“一期一会”を大切にするのが、彼の身上。それなのに――ここへ来て、この変化。一体、俳優・木村拓哉の身に何が起きたのか。

それについては、今年3月に、同ドラマの制作発表の場でキムタク自身が行った挨拶に、何かしらのヒントがありそうだ。こんな内容だった。

「テレビ朝日さんにはシリーズ化されているドラマがたくさんありますが、その継続スタンスや努力、チームワーク、残されてきた結果と比べると、『BG』はまだまだ赤子のようなもの。しっかりとした内容や世界観を作って、継続する意味を持たせないと、ほかのシリーズ作品に失礼だと思うんです。現場でもキャスト、スタッフ一丸となって取り組み、『BG』の新しいストーリーと新しい形態をしっかりと紡いでいきたい」

――いかがだろう。キムタクさん、シリーズ化へ気合十分である(笑)。そう、彼が指摘している通り、テレビ朝日という局は、昔からシリーズドラマが多い。近年でも、『相棒』を始め、『科捜研の女』、『ドクターX』、『特捜9』、『警視庁・捜査一課長』、『刑事7人』、『遺留捜査』等々と、枚挙に暇がない。

目標はキング・オブ・バディの『相棒』?

この挨拶から読み取れることがある。それは、キムタクが同局のシリーズドラマに、ことさら敬意を表していること。タイトルこそ挙げていないが、恐らくこの時、彼の脳裏にあったのは――『相棒』だろう。そう、21世紀を代表するキング・オブ・バディ。キムタクは、テレ朝から『BG』の続編を打診された際、引き受けるに当たって、同局のシリーズドラマのトップに君臨する『相棒』を目標に据えたのではないか。ゆえに、同じ土俵のバディものに転じたと――。

それに、チームものなら、既に自身が主演した『HERO』(フジテレビ系)という実績がある。映画化もされ、第2シリーズも作り、素晴らしい結果を残した。何せ、チャレンジ好きのキムタクである。次にシリーズものをやるなら、チームものじゃない路線を狙いにいったのは、容易に想像できる。

役者・木村拓哉の心境の変化

ここから先は想像の世界になる。ではなぜ、これまで作品の続編を固辞してきたキムタクが、ここへ来てシリーズドラマを解禁したのか。思うに、昨年7月にジャニー喜多川さんが亡くなられたことが、彼の役者としての人生観に大きな変化をもたらしたのではないだろうか。

これはジャニーズ事務所に限らず、日本の芸能プロダクションの共通の悩みだが、偉大な創業者(カリスマ)が亡くなると、どうしても人間関係が資本のプロダクションの体力は弱体化する。実力あるタレントたちは独立を画策し、有能なマネージャーも彼らを引き連れ、暖簾分けを求める。ジャニーズ事務所も例外ではないだろう。

一方、事務所に残る方は残る方で、こちらは組織の立て直しに必死にならざるを得ない。キムタクの場合、皆さんご承知の通り、元SMAPで唯一、事務所残留の道を選んだ。もはや、これまでのように事務所に守られる立場ではなく、逆に、将来の幹部候補として事務所を守る側の立場になった。

そうなると、毎年コンスタントに作られるシリーズドラマは、俳優・木村拓哉としてはもちろん、ジャニーズ事務所を守る立場としても魅力的な仕事になる。こう言っては何だが、バーターで事務所の若手を出演させることもできる(※その是非は別の話)。それに一昔前と違い、今は視聴者がNetflixやAmazonプライムビデオで海外のドラマを見る機会が増え、あちらはシリーズドラマが標準仕様なので、もはや日本特有の「シリーズドラマ=守りに入ったおっさんドラマ」みたいな古い価値観は、昔の話になりつつある。

『踊る大捜査線』が確立したヒットの定石

そんな次第で、俳優・木村拓哉がシリーズドラマに舵を切ったと推察するが、続編制作にあたり、バディものに変更したのは正解だったと思う。

というのも、チームワークを描いた第1シーズンもそれなりに面白かったけど、どこか違和感があったのも事実。思うに、それは、クライアントが大物すぎたことではなかったか。例えば、大臣を務める女性政治家だったり、元有名プロサッカー選手だったり、元総理だったり――。

これは、かの『踊る大捜査線』(フジテレビ系)が確立したヒットドラマの定石だけど――「主人公は小さな事件を扱うべき」というものがある。

例えば、『踊る~』でよくある展開が、湾岸署の管轄内で大事件が起きるも、“本店”こと警視庁捜査一課が大挙して乗り込んで捜査を行い、“所轄”は弁当や布団の手配などの雑用に回されるというもの。その時、管轄内で小さな事件が起こり、青島(織田裕二)や和久さん(いかりや長介)は、そちらの現場に出掛ける。だが、捜査を進めるうちに、次第に大事件と小さな事件がクロスして、やがて小さな事件のほうに、大事件を解く鍵が隠されていたのが発覚する――という鉄板のパターンだ。

そう、この定石に従うと、島崎(木村拓哉)ら民間のボディーガードは、もっと庶民的な民間人を警護しないといけない。多分、その辺のコンセプトの弱さ、曖昧さが、漠然と前シーズンの違和感になったのではないか。

コンセプトの再構築へ

そこで――第2シーズンを始めるにあたり、今後、長期的なシリーズドラマに育てるためにも、作品のコンセプトが再構築されたと推察する。そう、第2シーズンのキラー・ワード「弱き者の盾になる」がここで登場する。従来の要人警護から、もっと庶民の味方へ。ただ、そのためには大手の警備会社では都合が悪い。できれば、古い雑居ビルに小さな事務所を構えるような私設ボディーガードのほうがいい。

そこで――島崎には会社を辞めてもらい、個人で事務所を開いてもらう。とはいえ、一匹狼だと台詞が生まれにくいので、“相棒”役を設定する。幸い、近年の海外ドラマを見ると、イギリスの『SHERLOCK(シャーロック)』や、アメリカの『SUITS/スーツ』など、バディものが“来ている”。

好都合なことに、ボディーガードの仕事も、リーダー役の「BG(ボディーガード)」と、「バックス」と呼ばれる後方支援の2人体制が基本である(街中で見かける現金輸送のガードマンも2人体制でしょ?)。何より、第1シーズンで流行らそうとして今ひとつ浸透しなかった、仕事に入る前にボディーガード同士が腕時計を見せ合い、「誤差なし!」と唱える動作も、チームでやるより2人でやる方が画面映えしそうだ。

かくして――木村拓哉演ずる島崎は、いい感じの古い雑居ビルに、私設ボディーガードの小さなオフィスを構え、斎藤工演ずる高梨とバディを組み、庶民的なクライアントの依頼を受け、“弱き者の盾になる”――そんな鉄板のコンセプトが出来上がったのである。

名人・井上由美子が仕掛けた神プロット

ドラマ『BG』の脚本を前シーズンから全話手掛けるのは、井上由美子サンである。彼女が素晴らしいのは、第2シーズンを始めるにあたり、この鉄板コンセプトをベースに、更に新しいドラマの要素を付加したのである。

それは、「ミステリー」と「人間ドラマ」だった。例えば、島崎は体を張ってクライアントの身体警護(=弱き者の盾になる)に当たるが、彼には密かに思うところがあり、ドラマの終盤、それ(=クライアントが本当に守りたかったもの)が明らかになる。いわゆるミステリー的展開である。そして、その“解”を得て、クライアントは人生を取り戻し、今度はボディーガードに守られることなく、自らの足で新しい第一歩を踏み出す――。

そう、ここに至り、アクション、ミステリー、人間ドラマの要素が三位一体となった、第2シーズンの神プロットが完成する。そして、その中から最高傑作・第2話が生まれたのである。

救われた2話

僕は、かねがね「優れた連ドラはニコハチ」の法則を唱えている。2話と5話と8話が面白いドラマは、概ね良作という意味合いだ。1話はドラマの世界観と人物紹介に費やされるので、最初の通常運転の2話、話が一旦収束に向かう(恋愛ドラマなら主人公とヒロインが一旦結ばれる)5話、主人公の内面が明らかになり、最終回へ向けてもうひと山が始まる8話――である。

その法則に当てはめると、『BG』の第2シーズンは残念ながら、全7話と打数不足は否めない。実のところ、撮影が休止される前に撮られていたのは2話まで。3話以降は脚本が書き替えられ、撮影の制約も多かったと聞く。正当な判断をするのは難しい。

とはいえ――ラッキーなことに、同ドラマは肝心の2話が抜群に面白いのだ。救われたというか、コロナが本格化する前に、2話まで撮らせてくれた連ドラの神様に、改めて感謝したいところである。

島崎が本当に守ろうとしたもの

2話のストーリー自体はシンプルだ。盲目の天才ピアニスト・恵麻(川栄李奈)の身辺警護の依頼が、島崎のもとに寄せられる。仕事を持ち込んだのは、島崎の前の職場「KICKSガード」の元同僚・沢口(間宮祥太朗)である。当初は、同社の沢口とまゆ(菜々緒)が警護を請け負ったが、社の規定で契約が打ち切られたらしい。

その理由とは、クライアントの自殺願望――。つまり、大手の警備会社では扱えない危険案件という。だが、“弱き者の盾になる”島崎は、その仕事を受ける。そして、高梨と共に恵麻の警護に就くが――彼女はなかなか2人に心を開かない。そんな矢先、恵麻が何者かに命を狙われ、体を張ってクライアントを守る島崎。この時、背中で階段を滑り落ちるキムタクが実にいい。同回屈指の見せ場である。

物語の終盤、島崎は恵麻が心を閉ざす理由が、彼女のマネージメントを務める姉の美和(谷村美月)にあると見抜き、“恵麻を誘拐する”奇策に打って出る。島崎の狙いは? そして、彼が本当に守ろうとしたものとは――?

もし、『BG』の第2シーズンを未見の方がいたら、とりあえず、この2話だけでも見るのをお勧めします。キムタクの華麗なアクション、謎が渦巻くミステリー的展開、そしてクライアントが新たな一歩を踏み出す感動の人間ドラマ――これらが三位一体となった神プロットを楽しめます。

劉社長のパートは必要だったのか

ここからは、同ドラマの主要な登場人物たちについて、解説したいと思う。

まず、今シーズンから新たに登場した、仲村トオル演ずるIT社長の劉光明――。彼は野心家で、日ノ出警備保障を買収して「KICKSガード」に社名を変更、更にクライアントを政財界のVIPに限定するという、上昇志向の男である。これでは、島崎と合いそうにない。

案の定、1話で島崎は劉と衝突して、会社に辞表を提出する。そして劉は、シーズンを通して“黒幕感”を匂わせるが、正直、お茶の間はそこまで彼に感心がなかったようにも思う。ぶっちゃけ、劉は島崎が会社を辞めるための“カウンター”として存在し、独立した時点で役割を終えたとも――。

実は、この第2シーズン、脚本の井上由美子サンには申し訳ないが、この劉のパートが蛇足に見えたんですね。彼に雇われた謎の男・加藤(中村織央)が毎回、島崎を襲うんだけど、これもよく分からない。

俗に、この一話完結をベースに、ゆるく連ドラ的なストーリーを乗っける手法を「踊る大捜査線パターン」と呼ぶんだけど、こと『BG』の第2シーズンに関しては、蛇足だったとも。なぜなら、一話完結のフォーマットが素晴らしく、それだけで抜群に面白かったからである。そう、2話に限らず、1話も3話も4話も――。

井上由美子サンに提案。できれば第3シーズンは基本、一話完結に徹してほしい。『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』みたいに、毎回、ゲストスターがクライアントとして登場し、じっくりと珠玉の話に練り上げてほしい。

元同僚たちの明暗

続いて、かつての日ノ出警備保障(現・KICKSガード)の同僚3人について。これは明暗が分かれた。

まず、島崎の後を追うように、自身も会社を辞め、島崎警備にやってきた高梨(斎藤工)――。クールで、年上の島崎にも物怖じしないが、その実、慕っているのが見え見えである。2人の会話は互いにツンデレっぽくもあり、端々にユーモアも見られ、程よい距離感が理想のバディに映る。最終回で、事務所にいながら無線でやりとりするなど、お互いシャイなところも面白い。また、昨今のバディものに見られる“ブロマンス”(男同士の恋愛)を匂わせる演出も今っぽい(英ドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』がそう)。

思うに、この調子で島崎と高梨がシーズンを重ねれば、日本が誇る最強バディ――『あぶない刑事』(日本テレビ系)のタカ(舘ひろし)&ユージ(柴田恭兵)に肩を並べる日も夢じゃないかも――なんてね。

一方、損な役回りになったのが、KICKSガードに残留した、まゆ(菜々緒)と沢口(間宮祥太朗)である。第2シーズンがバディものになった以上、必然的に彼らの露出と存在感は低下した。ただ、第3シーズン以降も、『踊る大捜査線』の定石に倣えば、島崎警備と対比する大手の警備会社の存在は欠かせないので、今後も出番は続くだろう。2人の扱いについては、もう一アイデアほしいところ。

出るだけでドラマの空気感を変える名女優

そして、忘れちゃいけない、整形外科医の笠松先生(市川実日子)である。正直、終盤の島崎との恋愛展開はどうかと思ったが(笑)、そこまでの“異性の友人”キャラとしての彼女は最高だった。

緊迫したストーリーが続く中に、彼女のパートが入ると、フッと癒される。知的で、ユーモアもあり、サバサバした性格も嫌味にならない。この種の一瞬で空気を変えてしまうキャラクターのことを、映画やドラマでは“ゲームチェンジャー”と呼ぶんですね。その意味では、第3シーズン以降も、彼女には今のポジションのまま、いてほしいところ――。

ちなみに、演じる市川実日子サンって、他のドラマでも同様に、出演するだけで作品の空気感をユルく、知的に変えちゃう不思議な魅力があるんですね。漠然としたイメージだけど、“北欧っぽい”というか――。ドラマ『すいか』(日本テレビ系)を始め、『アンナチュラル』(TBS系)や『凪のお暇』(TBS系)もそうだった。

居場所を見つけた木村拓哉

最後に、主人公・島崎章を演じる名優・木村拓哉である。

前シーズンでは、年齢を感じさせる落ち着いた芝居をしたり、いわゆる“性格俳優”的な演出も見られたけど――個人的には、今ひとつハマっていない(無理している)ようにも見えた。

それが、今シーズンはバディのスタイルを確立したことで、本来の木村拓哉の芝居が戻ってきた気がする。斎藤工演ずる高梨への接し方も、気取らない先輩キャラが端々に見え、まさに王道の木村拓哉。反抗期の息子・瞬(田中奏生)との親子関係もリアルで面白く、全体を通してユーモアを口にする頻度も前シーズンより格段に増えた。

また、時に見せる立ち回りも、キレキレで最高だった。聞けば、このドラマに備え、相当な絞り込みとトレーニングを積んだという。まさに、ストイック・木村拓哉の本領発揮――。

そう、やはりキムタクはカッコよくないといけない。年を重ねたからと言って、性格俳優に転じている場合じゃない。その点、この第2シーズンでは、本来の役者・木村拓哉の素直な進化形が見られたと思う。恐らく、そんなお茶の間の声は本人にも届いているだろうし、彼自身も十分な手応えを感じ、モチベーションになっているだろう。

今度こそ、盤石の体制で撮影に臨む第3シーズンが楽しみである。

第54回 2020 コロナ禍のテレビを振り返る

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嘘みたいな話だが、もう師走である。

――ということは、このコラムも2020年のテレビを振り返る季節になった。とはいえ、少々例年とは趣が異なる――コロナだ。新型コロナウイルス感染症。必然的に、今年のテレビを振り返ることは、コロナ禍のテレビを振り返ることと同義語になる。

そう、2020年は、テレビにとって大変な年になった。まぁ、大変なのはテレビ業界に限った話じゃないけど、他業界と比べても、テレビがかなり深刻な状況だったのは間違いない。もちろん、まだコロナは収束していないので、先行きは依然不透明だけど――。

現状、2020年のテレビにとって一番影響が大きかったのは、やはり東京オリンピック・パラリンピックの延期だったろう。各局、世紀の大イベントに向けて数年前から準備を費やしてきたし、7月クール(7~9月)の3ヶ月間は、大会の番宣や中継に加えて、ドラマやバラエティなどの特番もかなり用意していたと聞く。

早い話が、それらが全部吹っ飛んだのだ。正式に延期が決まったのが、今年の3月24日。そこから7月クールを編成し直したのだから、これは前代未聞のことである。日本のテレビ67年の歴史の中でも、初めての経験だったに違いない。

今、コロナ禍のテレビを書き記す意味

思えば、日本のテレビの歴史は、数々の受難の歴史でもあった。1973年のオイルショックの時は、電力不足から深夜放送を自粛させられたし、1988年の秋から冬にかけての昭和天皇重篤化の際は、バラエティにおける過度な笑いがご法度になった。2011年の東日本大震災の後は、CMが軒並みACジャパンに差し替えられ、日々、お茶の間は「ポポポポ~ン」と向き合うハメになった。

しかし――その度にテレビはそれら苦難を乗り越え、新しい扉を開いてきた。深夜番組は安易に削られないよう、その存在感を増し、バラエティはお笑いから学びまでテーマが多様化し、テレビCMはインパクトよりも共感を求めるようになった。となれば、このコロナ禍におけるテレビの記憶も、将来、何かプラスに働くかもしれない。

すべては“志村さんショック”から始まった

思い返せば、テレビで「コロナ」が遠い世界の出来事でなく、僕ら日本人にとって“肌感覚”で身近なものと意識されるようになったのは、コロナが報道されて2ヶ月以上も過ぎた、3月30日の月曜日の朝だったと記憶する。キッカケは、志村けんさんの訃報を伝えるニュース速報だ。「29日夜、新型コロナウイルスに感染して入院中のコメディアンの志村けんサンが死去。70歳」と。コロナ関連で、著名人初の犠牲者だった。

それまでテレビは、ニュースやワイドショーで再三コロナを報じても、どこか他人事のようだった。それが初めて“自分事”として、お茶の間も含めて「待てよ」となったのが、志村サンの訃報だったのだ。いわゆる“志村さんショック”である。

テレビの中もソーシャルディスタンスに

実際、この日を境に、ニュースやワイドショーのスタジオは、軒並み出演者が間隔を開けて座るようになった。ようやく“ソーシャルディスタンス”が実践されたのだ。それまでテレビが再三「3密」や「マスク」などの感染対策を呼び掛けても、今ひとつお茶の間に響かなかったのは、マスクは仕方ないにしても、当のスタジオが3密だったからである。

ただ、間隔を開けて座ると、以前と比べてカメラが引きの画になってしまい、出演者の表情が読み取りにくいという副作用も起きた。そこで、NHKの『ニュース7』が編み出した“発明”が、アナウンサー同士が前後に間隔を開けて立つ、“縦方向”のソーシャルディスタンスだった。なるほど、これなら寄りの画でも2人が同一フレームに収まる。さすが公共放送、NHKの知恵である。

志村サン追悼番組は軒並み高視聴率に

それはそうと、驚いたのは――各局が急遽編成した志村さんの追悼番組が、軒並み高視聴率だったこと。先陣を切って4月1日に放送されたフジテレビの『志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう』は、ドリフの3人のメンバーが総出演して、あえて湿っぽい演出を避け、明るく故人を送り出したのが功を奏したのか、なんと21.9%――。

その2日後の3日には、TBSの『中居正広のキンスマスペシャル 特別放送…1年前に志村けんさんが語ってくれたこと』が、同局の豊富な「全員集合!」のVTRを放出して、こちらも20.1%と高視聴率。更に翌4日の日テレの『天才!志村どうぶつ園・大好きな志村園長SP』に至っては、唯一のプライムタイムのレギュラー番組の強みを発揮して、追悼番組で最高の27.3%を記録した。

志村サンの訃報から在宅率が上昇

正直、生前の志村サンに、そこまで数字が付いているイメージはなかった。高視聴率の要因の1つは、著名人初のコロナの犠牲者というインパクトの大きさだろう。日本人が初めてコロナの恐怖を身近に感じ、夜の街を避けるようになった結果、皮肉にも在宅率が上がったのだ。また、“生涯一芸人”を貫き通した志村さん流の生き方も、ここへ来て故人のイメージを高める追い風になった。

興味深いのは、これは後に専門家会議などの検証で明らかになる話だけど――日本におけるコロナ感染の第一波のピークが3月末だったこと。そう、志村さんが亡くなられた時期とピタリと重なる。つまり、僕ら日本人は4月7日からの緊急事態宣言の前に、既に志村サンの訃報に接して、外出自粛やテレワークなどのコロナ対策に舵を切ったのだ。言うなれば、志村サンは死をもって、僕ら日本人に警鐘を鳴らしてくれたのである。

コロナ禍のファーストインパクト

さて、コロナを身近なものと初めて認識したのが志村サンの訃報だったとすると、コロナ禍におけるテレビ番組の変化を、僕らが初めて目にしたのはいつだったか。思うに――それは、3月8日に始まった「大相撲」の春場所の中継ではないだろうか。太平洋戦争の昭和20年以来、実に75年ぶりの無観客開催となった、あの場所である。

当時、プロ野球は既に無観客でオープン戦を行っており、特に違和感は覚えなかったので、場所前、僕らは「大相撲も似たようなものだろう」と甘く考えていた。しかし――初日のテレビ中継を見て、お茶の間はその異様な光景に愕然とした。

それは、土俵の背景に無人の座布団が一面に広がる、これまで見たことのない恐ろしい世界だった。プロ野球中継は、画面に映る8割はグラウンドである。無観客でも、それほど大きな違和感はない。一方、大相撲中継は、逆に画面の8割が、砂っかぶりと言われるタマリ席やマス席だ。それが一面――無人なのだ。

そう、あの満員の観客も含めて“大相撲の興行”だったことに、この時、僕らは初めて気づかされたのである。

無観客の大相撲が教えてくれたもの

一面に広がる無人の座布団――。
かつて見たことのない異様な光景に、お茶の間は息を飲んだ。だが、しばらく見続けていると、僕らはあることに気付いた。――音である。

呼び出しの声、仕切り中の力士の気合、行事の掛け声、立ち合いのぶつかり音、取組み中の息遣い、そして投げ技が決まって土俵に叩きつけられる音、etc――

それは、新鮮な発見だった。これまで満員の観客のざわめきにかき消されていた音が、無人の館内ゆえに掘り起こされたのだ。相撲が本来「神事」であり、また、肉体と肉体がぶつかり合う「格闘技」であることを、改めて認識させられた瞬間でもあった。「いや、これはこれで悪くないかもしれない」

もちろん、ずっとこれを見させられるのは困るが、一場所くらい、こんな大相撲も悪くない――あの時、多くの相撲ファンはそう感じたのではないか。そう、禍を転じて福と為す、と。

4月クールの連ドラが続々延期に

話を志村さんショックの頃に戻そう。
3月末、ようやくコロナが“自分事”と気づいたテレビ局は、4月に入ると一気にコロナモードへ舵を切る。

先陣を切ったのは、“ドラマのTBS”だった。年度初めとなる4月1日、4月クールのプライムタイムの3本のドラマ――『半沢直樹』、『私の家政夫ナギサさん』、『MIU404』の放送延期を早々に発表したのだ。ドラマは制作に携わるスタッフが多いので、どうしてもロケ移動やスタジオ収録に感染リスクが伴う。それを懸念しての措置だった。その辺りの行動の早さは、さすが民放一「労組」の強いTBSである。

これを機に、他局も一斉に追随する。テレ朝は『BG~身辺警護人~』、日テレは『ハケンの品格』、フジは『アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋』等々、各局とも4月クールの目玉ドラマの放送延期を次々に発表した。

そして4月7日――政府が全国を対象に一ヶ月を目途とした緊急事態宣言を発令するに至り、テレビは先の見えない“長いトンネル”に入ったのである。

にわかに注目を浴びた“再放送”の存在

さて、そうなると問題は、延期されたドラマ枠で何を流すか――という話になる。これまで日本のテレビ史において、諸般の事情で1、2週、新番組の開始が遅れることはあっても、一ヶ月以上も放送延期が続くのは前代未聞のことである。

そこで、にわかに注目を浴びたのが、“再放送”だった。そう、このコロナ禍に起きたテレビの3大潮流の1つが、再放送のクローズアップ――。とはいえ、サマーシーズンに、プライムタイム(19時~23時)で普通にドラマの再放送を流すアメリカなどと違い、日本ではドラマやアニメの再放送は、午後の時間帯の“消化試合”という趣が強い。

日本の民間放送は、番組ごとにスポンサーが付いて制作費も拠出してもらう、世界でも独自のビジネスモデルである。一方、アメリカでは、スポンサーはテレビ局と直接契約して、番組制作には携わらない。どの番組でCMを流すかは、局の裁量になっている。

そう、日本でプライムタイムに再放送を流すとなると、番組を提供するスポンサーとの予算も含めた調整がネックになる。それもあって、日本では長らくプライムタイムの再放送は、タブーとされてきたのである。

「特別編」で、再放送を“新作”にする錬金術

だが、もはや四の五の言っている場合じゃない。代替番組を作る時間はないし、そもそも緊急事態宣言下では番組制作すらままならない。

そこで、民放各局が考えたのが、比較的最近のドラマで評判のよかった作品に一部編集を施し、「特別編」と称して再放送することだった。これならスポンサーには、一応“新作”と言い訳ができる。ある意味、錬金術だ。例えば、TBSの『MIU404』の代替番組は、2015年と17年に同じ「金曜ドラマ」枠で放送された『コウノドリ』の「傑作選」になった。これなら綾野剛と星野源が共演しているので、『MIU~』の番宣にもなる。

また、テレ朝の『BG~身辺警護人~』や日テレの『ハケンの品格』といったシリーズものは、前シリーズを「傑作選」や「特別編」と銘打って再放送することにした。ただ、それはお茶の間をスムーズに新シリーズに誘導できる反面、やりすぎると新作の新鮮味が薄れるというデメリットも指摘された。その点、TBSの『半沢直樹』は、元々予定されていた前シリーズの総集編を一旦延期。そして、『半沢~』と同じ福澤克維演出作品の『下町ロケット』や『ノーサイド・ゲーム』の「特別編」を流すことで、適度にお茶の間の飢餓感を煽ったのである。

15年前の作品ながら、話題と視聴率が急騰!

そんな中、ひと際異彩を放ったのが、日テレの『未満警察 ミッドナイトランナー』の代替番組だった。再放送に選ばれたのは、同じ「土曜ドラマ」枠で15年も前に放送された『野ブタ。をプロデュース』である。なんと2005年の作品だ。ジャニーズのバディものという以外、特に両ドラマに共通点もなく、番宣になるとも思えなかったが――いざ放送されると、「懐かしい」「面白い」とSNSで大盛り上がり。そして11.0%という、並みいる再放送の中でもトップレベルの高視聴率を叩き出したのである。

同ドラマ、メインキャストは、亀梨和也(修二)と山下智久(彰)のバディに、ヒロイン信子役に堀北真希。脚本は名人・木皿泉さんである。当時、亀梨クンと山Pは19歳と20歳。ホマキに至っては17歳で、彼らは違和感なく高校生を演じることができた。木皿サンも一番脂が乗り切っていたころで、当時、原作以上のクオリティとの評価の声もあった。更に、「修二と彰」が歌う主題歌『青春アミーゴ』もミリオンセラーの大ヒットを記録したのである。

そう、『野ブタ。をプロデュース』は紛うことなき傑作だった。つまり、面白いドラマは時代を経ても変わらず面白いことを、同ドラマは証明してくれたのである。

90年代の名作ドラマが再放送されない理由

かくして、『野ブタ~』の成功は、テレビ界に思わぬ朗報をもたらした。名作の再放送はお茶の間の反響も大きく、十分、ビジネスになると。だが、名作ならなんでも再放送できるワケではなく、実はスポンサー以外に、再放送を拒む要因がもう一つあった――出演者である。

思えば近年、ドラマの再放送は減る傾向にある。要因として、午後帯のワイドショーが拡大した結果、再放送枠が減ったのと、諸般の権利関係で昔のドラマが再放送しづらくなったからである。

実は2000年代初頭、著作権法が何度か改正され、テレビ局はドラマの再放送でも、出演者へのギャランティの支払いが義務付けられるようになった。そのため、現在のドラマの出演契約は、あらかじめ再放送の回数を決め、それも含めた契約が行われている。一方、法改正前のドラマを再放送するには、その都度、出演者へ連絡を取り、ギャラを支払わないといけない。しかし、連絡のつかない俳優がいると――ドラマ自体が再放送できないのだ。

実際、日本国内の映像コンテンツの二次利用の権利処理を一括して担う「一般社団法人 映像コンテンツ権利処理機構」のサイトを見ると、連絡のつかない出演者の一覧がある。これが結構な数なのだ。連ドラ全盛期の90年代の有名作品も少なくない。近年、過去のドラマの再放送が激減したのは、そういう事情もあるのだ。

名作の再放送ブーム来たる

――とはいえ、テレビ局は、『野ブタ~』で盛り上がった、この名作ブームの機運を逃したくない。そこで、権利関係が処理された以下の名作たちが、栄えある“再放送”に選ばれたのだった。

4/18~5/3
『JIN-仁- 再編集版』(TBS)

5/19~7/5
『逃げるは恥だが役に立つ ムズキュン!特別編』(TBS)

5/31~6/21
『愛していると言ってくれ 2020 特別版』(TBS)

6/3~7/12
『ごくせん(第1シリーズ)特別編』(日本テレビ)

――そして、いずれもオンエアされると、SNSで盛り上がったのは承知の通りである。中でも、5月末から6月中旬にかけて、4週連続で日曜の午後に3話ずつ再放送されたTBSの『愛していると言ってくれ』は、番組冒頭でメインキャストの豊川悦司サンと常盤貴子サンの25年ぶりのリモート同窓会も行われたりして、特にSNSの反響が大きかった。

若い視聴者も名作の再放送に好感触

そうそう、同ドラマ、改めて大きな収穫だったのは、初めて見る若い視聴者からも「感動した!」「こんなドラマを見たかった!」などの声が多数、聞かれたこと。そう、いいドラマは時代を経ても価値が変わらないことを、改めて証明したのである。これぞ、温故知新と言えよう。

とはいえ、それらはまだ序の口。なんと、予想もしなかった名作の再登板に、僕らは更に歓喜した。実に42年前のアニメ――それも、あの名監督の初監督作品が再放送されることになったのである。

42年前の名作アニメ、再放送へ

そのアニメの名は、『未来少年コナン』。そう、かの宮崎駿監督の記念すべき初監督作品だ。放映されたのは1978年。実に42年前のことである。

事の次第はこうである。
4月7日に緊急事態宣言が発令されると、アニメもドラマ同様、制作が困難になった。素人目には、アニメの制作環境はリモートに向いてそうだけど、実のところ、各工程で細かなチェックが求められ、今の脆弱なアニメプロダクションの設備では、完全リモート作業は難しいとか。それと、なんと言っても最終段階のアフレコ作業がどうやっても「3密」が避けられない。

かくして、NHKで放映中のアニメ『キングダム(第3シリーズ)』は3話をもって一時休止となり(来年春再開予定)、その代替番組として一躍抜擢されたのが、NHKで42年前に放映された『未来少年コナン』だったのである。

『コナン』の再放送が容易にできたワケ

このニュースが発表された時、SNSはちょっとした騒ぎになった。キムタクじゃないけど「ちょ待てよ」状態だ。瞬く間に「いいね」が3万を超えた。

なんたって宮崎駿監督作品だ。小うるさそうなオヤジなのに、短時間で再放送にすんなりOKが出たという意外性もあった。これ、種を明かすと、『未来少年コナン』の著作権を持っている会社は、かつて宮崎駿監督も在籍し、同アニメを制作した日本アニメーション。ジブリじゃないんですね。

もちろん、宮崎駿監督にも話を通してあるけど、最終決定権は日本アニメーションにある。おまけに、今回はNHKサイドも、42年前の本放送以来となる29分のノーカット放送(全編デジタルリマスター版)という配慮を見せ、宮崎監督も再放送に異論はなかったのである。

上下のカットに文句を言うのは筋違い

そうそう、今回、オンエアでは当時の4:3の画面サイズを現在の16:9に合わせるために上下をカットして放送したんだけど、これについて、SNSで「NHKは原作へのリスペクトが足りない」などと批判する声も少なくなかった。でも、僕なりの見解を言わせてもらうと、42年ぶりにノーカット放送してくれたことに、まず感謝しようよ、と。それに、本当に作品をリスペクトするなら、まず、あなた自身がお金を出してDVDなりBlu-rayを買って視聴することが本筋だろうよ、と。

まぁ、テレビというメディアは、その性質上、視聴者の8割くらいは目的視聴ではなく、“偶然視聴”のお客さんなんですね。深い理由もなく、たまたまテレビをつけたら、面白そうなので、そのまま見入った人たち。そんな彼らに楽しんでもらうために、上下をカットして画面いっぱいのフルサイズで見てもらうことは、テレビ局としては当然の処置。つまり、四の五の文句を言う前に、みんなで同じ時間に『コナン』を見られて、感想を共有できることに感謝して、素直に楽しもうよ、と――。

オール宮崎アニメの原点

それにしても、今回、僕自身も久しぶりに『コナン』を見ているけど――いやはや、42年前とは思えぬ面白さに改めて驚く。キャラ、ストーリー、台詞、絵、演出、すべてにおいて秀逸。全26話、まるで捨て回がない。

それもそのはず、宮崎アニメがまだエンターテインメント志向だった時代の作品なので“冒険活劇”全開だし、コナンとラナの“ボーイ・ミーツ・ガール”の要素もある。更には、後に『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』、そして『もののけ姫』らに受け継がれる“自然との共生”という大テーマも背景にある。つまり、オール宮崎アニメの原点だ。これが面白くないワケがない。

ただ、笑ったのが、冒頭のナレーションで「西暦2008年7月…」って、言っちゃうところ。オンエア当時は遥か未来に思えたけど、令和の時代からすれば、10年以上も過去の話。もはや『むかし少年コナン』だ。要するに、42年という時間は、それくらい長い年月だったんです。

4月クール連ドラ“生き残りレース”

さて、4月クールの連ドラについて、一応、その後の動きもフォローしておこう。

前述の通り、開始前に早々に放送を延期する作品たちが見られた一方、早めにクランクインした関係で「行けるところまで行く」と、男前(?)な展開を見せる作品たちもあった。ただ、それらが週を追うごとに1つ去り、また1つ去りと、まるで生き残りゲームのような様相を見せたので、これはこれで見応えがあったのも事実である(笑)。

フジの『SUITS/スーツ2』は、他局の目玉ドラマが軒並み初回から棄権するのを横目に、「ウチは準備期間が違うんでネ」とばかりに1話、2話と積み重ねるも、そこであっさりストックが尽きて、3週目以降はあえなく『コンフィデンスマンJP』傑作選へ――。

その一方、俄然、存在感を増したのが、テレ朝のシリーズドラマたちだった。シリーズものゆえの安定感からか、『特捜9』と『警視庁・捜査一課長』は順調に3話、4話と回数を重ねるも――やはり、こちらも弾が尽き、前者は4話で脱落。後者も6話で休止となった。

勝者は意外な結果に!?

その結果、プライムタイムで残るのは、クランクインが図抜けて早かった日テレの『美食探偵 明智五郎』と、テレ東の『行列の女神~らーめん才遊記~』の2つに絞られた。ところが――「この壮絶な連ドラ生き残りゲーム、勝者の行方はいかに?」と思われた矢先、『美食~』は7話以降、収録できておらず、一方の『行列~』は全話撮影済みであることが判明。ここに至り、まさかのテレ東のドラマが、4月クールをただ一人、リアルタイムで完走することが決したのである。

その様子は、まるで2002年のソルトレークシティ冬季五輪のショートトラックで、前を走る選手らが全員転倒。一人残った最後尾のオーストラリアのブラッドバリー選手が金メダルを取ったレースを彷彿とさせるような珍事だった。

スタジオはリモート体制へ

話を戻します。このコロナ禍におけるテレビ界の3大潮流の1つが「再放送」だとすると、2つ目は――さしずめ「リモート」ではないだろうか。

そう、ワイドショーや情報番組などにおいて、スタジオにおける3密回避やソーシャルディスタンスの必要性から取り入れられた措置である。出演者をMCなどの最小人数に減らし、ゲストなどは、外部からリモート出演してもらう。実際、4月7日の「非常事態宣言」の発令を受け、その週から各番組とも一斉にリモート体制に入った。

とはいえ、正直、まだまだリモート体制に技術的な改善の余地があるのは、お茶の間の皆さんも感じていたと思う。最大の問題は“タイムラグ”だ。ネット回線だと、どうしても時差が生じて、スタジオとのやりとりがちぐはぐになる。まるで海外とやりとりしているように。

可哀想なのは、リモート出演する、ゲストのお笑い芸人たちだった。彼らはスタジオとのやりとりを通して、単なるコミュニケーションだけでなく、“笑い”も取らないといけない。でも、タイムラグがあると、ほんの0.1秒でもズレたら、ウケるものもウケない。これは芸人たちにとっては致命傷だった。

『とくダネ!』は逆パターンに

そうかと思えば、逆に、番組の「総合司会」がリモート側に回るケースもあった。フジテレビの『とくダネ!』の小倉智昭サンである。まぁ、73歳というお年を考えれば、妥当な措置だったろう。それはいいんだけど、驚いたのは、これがお茶の間の意表を突くクオリティの高さだったのだ。

まず、小倉サンのモニターはいつも座っている定位置に置かれ、しかも等身大で画像が表示されるので、ぱっと見、まるでそこに座っているかのように錯覚する。しかも、リモート先の小倉サンの書斎の背景の本棚と、スタジオの背景のセットの棚を同じ高さと色合いにする凝りよう。更に画像の解像度はめちゃくちゃ高く、スタジオとの会話のタイムラグも全くなかった。

リモートでタイムラグがなかった理由

そう、完璧なリモート中継だったのだ。これ、種を明かすと、通常のリモートはインターネット回線でつなぐところ、『とくダネ!』は小倉サンの書斎のあるビルの屋上に専用のアンテナを設置し、事件現場の中継に使われるのと同じFPU回線を使って、やりとりしていたんですね。要は、1日限りのゲストじゃなくて、毎日出演するMCだから、ちゃんとお金をかけてリモート体制を整備した、と。だから、スタジオにいるゲストとタイムラグなく会話ができたんです。ある意味、“逆転の発想”が生んだ成功例だった。

ただ、ちょっと笑ったのが、小倉サンのモニターが木目の額縁で、まるで“遺影”のようでもあり、中の小倉サンがあまりに自然にスタジオの伊藤利尋アナらと会話するもんだから、まるで天国にいる小倉サンが地上と交信しているように見えたこと――。おっと、冗談です(笑)。

気概を見せた日テレのバラエティ

もちろん、リモート体制はそれらワイドショーや情報番組に止まらない。バラエティやドラマにも及んだ。

バラエティでよく見られたケースは、冒頭でMCがフリだけ入れて、あとは総集編を流すパターンだ。わざわざスタジオを設ける必要がないので、会議室などで背景をクロマキー処理した画面にMCが登場して、冒頭で軽くテーマ振り。あとはひたすらナレーションベースの総集編。まぁ、事実上の再放送だ。

ただ、全てのバラエティがそうしたワケじゃなくて、ここで微妙に他局に差をつけたのが日テレだった。例えば、『今夜くらべてみました』は、スタジオにMCのフットボールアワーの後藤サンが1人だけいて、他の出演者は全員リモート出演。SHELLYサンや指原莉乃サンらレギュラー陣を始め、ゲストも複数人登場して、そんなZoom会議のような体制で、なんと力技で新作の3時間スペシャルを作ってしまった。

また、同局の『有吉反省会』に至っては、広大なスタジオに出演者全員、過剰なソーシャルディスタンスを確保して、笑っちゃうくらいバラけて着席。そんな異様な光景を楽しみつつ、普通にレギュラー放送をこなしていた。

笑いの見せ方にこだわったフジ

そうかと思えば、元祖「楽しくなければテレビじゃない」フジテレビのように、コロナ禍でも笑いの見せ方にこだわる局もあった。例えば、『ホンマでっか!?TV』は、スタジオに明石家さんまサンと心理評論家の植木理恵サンの2人だけがいて、他はリモート出演。さんまサンに「やっと2人きりになれたね」と言わせながらも、植木サンに近づこうとすると足元に引かれた線で近づけないという、ちゃんとソーシャルディスタンスを生かした笑いを見せてくれた。

また、同局の『全力!脱力タイムズ』は、スタジオにいる有田哲平サンらMC陣と、別室にいる“全力解説員”の吉川美代子サン、岸博幸サンらが「テレワーク」と称してやりとりするも――肝心なところで回線が悪くなるというベタな演出(バラエティのお約束ですね)。こちらも、リモートというネガティブな環境を逆手にとった笑いを提供してくれた。

コロナ禍で可視化された大事なバラエティ

これら一連のバラエティのリモート演出で分かったことがある。それは、各局が力を入れているバラエティの“可視化”だ。要は、単純に総集編で済ませた番組と、試行錯誤しながらも新作をオンエアした番組の差である。もちろん、後者の方が局として大事にされているのは間違いない。

興味深いのは、TBSの『水曜日のダウンタウン』のように、総集編を流しながらも、MCのダウンタウンを出演させなかったケース。要は、2人を出すからには総集編であれ、リモートであれ、それなりにクオリティの高い笑いを提供しないといけない。それができないなら、いっそ出さない――恐らく、同番組の演出を担当する藤井健太郎サンには、そんな思いがあったのだろう。これもまた、局として大事にされている番組の証しである。

リモートもいいけど、やっぱりロケ

ただ、お茶の間にしてみれば、コロナ禍のロケができない状況でも、頑張って新作をオンエアしている番組は評価したいけど――じゃあ、それが面白いかと問われれば、それはまた別の話。ぶっちゃけ、当初は物珍しさで見ていたけど、次第に変わりばえのしないリモート画面に飽きてきたというのが、正直な感想だろう。やはりみんな、ロケの広い画を見たいのだ。

考えてみれば、2020年は本来、オリンピックイヤーであり、同大会の中継を始めとして、高画質の4K放送や8K放送がクローズアップされる予定だった。それが一転、リモート放送の粗い画面と音声のタイムラグという、テレビ草創期に立ち返ったような初歩的な“ローテク”に悩まされる日々が来ようとは、なんとも皮肉な話である。

リモート・ドラマの矜持とは?

一方、ドラマにおけるリモート体制は、さすがに映像や音声面での技術的な問題はなかったものの、こちらはこちらで、また別の意味で考えさせられものだった。

例えば、NHKは民放に先駆け、「テレワークドラマ」と銘打ち、打ち合わせからリハ、本番収録に至るまで全てテレワークで進めるドラマを制作し、5月上旬に3夜連続で放送した。まぁ、その種のチャレンジングな姿勢は大いに評価したい。素晴らしい。でも――これもまた、お茶の間にとって最良の選択であるかは、また別の話なのだ。

実際、この話を聞いた時に僕が一抹の不安を覚えたのが、手段が目的になってしまうケース。つまり、“リモートで作る”ことに重きが置かれ、物語が疎かになり、それで作り手が自己満足してしまうケースである。

案の定、第一夜に放送された『心はホノルル、彼にはピーナツバター』が、申し訳ないけど、若干そんな匂いがした。物語は、コロナ禍で結婚式が中止になった遠距離恋愛中の2人が、リモートで会話するうちに夫婦(?)喧嘩を始めるという他愛のないもの。そう、まんまリモート・ドラマだ。だが、これは本当にお茶の間が見たいドラマだろうか。作り手の自己満足で見せられる中途半端なクリエイティブほど、お茶の間にとってつらいものはないのである。

正しいリモート・ドラマとは?

だが、そんな僕のモヤモヤとした気持ちは、翌日、あっさりと解消された。第二夜に放送された『さよならMyWay!!!』が、リモート・ドラマであることを忘れてしまうほど、めちゃくちゃ面白かったのだ。ネタバレになっちゃうけど――回避したい方はこの「正しいリモート・ドラマとは?」のブロックを読み飛ばしてください――こんな話だった。

40年連れ添った妻(竹下景子)を突然、脳卒中で失った夫(小日向文世)。四十九日を前に、悲しみに暮れながら自宅で仕事をしていると、突然パソコンにビデオ電話がかかってくる。出ると、なんと死んだ妻だ。驚く夫に、離婚届を突き付けてくる妻。「どうして?」「私に関するクイズを10問出します。6問以上正解したら、離婚を回避してあげる」

ワケが分からぬまま――とにかく妻と話ができるからと、クイズに付き合う夫。だが、答えていくうち、自分が妻について、実は何も知らないことに愕然とする。趣味も特技も、得意料理も何も知らないのだ。「どうして、彼女のことをもっと知ろうと努力しなかったんだろう――」。

その時、不思議なことが起きる。夫がクイズに5問間違える(つまり失格する)と、なぜかドラマは冒頭のシーンに戻り、ビデオ電話がかかってくるところからリプレイされるのだ。夫に以前の記憶はない。再びクイズに挑戦する夫。そして5問間違え、再び冒頭に戻ってリプレイ――面白いのは、リプレイの度に2人の間で同じやりとりが繰り返されるのではなく、妻の受け答え次第で夫の台詞も変わり、夫婦の会話に微妙に変化が生じること。リプレイを重ねるごとに、2人の会話は深く、そして長くなった。

――そう、この“会話”こそ、妻が望んだことだった。離婚話もクイズも、生前思うように心を通わせられなかった2人が自然と話せるようにと、妻が仕組んだ口実に過ぎなかった。更に驚くべきことに――脳卒中で死んだのは、実は夫のほうだった。ひょんなことから、成仏前の夫とビデオ通話できることを発見した妻による、全ては周到な作戦だったのである。

かくして、夫婦は絆を取り戻し、四十九日を迎えた夫は、安らかにあの世へと旅立った。

――これだ。これが僕の見たかったリモート・ドラマだ。というか、普通に「世にも奇妙は物語」でオンエアされてもおかしくないレベルである。そう、リモート・ドラマはあくまで作り手の手段。お茶の間には、それと感じさせない面白いドラマを届けてこそ、真の作り手の矜持なんですね。

“習慣化”で、テレビの脅威となった「動画配信」

さて、コロナ禍におけるテレビの三大潮流――1つ目を「再放送」、2つ目を「リモート」とすると、ずばり3つ目は「動画配信」だと思います、ハイ。

そう、動画配信。言わずもがなYouTubeを始め、NetflixやHulu、Amazonプライム・ビデオなどのネットを介して動画を配信するサービスのこと。スポーツを専門に扱うDAZN(ダゾーン)などもそう。もっとも、それらの攻勢は今に始まったことでなく、ここ数年、ずっとテレビを背後から脅かしてきたけど、ここへ至り、いよいよテレビと真正面から対峙するようになったという次第――。

早い話が、コロナ禍によるテレビのコンテンツ不足や、毎日空騒ぎを繰り返すワイドショーに辟易した視聴者が、テレビを消してインターネットを起動して、動画配信サイトにアクセスするのを“習慣化”し始めたんですね。

そう、習慣化――。実はテレビにとって、これが最大の脅威。テレビがネットに勝る優位性って、“毎日、同じ時間になんとなくテレビをつける”習慣性にあるんです。このアドバンテージを奪われることが、テレビにとってどれだけ脅威かって話。

YouTubeのゴールデンタイムはテレビと同じ

――実際、既にそんなテレビの優位性は、ネットに浸食されつつある。皆さん、YouTubeが最も見られる時間帯って、ご存知です? 比較的、自分の時間を作りやすい深夜帯だと思ってません? 実は、夜の19時から22時の間なんです。そう、テレビが最も見られるゴールデンタイム(19時~22時)と全く同じ。

現に、日本最大の900万人のチャンネル登録者数(ちなみに、全国紙で最大部数を誇る読売新聞が790万部。それより多い)を持つ「はじめしゃちょー」は大体、毎日19時から21時台の間に動画をアップしている。あの「HIKAKIN」は子供の視聴者が多いためか、それより少し早い17時から18時台に動画をアップする。

そう――彼らカリスマ・ユーチューバーたちは、最もYouTubeが見られる“ゴールデンタイム”を狙って動画を投稿し、一方、視聴者も習慣的にゴールデンタイムに彼らの動画を見る――既にそんな構図が成り立っているのだ。もはやYouTubeは特殊な嗜好を持つ人たちに向けたカルトなメディアでなく、ごく普通の人たちが毎日習慣的に視聴する総合メディアなんです。

貴ちゃんねるずは『みなおか』のつづき

まさに、そんなYouTubeの総合メディア化の象徴とも言える存在が、今年の6月、とんねるずの石橋貴明サンがTVディレクターのマッコイ斉藤サンに誘われて開設した「貴ちゃんねるず」ではなかろうか。まだ開始半年も経たないのに、登録者数は140万人を超え、早くもメジャー・ユーチューバーの仲間入りを果たしている。

面白いのは、その動画をアップする曜日と時間。なんと、毎週木曜日の21時――そう、かつてフジテレビで『とんねるずのみなさんのおかげでした』がオンエアされていた時間である。言うまでもなく、同番組の総合演出もマッコイ斉藤サンだったワケで、もはや確信犯だ。

で、やってる内容と言えば、貴サンの誕生日企画にサプライズゲストでGACKTサンや清原和博サンが参加したりと、相変わらず超豪華。要は、かつて『みなおか』を見ていたとんねるずファンは、今も変わらず木曜21時に「貴ちゃんねるず」に“チャンネル”を合わせてるってワケ。

同番組が教えてくれたこと――。人気お笑い芸人と熟練のTVディレクターが組めば、YouTubeで最強ということ。いくら「はじめしゃちょー」や「HIKAKIN」が人気でも、喋りはプロのお笑い芸人の方が遥かに勝るし、編集の腕も、やはりベテランTVマンのほうが上。その“最強座組”を編み出した点で、「貴ちゃんねるず」は今年を象徴する動画配信番組だと言えよう。今後、この最強座組はスタンダードになるに違いない。

三谷幸喜脚本『12人の優しい日本人』のリーディング劇

そうそう、YouTubeと言えば、こちらも忘れちゃいけない、コロナ禍のエンタメの重要トピックの1つ――三谷幸喜監督の代表作『12人の優しい日本人』のリーディング劇(朗読劇)のライブ(生)配信である。

そう、忘れもしないゴールデンウィーク最終日の5月6日。YouTubeで無料公開され、Twitterのタイムラインを占拠した、あの“Zoom劇”だ。

かの作品、かつて三谷監督が、自身が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」のために書き下ろした舞台劇である。同劇団を一躍“チケットの取れない”人気劇団に押し上げた歴史的作品としても知られる。

タイトルからも分かる通り、映画『十二人の怒れる男』へのオマージュだ。「日本にもし陪審制があったら……」という架空の設定で作られたシチュエーションコメディ。1990年の初演以来、何度も再演され、91年には中原俊監督の手で映画化もされた。そちらをご覧になられた方も多いだろう。

今回、そんな舞台劇を、初演の東京サンシャインボーイズのオリジナルに近いメンバーで、リーディング劇として、YouTubeを使ってライブ配信したのである。Zoomだと、演者の12人は画面に横4人×縦3列に配列され、収まりもいい。

コロナ禍で見えた、ドラマにとって一番大切なこと

――で、これがTwitterのトレンド入りするくらい、めちゃくちゃ面白かったんですね。リーディング劇と言っても、そもそもオリジナルが舞台転換のない一幕劇なので、ほとんど違和感はない。僕らは普通に舞台を楽しむように、役者たちのやりとりを楽しんだんです。

また、舞台劇の面白さと言えば、“ライブ(生)”であること――。
これこそ、テレビではなかなかできない、制約の少ない動画配信ならではのメリット。もちろん、生だからミスも起こり得るワケで、そんな緊張感が面白さに更に拍車をかけたのは言うまでもない。僕自身、ドキドキしながら、2時間を超えるリーディング劇に釘付けだったけど、本当にあっという間だった。このコロナ禍に放送された、あらゆるドラマの中で、掛け値なしで一番面白かったと思う。

同リーディング劇が教えてくれたこと――。
結局、ドラマ作りで一番大事なのは、脚本なんです。昨今、演出のテクニックで見せるドラマ(例えば『半沢直樹』)が増え、それはそれで面白いけど、ドラマの本質はやはり脚本。よく言われることだけど、一流の脚本は三流監督が演出しても面白いが、三流の脚本を一流監督が演出しても面白くならない――そういうこと。

コロナ禍だからこそ可視化された、改めて心に留めたい貴重な教訓である。

動画配信が話題を作った1年

もちろん、今年、話題になったエンタメは、それらYouTube発のコンテンツに止まらない。振り返ると――ドラマでは、Netflixで配信された韓国ドラマの『愛の不時着』が大いに人気を博したし、バラエティ(リアリティーショー)では、Amazonプライム・ビデオで配信された「バチェロレッテ・ジャパン」が良くも悪くもSNSを賑わせてくれた。音楽面では、Huluが配信した日韓合同のオーディション番組『Nizi Project』から生まれた「NiziU」を置いては語れないだろう。――そう、いずれもテレビ番組ではなく、動画配信番組がお茶の間の関心を引いた点で、いずれも今年を象徴するトピックだろう。

まぁ、ある意味これは必然で、いずれも莫大な制作費がつぎ込まれた番組。そのターゲットは世界市場であり、そもそもスポンサーの広告費で作られる日本のテレビ番組とは成り立ちが異なる。しかも、動画配信番組はユーザー自身がお金を払うので、テレビより内容面で、より“攻められる”という利点もある。

今年上半期最大のヒットドラマ『愛の不時着』

実際、先に挙げた韓国ドラマの『愛の不時着』がそうだろう。

ご存知の通り――韓国ドラマは国の政策の後押しもあって、もう何年も前から国際市場をターゲットに作られている。“愛不時”も今年の2月から、Netflixで日本向けの配信が始まり、コロナ禍の日本の連ドラの供給不足もあって、一部のドラマウォッチャーから火が点いて、瞬く間にSNSで「面白い」と評判が広まった。掛け値なしに、今年の上半期で最大のヒットドラマと言っていいだろう。

改めて、同ドラマのサワリを紹介すると――ある日、財閥令嬢のユン・セリが乗ったパラグライダーが竜巻にあおられ、38度線を越えて北朝鮮側の非武装地帯に不時着する。そこで、北朝鮮の軍人のリ・ジョンヒョクと運命の出会いを果たし、2人は反発しあいながらも、互いが気になり始める。ジョンヒョクはセリを匿いながら、韓国へ帰国させようと様々な計画を企てるが、ことごとく失敗。そうこうするうち、2人は恋に落ちて――という、よくある禁断のラブストーリーだ。

なぜ、“愛不時”はヒットした?

まぁ、これに日本人がハマった。ラブストーリーと言えば、2人の恋愛を阻む「カセ」が重要なポイントになるが、同ドラマは韓国の財閥令嬢と北朝鮮の軍人という、敵国民同士の恋。そう、韓国と北朝鮮は今も公式には休戦状態にあり、戦時中なのだ。もはや最高レベルのカセと言っていい。

それに、俗に「戦争が物語を作る」と言われるように、古今東西、大体ヒットするドラマは戦争が関わっている。戦争とは、個人の努力では抗えない強大な“時代の力”が働くもので、否応なく人々の運命を左右する。だから、そこに物語が生まれる

朝ドラの『エール』が後半盛り上がったのも、戦争が始まり、主人公・古山裕一(窪田正孝)が時代の波に呑まれ、戦時歌謡を手掛けるようになったから。一時は、自分の曲が人々を戦争に駆り立て多くの若い命を奪ったと、自責の念に苛まれて筆を折るが――戦後、それを乗り越え、再起するところに物語が生まれた。

思えば、日本は戦後75年間、平和を謳歌し、僕らは戦争の影に怯えることなく、安心して日々を過ごしてきた。一方、お隣の韓国は休戦状態とはいえ、今も戦時下にある。徴兵制もある。そう、日本では絶対に作れない物語だからこそ、日本人がハマったのである。

4月クールは事実上の7月クールに

さて、このコラムの冒頭で、僕はコロナ禍で起きた2020年のテレビ界の最大の事件が、東京オリンピック・パラリンピックの延期だと書いたが――ここに至るまで、まるでその話が出ていないことにお気づきだろうか。

実のところ、これは結果オーライなんだけど――本来なら、大会延期で空いた7月クールの3ヶ月間をどう乗り切るかという話だったのが、4月7日の緊急事態宣言を受け、4月クールの連ドラが軒並み延期されたり、力尽きて休止に至ったりした結果――事実上、それらが7月クールにスライドされたんですね。もともと、7月クールは連ドラ枠の多くがオリンピック・パラリンピック中継に割かれていたこともあり、結果的に空いた五輪枠を、延期された連ドラたちがピタリと穴埋めしてくれたと。

で、その代わり――テレビ界にとって真の意味で“緊急事態”となったのが、先に触れた「突然空いた4月クールの連ドラ枠をどう穴埋めするか」問題だったと。もはや準備期間はなく、四の五の言わずに再放送で急場をしのいだところ――これが思いのほか大好評(笑)。そう、結果良ければ、全てよし。

舞台裏の攻防

――とはいえ、4月クールの連ドラがスムーズに7月クールにスライドできたかと言うと、それはそれで舞台裏では大変だったんです。

少ないとはいえ、7月クールの連ドラとして控えていた作品もあったし、そもそもスライドするにしても、普通、地上波の連ドラに出るクラスの役者なら、そのクールが終われば、次のクールは別の仕事が入っているもの。簡単にスケジュールを変えられないんです。

まぁ、結果的にそれが出来たのは、ひとえにテレビ局が各方面に頭を下げ、特別に“リスケジュール”してもらえたから。ある意味、局やジャンルを越えて、エンタメ界が1つになった出来事だった。

コロナ禍で起きたテレビ界のパラダイムシフト

そんな次第で、7月クールは結構カオスな状況となった。丸々延期されて1話から始まった4月クールのドラマ、途中から再開された同クールのドラマ、『BG~』みたいに諸事情から短縮されたドラマ、逆に『SUITS/スーツ2』のように通常の1クールより長く放送されたドラマ、少し遅れて本来の7月クールとして始まったドラマ――。

気がつけば、もはや7月クールという枠組みはどこかへ消え、9月の番組改編期もよく分からないまま通り過ぎて、例年なら一斉に始まる10月クールのドラマも、各局いつの間にか始まっているような状況だった。

これ、もしかしたら、今後テレビ界で、連ドラの“年4クール体制”が、なし崩し的に消滅する予兆かもしれないんですね。もともと、全ての連ドラが10話や11話という定型フォーマットに収まるのは不自然だし、NHKの連ドラのように4、5話で終わる作品があってもいい。あるいは、昔の『太陽にほえろ!』みたいに延々と続くドラマがあってもいい。

そう、禍を転じて福と為す――じゃないけど、この2020年は、コロナ禍だからこそ見えた、テレビ界の旧態依然の慣習が可視化された1年でもあったんです。もしかしたら、今年起きたテレビ界の変革は、パラダイムシフトの予兆になるのかも――。

世帯視聴率から個人視聴率へ

そうそう、コロナ禍に起きたテレビ界のパラダイムシフト。実は「視聴率」の世界では、既に始まっているんですね。

ちなみに今、テレビ局に行くと、僕らは異様な光景を目撃する。以前なら、そこかしこに高視聴率の番組の札が掲げられていたものだけど、今もあるにはあるけど――そこに書かれた数字が一様に低いのだ。4%とか5%とか、昔だったら絶対に取り上げられない数字である。

しかも、もっと驚くことに――そこに記された番組は、話題のドラマや人気のバラエティたち。「えっ、こんなに視聴率が低かったっけ?」と一瞬驚くが、すぐに疑問は氷解する。

それらの数字、実はこれまで僕らが目にしてきた「世帯視聴率」ではなく、「個人視聴率」なんですね。個人視聴率とは読んで字のごとく、個人が見た割合のこと。世帯視聴率だと4人家族のうち誰か1人でも見たら世帯人数の「4人」とカウントされるけど、個人視聴率なら、ちゃんと「1人」とカウントされ、しかもその年齢層まで分かる。つまり“誰が見たか?”という正確な情報が把握できるのが個人視聴率なのだ。大体、世帯視聴率の5~6割に下がると言われる。

高齢化が進んだテレビ界

そう、誰が見たか――。これこそが、今のテレビ局が求める新しい指標なんです。そこで、今年4月に民放各局で一斉に、それまでの世帯視聴率に変わり、新しい指標として「個人視聴率」が導入されたというワケ。

振り返ると、ここ10年ほど、テレビはすっかり“高齢化”が進んでしまった。ドラマは『相棒』を始めとするテレ朝の刑事モノのシリーズドラマが安定して視聴率を稼ぐようになり、バラエティは各局とも“情報バラエティ”なるジャンルが幅を利かせるようになった。いずれも、高齢者によく見られる番組である。

一方、若者向けのラブストーリーや、純粋なお笑い番組や音楽番組は少しずつ減少した。その間、スマホの著しい進化もあって、気がつけば、若者たち(特に女性)はスマホから日々の情報を得るようになり、“若者のテレビ離れ”がまことしやかに叫ばれるようになったのである。

そう――世帯視聴率を指標としている限り、スポンサーの広告費に頼る民放は、若者が好む低視聴率の番組を削り、高齢者が好む高視聴率の番組を残すしかない。そうなると、更に若者のテレビ離れが進む悪循環に――。

その悩みはスポンサーも同じである。若者に商品を売りたいのに、高齢者ばかり見る番組が増えたら、肝心のCMが若者たちに届かない。そこで――テレビ局・スポンサー双方の利害が一致する形で、「若者が見ている番組を可視化させよう」と取り入れられたのが、個人視聴率だった。

各局、狙いはコア層

そんなこんなで、コロナ禍もあって、あまり騒がれないけど――今や民放各局は、若者をコアとしたターゲットを独自に設定し、ようやく彼らへ向けた番組作りを始めている。

ちなみに、そのコア層の呼び名と対象年齢は各局それぞれ。日テレはストレートに「コアターゲット」(13歳~49歳)、TBSはちょい年齢層が上がって「ファミリーコア」(13歳~59歳)、フジは「キー特性」(13歳~49歳)という具合。要は、スポンサーが最も商品を売りたいターゲットである。

今のところ、その取組みの成果が早くも表れているのが、TBSの火曜22時のドラマ枠だろう。1月クールは、ドSな男性医師(佐藤健)と頑張り屋の女性看護師(上白石萌音)のベタなラブストーリーを描いた『恋はつづくよどこまでも』(略称:恋つづ)がスマッシュヒット。続いて、4月クールから7月クールに延期された『私の家政夫ナギサさん』も、仕事はできるが家事はからきしダメなアラサーOL(多部未華子)と、周囲を包み込むスーパー家政夫おじさん(大森南朋)の奇妙な関係(恋?)を描いて、こちらも大ヒット。いずれも、世の女性たちの共感を得ると共にSNSも盛り上がり、同局がターゲットとするコア層に届いたのである。

バラエティもコア層狙いに

一方、バラエティもコア層狙いの成果は現れ始めている。代表的なのは、日テレで今年4月にスタートした『有吉の壁』だろう。19時台という浅いゴールデン帯ながら、初回の2時間SPから世帯視聴率12.8%、個人視聴率8.5%と、上々の出だし。要は「若手芸人が有吉を笑わせる」というシンプルなコンセプトが、若者層にストレートに届いたんだと思う。

また、フジテレビがこの10月に始めた『千鳥のクセがスゴいネタGP』も、旬の芸人らが普段の持ちネタとは一味違う「クセがスゴいネタ」を披露し、大悟が判定するという、こちらも1コンセプトもの。放送枠はかつて『とんねるずのみなさんのおかげでした』の木曜21時で、今を時めく千鳥をMCに起用し、演出は同局の『全力!脱力タイムズ』の名城ラリータDという、フジが久々に力を入れているバラエティだ。

情報詰め込みから、シンプルなユルい作りへ

そうそう、TBSが日曜20時の激戦区(日テレの『イッテQ』とテレ朝の『ポツンと一軒家』の枠)に殴り込みをかけた『バナナマンのせっかくグルメ!!』も好調だ。同番組も、日村サンが全国各地に出向いて、地元の人からオススメの店を聞き出し、その店を訪れるシンプルなフォーマット。9月第4週には世帯視聴率12%、個人視聴率8%台と、今や同時間帯の3強の一角に入る勢いである。

そう、これらの番組に共通して言えるのは、これまで隆盛を誇った情報バラエティにありがちな“情報詰め込み型”の番組とは一線を画す、シンプルなユルい作りであること。そんなところにも、若者をベースとしたコア層ねらいの新たな機運が生まれつつあるのが分かる。

『半沢直樹』なぜ再びヒットできたか

ここから先の話は長くない。
コロナ禍の2020年を振り返る上で、あのドラマを語らずに終わるワケにはいかない。言うまでもなく、今年の下半期最大のヒット作『半沢直樹』である。

かのドラマ、前作から7年を経ての続編で、日曜21時の「日曜劇場」枠と福澤克維監督と主演・堺雅人サンの鉄板のトライアングルは変りない。ただ、1つ変化があって、それは脚本家。比較的ストーリーを丁寧に描いた前作の八津弘幸サンと異なり、今作の丑尾健太郎サンのホンは、もはやキャラクターショー。まぁ、福澤監督のオーダーだろうけど、細かなスジよりも登場人物をクローズアップして、歌舞伎のように見栄を切らせる方が、今の時代は見やすいと判断したのだろう。ある意味、それは正しかった。

世帯視聴率は平均24.7%、最終回は驚異の32.7%。民放の連ドラがNHKの朝ドラの数字を上回るのは、実に7年ぶりのことだった。要するに、前作の『半沢』以来だ。

ヒットの要因はお祭りへの飢餓感

――とは言え、僕は『半沢』の大ヒットは、多分にコロナ禍が生んだ現象とも思う。それはつまり、お祭りへの“飢餓感”である。

そう、コロナ禍で人々は長らく集うことを封じられてきた。映画、スポーツ観戦、ライブ、夏フェス、祭り、観劇、イベント、フリーマーケット――etc 緊急事態宣言が解除されても、再開されたのはプロ野球とJリーグと映画館くらい。多くのイベントは延期や中止となり、人々の祭りへの飢餓感は最高潮に達した。

そのタイミングで、7月後半、『半沢直樹』が始まったのだ。皆が同じ時間に、同じドラマを見て、盛り上がる――もはや、それは祭りだった。TBS側もそれを見越していて、敢えて『半沢』はTVerの見逃し配信をしなかった。

実際、『半沢』の面白さの半分はSNSのタイムラインだった。その意味で、まるで歌舞伎のようなキャラクターショーはSNSと相性がよかった。だから、同ドラマは録画したものを見てもツマラナイ。ぶっちゃけ、もう一度見返そうとも思わない。スポーツ観戦のように、オンタイムで見てこそ楽しめたのだ。

これ、映画界における『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の大ヒットと同じ構図なんですね。あちらの場合は、メジャーな洋画作品が軒並み公開延期となり、シネコンは上映する作品に事欠くような状況だった。そのタイミングで『鬼滅』が公開されたので、シネコン側は空いているスクリーンを総動員して、フル稼働で上映した結果――祭りが生まれたんです。とにかく今、皆で同じ映画を見て、等しく盛り上がりたい。“この波に乗り遅れるな”と――。

『半沢』と『鬼滅』、両作品のヒットの源泉にあるのは、人々のお祭りへの飢餓感だったんです。

10月クールで気になった2つのドラマ

最後に、直近の10月クールの連ドラを振り返って、この長いコラムも幕を閉じたいと思う。とはいえ、全てに触れる気はない。個人的に気になった2つの作品に絞らせてもらう。1つは、日テレの『♯リモラブ』、もう1つは、テレビ東京の『共演NG』である。

まず、『♯リモラブ』。主演は波瑠サン、脚本は水橋文美江サンで、チーフ監督とプロデューサーは、波瑠サンと『世界一難しい恋』を組んだ制作チームという座組だ。簡単に言えば、コロナ禍のラブストーリーである。

何が凄いって、このスピード感。よく「ドラマは時代の鏡」と言うけど、ぶっちゃけ、現在放映中のドラマはどれも“コロナのない世界”の話。要はパラレルワールドの話だ。一方、『♯リモラブ』は緊急事態宣言下にリモートで出会った2人のラブストーリー。まんま、僕らの住む世界の話である。

『♯リモラブ』が面白ったワケ

おっと、誤解なきよう、これは単にコロナ禍という設定だけのドラマじゃない。誰とは言わないが、作り手サイドの「俺たちやった」感で終わらないところが、水橋文美枝サンを始め、この制作チームの偉いところなのだ。

ざっくりストーリーを解説すると、緊急事態宣言下に一人で過ごす時間が増え、ふと人恋しくなったヒロイン(波瑠)が、SNSを通じて顔も名前も知らない男性に恋をする。しかも、相手は同じ社内にいる人物らしい。しかし、会社はテレワーク中で、出社して確かめることもできず――というコロナ禍を実に巧みに恋愛の“カセ”に落とし込んだのが素晴らしい。

基本、出演者は全員、マスクをつけており、他のドラマが撮影で苦労している中、堂々と感染対策をとりながら撮影できている点も素晴らしい。

今後、5年、10年経って、2020年を振り返る際、多分、同ドラマは必ず紹介される。「コロナ禍の中、こんなドラマも生まれました」と。その意味で、今年中に放映する必要があった。まさに、記憶に残るドラマになったのである。

今っぽさ×王道の『共演NG』

そして、もう1つの気になったドラマ――『共演NG』である。原作は秋元康サン、脚本・演出は『モテキ』の大根仁監督で、主演は中井貴一サンと鈴木京香サンというテレ東らしからぬ豪華座組にまず驚いた。

ストーリーは、25年前に共演NGとなった主役2人が、新作ドラマで共演することになり、他の出演者たち(彼らも共演NG同士が集められた)のトラブルに巻き込まれながらも、2人で協力して解決していくことで次第に距離を縮めていくもの。“共演NG”というワードや、あえてコロナ禍を生かした設定は今っぽかったけど、ストーリーの構造自体は王道である。その辺り、実にエンタメの申し子の大根監督らしい。

感心したのは、“ショーランナー”なる聞き慣れないポジションで斎藤工サンがキャスティングされたんだけど、それは、アメリカのドラマなどで製作総指揮に当たる呼び名で、これをスカした野郎の体で演じる斎藤サンが実にハマり役だったこと(褒めてます)。

神2話を見るべし

僕は常々、優れた連ドラはニコハチが面白い(最初の平常運転の2話、物語が一旦盛り上がって後半への繋ぎとなる5話、終盤へ向けた主人公の自分探しが始まる8話)と唱えてるんだけど――『共演NG』は全7話だから、必ずしもこの法則が当てはまるワケじゃない。ただ、最初の平常運転の2話だけは、掛け値なしで神回だった。

この回に斎藤工サン演じるショーランナー市原龍の存在が明らかになるんだけど、ドラマのクランクイン当日、その市原の指示で主役の遠山英二(中井貴一)のシーンが書き足される。ネタバレになっちゃうけど、それが大園瞳(鈴木京香)とのキスシーン。しかし、この変更脚本は遠山にだけ渡され、大園には渡っていなかった――。

そう、ここがミソ。ここで、コロナ禍におけるキスシーンはリハーサルなしで、本番1回のみOKというテレビ局のガイドラインが生きてくるんですね。で、ぶっつけ本番で遠山英二が大園瞳にキスをすると、それを受け止めながら、素で驚きの表情を見せる大園瞳が実にいいシーンになっているという――。

これ、これなんです。コロナ禍を逆に生かした神シーン。テレビ局のガイドラインという内輪ネタをぶっこみながら、キレイに収める。さすが大根監督である。ちなみに、同ドラマ、岡部たかしサンが劇中ドラマの監督を演じてるんだけど、これが笑っちゃうくらい腰が低くて、全然偉ぶってなくて、多分、大根監督が自身を投影していますね(褒めてます)。

とにかく――未見の方はこの神2話を見られることをおススメします。

2021年のテレビの展望

そんな次第で、間もなく波乱の2020年も終わり、2021年が幕開ける。コロナの終息はまだ当分先になりそうだけど――焦ったところで、モノゴトが好転するワケでもない。一人一人が感染予防に気を付けながら、できるだけ日常生活を続けることが、この戦いに勝つ唯一の道だと個人的には思います。

まぁ、夜の飲み会を控える代わりに、この機会に、家でテレビでも見て過ごすのも悪くありません。多分、2021年は今年よりもっとテレビが面白くなるでしょう。世帯視聴率が個人視聴率に変わり、各局とも若者をベースにした新たなターゲット層に向けて番組作りを本格的に加速させるのが、まさに来年です。ドラマ、バラエティとも、斬新な発想と等身大のリアリティで、僕らをもっと楽しませてくれるはず――。

それを期待しつつ、この長いコラムもそろそろ閉めたいと思います。
――(気合を入れて)よいお年を!


第55回 サブカル論(前編)

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例年2月に行われる世界最大の映画の祭典「アカデミー賞授賞式」。今年は新型コロナウイルスの影響で2ヶ月遅れの4月下旬の開催となった。

作品賞の栄冠は下馬評通り『ノマドランド』の頭上に輝いた。不況で家を失った一人の女性が家財道具を車に積み込み、ノマド(遊牧民)のように働き口を求めて全米を放浪するロードムービーだ。監督は中国出身のクロエ・ジャオ。彼女はアジア系女性として初の監督賞も受賞した。

他に目立った作品の1つに、ユン・ヨジョンが韓国の俳優で初めて助演女優賞を受賞した『ミナリ』もあった。韓国系アメリカ移民2世のリー・アイザック・チョン監督による自伝的作品で、1980年代、家族を連れて米アーカンソー州に移住した韓国系移民の苦難が描かれている。

そう、この2つとも「アジア系」の監督の作品である。アメリカは今、アジア系住民へのヘイトクライム問題があり、両作品がオスカーでフィーチャーされたのは、それなりに意味のあることかもしれない。近年、ハリウッドは“白すぎるオスカー”と、受賞者の白人偏重への批判回避から投票権を持つアカデミー会員の非白人率を増やしており、そうした多様性を求める流れも追い風になったのだろう。

外国作品で初めて作品賞を受賞した『パラサイト』

思えば、昨年の作品賞もアジア系監督の作品だった。そう、オスカー初の外国作品の受賞となった韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』だ。監督は、韓国映画界のレジェンド、ポン・ジュノ。カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞し、その勢いのままオスカーもゲットした。韓国の社会問題に切り込みながら、物語にエンタテインメント性を持たせ、観客の間口を広げるのがポン・ジュノ監督のやり口である(褒めてます)。その辺り、“見られてナンボ”の韓国映画のスタンスが見えて、面白い。

国家ぐるみで「映画」を輸出する韓国

もっとも、『パラサイト』のカンヌやオスカーの受賞には、韓国の国家ぐるみの支援体制も働いたと聞く。韓国には「韓国映画振興委員会(略称:KOFIC)」なる国内の映画製作をサポートする国の機関があり、年間約4,000ウォン(日本円で約400億円)もの予算が組まれている。特筆すべきは、制作費の助成だけでなく、脚本作りから配給、海外への広報活動まで国家ぐるみで手厚くサポートしてくれること。海外の映画祭における受賞は、そうした国の支援抜きには語れないという。

ちなみに、韓国では韓流ドラマやK-POPにも国家ぐるみの助成制度がある。そちらは「韓国コンテンツ振興院(略称:KOCCA)」が担当し、映画の支援と同様、制作費の助成や海外への売り込みもサポートしてくれる。背景に、人口約5,000万人の韓国はどうしても国内市場が小さく、日本や北米、東南アジアなど海外で稼がざるを得ない切実な状況もある(かつての『冬のソナタ』に代表される日本における韓流ドラマブームもそうした成果の1つ)。

そこでカギになるのが、海外でもウケる、普遍的かつ高いクオリティのコンテンツ作りである。例えば、今や世界的に活躍するBTS を始めとするK-POP グループ――彼らは、そのためにデビュー前に長期に渡る厳しい選考やレッスンが課せられる。しかし、投資から回収まで相当な時間がかかるため、一プロダクションの財力では賄いきれず、国の支援を受ける。そう、K-POPの卓越したパフォーマンスは、国家の手厚いサポートあってのものなのだ。

日本のコンテンツは世界で戦えない?

――という話をすると、「じゃあ日本はどうなんだ」という声が上がる。今回のアカデミー賞でもそうだったが、よく話題になる。日本の映画やドラマ、音楽が世界市場で戦えないのは、国の支援が足りないからでは?――と。

結論から言えば、映画に限れば日本も国からの助成はあるにはある。是枝裕和監督が『万引き家族』でカンヌのパルム・ドールを受賞した際にも明かしたように、文化庁が毎年20作品ほどに、約10億円の年間予算から制作費を助成している。とはいえ、韓国のように海外の映画祭に売り込むなどのサポート体制はない。お金を出して終わり。

あと、海外へ売り込む国の施策としては、官民ファンドで設立された「クールジャパン機構」も一応ある。ただ、あれはエンタメ分野に限らず、商品や地方自治体の観光事業など扱う対象が幅広く、それも個別の案件を売り込むというよりは、外国における日本の観光・商業施設などのプラットフォーム支援がメイン。過度な期待はできない。

もっとも、助成制度があるだけ映画はマシ。他方、テレビドラマや音楽業界にその種の国の支援はない。現状、日本の民放ドラマはスポンサーの広告費で作られ、放送もネット配信も、国内の流通がメイン。海外展開はあくまでオプション。なので、制作費のバジェットが限られ、大作が生まれにくい。結果的に、海外展開も難しいという負の連鎖に陥っている。

また、音楽業界で言えば、日本のアイドル市場は初めから完成品を提供する韓国のK-POPと異なり、その成長過程もファンに楽しんでもらうビジネスモデルになっている。これは、70年代に日本にアイドルビジネスが確立された時からそう。つまり、ある種の育成型のロールプレイングゲーム感が、日本のアイドル市場の特徴である。そのために、ファンとの繋がりも握手会などの“会いに行ける”ローカライズが基本。遠く離れた海外展開は難しい。唯一、AKB48グループが「フォーマット」を海外へ輸出しているくらい――。

でも、僕は、日本はそれでいいと思う。少々前置きが長くなったが、その理由が、これから述べる今回のテーマ「サブカル論」である。まずはその前編から進めていこう。

フランスの“オタク”たちが集結するイベント

フランスのパリでは毎年7月、「ジャパン・エキスポ」なる日本のポップカルチャー(漫画・アニメ・ゲーム・アイドル・音楽・ファッション、グルメなど)を紹介する見本市が開催される。2000年に日本のアニメ好きの3人のフランスの若者によって創設され、回を重ねるごとに規模を拡大。今や4日間で25万人もの来場者を集めるビッグ・イベントに成長した。

元々は、日本のコミケのような同好の士のための催しだったが、そのうち日本の出版社やレコード会社、ゲーム会社、ファッションブランドなどの企業も参加するようになり、今では日本から漫画家やアイドル、ミュージシャンやモデルらが渡仏し、サイン会やライブ、ファッションショーなどが頻繁に開かれている。

ちなみに、YOSHIKIは同イベントの常連ゲストで、アイドル枠ではAKB48や乃木坂46も過去に参加したことがある。面白いのは、ゲストの中でも漫画家やアニメ作家、声優陣らは特に反響が大きく、これまで永井豪や浦沢直樹、富野由悠季監督、声優の岩男潤子ら多くのレジェンドたちが招かれ、トークショーやサイン会で大いに盛り上がったという。

そんなお祭りには、フランスの“オタク”たちが集結する。彼らの中には、日本のコミケ同様、アニメやゲームのキャラに扮したコスプレイヤーも少なくない。会場のそこかしこに、ナルトやジョジョ、綾波レイやキキが普通にいて、そのクオリティも相当高い。むしろ普段着でいる方が違和感を覚えるほど――。

フランスのキッズたちがハマったジャパニメーション

それにしても、なぜフランスに日本のポップカルチャーのマーケットが普通に存在しているのか?
――実は、かつて1970年代後半から80年代にかけて、ヨーロッパに日本のアニメが大量に輸出されたという歴史的背景があるんですね。その際、最大の輸入元だったのがフランス。国営放送では毎週、ゴールデンタイムに『UFOロボ・グレンダイザー』を始め、『キャンディキャンディ』、『ドラゴンボール』、『聖闘士星矢』、『シティーハンター』、『セーラームーン』等々が放送されたんです。

そして、それらの作品は“ジャパニメーション”と呼ばれ、フランスのキッズたちの間で大人気を博したと。中には、視聴率が70%(!)を超える作品もあったとか。それを起点に、フランスの少年少女たちは日本のマンガやゲーム、アイドル、ファッションなどにも興味を持ち、やがて彼らが大人になり、日本のポップカルチャー好きの“オタク”を大量に輩出したという次第――。

かくして、「OTAKU」は今や国際用語となり、先に記したジャパン・エキスポを創設した3人の若者も、そうしたムーブメントから出てきたんです。

『ハイジ』をスイス製と勘違いした欧州人たち

いや、何も“オタク”の存在は、フランスに止まらない。アメリカではもっと昔、1960年代後半から日本のアニメ――『鉄腕アトム』や『エイトマン』、『マッハGoGoGo』などが輸出され、一定のオタク市場を形成してきた歴史を持つ。彼らが80年代半ば、タカラ(現・タカラトミー)の商品から派生した変形ロボット『トランスフォーマー』に熱狂し、米国でアニメ化した作品を日本に逆輸入させたという武勇伝もあるほどだ。そうそう、子供時代に『マッハGoGoGo』にハマったウォシャウスキー姉妹が、大人になって映画『スピード・レーサー』を作ったのも有名な話――。

また、欧州各国も先に記した通り、70年代後半から日本のアニメが大量に輸入された歴史を持つ。中でも、『アルプスの少女ハイジ』は欧州が舞台ということもあり、各国で大人気。面白いのは、あちらの人々はハイジを舞台となったスイス本国で作られたアニメと勘違いしたんですね。つまり、それくらいディテールがリアルだったと。実際、かつて高畑勲サンや宮崎駿サンらは制作に入る前、一ヶ月に渡ってスイスやドイツをロケハンして回ったそうで、その努力は無駄ではなかったのである。

世界のスーパープレイを生んだ『キャプ翼』

もっと驚く話がある。
80年代半ば、欧州各国で『キャプテン翼』が放映されたんだけど、各国のキッズたちが同作に影響を受け、サッカーを始めたんですね。まぁ、それ自体はよくある話だけど、その後、大人になった彼らがどうなったかというと――フランスでジダンになり、アンリになり、イタリアでデル・ピエロになり、トッティになり、スペインでイニエスタになったんです。

もっと言えば、アルゼンチンのメッシも、コロンビアのロドリゲスも、ブラジルのカカもロナウジーニョもネイマールも、子供の頃に見た『キャプ翼』に影響を受け、サッカーを始めたと公言しており、つまり――世界のスーパープレイは、『キャプテン翼』が生んだとも言えるんですね(ドヤ顔)。

日本とサウジアラビアを橋渡しした『グレンダイザー』

そうそう、世界に影響を与えた日本のアニメと言えば、もう1つ『UFOロボ・グレンダイザー』もある。少し前、サウジアラビアに日本の大使として赴任した外務省の岩井文男サンが、ツイッターで自身の奥さんを『ウム・コウジ』と紹介したところ、現地の人々から喝さいを浴びたニュースって、覚えてません?

ちなみに、アラビア語で「ウム」とは母親のことで、「コウジ」は岩井大使の息子さんの名前。つまり、岩井大使は奥さんを「コウジの母」と紹介したんだけど、この一見、なんてことない言葉がサウジアラビアでは特別な意味を持つんですね。

種を明かすと、サウジアラビアを始めとする中東諸国でも日本のアニメは80年代から盛んに放送され、中でも人気を博したのが『UFOロボ・グレンダイザー』だったんです。日本では『マジンガーZ』から始まるシリーズ3作目で、若干影が薄い印象だけど、海外では絶大な人気。で、その登場人物の1人が、かつてマジンガーZを操縦した兜甲児だったというワケ。つまり、「コウジ」はサウジの人々にとって親しみ深い日本人の名前。要は、アニメを通じて日本とサウジの外交関係が良好になったという、そんな話なんです。

世界で戦える日本のアニメの強みとは?

つまり――ここまで長々と語ってきたが、何が言いたいのかというと、よく日本の映画やドラマ、音楽は世界市場で戦えないと言われるけど、こと「アニメ」に限っては、1970年代の終わりから世界中に輸出され、かなり爪あとを残したんですね。それも、国のバックアップなどなく、アニメ制作会社やテレビ局が独力でやって――。

ちなみに、一般社団法人日本動画協会が毎年発表している「アニメ産業レポート」の最新版(2020年版)によると、日本の2019年のアニメ市場は約2兆5,000億円と、過去最高を更新したそう。このうち海外で稼いだ分は約1兆2000億円と、全体のおよそ半分。そう、今も日本のアニメは世界市場で絶好調なんです。それにしても――なぜ日本のアニメは海外でこんなにも強いのか?

理由は大きく2つあります。1つは、海外へ輸出し始めた1970~80年代当時、とにかく日本のアニメは放映権料が安かったんです。だから、コンテンツ不足に悩む海外のテレビ局が飛びついたと。彼らは「日本のアニメだから」ではなく、単純に安かったから放映権を買ったんですね。

まぁ、これは功罪両面あって、後で詳しく述べるけど、漫画の神様・手塚治虫先生のせいでもあるんです(笑)。ただ、安いお陰で、結果的に大量の日本のアニメが海外に拡散されたワケで、それはそれで一定の効果があったのは確か。

もう1つは――実はこっちの方が大事なんだけど、日本のアニメはバリエーションが豊か、つまり作品に多様性があるんですね。おまけにクオリティも高く、表現も自由。要するに、海外の人たちから見て、シンプルに“面白い”んです。

世界のアニメと日本のアニメの違い

そう、バリエーションが豊かで、面白い。これが日本のアニメの最大の強み。で、ここからの話が、いよいよ今回のテーマ「サブカル論」の根幹に関わってきます。

先に僕は、韓国は国内市場が小さいから、世界市場を見据えて、映画も音楽も普遍的でクオリティの高いコンテンツを作っていると書いた。それは、マーケット的に極めて正しい方法論だし、現にアメリカのハリウッド作品も同じ戦略で作られている。ディズニーやピクサーが作るアニメ映画もそう。だから国境や宗教を越えて、世界中でヒットする。

でも――それは反面、極めて高い表現のハードルも課せられるんですね。人種や宗教への配慮はもちろん(例えば、ハリウッドのチームものの作品なら、黒人やアジア人も登場させないといけないとか)、今ならLGBTにも目を配らないといけないだろう。過激な性描写や暴力シーンもNG。ストーリーも自ずと全世界が共感できるシンプルなものになりがちで、時に戦争や政治への骨太なメッセージも要求される。

一方、日本のアニメは、その真逆の方法論で作られる。まず、日本のアニメは漫画原作が多いため、基本的には「少年ジャンプ」を頂点とする巨大な漫画市場のユーザー向けに制作される。つまり、国内向けだ。馴染み客がメインなので、人種やLGBTへの配慮もそこまで気にしなくていいし(もちろん差別的な表現はNG)、良くも悪くも性描写や暴力シーンの規制もユルい。『鬼滅の刃』にしても、あれだけ子供たちの間でヒットしながら、意外と残酷なシーンが多かったりする。実際、劇場版は北米公開の際、「R指定(17歳未満の観賞は保護者の同伴が必要)」を受けたほど。

そうした日本の現状を「ガラパゴス」と批判する識者たちもいる。日本のアニメはもっと世界市場を見据えて、表現やテーマをグローバル化すべきだと。まぁ、言わんとするところは分からないではないけど、その種の意見に対して、当の海外の日本のアニメオタクたちはどう反応しているかというと「冗談じゃない。日本のアニメは日本国内向けに作っているから面白いんだ。余計なことをするな」と一蹴してるんですね(笑)。

これは一体、どういうことか。

メイド・イン・ジャパンの強み

要するに――日本のアニメの強さは、国内向けに作られるゆえに規制がユルく、作り手が純粋に「面白さ」を追求できるところにあるんです。結果、多様な作品が育まれ、冒険モノから、学園ラブコメ、スポ根、ギャグ、アクション、SF、ロボット、刑事、時代劇、医者、料理人、もののけ――と、何でもあり。この多様さは、ディズニーもピクサーも真似できない。

つまり、日本のローカライズなルールで作られたものが、たまたま海外に輸出され、ジャンルの多様性とシンプルな面白さに現地の人々がハマった。これが日本のアニメが海外で支持される構図なんです。例えて言えば、混沌とした陳列と、掘り出し物を探す楽しみがある雑貨書店「ヴィレッジヴァンガード」みたいなもの。一方のディズニー作品は、国際規格を満たした商品が整然と並ぶショッピングモールと言えば、分かりやすいだろうか。

そう、メイド・イン・ジャパンの強みは、サブカル――。堂々と世界に打って出るメインカルチャーではなく、いわば肉屋の片隅で売られるコロッケみたいなもの。一見、脇役の扱いだけど、実はそれ目当てに来店するファンも少なくないというアレである。

日本のアイドルを愛でる海外のオタクたち

そんな構図は、日本のアイドル市場にも当てはまる。

実は、日本は世界に誇るアイドル先進国。海外でアイドルと言えば、2002年に始まり、各国にフォーマットが輸出されたことでも知られるリアリティショー『アメリカン・アイドル』が有名だけど、素人の歌手志望者がオーディションにエントリーして、審査を勝ち抜いてデビューするフォーマットは、日本では1971年に日本テレビが『スター誕生!』として、とっくに番組化していたんですね。なんとアメリカより30年も早かった。

その後も、1985年にフジテレビが『夕やけニャンニャン』の番組内オーディションから「おニャン子クラブ」を結成したり、1997年にはテレビ東京の『ASAYAN』のオーディション企画の落選者から「モーニング娘。」がデビューしたり、2005年には秋葉原を拠点とした究極のローカルアイドル「AKB48」が誕生したり――と、日本のアイドルは着実に進化してきた。

先に僕は、日本のアイドルはローカライズが売りなので、海外展開は不利と書いた。でも、一方でテレ東の『YOUは何しに日本へ?』には、しばしば欧米からAKB48の握手会に参加するために来日した熱心な外国人ファンが登場する。ネットの時代になり、国内外の情報格差がなくなったのと、ローカライズゆえの日本のアイドルの“深み”に、逆に外国人ファンがハマったのである。

意外なところでは、香港の民主活動家の周庭サンも、そんな日本のアニメやアイドルに惹かれ、「オタク」を自称する一人。彼女は、昨年秋に収監された際も、欅坂46の『不協和音』の歌詞に励まされたと語っていたほど。現在、再び収監中で、1日も早い釈放を願うばかりである。

日本のアイドルには“ストーリー”がある

では、日本のアイドルの何が、外国人をそれほどハマらせるのか。僕は――それは“ストーリー”の力だと思う。

分かりやすい例に、あのモーニング娘。がいる。先にも述べた通り、彼女たちは、『ASAYAN』のオーディション企画「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」の落選者から選ばれた。この“落選者”がミソで、オーディション自体は平家みちよがグランプリを獲り、武道館デビューを果たした。いきなり武道館だ。それは凄い。でも――お客はそっちよりも、“敗者復活戦”の方に惹かれたんですね。

そう、平家みちよが武道館デビューする一方、モーニング娘。の5人に課せられたのは、インディーズのCDシングル「愛の種」を5日間で5万枚、手売りで完売すれば、メジャーデビューできるというミッション。彼女たちは年齢も容姿もバラバラ(最年長の中澤裕子が24歳、最年少の福田明日香が12歳)。いかにも寄せ集めの感じがしたが、逆にそれが非予定調和に映り、日本人の判官贔屓も働いて課題をクリア。メジャーデビューを勝ち取り、今日に至るのである。

一方の平家サンは、新人離れした歌唱力と表現力を持ちながら、人気がハネることなく、次第にフェードアウト。教訓、日本のアイドルが成功するために大事なのは、パフォーマンスの完成度よりも、ストーリーなのだ。

二軍からワンチャンスで駆け上がった日向坂46

今なら、あの「日向坂46」にも、同様のストーリーを感じる。

元々、彼女たちは、先輩グループの「欅坂46」に遅れて加入した長濱ねるのために作られたアンダーグループ(早い話が二軍)だった。それゆえ「けやき坂46(ひらがなけやき)」と呼ばれ、ほとんど活躍の場が与えられなかった。握手会を催しても、長蛇の列の「欅坂」の隣で閑古鳥状態――。

だが、好機は意外なところからやってくる。2018年1月、平手友梨奈のケガで欅坂46の武道館公演に穴が開くピンチが訪れた際、急遽、その穴埋めに「ひらがなけやき」の武道館3DAYSが決定する。デビュー前のグループには荷が重すぎる大役だったが、彼女たちは見事にこのミッションを成功させる。それを機にデビューアルバムのリリースも決まり、欅坂46の2軍から独立して正式なグループへ昇格する。そして2019年2月には「日向坂46」へ改名し、今に至るのである。

もちろん、日向坂46は実力の上でも申し分ない。例えば、オードリーがMCを務めるテレビ東京の『日向坂で会いましょう』で見せるトークスキルの高さは、アイドル界随一と、他局のテレビマンたちからも賞賛されるほど。しかし、やはり彼女たちの現在の地位を作り上げたのは、二軍のどん底から這い上がったサクセスストーリーに「おひさま」と呼ばれるファンがどハマりしたからである。

ひろゆきの「アイドル=キャラクター」論

そうそう、あの「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)サンが、かつてアイドルについて論じた定義が面白かったので、この場を借りて紹介したいと思う。

「僕はアイドルに恋人がいるって許せない派です。アーティストとかであれば恋人がいようが全然いいんだけど、能力がある人って『歌手』とか『ダンサー』とか『役者』とか能力に対する肩書きがつく。一方、アイドルって能力ではなくてキャラクターに対する肩書きで、アイドルというキャラクターは恋人がいないのが前提だと僕は思っている。なので、恋人を持つんだったらその肩書きは使っちゃダメですよ、って思っています」。

――どうだろう、「アイドルとはキャラクターに対する肩書き」。なかなか的を射た考察だと思いません? これ、先に述べた「ストーリー」ともリンクする話なんですね。要は、魅力的なキャラクターって、背後にストーリーがあるんです。なぜ、ディズニーランドのキャラクターに日本人が感情移入できるかというと、ちゃんとバックストーリーがあるからなんですね。日本のアイドルもこれと同じ。

そう――つまり、音楽におけるメインカルチャーを“世界で戦えるパフォーマンス力や高い歌唱力”とするなら、たとえばK-POPは純粋にその線上で勝負している。評価の基準は技巧の優劣や芸術性だ。一方、日本のアイドルは、ストーリーやキャラクターといった、いわば“サブカル”をウリにする。人気の指標は、どれだけ共感を集められるか。その点において、日本のアイドルは世界で唯一無二の存在なんです。

日本のサブカルを支える潤沢な国内市場

さて――この「サブカル論・前編」も、いよいよ佳境に入ってきた。ここからは、そんなサブカル天国・日本がいかにして生まれ、育まれたか。そんな核心部分に迫りたいと思います。

まず、日本の“サブカル”を支えるのは、圧倒的に分厚い国内マーケットなんですね。ここが、韓国との分岐点でもあるところ。ちなみに、日本の総人口は1億2600万人だけど、俗に世界には人口1億人以上の国を指す「1億人クラブ」が12ヶ国ある。多い方から順に、中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ナイジェリア、バングラディシュ、ロシア、日本、メキシコ、そしてフィリピン――。

お気づきだろうか。この12ヶ国のうち、IMF(国際通貨基金)の定める「先進国」に該当するのは、アメリカと日本の2ヶ国だけ。後は「中所得国」か「発展途上国」なんですね。つまり、日本はアメリカと並んで、そこそこ裕福な国民を1億人以上も抱える、極めて恵まれた国内市場を持つんです。

ただ、ことエンタメ事業に関しては、日米の戦略は分かれます。アメリカは国内市場をベースとしつつも、世界で商売する道を選択。一方、日本は国内で賄う道を選んだと。つまり、前者は国際規格という非常に高いハードルが課せられる反面、リターンも大きい。ゆえに作品に巨額の制作費を投じることが可能に。対する後者は、作品の自由度は高いが、ローリスクローリタンゆえに制作費も大きくハネないと。

かくして、アメリカではハリウッド映画やネットフリックスのドラマなどの“大作”が世界を席巻、一方の日本は比較的低予算で回せるアニメやアイドル市場で国内外のオタクたちのハートを掴むと――。

サブカルの扉を開けた『鉄腕アトム』

ここから先の話は長くない。

そんなサブカル天国・日本が生まれるエポックメーキングとなった作品をご存知です? そう、言わずと知れた漫画の神様――手塚治虫が手掛けた日本初の本格的連続テレビアニメ『鉄腕アトム』である。

時に1963年1月1日――漫画の神様が経営するアニメ制作会社「虫プロダクション」により、その扉は開かれたんです。初回視聴率は29.5%。春には40%の大台に乗り、アトムは日本中に大旋風を巻き起こした。あまりの人気に、当初予定の26話を大幅延長し、4年間に渡って全210話も放送されたほど――。

いや、アトムの登場は、何も日本のテレビアニメの扉を開けたことに止まらない。今日、繁栄を誇る日本のサブカル史においても、エポックメーキングな事件として記憶されるんです。そう、アニメ版のアトムは日本初のサブカル作品とも言えるのだ。

なぜ、アトムがサブカル?
それは、手塚先生がアトムをアニメ化する際に語った言葉に表れている。「僕は、ディズニーを目標にしていません」――幼少期からずっとディズニーに憧れてきた先生が、目標はディズニーではないという。どういうことか。

その答えが、「リミテッド・アニメーション」なんですね。リミテッドとは「限定」の意。要は、滑らかな動きを見せるフル・アニメーションのディズニー作品が1秒あたり12枚のセル画を使用するのに対して、8枚のセル画で済ます簡易版のアニメのこと。滑らかさは若干劣るが、不自然ではない。

いや、それだけじゃない。キャラクターを固定して、口や目だけを動かしたり、大きな背景を描いて、その中でキャラクターを動かしたり――。極端な話、カメラさえ動かせば、止まっている絵でも画面上は動いているように見える。それら全てを総称して、漫画の神様は「リミテッド・アニメーション」とうそぶいたんですね。

「ディズニーの作品は、一言でいえば、絵ばなしです。あまりに児童文学的です。僕はディズニーを足場にして、内容的に、もう一歩超える自信がある」

――とはいえ、それは手塚先生一流のレトリックだったんです。要は、現実問題として、毎週30分のアニメを放送するには、ディズニーのような丁寧な仕事をやってたら、スケジュールが追い付かない。そこで、「リミテッド・アニメーション」と大上段に構えつつ、その実、作業の簡素化を図ったんですね。でも、その分、ストーリーや人物描写、構図などでクリエイティブを見せるという、手塚先生なりの勝算があったのは確かなんです。

実際、アニメ版のアトムはスピーディーな動きや斬新な構図、そして人類に警鐘を与えるストーリーの深みなど、子供だけでなく、大人も虜にしたんですね。だから視聴率が40%も取れたし、アメリカに輸出されて、あちらでも大人気を博したんです。まさに、フル・アニメーションに引けを取らない、リミテッド・アニメーション=サブカルの本領発揮と。

60~70年代に日本のアニメが量産された理由

そして、アトムが開いた日本流のリミテッド・アニメーション(サブカル)の扉は、60~70年代、カンブリア紀の大爆発のごとく、多様な作品を輩出するんです。――『鉄人28号』、『エイトマン』、『ジャングル大帝』、『オバケのQ太郎』、『魔法使いサリー』、『おそ松くん』、『黄金バット』、『マッハGoGoGo』、『リボンの騎士』、『巨人の星』、『ひみつのアッコちゃん』、『サザエさん』、『ムーミン』、『みなしごハッチ』、『あしたのジョー』、『いなかっぺ大将』、『ルパン三世』、『天才バカボン』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『デビルマン』、『ど根性ガエル』、『マジンガーZ』、『エースをねらえ』、『宇宙戦艦ヤマト』、『アルプスの少女ハイジ』、『銀河鉄道999』、『ドラえもん』、『機動戦士ガンダム』――etc…

壮観だ。なぜ、こんなにも多様な名作が、アニメ黎明期に次々と生まれたのか? 皆、手塚先生の敷いたレールに乗ったからなんですね。それはレール同様、2つあって、1つが前述の「リミテッド・アニメーション」。絵の完成度はフル・アニメーションに劣るものの、その分、構図やストーリー、キャラの造詣などにクオリティを発揮し、作品を面白く仕上げるというもの。そして、もう1つが――なんと「低予算」だったんです。

そう、低予算――アニメ史における手塚先生の“功罪”である。アトムの放映時、先生は広告代理店が示した1話あたりの制作費150万円を断り、なんと「55万円でいい」と自ら値切ってみせたんですね。代わりに、虫プロが著作権を持ち、赤字分はグッズなどのロイヤリティーや海外への輸出で補うというのが先生なりの算段だった。単価を下げることで、虫プロが受注する仕事を増やす狙いもあったと言われる。

だが――これは悪しき前例となり、その後のアニメ業界を長く苦しめることになったのも事実。実際、あの宮崎駿監督は、手塚サンが亡くなった時の追悼文でこの件に触れるなど、相当根に持っていたほど。

とはいえ、その一方でアニメは低予算だから企画が通りやすいという副作用も、この時代に生まれたんですね。多くの名作が日の目を見たのは、そういう背景もあったんです。そう、先にも触れたように70年代後半、海外へ安く輸出できたのも、低予算で作られたお陰――。結果的に、世界中に日本のアニメが拡散され、今日のジャパニメーションブームを育んだ歴史を思えば、制作費を値切った手塚先生の判断は、功罪相半ばするとしか言いようがないんです。

バラエティの覚醒

さて、ここまで長らくアニメとアイドルを軸に、日本のサブカル史について解説してきたが、実はもう1つ、日本のサブカルを語る際に外せないジャンルがある。――「バラエティ番組」だ。

よく「日本ほど、テレビでバラエティ番組が放映される国もない」と言われる。事実、バラエティテイストの情報番組まで含めると、日本の地上波のテレビ番組の実に7割近くがバラエティになる。

また、これもよく言われることだけど、「日本のバラエティ番組は海外では通用しない」と言われる。ある意味、正しいだろう。フォーマットがしっかりしている海外のリアリティショーと異なり、日本の場合、『アメトーーク』(テレビ朝日系)や『水曜日のダウンタウン』(TBS系)、『有吉の壁』(日本テレビ系)など、お笑い芸人のパーソナリティーで成り立っている番組が多く、フォーマットを売るという概念から遠い。

――とはいえ、こちらもアニメ同様、日本のバラエティがたまらなく好きという外国人がいるのも事実なんですね。実際、先に紹介した香港の民主活動家の周庭サンも、日本のアニメとアイドル好きに加えて、日本のバラエティ番組好きを公言する一人。なんと彼女は「日本のバラエティから多くの日本語を学んだ」とまで言ってのけるんです。

日本のバラエティの特徴は、お笑い芸人の層の厚さと、彼らのトークスキルの高さ、そしてネタの繊細さである。売れている芸人の多くは、アドリブに長けている。どんな番組でも、芸人さえ仕込んでおけば、彼らがなんとかしてくれる。そんな変幻自在なトークスキルを持ったコメディアンは、海外ではなかなか見かけないんですね。

だが――日本の芸人が、昔からアドリブに優れていたワケではない。そこにも、禁断の扉を開けた偉大なるレジェンドがいるんです。思うに――それは、1981年から89年まで放送された、日本のバラエティ史に燦然と輝く『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)ではないだろうか。

かの番組の登場で、日本のバラエティ番組やお笑い芸人がどう進化したのか。ひいては1990年代以降、NHKを含む日本のテレビ局全体がフジテレビ化し、あらゆる番組がバラエティ化に進んだ背景に何があったのか――。

この続きは、次回の「サブカル論・後編」で存分に語りたいと思います。それまで、しばしお待ちを――。
(イラスト:高田真弓)

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