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Channel: 指南役 –ソーシャルトレンドニュース
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第20回「若者のテレビ離れはない」

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 まずは下の作品群のタイトルを見てもらいたい。

 『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』
 『キセキ -あの日のソビト-』
 『僕らのごはんは明日で待ってる』
 『君と100回目の恋』
 『一週間フレンズ。』
 『きょうのキラ君』
 『チア☆ダン』
 『PとJK』
 『ひるなかの流星』
 『ReLIFE』
 『ハルチカ』

 ――これらは、今年1月から3月にかけて日本国内で上映された、いわゆる若者向けの実写邦画である。多くは少女コミックを原作とする、いわゆる“壁ドン”“胸キュン”“顎クイ”と呼ばれる類いの映画だ。

 基本的にラブストーリーか青春ドラマで、共通していえるのは、10代から20代の若者たち、特に若い女性が多く劇場に足を運んだ映画ということ。事実、これら11本のうち、全国週末興行成績ランキング(興行通信社調べ)でベスト10に入ったのは、実に8本。アニメやディズニー映画が隆盛を極める中、大健闘だ。

若者向け映画は大盛況。一方、月9は大不振

 ほら、あなたも映画館に足を運んだ際、本編が始まる前に、これら若者向け映画の予告編を目にしたことがあるでしょ? 3カ月で11本ということは、ほぼ毎週1本が封切られている計算だ。人気がある証しである。

 一方、同じ時期のテレビの連ドラを見渡すと、目につくのは刑事ドラマや医療ドラマばかり。どれもおじさん・おばさんが好む路線である。対して、若者向けドラマは絶滅危惧種で、最後の砦とも言える「月9」も瀕死の状態だ。1~3月に放映された『突然ですが、明日結婚します』なんて、全話一桁視聴率。6話に至っては前代未聞の5.0%だった。平均視聴率6.7%も月9史上最低である。

 映画界は若者向け映画が大盛況なのに、テレビ界は若者向けドラマが大不振――これは一体、どういうことか。

過去最高だった『明日婚』のネット視聴

 著書『拡張するテレビ』(宣伝会議)でもお馴染のメディアコンサルタントの境治サン(この方はテレビメディアの未来を語れる数少ない御仁です)が、以前、Yahoo!ニュースに書かれた記事に、「視聴率では月9史上最低記録の『明日婚』、ネット配信では最高記録更新中」――というものがあった。かなり拡散された記事なので、お読みになられた方も多いだろう。

 それによると、『明日婚』――『突然ですが、明日結婚します』は前述の通り、視聴率は同枠史上最低だったけど、一方で、FOD(フジテレビオンデマンド)の「プラスセブン」(放送終了後から7日間、ネットで無料視聴できるサービス)では、それまで月9の最高だった『好きな人がいること』の配信記録を抜いて、なんと同枠史上最高だったという。しかも、その主要な視聴者は“ハタチ前後”の若い女性たちとのこと。

 月9史上、『明日婚』は歴代最低視聴率を更新して、世間から「若者のテレビ離れに拍車」なんて言われたけど、ネット配信では逆に歴代最高配信数を更新して、しかもその中心にいたのは若い女性たちだった。
 これは一体、どういうことか。

ある日、電車の中で

 話を一旦変えます。
 今から1カ月半ほど前のこと。その日、僕は吉祥寺に用事があり、御茶ノ水駅から中央線快速に乗った。午後2時くらいだったと思う。僕はドア横のいわゆる“狛犬ポジション”に陣取り、外の景色を楽しんでいた。
 その時である。ふと、もう片方の狛犬ポジションを見ると、カジュアルな装いの大学生風の女性(推定年齢20歳)が何やらスマホを横に倒して、イヤホンを差して画面に見入っている。彼女はこちらに背を向けていたので――申し訳ないけど、画面が見えてしまった。西内まりやに山村隆太――なんと『明日婚』だ。
 そう、その女性は、スマホで『突然ですが、明日結婚します』を食い入るように見ていたのだ。

 僕は、そんな風にテレビドラマを外で、しかもスマホで見たことがなかったので――それは軽いカルチャーショックだった。

タイムシフト&プレースシフト

 あの日の光景は、僕に2つのことを教えてくれた。
 1つは、タイムシフト視聴はもはやスマホで当たり前に行われていること。2つ目は、そうなると、もはや視聴場所を選ばないこと。

 それまで僕は、タイムシフト(ネット配信)視聴とは、自宅で、PCで見るものとばかり思っていた。でもスマホなら、もはや視聴場所を選ばない。前述のように電車の中でもいいし、カフェでも公園のベンチでもどこでも見られる。つまりスマホの活用で、テレビ視聴の新たなスタイル――“プレースシフト”(場所の移動)の要素も加わったのだ。テレビ番組の視聴は、もはや時間にも場所にも束縛されない、新たな時代に入ったのである。

若者のテレビ離れの正体

 そう、時代の変化の波は、いつも若者たちが教えてくれる。
 時に彼らは忙しい。特に大学生は授業にバイトにデートに女子会に旅行にショッピングに映画にジムに――と、息つく暇もない。仕事と家庭に忙殺される30代から50代に比べ、自由に時間が使える分、逆に1秒でも無駄にしたくないのが彼らの性分。
 そんな若者たちに、ゴールデンタイムに家にいて、お茶の間でただ黙ってテレビを見ろと言うのは――無理からぬ話である。

 そう、別に彼らはテレビが嫌いでテレビから離れているわけじゃない。忙しすぎて、オンエア中にお茶の間のテレビの前にジッとしている時間がないだけである。だから、興味のある番組(特にドラマ)は、スマホで空いた時間にちゃちゃっと見る。月9の『明日婚』はそんな感じで若者たちに見られていたのだ。

 つまり――若者のテレビ離れとは、要は“オンエア中のお茶の間のテレビ”離れに過ぎないってこと。テレビ自体から離れたワケじゃない。

大学生はWiMAXが必需品

 最近、UQ mobileのCMをやたら見ると思いません? ほら、深田恭子と多部未華子と永野芽郁が3姉妹を演じている、アレ。昨年あたりから出稿が増えて、一気に世の中に浸透した感がある。

 実は今、大学生にとって「WiMAX」が必需品らしいんですね。WiMAXとは、家でも外でもネットを使えるモバイル通信のことで、そのサービスを提供している会社が、前述のUQってワケ。ここ2年くらいで技術革新が一気に進み、料金プランも割安になったので、満を持して市場に浸透したらしい。

 その特徴は、小さな機器で持ち運びに優れ、Wi-Fiより通信速度が速く、そして無制限に使えること。
 そう、無制限に使える――これが大きい。

あの日、彼女がスマホで動画を見た理由

 つまり、WiMAXを1台持っていると、家ではPCでネットができるし、外でもスマホで動画が見放題。わざわざPC用にネット契約を結ぶ必要がないので、料金的にも安く済むってワケ。ちなみに、知り合いの大学生に聞いたところ、大体、月5000円以内に収まるらしい。

 そう、彼らは外出先で、いくらスマホで動画を見続けても、もはや通信料や速度制限を気にしなくていいのだ。これは大きい。あの日、電車内で女性がスマホで『明日婚』を見ていたのは、そういう事情だったのだ。

 昨今の若者のテレビ離れ――つまり“オンエア中のお茶の間のテレビ”離れの背景には、WiMAXの劇的な進化と普及もあったんですね。

『SCHOOL OF LOCK!』から見えること

 1つ、興味深い話がある。中高生に絶大な人気を誇る東京FMのラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』、2005年に始まったので、もう12年も続いていることになる。
 この番組の発案者であり、現在も総合プロデューサーを務める同局の森田太サンは、番組を立ち上げた経緯についてこう語る。
 「若い子がラジオから離れている理由を考えてみたら、聴かなくなったのではなく、実は聴く番組がないだけだということに気づいたんです」

 ――至言である。

真の問題は「テレビの若者離れ」

 これ、テレビの世界にも当てはまる話だと思いません?
 昨今のテレビドラマを見渡せば、刑事ドラマと医療ドラマが大半を占める。バラエティを見ても、いわゆる知的バラエティが氾濫している。いずれも、50代以上の視聴者をターゲットにした番組作りが根底にある。なぜなら、全視聴者の半分近くを占める50代以上に見てもらうことが、高視聴率の獲得に繋がるからである。
 そして気が付けば――かつてのラジオ同様、若い人たちが好んで見る番組が極めて少ない非常事態になっているというワケ。

 そう、本当は「若者のテレビ離れ」じゃなくて、その逆――「テレビの若者離れ」なんですね。

『テラスハウス』というヒント

 では、そんな「テレビの若者離れ」を改善するにはどうしたらいいだろう。
 1つヒントがある。かつてフジテレビの地上波で放送された『テラスハウス』である。

 かの番組、6人の男女がひとつ屋根の下に暮らす、いわゆるリアリティショー。モデルの卵や俳優志望など、手が届きそうで届かない、絶妙な距離感の人たちのリアルな人間模様が垣間見えて、若い視聴者の熱狂的な支持を得た。
 事実、同番組は2013年の「Yahoo!検索ワードランキング・テレビ番組部門」で、あの『あまちゃん』と『半沢直樹』に次ぐ3位に入ったのだ。なんと、地上波の全番組中3位である。それは、ネットとの親和性が高い若い人たちに積極的に支持された証しでもあった。

 その一方、同番組は一度も視聴率が2桁に乗ることはなかった。結局、2年間の放送を経て、2014年9月に終了する。

映画のヒット、そしてNetflixへ

 だが、『テラスハウス』の真の底力はそこから発揮される。
 番組は終了するも、若い視聴者から復活を望む声は根強く、終了から5カ月後の2015年2月、映画版『テラスハウス クロージング・ドア』が公開される。すると――週末の興行成績ランキングで初登場1位。当時快進撃中だった『ベイマックス』の7週連続1位を阻止したのである。それはちょっとした事件だった。

 そして番組終了から1年後の15年9月、フジテレビとNetflixが提携する形で、今度はNetflixに場所を移して番組が再開されたのだ。それは、つまり――世界190カ国に同番組が配信されることも意味していた。

 『テラスハウス』は、再び若者たちの心を捉えた。いや、そればかりか世界中の人々にも「日本の若者たちのリアルな言動が楽しめる」と、受け入れられたのだ。
 事実、同番組は16年11月からハワイに舞台を移し、ネット版の第2シーズンが始まった。人気が低迷すれば、容赦なくシリーズを打ち切ることで知られるNetflixが続編を作るというのは、そういうことである。

『テラスハウス』は2勝1敗

 ここで、『テラスハウス』の軌跡を整理したい。
 同番組は、ネットの検索ランキングで地上波TOP3に入るくらい、若者たちに人気だった。一方、視聴率はその熱狂がうまく反映されず、番組は2年あまりで終了する。だが、番組復活を望む声は根強く、映画版を公開したところ、ディズニー映画を抑えて1位に。さらにNetflixと提携して世界190カ国に配信したところ、好評を博して2ndシーズンが作られることに――。

 ここから分かるのは、『テラスハウス』は若者に絶大な人気があるけど、「視聴率」にはあまり反映されなかった。一方、「映画」と「ネット」ではちゃんと結果を残した。視聴率×、映画〇、ネット〇――2勝1敗だ。
 ここで1つの仮説が浮かび上がる。
 「もしかして視聴率って、当てにならないんじゃないの」

若者人口の減少

 総務省の人口統計データがある。
 それによると、1990年と現在とを比較したら、15歳~29歳の若者層が総人口に占める割合は、90年が22%で現在が15%。一方、50歳以上の熟年・シニア層の割合は90年が30%で、現在が45%。
 2つの層を比較すると――この四半世紀で「若者:シニア」の比率は2:3から1:3へ。ぶっちゃけ、若者層のパワーバランスは半減しているのだ。

 そう、今や若者たちがこぞって若者向けドラマを見たところで、その影響力は、かつて『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』が20%の視聴率を取った90年代初頭の半分。『明日婚』や『テラスハウス』が視聴率を二桁に乗せられなかったのは、そういうことである。

高すぎる「視聴率」というハードル

 え? 昨年放映された『逃げ恥』は若者向けドラマだったけど、最終回は視聴率20%に届いたじゃないかって? いえ、アレは様々な要因が重なり“社会現象化”したから。そうなると50代以上の人たちも見てくれる。でも大事なのは、社会現象化せずとも、若者たちに支持されるドラマが、正当に評価されることである。

 こうは考えられないだろうか。
 『明日婚』も『テラスハウス』も若者たちの間では十分ヒットした。だが、いかんせん、現状のテレビの「視聴率」というハードルが高すぎた。その点、ネットや映画なら、そこまでハードルは高くない。だから、ちゃんとヒットが“可視化”されたのだ。仮に『明日婚』が映画化されていたら、十分ヒットしていた可能性はある。

地上波テレビのビジネスモデルの壁

 今の地上波テレビのビジネスモデルは、電通の4代目社長の吉田秀雄が作り、田中角栄郵政相(当時)が育てたものである。
 それは、東京キー局が作る番組の放送権をローカル局に渡し、さらにローカル局にお金を払うことで、ナショナルスポンサーのCMを全国津々浦々に流してもらうようにするというもの。普通に考えたら、ローカル局がキー局にお金を払って放送権を買いそうだけど、その逆。それは、キー局がローカル局に放送権を売って得られるお金よりも、全国にCMを流すことでナショナルスポンサーから得られるお金のほうが多いからである。
 だが、そのビジネスモデルは高い視聴率あってのもの――。

 そう、地上波テレビの「視聴率」という高いハードルは、このビジネスモデルが機能している限り、絶対なのだ。
 え? じゃあ、若者向けの番組は地上波テレビから消えゆく運命なのかって?

ネットという活路

 ――そこでネットだ。
 地上波テレビの「視聴率」という高い壁が存在するなら、そうじゃない場所で商売すればいい。
 現状、若者向け番組が正当に評価されやすい――つまり“ヒットが可視化される”メディアといえば、やはりネットだ。酷な話だが、若者向け番組が生き残る道は、ネットしかないと言っていい。

 だが、悲観することはない。実際、『テラスハウス』はフジテレビからNetflixに活動の場所を移したけど、以前と変わらず――いえ、世界を相手にむしろ前よりも活躍の幅を広げている。
 アメリカでは、このNetflixをはじめ、HuluやAmazonプライム・ビデオなど、今やネット配信メディアが地上波テレビと肩を並べる存在感を示している。実際、Netflixのオリジナルドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』は、テレビ界の権威である米エミー賞を受賞したほどだ。

加速化するネットのオリジナルドラマ

 実は日本でも、既にその動きは加速化している。
 Netflixが又吉直樹の芥川賞作品『火花』をドラマ化したのは大いに話題になったし、同社はこの夏に明石家さんま企画・プロデュースで、ジミー大西の半生を描いたコメディードラマ『Jimmy~アホみたいなホンマの話~』も配信予定だ。
 いや、そこまで大がかりじゃなくても、Netflixはフジテレビと組んで、少女コミックが原作の若者向けドラマ『グッドモーニング・コール』を配信して、既にスマッシュヒットを放っている。

 他にも、NTTドコモが展開するdTVや、日テレと提携するHulu、テレ朝とサイバーエージェントが立ち上げたAbemaTVなど、ネットを舞台にオリジナル番組を作る動きは、ここへ来て活発化している。

『東京女子図鑑』のクオリティ

 中でも、Netflix同様、地上波に負けない予算とクオリティで評判なのが、Amazonプライム・ビデオだ。例えば、同社が昨年暮れから配信を始めたオリジナルドラマ『東京女子図鑑』なんて、地上波のドラマに負けないどころか、それ以上のクオリティを感じたほど――。

 かのドラマ、原作が雑誌『東京カレンダー』のWEB連載だけあって、とにかく街の描写や店選びのディテールがハンパなかった。物語は、水川あさみ演ずるヒロインが秋田から上京してアパレル会社に就職し、三軒茶屋を皮切りに、恵比寿、銀座、豊洲と、居場所と共に男や仕事も変えつつ出世する、いわば現代版シンデレラストーリーである。
 そう、田舎娘が段々と都会に馴染んでいい女になるプロットは、映画の『プリティ・ウーマン』や『プラダを着た悪魔』でもお馴染の鉄板プロット。ドラマの登場人物たちの言動がとにかくリアルで、SNSでも話題になり、若者層を中心に大いに評判になった。

ネットドラマの尺は22分

 『東京女子図鑑』は毎週1話ずつ新作が配信され、全11話で終わった。地上波と同じ1クールだ。違うのは、1話の尺が平均22分だったことくらい。
 これ、俗に「画面サイズと視聴時間は比例する」と呼ばれる法則なんですね。映画なら2時間、テレビなら1時間、それに対してPCやスマホで視聴者に快適に見てもらえる尺は――平均22分なんだそう。
 何が潔いって、もはや同ドラマは地上波で流すことを想定していないってこと。あくまでネットを主戦場として作られた点で画期的だった。

 ちなみに、Amazonプライム・ビデオはこの6月からディーン・フジオカと清野菜名のW主演で、借金の肩代わりから契約結婚に発展する新手のウェディング・ラブストーリーを配信する。キャストの格はもはや地上波ドラマと変わらない。今から楽しみである。

若者のテレビ離れはない

 そう、ネット配信ドラマのクオリティは、もはや地上波ドラマと比べて、何ら遜色ない。ある意味、キャストや演出面の制約が自由な分、傑作が生まれる余地は地上波より多いかもしれない。

 鍵はSNSだろう。圧倒的な番宣が投下される地上波ドラマと違い、ネットドラマは番宣が限られるため、どうしてもSNSでの口コミに頼る部分が大きい。逆にいえば、面白いドラマだけが拡散される状況にある。

 耳を澄ませてほしい。――ほら、ネットドラマの評判が聴こえてきた。それは、いつ、どこにいても見られる珠玉のドラマだ。少なくとも、刑事ドラマと医療ドラマに侵食された地上波ドラマと違い、そこには自由がある。

 時代の変化の波は、いつも若者たちが教えてくれる。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)


第21回「刑事ドラマの歴史」

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 まずは、今クールの連ドラの6話までの平均視聴率ベスト5を見てほしい。

 1位『緊急取調室』(テレ朝)14.1%
 2位『小さな巨人』(TBS)13.2%
 3位『警視庁・捜査一課長』(テレ朝)12.0%
 4位『警視庁捜査一課9係』(テレ朝)11.2%
 5位『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』(フジ)11.0%

 ――なんと、見事に5つとも刑事ドラマである。
 昨今、連ドラは刑事ドラマや医療ドラマばかりが目に付くが、遂にここまで来たかという思いである。ただ、こうして刑事ドラマが安定して視聴率を稼ぐということは、作り手がそっちへ向かうのも分からないではない。何せ、テレビは視聴率を取らないといけないからだ。

事件は警視庁捜査一課で起きている!?

 いや、もっと驚くのは、このうち上位4作品がいずれも「警視庁捜査一課」が舞台になっている点。つまり、1つの部署の中で同時に4つのドラマが並行して進んでいることになる。かつて『踊る大捜査線』で織田裕二扮する青島刑事は、「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」の名セリフを吐いたけど、それは誤りだ。正しくはこう。

 「事件は警視庁捜査一課で起きてるんだ!」

 それにしても――なぜ警視庁捜査一課ばかりに刑事ドラマが集中するのだろう。ひと昔前の刑事ドラマは、もっと多様性があった気がする。「所轄」が舞台の人情劇もあれば、ハミ出しものばかりを集めた「特捜班」が活躍するアクションドラマもあった。時には、2人組の凸凹コンビがユーモラスに活躍する「バディもの」も――。
 それが今や、今クールだけでも捜査一課長を内藤剛志、香川照之、三上市朗の3人の俳優が演じている(ちなみに『警視庁捜査一課9係』は昔から一貫して捜査一課長が登場しない)。これじゃ、まるでパラレルワールドだ。

刑事ドラマは時代の鏡

 俗に、テレビは時代の鏡という。刑事ドラマが警視庁捜査一課モノばかりになってしまった背景には、現代の世相が何かしらの影響を与えているのかもしれない。それを知るには、日本の刑事ドラマの歩みを振り返るのが得策だろう。そう、温故知新――。

 少々前置きが長くなったが、今回のテーマは「刑事ドラマ」の歴史である。

刑事ドラマ第1号

 日本の連ドラにおける刑事ドラマの第1号は、1957年にスタートした日本テレビの『ダイヤル110番』である。
 かのドラマ、当時、人気を博したアメリカのセミ・ドキュメンタリー刑事ドラマの『ドラグネット』をオマージュしたものだった。その肝は、現実に起きた事件を描くところにあり、毎回、番組冒頭で次のようなナレーションが流れた。「この物語は、事実または事実にもとづいて構成され、資料はすべて警視庁ならびに全国の警察の協力によるものです」

 ――面白い。今のドラマのエンディングに付きものの「この物語はフィクションです」の逃げ口上のテロップとは真逆である。
 実際、同ドラマは警視庁が全面協力して事件の資料を提供し、それを向田邦子ら脚本陣がシナリオ化したという。ちなみに、「110番=おまわりさん」が国民の間に定着するのは同ドラマからである。

同じ日に始まった刑事ドラマの2大始祖

 『ダイヤル110番』は大変な人気を博して、日本の刑事ドラマの扉を開いた。
 だが、同ドラマは松村達雄や玉川伊佐男ら扮する刑事が多数登場するものの、特定の主人公を置かず、主役は「事件」そのものだった。そのため、今日の刑事ドラマとは少々趣が異なる。どちらかと言えば、再現ドラマに近かった。

 今日の刑事ドラマに直接つながる系譜としては、奇しくも1961年10月4日と、同じ日に始まった2つのドラマ、『七人の刑事』(TBS)と『特別機動捜査隊』(NET/現・テレ朝)が元祖である。

「人間ドラマ」と「アクション」の2つの系譜

 前者――『七人の刑事』は、ハミングのオープニングが印象的だった。芦田啓介演ずる警視庁捜査一課の部長刑事はよれよれのコートにハンチング帽。そのモデルは警視庁の名物刑事「落としの八兵衛」こと平塚八兵衛だったと言われる。派手なアクションよりも、そんな刑事の人間性を描いた「人間ドラマ」は評判を呼んだ。実際、全382回中、拳銃を撃つシーンは数えるほどだったという。

 一方、『特別機動捜査隊』は、刑事たちの機動力に重点を置いて、時に銃の撃ち合いも厭わなかった。日産自動車の提供だけあってクルマを使った追走劇もあった。スピード、サイエンス、シークレットの「3S」が同ドラマの身上。刑事ドラマの「アクション路線」の走りだった。「特別機動捜査隊」は架空の部署だが、その後、同ドラマに影響され、実際に警視庁内に初動捜査を行う「機動捜査隊」が作られたという逸話がある。

 大雑把に言えば、今日まで続く刑事ドラマの歴史は、この「人間ドラマ」路線と「アクション」路線の2大系譜で進化したと言えよう。前者は警視庁捜査一課などの実際に存在する部署、後者は架空の部署が舞台になるケースが多かった。

疑似警察ドラマ

 黎明期の刑事ドラマには、いわゆる「疑似警察ドラマ」と呼ばれるものも少なくなかった。
 その代表格が、63年に始まった『鉄道公安36号』(NET/現・テレ朝)と、65年に始まった『ザ・ガードマン』(TBS)である。前者は国鉄の全面協力のもと、列車や駅構内を舞台に鉄道公安官たちが活躍する話だった。彼らはちゃんと捜査権を持ち、武器の携帯も許されていた(但し、鉄道施設内に限る)。ドラマとしては正攻法の部類だった。

まるで刑事のようだったガードマン

 一方の『ザ・ガードマン』は、日本初の警備会社のセコム(当時は日本警備保障)がモデルで、同社が前年の東京オリンピックの選手村の警備で一躍その存在を知られ、その余勢を駆って作られたものだった。但し、今のガードマンと違い、宇津井健率いる東京パトロールの7人は、まるで私設警察のように行動し、時には犯人を逮捕(!)した。悪党を追って海外(!)へ飛ぶこともあった。断わっておくが、彼らはガードマンである。異色のアクション系の刑事ドラマとしてカルト的な人気を博した。

 いずれのドラマも、「国鉄」が存在感を発揮した時代だったり、「警備会社」が注目を浴びた時代の産物だったり、その意味では時代を反映していたと言えよう。

お色気路線の台頭

 1960年代後半になると、刑事ドラマに新たな要素が加わった。お色気である。
 68年スタートの丹波哲郎主演の『キイハンター』(TBS)と、69年スタートの『プレイガール』(東京12チャンネル/現・テレビ東京)がその代表格だった。

 『キイハンター』は、「KEYHUNTER」の文字のパネルが人物に変わる印象的なオープニングを覚えている人も多いだろう。メンバーの6人は架空の国際警察特別室に雇われる特殊スタッフという設定。公安が手を出せない難事件の解決にあたった。中でも人気を博したのが、規格外の千葉真一のアクション(ちなみに彼はこのドラマが縁でJACを設立)と、野際陽子の最先端のモードとお色気だった。2人は共演中に結婚する。同ドラマは人気を博して5年も続き、全盛期の視聴率は30%を超えた。

 一方の『プレイガール』は、沢たまき率いる5人の女性メンバーは国際秘密保険調査員という謎の肩書き。とにかく売りは、超ミニのファッションとパンチラも厭わない派手なアクションだった。劇中に女性のヌードも頻繁に登場し、6年もの長寿ドラマとなる。視聴率も同局としては異例の15%を超える人気ぶりだった。

70年代はハードボイルド路線へ

 しかし、あまりに浮世離れした設定に視聴者が飽き始めたのか、70年代も半ばになると、刑事ドラマは次第にハードボイルド路線に傾倒する。73年スタートの天知茂主演の『非情のライセンス』(テレ朝)や、『キイハンター』の後継番組として75年に始まった『Gメン’75』がその代表格である。

 『非情の~』で天知茂演ずる会田刑事は、アウトローな刑事という設定。警視庁特捜部という架空の部署に身を置き、ダンディな風貌で女にモテるが、巨悪に対しては手段を選ばず殺しまくる非情さを併せ持つ。毎回、ゲスト女優とのベッドシーンもお約束だった。大人向けの刑事ドラマとして人気を博し、80年まで3シリーズが作られ、平均視聴率も16%台と健闘した。

滑走路を横並びに歩いたGメンたち

 一方の『Gメン~』は、滑走路をメンバーが横並びに歩くオープニングを覚えている人も多いだろう。こちらは警視庁から独立した特別潜入捜査班「Gメン」が舞台。丹波哲郎演ずる黒木警視率いる7人のGメンたちは、凶悪事件を企む国際シンジケートに潜入捜査するなど、型破りの活躍を見せた。土曜の夜のTBSは、『クイズダービー』から『8時だヨ!全員集合』、そして『Gメン~』に至る流れが鉄壁の強さを誇り、最盛期の視聴率は30%超え。ドラマも7年間のロングランとなった。

若者が活躍する刑事ドラマ

 さて、いよいよあのドラマの登場である。
 ここまで述べてきた刑事ドラマは、人間ドラマ、アクション、お色気、ハードボイルドなど多種多様だったが、基本、どれも大人向けのドラマである。何せ、主人公の刑事は皆、おじさんだ。

 だが、1972年、そんな刑事ドラマの風潮に一石を投じる作品が登場する。若者に人気の若い俳優が活躍する『太陽にほえろ!』(日本テレビ)である。

映画スターが出演した台所事情

 同ドラマの主役はご存知、映画界の大スター石原裕次郎。しかし、当初はテレビドラマの出演に消極的だったという。渋々「1クールのみ」と承諾したのは、時に映画界は斜陽となり、石原プロモーションも当時8億円とも言われる莫大な借金を抱えていたからである。同社の「コマサ」こと小林正彦専務に説得されてのことだった。まさか、この後14年間も続く長寿ドラマとなり、自身のライフワークになるとは思ってもいない。

 『太陽にほえろ!』が人気を博したのは、長きにわたる日本の刑事ドラマの歴史において、同ドラマ初の“発明”がいくつもあったからである。

事実上の主人公だったショーケン

 1つは、新人の若い刑事が中心となって活躍するドラマだったこと。
 もちろん――『太陽にほえろ!』の主役は石原裕次郎である。だが、事実上の主人公は当時人気絶頂のショーケンこと萩原健一演ずるマカロニ刑事だった。黒澤明監督の『赤ひげ』と同じ構図だ。あれも三船敏郎が主役だったが、物語を動かす事実上の主人公は若き日の加山雄三だった。

 実際、『太陽~』は第1話のタイトルからして「マカロニ刑事登場!」である。ファーストカットはショーケンで、彼が七曲署に初出勤するところから物語が始まる。
 ――そう、新人刑事の成長物語。こんな設定はかつての刑事ドラマにはなかった。『太陽~』はそれまで刑事ドラマの主要ターゲットだった大人たちばかりでなく、若者視聴者も取り込むことに成功する。

『七人の侍』を彷彿させる7人のキャラ付け

 次に、『太陽~』といえば、やはりニックネームである。ボスをはじめ、山さん、ゴリさん、長さん、殿下、シンコ、そして――マカロニ。このように、レギュラー刑事たちのキャラを際立たせたのも、『太陽~』が初めてだった。かつての『七人の刑事』も『ザ・ガードマン』も、メンバーは同じ7人だったが、ここまでの明確なキャラ付けはなかった。

 この7人の役割は、かの黒澤明監督の映画『七人の侍』を彷彿とさせる。リーダー(ボス)、No.2(山さん)、勇者(ゴリさん)、知性派(殿下)、ベテラン(長さん)、新人(マカロニ)、コメディリリーフ(シンコ)――という具合。
 これ以降、刑事ドラマの世界では、このキャラ付けがスタンダードとなる。

舞台は所轄、殉職でメンバー交代

 そして、物語の舞台が「所轄」の七曲署であるのも、『太陽~』の発明である。
 それまで刑事ドラマといえば、警視庁捜査一課が舞台の人間ドラマ路線か、架空の部署を舞台とするアクション路線のいずれかだった。それが同ドラマでは地域警察署の「所轄」が舞台。巨悪ではなく、小市民の犯罪を描くようになった点で、エポックメーキングな作品と言えよう。

 そして――『太陽~』の最大の発明といえば、やはりこれしかあるまい。殉職によるメンバーチェンジである。
 それは、偶然の産物だった。マカロニ刑事を演ずるショーケンは、ドラマが1年を経過する頃、もっとリアリティある物語を演じたいと、同ドラマにエログロシーンを入れるように制作陣に要求する。しかし、これが受け入れてもらえず、降板を申し出る。ドラマとしては二枚看板のうち1枚を失う痛手だったが、チーフプロデューサーの岡田晋吉サンは文学座に有望な新人がいる噂を聞きつけ、抜擢する。後のジーパン刑事、松田優作である。

 ちなみに、降板したショーケンが次に出演したドラマが『傷だらけの天使』(日テレ)だった。

14年間ものロングランに

 『太陽~』以前、刑事ドラマでレギュラーの刑事が殉職することは、まずなかった。だが、怪我の巧妙か、ショーケンの殉職シーンは高視聴率を取ったばかりか、以後、ジーパン(松田優作)、テキサス(勝野洋)、ボン(宮内淳)、スコッチ(沖雅也)……と、新人刑事が殉職する度に新しいメンバーが加入して、ドラマのマンネリ化を防ぐという副産物をもたらす。そして気が付けば、14年間ものロングランになったのである。

 ちなみに、同ドラマの最高視聴率は、前の回でボンが殉職して、新人刑事のスニーカー(山下真司)が初登場した回――1979年7月20日の「スニーカー刑事登場!」の40.0%である。

テレビドラマ制作に進出した石原プロ

 さて、そんな次第で、『太陽にほえろ!』の思わぬヒットで、映画界に続いてテレビ界でも名を馳せた石原裕次郎。だが、同ドラマはあくまで役者としての出演であり、石原プロは制作には携わっておらず、莫大な借金を抱える同社にとって、うまみはそれほどなかった。

 そこで石原プロは、74年の大河ドラマ『勝海舟』を病で途中降板し、長期療養していた渡哲也が復帰するタイミングで、自社が制作する新たな刑事ドラマを企画する。脚本は『勝海舟』で渡と組んだ倉本聰、持ち込み先は日テレである。それは、『太陽~』がアクション偏重の作品であるのに対し、暴力団の抗争事件に対峙する社会派刑事ドラマという触れ込みだった。その舞台は、刑事ドラマ初となる「警視庁捜査四課」(暴力団を取り締まる部署)である。
 76年1月、渡哲也のカムバック第1作であり、石原プロが制作する初のテレビドラマが始まった。『大都会 闘いの日々』である。

路線変更、高視聴率番組へ

 しかし、『大都会 闘いの日々』はその硬派なテーマが識者などから高い評価を受けるも、視聴率は伸び悩む。そして3クールの予定が8カ月で終了する。
 すると翌年、今度は日テレが主導する形で、シリーズ第2作が企画された。舞台は架空の「城西警察署」に移り、扱う事件も凶悪事件全般となり、脚本の倉本聰は降板する。作風は社会派刑事ドラマから一転、派手なカースタントや格闘アクション、銃撃戦のある娯楽劇となった。

 77年4月、『大都会 PARTII』がスタートする。これが平均視聴率17.9%と大当たり。さらに翌年、『大都会 PARTIII』が作られ、これも前作以上に過激になり、渡哲也演ずる黒岩はサングラスにショットガンで射殺も辞さないキャラに変貌する。平均視聴率も20%を超える大ヒット――。

テレ朝へ。大門軍団の誕生

 平均20%を超える大ヒット刑事ドラマに、日テレは放送中から石原プロにパート4を打診する。しかし、同シリーズをもっと過激にしたい石原プロと資金面で難色を示す日テレとの折り合いがつかず、そこへテレ朝が石原プロに好条件を提示したことから一転、『西部警察』(テレ朝)が誕生する。

 今度の舞台は架空の「西部署」である。渡哲也は大門と名を改めるも、刑事たちの多くは『大都会 PARTIII』からのスライド出演。彼ら大門軍団はさらにパワーアップして首都・東京を脅かす犯罪と対峙する。銀座に戦車紛いの装甲車を走らせたり、首都高で派手なカーチェイスを繰り広げたり、散弾銃をぶっ放したり、大門がヘリからショットガンで犯人を仕留めたりと、やりたい放題だった。

 同ドラマはPARTIIIまで3シーズン作られ、大門が殉職する「大門死す!男達よ永遠(とわ)に…」で有終の美を飾る。最終回の視聴率は同シリーズ最高となる25.2%。大団円だった。

 だが、時代は既に、アクション路線から次のステップへ移ろうとしていた。

早すぎた『夜明けの刑事』

 時代を少し前に戻す。『太陽にほえろ!』の登場から遅れること2年、1つのドラマが始まった。1974年、坂上二郎主演の『夜明けの刑事』(TBS)である。
 舞台は日の出署。坂上演ずる鈴木刑事は、一度食らいついた容疑者を執拗にマークすることから「スッポン刑事」の異名を持つ。同僚に石橋正次、鈴木ヒロミツ、課長役に石立鉄男ら。同ドラマは派手さこそないが、人情路線で人気を博し、その後も『新・夜明け~』『明日~』とシリーズが続き、79年に幕を閉じる。
 だが、実は同シリーズの真価が分かるのは、それからだった。

 80年代、アメリカでは『ヒルストリート・ブルース』なる「分署」(日本でいう所轄)を舞台にした超地味なドラマが大ヒットする。エミー賞を最多記録となる4回も受賞して、以後、アメリカも日本も同ドラマに倣い、人情系の刑事ドラマが一大ブームになる――。
 『夜明けの刑事』の登場は、少し早すぎたのだ。

80年代は人情刑事ドラマの時代

 そんな次第で80年代、日本でも人情路線の刑事ドラマが増殖する。
 渡瀬恒彦主演の『刑事物語’85』(日本テレビ)もその1つだった。所轄の山手署を舞台に、日常生活の中で起きる小さなトラブルに対処する人情派の刑事たちの活躍を描き、お茶の間の人気を博した。

 興味深いのは、二谷英明主演の『特捜最前線』(テレ朝)である。77年に始まった同ドラマは当初、専用ヘリが登場するアクション系の刑事ドラマだったのに(何せ、前番組はあの『特別機動捜査隊』だ)、80年代に入ると次第に人間ドラマの比重を増し、いつしかヘリは消え、気が付けば地味で暗い人情ドラマになっていたのである。ひどい時は事件すら描かれず、ただの人情話で終わる回もあった。

 そうそう、時代の変化を最も反映した例といえば、先の『西部警察』シリーズが終了して後継番組として始まった『私鉄沿線97分署』である。主演は引き続き渡哲也だが、扱う事件は近所の万引きやイタズラ電話などの軽犯罪へと変わり、拳銃の携帯もいちいち使用許可の申請が求められた。何より――2年間の放映中、彼は一度も発砲することはなかったのである。

『はぐれ』で絶頂期へ

 そして人情路線は80年代後半、1つの完成型を見る。
 88年にスタートする藤田まこと主演の『はぐれ刑事純情派』(テレ朝)である。番組キャッチコピーは「刑事にも人情がある。犯人にも事情がある」。藤田演ずる安浦刑事は、出世を望まず、ただ強い正義感と温かい心で捜査に打ち込む実直派。たちまちお茶の間の支持を得て、2005年まで18シーズンが作られる超ロングランになる。

 ちなみに、『はぐれ~』と交代で同じ枠で放送された宇津井健主演の『さすらい刑事旅情編』(88年~95年)も、その後継の柴田恭兵主演の『はみだし刑事情熱系』(96年~04年)も、同じく人情路線である。

バディものはコメディ

 ここで、ちょっと亜流の路線も紹介したい。「バディもの」である。
 元々は、70年代のアメリカの刑事ドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』や『白バイ野郎ジョン&パンチ』に端を発す系譜である。若い2人の刑事がタッグを組むことで、そこに会話劇が生まれる。若いだけにジョークや異性を意識した内容も多い。つまり――刑事ドラマにコメディの要素が加わったのだ。大抵、2人は対照的なキャラクターで、片方が頭脳派なら、もう片方は肉体派。一方がマジメなら、もう一方はお調子者という具合である。

日本のバディもの

 早速、アメリカに倣い、日本でもバディものが作られた。時に1979年、国広富之と松崎しげるがタッグを組む『噂の刑事トミーとマツ』(TBS)である。
 国広演ずるトミーは普段は女々しいダメ刑事だが、悪党たちと対峙するクライマックスで、相棒のマツから「このおとこおんなのトミコ!」とからかわれると、突如凄腕刑事に変貌して、悪党たちをなぎ倒す――というオチ。毎回、このパターンだった。制作は大映ドラマ。さもありなん、である。

 だが、心配ご無用。80年代後半、日本でも本格的なバディものが登場する。『あぶない刑事』(日本テレビ)である。舘ひろしと柴田恭兵のタカ&ユージコンビはとにかくオシャレ。普段はユーモラスだが、キメる時にはキメるコントラストが評判を呼び、当初2クールの予定が1年に延長。視聴率も後半20%超えを連発する。88年には続編の『もっとあぶない刑事』も作られ、シリーズ最高視聴率26.4%を記録した。

2つの歴史的作品

 ――さて、ここまで刑事ドラマを振り返って来て、既に大方のパターンは出尽くしたと思われるかもしれない。
 だが、これより先の90年代に、よもや刑事ドラマの歴史を大きく変える2つのエポックメーキング作品が登場しようとは、当時は考えも及ばなかった。
 その2つとは、『古畑任三郎』と『踊る大捜査線』である。

『刑事コロンボ』の登場

 話を一旦、70年代に巻き戻す。
 1973年、NHKで異色の刑事ドラマが始まった。米NBC制作の『刑事コロンボ』である。
 ピーター・フォーク演じるコロンボ警部(吹替え:小池朝雄)は、よれよれのコートにボサボサ頭。愛車はオンボロのプジョーで、口癖は「ウチのかみさんがねえ」――見るからに冴えない。
 そのため、犯人(大抵セレブという設定)は最初、この冴えないイタリア系の男を甘く見て対応するが、コロンボの執拗な捜査に次第に追い詰められ――遂には白旗を上げるのが基本フォーマット。

 同ドラマはコロンボの特異なキャラクターやそのストーリーの面白さで大人気を博し、平均視聴率は20%を超えた。

犯人役にスターをキャスティングできる発明

 『刑事コロンボ』は、それまでの刑事ドラマと大きく異なる点が1つあった。それは――最初に犯人の犯行現場を見せてしまう点。これ、「倒叙」と呼ばれるミステリーの手法の1つで、通常の刑事ドラマが犯人探しの推理を売りにするのに対し、倒叙の場合、完全犯罪の粗を探し、それを突き崩すところに醍醐味がある。

 そう、この倒叙スタイルを採用した『刑事コロンボ』が革命的だったのは、犯人役にスターをキャスティングできるようになったこと。通常の刑事ドラマは、複数の容疑者の中に1人スターが混ざっていると、その瞬間、そのスターが犯人だとバレてしまう(じゃなきゃ、わざわざキャスティングしない)。一方、倒叙だと初めに犯人ありきなので、堂々とスターをキャスティングできる。

 結果、『刑事コロンボ』は、レイ・ミランドをはじめ、ドナルド・プレゼンスやロバート・ヴォーン、ジャネット・リーら名優たちを「ゲストスター」として犯人役にキャスティングして、彼ら目当ての視聴者を誘引できたのである。これを「発明」と言わず、なんと言おう。

誕生、古畑任三郎

 そして、話は90年代に戻る。
 1993年、フジテレビのドラマ『振り返れば奴がいる』の打ち上げの席で、フジの石原隆サンと脚本の三谷幸喜サンがある話題で盛り上がった。それが、前述の『刑事コロンボ』である。ほぼ同年代の2人は奇しくも無類のコロンボ好きで意気投合。この席で「和製コロンボ」のドラマの企画がまとまる。後の『警部補・古畑任三郎』である。

 ここで、皆さんの中には、疑問に思う人もいるかもしれない。日本で『刑事コロンボ』が放送されてからもう20年が経過するのに、なぜここに至るまで倒叙の刑事ドラマが日本で作られなかったのか。
 答えは簡単である。倒叙は脚本が難しいのだ。つまり誰も書けなかった。だから作られなかったのだ。
 だが、心配ご無用。ここに、石原隆サンという日本有数の脚本の読み手と、三谷幸喜サンという天才脚本家が意気投合した。「時は来た」のである。

『古畑』シリーズ大ヒット

 1994年4月、連続ドラマ『警部補・古畑任三郎』がスタート。主演は田村正和、初回のゲストスターは中森明菜、視聴率は14.4%とまずまずの船出だった。
 一見、コロンボのようだけど、田村正和演ずる古畑はスタイリッシュだし、全体のトーンは三谷流のコメディ。本間勇輔サンの音楽も舞台装置を盛り上げ、「古畑任三郎」というオリジナルの世界観を作り上げることに成功する。

 結局、第1シリーズは平均14.2%とやや平凡な数字で終わるも、再放送で人気に火が付き、96年1月に始まった第2シリーズは平均視聴率25.3%と一気にブレイク。以後、スペシャルでは30%台を連発(ゲストスターは山口智子とSMAP)、さらに第3シリーズも平均25%超えと、同シリーズは三谷幸喜サンにとって最大のヒット作となる。

 今、あらためて思うのは、『刑事コロンボ』の脚本が原作者のリチャード・レヴィンソン&ウイリアム・リンクほか複数脚本家によるチーム制だったのに対し、『古畑任三郎』の脚本家は三谷サン一人。これを天才の仕事と言わず、なんと言おう。

『踊る大捜査線』の発明

 90年代のフジテレビのドラマ班は神懸っていた。
 『古畑』の誕生から3年後、刑事ドラマの歴史において、もう1つのエポックメーキングな作品が生まれる。『踊る大捜査線』である。

 プロデュース・亀山千広、演出・本広克行、脚本・君塚良一の座組みはシリーズを通して変わらないが、実は同ドラマの誕生において、重要なヒントを出したのは、他ならぬ石原隆サンだった。「サラリーマン刑事」というコンセプトは石原サンの発案である。
 そう、『踊る~』の最大の発明は、警察組織を会社的に描いた点にあった。警視庁は本店、所轄は支店。パトカーを出すのに署長の判がいったり、係長が健康診断の受診を呼びかけたり、事件の戒名(捜査本部の入口に掲げる垂れ幕)を決めるのに会議を開いたり――。
 そして、最大の肝は、織田裕二演じる主人公の青島刑事が「所轄」ゆえに犯人逮捕はおろか捜査すらやらせてもらえず、本店の室井管理官(柳葉敏郎)の運転手を命じられること。まさに、それはサラリーマン刑事の悲哀だった。

 初回視聴率は18.7%。その後も10%台後半が続くが、最終回にようやく20%超え。そこから再放送で人気に火が付き、スペシャルでブレイクする構図は『古畑任三郎』とよく似ている。

『踊る』が蘇らせた警視庁捜査一課

 そして、『踊る~』の最大の功績といえば、意外に思われるかもしれないが、「警視庁捜査一課」に再び光を当てたことである。
 『太陽にほえろ!』以来、刑事ドラマといえば「所轄」の時代が長らく続いたが、『踊る~』は所轄を舞台にしつつも、その向こうに燦然と輝く本店――警視庁捜査一課の存在を浮かび上がらせたのだ。所轄ゆえに満足に捜査すらやらせてもらえない青島刑事に、いかりや長介演ずる和久さんが口にする言葉がある。
 「正しいことをしたかったら偉くなれ(警視庁捜査一課に行け)」

 ――そう、それは青島刑事にだけでなく、その後の刑事ドラマのあり方への助言だったのかもしれない。事実、この『踊る~』以降、刑事ドラマは警視庁捜査一課を舞台にした作品が急増するのである。

『ケイゾク』で開花した提ワールド

 99年1月、一風変わった刑事ドラマが始まった。『ケイゾク』(TBS)である。
 舞台は、迷宮入りした事件を扱う警視庁捜査一課弐係、通称「ケイゾク」。そこに配属された東大卒の新人キャリアの柴田純(中谷美紀)と、叩き上げの先輩刑事・真山(渡部篤郎)のコンビが難事件を解決するバディものである。柴田の口癖「あのー、犯人わかっちゃったんですけど」は一躍流行語になった。

 演出は堤幸彦である。事件自体はシリアスながら、小ネタを散りばめる作風が評判を呼び、同ドラマはヒットする。そして堤は以後も、『TRICK』(テレビ朝日)や『SPEC ~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~』(TBS)など独特の世界観の「バディもの」を作っていく。

『CSI:』がもたらしたもの

 日本の刑事ドラマの歴史は、『ダイヤル110番』(日本テレビ)の昔から、アメリカの刑事ドラマから強い影響を受けてきた。『刑事スタスキー&ハッチ』からバディものを取り入れたり、『ヒルストリート・ブルース』から人情刑事ドラマ路線に振れたり――。

 2000年、後に日本の刑事ドラマに影響を及ぼす歴史的ドラマが始まった。ラスベガスを舞台にした『CSI:科学捜査班』である。同ドラマはラスベガス警察の科学捜査班(CSI)が、最新科学を駆使して事件を解明するストーリー。当時人気絶頂の『ER緊急救命室』や『フレンズ』をたちまち抜き、全米視聴率のトップに立った。

刑事ドラマはリアリズムの時代へ

 『CSI~』の肝は、そのリアリズムにある。従来の勘と足に頼る聞き込み捜査から、プロファイリングを駆使した科学捜査へと進化。それは現実の警察の捜査方法の進化ともリンクしたものだ。事実、あの『踊る大捜査線』も8話に金髪の袴田吉彦率いる科学捜査研究所のメンバーが登場し、和久さんと対峙した。
 ちなみに、沢口靖子が主演を務める『科捜研の女』(テレビ朝日)は、『CSI~』のオマージュと思われがちだが、実は同ドラマの1年前に始まっており、その先見性に驚かされる。

 『CSI~』のエッセンスは、日本の刑事ドラマに「リアリズム」をもたらした。そして、あの大ヒット刑事ドラマが誕生する。

21世紀型刑事ドラマ『相棒』

 ――『相棒』(テレビ朝日)である。
 ご存知、警視庁の「特命係」を舞台に、超人的な頭脳を持つ杉下右京(水谷豊)とその相棒が、鑑識課の米沢守(六角精児)らと協力しながら、難事件を解決する。所属部署ではないものの、その事件は捜査一課の扱いであり、事実上の警視庁捜査一課ドラマである。

 そのフォーマットは、元祖バディもののシャーロック・ホームズとワトソンのスタイルを踏襲しつつも、世相を反映したリアリティある事件に、最新の科学捜査も取り入れて(真の相棒は鑑識課の米沢と言われたほど)、21世紀型の刑事ドラマのフォーマットを確立した。何より、特筆すべきは脚本のクオリティである。ハリウッドシステムと言われるチーム制を採用しており、1シーズンに執筆する脚本家は10人をくだらない。

真打ち登場、捜査一課9係

 そして、振り出しに戻って『警視庁捜査一課9係』である。
 同ドラマは2006年のスタート。現在放映中の最新作でシーズン12を数える。今作の開始直前、主人公・加納倫太郎を演じる渡瀬恒彦サンが亡くなられたのは承知の通りである。
 しかし――同ドラマは代役を立てず、係長不在のまま放映に踏み切った。もはや弔い合戦だ。それはとりもなおさず、9係は渡瀬サンと心中するという意味合いを持つ。

 思えば、日本の刑事ドラマの元祖『ダイヤル110番』が始まったのは、1957年。あれからちょうど60年が経つ。その間、刑事ドラマは時代と共に進化し、今日では連ドラの視聴率TOP5を独占するまでに成長した。奇しくも、警視庁捜査一課を舞台に幕開けた刑事ドラマは、今日、警視庁捜査一課に戻ってきた。
 だが――同じ舞台ながら、その中身は大きく変貌している。現在ではレギュラーの刑事たちはしっかりとキャラ付けをされ、事件の捜査も科学的な手法へと進化し、シナリオも複数脚本家によるチーム制で格段にクオリティが上がった。

 とは言え、どんなに時代が変わっても、1つだけ変わらないものがある。
 それは、刑事という職業は、常に弱い者の味方であること。例え、相手が犯人であっても――。
 それが、渡瀬恒彦サンが刑事ドラマを通して僕らに教えてくれた、いわば遺言である。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第22回「未来のテレビは一社提供番組がカギを握る」

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 もう随分、ネットニュースやSNSなどで拡散されたから、ご存知の方も多いと思うけど、先の5月6日、イタリアはモンツァで歴史的なマラソンレースが開催された。それは――フルマラソンで2時間切りを目指すという壮大なプロジェクト。ナイキが主催する「Breaking2」である。

 Breaking2――読んで字のごとく“2を切る”。現在、フルマラソンの世界記録は、2014年にデニス・キメットがベルリンマラソンで出した2時間2分57秒。ナイキの試みはその世界記録を3分近くも更新するというものだ。普通に考えれば無謀な試みに見える。でも――このレースは公認の大会とは異なり、ナイキの動画企画というのがミソ。

 つまり、記録のためなら何をやっても許されるのである。

選ばれし3人の挑戦者たち

 ナイキは、考え得る最高の選手たちを集めたという。
 最終的に60名の候補者の中から選ばれたのは、前回のリオ五輪の男子マラソン金メダリストのエリウド・キプチョゲ、男子ハーフマラソンの世界記録保持者ゼルセナイ・タデッセ、そして最も過酷なレースと言われるボストンマラソンで2回の優勝経験を持つレリサ・デシサの3人である。

 いずれ劣らぬマラソン界の超一流のアスリートたち。彼ら3人は7カ月間にわたり、ナイキから科学的なトレーニングを受けたという。
 このプロジェクトの何がすごいって、超一流のアスリートたちに、フルマラソンの1シーズンを棒に振らせてまでも、非公認(記録が公式に認定されない)レースに付き合わせたこと。

 もちろん、破格のギャラが支払われたのは言うまでもないが、それに加えて「2時間を切る」というフルマラソン界の“ムーンショット”(壮大な目標)が、彼らを突き動かした点は否めない。

 つまり――これは夢のレースなのだ。

最適なコース、最適な時期

 夢のレースに向けて、考え得る万全の環境が整えられた。
 まずコースだ。最高の記録が出せるよう、最適のコースが選ばれた。そこは起伏がなくフラットで、スピードダウンを強いられる鋭いカーブもなく、周囲を木々に囲われ風の抵抗も受けにくいコース。なんと――F1が毎年開催されるイタリアのモンツァ・サーキットが選ばれたのである。一周2.4㎞のコースを17周するという。
 事実、同サーキットは平均速度、最高速度共に、現在F1が開催されるサーキットの中で最速コース。クルマがそうなら、人間も同じという発想だ。

 次に開催時期である。これも最高の時期が選ばれた。一般に、マラソンにとって最も適した気温は8~12℃とされる。そして風が少ない季節であること。
 それらの条件を満たした時期として、レースは5月6日の早朝5時45分のスタートとなった。実際、当日は気温11.3℃、風速は0.0〜0.4km/hとほぼ無風。

 かくして――レースに向けて万全の環境が整ったのである。

ランナーより多いペースメーカーたち

 さて、いよいよレースである。
 スタート地点。ランナー3人の前に6人のペースメーカーが配置される。なんとランナーの倍だ。彼らは3人横並びで、2列編成を組む。3列目にランナーが来る隊列である。これだとランナーは前からの風の抵抗は受けない。
 しかも、彼らペースメーカーは全部で30人もいて、交代を繰り返しながら、常に5キロ14分13秒のラップを刻むという。彼らについていけば2時間を切れるというワケだ。

 普通のレースだと、ペースメーカーは30kmでお役御免になる。しかし今回、彼らは42kmまでレースを引っ張る。そう、ランナーはラスト195mだけ自力で走ればいい。こんな変則的なペースメーカーは非公認のレースだから許されるのだ。

 「補給」も変則的だった。通常は5km毎に所定の位置で受け取るのが国際ルール。しかし、このレースでは、コース1周(2.4㎞)毎に並走する自転車から丁寧にドリンクが手渡しされる。そのため、通常のレースにありがちなスタミナ切れや受け取り失敗などの非常事態も起きないのだ。

結果は…?

 5月6日早朝5時45分、レースが始まった。その模様は、ナイキの公式Facebook をはじめ、YouTubeやTwitterなどのライヴストリーミングで全世界に配信された。
 レースは18㎞手前でデシサが遅れ始め、続いて20km過ぎにタデッセが集団から離された。この時点で記録の更新はキプチョゲ一人に託される。35kmまでは2時間切りの可能性もあったが、そこからいわゆる「35kmの壁」に遭い、ペースダウン。
 結果は――2時間25秒。惜しい! しかし、2時間こそ切れなかったものの、キプチョゲは世界記録を2分32秒も短縮する“新記録”を樹立した。もちろん、非公認の記録ではあるが。

 ちなみに、動画の視聴者数は、Facebookライブで1日500万回を超える再生があったという。非公認のマラソンレースの視聴者数としては前代未聞である。

プロジェクトの意義

 そもそも、このプロジェクトは何のために行われたのか。
 先にも述べたように、表向きは「2時間切り」というフルマラソンの“ムーンショット”に挑戦するためである。
 でも、同プロジェクトのスポンサーはナイキ一社。一企業がそれだけの理由で大金を投じるとは考えにくい。

 答えは――「新商品の宣伝」である。今回、ランナーたちが履いたシューズは「ナイキ ズーム ヴェイパーフライ エリート」なるナイキの新商品。それは、ソールの中にバネの役目をするカーボンファイバープレートが搭載されており、通常のシューズよりも4%少ないエネルギーで同じスピードが出せるという。

「Breaking2」はいわば一社提供番組

 要するに、同レースは「フルマラソンで2時間を切ったシューズ」という最高の売り文句で、新商品を宣伝するために企画されたのだ。
 言うなれば、同プロジェクトは、長い、長いCMであった。いや、見方を変えれば、それはナイキが提供する2時間の一社提供番組だったとも言える。

 そう、一社提供番組――。少々前置きが長くなったが、これが今回のお題である。僕は、この一社提供番組こそが、テレビの未来を語る上で、重要なキーワードになると考えている。そして、今回のナイキの「Breaking2」が、その先駆けだったとも――。

一社提供番組とは

 一社提供番組って?
 ご存知ない方に、簡単にその概要を説明すると――民放のテレビ番組は当然、スポンサーの予算で作られる。普通は数社が相乗りするものだ。提供テロップが出て「この番組は〇〇、××、△△……以上、各社の提供でお送りします」とアナウンサーが読み上げるアレ。

 一方、一社提供番組の場合、番組タイトル明けに画面全体を使って、そのスポンサー名がデカデカと紹介される。大抵、社名の前にキャッチフレーズを付けて「水と生きる SUNTORY」とか「暮らし感じる、変えていく P&G」とか「小さなクルマ、大きな未来 スズキ」とか、そんな感じに。たまにアナウンサーではなくタレントが読み上げて、グレード感を出すこともある。

 そう、これが一社提供番組。
 要は、その番組の制作費その他を1つの企業が丸々抱えるというもの。いわば番組のパトロンだ。かなりの高額負担になるが、その分、番組内容に口出しできたり、番組を通して企業イメージを訴求できたり――といったメリットもある。

かつてテレビは一社提供番組ばかりだった

 今でこそ一社提供番組は希少価値だが、その昔、1970年代までは、ゴールデンタイムの番組の大半は一社提供番組だった。
 一例を挙げると――『ロッテ 歌のアルバム』(TBS)、『象印クイズヒントでピント』(テレ朝)、『東芝日曜劇場』(TBS)、『三菱ダイヤモンド・サッカー』(テレ東)――また、タイトルに社名がつかない番組でも、牛乳石鹸提供の『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)、ロート製薬提供の『クイズダービー』(TBS)、旭化成提供の『スター千一夜』(フジテレビ)等々。
 ほら、見たことはなくても、番組名くらいは聞いたことあるでしょ?

 なぜ、かつては一社提供が多かったのか。それは、番組制作費が今ほど高額ではなく、また、全国ネットの番組をスポンサードできる企業が今ほど多くなかったからである。
 加えて、企業にオーナー社長が多かった時代背景も影響した。テレビの黎明期、局の上層部と企業の社長の個人的な関係で番組の提供が決まることも少なくなかった。テレビの古き良き時代である。

一社提供番組の減少

 しかし、時代は進んで80年代へ。そのあたりから人々の娯楽が多様化し、テレビ番組もグレードアップ(例えば、クイズ番組の解答者が視聴者参加からタレントに変わるなど)を求められるようになる。結果、番組制作費が高騰する。
 そうなると一社では賄いきれず、2社、3社と提供の相乗りが増えていった。さらに、90年代にバブル崩壊が起きると、企業の広告予算が削られ、この流れに拍車がかかる。時にオーナー社長も減り、社長のサラリーマン化も進む。

 かくして、21世紀の一社提供番組は、各局とも数えるほどに減ったのである。

相乗り番組の功罪

 え? 番組予算が増えるなら、別に相乗りでもいいだろうって?
 ――もちろん、制作費でいえばそうかもしれない。でも、コトはそう単純ではない。この辺りの構図は、映画の製作委員会方式とよく似ている。

 70年代以前の一社提供番組全盛時代と、80年代以降の相乗り時代――。両者を比べると、大きく異なる点が1つある。それは「バラエティ」の増加である。
 70年代以前、ゴールデンタイムは多様な番組であふれていた。クイズ番組、歌番組、子供番組、ドキュメンタリー、バラエティ――etc.それは一社提供番組だからできたことでもあった。
 例えば70年代以前――ゴールデンタイムの民放では、毎日のようにドキュメンタリー番組を見ることができた。日立グループの『すばらしい世界旅行』(日本テレビ)をはじめ、トヨタグループの『知られざる世界』(日本テレビ)、住友グループの『野生の王国』(TBS)等々。また、30分の子供番組もあった。『カルピスこども名作劇場』(フジ)や『ライオンこども劇場』(TBS)である。

ゴールデンの8割がバラエティに

 しかし、それが80年代以降、相乗りが増えた結果、ゴールデンの実に8割がバラエティになってしまったのだ。
 その理由は――視聴率に関わらず、番組内容さえよければ継続できた一社提供番組と異なり――相乗りだと、ダイレクトに視聴率が番組存続を決めるからである。次第に、視聴率の取りにくいドキュメンタリーや子供番組が淘汰され、結果、コンスタントに数字の取れるバラエティが残ったのである。

 そして気が付けば、テレビは多様性を失い、お茶の間の“テレビ離れ”が起きていたのである。

最長寿番組は一社提供ゆえ

 ここで、そんな時代の逆風にもめげず、一社提供番組を続けるいくつかの事例を紹介したいと思う。
 まず、現在放映中の全番組の中で、最長寿番組である『題名のない音楽会』(テレビ朝日)だ。東京12チャンネル(現・テレビ東京)時代も含めると、実に53年目を迎える。

 かの番組は、開始以来、出光興産の一社提供である。東京交響楽団などが出演して、クラシックをはじめ、良質な音楽を届けるのが基本コンセプト。出光といえば、かの日章丸事件を起こした創業者の出光佐三氏が有名だが、実際、同氏が趣旨に賛同して生まれた番組であり、その志が今日まで連綿と受け継がれている。

 同番組で感心するのは、佐三氏の「芸術には中断はない」という考えのもと、今に至るまで番組中にCMを挟まない姿勢を貫いていること。もはや番組提供というより、文化支援である。同番組の視聴率は3%以下と決して高くはないが、テレ朝は打ち切りを全く考えていないという。

今や新鮮な定時番組

 次に、一社提供番組の利点として、今や貴重な「定時番組」の要素も強調したい。例えば、『日立 世界ふしぎ発見!』(TBS)がそう。こちらも31年目を迎える長寿番組だが、今やゴールデンでは貴重な定時番組である。

 定時番組って?
 ――スペシャルではなく、レギュラーの1時間放送という意味合いだ。え? そんなの普通だろうって? いえいえ、今や民放のゴールデンタイムは、改編期でもないのにスペシャル番組が氾濫する惨状である。ひどい時は2週置きにスペシャル番組が放送され、もはや何がスペシャルかよくわからない。
 結果、その弊害として、毎週決まった曜日の定時に番組を見るという習慣が崩れ、それもまた、テレビ離れの要因になっているのである。

毎週決まった曜日の決まった時間に会える安心感

 その点、この『世界ふしぎ発見!』は偉い。なんたって、この31年間の放送でスペシャル放送は数えるほど。しかも、ナイター中継や他の番組で潰れることもほとんどない。この31年間、毎週土曜の夜9時から1時間放送というルーティンを頑なに守り続けているのである。

 その結果、同番組の視聴者は圧倒的に常連客が多いという。そう、毎週決まった曜日の決まった時間に会える安心感。これぞテレビの原点。そして後番組の『新・情報7days ニュースキャスター』の高視聴率の要因にもなっている。

CM自体を楽しむ

 今に始まったことじゃないが、最近は、タイムシフトで番組を見る人がとみに増えている。そこで問題となるのが、CMのスキップである。スポンサーにとっては、せっかく番組にお金を出したのに、肝心のCMがスキップされたのでは堪らない。それが積もり積もると――ひいては、民放のビジネスモデルの崩壊にも繋がりかねない。

 とは言え、視聴者からすると、わざわざスポンサーに義理立てしてまでCMを見る理由もない。そこで発想の転換である。逆に、わざわざ見たくなるCMならどうだろう。つまり、CMを面白く仕立てるのだ。

 実は、見過ごされがちだが、一社提供番組の利点の1つに、CMの面白さがある。通常の相乗り番組だと15秒や30秒のCMが多いが、一社提供番組では、そこでしか見られない60秒や90秒のCMが流れることがある。通常のCMに比べ、それはストーリーがあり、笑いがあり、感動があり――まるでミニドラマを見るような楽しさがある。

東京ガス・ストーリー

 関東ローカルの番組に、毎週土曜日、テレ朝で朝9時半から放送される『食彩の王国』というものがある。東京ガスの一社提供番組である。
 毎週、1つの「食材」に光を当て、その産地や調理法を通じて、その魅力を語るという番組だ。だが、同番組の楽しみ方はそれだけじゃない。CMだ。この番組でしか見られない東京ガスのCMが流れるのだ。それも90秒のCM。これが、ちょっとしたドラマより遥かに面白いのだ。

 ほら、妻夫木聡と小西真奈美がトレンディドラマもどきの怒涛の展開を見せる「東京ガスストーリー」とか、お母さんが口数の少ない息子に弁当を介して愛情を伝える「家族の絆・お弁当メール編」とか、見たことありません? 中には、就活生の苦悩がリアルすぎると苦情が殺到して放送休止になった「母からのエール編」なんてのもあった。個人的には大好きなんですけどね。

天才・澤本嘉光の仕事

 一連のCMをプランニングした人は、ソフトバンクの「白戸家」のCMや、映画『ジャッジ!』の脚本を手掛けた広告界の至宝――電通の澤本嘉光サンである。優れた広告人に贈られる「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」を唯一3度も受賞した、とにかく凄い人なのだ。手掛けるCMが面白いのも頷ける。
 最近では、渡辺えりサン演じる“おかん”と息子とのやりとりを描いた「家族の絆・母とは編」が実にいい。

 それは、こんな内容だ。マイペースな母の生態を息子が淡々と語っている。アクが強すぎたり、時にうざく見える時もある。ラスト、就職した息子のネクタイを直す母。ふと、間近で見る母の顔に“老い”を感じて切なくなる息子――とまぁ、泣ける。

 ちなみに、僕は毎週、同番組を録画して、中身を早送りしてCMを見るのが日課になっている。

テレビの未来を救うのは一社提供番組

 どうだろう。かつては時代の大勢だった一社提供番組だが、その後、制作費の高騰などの時代の荒波を受けて次第に減っていったが――近年、また注目を浴びつつある。
 それは、視聴率に左右されない最長寿番組だったり、常連客を大事にする定時番組だったり、CM自体が面白い番組だったり――いずれも、今のテレビ界が抱える問題点(視聴率至上主義/スペシャルの氾濫/CMスキップ)に対する答えの1つになっている。
 そう、これから先――テレビの未来を救うのは、一社提供番組じゃないだろうか。

クリエイターの時代へ

 そこで、最初に戻って、ナイキの「Breaking2」である。それは、ナイキの自社製品の宣伝目的ではあったが、フルマラソンの“ムーンショット”に挑み、多くの視聴者を魅了した。

 そう、一社提供番組は、もはや既存のテレビメディアにこだわらないのだ。YouTubeなどのネット配信メディアを使って、いかようにでも作れる。そして――ここが一番大事なところだけど、先の東京ガスの一連のCMが証明したように、例えCMの延長線上であっても、面白い作品に仕上げさえすれば、それ自体が番組コンテンツになり得るのだ。

未来のテレビは一社提供番組ばかりに!?

 将来、スマホやタブレットによるテレビ番組のタイム&プレースシフト視聴がスタンダードになった時、CMをスキップされない唯一の方法は――番組からCMを失くし、番組自体をCM化することである。
 これなら、CMをスキップされようがない。

 例えば、東京ガスのCMのように、スポンサーの商品を絶妙に取り込んだドラマ仕立てでもいいし、ナイキのマラソン・チャレンジのような夢のある企画モノでもいい。大事なのは――面白いこと。面白ければ、それが広告だとか、動画だとか、テレビ番組だとか、そんな旧態依然の“棲み分け”はどこかに吹き飛んでしまう。

 俗に、制約がクリエイターの創造力を羽ばたかせるという。
 そう、広告の要素を番組の中に“絶妙に”取り込んで、面白くする――それが彼らに与えられるお題だ。

 未来のテレビは、クリエイターの腕の見せどころである。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第23回「女子アナの歴史」(前編)

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 先の6月13日、女優の野際陽子サンが亡くなられた。テレ朝の昼ドラ『やすらぎの郷』に出演中の訃報だったので、驚かれた方も多かっただろう。僕もその一人だ。体調が悪いとは聞いていたが(実際、3月に行われた同ドラマの制作発表の会見ではメインキャスト中、ただ一人欠席した)まさかこんな急展開になろうとは。とはいえ、俗に「役者は舞台上で死ぬのが本望」とも言うし、81歳というお年を考えたら、それはそれで役者冥利に尽きるのかもしれない。長い間、お仕事お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。

 さて、その野際サン。訃報を伝えるニュースで印象的だったのは、「1958年にNHKアナウンサーとして入局~」という経歴紹介に、ネット上で「え!野際さんって女子アナだったの?」という若い人たちの反応がチラホラ見られたこと。無理もない。もう半世紀以上も前のことだし、僕だって野際サンの現役アナ時代のことはリアルでは知らない。

女子アナブームの先駆けだった

 実は野際サン、今日の女子アナブームの先駆けみたいな人だったんですね。NHKに在籍したのはわずか4年間だったけど、その間、最初の赴任地の名古屋で、観測史上最大といわれる伊勢湾台風(死者・行方不明者5000人以上)を生リポートして脚光を浴びたり、3年目に東京に戻ってからは朝のワイド番組『おはようみなさん』の司会を務めたりと、今でいう売れっ子女子アナの走りだった。

予想外の行動へ

 ところが――ここから野際サンは予想外の行動を見せる。NHKに入って丸4年が経った1962年3月、突如同局を退職したのである。ならば、民放にでも移籍するのかと思いきや(当時はフリーアナという概念はまだない)、なんと女優デビューする。TBSの大山勝美プロデューサー(数多くの山田太一脚本ドラマを手掛けた名物Pですナ)に誘われ、同局のドラマ『悲の器』に出演したのである。これが上々の評判。そして、これをステップに映画にも進出し、華々しい女優活動をスタートさせたのだ。

 だが、そこから野際サンは、さらに予想外の動きを見せる。女優業も3年目を迎え、軌道に乗ってきた矢先、今度は女優業を一時休業し、パリのソルボンヌ大学へ留学したのである。この時、30歳。留学期間は1年間だった。
 そして、帰国時にはパリの最新モードファッションに身を包み、日本にミニスカートを持ち込んだ第1号と呼ばれる。なんと野際サン、ファッションリーダーにもなったんですね。

キイハンターでスター女優に

 そして野際サンは女優業に復帰する。それが68年スタートのドラマ『キイハンター』(TBS系)だった。彼女の役は、秘密警察組織キイハンターの一員で、複数の外国語を操り、男勝りのアクションとセクシーさを武器にする元フランス情報局諜報部員。見事なハマり役だった。さらに野際サンは主題歌も歌い、同ドラマの視聴率は30%を超え、一躍スター女優となったのである。

 結局、『キイハンター』は5年間も続き、野際サンは共演した千葉真一サンと結婚する。そして75年には38歳11カ月で出産して、当時の芸能人の出産最高齢記録を更新する。世の主婦たちに勇気を与え、これも大いに話題になった。

道を切り開いた先駆者

 ――いかがです? 売れっ子女子アナから女優業に転身し、海外へも留学し、ファッションリーダーとなり、ドラマの主題歌も歌い、お色気やアクションシーンも辞さず、視聴率30%のスター女優となり、共演したイケメン俳優とも結婚し、芸能界の高齢出産記録も更新――と、およそ世の女子アナたちが目標とするキャリアの道を全て切り開いたと言っても過言じゃない。

 実際、野際陽子という偉大なる先駆者がいたから、その後の女子アナ出身者たちが芸能界で随分、ラクになったんですね。「元女子アナのくせに」なんて陰口を叩かれなくなった。野際サンが女子アナ界で果たした功績は計り知れないのだ。

「女子アナ」という呼び方

 さて、ここで「女子アナ」という呼び方について1つ補足しておきたい。考えたら、不思議な言葉である。女性アナではなく、女子アナ。かといって、男性アナウンサーを「男子アナ」とは呼ばない。
 実はその言葉、意外と歴史が浅いんですね。初出は、1987年7月にフジテレビが出した『アナ本』という本。この中で、自局の女性アナウンサーを「花の女子アナ14人衆」と呼んだことに端を発する。驚くべきことに、それ以前にメディア上で「女子アナ」なる単語が使われたことは一度もなかった。これは僕がわざわざ大宅壮一文庫で調べたから間違いない。

 ちなみに、『アナ本』が発売された87年というと、フジに中井美穂アナウンサーが入社して、いわゆる「女子アナブーム」が幕開けた年。それ以降、今日に至るまで女子アナという呼び方がすっかり定着したのである。

女子アナ第1号

 ――という次第で、正確に言えば、先の野際陽子サンは「女子アナ」とは呼ばれていない。女性アナウンサーである。とはいえ、今や女子アナのほうが定着してしまったので、当コラムでは、あえて親しみを込めて、彼女たちを「女子アナ」と呼ばせてもらう。

 次に、女子アナの歴史の話に移りたいと思う。日本で最初に女子アナが採用されたのは思ったよりずっと古くて、1925年のことだった。なんと大正14年だ。第1号の女子アナは翠川秋子サン。当時、開局したばかりの東京中央放送局(現・NHK)の総裁だった後藤新平に誘われ、入局したという。
 まだラジオの時代である。当然、リスナーにアナウンサーの顔は見えない。しかし、翠川サンは大変な美人だったという。美人好きの後藤新平らしい話である。

 だが、翠川サンはわずか1年で退職する。当時はまだ女性の社会進出は珍しく、先進的と言われる放送局でも、女子アナへの風当たりは強かったのだ。退職時、彼女は「男社会の犠牲になった」と語っている。ちなみに、この9年後、翠川サンは年下男性と心中する。女子アナ第1号の末路は悲劇的だった。

女子アナは時代の鏡

 俗に、女子アナは「時代の鏡」と言われる。その時代時代の女性の地位が、女子アナという職種に反映されやすいからである。
 先の話の続きでいえば、昭和の戦前、NHKが採用する女子アナは年に1人か2人に留まっていた。一方、男性アナは毎年二桁の採用。時代はまだまだ男性社会だったのだ。

 ところが、ある年にその事態が一変する。時に1944年、昭和19年である。一気に13名もの女子アナが採用されたのだ。そう、太平洋戦争真っ只中。若い男子は皆、徴兵に取られ、国内の若者は女子しかいなかったからである。
 ちなみに、その中の1人に、後にNHK朝ドラ『本日も晴天なり』のヒロインのモデルになった近藤富枝サンもいた。戦争末期、彼女たちは男性アナウンサーに代わり、国の重要な仕事である「放送」を担ったのである。

 しかし、彼女たちの活躍期間は短かった。翌年、終戦を迎え、戦地に赴任していた男性アナたちが続々と職場に復帰すると、彼女たちはお役御免とばかりに、会社から肩たたきに遭う。近藤サンもわずか1年余りでNHKを去った。ここでも、女性が時代の犠牲になったのである。

TBSが女子アナをリード

 戦後、女子アナの活躍の扉を開いたのは、意外にもNHKではなく、出来たばかりの民間放送のラジオ東京(現・TBS)だった。
 1951年、同局は開局に際して15名のアナウンサーを採用する。うち6名が女性だった。3分の1だ。それは戦後、女性が参政権を得て一気に39名の女性の国会議員を生むなど、当時の目覚ましい女性の社会進出とリンクする。

 一方、同じ年にNHKは31名のアナウンサーを採用するが、こちらは全員男性だった。なぜ、NHKとラジオ東京でこうも差が付いたのか。
 ――コマーシャルである。ラジオ東京は民間放送。NHKと違い、番組の合間にCMを流さないといけない。当時のラジオCMは生でアナウンサーが原稿を読むスタイルで、ソフトな語り口の女性が求められたのだ。黎明期の民放の女子アナの仕事は、コマーシャルメッセージが中心だった。

テレビ時代へ

 だが、そんなNHKもようやく戦後の女子アナ採用の門戸を開く。時に1953年。そう、テレビ放送が始まった年である。そのテレビ1期生の女子アナの一人が、先日、7月5日に亡くなられた後藤美代子サンだった。
 ちなみに、彼女たちが採用されたのは、テレビ放送が始まり、画面を“彩る”役割を求められたからである。後藤アナは大変な美人で、良くも悪くも「女子アナ=美人」という路線はここから始まる。

 だが、当時の女子アナは男性アナと違い、ニュースなどの報道番組には携わらせてもらえず、専ら活躍の場は芸能番組や主婦向けの生活情報番組に限られていた。後藤アナも『N響アワー』の司会を担当した。
 ちなみに、この5年後の58年に入局するのが、野際陽子サンである。

キャリア女性の先駆けだった

 実は、1953年にテレビ放送が始まって、60年代の半ばあたりまでは、女子アナの待遇はそれほど悪くなかった。まだ、男性アナのアシスタント的な仕事が多かったが、その地位は保証されており、アナウンサーを一生の仕事と志す女性も少なくなかった。
 当時は、女性の大学進学率が5%以下と低かった時代である。大卒で男性社員と同じ待遇で働ける女子アナは、貴重な働き口だったのだ。

 ちなみに、この時期に女子アナになった方々に、元NHKの加賀美幸子サンや、元TBSの宇野淑子サンらがいる。いずれも定年まで勤められたことが、先の説を証明する。

女子アナ冬の時代へ

 だが、1960年代の後半から、女子アナを取り巻く状況に暗雲が立ち込める。当時、テレビ業界はカラー化の真っ最中。各局とも設備投資から経費節減に取り組んでおり、TBSは制作の一部をプロダクション化して外部に出したり、フジテレビに至っては、制作部門の完全分離が図られた。

 そんな中、女子アナ界隈もコストカットの嵐に見舞われる。例えば、TBSは68年に見城美枝子サンが入社したのを最後に、76年までの8年間、女子アナの採用を休止する。フジテレビも25歳を定年とする女子アナの契約社員化へと移行。ここに、女子アナ冬の時代が到来する。

ピンポンパンのお姉さんは女子アナだった

 そんな中、フジテレビに一風変わった女子アナが誕生する。子供向け番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』のお姉さんである。歴代5人を数える彼女たちは、主に短大枠で契約社員として入社し、1年目から番組に出演した。そして5年の契約期間を終えると、番組の卒業と共に、フジテレビも退社した。その中の一人に、後に女優や司会者として活躍する酒井ゆきえサンもいた。

 もはや、その存在は女子アナというよりタレントだ。後にフジテレビは女子アナをバラエティ番組に出演させるなどタレント化して、女子アナブームをけん引するが、そのヒントは、先駆者たる“ピンポンパンのお姉さん”にあったのかもしれない。

それはNHKから始まった

 そんな次第で60年代後半から70年代にかけて、女子アナにとって冬の時代が続くが、ようやく風向きが変わり、彼女たちに追い風が吹き始める。それはNHKからだった。

 1979年4月、NHKで新しいバラエティ番組が始まった。タイトルは『ばらえてい テレビファソラシド』。企画と司会は永六輔サンで、2人の女子アナも共に司会を務めた。それが、前述の加賀美幸子アナと、入社2年目の頼近美津子アナである。女子アナがバラエティ番組に出ることも、台本から離れてフリートークで話すのも初めての試みだった。全ては、かつて同局の伝説的バラエティ『夢であいましょう』の構成を手掛けた永六輔サンの作戦である。

 そして、作戦は見事に当たる。同番組でピアノを演奏するコーナーを受け持った頼近アナは、その類い稀なる美貌も相まって、一躍ブレイク。NHKと民放を通じて、女子アナがアイドル的人気を博したのは、彼女が初めてだった。

吹き始めた女子アナの風

 この頼近アナのブレイクを機に、「女子アナ」という職業に風が吹き始める。それまでも注目を浴びた女子アナはいたが、それは個々の人気であり、女子アナ全体に風が吹き始めたのは、この時からである。その流れはテレビ界全体に飛び火する。

 丁度、女子アナ冬の時代が終わり、民放各局とも女子アナの採用を再開させていた時期で、逸材が揃っていた。民放の雄・TBSが三雲孝江アナに吉川美代子アナ、老舗の日テレが楠田枝里子アナ、モスクワオリンピックの単独放送権を獲得したテレ朝が宮嶋泰子アナに南美希子アナ、そして70年代に暗黒の10年を過ごしたフジテレビが――田丸美寿々アナだった。

女子アナキャスター第1号

 そう、ここからは田丸美寿々アナの話である。
1978年10月――奇しくも『ばらえていテレビファソラシド』開始の半年前、フジテレビで画期的なニュース番組が始まった。日本のテレビ史上初めて女子アナをメインに起用した『FNNニュースレポート6:30』である。逸見政孝アナとWキャスターを務めたのが、当時入社5年目の田丸美寿々アナだった。

 田丸アナは東京外国語大学卒の才媛。その美貌は入社時から評判で、そんな彼女が現場で体当たりリポートする姿はたちまち評判になった。時にはやりすぎて自民党や警視庁からお叱りを受けることもあり、彼女は一躍、時代の寵児となった。

 とはいえ、そんなスター女子アナでも、その身分は一介の契約社員だった。そんな彼女に時代が味方する。ジュニアこと、鹿内春雄副社長の登場である。

80年代へ

 1980年5月、フジテレビで大改革が行われ、鹿内春雄副社長を事実上のトップとする新体制が発足する。外部のプロダクションは全て社内に戻され、そのプロパー社員もフジの正社員となった。社内は活気にあふれ、フジの栄光の80年代が幕開ける。

 だが、正社員となれたのは、全て男性社員。女性社員は引き続き契約社員のままだった。その状態があらたまるのに、意外な交友関係が機能する。キーマンは田丸美寿々アナと、前述のNHKの頼近美津子アナの2人である。

 さて、その頼近アナ。80年4月にスタートした朝の『NHKニュースワイド』に、森本毅郎アナと共にWキャスターとして抜擢され、ここでも脚光を浴びる。同番組は、視聴率30%を超える大ヒット。
 その時、この当代随一の人気女子アナを密かに狙う男がいた。フジテレビ副社長・鹿内春雄である。

華麗なる転身。しかし……

 「頼近アナをフジテレビが引き抜いて、低迷するフジの起爆剤としたい――」
 そんな春雄副社長の思いは、一人の女子アナに託された。田丸美寿々アナである。なんと、田丸アナと頼近アナは同じ東京外語大卒の先輩・後輩。しかも、頼近アナはNHKに入局する前から、先輩の田丸アナを慕い、進路を相談する仲だった。
 そんな2人の信頼関係が実を結び、81年1月、頼近アナはNHKを退社する。記者会見で語った言葉は「自分の言葉で語りたい」だった。その移籍金は1000万円以上とも噂されたが、何より大きかったのは、フジテレビ初の女性の正社員として迎えられたことだった。なぜなら、それを機に社内の女子アナを含む契約社員たちが全員、正社員となったからである。

 その後、頼近アナは春雄副社長に見初められ、84年に結婚する。しかし、二児をもうけるも、4年後に夫を亡くして未亡人に――。その後独立して、90年代には女優やコンサートプランナーなどで活躍するが、2009年に食道がんを患い、53歳の若さで死去。数奇な運命に翻弄されたアイドルアナの末路は、悲劇的だった。

バラエティ・アナの開花

 話を80年代に戻そう。1980年、鹿内春雄副社長が登場して、大変革を遂げたフジテレビ。その成果は意外と早くやってきた。82年、開局初の年間視聴率三冠王に輝いたのだ。それをけん引したのは「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンに代表されるバラエティ番組だった。
 中でも、『オレたちひょうきん族』と『なるほど!ザ・ワールド』は、80年代のフジの躍進を象徴する2大バラエティとして大いに人気を博した。さらに見逃せないのは、その躍進に少なからず女子アナも貢献したこと。前者が、山村美智子(現・美智)、寺田理恵子、長野智子ら「ひょうきんアナ」の3人で、後者がリポーターとして世界各国を飛び回った「ひょうきん由美」こと益田由美アナである。

 そう、ひょうきん由美。『なるほど!ザ・ワールド』は、そんな益田アナの人気も手伝い、最高視聴率36.4%の大ヒット。彼女はレギュラーを務めた6年半でのべ69カ国を回り、勇退する。
 そして、通常のアナウンサー業務に復帰した彼女は順調に出世を重ね、2015年にフジテレビ初の女子アナとして定年退職を迎えたのである。

 さて――そんな風にバラエティ番組における女子アナたちの活躍もあって、80年代半ば、視聴率三冠王を重ねていくフジテレビ。だが、真の「女子アナブーム」は、実はこの後に訪れる。
 時に、1987年7月。同局の開局30周年記念で放送された『第1回FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』のエンディング。提供読みのために登場した4人の新人アナウンサーのしんがりを務めた1人の女子アナによって、その扉は開けられる。

 中井美穂、その人である。
              (中編につづく)

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第24回「女子アナの歴史」(中編)

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 1988年4月2日――この日は、1925年(大正14年)に翠川秋子サンが東京中央放送局(現・NHK)に女子アナとして採用されて以来、90年以上を誇る日本の女子アナ史の中でもエポックメーキングな日として記憶される。フジテレビの名物番組『プロ野球ニュース』の週末版のメインキャスターに、入社2年目の中井美穂アナウンサーが起用されたのだ。

 それまでニュース番組のスポーツコーナーを女子アナやフリーの女性キャスターが務めることはあっても、独立したスポーツニュース番組で、そのメインキャスターを女子アナが担うのは初めてだった。しかも入社2年目である。前代未聞だった。
 それだけじゃない。彼女はプロ野球の知識がまるでない、ずぶの素人同然だったのだ。そのため、助っ人要員として、大矢明彦、平松政次、谷沢健一ら3人のプロ野球OBたちが彼女をサポートする役回りとなった。

化粧しない女子アナ

 中井美穂アナは、いわゆる女子アナっぽい女子アナではなかった。出身大学は日大芸術学部――そう、日芸である。しかも放送学科だ。同学科の出身といえば、君塚良一サンとかクドカンとか中園ミホさんとか小山薫堂サンとか元日テレの五味一男サンとか、圧倒的にテレビの作り手の人たちが多い。実際、彼女も入社試験の際に「情報バラエティ番組を作りたい」と言ったくらいだから、もともと裏方志向の強い人だったのだろう。だからこそ最終面接で、あのジュニアこと鹿内春雄議長から「最終面接で化粧してこなかったのは君くらいだ」と驚かれたほど。しかし、それゆえジュニアに「面白いヤツだ」と気に入られ、入社を果たしたという。

 本シリーズの前編でも紹介した通り、彼女のテレビデビューは第1回目の『FNS27時間テレビ』である。後に恒例となるグランドフィナーレ前の新人アナの提供読み。同期の青木美枝アナ、笠井信輔アナ、塩原恒夫アナに続いて、彼女はしんがりで自己紹介した。そこで、ちょっとグダってしまい、早速タモリさんから「ダメだ!」とダメ出しを受ける。彼女は「え~」と舌を出した。

 これが、史上初のタレント・アナ誕生の“のろし”だった。

女子アナ・タレント第1号

 中井美穂アナは不思議な魅力を持っていた。それは、なぜか周囲が「支えたくなる」魅力である。
 彼女は、決して際立った美人というワケじゃない。でも、どこか惹きつけられる魅力があった。『プロ野球ニュース』のメインキャスターへの抜擢もそういうことだ。野球の知識は何もない。でも、彼女が何を伝えるのか目が離せない――それは、1976年の番組スタート以来、佐々木信也サンが牽引してきた同番組のマンネリ化を打破する狙いもあった。

 そう、彼女は能力が認められて起用されたワケじゃなかった。また、お飾りとしての際立った美貌があるワケでもなかった。いうなれば――そのキャラクターの魅力で起用されたのだ。つまり彼女は、女子アナ史上初めて、一人の「タレント」として認知されたのである。

周囲がほっとけない女子アナ

 『プロ野球ニュース』に抜擢された1年目、中井アナは球場へ取材に行く度、他社の記者や選手たちからイジられたという。今のように女子アナが普通に選手たちに取材する時代ではなく、球場にはベテランの男性記者しかいなかった昭和の話である。男性記者には「お姉ちゃん、何しに来たの?」とからかわれ、選手たちからはユニフォームの胸の番号を手で隠され、「俺が誰だか分かる?」とクイズを出されたり――。

 でも、彼女は何を言われても明るさを失わなかった。すると、そんな彼女の愛らしさに、次第に周囲も「支えてあげなきゃ」という気持ちが芽生えたそう。気が付けば、彼女が球場へ行くと、他社の記者たちが取材の仕方をアドバイスしてくれたり、監督や選手たちもリップサービスで特ネタをくれるようになった。
 そして1年も経つころ、テレビの中の彼女は一人前のスポーツキャスターに成長していたのである。

女優デビューも

 史上初のタレント・アナ、中井美穂伝説はこれだけに留まらない。
 入社3年目の1989年7月、彼女はフジテレビの月9ドラマ『同・級・生』に出演する。これも前代未聞だった。今では、女子アナが連ドラに出演するのはさほど珍しいことではない。同局でも、カトパン(加藤綾子アナ)と山崎夕貴アナがバーの客を演じた『HERO(第2シーズン)』や、永島優美アナがヒロインさくらの働く整備工場の同僚を演じた『ラヴソング』などの例がある。しかし――いずれもゲスト出演だ。
 それに対し、中井アナが演じたのは、安田成美演ずるヒロインの大学時代の友人役。群像劇のメインの登場人物の一人で、レギュラー出演者だった。つまり、1クールを通してガッツリ女優を演じたのだ。こんなことは、後にも先にも彼女しか例がない。

 史上初のタレント・アナ。だが、それは中井美穂という一人の傑出した女子アナの現象に留まらなかった。驚くべきことに、彼女の登場はほんの序章に過ぎなかったのだ。中井アナが入社した翌年、あの三人娘が登場する。

女子アナ・タレント化を決定づけた三人娘

 1988年は、90年以上を誇る女子アナ史の中でも、エポックメーキングな年として記憶される。え? さっきもエポックメーキングと言わなかったかって? 仕方ない。時代が進化する時、奇跡は連続して起きるものだ。

 その年、フジテレビに新たに3人の女子アナが誕生する。有賀さつき、河野景子、八木亜希子である。入社早々、彼女たちは「三人娘」と呼ばれた。天然でアイドルオーラのある有賀、上智大学在学中に「ミス・ソフィア」に選ばれ、その美貌に定評のあった河野、清楚系で癒しキャラと言われた八木と、三者三様の魅力があった。

 彼女たちは入社早々、テレビ誌などで積極的に紹介された。もはやそれはアナウンサーというより、新人アイドルを紹介するノリに近かった。「今年、フジテレビからデビューする新人アイドルはこの3人娘!」というノリである。

三者三様の売り出し方

 最初にブレイクしたのは、天然キャラの有賀さつきアナだった。ちなみに、「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読み違えたのは彼女ではない。彼女は、ある番組でそのエピソードを紹介したに過ぎない。つまり“濡れ衣”だ。だが、それが彼女のエピソードとして語り継がれるほど、普段からNGが多かったのは事実である。
 そして、そんな天然キャラの彼女をフジは積極的にバラエティの特番で起用した。芸人たちからツっこまれる彼女は、もはや女子アナではなく、紛うことなくタレントだった。NGを出して照れ笑いする彼女はキラキラと輝いていた。

 反対に、河野景子アナはその優等生キャラと美貌で、業界関係者からの人気が高かった。彼女は入社1年目から報道番組で、先輩たちの代役などで積極的に起用された。落ち着いた語り口と正確さは、新人アナとは思えないほど。しかも、そこに類まれなる“華”が備わっていたのだ。
 のちに彼女は、相撲界の大横綱、貴乃花と結婚する。

 そして、八木亜希子アナ。実は三人娘の中で、最もブレイクが遅かったのが彼女である。2人に比べ、今ひとつ売りに欠けた彼女は、その無難なキャラでアシスタント的に起用されることが多かった。そして、あの番組も――。
 だが、その番組が彼女の運命を大きく変えることになる。

明石家サンタの顔に

 1990年12月25日、その伝説の番組は始まった。『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』である。司会は明石家さんまと八木亜希子アナ。クリスマス・イブの深夜、一人寂しく過ごす視聴者から不幸な話を電話してもらい、面白ければプレゼントをあげるという趣旨である。

 これが八木アナにハマった。さんまサンとのどこか脱力した掛け合いは絶妙で、それは視聴者も巻き込み、いつしか「八木さんのファンです」「どこが?」「別に」という定番のギャグまで生み出す。気が付けば、番組にとって八木アナは欠かせない存在となっていた。
 今年、番組は27年目を迎えるが、司会の2人は不動である。

ウッチャンとの2ショット事件

 1991年9月、そんな八木亜希子アナが“フライデー”される。お相手はウッチャンナンチャンの内村光良サンだった。ウッチャンが八木アナを彼女の自宅まで車で送ったところを撮られたという。
 この時、痛快だったのは、それを報じるフジテレビのワイドショー『おはよう!ナイスデイ』の司会が、当の八木アナだったこと。彼女は照れ笑いを浮かべながら、単なる友人関係と釈明した。しかし、一緒に司会を務める川端健嗣アナはどこか楽しそう。番組のテロップも「さわやか交際発覚」と煽りモード全開。そんな身内をからかう大らかさが、フジテレビのいいところでもあった。

 この一件からも分かる通り、八木アナはもはや一人のタレントだった。フジの女子アナというよりは、いわば同局の専属タレントだ。タレントだから芸能人と浮名を流しても、それがキャリアアップに繋がるなら局としても大歓迎というワケだ。

女子アナ社員からタレントへ

 思い返せば、かつての1980年代前半の女子アナブームは、あくまでテレビ局の社員としての位置づけだった。フジの山村美智子(現・美智)アナ・寺田理恵子アナ・長野智子アナらの「ひょうきんアナ」にしても、益田由美アナのあだ名「ひょうきん由美」にしても、あくまで『オレたちひょうきん族』や『なるほど!ザ・ワールド』といった番組内で、彼女たちに与えられたキャラクターだった。

 それに対し――中井美穂アナと、それに続く三人娘は、テレビ局の一社員ではあるけど、もはやテレビ画面を彩るタレントだった。特定の番組内のキャラクターではなく、彼女たち自身がキャラクター性を持ち、輝いていた。

 それは、1988年に日テレに入った、あの女子アナも同様だった。

日テレ奇跡の88年

 フジテレビに三人娘が入った同じ年、日テレに2人の女子アナが入社する。永井美奈子アナと関谷亜矢子アナである。
 日テレにとって1988年というと、創立35周年だ。この『TVコンシェルジュ』を毎回お読みになられている方なら、覚えているかもしれないが、この年、80年代に低迷を極めた日テレが起死回生とばかりに、1つのプロジェクトを立ち上げる。「SI35」である。それは人事から編成、番組企画まで、あらゆる要素を大胆に改革しようというもの。そこで生まれた番組が五味一男サンら30代の若手ディレクターで作る『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』であり、人事面ではこの年、後にダウンタウンの番組を手掛ける菅賢治サンの中途入社であり、新人アナウンサーでは、福澤朗アナや前述の2人の女子アナの入社だった。

 そして――この88年を機に、日テレが見事に復活を遂げ、90年代の黄金期を迎えるのは承知の通りである。中でも、そのけん引役を果たしたのは、彼女だった。

スーパー女子大生から女子アナへ

 そう、永井美奈子アナだ。成城大学出身で、「ミス成城」の肩書を持つ彼女。在学中からその美貌とタレント性は有名で、JJにグラビアが掲載されたり、六本木のディスコのVIPルームはどこでも顔パスで入れた等々の逸話がある。いわば、スーパー女子大生だった。
 今日、女子アナといえば、大学時代にミスキャンパスに選ばれたり、在学中に女性誌の読者モデルを務めたりといったキャリアが半ばスタンダード化しているが、その路線を敷いたのは永井アナである。

 そんな永井アナだから、入社早々、スーパールーキーと話題になったし、1年目から同局の看板番組である『アメリカ横断ウルトラクイズ』に起用されたりと、もはやその扱いはアイドルやタレントのノリだった。

報道からアイドルまで――日テレの顔に

 もっとも、永井アナが活躍できたのは、単にスーパー女子大生だったからではない。彼女自身の能力の高さである。
 入社3年目には、日テレの看板ニュース番組『NNNニュースプラス1』のメインキャスターを任され、抜群の安定感を発揮した。90年代の日テレ黄金期を支えたバラエティ『マジカル頭脳パワー!!』にも呼ばれ、「マジカル・オペレーター」として丸7年間も務め上げた。

 また、同局の顔ともいえる『24時間テレビ』には、3年連続で総合司会を務める一方、究極の悪ふざけと言われた『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』のアシスタント出演も、歴代最多の10回を数える。かと思えば、同僚の米森麻美アナ、薮本雅子アナと共に「DORA」なるアイドル・ユニットを結成して、CDをリリースしたこともある。加えて、“七色の声”を持つとも言われ、そのナレーションの技術の高さには定評がある。

 彼女は96年にフリーになるが、その後も日テレをメインに活動を続け、01年に結婚・出産して第一線から退いた。その活躍期間は丸々日テレの90年代の黄金期と重なる。名実ともに日テレの顔だった。

TBSの逆襲

 元々、テレビ時代の女子アナ黎明期から、そのフラッグシップであり続けたのはTBSだった。テレビ界でいち早く女子アナの新規採用に取り組み、60年代から70年代にかけては、木元教子、今井登茂子、宇野淑子、見城美枝子、三雲孝江、吉川美代子ら名物女子アナを数多く輩出した。「民放の雄」時代のTBSは有名女子アナの宝庫であった。

 しかし、80年代に入ると一転、女子アナブームで先行したフジテレビの後塵を拝すようになり、また、80年代末から90年代にかけては、永井美奈子アナを中心とする日テレの激しい追い上げも食らい、すっかり女子アナ界でTBSの存在感は薄くなっていた。

 そこで1990年、TBSは、横浜雙葉中学・高校からICU(国際基督教大学)へと進んだ正統派お嬢様の渡辺真理アナを採用する。その美貌と育ちの良さは、TBSらしい王道感に満ちていた。彼女は入社2年目に『モーニングEye』の司会に抜擢され、一躍注目を浴びる。

 そして93年、TBSの女子アナの歴史を覆す、あの大物が入ってくる。

登場、雨宮塔子

 中井美穂アナを起点とする空前の女子アナブームは、もはやテレビ局に所属するタレントを想起させた。その先鞭をつけたのはフジテレビで、日テレがそれに追随したが、かつて「民放の雄」と称されたTBSも、ようやく、その路線に舵を切る。

 時に1993年、TBSにただ一人の女子アナ、雨宮塔子アナが採用される。最終面接ではピンクレディーを振付入りで披露したとの逸話が残されており、既にその時から大物の片りんはあった。
 彼女は入社から半年後、早くも番組アシスタントに抜擢される。新番組『どうぶつ奇想天外!』である。司会はみのもんたサン。この番組で、彼女は毎回、様々な動物の着ぐるみを着て、一躍脚光を浴びる。また、みのサンとのやりとりではしばしば天然ボケを連発。瞬く間にお茶の間の人気者になった。

巨匠と名コンビに

 さらに、94年4月からは、新番組『チューボーですよ!』の初代アシスタントにも起用される。司会はご存知、巨匠こと堺正章サンである。
 そして、ここでも彼女は巨匠との絶妙のコンビワークを発揮する。天性のボケを連発し、アシスタントの彼女を司会の堺サンがアシストするという、奇妙な逆転現象が評判となる。

 それにしても――みのサンに堺サンという、芸能界の重鎮に臆せず接して天然ボケを連発、両ベテランから気に入られるという芸当は、並のタレントにできることじゃない。しかも両番組とも立ち上げ時に係わって、どちらも長寿番組に育て上げている。そこからも彼女の偉大さが分かるというもの。

 ――ここへ至り、女子アナの分野でフジと日テレの後塵を拝していたTBSも、ようやく同じ土俵に立てたのである。

1994年の当たり年

 不思議なことに、女子アナの世界は何年かに一度、当たり年が来る。かつては1988年がそうだったが、その再来ともいえる年が再びやってくる。
 1994年である。この年、フジは木佐彩子アナ、富永美樹アナ、武田祐子アナが入社する。アイドルの木佐、天然の富永、いぶし銀の武田と三者三様の個性。「新・三人娘」である。

 そしてTBSには、10年に一人の逸材、進藤晶子アナが入社する。彼女は翌95年に深夜の新番組『ランク王国』の初代MCに抜擢され、様々なコスプレを披露。一躍、若者たちのアイドルとなった。97年には『筑紫哲也 NEWS23』のスポーツキャスターに就任し、今度はファン層を中年男性にも広げる。1年先輩の雨宮アナとは仲が良く、TBSの強力タッグと呼ばれた。

 そして――あの公共放送にも、類まれなる原石が誕生する。

アナ界のサラブレッド

 その原石こそ誰あろう、久保純子アナである。
 両親とも日本テレビの元アナウンサーという、アナ界のサラブレッド。小学校時代は父親の久保晴生サンがロンドン支局の特派員に赴任したことからイギリス暮らし、高校時代は2年間の交換留学でアメリカに暮らした。

 そんな多感な十代を過ごして英語力は上達したが、逆に日本語はかなり怪しかったという。そのため、NHKの入社試験でも思うように話せず、これは落とされると思っていたら、面接官の一人、加賀美幸子アナが「気持ちで伝えようとしている」と、よもやの賛辞。そして――晴れて合格。
 NHKアナウンサー、クボジュンの誕生である。

NHKのアイドルアナへ

 さて、久保純子アナ。NHKの新人は、男女例外なく初任地は地方へ出される不文律の通り、最初の2年間は大阪支局に赴任する。そして96年、満を持して東京のアナウンス室へ異動。いきなり『ニュース11』のスポーツキャスターに抜擢される。同番組のメインキャスターはご存知、NHKの「殿」こと松平定知サン。この2人の名コンビぶりが評判を呼び、クボジュンは瞬く間に人気の女子アナになった。かの有名な「ホワイトソックス事件」など、トチる度に彼女の人気と知名度は上昇。NHKの女子アナとしては、かつての頼近美津子アナ以来の「アイドルアナ」と呼ばれるまでになった。

 そして――あの世紀の大舞台の司会者に抜擢される。
 紅白である。

3年連続紅白へ

 1998年、久保純子アナは紅白の紅組司会者に抜擢される。
 それまで紅組司会者といえば、女優や歌手が務めるのが一般的だったが(対して白組はベテランの男性アナや男性司会者が多かった)、そのポストをNHKの女子アナが単独で務めるのは、第三回の本田寿賀アナウンサー以来、実に45年ぶりのことだった。

 さらに、同年夏には受信料の支払いを呼びかける同局のポスターのモデルに起用される。これが駅に貼られるや否や、盗難が続出。NHKは急きょ、有料で販売することになったという。

 結局、紅白の司会を彼女は2000年まで3年間連続で務め上げる。その時、かつての原石は、ダイヤモンド並みに光り輝いていた。

1998年の当たり年

 話を少し戻す。前に、女子アナの世界は時々、当たり年が訪れると書いたが、それは90年代後半の1998年もそうだった。

 この年、日テレに後に松坂大輔投手と結婚する柴田倫世アナが、NHKには現在もフリーアナとして活躍する膳場貴子アナが、そして、ここへ来て、かのテレビ朝日にも逸材たちが入社する。後に『ニュースステーション』で活躍する上山千穂アナ、バラエティ担当として活躍し、ウッチャンと結ばれる徳永有美アナ、そして長身で美人の野村真季アナである。この3人を総称して「テレ朝三人娘」と呼ぶ――。

視聴率と女子アナ

 俗に、テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例するとも言われる。80年代から90年代前半にかけてのフジテレビの三冠王時代、同局は多数の人気の女子アナを輩出した。80年代末からは、永井美奈子アナを起点に日テレが攻勢に転じ、大神いずみ、松本志のぶ、魚住りえといった人気のアナたちを番組に投入、視聴率でフジを抜いて90年代のトップに君臨した。

 そして長らく視聴率で民放4位に甘んじていたテレビ朝日――。同局も90年代末から徐々に深夜番組などが脚光を浴び始めて数字が上昇。それと比例するように、女子アナにも光が当たり始めたのである。

フジの女子アナ大量離脱

 さて、フジテレビである。80年代から一貫して女子アナブームをリードしてきた同局だが、90年代も後半になると、視聴率で日テレに抜かれたのと同様、女子アナの世界でも、かつての「三人娘」や「新・三人娘」のような強烈なインパクトを放てなくなっていた。よく言えば、優等生的な女子アナが増えていた。

 そんな中、21世紀が明けて間もなく、同局のアナウンス室に、ある深刻な事態が降りかかる。皮肉にも、その引き金を引いたのはあの番組だった。

 2001年3月31日深夜、『プロ野球ニュース』が25年の歴史に幕を閉じた。かつて、中井美穂アナが週末のメインキャスターに抜擢され、女子アナ・タレント時代の幕開けを後押しした、あの番組である。
 いや、コトはそれだけじゃない。同番組のキャスターを務めていた3人の女子アナ――宇田麻衣子、荒瀬詩織、大橋マキ(なんと入社2年目だった!)らも、これを機に退社するという。フジは伸び盛りの若手の女子アナを一度に3人も失うという非常事態を迎える。

 だが、それは新しい時代を告げる前奏曲、プレリュードでもあった。
 そう、スクラップ&ビルド。
 時に、フジテレビに高島彩アナウンサーが入社する、36時間前の話である。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第25回「女子アナの歴史」(後編)

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 司馬遼太郎の名著「竜馬がゆく」に、こんな一節がある。

 「天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」

 むろん、坂本龍馬のことである。事実、龍馬が歴史の表舞台に登場するのは、日本国内が混乱の極みにあった幕末の最終局面。長州と薩摩は仲が悪く、さりとて幕府に統治能力は既になく、このままでは最悪、隣国の中国同様、日本も諸外国から干渉を受けるピンチにあった。

 そこへ龍馬が登場する。犬猿の仲にあった薩長を仲介して「薩長同盟」を成立させ、さらに船中八策を想起して幕府に「大政奉還」を決断させた。日本は薩長を軸とする新体制に生まれ変わり、維新が幕開ける。時に龍馬は天に召された後だった――。

 なぜ、こんな例えを持ち出したかと言うと、2000年代のフジテレビがまさにそうだったからである。このコラムの中編の終わりに書いたように、2001年3月、フジは一度に3人の若手女子アナが退職する未曽有のピンチに見舞われる。そこへ翌月、一人の女子アナが入社する。彼女の働きもあり、フジは間もなく11年ぶりに三冠王へ返り咲く。そして7年間にわたりその座を守り、彼女がフジを去った2011年、王座から陥落した。

 そう、奇跡の女子アナ。
 彼女こそ誰あろう、高島彩、その人である。

スーパー女子高生だった

 高島彩アナ。お父様は、彼女が5歳の時に亡くなられた俳優の竜崎勝さんである。奇しくも竜崎さんは龍馬と同じ高知の生まれだった。

 高島アナは小学校から大学まで16年間を吉祥寺の成蹊学園に通った。高校時代は同校の強豪ラグビー部のマネージャーを務める一方、かなりのやんちゃぶりも発揮し、度々雑誌に登場するなどスーパー女子高生としても知られていた。いわゆるリア充だった。

 これは僕の持論だけど、一般に女子アナになるような人たちは、高校までは比較的優等生で、大学でハジける人が多いように思う。化粧を覚え、髪形を変え、男子との接触も増え――華麗に変身するのだ。いわゆる大学デビュー。まるで少女漫画のヒロインが眼鏡を外した瞬間、絶世の美女に変身するように。

 しかし、高島アナの場合、高校時代に既にハジけており、むしろ大学生になって自然体になった。そう、余裕である。だから彼女は今どきの女子アナ志望の学生のように、大学主催のミスコンにも出場しなかったし、女性ファッション誌の読者モデルにもならなかった。ごく普通の、自然体の女子大生だった。

ワンピースで体験講座へ

 そんな彼女だから、アナウンサーの道を志したのも、同年代に比べて、かなり遅かった。漠然と就職活動を考えていた大学3年時に、たまたま彼女のお兄様の友人がフジの深澤里奈アナだった関係で、同局のアナウンサー体験講座の受講を勧められたのがキッカケだった。彼女はほんの度胸試しのつもりで参加する。
 ところが――講座初日、ベージュのワンピースで参加したところ、周りは皆、現役の女子アナと見紛うばかりのビシッとしたスーツ姿。一人だけ場違いだった。5日間の講座もボロボロで、周到に準備・訓練を重ねてきた他の受講生との差に愕然とする。

女子アナ志望の火が着く

 だが、この屈辱が高島アナの心に火を着けた。元来、負けん気の強い彼女である。同年代の他の女子学生にできて、自分にできないワケはないと発奮したのだ。講座から戻るや否やアナウンサーの就活本を買い集め、その日から発声練習やイントネーションなどの独学を始めた。

 アナウンサー志望の就活生としてはスロースターターだった高島アナ。しかし、持ち前の負けん気で人一番の努力を重ね、たちまち遅れていたスキルをリカバリー。そしてフジテレビのアナウンサー就職試験に挑み、勝ち抜いていく――。

 そして――晴れて内定。アナウンサー、高島彩の誕生である。

新人アナに周囲が求めるもの

 2001年10月9日。入社から半年後、高島彩アナはいきなりレギュラー番組の司会に抜擢される。月~水の帯の深夜の生番組『アヤパン』である。1年先輩の千野志麻アナが司会を務める『チノパン』の後継番組だった。そう、彼女のニックネームの「アヤパン」はこの番組からである。

 同番組は毎回、俳優やタレントなどのゲストを招いてのインタビューが基本フォーマット。しかし、新人アナが司会ということで、時にゲストから仕込みの逆質問が投げかけられたり、スタッフから様々なドッキリが仕掛けられたりもした。
 要は、同番組の狙いは新人アナの新鮮なハプニング。実際、そのキュートなルックスと明るいキャラの高島アナは毎回、見事にドッキリに引っかかり、初々しいリアクションを見せてくれた。彼女はたちまちアイドル的人気を博し、なんと番組内で秋元康サンの作詞・プロデュースでCDデビューまで果たしてしまう。タイトルは『着信のドレイ』。実際にコンサートも行われ、多くのファンが押しかけた。

 新人時代の高島アナは、いわゆる伝統的なフジのタレント・アナだった。誰もがそう信じて疑わなかった。そんな彼女に次の番組のオファーが来る。『スーパー競馬』である。

悩めるアヤパン

 キュートなルックスと明るいキャラ。ドッキリを仕掛けられると、毎回初々しいリアクションを見せてくれる入社2年目の女子アナ。それが、当時の高島アナを見る周囲の評価だった。典型的なフジのタレント・アナである。

 『スーパー競馬』へのオファーも、それまでタレントの斎藤陽子サンやさとう珠緒サンが務めていたアシスタント枠の後継者だった。つまり彼女は、自由奔放な発言や華やかな衣装で周囲を和ませるタレント的な役割を期待されたのだ。だが――

 高島アナは悩んだ。それは本当に自分の求めるアナウンサー像だろうか、と。

高島彩アナ、確変

 そして悩みに悩んだ挙句、高島アナは1つの結論にたどり着く。この部分は彼女の著書(『聞く 笑う、ツナグ。』小学館・刊)から引用したい。
 「私は自分のスタイルを貫こうと決めました。何よりも、アナウンサーとしてきちんと取材をすること、そして、的確な情報を伝えることを大切に。その上で、競馬自体を楽しみ、時にはスタッフのすすめる華やかな衣装を着たり、ちょっと出しゃばって予想してみたりと、新しい自分のスタイルを作っていったのです」

 そう、出過ぎず、引き過ぎず――。
 アナウンサーとしての芯の部分を大切に、やるべきことをキチンとやり、その上でほんの少し周囲の求める“個性”を出す。
 今日、僕らの知る新生・高島アナの誕生である。

めざましテレビへ

 『スーパー競馬』の高島アナの評価は大変高かった。社内はもとより、厳しい目で知られる競馬ファンからの評価も悪くなかった。事前に入念な下調べと取材を行い、放送中は的確な情報を伝える一方、アナウンサー泣かせの馬名もよどみなく読み上げ、その上で彼女なりの“個性”を出してスタジオを盛り上げる――。

 そんな有能な社員を、会社が放っておくはずがない。入社3年目の2003年春、彼女は同局の“顔”とも言える番組に抜擢される。朝の情報番組『めざましテレビ』のメインキャスターである。
 その後の活躍は承知の通り。明るく爽やかな笑顔、よどみない進行、正確なアナウンス。緊急時の対応も落ち着いてぬかりない――。当初、彼女をタレント・アナと見ていた人たちはその“確変”ぶりに驚いた。彼女は入社3年目にして、同局のエース女子アナへと上り詰めたのだ。

 翌04年2月、『めざましテレビ』は初めて日テレの『ズームイン!!SUPER』を視聴率で抜いて、民放の時間帯1位となった。そして、この年、フジは11年ぶりに日テレから三冠王を奪取するのである。

ウッチー、表舞台へ

 前回のコラム(中編)でも再三申し上げたが、俗に「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」なる法則がある。
 2000年代のフジテレビもそうだった。高島アナの入社を機に、同局のアナウンス室が再び活況を取り戻したのだ。

 内田恭子アナ、ウッチーもその1人だった。彼女は高島アナの2年先輩だが、同期に大橋マキアナがおり、入社当初は彼女の陰に隠れ、ほとんど脚光を浴びることがなかった。しかし、高島アナが入社する直前に大橋アナが退社、一躍表舞台へ躍り出る。
 まず、『プロ野球ニュース』の後継番組『感動ファクトリー・すぽると!』の司会に抜擢される。さらに大橋アナの後を受けて『ジャンクSPORTS』のMCにも就任。その天然の癒しキャラが脚光を浴び、たちまち人気アナとなったのである。

フジテレビ第三次女子アナ黄金期へ

 そして、もう一人、この人も忘れてはいけない。高島アナの1年後輩の中野美奈子アナである。慶應義塾大学在学中に「ミス慶應」に選ばれたその美貌は、女子アナ界随一と言われた。また、その独特のマイペースキャラも手伝い、たちまちアイドル的人気を博した彼女は、入社半年後に『めざましテレビ』の情報キャスターに抜擢される。同番組で1年先輩の高島アナと名コンビぶりを発揮したのは承知の通りである。

 フジのアナウンス室は活況を取り戻した。80年代前半のひょうきんアナらの活躍を第一次女子アナ黄金期、80年代後半から90年代半ばまでの三人娘を中心とする活躍を第二次女子アナ黄金期とすると、この2000年代の高島彩アナらを中心とする活躍は、さしずめフジにとって第三次女子アナ黄金期だった。

セント・フォースという新しい波

 そんなフジの女子アナの活況は、外部の新しい風も呼び込んだ。
 話は少しばかり、さかのぼる。1999年4月、『めざましテレビ』の新しいお天気キャスターに吉田恵(よしだ・けい/よしは「土」の下に「口」、つちよし)サンが抜擢されると、そのキュートなルックスと愛らしいキャラでたちまち大人気を博した。彼女は前任者の角田華子サン同様、フジの局アナではなく、芸能事務所のセント・フォースの所属だった。

 そう、セント・フォース。今や泣く子も黙るフリーの女子アナの一大帝国だ。現在、民放各局とも平日の早朝4時~5時台に情報番組(フジ『めざましアクア』、日テレ『Oha!4 NEWS LIVE』、TBS『はやドキ!』等)を抱えるが、もはやセント・フォースを始めとするフリーの女子アナ抜きには成り立たない。就業規則の厳しい正社員の女子アナと違い、フリーなら働く時間帯に制限はないし、番組の作り手側としても、いちいちアナウンス室長にお伺いを立てないといけない女子アナと違い、何かと扱いやすい。極端な話、女子アナは社内の軋轢を考えて飲み会に誘うのも躊躇するが、フリーの女子アナ相手なら「この後、軽くどう?」と気軽に誘いやすい。

 とにかく――そんなフリーの女子アナが増えるキッカケを作ったのが、『めざまし~』の吉田恵サンのブレイクだった。

フリーキャスターという選択

 吉田恵サンは3年間、お天気キャスターを務め、2002年4月に同番組の情報キャスターへスライドした。そう、彼女はフリーの女子アナがお天気だけでなく、広くニュースにも携われる道も切り開いたのだ。

 代わって3代目お天気キャスターに就いたのが、同じくセント・フォース所属で、大学4年生の高樹千佳子サンだった。
 彼女は元々、女子アナ志望だったが、お天気キャスターになったのを機に、卒業後もフリーキャスターを続ける道を選んだ。それは、吉田恵サンのブレイクが示すように、フリーキャスターという職業が以前より魅力的になっていたことを意味した。
 実際、高樹サンは3年間お天気キャスターを務め、番組卒業後は希望通り、『めざましどようび』の情報キャスターへスライドした。そして入れ替わりにお天気キャスターに就いたのが、あのアイドル・キャスターだった。

皆藤愛子という奇跡

 2005年4月、『めざましテレビ』に4代目お天気キャスターが登場する。皆藤愛子サンである。それまでの3人の前任者同様、セント・フォースの所属で、早稲田の大学3年生だった。そのルックスは、もはやフリーの女子アナのレベルを超え、アイドルの領域。加えて、天性の癒しキャラ。その登場はお天気キャスターの“奇跡”と注目され、彼女見たさの視聴者を新たに獲得する。
 実際、この年に『めざまし~』は初めて『ズームイン~』の日テレを抜いて、同時間帯の民放月間視聴率1位となったのである。

 奇跡のお天気キャスター皆藤愛子。彼女の人気高騰を受け、セント・フォースをはじめとするフリーの女子アナたちが、いよいよ広く社会に認知されることになる。

地方の女子アナからフリーの女子アナへ

 この時期、注目を浴びたフリーの女子アナに、杉崎美香サンもいた。彼女はSBC信越放送から転じた元アナ組である。
 2003年10月、フジテレビで新たに始まった早朝の情報番組『めざにゅ~』(現在の『めざましテレビ アクア』)のメインキャスターに就任すると、実に7年間にわたり、レギュラーを務め上げた。番組冒頭で彼女が発する定例の挨拶「これからお休みになる方も、そしてお目覚めの方も、時刻は4時になりました」を覚えている方も多いだろう。

 杉崎キャスターの活躍で、フリーの女子アナ界は、地方の女子アナたちの新たな就職先になった。東京キー局の女子アナを目指すも、願い叶わず地方局の女子アナになった人たちが、次第に物足りなさを感じ、2~3年で退職して東京に戻ってフリーになる道である。今や東京キー局で活躍するフリーの女子アナの半分は、地方局の女子アナ出身者で占められると言っても過言ではない。

小林麻耶アナが開いた道

 一方、フリーの女子アナ以上にハイスペック化したのが、21世紀の女子アナ界である。
 その波はTBSから始まった。2003年、同局に小林麻耶アナが入社する。この時点で、既に彼女はタレントの身。そう、青山学院大学在学中から日テレの『恋のから騒ぎ』に出演し、エース席の最前列で屈指の人気を博したのだ。在学中に女子アナ志望を表明した彼女がどこへ行くのかテレビ関係者が注目する中、彼女が選んだのは、自身が崇拝する高島彩アナのいるフジテレビではなく、TBSだった。

 小林アナは入社1年目から『オールスター感謝祭』などに抜擢され、2年目には『チューボーですよ!』の4代目アシスタントに就任、その愛されキャラで巨匠・堺正章サンと名コンビぶりを発揮する。そして3年目からは安住紳一郎アナと共に『輝く!日本レコード大賞』の進行役を5年連続で務めるなど、瞬く間に同局のエース女子アナに成長した。

アイドルから女子アナへの道

 小林麻耶アナの成功は、たちまち他局も追随する。2005年、フジテレビに元アイドルの平井理央アナが入社したのだ。10代でテレ東の「おはガール」や『ピチレモン』の専属モデルを務め、またドラマ『動物のお医者さん』にも出演した元美少女タレント。彼女の入社は、真のアイドルアナの誕生と話題になった。

 極め付けが、2011年にテレビ東京に入社した元モーニング娘の紺野あさ美アナである。元アイドルの肩書で、これほどの大物はない。彼女の入社は、図らずもアイドルと女子アナの力関係が逆転したことを暗示させた。実際、かつてテレビのバラエティに欠かせなかったグラビアアイドルたちは衰退し、代わってその位置にいるのは、今や女子アナたちだった。

 その流れは、女子アナの採用基準にも微妙に変化をもたらした。

女子アナ就活生のセミプロ化

 2000年代の半ば、女子アナを目指す女子大生たちにある1つの変化が生まれる。“セミプロ化”である。
 先に挙げた3人は極端な例としても、大学在学中からセント・フォースをはじめとするプロダクションに所属したり、テレビの情報番組にリポーターで出演したりするなど、いわゆるセミプロ就活生がこの時期、急増したのである。

 一昔前なら、その種の“色”のついた就活生は、どちらかと言えばテレビ局から避けられる傾向にあった。しかし、前述の小林麻耶アナの入社を機に風向きが変わる。要は「即戦力」として、バラエティや情報番組に慣れた彼女たちのスキルが求められるようになったのだ。背景に、経費削減の波が21世紀のテレビ界にも押し寄せ、タレントを起用するより、自社の女子アナで代用するようになった制作サイドの事情もあった。

セミプロ新人アナの増殖

 かくして2000年代半ば、各局にセミプロ新人アナが続々と誕生する。
 多かったのは、やはり小林麻耶アナの流れを受け継いだTBSだった。2005年には、高校時代からモデル経験があり、芸能プロダクションのアミューズに所属し、ファッション誌の『ViVi』、『JJ』、『Ray』などで活躍した青木裕子アナが入社。さらに翌2006年にはセント・フォースに所属し、テレビ朝日の情報番組で女子大生リポーターとして活躍していた出水麻衣アナが、2008年にはスターダストプロモーションに所属し、幅広くタレント活動をしていた枡田絵理奈アナが入社する。

 意外にも、セミプロ新人アナの波は、テレビ東京にも押し寄せた。
 2007年には、テレ朝でお天気お姉さんとして活躍していた須黒清華アナと、『轟轟戦隊ボウケンジャー』(テレ朝系)に出演するなど女優活動をしていた繁田美貴アナが入社。翌08年には、動画配信番組のキャスター経験のある相内優香アナと、ファッション雑誌『bis』の読者モデルだった秋元玲奈アナが入社。ちなみに、この相内・秋元コンビは入社早々「A×A(ダブル・エー)」と呼ばれ、2人のための新番組も作られるなど、屈指の人気を誇った。

 そして――かのフジテレビにも大物セミプロ新人アナが誕生する。ショーパンこと生野陽子アナである。

復活した〇〇パン番組

 生野陽子アナはキー局の女子アナには珍しい、地方の福岡大学の出身である。
 しかし、彼女は大学2年から地元で超人気の朝の情報番組『アサデス。KBC』にアシスタントとして出演したり、ローカルCMに出演したりと、福岡ではちょっと知られた女子大生タレントだった。

 彼女の武器は、誰からも愛されるそのキャラクターにある。そのスキルは早速、フジテレビに入社した1年目から発揮された。2007年10月に自身がMCを務める帯の生番組『ショーパン』のスタートである。
 それは、新人女子アナが担当する伝統の〇〇パン番組としては、『アヤパン』以来、実に5年4カ月ぶりの復活だった。同番組で、彼女はその愛されキャラで人気を博する。そして、前任者がそうだったように、彼女のあだ名も番組名と同じ「ショーパン」になった。

 入社3年目の09年には、『めざましテレビ』の情報キャスターに就任。さらに、翌10年には高島彩アナの後を受け、同番組のメインキャスターとなった。そう、フジの若きエース女子アナとなったのだ。

実力一本で伸し上がった西尾由佳理アナ

 さて、そんなセミプロ新人アナたちが脚光を浴びる一方、学生時代は派手に目立つことなく、いわゆる“ノーシード”で女子アナになったものの――入社後にその実力を買われ、活躍した女子アナたちも、実は少なくない。

 少し時代はさかのぼるが、高島彩アナと同じ2001年に入社した、日テレの西尾由佳理アナもその一人だった。
 彼女は女子アナには珍しく、短大から4年制大学に編入した異色の経歴を持つ。学生時代は特に目立った活動はなかったが、入社して、9カ月目で『スポーツMAX』のメインキャスターに抜擢されと、そこから自身の名前を冠した「西スポ」のコーナーであれよあれよと大ブレイク。一躍、同局のエース女子アナ候補となった。
 05年には、晴れて『ズームイン!!SUPER』のキャスターに就任。奇しくも同期入社のフジ高島彩アナの『めざましテレビ』と、裏表で対決する構図となった。

あの女子アナもノーシードだった

 西尾アナの活躍は、いわゆるノーシード女子アナでも実力一本で出世できることを証明した。
 意外にも、その手のノーシード女子アナで、その後、局の顔になった人は少なくない。例えば、ウッチャンと結婚したテレ朝の徳永有美アナもその一人だ。彼女は女子アナには珍しい大妻女子大の出身で、彼女もまた学生時代は特に目立った活動はなかった。
 しかし入社後、『やじうまワイド』や『内村プロデュース』にキャスティングされると、たちまち頭角を現した。顔よし、ノリよし、喋りよし――の三拍子。その実力は誰もが認めるものとなり、たちまち同局のエース候補となった。

 結局、彼女の才能を最も評価したのは共演したウッチャンで、彼女は間もなく結婚退職するが、あのまま社内にいたら、間違いなくテレ朝の顔になっていただろう。

滝クリも夏目アナもノーシードから

 意外に思われるかもしれないが、あの滝川クリステルさんも元はノーシードの女子アナだった。実は彼女はフジテレビを受験して、最終選考で落ちている。それでグループ会社の共同テレビに拾われ、初の同社所属の女子アナとなった。しかし、フジテレビに出向するも、その扱いはフジの女子アナたちに比べると格下、いわば2軍扱いであった。
 そんな彼女の転機になったのが、入社3年目、2002年の『ニュースJAPAN』のキャスター就任である。松本方哉キャスターとのコンビがたちまち評判を呼び、彼女はその斜め45°の座り角度から「女子アナ界のモナリザ」と呼ばれた。滝沢アナの人気で同番組の視聴率も上昇。間もなくTBSの『NEWS23』を上回り、日テレに次いで同時間帯2位となった。

 日テレの夏目三久アナも、東京外語大のベトナム語専攻というちょっと変わった経歴のノーシード女子アナだった。あの長身のスタイルと美貌なのに、驚くべきことにミスキャンパスへの出場経験もなければ、マスメディアのお仕事経験もなかったのだ。
 しかし、入社すると、1年目から『おもいッきりイイ!!テレビ』のアシスタントに抜擢されるなど、一躍脚光を浴びる。その後、不幸にもスキャンダルに見舞われ、退社に追い込まれるが、現在、フリーの女子アナとして押しも押されもせぬ活躍を見せているのは、承知の通りである。

 そして、フジテレビで一躍人気を博したあの女子アナも、意外にも学生時代はさして目立った経験はなかった。カトパンこと、加藤綾子アナである。

登場、カトパン

 加藤綾子アナは、女子アナには珍しい国立音楽大学の出身である。それゆえ、上智や慶應の学生にありがちなミスキャンパスへの出場経験も、テレビのアシスタント等のバイト経験もなかった。
 しかし、彼女のスキルは入社試験の時からいかんなく発揮される。なんと受験した日本テレビ、TBS、フジテレビの全てから内定を得たのである。彼女はその中からフジを選び、晴れて2008年に入社する。生野アナの1年後輩だった。

 その後の活躍は承知の通り。入社1年目から『ショーパン』の後番組である『カトパン』のMCに就任すると、一躍お茶の間から脚光。その勢いを買って、2年目に『ホンマでっか!?TV』のMCに抜擢されると、その変貌自在のアドリブと、女子アナらしからぬ大胆な発言で一躍ブレイク。5年目の2012年には、生野アナの後を受け、晴れて『めざましテレビ』のメインキャスターに。名実ともにフジのエース女子アナになったのである。

テレ東の女子アナ

 さて、ここで視点を変えて、女子アナ界の異端とも言われるテレ東の女子アナにも触れておきたい。
 もともと、同局はアナウンサー枠の採用はなく、全て一般枠での採用だった。各部署で1~2年の職務を経て、適性を見てアナウンス室へ異動させるシステムである。今や松岡修造サンの奥さんとなった田口惠美子アナをはじめ、佐々木明子アナや八塩圭子アナ、家森幸子アナら90年代に活躍した同局の女子アナたちは皆、一般職の採用だったのだ。

 そんなテレ東に、他局と同じくアナウンサー枠が設けられたのは1999年からである。すると2000年代初頭、後にテレ東をけん引する2人の女子アナが相次いで入社する。01年の大江麻理子アナと、02年の大橋未歩アナである。大橋アナは一浪して大学に入ったので、奇しくも2人は同い年だった。

テレ東に大橋未歩あり

 最初にブレイクしたのは、大橋未歩アナである。
 入社1年目からスポーツ番組のキャスターに抜擢されると、その抜群のルックスと魅惑のボディ、そして明るいキャラで、お茶の間ばかりかプロ野球の選手たちの間でも一躍人気を博す。それまで同局の女子アナたちは報道のイメージが強かったので、テレ東の異端児と騒がれた。

 その人気は、さらにバラエティでも花開く。今田耕司と東野幸治のバラエティ番組『やりすぎコージー』のMCに抜擢されると、これまたバラエティのスキルをいかんなく発揮する。同番組の企画で、セクシーグラビアに挑戦するなど、女子アナとしての限界に次々と挑戦。もはやテレ東の枠を越え、民放の中で屈指の人気女子アナとなった。

遅れてきた大江アナ

 一方、大橋アナの1年先輩の大江麻理子アナは、入社から数年は特に注目されることなく、報道やドキュメンタリーのナレーション、そして『出没!アド街ック天国』のアシスタントなど、堅実に仕事をこなしていた。
 そんな彼女にとって一躍転機となったのが、2007年スタートの『モヤモヤさまぁ〜ず2』である。さまぁ〜ずの2人と街を散歩するユルい番組だが、ここで彼女の隠れキャラが開花する。一見しっかりしてそうで、時に暴走したり、天然ぶりを発揮したり――。そんな3人のやりとりはたちまち評判となり、番組人気が高まるにつれ、大江アナの人気も上昇する。彼女がニューヨーク支局に赴任するために同番組を降板する回は、大いに注目された。

 そして1年間のアメリカ勤務を経て、帰国して14年4月にテレ東の看板ニュースの『ワールドビジネスサテライト』のメインキャスターに就任。部署はアナウンス室から報道局に変わり、今や名実ともにテレ東のエース女子アナである。

NHKの女子アナに訪れた変化

 もう一つ、女子アナ界の異端と言えば、こちらの局も触れておきたい。NHKである。
 NHKの場合、この連載の中編の久保純子アナのところでも述べたが、入社して最初の赴任地は地方へ出されることが決まりになっている。そのため、民放の女子アナのように、新人1年目から脚光を浴びることはなかった。地方局で徐々に評判となり、それが風の噂となり伝わり、晴れて東京へ赴任して人気が全国区になるパターンである。

 ところが――21世紀に入って、そのパターンに変化が訪れる。地方に赴任した新人アナがネットで拡散され始めたのだ。「今度、福岡放送局に赴任した新人の〇〇アナは可愛い」とか「いや、札幌放送局の××アナこそNHKの期待の星だ!」等々――。
 2006年に入社した杉浦友紀アナもその一人だった。初任地は福井放送局だったが、1年目から「福井に杉浦アナあり」との情報がネットに上がり、画像などが拡散されたのだ。愛称の「ゆっきー」もたちまち広まった。その後、彼女は名古屋放送局を経て、入社7年目にしてようやく東京勤務となるが、既に女子アナフリークの間では有名人で、まさに「東京凱旋」といった様相だった。

人気のNHK女子アナたち

 そんな次第で、21世紀のNHKの女子アナは、地方局にいても有望な新人はたちまちネットで拡散され、人気が全国区になった。それは、つまり――NHKの人気女子アナが増殖したことを意味する。

 最初にその兆候が見られたのは2004年だった。実は、その年はNHKの女子アナの当たり年。俗に「花の2004年組」とも呼ばれ、井上あさひアナをはじめ、鈴木奈穂子アナ、守本奈実アナ、廣瀬智美アナらが入局したのである。
 ちなみに、井上アナの初任地は鳥取局、鈴木アナは高松局、守本アナは大分局、廣瀬アナは鹿児島局だった。そして「鳥取に井上あさひアナあり」、「高松に鈴木奈穂子アナあり」などと言われたのである。

 それをきっかけに、2000年代のNHKは続々と人気女子アナを“地方発”で輩出する。
 一例を挙げると、2007年に入局した森花子アナ(初任地・甲府局)、2009年入局の池田伸子アナ(初任地・熊本局)、2010年入局の桑子真帆アナ(初任地・長野局)、2011年入局の和久田麻由子アナ(初任地・岡山局)、2012年入局の近江友里恵アナ(初任地・熊本局)――etc

 皆、東京に凱旋する前から、既に有名女子アナだったのだ。

2008年の「テレ朝・新三人娘」

 さて、この「女子アナの歴史」のリポートもそろそろ終幕が見えてきた。
 思えば、これまでも再三、「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」と述べてきたが、ここから先の話はまさにそれである。

 2008年、テレビ朝日に3人の新人女子アナが入社する。竹内由恵アナ、 本間智恵アナ、八木麻紗子アナである。俗に、この3人を「テレ朝・新3人娘」と呼ぶ。98年の同局の3人娘以来の呼び名であった。
 彼女たちは、入社3カ月目に『ワイド!スクランブル』で初お披露目されると、その後も3人で出演する機会が多かった。7月の『速報!甲子園への道』をはじめ、9月には同局の看板バラエティ『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』にもトリオで出演。特に『Qさま!!』では彼女たちは女子高生の制服を着こなし、大いに話題になった。極めつけは同局のアナウンサーたちによる朗読舞台「VOICE6」への出演。3人はトリオアイドルに扮して、フリフリの衣装でオリジナルの曲を披露したのだ。ユニット名は「業務命令」だった。

 その3人の中でも、常にセンターにいて、ひと際輝いていたのが竹内由恵アナである。

TBSよりテレ朝を選んだ女子アナ

 竹内由恵アナは慶應大学の出身である。在学中にミス慶應に選ばれ、女子アナ内定が出た際は、その写真が週刊誌の『FLASH』にすっぱ抜かれた。これだけならよくある話である。しかし、面白いのは、彼女はそこで「TBSアナに内定」と書かれたのだ。いや、誤報ではない。実際、彼女はTBSとテレ朝両社から内定をもらっていた。普通なら、かつて民放の雄と呼ばれ、数々の名作ドラマを生んだ伝統あるTBSを選びそうだが――彼女が選んだのは、なんとテレ朝だった。
 しかし、彼女の判断が正しかったことが、間もなく証明される。彼女の入社を機に、テレ朝が快進撃を見せるのである。

テレ朝、二冠へ

 竹内アナの入社から半年後の08年10月、彼女は『ミュージックステーション』の8代目サブ司会に任命された。そして、その卓越した美貌と愛されキャラで、たちまち人気を博し、番組を盛り上げることに貢献する。その人気は、歴代のサブ司会の中でも最長となる5年間も務め上げたことが何より物語る。

 そんな竹内アナの美貌は、時に国際的にも注目を浴びた。2011年7月、中国・上海で開催された「世界水泳2011」に現地キャスターで参加すると、現地の中国のネットユーザーから「世界水泳で1番の美女」として注目を集め、多くの中国メディアで称賛されたのだ。

 そして2013年。竹内アナが『Mステ』サブ司会を務めた最後の年、テレ朝は開局以来初の年間視聴率二冠王に輝いた。
 ――だが、テレ朝の勢いもここまで。翌14年になると、再びあの局が勢いを取り戻し、三冠王を奪取する。
 日本テレビである。その中心には、あの女子アナがいた。

日テレの最終兵器

 話は少しさかのぼる。
 2010年、日本テレビに一人の女子アナが入社する。水卜麻美アナである。この年、同局に採用された女子アナは、彼女ただ一人だった。

 翌11年、水卜アナは新しく始まる昼の帯番組の初代アシスタントに起用される。『ヒルナンデス!』である。彼女のキャラは、従来の人気女子アナとは異質のものだった。そのスタイルは今どきの女子アナにしてはふくよか。前へ前へ行きたがる若手女子アナが多い中、彼女は癒し系でおっとり。だが――奇しくも、そのキャラが、時代の波長と合ったのだ。

 彼女が『ヒルナンデス!』に抜擢された2011年は、東日本大震災の年である。そう、時代は癒しの空気を求めており、それはテレビ界も同様だった。そんな世間の空気感と、水卜アナのベクトルが合致したのである。瞬く間に彼女は人気女子アナにのし上がった。

 そして、同番組が4年目となる2014年3月、遂に裏のライバルのフジ『笑っていいとも!』が31年半の歴史に幕を下ろすと、この年、日本テレビが3年ぶりに三冠王に輝いたのである。

 今年、2017年――日テレは変わらず視聴率で民放のトップを独走し、ほぼ4年連続三冠王は確実である。そして、その中心には変わらず水卜アナがいる。
 そう、「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」のである。

2017最新女子アナ事情

 現在、女子アナ界を巡る事情は、また少し変化の様相を見せている。
 各局ともハイスペックな若手女子アナを揃えているものの、一昔前に比べ、大きく目立つ女子アナが減ってきているのだ。

 今も、キー局の女子アナになるには、1000倍以上の厳しい競争に勝ち抜かなくてはならない。しかも、就活対策が進化した今、そこで選ばれた女子アナたちは、恐らく歴代のどの女子アナよりも優秀である。
 しかし――そのハイスペックが仇となり、昨今の女子アナは個性が希薄になっているとも指摘される。ざっくり言えば、髪形はゆるフワ、ファッションはコンサバ、そして帰国子女で英語は堪能――そんな新人女子アナの定型とも言えるタイプばかりが目に付くのである。

 その背景に、昨今のテレビ局を取り巻くコンプライアンス意識の高まりが影響しているとの指摘もある。かつてのような“どこか欠けているけど、化ける可能性のあるコ”ではなく、“ちゃんとしたコ”が採られる傾向にあるという。それが結果的に、“個性に欠ける無難な女子アナ”を生んでいるのだ。

フリーの女子アナに降りかかる受難

 一方、フリーの女子アナたちも受難を迎えようとしている。各局とも経費削減のために、増えすぎたフリーアナ枠を縮小し、自社の女子アナに振り替え始めたのだ。
 今や、ひと昔前のように人気の女子アナがフリーになって、大きく稼ぐのが難しい状況になっている。元TBSの田中みな実アナのような逸材でも、フリーで苦労しているのが実状である。

 生物の世界もそうだが、ある種が繁栄するために最も必要な要素は、強いことでも、数が多いことでもなく、多様性である。その意味で、これから女子アナ界が発展するためには、ちょっと変わり者を採用したり、局アナばかりでなく、やはり多様なフリーの女子アナを積極的に起用した方がいいと思うが――さて、各局の考えはどうだろう。

テレ東から新たな潮流か

 そんな中、一筋の光明かもしれない新しい試みを、ある局が始めている。テレビ東京である。
 昨年から今年にかけて、テレ東は3人の地方局の女子アナを中途採用した。2016年がRKB毎日放送の福田典子アナと北海道テレビ放送の西野志海アナ、17年が関西テレビの竹崎由佳アナである。そう――“地方局出身の東京キー局の女子アナ”という新たなカテゴリーの誕生だ。

 考えたら、キー局の採用に漏れて地方局の女子アナになったものの、元々女子アナを目指すような学生たちは高いスキルを持っており、その実力に大きな差があるワケではない。それにアナウンサーの適性もある。3~4年経験を積んだ地方の有能な女子アナを東京キー局が採用するのはリスクも少ないし、これから新たな潮流になるかもしれない。

 実際、福田典子アナは『モヤさま』で早くもそのセクシーキャラで人気を博しているし、西野志海アナは5分のピン番組『今から、西野アナが行きますんで』でその抜群の歌唱力を披露、竹崎由佳アナはこの10月から帯の生活情報番組『よじごじDays』で、大橋未歩アナの後を受けてメインキャスターと、3人とも即戦力として活躍中である。

僕の推しアナ

 最後に、僕自身の推しアナを挙げて、この前・中・後編にわたった長いリポートも終わりにしたいと思う。

 誠に個人的な思いで申し訳ないが、僕が今、期待を寄せる女子アナは、フジテレビの『めざましテレビ』で情報キャスターを務める宮司愛海アナと、同じくフジの『めざましアクア』で火・水のメインキャスターを務める、元テレビ静岡の伊藤弘美アナ(セント・フォース所属)である。

 宮司アナは地元が同じ福岡で同郷のよしみということもあるが、そのルックスは親しみやすく、トークのキレとバラエティで見せるノリの良さは、あの高島彩サンにどこか通じるものがある。どちらかと言えば大人しいタイプが多い昨今のフジの女子アナの中で、珍しくアグレッシブなキャラである。

 一方、伊藤アナ。そのルックスは、立教大学時代に「ミスオブミスキャンパス」(首都圏のミスキャンパスの中からさらに頂点を選ぶコンテスト)でグランプリに選ばれただけあって、個人的には女子アナ&フリー女子アナ界で最強だと思う。加えて清楚キャラ。アナウンススキルも万全で、いわゆる正統派女子アナである。今のフリー女子アナに厳しい時代を考えると、静岡に留まっていたほうがよかったかもしれないが、こうなってしまった以上、前を向くしかない。

 なぜ、僕がこの2人を推すかと言うと、極端な話、フジテレビの復活は、この2人にかかっていると言っても過言ではないからだ。
 だって、ほら――「テレビ局の視聴率と女子アナの活躍は比例する」って言うじゃないですか。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第26回「朝ドラ復活の鍵――7つの大罪」(前編)

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連載『指南役のTVコンシェルジュ』今回は特別編。
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ドラマのヒットの法則を分析したこの最新刊と連動し、肝となる内容の一部を特別大公開!
もちろん書籍そのままではなく『TVコンシェルジュ』用に加筆・編集された特別バージョンでお届けします。

好評を博した『ひよっこ』が終わり、この10月からNHKの朝ドラは『わろてんか』を絶賛放映中である。
舞台は、明治後期から昭和の戦後期へと至る京都・大阪。「笑い」で世の中を明るくしようと、夫婦で寄席経営に挑む物語で、吉本興業の創業者・吉本せいがモデルと言われる。主演は葵わかな、制作はBK――大阪放送局である。

思えば、前作の『ひよっこ』は、開始から2カ月ほどは視聴率が10%台と伸び悩んだが、6月に入ると時々20%を出すようになり、同月後半のビートルズ来日公演のエピソードを機に20%台に定着。以後右肩上がりで、終盤は自己最高値を更新し続けた。終わってみれば、お茶の間から「ひよロス」と惜しまれるほどの傑作だった。

朝ドラの黄金法則「7つの大罪」

もっとも、そうなることは、僕には序盤からある程度は見えていた。なぜなら、『ひよっこ』は、朝ドラならではの定番、王道とも言える、いわゆる黄金法則を満たしていたからだ。
それは、俗にこう呼ばれる。――「朝ドラ7つの大罪」と。そう、7つの大罪。いや、何も悪いことをしているワケじゃない。一見、ネガティブに見える7つの要素だけど、こと朝ドラにとってはプラスに作用するという意味合いである。

1つ、例を挙げよう。――「夫殺し」である。
もちろん、ヒロイン自身が夫を殺めるわけじゃない(それじゃ2時間ドラマのサスペンスになってしまう)。そうではなく、物語の都合上、途中で夫が消されてしまうという意味合いだ。原因は、病気だったり、戦死だったり、はたまた謎の失踪だったり――。
だが、そうすることで物語が盛り上がるのは事実である。『ひよっこ』の場合、沢村一樹演ずる父親の失踪がこれに当たる。そのエピソードで有村架純演ずるヒロインみね子が上京して働かざるを得なくなり、ストーリーを大きく動かす原動力となったのは承知の通りである。

そんな次第で、一見ネガティブに捉えられがちだけど、物語を盛り上げる意味で欠かすことのできない要素――それが、「朝ドラ7つの大罪」である。

連ドラ冬の時代に一人勝ち

それにしても、テレビ界を見渡せば、未だ民放の連ドラが苦戦を続ける中にあって、このNHK朝ドラのみ一人勝ちの状態にある。

実際、ここ数年、話題を集めたドラマで、NHK朝ドラが占める割合はかなり高い。2010年の『ゲゲゲの女房』をはじめ、『カーネーション』(11年)、『あまちゃん』、『ごちそうさん』(ともに13年)、『花子とアン』、『マッサン』(ともに14年)、『あさが来た』(15年)、『とと姉ちゃん』(16年)、そして直近の『ひよっこ』――タイトルを聞いただけで、「あぁ、あのドラマ」と情景が思い浮かぶのは、個々の作品がヒットした証しである。最近の民放の連ドラではこうはいかない。

いや、それだけじゃない。近年、ヒット曲が朝ドラの主題歌から生まれるケースも少なくない。いきものがかりの『ありがとう』をはじめ、椎名林檎の『カーネーション』、ゆずの『雨のち晴レルヤ』、中島みゆきの『麦の唄』、AKB48の『365日の紙飛行機』、宇多田ヒカルの『花束を君に』、そして桑田佳祐の『若い広場』――それは、かつて民放の連ドラから数々のヒット曲が生まれた90年代を彷彿させる。

V字回復した朝ドラ

しかし――実は、こんな状況は一昔前には考えられなかったのだ。
なぜなら、朝ドラが「国民的ドラマ」と呼ばれたのは、はるか昔の話だから。1970年代から80年代にかけて、朝ドラの視聴率が常に40%前後と、高い人気を誇った時代の話である。
それが90年代に入ると、民放の連ドラが黄金時代を迎えたのとは対照的に、朝ドラは失速し始めた。長い暗黒時代に入り、視聴率は30%台から20%台へ、そして21世紀に入ると10%台へと下降の一途。それに呼応して、朝ドラが世間の話題になる機会もめっきり減った。

それが、ここへ来て、朝ドラ大ブームである。V字回復のキッカケは2010年の『ゲゲゲの女房』だった。「失われた20年」と呼ばれた朝ドラは、同ドラマで見事に復活したのである。

人気俳優も朝ドラから

そんな次第で『ゲゲゲの女房』以降、朝ドラの視聴率はコンスタントに20%台を稼ぐようになった。「連ドラ冬の時代」と呼ばれる民放ドラマの惨状を思えば、大健闘である。

そうなると――必然的に、役者の世界にも変化が現れる。即ち、朝ドラから人気俳優が輩出されるケースが増えたのだ。今や民放で活躍する俳優陣は、ほぼ朝ドラ出身者たちで占められていると言っても過言ではないほど。
例えば、尾野真千子、杏、土屋太鳳、波瑠、高畑充希といった主役経験者をはじめ、脇で脚光を浴びた満島ひかり、綾野剛、松坂桃李、福士蒼汰、皆川猿時、足立梨花、松岡茉優、ムロツヨシ、鈴木亮平、山﨑賢人、ディーン・フジオカ、吉岡里帆、小芝風花、相楽樹、杉咲花、竹内涼真――といった面々も、今じゃ民放の連ドラでよく目にする。気がつけば、朝ドラは若手役者たちの登竜門になっているのだ。

なぜ、朝ドラはV字回復できたのか。
それを解く鍵は、ずばり“温故知新”である――。

すべてのヒットドラマはパクリである

そう、温故知新。
別の言い方をすれば、それはこうとも言える。――“パクリ”と。
え? いきなり何を言い出すのかって?
いえいえ、これは冗談ではなく、極めてマジメな話です。実は、朝ドラに限らず、世に存在する全てのヒットドラマに共通する要素は、“パクリ”なんです。

例えば、まだ記憶にも新しい昨年10月クールに放映されたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)。通称、『逃げ恥』。
かのドラマ、エンディングの「恋ダンス」も含めて社会現象とも言える人気を博したのは承知の通り。視聴率も初回の10.2%から最終回は20.8%と倍増した。何より全11回、一度も前の回から視聴率を落とさなかったのは驚きだ。これは、長い日本の連ドラ史の中でも、『男女7人秋物語』(TBS系/1987年)と『半沢直樹』(TBS系/2013年)しか例がない金字塔。近年、連ドラが不振と言われる中にあって、この大ヒットは異例である。
だが――同ドラマはパクリなのだ。

『逃げ恥』はパクリドラマだった!?

どういうことか。まず、その基本プロットだ。好き合ってもいない男女が、ひょんなことから同居を始め、やがて恋に落ちる――これ、昔からある“ボーイ・ミーツ・ガール”の定番手法なんですね。
古くは、1970年代に一世を風靡した石立鉄男主演の日本テレビ系(制作:ユニオン映画)のドラマシリーズ、『おひかえあそばせ』(71年)やそのリメイク版『雑居時代』(73年)がその種のプロットの走り。80年代に人気を博した漫画『翔んだカップル』(のちに映画化・ドラマ化)も似たようなプロットだった。
そうそう、伊藤麻衣子と鶴見辰吾が共演した83年の大映ドラマ『高校聖夫婦』(TBS系)も“カモフラージュ婚”から本物の愛を育む話だったし、あの木村拓哉と山口智子の2大スターが共演した大ヒット月9ドラマ『ロングバケーション』(フジテレビ系/96年)も、偶然の同居から本物の恋愛に発展する珠玉のラブストーリーだった。

海外に目を向けても――90年にゴールデングローブ賞を受賞したアメリカ映画『グリーン・カード』が、まさに互いのメリットから“偽装結婚”した男女がやがて真実の愛に目覚める話だったし、その男女を入れ替えたバージョンが、09年にサンドラ・ブロックとライアン・レイノルズが共演してスマッシュヒットした映画『あなたは私の婿になる』である。

『逃げ恥』がヒットした理由

かように『逃げ恥』は、いわば定番とも言える古今東西のボーイ・ミーツ・ガールのプロットを下敷きに作られたのだ。
とはいえ、同ドラマの場合、主役の男女が一緒に暮らし始める動機を「事実婚」にアレンジした。おかげで、結婚の形が多様化しつつある21世紀にあって、極めて今っぽい話になった。いや、むしろ最新の物語にさえ見える。

そう、大事なのはこのアレンジだ。よく「連ドラは時代の鏡」と言われるが、要するにそれはアレンジのことなんですね。
そして、間違ってはいけないのが――(ここ、大事なところです)連ドラも含めた映画や舞台、小説や漫画など全てのエンタテインメントのクリエイティブとは、「温故知新」のこと。それは、0から1を創る作業ではなく、1を2や3や5にブラッシュアップする作業。その意味において『逃げ恥』は100%、クリエイティブな作品と言って間違いない。そして“社会派コメディ”なる新たなるジャンルを開拓したのである。

『カリ城』はコラージュだった

そう、クリエイティブの源泉はパクリである。もう少し優しい表現だと、いわゆるオマージュである。
実際は、丸々1つの作品をパクる、オマージュするというよりは、世のヒット作の多くは、様々な作品からエッセンスを切り取り、それらをコラージュして1本の作品に仕上げることが多い。

例えば、かの宮崎駿監督の映画デビュー作にして、今も不朽の名作と語り継がれる『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)もその一つだ。
かの作品、そもそも宮崎監督に仕事の依頼が来てから劇場公開まで、わずか半年しかなかった。これはオリジナルのアニメーション映画のスケジュールとしては前代未聞、ほとんど不可能な数字である。
とはいえ、彼にとっては映画初監督作品。自身の今後のキャリアのためにも絶対に失敗したくない。そこで過去のエンタメ作品から様々なエッセンスを借用し、絶妙にコラージュすることで、この危機を乗り越えようと考えた。結果的に、この作戦がジョージ・ルーカスをして「史上最高の冒険活劇の1つ」と言わしめる大傑作を生み出す。

『カリ城』のネタ元たち

ちなみに、同映画にコラージュされた作品は以下の通りである。

 〇タイトルは、本家・モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズ『カリオストロ伯爵夫人』から引用
〇ヒロインのクラリスが誘拐される物語のベースは、「Damsel in distress(囚われの姫君)」と呼ばれる古典的活劇の定番
〇劇中に登場する湖とローマの遺跡は、アルセーヌ・ルパンシリーズの『緑の目の令嬢』からヒントを着想
〇巨大な時計塔の世界観は、黒岩涙香と江戸川乱歩の『幽霊塔』がモチーフ
〇冒頭のカーチェイスのシーンは、ソ連映画『コーカサス誘拐事件』(1967年)を参考にしたもの
〇その他――時計塔の内部メカニズム、本物を上回る精度の偽札、テレビ局員に扮しての敵のアジトへ潜入等々、テレビ版の第1シリーズに登場した数々のエピソードを流用
――etc.

いかがだろう。ここまで行くと、もはやコラージュの芸術作品だ。実際、同映画のポスターには、観客をワクワクさせる仕掛けが満載である。中世のお城、負傷したルパン、花嫁姿のお姫様、銀の指輪、敵は仮面男、頼りになる仲間たち、空中戦にカーチェイス、タイトルに突き刺さった短剣――これぞエンタテインメント、冒険活劇の王道である。でも、同映画を「パクリ」とか「盗作」とか呼ぶ人はいない。誰もがそれを一流のクリエイティブと称賛する。

物語のパターンは36通り

かのウィリアム・シェイクスピアは、物語の種類を36通りに分類したと言われる。
そう、エンタテインメントをヒットさせるために大事なことは、新しいストーリーを生み出すことではない。使い古された物語のパターンを、いかに現代風にアレンジするか、である。優れた作り手とは、「過去のヒット作品をどれだけ知っているか」と同義語とさえ言える。

要するに――映画『ルパン三世 カリオストロの城』をはじめ、『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』、『紅の豚』など、『もののけ姫』以前の宮崎駿監督作品が大衆娯楽作品として面白いのは、宮崎監督自身が古今東西のヒット作品を知り尽くしており、それらからヒットの要素を抽出して、絶妙にコラージュしたからである。

「連ドラ冬の時代」の一方……

さて――現在、連ドラは「冬の時代」と言われるが、少し視野を広げて、エンタテインメント界全体を見渡してみると、同じストーリーものでありながら、映画界の大盛況という事実が見えてくる。
そう、映画界。昨年――2016年、日本の映画界は21世紀最高の興行収入を記録した。特に好調だったのは、売上の6割強を占める邦画である。庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は中高年の男性たちを映画館に呼び戻し、新海誠監督の『君の名は。』は老若男女問わず幅広く見られ、邦画歴代2位となる興行収入の偉業を達成した。初週わずか63館からスタートした『この世界の片隅に』は口コミで火がつき、じわじわと上映館数を300台へ拡大。キネマ旬報の邦画年間1位に輝いた。

驚くべきことに、60分間のテレビドラマには耐性がないと思われた21世紀の現代人が、2時間の映画はちゃんと見てくれたのである。
これは一体、どういうことか。

2016年、映画界が復活した理由

テレビの民放連ドラが不振を極める一方で、空前の大ヒットを飛ばした2016年の映画界。その理由は何か。
テレビCMを増やしたから? ――いえ、ここ数年、以前よりテレビ局が作る映画が減った分、むしろ映画のCMは減っている。
そもそも公開本数が増えた? ――いえ、前年の15年より若干増えたものの、一昨年よりは少なかった。
映画の上映中はスマホが扱えないから映画に集中できる?――それはそうだが、以前からそうだ。

16年の映画界が空前のヒットを飛ばした理由。答えは、古今東西全てのヒット・コンテンツに共通する、ある法則で作られたからである。かいつまんで言えば、それは“物語が面白くなる法則”である。

物語が面白くなる法則

そう――宣伝が多いとか、人気漫画が原作だとか、人気俳優が出るからなどの理由で映画がヒットしたのはもはや過去のこと。
今は、本当に面白い映画じゃないと人は見てくれない。逆に言えば、面白ければ、ちゃんとヒットする。かつての『ブレードランナー』や『ルパン三世 カリオストロの城』みたいに、公開当時はさほど注目されず、後からテレビ放映やソフト化などで後追いヒットする――なんてことはない。面白ければ、ちゃんとリアルタイムでヒットする。
それは、SNSやネットの発達で、面白ければ口コミで瞬時に拡散されるからである。そこにタイムラグはない。その意味では、むしろ作り手にとって作品が正当に評価される、いい時代になったと言える。

そして、ここからが大事なことだけど、面白い映画を作るには、それなりの方法論がある。当てずっぽうに作ってもヒットしない。先に挙げた『シン・ゴジラ』も『君の名は。』も『この世界の片隅に』も、ちゃんと“物語が面白くなる法則”に沿って作られたのだ。
物語が面白くなる法則って?

――「戦争が物語を作る」である。

戦争が物語を作る

そう、戦争が物語を作る――。
実は、古今東西、名作と呼ばれる映画はたいてい、戦争が物語の背景にあると思っていい。そう、戦争だ。

例えば、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ケーブルが共演した歴史的名画『風と共に去りぬ』は、アメリカの南北戦争時代の悲恋を描いた話だったし、「映画ベスト100」などの企画に必ず上位にランクインするオーソン・ウェルズ主演の『第三の男』は、第二次世界大戦後の米英仏ソ四分割統治下にあったオーストリアの首都ウィーンが物語の舞台である。マーティン・スコセッシ監督のアメリカン・ニューシネマの代表作『タクシードライバー』も、ロバート・デ・ニーロ演ずるベトナム戦争帰りの元海兵隊員の話だった。

日本映画においても、かの小津安二郎監督の名作『東京物語』は、原節子演ずる戦死した次男の未亡人が物語のキーマンだったし、松本清張原作・野村芳太郎監督の70年代の大作『砂の器』も、物語の軸となる天才音楽家・和賀の正体は、先の戦争の大阪空襲で戸籍が消失したことに乗じて、別人に生まれ変わった本浦秀夫だった。

抗えない時代の荒波

そう、戦争が物語を作る――それは、個々の人間の努力では到底抗えない“時代の荒波”によって物語が生まれる――という意味である。
例えば、恋愛劇なら、戦争によって男は戦場に赴き、男女の仲は一時的に裂かれる。終戦後、果たして男は生きて帰って来るのか、そこに物語が生まれる。家族劇なら、愛する息子を戦場へ送る家族の複雑な思いが描かれる(表向きは万歳三唱で送り出す時代だ)。もしくは、戦争を直接描かなくても、戦後、華族や資産家が没落したり、女性が一人で生きていかねばならなかったりと、戦争をキッカケに様々な物語が生まれる。

皮肉な話だが、ハリウッドが今も優れた映画を量産し続けられる背景には、第二次世界大戦の後も、アメリカにはベトナム戦争や湾岸戦争、「911」やイラク戦争など、絶え間なく“戦争”が繰り返されてきたという悲しい現実がある。
一方、戦後一貫して平和であり続けた日本は、次第に物語を生む土壌を枯渇させていったのだ。

311から生まれた『シン・ゴジラ』

さて、そこで前述の3作品である。
まず『シン・ゴジラ』だが、かつてのオリジナルの『ゴジラ』自体、水爆実験で地上に出現した「核の落とし子」という設定だった。公開されたのは終戦から9年後の昭和29年。あの第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁でアメリカの水爆実験で被ばくした年である。当時のゴジラは戦争の遺物、いわば核の脅威へのメタファーだった。

そして、それを受け継いだ『シン・ゴジラ』もまた、海洋投棄された大量の放射性廃棄物によって適応進化した巨大生物という設定だ。東京に上陸して放射能をまき散らすその姿は、あの東日本大震災の津波とその後の原発事故を思い起こさせる――そう、「311」も戦争同様、個々の人間の努力では到底抗えない時代の荒波である。それは、戦後長きにわたり平和を謳歌してきた日本に訪れた、久しぶりの“脅威”であった。
そう、『シン・ゴジラ』は311によって生まれたのである。

『君の名は。』も311のメタファーだった

次に『君の名は。』である。
よくある男女入れ替わり系(2人の心と体が入れ替わる)の話だが、この映画が他と違うのは、そこに時間軸のズレを入れたこと。ここから先はネタバレになるが――東京に暮らす男子高校生の瀧と岐阜の田舎に暮らす女子高校生の三葉が度々入れ替わりを経験するうち、互いを意識するようになる。ところが、ある日を境に2人の入れ替わりは終わる。原因を求め、瀧は三葉の住む町に向かうが、その町は3年前に彗星が衝突して町ごと消滅したという衝撃の事実を知る。なんと、2人の生きた時代には3年もの“時差”があったのだ。

物語はその後、奇跡が起きて、瀧は3年前の“最後の日”の三葉と入れ替わる。そこで彼は自分の運命を悟る。自分は、三葉とこの町の人達を助けるためにやってきたと――。
そう、彗星の衝突で町ごと消滅する描写は、まさに311の津波で町ごと流された悲劇のメタファーだった。

平凡が物語になるレトリック

そして、『この世界の片隅に』はもっと分かりやすい。
物語は、昭和8年の広島から始まる。主人公は一人の平凡な少女・すずである。観客はこの時点で結末を予見する。昭和20年8月6日の広島原爆投下を――。

だが、映画は終始、すずの平凡で何気ない日常を淡々と描く。18歳に成長すると、すずは軍港の街・呉へと嫁ぐが、太平洋戦争中にも関わらず、ここでも同映画に悲壮感はない。たまたま生きた時代が戦争と重なった一人の女性が、一生懸命に普通の生活を営む、日常の描写が繰り返される。それだけに、観客はそんな日々の“平凡”の大切さにあらためて気づかされるというレトリックである。

抗えない時代の荒波

お分かりいただけただろうか。『シン・ゴジラ』も『君の名は。』も『この世界の片隅に』も――いずれも戦争や311をモチーフに物語が作られている。そんな“抗えない時代の荒波”の中を懸命に生き抜く人々の姿に、観客は強く惹かれたのである。

つまり、2016年の映画界が空前の盛り上がりを見せたのは、個々の作品がちゃんと“物語が面白くなる法則(=戦争が物語を作る)”に沿って作られ、その結果、観客たちがリアルタイムで作品を評価してくれたからである。

え? その方法論がどうしてテレビの連ドラに生かされないのかって?
いえいえ、ちゃんと生かされています。
それが、NHKの連続テレビ小説、朝ドラである。例の「朝ドラのV字回復」をもたらしたのが、まさに“戦争が物語を作る”だったのだ。

すべては『ゲゲゲの女房』から始まった

時に、2010年3月29日――。
半世紀を超える朝ドラの歴史の中でも、この日ほど重要な日はないと言っても過言ではない。82作目の朝ドラ『ゲゲゲの女房』の初回放送日である。視聴率は14.8%。この数字、実は初回値としては、朝ドラ史上最低である。だが、これが朝ドラ復活のサインだった。

なぜ、朝ドラはV字回復できたのか?
――戦争が物語を作ったからである。
そう、2016年の映画界がヒットした理由と同じだ。いや、誤解なきよう、何もそれは、ストレートに戦争を描けばいいという単純な話ではない。“戦争によって物語が生まれる”という意味である。現に、『ゲゲゲの女房』に戦争シーンは登場しない。

片腕の漫画家が二人三脚を生んだ

かのドラマ、漫画家・水木しげるの奥さんの武良布枝さんが、夫妻の半生をつづったエッセイが原作である。ご存じの通り、水木先生は戦争で左腕を失くされた“片腕の漫画家”。漫画家としては致命的なハンディキャップだ。だが――その逆境が、後に夫婦の二人三脚を生み、同ドラマはお茶の間の深い共感を呼んだのである。
そう、これが「戦争が物語を作る」ということ。

オープニングで、いきものがかりの歌う『ありがとう』に乗せて、2人が自転車で並走する後ろ姿に勇気づけられた視聴者も多かっただろう。

朝ドラ史上最低の初回視聴率で船出した『ゲゲゲの女房』だが、徐々にお茶の間の評判を呼び、それと共に視聴率も上昇。最終的に期間平均視聴率18.6%と、前作から5ポイント以上もアップ。
かくして、朝ドラは息を吹き返したのである。

朝ドラ復活の陰にも「戦争」あり

そう、朝ドラ復活の陰に「戦争」あり。
ここで、21世紀の朝ドラについて、『ゲゲゲの女房』以前と以降で、戦争もしくはそれに準ずる国家的大事件が背景にある作品の割合を比較したいと思う。

 〇『ゲゲゲの女房』以前……全18作品中1作品(5.6%)
〇『ゲゲゲの女房』以降(『ひよっこ』まで)……全15作品中12作品(80%)

――片や、戦争が描かれた『純情きらり』の1作品のみ。片や『てっぱん』、『純と愛』、『まれ』を除く12作品。その差は一目瞭然である。
ちなみに、『ゲゲゲ~』以降の作品で、『あまちゃん』は311、『あさが来た』は明治維新、『ひよっこ』は東京オリンピックと、いずれも「戦争」に準ずる国家的大事件が物語の背景にある。それ以外の作品は全て、太平洋戦争が何かしら絡んでいる。

そう、朝ドラV字回復の陰に、戦争もしくはそれに準ずる国家的大事件あり――。朝ドラのV字回復は、そんな運命に翻弄されるヒロインたちによって、もたらされたのである。

リアリティが肝だった『カーネーション』

近年の朝ドラV字回復の扉を開けたのが『ゲゲゲの女房』なら、その路線を磐石にしたのは、2011年後期の『カーネーション』だろう。平均視聴率は19.1%。主演は尾野真千子。脚本は以前、彼女とドラマ『火の魚』で組み、文化庁芸術祭大賞を受賞した渡辺あやである。制作したのは大阪放送局、BKだ。

物語は、大阪・岸和田を舞台に、大正末期から昭和の戦後までを生き抜いた一人の女性の壮絶な半生で綴られる。主人公の小原糸子は、ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの「コシノ3姉妹」を育て上げ、自らも洋裁店を営んだ小篠綾子がモデルである。糸子は戦争で夫を亡くすが、彼女はそれにめげず、戦後は商売を営みつつも女手一つで3人の娘を育て上げる。そう、そこに物語があった。

感心したのは、戦時中の糸子の描写である。よく、この手のヒロインは現代目線で反戦キャラに描かれがちだが、同ドラマは違った。反戦でも好戦でもなく、糸子は戦時中、うまく立ち回って戦争をやり過ごしたのだ。そこには、「生きる」という、3人の娘を抱える母としての強い意志があった。そう、あの時代、庶民は戦争を論ずる前に、まず生きなければいけなかった。お茶の間は、そんな糸子の“リアリティ”に共感したのである。

あまちゃんは「311」から生まれた

13年前期の『あまちゃん』は、朝ドラに新風をもたらしたエポックメーキングな作品だった。
脚本はコメディの旗手・宮藤官九郎。同ドラマは、東北・岩手の三陸海岸沿いにある架空の町・北三陸市を舞台に、能年玲奈(現・のん)演ずる女子高生・アキがひょんなことから海女を志すところから始まる。その後、アキは地元のアイドルとなり、東京の事務所からスカウトされて上京して活躍するも――東日本大震災を機に北三陸に戻り、復興に携わるという話である。

そう、『あまちゃん』もまた、「311」を抜きには語れない。物語は2008年の夏から始まる。舞台は岩手の三陸海岸だ。この時点で視聴者は物語の未来を予見する。3年後にやってくる東日本大震災を。それは日本人にとって、戦争と同じくらいの歴史的インパクトを持つ。
とはいえ、同ドラマはそんな壮絶な未来にはお構いなく、平凡で、何気ない、ほのぼのとした主人公アキの日常を明るく描く。だからこそ、お茶の間はそんな日々の“平凡”の大切さに、あらためて気づかされたのである。

その辺りの物語の構造は、奇しくも能年玲奈(現・のん)がヒロインの声優を務めた映画『この世界の片隅に』とよく似ている。片渕須直監督が同映画に彼女を起用したのは、2つの物語に共通点を見たからかもしれない。

21世紀の朝ドラ最高視聴率『あさが来た』

そして、15年後期の『あさが来た』である。大阪放送局、BKの制作だ。主演は波瑠、脚本は大森美香である。
同ドラマは、朝ドラ初となる江戸時代のスタートだった。波瑠演ずる主人公の白岡あさは、明治から大正期に活躍した女性起業家のパイオニア、広岡浅子がモデルである。

同ドラマの肝は、やはり近代日本の大転換、「明治維新」だろう。あさが嫁いだ豪商「加野屋」は維新の混乱期に危機的状況に陥るが、あさの機転で乗り切る。そして、これを機に彼女は経営の才を発揮して、以後、炭坑や銀行の経営に乗り出す。一方、姉のはつが嫁いだ「山王寺屋」は維新の混乱で没落し、一家で夜逃げする。

100年以上も前の“女性が不遇だった”時代。持ち前の明るさで未来を切り開いた白岡あさのひたむきな姿に、お茶の間は共感したのである。彼女の口癖「びっくりぽん」も流行語になった。
期間平均視聴率は23.5%。これは、21世紀の朝ドラ最高値である。

東京オリンピックに翻弄されるヒロイン

そして、直近の朝ドラ『ひよっこ』である。物語は戦後日本の大きな転換点となった東京オリンピックの年に始まる。
有村架純演ずるヒロインみね子は、奥茨城で生まれ、高校まで地元で平穏に過ごす。しかし、オリンピックで変貌する東京の建築現場で働く、出稼ぎ中の父親のよもやの失踪で、彼女の人生は大きく変わる。急遽、高校を卒業して集団就職で上京、父に代わって仕送りの為にラジオ工場で働くことに。だが、その工場もオリンピック後の不景気に見舞われ、倒産。今度は赤坂の洋食屋に職を転じ、そこで一人の女優と出会い、彼女の導きで記憶喪失の父親と再会――。

そう、東京オリンピックという戦後日本の国家的大事業で東京が大きく変貌する中、ヒロインの運命も翻弄されていく構図は、まさに「戦争が物語を作る」に等しい。

朝ドラは一日にしてならず

さて、前置きが長くなったが、ここからがいよいよ本題である。
先に『ゲゲゲの女房』が今日の“朝ドラ一人勝ち”の扉を開けたと述べたが、実はその背景には「戦争が物語を作る」に加えて、朝ドラならではの高視聴率を取る“黄金法則”の復活もあった。それが、このコラムの冒頭で紹介した「朝ドラ7つの大罪」である。
そう、7つの大罪――。
それは、かつて1970年代から80年代にかけて、朝ドラ全盛期と呼ばれた時代の定番の法則だった。かつての朝ドラはその「7つの大罪」を頑なに守ることで、高い視聴率を維持したのである。

しかし、その法則は簡単に生み出されたワケではない。朝ドラの開始年は1961年。そこから長い年月をかけ、試行錯誤を繰り返し、ようやくたどり着いたのである。

コラムの後編では、いかにして朝ドラが「7つの大罪」にたどり着いたのか、その歴史を振り返りたいと思う。そして、何ゆえそれが中世ヨーロッパのように一時は忘却の彼方へと追いやられ、20世紀末から21世紀にかけて朝ドラが長い暗黒時代に陥ったのか、その理由も。

さあ、めくるめく朝ドラの壮大な歴史の旅が始まる。
(後編へつづく)

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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 1つ質問。
 「朝ドラ」と聞いて、どんなドラマを連想します?
 恐らく――戦争を挟んだ女性の一代記だったり、大正や昭和のノスタルジーだったり、やたら明るいオープニングだったり、いつも無駄に前向きなヒロインだったり――まぁ、そんなところだと思う。

 ところが、である。
 実は、そんな朝ドラらしい朝ドラって、半世紀以上にも及ぶ朝ドラの歴史全体を見渡すと、むしろ少数派なんですね。
 まず、朝ドラが始まった1961年から16年間ほどは、試行錯誤の時代だった。男性が主人公だったり、ロードムービー風だったり、ホームドラマだったり、現代劇だったりと、色々な作風が試みられた。
 ようやく定番のフォーマットが根付いたのが17作目、76年放映の『雲のじゅうたん』から。そこから昭和が終わるまでの12年間が、いわゆる僕らが連想する朝ドラらしい朝ドラが放映された時代である。

 しかし――平成に入ると、突如その連鎖は断ち切られる。平成元年のドラマ『青春家族』を皮切りに、以後は現代路線の作品が多くなり、その流れは実に2009年の『ウェルかめ』まで20年間も続いたのだ。

朝ドラの黄金法則「7つの大罪」

 つまり、2009年までの朝ドラの歴史は――

 試行錯誤(16年間)→定番(12年間)→現代路線(20年間)

 ――と、定番じゃない時代のほうが圧倒的に長かったのだ。だが、僕らは朝ドラと聞くと、自ずと定番のフォーマットの方を連想する。それはひとえに、その時代の朝ドラがお茶の間に親しまれたからに他ならない。

 そう、定番――。前編の終わりでも述べたが、それをもたらしたのが、まさに朝ドラの黄金法則、「7つの大罪」である。
 そして、長期低落にあった朝ドラが2010年、『ゲゲゲの女房』で復活した背後にも、その黄金法則の復活があった。そして、以降の作品もその路線を踏襲することで、今日、朝ドラは視聴率20%超えの第二の黄金期を迎えたのである。

朝ドラは、「おかず」ではなく「ごはん」

 かつて、お茶の間に「朝ドラ」のイメージを植え付け、高視聴率を獲得し、今また、それを復活させて朝ドラに第二の黄金時代をもたらした「7つの大罪」とは――?

 それを説明する前に、1つ、たとえ話をしたいと思う。
 朝ドラは毎日、月曜日から土曜日まで週6日放送される。それはテレビの業界用語で「習慣視聴」と呼ばれる。毎日見るものだから、いわば「ごはん」と同じである。
 一方、通常の連続ドラマ、連ドラは週一の放送。それは朝ドラの「ごはん」に対して、いわば「おかず」の立ち位置だ。

 そう、ごはんとおかず――。両者の“美味しさ”の基準が違うのは当然である。おかずは単純に食べて「美味しい」ものが求められる。一方、ごはんは毎日食べても「飽きない」美味しさが求められる。いくら美味しいチャーハンでも、毎日食べたら飽きる。一方、美味しい白米は毎日食べても飽きない。そう、朝ドラに求められる面白さとは、まさに、この白米の美味しさなのだ。

朝ドラの肝は枠の安定的運用

 朝ドラは「習慣視聴」の番組である。それは、朝ドラの主要ターゲットである、家庭の主婦の朝の習慣に組み込まれていることを意味する。基本、作品が変わっても、彼女たちの習慣は変わらない。いわば「ごはん」と同じである。そこに求められる一番の要素は、“飽きられない”こと。

 つまり、朝ドラは「面白い!(美味しい)」と喜ばれることよりも、「もうダメ、無理(飽きた)」と言われないことが肝要なのだ。奇をてらった面白さ(美味しさ)よりも、嫌われない(飽きられない)ための平均的なクオリティが求められるのだ。

 そう、朝ドラの肝は、「枠」の安定的運用である。工業製品のように、毎作品、一定のクオリティのドラマを量産することが何より大事なのだ。

朝ドラは一日にしてならず

 かように、朝ドラに求められるのは、際立った面白さではなく、平均的クオリティである。そして、それをもたらしてくれるのが「7つの大罪」というワケ。
 その黄金法則に沿ってドラマを作ってさえいれば、工業製品のように一定のクオリティの朝ドラが量産できるのだ。

 ――とはいえ、先に示したように、その「7つの大罪」は一朝一夕で生まれたわけではない。朝ドラのスタートから16年ほどは様々なパターンが模索され、試行錯誤の末に、ようやく確立されたのだ。そう、朝ドラは一日にしてならず――。

 では、いかにして、その黄金法則が朝ドラの歴史の中で育まれたか。いよいよ、その謎を紐解きたいと思う。

文字通り、連続テレビ小説だった

 朝ドラ――NHK連続テレビ小説は、現在放映中の『わろてんか』で97作目になる。歴史的な100作目は2019年4月のスタートだ。

 そんな朝ドラの歴史が幕開けたのは、今から半世紀以上前の1961年(昭和36年)である。毎朝帯で15分(第1作のみ20分)のドラマを放送する形態は、日本初。その独特のフォーマットは、それ以前に人気を博した同局のラジオ放送の「連続ラジオ小説」を踏襲したものだった。いや、そのラジオ小説も新聞小説が元ネタだから――要するに朝ドラとは、新聞小説のテレビ版である。だから「連続テレビ小説」なのだ。

 記念すべき第1作は、作家・獅子文六の自伝小説『娘と私』だった。
 同ドラマで画期的だったのは、ナレーションを務める北沢彪演じる主人公が、最後まで自身の名前を明かさず、一人称の「私」で通したこと。そのためシーンの大半は彼のモノローグだった。それは、忙しい朝の主婦への配慮だったと聞く。台所仕事の片手間でも、耳で聞いているだけで話のスジが分かるからである。

 そう、今日まで続く朝ドラのナレーションは、そうした経緯から生まれたものである。

そうそうたる作家陣

 黎明期の朝ドラは1年間の放送だった。そして「連続テレビ小説」のタイトルが示す通り、小説を原作とする作品が多かった。2作目以降も、壺井栄、武者小路実篤、林芙美子、川端康成――そうそうたる作家陣の作品が続いた。

 そのため、今のような女性の一代記が定番ではなく、多種多様なドラマが作られた。3作目の『あかつき』は、大学教授の職を捨て、画業に打ち込む主人公を50代の佐分利信が演じた。5作目の『たまゆら』は、笠智衆演ずる定年退職した初老の男が、古事記を手に全国を旅する話だった。なんと、あの笠智衆サンが朝ドラの主人公だったのだ。20代前半のヒロインが活躍する今の朝ドラとは隔世の感がある。

 そう、黎明期の朝ドラは自由だった。

朝ドラの礎『うず潮』

 しかし、実はこの中に、既に今日の朝ドラの礎と言える作品が登場していた。このドラマの成功なくして、その後の朝ドラの歴史はなかったと言われるほど。
 それが――1964年の作品、4作目の『うず潮』である。ちなみに、あの『ひよっこ』の舞台設定の年だ。そう、東京オリンピックの年の作品である。

 同ドラマは、『放浪記』で有名な作家・林芙美子の半生を描いた物語だった。これが大ヒットする。平均視聴率は30.2%、最高視聴率は47.8%。この成功を機に、それまで数多あるドラマ枠の1つに過ぎなかった朝ドラが、国民的ドラマとなったエポックメーキングな作品となった。

『うず潮』がヒットした理由

 なぜ、『うず潮』はヒットしたのか。
 1つは、舞台となった時代背景だろう。ヒロインのモデルになった林芙美子は1903年に生まれ、51年に没している。その間、日本は関東大震災に日中戦争、そして太平洋戦争と未曽有の大事件を経験した。前編でも述べた「戦争が物語を作る」である。

 また、ヒロインが青春期を過ごした大正から昭和初期に至る時代は、視聴者に大正ロマンや昭和のモボ・モガといった古き良き時代のノスタルジーを想起させた。これも人気を博す要因となった。

大阪制作が生んだ“新人抜擢”

 いや、それだけじゃない。『うず潮』は、初めてNHK大阪放送局(略称:BK)が制作したことでもエポックメーキングな作品だった。この年、昭和39年は東京オリンピックの年。そのため、東京のNHK放送センター(略称:AK)はその準備で手が回らず、朝ドラの制作は大阪にお鉢が回ったのだ。
 その結果、後の朝ドラに大きな影響を及ぼす、思わぬ副産物があった。――主役への新人抜擢である。

 先に述べたように、それまで朝ドラの主役と言えば、佐分利信や笠智衆などの大物俳優が起用されるものだった。しかし大阪制作だと、1年間にわたって大阪に拘束される。その条件を呑んでくれる役者探しは容易でなかった。
 そこで、仕方なく関西新劇界の新人・林美智子を抜擢する。弱冠24歳。ところが――これが怪我の功名となる。

ヒロインに親目線の視聴者

 朝ドラの主要視聴者である主婦の平均年齢は50代。彼女たちからすると、24歳のヒロインは娘である。つまり親目線になる。かくして、ヒロインの林美智子はたちまちお茶の間の人気者になった。そして、その年の『紅白歌合戦』の紅組司会者にも抜擢される。そう、今日では恒例となった朝ドラヒロインの紅白の司会起用も、この年が最初だったのだ。

 いかがだろう。
 「戦争が物語を作る」に加え、「女の一代記」、「大正・昭和ノスタルジー」、「大阪制作」、「新人抜擢」といった、今日の朝ドラを構成するいくつもの黄金法則が、既にこの作品に見受けられる。
 そして、同ドラマの成功が、あの伝説の朝ドラを生むのである。

伝説の朝ドラ『おはなはん』

 それが、朝ドラ6作目の『おはなはん』だった。
 当初、ヒロインは森光子が予定されるが、クランクイン直前に病気で降板。急遽、白羽の矢が立ったのが劇団民藝の新人・樫山文枝だった。
 同ドラマは、平均視聴率45.8%、最高視聴率56.4%と『うず潮』をしのぐ大ヒット。朝ドラの平均値が40%を超えたのも、最高視聴率が50%を超えたのも、初の快挙だった。
 
 物語は、天真爛漫な主人公・浅尾はなが、陸軍中尉である速水謙太郎と結婚して、日露戦争から関東大震災、太平洋戦争へと至る波乱万丈の時代を、底抜けの明るさとユーモアで生き抜いた女性の一代記である。
 第1話、ヒロインのはなが、訪ねてくる縁談相手の速水を木に登って眺めるシーンは、同ドラマ屈指の名場面だった。後に『あさが来た』の1話でも似たような構図のシーンがあるが、あれは『おはなはん』へのリスペクトである。

『おはなはん』が開拓した黄金法則

 こうして見ると、『おはなはん』のヒットの要因に、「戦争が物語を作る」をはじめ、「女性の一代記」、「新人抜擢」、「大正・昭和ノスタルジー」といった『うず潮』の成功要因が踏襲されているのが分かるだろう。
 でも、同ドラマの成功要因はそこに止まらない。新たに2つの黄金法則を加えたのだ。

 1つは主題歌である。それまでの5作と違い、明るい曲調のインストゥルメンタル。作曲は、今年92歳で亡くなられた小川寛興だった。これ以降、明るい曲調の主題歌は朝ドラの定番となる。視聴者は一日の活力をもらえる音楽を求めていたのだ。いわば朝ドラ・リセット。近年では『あまちゃん』のオープニングが明るいインストゥルメンタルだったが、あれも作曲家の大友良英による往年の朝ドラへのリスペクトである。

 そして、もう1つの要素が、このコラムの前編でも述べた「夫殺し」である。
 高橋幸治演ずる夫の謙太郎。彼が物語の途中で病死することが分かると、女性視聴者から助命嘆願の手紙が殺到した。結局、当初の予定より死期が延ばされた。

 かくして、数々のヒットの黄金法則を生み出した朝ドラ。これ以降、ヒット街道をまい進するかと思われたが――コトはそう単純ではなかった。

試行錯誤の朝ドラ

 『おはなはん』の次の作品は『旅路』と言って、なんと男性が主人公の路線に戻ってしまった。
 さらに、その次の8作目の『あしたこそ』は、若手女性作家・森村桂の半生をモデルにした現代劇。脚本は、朝ドラ初挑戦の橋田寿賀子だったが、視聴率が思うように伸びず、途中、彼女は一カ月ほど休養した。

 9作目の『信子とおばあちゃん』は、10代のヒロインと70代の祖母の共演で女性の一生を表現した異色の現代劇だったが――作り手の思いむなしく、評判は今一つだった。
 そこで10作目の『虹』は思い切って、当時TBSで人気を博した“ホームドラマ”路線で臨むも――これもお茶の間が求める朝ドラではなかった。

 かくして、すっかり袋小路に迷い込んでしまった朝ドラ。気がつけば、かつて築いた黄金法則をどこかへ置き忘れたようだった。
 だが、そこへ救世主が現れる。朝ドラ11作目『繭子ひとり』である。

『繭子ひとり』が教えてくれたこと

 『繭子ひとり』は、昭和46年の作品である。幼くして両親と離れ、親戚の家で育ったヒロインが、郷里の青森から上京して母を訪ね歩く物語だ。原作は芥川賞作家の三浦哲郎である。

 同ドラマは大変な人気を博した。平均視聴率47.4%は、あの『おはなはん』を上回る。これは今もって朝ドラ歴代2位の大記録である。
 ヒットの要因は――思うに「故郷を捨てるヒロイン」にあった。夜逃げ同然で故郷の青森を離れ、失踪した母を探しに上京するヒロイン。物語はそこで、田舎から都会へ絵替わりし、登場人物も大きく入れ替わる。その落差が“物語”を生んだのだ。

 事実、これ以降、「故郷を捨てる」要素は、黄金法則の1つに加わった。「今度の朝ドラの舞台は××」と謳いつつも――途中でその××を捨て、あっさりと上京するヒロイン。観光特需を期待する地元の人々からすると肩透かしだが、これで物語が面白くなるのだから仕方ない。

朝ドラ絶頂期

 半世紀以上に及ぶ朝ドラの歴史の中で、平均視聴率の第1位は1983年の『おしん』である。
 だが、2位から5位までの4作品は、70年代前半に集中している。先の71年の『繭子ひとり』に始まり、続く72年の『藍より青く』、73年の『北の家族』、74年の『鳩子の海』がそう。この4作連続で朝ドラの視聴率TOP5に名を連ねる。70年代前半は、「朝ドラ絶頂期」と呼んでいいだろう。

 但し、一般に僕らが思い浮かべる朝ドラらしい王道路線は、山田太一脚本の『藍より青く』くらい。まだこの時代、黄金法則が定着したとは言い難かった。
 そんな中、74年の『鳩子の海』は朝ドラ史においてエポックメーキングな作品となる。それは、同ドラマが「7つの大罪」の最後の1つを生むキッカケを作ったからである。

1年間から半年間の放送へ

 朝ドラ14作目の『鳩子の海』は、広島の原爆投下で戦争孤児となった記憶喪失のヒロインが、自分探しをする物語だった。
 ヒットの要因は、まさに「戦争が物語を作る」にある。しかし、同ドラマはそれ以上に朝ドラ史にとって重要な意味を持つ。

 それが――脚本家の途中降板だった。物語の中盤、脚本家の林秀彦が制作陣と揉めて降りたのである(その後、復帰)。NHKは急遽、代役の脚本家を立てるが、この騒動を機に、同局は脚本のリスク回避やヒロインの健康管理の意味合いもあり、朝ドラを1年間から半年間の放送に変更する。それも東京(AK)だけで作るのではなく、半分は大阪(BK)に丸投げしたのである。

 そう、大阪に丸投げ――だが、この措置が、朝ドラに新たな飛躍をもたらすことになる。

東阪2班体制へ

 1975年(昭和50年)――。東阪2班体制となった朝ドラは、4月から9月の前期がAKで、大竹しのぶ主演の『水色の時』を、10月から翌年3月の後期がBKで、田辺聖子原作・秋野暢子主演の『おはようさん』をそれぞれ放映した。BKとしては『うず潮』に続く、朝ドラ2作目だった。
 いずれも現代劇を選んだのは、朝ドラが年2班体制に生まれ変わったことへの意気込みもあったのかもしれない。

 そう、黄金法則「7つの大罪」の最後の1つは、この“大阪に丸投げ”したことによる「東阪2班体制」である。
 この結果、いい意味で両班に競争意識が生まれ、視聴率やお茶の間の好みに敏感になったのだ。早速、その成果は翌年に現れる。

朝ドラ中興の祖『雲のじゅうたん』

 昭和50年の朝ドラは、東阪とも現代劇で臨んだが、ここまで読んだ賢明な皆さんならお分かりになると思うが、そんなに簡単に視聴率が取れるほど、朝ドラは甘くない。案の定、どちらも視聴率は低迷した。

 そこで翌年、AKは女性の一代記の王道路線に回帰する。朝ドラ17作目『雲のじゅうたん』である。その辺りのAKの立ち直りの早さは、やはり一日の長の成せる技だろう。
 いや、それだけじゃない。同ドラマは、それまで培われた黄金法則を見事に踏襲したのである。

 朝ドラ『雲のじゅうたん』は最高視聴率48.7%と大ヒット。そして、同ドラマの成功により、以後12年間にわたり、東阪の間で競争意識が働き、朝ドラに安定の時代が訪れる。
 それをもたらしたのが、黄金法則「7つの大罪」だった。

7つの大罪

 そう、7つの大罪――いよいよ本コラムの本題である。
 既に、個々の要素はこれまでの朝ドラの歴史の中でもたびたび述べてきたが、それらは定着するようで、何度も一進一退を繰り返してきた。それがここへ至り、ようやく定着したのである。

 ここで、7つの大罪を『雲のじゅうたん』に当てはめて検証したいと思う。

① 「能天気なオープニング」
坂田晃一サン作曲のインストゥルメンタル。とにかく明るかった。

② 「無駄に前向き」
主人公は日本初の女性飛行家を目指す人物。文字通り“翔んでる”女性だった。

③ 「ぽっと出のヒロイン」
ヒロインを演じたのは当時25歳の新人・浅茅陽子。演技はまだ未熟だったが、とにかくひたむきだった。

④ 「ノスタルジー狂」
舞台は大正から昭和の戦後期まで。大正ロマンから昭和のモボ・モガ、そして戦争へ至る道とノスタルジー色満載だった。

⑤ 「夫殺し」
劇中、志垣太郎演ずる海軍航空隊のヒロインの恋人が、よもやの墜落死。お茶の間の涙を誘った。

⑥ 「故郷を捨てる」
ヒロインの生まれ故郷は秋田である。しかし、彼女は飛行家を目指して上京する。田舎と都会――そのギャップが物語をさらに面白くした。

⑦ 「大阪に丸投げ」
本作は東京(AK)の制作だが、「大阪(BK)に負けてなるものか」との思いが、お茶の間が求める朝ドラを作る原動力となった。よき競争である。

 ――いかがだろう。これが、世にいう朝ドラの黄金法則「7つの大罪」である。そして以降、12年間にわたり、朝ドラに安定時代をもたらすのである。

モンスタードラマ『おしん』の功罪

 1976年の『雲のじゅうたん』から、1988年の『純ちゃんの応援歌』までの12年間、朝ドラは安定の時代を謳歌する。それは先の「7つの大罪」が機能した結果、毎年一定のクオリティの作品が生み出されたからである。

 だが、そんな中に1作だけ、やけに視聴率が目立つ作品があった。いや、低いのではない。逆に高いのだ。1983年の朝ドラ、31作目の『おしん』である。制作はAK、脚本は橋田寿賀子だった。

 物語は、山形県の寒村出身のヒロインが明治から大正、昭和にかけての激動の時代を生き抜く、いわゆる女性の一代記である。途中、関東大震災や太平洋戦争に遭遇するも、希望を失わず、前向きに生きるヒロインの物語だ。
 平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%。その数字は朝ドラの歴代1位であるばかりか、日本のドラマ史においてもダントツの1位を誇る。後にも先にも、こんな怪物ドラマは他にない。

 だが、同ドラマの成功は、皮肉にも朝ドラに悲劇をもたらすことになる。
 実は、『おしん』は「7つの大罪」に必ずしも忠実な作品ではなかった。むしろ異端の作品だった。それが異例の高視聴率を生む一方、後々、朝ドラが低迷する一因も作ってしまったのだ。

『おしん』の何が異端だったのか

 一見すると、『おしん』はそれまで成功した朝ドラを踏襲した作品のように見える。一体、何が異端だったのか。

 1つは、NHKのテレビ放送30周年記念作品ということで、『鳩子の海』以来、実に9年ぶりの1年間の放送になったこと。それまで東京と大阪で、いい意味で競い合っていたのに、大阪が外されてしまった。結果、『おしん』はライバルがいない状態で始まった。まず、これが一点。

 2つ目は、異例の3人の女優によるリレー方式である。少女時代は子役の小林綾子が務め、物語の幹となる16歳から終戦を迎える40代までを名優・田中裕子が演じた。戦後、そのバトンはベテラン乙羽信子に引き継がれた。

 それ以前もヒロインの幼少期を子役が務めることはあったが、せいぜい1週間。それが『おしん』は6週間。もはや1人の女優である。
 そして、メインの田中裕子は時に28歳。既に主役を張る人気女優で、キャリア・実力とも申し分なかった。朝ドラの主役は新人女優というパターンから大きく逸脱したのである。

『おしん』は飛び切り美味しい“おかず”だった

 3つ目は、オープニング曲だ。朝ドラらしい能天気な曲調ではなく、一人の女性の波乱万丈な生涯を想起させる、深みのある楽曲だった。
 それは、こんな思いが込められている。「哀しくて辛い少女期に始まり、厳しい試練の日々の青年期。やがて不運を乗り越え成功を掴むが、雪深いふるさとへの思いを忘れない」――短い曲の中に、これだけの人生が凝縮されたのだ。

 かくして、『おしん』は磐石の体制で制作され、類い稀なる橋田寿賀子の脚本力と、小林綾子や田中裕子ら役者陣の名演技で、予想を超えるモンスター級の大ヒットとなった。
 もう、お分かりだろう。そう、『おしん』は飛び切り美味しい“おかず”として作られたのだ。それまで工業製品のように一定のクオリティを保ち、“ごはん”であり続けた朝ドラのチームワークを乱し、一人美味しい“おかず”を作ってしまったのだ。

 飛び切り美味しいのだから、視聴率は取れる。だが、この成功体験が、後々ボディーブローのように朝ドラを苦しめていくのである。

禁断の果実

 いわば、それは禁断の果実だった。
 問題は、『おしん』がモンスター級にヒットしたことではない。朝ドラの作り手が「面白いドラマを作ろう」と思い立ち、チームワークを乱して、“禁断の果実”に手を出してしまったことにある。その成功体験は朝ドラスタッフの脳裏に深く刻まれた。

 そして、時代は過ぎて昭和が終わり、平成が幕開ける。
 時に、民放の連ドラはフジテレビの月9ドラマを中心に、黄金時代を迎えようとしていた。
 その流れを見て、朝ドラにも野心が芽生える。かつて『おしん』で体験した「面白いドラマを作る」というマグマが、ふつふつとオモテに噴出したのである。

朝ドラから連ドラへ

 時に1992年、朝ドラは前期のBKが橋田壽賀子脚本の『おんなは度胸』で、後期のAKが内館牧子脚本の『ひらり』で臨んだ。共に視聴率もよく、評判も上々だった。翌93年は戸田菜穂をヒロインに、朝ドラ初の医療ドラマ『ええにょぼ』を制作。これもスマッシュヒットした。

 もう、お分かりだろう。これらは朝ドラというより、もはや「連ドラ」だった。『おんなは度胸』は、『渡る世間は鬼ばかり』でお馴染のベタベタな橋田ドラマである。『ひらり』も脚本家随一の角界通として知られる内館牧子による、相撲部屋が舞台の渾身の連ドラだった。しかも主題歌はドリカムである。それまでインストゥルメンタル一辺倒だった朝ドラの主題歌が、同ドラマ以降、歌入りとなるエポックメーキングな作品となった。
 戸田菜穂主演の『ええにょぼ』に至っては、今や連ドラではポピュラーな医療ドラマの先駆けだった。面白くないわけがない。

丁半ばくちの世界へ

 平成に入り、連ドラの黄金時代に触発され、「面白いドラマを作る」という“禁断の果実”に手を出してしまったNHK朝ドラ。
 出足はまずまずだった。朝ドラも民放の連ドラと同じように、いい脚本家といい題材さえ揃えれば、それなりにヒットを出せることを証明したのである。

 しかし、それが“暗黒の中世”へと至るシグナルだった。
 長年守り通した「習慣視聴」に頼るビジネスモデルから、一作毎にヒットを狙うビジネスモデルへの転換。守りから攻めのドラマ作りに転換したと言えば聞こえはいいが、要は丁半ばくちの世界に踏み出したのである。

朝ドラ「暗黒の中世」へ

 ここから先の話はあまり長くない。
 朝ドラは90年代から2009年にかけて、緩やかに視聴率を落としていった。出足こそ良かったものの、丁半ばくちに転じた朝ドラは、ひと度失敗すると、そのダメージが直に響いた。

 思い出してもらいたい。朝ドラは習慣視聴の番組である。大事なのは、枠の安定的運用である。それゆえ、視聴者に飽きられない「ごはん」の立ち位置が求められた。
 しかし、ひと度「まずい」と思われると、視聴者は“枠”自体から離れてしまう。そして二度と戻ってこない。単に1つの作品が嫌われただけでは済まない。これが繰り返され――朝ドラは徐々に数字を落としていったのだ。

 そして、09年の『ウェルかめ』に至り、遂に平均視聴率13.5%と、歴代最低記録を更新したのである。
 まさに、失われた20年――それは朝ドラにとって「暗黒の中世」だった。

朝ドラ・ルネッサンス

 しかし、明けない夜はない。
 2010年、朝ドラ82作目の『ゲゲゲの女房』で見事、同枠が復活したのは前編で紹介した通りである。
 まさに、朝ドラ・ルネッサンス。

 その最大の原動力となったのが、ご存知「7つの大罪」である。
 『ゲゲゲの女房』をはじめ、『カーネーション』、『あまちゃん』、『ごちそうさん』、『マッサン』、『あさが来た』、『とと姉ちゃん』、そして『ひよっこ』――評判になった朝ドラは、どれも「7つの大罪」に沿って作られたのである。

 え? それぞれ、どう当てはまるのか、個々に解説してほしい?
 いや、ここから先は一つ、あなた自身で考えてほしい。そして答え合わせを――あの本でやるといいだろう。
 そう、あの本でね。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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第28回「連ドラ復活の処方箋」(前編)

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 先の9月22日、朝日新聞と東京新聞の朝刊に奇妙な全面広告が掲載された。大空を背景に、手書きの東西南北を表すマーク。その横に「新しい地図」と書かれた文字。
 同時に、「新しい地図」なるサイトも立ち上がった。そこでは動画も見られた。世界各地の人々が向こう側へと歩く動画だ。皆、背中やカバンなどに、あの新聞広告と同じ東西南北を表す手書きのマークが描かれてある。そんな画面に印象的なコピーが次々に被さる。

「逃げよう。」
「自分を縛りつけるものから。」
「ボーダーを超えよう。」
「塗り替えていこう。」
「自由と平和を愛し、」
「武器は、アイデアと愛嬌。」
「バカにされたっていい。」
「心をこめて、心を打つ。」
「さあ、風通しよくいこう。」
「私たちは、」

――そして、再度あの東西南北のマークが現れ、動画は終わる。

新しい地図=NEW SMAP?

 そう、今さら説明するまでもないですね。先の9月8日に前事務所を退所した稲垣吾郎サン、草彅剛サン、香取慎吾サンの新しいファンサイトの告知である。「東西南北」の頭文字は「NEWS」、そこに地図(MAP)が組み合わさると、NEWSMAP=NEW SMAPである。うまいなぁ。まるで広告屋さんみたいな発想だと思ったら、本当にそうだった。

 これらのクリエイティブを担当したのは、TUGBOATの多田琢氏、ワトソン・クリックの山崎隆明氏、シンガタの権八成裕氏の3氏である。皆、広告界ではヒットCMを量産する大御所ばかりだ。いわば広告界のドリームチーム。ちなみに、アートディレクターはあの2020年の東京オリンピックのエンブレムに一度は選ばれながらも辞退した佐野研二郎氏。一連のアートディレクションは彼の手による。僕は彼の才能を買っているので、今回も素晴らしい仕事だと思う。

ターゲットは世界市場

 とにかく――その「新しい地図」と名付けられたサイトは何もかもが新しかった。3人がかつて所属した事務所はインターネットやSNSでの露出が禁じられていたのに、そのサイトのトップ画面にはFacebookをはじめ、Instagram、LINE、Twitter、YouTube、そして中国のSNSサイトのWeibo(微博)までもが並ぶ。そして言語の選択欄には、英語・フランス語・中国語・韓国語――そう、明らかにターゲットは世界市場だ。

 そして、先の動画の最後には「第2弾配信 10.16」と告知された。果たして、その日――第2弾の動画が配信された。また同じように向こう側へと歩く人々。ん? この後ろ姿はひょっとして――あぁ、やっぱり。最後に振り返ると、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾というオチ。そして、また新たな告知で終わる。『クソ野郎と美しき世界』そして「COMING SOON 2018 SPRING」――。

武器はネット、行先は世界

 それは、3人が主演する、来春公開される映画のタイトルらしい。
 現状、明らかな情報はそれだけである。内容も、監督も、上映形態も何も分からない。ただ――恐らく世界展開を考えると、ネット公開が有力だろう。実際、アメリカでは既に、あのNetflixがネット公開の映画制作を今年から始めており(つまり映画館では上映しない)、カンヌ国際映画祭で絶賛されるなど上々の評判なのだ。もはや劇場公開ばかりが映画じゃない。

 おっと、その前に、「新しい地図」の3人がAbemaTVと組んだ『72時間ホンネテレビ』があった。この記事が掲載される頃には既に放映を終えているけど、恐らく大変な反響だろう。あの『亀田興毅に勝ったら1000万円』を超える同局最大の視聴者数を獲得するのは間違いない。
 あるインタビューで同局の藤田晋社長がその企画趣旨を問われ、こんな風に答えていた。「僕たちはそこにキラーコンテンツが落ちているから、拾いにいっただけです」。
 そう、視聴者が今、一番見たいものを届ける――これこそが、テレビのレーゾンデートル(存在理由)なんですね。その意味では、地上波テレビを差し置いて、新しい地図の3人を生番組で最初に起用した同局の姿勢は、まさにテレビの王道である。

新しい地図が目指すもの

 かように、新しい地図の戦略は何から何まで新鮮だ。同プロジェクトを取り仕切るのは、言わずもがな、かつてSMAPのマネージャーを務めた飯島三智サンである。新しい事務所の名前は「CULEN(カレン)」。その経緯についてはここでは省略するが、彼女が目指そうとしているのは分かる。
 それは、アジア市場を始めとした「世界」である。それを「ネット」を武器に攻める――彼女の描く戦略はシンプルである。

 旧来の日本の芸能界のルールでは、独立したタレントたちはテレビから干されるのが常だった。残念ながら、日本のテレビ界の現状は芸能プロダクションの強い影響下にあり、ドラマもバラエティも情報番組も、彼らのサポートなしでは成り立たない。ゆえに、事務所を独立した者に対して、冷たく対応せざるを得ないのだ。つまり――前事務所を退所した新しい地図の3人に対しても、過分に取り上げることで前事務所の機嫌を損ねたくはないのである。

逆転の発想

 だが、飯島サンはその状況を逆手にとった。テレビの地上波で派手に活動できないのなら、これまで前事務所が距離を置いてきたネットの世界に活路を見出そうと。むしろ、かつての元気さを失いつつあるテレビよりも、ネットのほうが未来があるし、「世界」という市場を考えた時に、スポンサーの広告費で賄われる地上波テレビは伸びしろに限界があるのに対し、ネットの場合、アメリカのNetflixやAmazonプライム、Huluが示すように、そのマーケットは世界規模である。

 そう、逆転の発想だ。あえて地上波テレビから距離を置いて、ネットを主戦場に活動する。サイトの動画をテレビの演出家ではなく、広告界のクリエイターに任せたのも、そういうことである。

モデルは赤西仁?

 実際、既に世界を主軸に活動している元ジャニーズ事務所のアーティストがいる。元KAT-TUNのメンバーの赤西仁だ。

 彼の場合――事務所を辞める前から、既にソロとして全米ツアーを行ったり、初のソロシングル『Eternal』がオリコン1位を獲得したり、米ハリウッドに進出してキアヌ・リーブス主演の『47RONIN』に出演したりと、世界を視野にしていたが、2014年に退所後はさらにその動きが加速。今や活動の幅はワールドワイドである。

 米映画情報サイトの『TC Candler』が毎年暮れに発表する「世界で最もハンサムな顔100人」に4年連続で選ばれる一方、2015年には中国最大のポータルサイトBaiduが開催する『2016爱奇艺尖叫之夜』で日本人初の「アジア人気アーティスト賞」と「年度音楽大賞」の2部門を受賞。さらに16年には、中国のグラミー賞ともいわれる『China Music Award』で、アジアで最も影響力のある日本人アーティストに贈られる「Asian Most Popular Japanese Artist」も受賞した。

 かように、事務所を辞めた赤西仁は、世界を舞台に大活躍している。中でも近年、中国を始めとするアジア圏における活躍が目覚ましい。新しい地図がこれから仕掛けることは、決して無謀ではないのである。

曲がり角に来た芸能プロダクション

 思えば――近年、新しい地図の3人に限らず、芸能プロダクションと所属タレントの関係がうまくいかないケースが増えている。のん(能年玲奈)と清水富美加は、いずれも同じ事務所からの独立劇で揉め、直近では武井咲の結婚・妊娠発表を巡り、2人の交際を認めない所属事務所への反旗とも噂された。少なくとも、4クール(17年4月クールから18年1月クールまで)連続で連ドラの仕事を入れられていた彼女にとって、それは半ば捨て身とも言える電撃発表だった。

 芸能プロダクションとしては、無名の新人時代から大金をかけて手塩にかけて育てたタレントに、売れた途端、独立されるのは納得いかないだろう。その気持ちも分かる。だが、子供はいつか親離れするもの。プロ野球じゃないけど、タレントも一定年数稼いで所属事務所に恩返ししたら、FA宣言して円満に自由になれる道があってもいいと思う。

アメリカの俳優たち

 一方、世界に目を向ければ、例えばアメリカには芸能プロダクションは存在しない。あちらの俳優たちは個人でエージェント契約を結び、彼らにマネージメントを委託し、自らは日々オーディションに挑む。
 かつてはアメリカにも、映画会社が俳優たちを管理する「スタジオ・システム」があったが、70年代以降、役者個人の権利が重んじられるようになり、現在の形態になった。その結果、役者は自由になったが、その分、仕事も自分で探さなければならなくなった。自由とは責任を伴う――そういうことだ。

 恐らく、日本も早晩、現在の芸能プロダクションの形態は機能しなくなるだろう。日本の芸能界はアメリカより半世紀遅れていると言われるが、70年代にアメリカのエンタテインメント界隈で起きたことが、ようやく日本にも起きようとしているのだ。そう考えれば、昨今の事務所とタレントとの独立を巡る騒動は、その過渡期の現象かもしれない。

テレビと芸能プロダクションの関係

 実は、そんな風に曲がり角に来ている芸能プロダクションの存在は、テレビ局にも影を落としている。
 一般に、連ドラがヒットすると、真っ先に評価されるのは、脚本家と主演俳優である。しかし、プロデューサーとの人間関係もあって“流通”しにくい脚本家に比べて、連ドラの初回視聴率にダイレクトに数字が表れる人気俳優は、各局から引く手あまたになる。そうなると、人気俳優の所属事務所は圧倒的な売り手市場を背景に、強気な商売に出る。一番多いのが、その人気俳優を出す代わりに、自分のところの新人をセットで出してほしいという要望――いわゆる「バーター」である。

 そして、このバーターこそが、今日の“連ドラ冬の時代”をもたらしたのだ。

21世紀、“多牌”になった連ドラ

 テレビ局の側としても、数字の取れる役者は喉から手が出るほど欲しい。自然、バーターの要求をのまざるを得なくなる。だが、最初のうちはほんのご愛敬レベルで済んでいたその手の話が、繰り返されるうちに次第に利権化して、気がつけば、当のプロデューサーですら、自分の作るドラマのキャスティングに口が挟めない状況に陥ってしまった。
 要は――局の上層部と芸能プロダクションとの“政治案件”になったのだ。その種の状況が各局とも顕著になり始めたのが、90年代の終わり頃だった。

 そうなると、ドラマのクオリティが下がるのは目に見えている。出演者は“多牌(ターハイ)”になり、新たに増えた役者をドラマに登場させるために、脚本を書き直すという本末転倒の事態に。近年の脚本のレベル低下を招いたのは、そういうことである。
 本来、作りたい話が先にあって、その役に誰を当てるかを考えるはずが、先に使わないといけない役者たちがおり、彼らのために新たに話を作るという状況に――。
 そんな風にして出来たドラマが、面白いはずがない。

マジックナンバー・エイト

 ラブストーリーを例に挙げる。
 まず、主役の2人がいる。次に、彼らを取り巻く友人たちが3、4人いて、さらにその周囲に目玉のルーキーや全体を締めるベテランがいる。大体、メインの出演者はそんなところだ。MAX8人程度に収まる。
 これ、かのアメリカのNASAが唱える組織学的にも、人間が一度に把握できる最適人数は「8人」であり、意外と理に適っているんですね。いわゆる「マジックナンバー・エイト」。視聴者が登場人物に感情移入できて、物語を楽しめる最適人数が8人なのだ。

 だが、前述のように90年代終盤、気がつけば芸能プロダクションの発言力が増しており、ドラマの出演者が日に日に増えていった。とてもじゃないが、8人の枠に収まり切れないようになった。
 そこで、作り手たちは、ラブストーリーに変わる、新たなドラマのフォーマットを探し始めたのだ。そして、多様なドラマを試すうちに行き着いたのが――群像劇をベースとする「お仕事ドラマ」であった。中でも、刑事ドラマや医療ドラマが重宝された。なぜなら、その種のドラマなら、メインの登場人物が10人以上でも処理できるし、犯人役や患者役で、毎回のように新人や大物俳優を起用できるから。

 そのお仕事路線は、あのドラマの大ヒットで、いよいよ決定的になる。
 『HERO』である。

『HERO』が決定づけたお仕事ドラマ路線

 2001年1月クール。21世紀が幕開けて最初の月9ドラマ『HERO』が放映された。主演は木村拓哉。月9史上初めて「お仕事ドラマ」を前面に謳ったエポックメーキングな作品だった。

 ドラマの舞台は、東京地検の城西支部である。そこには個性的な検事や、彼らをサポートする事務官らがおり、チームは日々、様々な難事件に遭遇しては、その真相を解き明かしていった。
 そんな中、キムタク演ずる主人公・久利生公平は、中卒から検事になった変わり種。普段はラフなダウンジャケット姿の一匹狼だが、一度事件に取り組めば、自らの足で捜査して解決へと導く有能な検事に様変わり。相棒には、松たか子演ずる事務官。2人は事あるごとに衝突しながらも難事件を解決し、次第に信頼関係を築いていく。しかし決定的な恋には落ちない。その辺りがお仕事ドラマとラブストーリーの違いである。

 同ドラマは初回から最終回まで、全話視聴率30%超えを達成した。これは日本の民放ドラマ史上、唯一の快挙である。そして同ドラマの成功は、日本の連ドラ界に大きな変革をもたらす。即ち、これ以降、月9枠にとどまらず、連ドラ界全体に「お仕事ドラマ」が大流行する。

 そして連ドラ界は、長く暗い、下り坂へと突入するのである。

諸悪の根源は脚本軽視

 21世紀の幕開けと共に放映された月9ドラマ『HERO』。
 だが、全話30%超えという偉業を達成するも、それ以降、“月9”は長期低落を続け、とうとう2016年には4クールとも一桁視聴率に沈んでしまった。
 その原因として、連ドラ界における芸能プロダクションの発言力が徐々に拡大して――それに伴い出演者が増加して――彼らを出演させるためにシンプルなラブストーリーからお仕事・群像ドラマへと作品がシフトして――元からいたF1層を中心とする月9ファンが離れてしまった。

 結局、連ドラが失速した最大の戦犯は、“脚本の軽視”である。俗に、「映画は監督」、「舞台は役者」、「ドラマは脚本」と言われるほど、テレビドラマにおける脚本の比重は大きいのだ。
 90年代の連ドラ全盛期は、才能ある脚本家たちが自由に筆を走らせた結果、傑作が生まれたのである。それに対し、昨今の連ドラは、いかに増えすぎた出演者を捌くかに心血が注がれ、もはや脚本家が自由に筆を走らせる環境にない。

海外ドラマが脚本を重視する理由

 そもそも、日本の脚本家は海外と比べて総じて待遇が悪い。橋田壽賀子や倉本聰、山田太一、遊川和彦といった大御所と言われるクラスですら、1話あたりの脚本料は200万円程度だ。一方、アメリカのドラマに目を転ずれば、例えば、『マッドメン』の脚本家のマシュー・ワイナーは、3シーズンで3000万ドル(約33億円)もの契約をテレビ局と結んでいる。1話あたりに換算すると、77万ドル(約8500万円)。これは実に、日本の40倍以上の額である。

 もっとも、アメリカのドラマは基本、無名の役者が主役にキャスティングされることが多い。かのジョージ・クルーニーにしても、『ER緊急救命室』に出演する前は、無名の売れない役者に過ぎなかった。
 なぜアメリカのドラマは、役者の知名度よりも脚本のクオリティを重視するのか?
 ――広く海外へ輸出するためである。
 これについて、アメリカのドラマの出演経験もある真田広之があるインタビューでこう述べている。
 「市場が世界に広がるということは、どんなにマニアックなテーマのドラマでも、国籍、習慣、宗教観を超えて、老いも若きも、物語を理解して楽しめるという普遍性が求められる。コアな題材といっても、一部の年齢層とか一部のファンだけに通用する表現では、通用しない」

 そう、大事なのは、物語の“普遍性”である。もはや一部の年齢層に人気の若手俳優を起用して、どうなる次元の話ではない。それよりも、国境を越えて老若男女が見て、面白いと思われるドラマが求められる。かのディズニーランドが世界中で愛されるように、世界観や物語を掘り下げ、エンタテインメントの“質”を高めることが肝要なのだ。

連ドラ復活のための処方箋

 そこで、最初に戻って、新しい地図である。
 かの事務所の描く戦略は、稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾の3人を旧来の地上波テレビ偏重の芸能活動から脱皮させ、ネットを使った世界展開へと飛躍させること。そう考えると、自ずと、来春公開予定の映画『クソ野郎と美しき世界』の青図も見えてくる。それは、世界市場に通用する“脚本”である。

 そして現状、行き詰まりを見せている日本の連ドラが復活する道も、そんな「新しい地図」が開拓するであろう道を辿るのではないかと予想する。即ち、才能ある脚本家を筆頭に、クリエイター主導でドラマを企画し、それに相応しい役者をオーディションで選考し、ネットを使って世界に売り込む。

アメリカ・エミー賞で起きた“事件”

 今年、アメリカのドラマ界の権威である「エミー賞」で、初めてネット配信ドラマが、最も優れたドラマに贈られる「作品賞」を受賞して話題になった。Huluの『ハンドメイズ・テール/侍女の物語』である。
 更に特筆すべきは、全ノミネート作品のうち、CBSやNBCなどの4大ネットワークのドラマが、3分の1にも満たなかったこと。それは少なからず“事件”だった。そう、アメリカは既にテレビからネットへ、ドラマの主戦場がシフトしているのである。

 ならば――日本のドラマ界も早晩、そうなるかもしれない。テレビ局や芸能プロダクションが衰退し、代わってクリエイティブで勝負する制作会社やネット配信会社が台頭し、役者も真に実力で判定される時代の到来である。

 その時、ドラマはやっと脚本家の手に戻る。脚本家たちは、ようやく面白い作品を生み出せる自由を手に入れるのだ。
 そうなると、次なる課題は1つしかない。どうすれば、面白いドラマを書けるのか?

 後編では、いよいよその核心に迫る――。
                      (後編へ続く)

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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第29回「連ドラ復活の処方箋」(後編)

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今日――2017年11月21日は、映画『私をスキーに連れてって』の公開からちょうど30周年である。

思えば、かの映画の登場は衝撃的だった。80年代、邦画は角川映画を除けば暗黒の時代で、スピルバーグやルーカスなど娯楽志向のハリウッドに比べて、総じて暗かった。主人公は内省的で、四畳半のアパート暮らしで、ストーリーも面倒くさかった。救いと言えば、女優が脱いでくれることくらいだった。

だが、『私スキ』は違った。
スキー場を舞台にしたボーイ・ミーツ・ガールの物語。音楽はユーミンで、流行りのアイテムも劇中にたくさん登場する。登場人物たちもどこかオシャレ。何より、話が抜群に面白かった。

時に、バブル華やかりしころ。同映画はたちまち時代のアイコンになった。

億単位の決済を20代にやらせた80年代のフジテレビ

なぜ、『私をスキーに連れてって』はそれまでの邦画の潮流に捉われず、突き抜けて明るい娯楽映画にできたのか。
若さである。
同映画の企画を馬場康夫監督がフジテレビに持ち込んだ時、フジ側のスタッフは小牧次郎サンと石原隆サン。共に20代半ばだった。馬場監督の話すストーリーに2人は興味を示し、なんと億単位の決済を下したのだ。当時のフジは入社3~4年目の若手社員にそんな大金を任せていたのである。

時に、フジのトップはジュニアこと鹿内春雄議長。まさに「楽しくなければテレビじゃない」を地で行く社風である。そんな“若気の至り”で生まれた映画が、面白くないわけがない。

平均年齢26歳が作った映画

思えば、同映画の企画に携わった人々は皆、一様に若かった。前述の2人に加え、脚本家の一色伸幸サン、フジのプロデューサー(当時)の河井真也サン、小学館のプロデューサー(当時)の倉持太一サン――etc.皆20代だった。一番年長の馬場監督ですら30歳そこそこ。
いつしか周囲の人たちは、そんな若者たちが企画に没頭する同映画を評して、「平均年齢26歳が作った映画」と呼ぶようになった。

ちなみに、同映画で原田貴和子演ずる真理子が「オンナ26、いろいろあるわ」と明るく吐き捨てる名シーンがあるが、三上博史演ずる主人公ら劇中の幼馴染み5人組もまた、26歳の設定である。

同時上映のB面だった

意外に思われるかもしれないが、映画『私をスキーに連れてって』は、同時上映の『永遠の1/2』のB面扱いだった。
『永遠の1/2』は直木賞作家・佐藤正午を原作に、根岸吉太郎監督と時任三郎・大竹しのぶ主演という盤石の布陣で作られた文芸作品。当然、A面扱いだ。クランクイン直前まで日立製作所のサラリーマンで、劇場公開映画を初めて手掛ける馬場監督が太刀打ちできる相手じゃない。

だが、この“2本立て同時上映”というシステムがあったからこそ、『私スキ』は世に出ることができたのである。

新人監督がデビューできるチャンス

かつてのレコードにもA面とB面があった。A面はヒット狙いで大御所の作曲家・作詞家陣を起用するのに対し、B面は時に新人の作家陣を起用した。いわゆるお試し枠である。
映画の同時上映も同じだった。1本は大御所の監督を起用してヒット狙いで臨むが、もう1本は新人監督などのお試し枠。そのシステムが、新人が世に出る機会を提供し、新陳代謝を生み出したのだ。

しかし――シネコンが普及した現在、劇場客は入れ替わり制になり、1日の上映の回転数を上げることが優先されるようになり、2本立て同時上映は激減した。21世紀の映画界は、新人監督が世に出るチャンスがめっきり減ったのである。

それはヒットの定石の宝庫だった

平均年齢26歳の若者たちによる企画の立ち上げ、2本立て同時上映による新人監督のデビュー――だが、それだけで映画はヒットしない。

実は、『私をスキーに連れてって』は、映画がヒットする定石に沿って作られたものだった。それゆえ、若者たちのハートを掴み、時代のアイコンになり得たのだ。少々前置きが長くなったが、今回のテーマは映画やドラマがヒットするための“定石”である。

『私スキ』に込められた16の定石

では、早速、『私スキ』に込められたヒットの定石を見ていこう。都合、それは16個ほど見受けられる。おっと、この先はネタバレも含まれるので、もし映画を未見の方は、見られてから読まれることをお勧めする。

1 映画は静かに始まる

基本、映画は静かに始まるもの。映画とは2時間の疑似体験。その世界に観客を引き込むには、現実世界から静かに入るのが鉄則である。テーマパークのアトラクションのようにいきなりフルスロットルで来られても、せいぜい持って4~5分。静かに入り、気がつけば映画の中に入っていたというのが理想だ。
『私スキ』の場合、三上博史演ずる主人公・矢野の日常のオフィスシーンから始まる。定石通りだ。

2 指針となるプロローグ

そして、大抵の映画は、プロローグにその映画の指針となる1エピソードが来る。同映画の場合、矢野が自宅ガレージでスキーに出かける準備に費やす一連のシークエンスがこれに該当する。ほぼ1カット長回しで、この間、彼はひと言も発しない。愛車のタイヤをスタッドレスに履き替え、ラゲッジにスキーブーツやストックを積み込み、そしてルーフキャリアに板をセットする――そこへ浮かび上がるタイトル「私をスキーに連れてって」。この演出はゾクゾクするほどカッコいい。要は、「この映画は道具に凝ってまっせ!」という監督からのメッセージである。

3 オープニングスイッチ

そして、主題歌である。ここで観客のスイッチが入る。『私スキ』の場合、クルマに乗り込んだ矢野がカセットテープをセットすると、その瞬間、ユーミンの『サーフ天国、スキー天国』が始まる。リトラクタブルヘッドライト(懐かしいですナ)が上がり、いざスキー場へ向けて走り出す。
続いて、原田知世と鳥越マリが西武のスキーバスに乗り込むシーン。もう、ここで観客の心もスキー場へ向かっている。途中、矢野の運転するカローラⅡとスキーバスが関越自動車道の途中で並走するシーンがあるが、並走しているのは彼らだけじゃない。僕ら観客もだ。

4 ヌケ

『私をスキーに連れてって』の撮影期間中、馬場監督は毎日スーツを着て、現場に臨んだ。それは彼なりの映画へのリスペクトを表した美学だったが、直近まで日立製作所に勤めていたサラリーマン上がりの監督に、映画の現場の人々は厳しかった。無理もない。彼らは叩き上げでここまで来た職人たち。突然、外の世界からやってきた広告代理店みたいな男に従う筋はない。
しかし、その時、1人だけ馬場監督の味方になってくれた人がいた。それが今年6月に亡くなられた名カメラマン、長谷川元吉氏である。そして長谷川サンの手により、この映画に圧倒的なゲレンデの世界観がもたらされたのだ。

俗に、日本映画の父と言われる牧野省三が残した映画作りの鉄則に、「1.スジ、2.ヌケ、3.ドウサ」がある。スジは脚本、ヌケは映像、ドウサは役者の演技である。『私スキ』の場合、まさに2の「ヌケ」が圧倒的だった。極端な話、ストーリーを脇に置いても、ゲレンデを主人公たちが華麗に滑走する姿や、セリカGT-FOURがゲレンデをかっ飛ばす(!)シーンでお腹いっぱいである。長谷川元吉サン、ありがとう!

5 ボーイ・ミーツ・ガール

古今東西、映画といえば「ボーイ・ミーツ・ガール」――男女が出会い、恋に落ちる物語が定番である。『私スキ』はまさに、この王道を行ったもの。しかし、それは日本映画が久しく忘れていたものでもあった。いつしか日本映画は、作り手の自己満足に過ぎない、屈折した世界観ばかり描くようになっていたからである。
しかし、映画は観客あってのもの。月並みと言われようとも、「ボーイ・ミーツ・ガール」の原点を忘れちゃいけないのである。

6 繰り返しの台詞

優れた映画に付き物の要素に、繰り返しの台詞がある。同映画の場合、次の3つの台詞が劇中、繰り返し登場する。

〇沖田浩之サン演ずる小杉がカメラ撮影するときの台詞「とりあえず」
〇原田知世サン演ずる優が矢野に対して指鉄砲するときの台詞「バーン」
〇矢野が優のスキーの癖を指摘するときの台詞「内足持ち上げる癖~」

繰り返しの台詞のいいところは、キャラクターを立たせたり、ユーモアが生まれることにある。特に小杉の「とりあえず」は、同映画のいわば緩衝材として、様々な場面で機能する。

7 偶然は1度だけ

しばしばエンタテインメントの命題に上がるテーマである。映画やドラマ作りにおいて、偶然は何度まで許されるか。――答えは「1度」きりである。大抵、それは主人公とヒロインの再会シーンだが、ありえない偶然で2人は再会する。但し、2人が神様からもらえるボーナスはその1度だけ。あとは双方の努力で恋を前に進めなければならない。

『私スキ』の場合、矢野と優はスキー場で運命の出会いを果たすが、矢野に恋人がいると誤解した優は、彼に嘘の電話番号を教える。東京に戻った矢野は優に連絡を取ろうとするが、もちろん電話はつながらない。万事休す――と思われたその時、偶然、会社の中で優と再会する。なんと彼女は同じ会社の秘書課の社員だったのだ――。「なんてアホな!」とツッコみたくなるが、いえいえ、エンタテインメントの世界では、それがたった1度だけ許されるのだ。そう、切札は1枚しか切れないから、切札なのである。

8 「I love you」と言わずして愛を伝える

その昔、夏目漱石が「I love you」を「月がきれいですね」と訳したとされる有名な逸話があるが、直接的な言葉で告白するよりも、その方がずっと情緒があるし、物語的である。
すぐれた映画やドラマも同様、いかに「I love you」と言わずして、愛を伝えるかが勝負になる。例えば、かの木村拓哉を一躍有名にしたドラマ『あすなろ白書』に、キムタク演ずる取手クンが石田ひかり演ずるなるみを後ろから抱いて(いわゆる“あすなろ抱き”)「俺じゃダメか?」と告げるシーンがある。ここで、敢えて「君が好きだ」と言わないところが取手の切なさを表し、同シーンを屈指の名場面に至らしめたのである。

さて、『私スキ』の場合、最大の告白の山場は、大晦日の夜、万座から5時間かけてクルマで志賀へやって来た矢野と誤解の解けた優が再会するシーンだ。この時、矢野は優に間違った電話番号を教えられたことを「やっぱり、間違いじゃなかった(意図的だった)のかな?」と諦めたように語り、立ち去ろうとする。それを「あの」と呼び止める優。この瞬間、夜空に新年を告げる花火が打ち上がる。そのあとの優の台詞がいい。「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」――そして笑顔。
普通なら、それは単なる新年の挨拶だ。深い意味はない。だが、このシチュエーションだと、それは矢野へのOKのサインになる。「私もあなたが好き」と言うより、彼女の奥ゆかしさも表現され、何十倍も洗練された返事に聞こえる。馬場監督曰く、このシーンは一色伸幸サンのオリジナルのアイデアだとか。さすがは名脚本家である。

9 リスペクト

よく言われることだが、映画における優れた作り手とは、過去のヒット作をどれだけ知っているかと同義語である。そして映画作りにおけるクリエイティブとは、0を1にすることではなく、1を3や5にブラッシュアップする作業とも――。
それ即ち、「リスペクト」である。例えば、ルーカスやスピルバーグなどのハリウッドの巨匠たちで、黒澤明監督をリスペクトしている者は少なくない。かの『スター・ウォーズ』が、黒澤監督の『隠し砦の三悪人』をオマージュして作られたのは有名な話であるように。

さて、『私スキ』の場合、作品のベースにあるのは、馬場監督が愛してやまない「若大将シリーズ」と「007シリーズ」である。特に同じスキー映画ということで、『アルプスの若大将』と『女王陛下の007』へのリスペクトは外せない。
そこで、馬場監督が両作品への思いをどう表現したかというと、「007」に対しては、映画ポスターのデザインで伝え(あの原田知世サンを中央にした構図は、初期の007シリーズのポスターをオマージュしたもの)、「若大将」に対しては、かつて青大将を演じた田中邦衛サンのキャスティングだ。『私スキ』において邦衛サンの役どころは、W杯6位の実績を持つ往年の競技スキーヤーという設定。役名は田山雄一郎。言うまでもなく、それは若大将で加山雄三サンが演じた「田沼雄一」から来ている。もちろん、邦衛サンは配役のトメにクレジットされる。

10 マジックナンバー・エイト

優れた映画の鉄則に、主要な登場人物が「8人」以内に収まるというのがある。主人公の男女一組を中心に、周囲にその友人たち。そして敵役がいて、ベテランが締める。これ、かのアメリカのNASAが唱える組織学的にも、人間が一度に把握できる最適人数は「8人」であり、意外に理にかなっているのだ。いわゆる「マジックナンバー・エイト」である。

これを『私スキ』に当てはめると――まず矢野と優の主人公コンビがいて、泉・小杉・ヒロコ・真理子の友人4人。そして竹中直人サン演じる敵役の所崎がいて、ベテラン・田中邦衛サン演じる田山雄一郎が締めるという具合。
見事、8人に収まっている。

11 伏線

そして、映画になくてはならない「伏線」である。優れた映画はこの見せ方がうまい。『私スキ』の場合、映画の終盤でブレイクスルーの鍵となる「志賀―万座直線2キロ」の事実。これを映画の中盤、矢野が万座周辺エリアのジオラマ(立体地図)を見るシーンでさりげなく匂わせている。
この時、上田耕一サン演じるロッジのオーナーの一連の台詞が、物語終盤の重要なシーンをことごとく説明しているのが面白い。こんな具合に。
「ああ、志賀―万座ルートね。いいツアーコースですよぉ」
「夜は無理ですよ、夜は。それにあのコース、春までは滑走禁止なんですよ。相当な難所ですからねぇ、冬に滑るのは自殺行為です」
「直線2キロなのにねぇ。車だと菅平回っていくから5時間近くもかかるんですよぉ。変な話ですよねぇ」――ほら。

12 ユーモア

言わずもがな、「ユーモア」の要素も優れた映画には欠かせない。
同映画の場合、愛すべき矢野の仲間たちが主にこの役割を担う。例えば、矢野とゆり江がくっつくかどうかで泉と小杉が賭けをしたりと、劇中、彼らはことあるごとに賭けをする。曰く「馬券買わないで競馬見たって、ただの家畜のかけっこだからな」(@小杉)。
同映画のコメディリリーフは布施博演ずる泉だが、彼の真骨頂は、優にフラれた矢野を癒そうと、聖心の女子大生を紹介するために電話で呼び出すシーン。しかし、矢野は「そんな気分じゃないよ」と断る。カメラ引くと、外科医の泉は手術前。「相当、堪えてんなぁ」とつぶやき、マスクを上げてメスを受け取る。遊びのためには、1秒も無駄にしない感じが出ていて、かなり面白い。

そして同映画で、最も有名なユーモアのシーンと言えば、サロットの誤配送が発覚して、志賀から万座までウェアを大至急届けなければならないシーン。その任を請け負ったのは、高橋ひとみ演ずるヒロコと原田貴和子演ずる真理子。早速、愛車のセリカGT-FOURに乗り込むが、出発前に2人はドアを開けて雪を掴んでひと言「凍ってるね」――そして微笑む。一世一代の大ピンチなのに、楽しむ余裕も忘れない。これぞ映画の醍醐味である。

13 2つのルート

映画は、いよいよクライマックスへと突き進む。ヒロコと真理子を見送った後、優は偶然、ロビーにある地図を見て、志賀と万座の直線2キロの事実に気が付く。そして意を決して、自らスキーを操り、禁断の――冬場は滑走禁止の――ツアーコースに挑む。一方、セリカチームは4WDの強みを生かして、ゲレンデをガンガンすっ飛ばす。このシーンは同映画最大の見せ場でもある。

やがて、ゲレンデから戻ってきた矢野はロッカーに貼られた優からの伝言を受け取る。そして急いで優の後を追いかける。ここからはタイムレースだ。優と、それを追う矢野のスキーチームが間に合うか、それともセリカチームが間に合うか。クライマックスに向けて2つのルートが並行して進む。そう、観客に2つの視点を与える――これも優れた映画のクライマックスに付きものの鉄則である。

14 すべてのアイテム、シーンには意味がある

ようやく優に追いついた矢野。そこから2人で万座へと急ぐが、なんとコースを外れてしまう。気がつけば夜。そもそも冬場は滑走禁止なのに、夜ともなれば動くと命取りだ。仕方なく2人はビバークの準備に入る。
この時、矢野が「せめて、食べるものでも持ってくればよかったな」とつぶやいたのに対して、優はポケットからチョコレートを取り出す。そう、バレンタインのチョコレートだ。優は食料のつもりで矢野に見せるが、このシーンはあらためて2人の愛の確認になる。
そう、優れた映画というのは、アイテム1つとっても、無駄な見せ方はしないのである。

15 忘れさせる

スキーチームとセリカチーム、2つのルートでクライマックスに向かって進むが、セリカチームが思わぬ横転。やむなくリタイアとなる。残るはスキー組のみだ。こちらはビバークしていたところに、頼りになる仲間たち――泉と小杉がやって来て、いろいろあって、4人で万座へ向かう。
だが、ようやく辿り着いて、サロットの発表会場に走るも、既に記者発表は終わったあと。万事休す――と思われたその時、屋外のステージが賑わっているのに気がつく。見ると、ヒロコと真理子がファッションモデルばりにポージングしている。脇にはボロボロになったセリカ。なんと、間に合ったのだ。誰かに助けてもらったのだろう。横転した時点で観客に忘れさせておいて、最後の最後に復活させる。これぞクライマックスの王道である。

16 最高のアイデアを捨てる勇気

なぜ、観客はセリカチームを忘れたのだろうか――。
それは、主人公の2人が辿るルートこそが「勝つ」と信じたからである。そもそも、その「志賀―万座直線2キロ」という珠玉のアイデアを見つけたからこそ、『私をスキーに連れてって』の企画が生まれのだ。そんな経緯もあり、映画の中に登場するアイデアの重要度で言えば、間違いなくトップに来る。

しかし、だからこそ、最後の最後で捨てる(それをゴールにしない)勇気が試されるのだ。優れた映画とは、自らが見つけた最高のアイデアを土壇場で捨てられるか、それにかかっていると言っても過言じゃない。
そんな勇気が予定調和ではない、珠玉のエンタテインメントを生むのである。

結局、大事なのはタイミングとリアリティ

――以上、映画『私をスキーに連れてって』を題材に、ヒット映画にありがちな定石を16ほど紹介したが、それらはテクニック論であって、実はこれから述べる2つの要素が、優れた映画を作る上で、最も重要な鍵となる。

1つはタイミングである。よく誤解されがちだが、『私スキ』が空前のスキーブームを生み出したワケじゃない。ユーミンが『サーフ天国、スキー天国』を含むアルバム『SURF&SNOW』をリリースしたのは1980年。その辺りから徐々にスキー熱が盛り上がり始め、プリンスホテルを持つ西武がそれをバックアップしたり、ウェアや板も劇的に進化した。さらに85年に関越が全線開通したり、上越新幹線が上野に乗り入れたりして、格段にアクセスもよくなり、日帰りスキーツアーも可能になった。

そうした総合的な背景を見た馬場監督が、「これならスキーブームに便乗できる!」と、映画の企画を思いついたのだ。それは最高のタイミングだった。まず、これが1つ。

もう1つは、そもそもホイチョイ・プロダクションズのメンバーたち自身が重度のスキーフリークで、毎年大晦日から正月にかけて皆でスキーへ出かけるのが恒例行事で、仲間同士で連絡を取り合うためにアマチュア無線(ハム)の資格を取ったり、スキー場を舞台に8ミリ映画を撮ったりと、粋な遊びに明け暮れていた。
そう、映画の中の登場人物たちは、ホイチョイ自身を投影したものだったのだ。つまり「本物」だ。本物は強い。同映画のスキー遊びのシーンに妙なリアリティがあるのは、馬場監督をはじめ、ホイチョイのメンバーたちのリアルな実体験がベースにあるからである。

『私スキ』から生まれたトレンディドラマ

かくして、映画『私をスキーに連れてって』はヒットし、たちまち時代のアイコンになった。多くの若者たちが劇場に押し寄せ、既に熱を帯び始めていたスキーブームはさらに盛り上がった。

そんな観客の中に、一人の男がいた。フジテレビのドラマ班の大多亮サンだ。彼は『私スキ』を見て、大変驚いたという。それまでフジのドラマといえば、80年代の邦画同様、どこか屈折していて、野暮ったく、若者たちから見放されていたからだ。それに対して、『私スキ』は見事に若者たちの心を捉え、とにかくオシャレだった。
「よし、こんなドラマを作ろう!」

――かくして翌88年1月、フジテレビ月9枠でトレンディドラマ第一号となる『君の瞳をタイホする!』が始まった。メインのキャスト陣の一人に三上博史がいたことが、『私スキ』の影響を物語る。

そして、現代の連ドラ事情

それを機に、テレビ界はトレンディドラマの一大ブームが巻き起こり、若者たちをテレビへ惹きつけることに成功する。さらに90年代に入ると、『東京ラブストーリー』を機に、純愛路線が開花。その余波は他局へも波及し、空前の連ドラ黄金時代が幕開ける。

しかし、90年代末ごろから芸能プロダクションが力を持ち始め、連ドラの世界は“バーター”により出演者が増え、やがて“多牌”に。それを解決するために、出演者を増やせる医療ドラマや刑事ドラマなどのお仕事ドラマ(群像劇)が主流となり、かつて恋愛ドラマにハマっていた若者たちは連ドラから離れていった。
そして――気がつけば、視聴率一桁が頻発する連ドラ冬の時代に。

かつて脚本家の時代があった

実は、連ドラが冬の時代を迎えたのは、今回が初めてじゃない。1980年代後半にも1度あった。
そして、その前――1970年代半ばから80年代前半にかけて、ドラマ界は「脚本家の時代」と呼ばれた。それは、映画の真似事から始まったテレビドラマの歴史が、1つの成熟期を迎えたことを意味した。映画とは別の、ドラマならではの作家性が評価されたのだ。

次に示すのが、主に「脚本家の時代」に活躍した脚本家である。

彼らは――『傷だらけの天使』(日本テレビ系)の市川森一、『前略おふくろ様』(日本テレビ系)の倉本聰、『岸辺のアルバム』(TBS系)の山田太一、『阿修羅のごとく』(NHK)の向田邦子、『おんな太閤記』(NHK)の橋田壽賀子、『金曜日の妻たちへ』(TBS系)の鎌田敏夫――等々である。

だが、彼らの時代は長く続かない。
83年に、『積木くずし』(TBS系)が連ドラ最高視聴率45.3%を記録し、さらに堀ちえみ主演の『スチュワーデス物語』(TBS系)などの独特の作風の大映ドラマが話題になると、連ドラ界はターゲットの低年齢化が一気に進み、大味な演出や過激な描写が増え、アイドルの起用が目立つようになった。それは図らずも、ドラマの作家性を後退させることも意味した。
そして80年代後半、連ドラ界は「冬の時代」に突入する。

だが――そんな連ドラの惨状を救ったのも、また脚本家たちだった。

若き脚本家を生んだフジテレビの2つの登竜門

そう、連ドラ冬の時代を救った脚本家たち。彼らを生み、育んだのは、フジテレビの2つの登竜門である。
1つは、1987年に創設された「フジテレビヤングシナリオ大賞」だ。第1回の大賞が坂元裕二で、第2回が野島伸司。同賞の何が画期的だったかと言うと、受賞者を即戦力として起用したこと。間もなく2人は、『東京ラブストーリー』と『101回目のプロポーズ』という大ヒット作を生み出す。
そして、これ以降も、『白線流し』の信本敬子、『ラブジェネレーション』の浅野妙子、『結婚できない男』の尾崎将也、『ROOKIES』のいずみ吉紘ら、綺羅星のごとき精鋭たちが巣立っていった。

そして、フジテレビの生んだもう1つの登竜門が『世にも奇妙な物語』である。
それは、前身番組『奇妙な出来事』も含めて、小牧次郎・石原隆といったフジの歴代“深夜の編成部長”の肝入りで始まった短編オムニバスのドラマ枠だ。こちらも数多くの若手脚本家の卵を世に送り出した。
一例を挙げると、君塚良一、三谷幸喜、飯田譲治、北川悦吏子、岡田惠和、戸田山雅司、江頭美智留、田辺満、野依美幸、水橋文美江、中園ミホ――そうそうたる顔ぶれである。同ドラマが「ドラマ界のトキワ荘」と呼ばれる所以である。

脚本家の全盛期は10年

ここで奇妙な事実に気が付く。
2度の脚本家の時代――1度目は70年代半ばから80年代前半にかけて。2度目が90年代全般である。2つの時代を見比べて気づくのは、それぞれの時代に活躍した脚本家たちが、見事に入れ替わっている点である。
ここで、1つの仮説を発表したいと思う。それは、「連ドラの脚本家の全盛期は10年間」とする説である。

かの宮崎駿監督が映画『風立ちぬ』の中で、偉大なる設計家カプローニに、ゼロ戦の開発者堀越二郎に向かってこんな台詞を吐かせている。
「創造的な人生の持ち時間は10年だ。設計家も芸術家も同じだ。君の10年を、力を尽くして生きなさい」

――創造的な人生の持ち時間は10年。なかなか示唆に富んだ言葉である。恐らくこれは、宮崎監督自身から若きクリエイターたちへのメッセージだろう。これを脚本家に当てはめると、奇妙なくらいに符合する。

【第1次脚本家ブーム】
〇向田邦子/『時間ですよ』(71年)~『あ・うん』(80年)/10年間
〇倉本聰/『2丁目3番地』(71年)~『北の国から』(81年)/11年間
〇山田太一/『知らない同志』(72年)~『ふぞろいの林檎たち』(83年)/12年間
〇鎌田敏夫/『金曜日の妻たちへ』(83年)~『29歳のクリスマス』(94年)/12年間

【第2次脚本家ブーム】
〇三谷幸喜/『やっぱり猫が好き』(88年)~『ラヂオの時間』(映画/97年)/10年間
〇野島伸司/『君が嘘をついた』(88年)~『世紀末の詩』(98年)/11年間
〇北川悦吏子/『素顔のままで』(92年)~『ビューティフルライフ』(00年)/9年間
〇君塚良一/『ずっとあなたが好きだった』(92年)~『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(映画/03年)/12年間

連ドラは時代の鏡

――いかがだろう。連ドラというのは時代の鏡であり、局のプライムタイムの看板枠で、毎週のように高い視聴率を求められる、テレビドラマの中でも最も難しい仕事である。その第一線でヒットを飛ばし続けられるのは、10年前後が目安なんだと思う。いわゆる「時代と並走できる」期間は10年間ということ。
それを過ぎると、魔法が解けるように視聴率から見放される。もちろん、それは脚本家の腕が落ちたワケではない。単に時代とリンクしなくなっただけである。それだけ連ドラというのは、時代と並走する高い感性が求められるのだ。

ヒントは野木亜希子にあり

つまり――何が言いたいのかというと、3度目の「脚本家の時代」を呼び起こすには、何より新しい脚本家じゃないといけないということ。そのヒントは、『逃げ恥』の野木亜紀子サンにある。

実は彼女、かのフジの「ヤングシナリオ大賞」の出身である。しかし、デビューからしばらくは、月9のセカンドライターや同局の深夜枠でくすぶっていた。そんな彼女に「日曜9時」というメジャーな枠を与え、メインライターとして起用したのは、他ならぬTBSだった。そして彼女は見事にその期待に応え、『空飛ぶ広報室』をヒットさせたのである。その後は、『掟上今日子の備忘録』(日本テレビ系)に『重版出来!』(TBS系)、そして先の『逃げ恥』と、ヒット街道をまい進しているのは承知の通りである。

つまり――才能ある脚本家の卵には、積極的に大きめの服を買い与えること。かつてのフジなら、野木サンをいきなりメジャー枠のメインライターに起用しただろうが、それができなかったところに、近年の同局の不振が重なって見える。

物語のパターンは36通り

さて、そうと分かったら、積極的に才能ある若い脚本家を起用するしかない。
しかし、やみくもに何を書いてもいいというワケじゃない。
これまでにも再三述べてきたように、ドラマや映画がヒットする鍵は「温故知新」。世の物語には限られたパターンがあり、古今東西のヒット作の多くは旧作の焼き直しだ。かの劇作家ウィリアム・シェークスピアは物語のパターンを36通りに分類したとされ、それを具体的に体系化したのが、フランスの批評家ジョルジュ・ポルティの「物語の36局面」である。

それは、以下のように分類される。

1 哀願・嘆願
2 救助・救済
3 復讐・復讐に追われる罪
4 近親間の復讐
5 逃走・追跡
6 苦難・災害
7 残酷な、又は不幸な渦に巻きこまれる
8 反抗・謀反
9 戦い・不敵な争い・大胆な企図
10 誘拐
11 不審な人物・問題・謎
12 目的への努力・獲得
13 近親間の憎悪
14 近親間の争い
15 姦通から生じる残虐・殺人的な姦通
16 精神錯乱
17 運命的な手ぬかり・浅慮
18 知らずに犯す愛慾の罪
19 知らずに犯す近親者の殺傷
20 理想のための自己犠牲
21 近親者のための自己犠牲
22 情熱のための犠牲
23 愛する者を犠牲にする
24 三角関係・優者と劣者との対立
25 姦通
26 不倫な恋愛関係
27 愛する者の不名誉を発見
28 愛人との間に横たわる障害
29 敵を愛する場合
30 大望・野心
31 神に叛く争い
32 誤った嫉妬
33 誤った判断
34 悔恨
35 失われた者の探索と発見
36 愛する者の喪失

――もちろん、これら1つ1つが単純に物語になるわけじゃない。いくつかが組み合わさったり、アレンジされたりして、物語が完成する。
要するに、ここで言いたいのは、ゼロから新しい物語を作るのは時間の無駄だってこと。そんな苦労をしても面白いドラマになる保証はどこにもないし、古今東西のヒット作の多くは、旧作をアレンジして生まれたものだ。

おっと、誤解なきよう。旧作をオマージュして、設定を似せる行為は、どんな名監督でもやっていること。それ自体は悪いことではない。いや、むしろクリエイティブを継承していく意味で褒められるべき行為である。なぜなら、映画の世界では、しばしばこんな風に“クリエイティブ”が語られるからだ。

「映画作りにおけるクリエイティブとは、どれだけ過去作品を知っているかと同義語である」

古畑任三郎は100%のクリエイティブ

つまり、「温故知新」とは、旧作をオマージュしつつも、それに現代的要素を加味したり、舞台設定に基づいて内容をアレンジしたり、役者に合わせて当て書きしたりと、バージョンアップすることが肝要なのだ。それらの一連の作業が「クリエイティブ」となる。

例えば、『古畑任三郎』は『刑事コロンボ』へのリスペクトから生まれたものである。しかし、三谷幸喜サンは風采の上がらない刑事を主役に当てるような安易なオマージュの道を選ばず、コロンボが理詰めで犯人を追い詰める「倒叙法」の推理劇の要素の方を重視した。つまり、コロンボの頭脳をオマージュしたのだ。古畑自身は田村正和が演じるだけあって、オシャレに仕立てた。結果、『古畑』は『コロンボ』にひけを取らぬ大傑作となった。

結論――連ドラを面白くする2つの処方箋。
1つは、新人脚本家をメジャーな枠で、メインライターとして起用すること。そして2つ目は、ゼロから新作を生み出す邪念を捨て、優れた旧作をオマージュして、現代風にアレンジすること。そして、その一連の作業をクリエイティブと認識すること。

この2つの処方箋を忠実に服用すれば、必ずや連ドラは復活する。

脚本の9割は既に完成している

最後に、ある高名な脚本家が発した、こんな言葉を紹介したいと思う。
「ドラマを書くにあたって、大まかな設定と主要なキャラクターを決めた時点で、既に脚本の9割以上は完成しています。つまり、自分がアイデアを付加できる部分は1割もないんです」

――これ、どういうことか分かります?
先の話の続きで言えば、まず連ドラを書くにあたって、元ネタとなるオマージュ作品を決める。そして、これを現代風にアレンジして、主要なキャラクターを決める。先生曰く、この時点で既に脚本の9割は完成しているという。まだ1行も書いていないのに、だ。

その脚本家はこう続ける。
「脚本の9割はセオリーなんです。脚本の神様が決めた設計図に従って、こちらはただキーボードを叩くだけ」

そう、セオリー。連ドラの脚本の9割は既に設計図があって、脚本家はそれに従って、書き進めればいいと。言われてみれば、時々、脚本家の武勇伝などで、こんな発言を聞く。
「もう、キャラクターが勝手に動いて、勝手に喋り出すんです」

世に言う“ドラマツルギー”である。俗に「物語が降りてくる」とも言うが、それはアイデアが降臨するワケではない。物語の構造上、既に決められたストーリーがあって、脚本家はそれを模写しているに過ぎないのだ。

『逃げ恥』にも見られるドラマツルギー

例えば、かの『逃げ恥』にも、いくつかのドラマツルギーが見られる。

〇ヒットする連ドラの鍵は「ニコハチ」
大抵の連ドラは10話から11話で構成されるが、ヒットする連ドラに共通するのが「ニコハチ」の法則である。これ、連ドラにとって2話と5話と8話が重要になる法則で、1話は登場人物の紹介がメインとなるから、最初の平常運転の2話、次に主人公とヒロインが一度恋仲になる5話(その後また離れる)、そして主人公の内面が明かされ、最終回への起点となる8話。この3回がちゃんと描かれているドラマは間違いなくヒットする。『逃げ恥』はまさにこの法則に沿って作られている。

〇ラブストーリーなら1クール中、必ずどこかで温泉に行く
連ドラというのは、不思議と中盤あたりになると、決まって美術の予算とスケジュールが切迫してくる。ここで、ロケ回が1回入ると、随分とラクになる。そのため、大抵の連ドラは中盤あたりで温泉に行くエピソードが作られる。視聴者にとっては絵変わりして新鮮だし、出演者にとっても気分転換になる。ちなみに、『逃げ恥』は6話で温泉に行っている。

――と、これらは数多あるドラマツルギーのほんの一例。
もっと知りたい方は、拙著『「朝ドラ」一人勝ちの法則』をお読みください。

『逃げ恥』は他のキャストでも数字が取れた

優れた連ドラは大抵、パクリである。でも、それは悪いことではない。温故知新――エンタテインメントにおけるクリエイティブとは、旧作を現代風にアレンジする作業のこと。それ即ち、オマージュであり、リスペクト。0を1にするのではなく、1を2や5や10にするのが、連ドラのクリエイティブなのだ。

かの『逃げ恥』が成功したのも、古今東西のヒット作をオマージュした結果である。仮に、主役の2人が別の俳優であっても(例えば、みくり役が波瑠、平匡役が高橋一生であっても)、やはり同ドラマはヒットしたと思う。

繰り返すが、ドラマがヒットする際に最も重要なのは、脚本である。『逃げ恥』のヒットの要因を「脚本のおかげ」と正当に評価する姿勢こそ、これから先の日本の連ドラを復活させる最も重要なカギとなるのだ。

そう、第2、第3の野木亜希子は――あなたです。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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第30回 AbemaTV『72時間ホンネテレビ』を検証する

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先の11月2日から5日にかけて、インターネットテレビのAbemaTVで、新しい地図の3人――稲垣吾郎サン、草彅剛サン、香取慎吾サンの『72時間ホンネテレビ』が配信され、大反響を巻き起こしたことはまだ記憶に新しい。
そこで遅ればせながら、かの番組の検証を試みたいと思う。一体この番組は何が目的で、実際何が起きて、何の成果があったのか――。時間を置いて、少し熱が冷めてきた今だからこそ、見えるものもある。どうぞ、しばしお付き合いのほどを。

さて、かの番組、3日間の総視聴数は7,400万を超えたという。さすが、国民的グループと呼ばれたメンバーたちである。その一挙手一投足に国民的関心が集まった証左だろう。インターネットテレビの番組としては、もちろん史上最高である。もっとも、藤田晋社長は1億ビュー行くといってスポンサーを集めたらしいから、そこには届かなかった。

とはいえ、一度もサーバーダウンせず、72時間を無事乗り越えたことは特筆に値する。恐らく、ピーク時の同時視聴者数は100万人を超えただろうから、そのトラフィックに耐えたのは、ネットテレビとしては今後に向けた大きな収穫だろう。

だが、同番組が成し得たのはそれだけではない。その真の目的は別のところにあった。それを探るために、早速中身の検証に移ることにしよう。

社長の豪華別荘でホームパーティー

番組は、稲垣・草彅・香取の3人がAbemaTVの藤田晋社長の豪華別荘に到着するところから始まる。
そうそう、この別荘がムダにいいのだ。SNS上では「なんで社長の自慢話を聞かされなくちゃいけないの」とイマイチ不評だったけど、僕は成功した起業家がちゃんといい暮らしぶりを見せるのは悪いことじゃないと思う。何より、この番組のオープニング・ブロックは「ホームパーティー」なのだ。AbemaTVの社長の別荘を使うのは至極自然である。地上波のテレビならスタジオに部屋のセットを組むだろうが、そこにリアリティを持たせるのがAbemaTVなのである。

ブレーンは超一流

番組冒頭、3人によるテーマソングが披露された。タイトルは『72』。作詞作曲は元・ピチカート・ファイヴの小西康弘サンだ。リードボーカルを香取サンが取っていることから、かつて『慎吾ママのおはロック』などをプロデュースした彼が依頼された経緯が分かる(香取サンの声質を一番わかっているからリードボーカルにしたんだろう)。
これが、実にいい曲なのだ。いや、小西サンが作ったのだからそうなんだけど、それにしても、かなり気合を入れて作ったのが分かる。

そして、栄えあるゲストのトップバッターは、「世界のヤザワ」こと矢沢永吉サンだった。ビデオメッセージだけど、「新しい扉を開けて進む人、大好きだから」と、顔をクシャクシャにして発する言葉はそれなりに重い。

そう、小西サンのハイ・クオリティな音楽に、「世界のヤザワ」のメッセージ。恐らく、SMAPの元マネージャーで、「新しい地図」を仕掛けるCULENの飯島三智社長のアイデアだろう。暗に、3人を囲む“ブレーン”は超一流であると示している。この辺りの演出は見事である。

目指すはTwitterの世界トレンド1位

ここで、藤田社長から72時間の目標が発表された。それは――「Twitterの世界トレンド1位」を目指すというもの。もう皆さん、お分かりだろうけど、後にそれは「森くん」というワードで達成される。

続いて、稲垣・草彅・香取のSNSデビューが披露された。驚いたことに、この時点で3人の誰もSNSをやったことがなかったのだ。各人の担当は、稲垣サンが「ブロガー」、草彅サンが「ユーチューバー」、そして香取サンが「インスタグラマー」である。文章・演技・芸術と、それぞれの得意分野を生かした担当分けだろう。

前代未聞のスクショ選手権

そして、この番組を象徴する前代未聞の通し企画も発表された。それは、視聴者参加の「スクショ選手権」なるもの。72時間の配信中、気に入った場面をスマホで“スクショ”(スクリーンショット)して、タグをつけて自由にSNS上に投稿していいという。

これは画期的だった。
元来、テレビの世界は著作権にはうるさい。その真逆を行く行為である。だが、結果的にこれが72時間を通して、同番組の最大の“番宣”となる。
それはまるで、かつて撮影NGだった国内の音楽イベントが、海外のフェスを起点に撮影OKとなり、今やSNSの拡散をむしろ奨励するようになった現象を彷彿とさせた。

SNS発で番組を見るスタイル

そう、AbemaTVの先進性は、人々がテレビを見る動機付けに、新たに「SNS発」を加えた点にある。同テレビの利点は、外出先でもスマホがあれば、いつでもどこでもテレビを見られることだ。
実際、今回、Twitterのタイムラインに森くんとの4ショットが大量に流れ、それに触発されてスマホのアプリを立ち上げ、番組を見た人も多かったと聞く。これはAbemaTVが発明した新たな視聴スタイルである。

その後、番組はしばし藤田社長の別荘内の探索に費やされ(ここで渡辺篤史サンを呼べばもっとよかったのに)、程なくして客人が到着する。いよいよ番組のオープニングを飾るホームパーティーの開催である。

パーティーの本当の目的

このホームパーティー自体は大したことはない。お土産を渡して、飲んで食べて、カラオケして、パットゴルフして、クイズやゲームに興じる――そんなところだ。
だが、パーティーの真の目的はそこじゃない。大事なのは、誰が来て、何を喋ったかである。ちなみに参加者は――伊達公子、橋下徹、カンニング竹山、メイプル超合金、織田信成、矢口真里、フォーリンラブ・バービー、みちょぱ(池田美優)、岡本夏美、柳ゆり菜、爆笑問題――である。

まず、爆笑・太田サンの暴言がSNSを賑わせた。もちろん、想定の範囲内だ。要は、「飯島を呼べ!」や「木村、見てる?」みたいな発言の真意は、ゲストが喋る分には、基本タブーはないと飯島サンは伝えたかったんだと思う。

もう1つのポイントは、ゲストたちの所属事務所である。タイタン、サンミュージック、アップフロント、ナベプロ、エヴァーグリーン・エンタテイメント――etc. ちなみに、エヴァーグリーンはバーニング系のプロダクションである。

誰が来なかったか

要は、それらの事務所は「新しい地図」に協力しますよ、というスタンスである。ちなみに、これ以外に72時間の番組中に訪れたゲストの所属事務所は――浅井企画、人力舎、マセキ芸能社、スターダスト、オスカー等々。

反対に、72時間中、一組もゲストを派遣しなかった事務所もある。ジャニーズ事務所を筆頭に、大手では吉本興業、ホリプロ、アミューズ、レプロ・エンタテインメント、そしてエイベックス等々――。

そう、誰が来なかったか――。
今後の「新しい地図」の展開を知る上で、この点が重要な鍵になるのだ。

陰のプロデューサー・香取慎吾

賑やかなパーティーも終わり、部屋は再び稲垣・草彅・香取だけになった。ここからは3人だけの生トークのブロックである。
だが、ここで早々に香取慎吾が席を外す。残された稲垣・草彅は「あいつ、飲みすぎじゃないか?」と心配するが、実はこれは香取サンの巧妙な作戦。2人っきりにして、彼らの思い出話を引き出そうというのだ。確かに3人よりも、2人のほうがよりディープな話が聞けそうである。

そう、ここで視聴者は気がつく。この番組の陰のプロデューサーが香取慎吾であることを。恐らく、番組全体の大枠の構成は、飯島サンと彼の2人で考えたものだろう。実際、この後に、草彅サンが「別荘を使わせてもらったお礼に、慎吾に絵を描いてもらおう」と提案するが、香取サンは「俺の知らないところで打ち合わせしたワケね」と暗に自分が全体の仕切りに携わっていることを匂わせた。

新しい別の窓=AbemaTV

そうそう、この3人の生トークのブロックで草彅サンが作詞作曲した歌も披露された。タイトルは『新しい別の窓』――略して『アベマ』である。これが意外にも(と言ったら失礼だが)いい歌だったのだ。彼はマイクの前で普通に歌うよりも、ギターを弾きながらのほうが断然歌がうまく聴こえるのは気のせいだろうか。

それにしても、この『新しい別の窓』というタイトルは秀逸だ。AbemaTVの持つ、既存のテレビとは違う可能性を示しつつ、3人の「新しい地図」も掛けてある。名コピーライター・草彅剛の誕生である。

登場、三谷幸喜

番組はその後、香取サンが藤田社長の別荘のスカッシュ部屋に御礼のイラストを描いたりと色々な展開を見せるが、ここでは省略する。

2日目を迎え、時間は午前11時。堀越高校の教室に、あの男が待っていた。三谷幸喜である。
ここから2時間は、彼のブロック。その内容は、教室を舞台に3人が出演する5分間のミニドラマを撮るという。しかもゼロから脚本を作り、リハーサルを重ね、本番に臨む。それら全てを2時間でやるという。

僕は同番組において、この三谷サンのブロックが最大の収穫だったと思う。三谷幸喜という大物ゲストに2時間を預け、1つの作品が出来上がる過程を生で見せる――こんな贅沢な時間の使い方は、地上波のテレビじゃ絶対にできない。
逆に言えば、こういう演出ができると分かったことが、同番組の最大の収穫だったと思う。

地上波のテレビはそれこそ1秒単位でテロップを入れたり、ナレーションを足したりして、絵を作っていく。一方、ネットテレビは“生”の特性を生かして、SNSと連動しながら視聴者を誘導する――どちらがいい悪いではなく、互いに棲み分けをしながら、テレビ界全体が盛り上がればいい。

スターダストの2人にインスタを習う

三谷監督のミニドラマの撮影も無事終わり、3人は次の目的地へ向かう。今度は2人のイケメン俳優にInstagramを教えてもらうという。
1人目は、男性インスタグラマーでフォロワー数日本1位の山﨑賢人サンだ。3人は、彼からSNOWのやり方を習う。今や若手トップ俳優にインスタを教えてもらうなんて、なんとも贅沢な番組だ。

続いて3人は、山﨑サンの事務所(スターダスト)の先輩でもある山田孝之サンの元を訪れる。ちなみに、山田サンもインスタ男性部門2位である。
で、この山田孝之サンがなかなか面白かった。

2017年で最も面白い男・山田孝之

この日、山田孝之サンは、自らがプロデュースする映画『デイアンドナイト』のクランクインで訪れた秋田から、藤田晋社長が所有するプライベートジェットに乗って帰京したという。まず、そこから面白いが、なんと彼が3人と待ち合わせした場所は、原宿の人気スポット――スティーブン・パワーズの巨大なストリートアート『NOW IS FOREVER』の前だった。普通に人々でごった返す(しかもこの日は祝日である)場所に、普通にたたずむ山田孝之サンがまた面白い。

それから一行は、山田サンの先導のもと、インスタ映えするスポットを目指して原宿・神宮界隈を探索する。ここで何が感心したって、山田サンが3人の初歩的なSNSの質問にも懇切丁寧に答えていたこと。恐らく、この72時間で3人が最もSNSを学べたのは、“山田先生”からじゃないだろうか。
さすが、2017年で最も面白い男・山田孝之である。

芸能界のドン、登場す

この後、3人はプロレス・デビューや市川海老蔵サンとのキャラ弁対決などをこなし、夜も更けて、六本木の思い出の場所へと向かった。
そう、2016年12月31日のSMAP解散の日にメンバーで集まり食事した「炭火焼肉An」である。そこには芸能界のドンが待っていた。
堺正章サンである。

芸能界のドンを前に、委縮する3人。
草彅「やっぱり、緊張しちゃいます」
堺「よそうよ、よそうよ。今日は無礼講……無礼講にも限度があるけどね」

――これだ。これぞマチャアキ節。とはいえ、その笑顔の裏には、田辺エージェンシーをはじめ、芸能界に強い影響力を持つ華麗なる人脈が連なる。“芸能界のドン”とは、単なるベテラン・タレントへの比喩ではないのだ。
そして始まった食事会。個室のテーブルの上座にドン、3人は向かい合う形である。まるで面接を受ける就活生のようだ。

終始笑みを浮かべながら、3人に芸能界で生きる覚悟を問うドン。恐縮しつつも、前向きな答えを発する3人。SNS上は「3人が可哀想!」「顔が強張ってる!」といったネガティブな書き込みが散見されたが――そもそもこの場をセッティングしたのは「新しい地図」を仕切る飯島サンである。そこには、彼女なりの思惑があった。

転校生を守るクラスの番長

普通、芸能人が長年お世話になった事務所を辞めて独立すると、相手が大手の場合、芸能界では干されるのが通例である。テレビのレギュラーから外されたり、CM契約も延長されなかったり――いわゆる芸能界の悪しき“忖度”が働く。
しかも3人は、『72時間ホンネテレビ』という異例の船出を果たしたばかりである。旧来の芸能界の風当たりは強いだろう。どの芸能事務所も、どう彼らに接していいのか、正直戸惑うところである。

そこへ芸能界のドン、堺正章サンだ。この会食は、要はドンが3人にお墨付きを与えたということ。例えて言うなら、3人の転校生がクラスメート全員から無視されようとしていたところに、「あれは俺のダチだから」とクラスの番長が味方してくれたようなもの。
これで、3人は今後も芸能界という“クラス”で生きていけるのである。

運動会が教えてくれたこと

そして番組は3日目を迎える。この日は朝から運動会が行われた。
とはいえ、バラエティ番組などでよく見る運動会だ。内容自体は大したことはない。ここもオープニングのホームパーティー同様、見るべきポイントは1つしかない。“誰が来なかったか”である。

ちなみに参加者は――司会のずん・飯尾、はるな愛を筆頭に、ボビー・オロゴン、永野、ギャオス内藤、薬師寺保栄、花香よしあき、亀田興毅、ジャイアントジャイアン、スパローズ、森脇健児、野村将希、野村祐希、武尊、テル、あかつ、オラキオ、シューマッハ、インディペンデンスデイ、所英男、立石諒、屋舗要、猫ひろし、お侍ちゃん、ドドん、瀧上伸一郎、イワイガワ――

見ての通り――吉本芸人が一人もいなかったのだ。
それでも、ずん・飯尾サンの進行は安定して面白かったし、全体的に盛り上がったし、3人も結構ノッて楽しんだ。つまり――非・吉本芸人でもちゃんとバラエティが成立すると分かったことが、このブロック最大の収穫だろう。

浜松オートレース場へ

そして、番組は72時間で最大のサプライズを迎える。
バスに乗り込む3人。行先は、浜松オートレース場である。そう、SMAPからオートレーサーに転身した、あの森且行サンに会うために――。

この日、浜松オートレース場では「日本選手権オートレース」の開催中だった。オートレースの中で最も伝統と権威のあるレースで、年に5回しかない「SG」と呼ばれる最高クラスのレース(競馬でいう「G1」みたいなもんですナ)の1つだ。森選手が出場するのは、その準決勝。ここで上位2着までに入ると、翌日に行われる優勝戦に出場できるという。

オートレーサーは全国に400人ほどいるので、準決勝枠の32名に入った時点で、森選手は「S級」と呼ばれる堂々のトップレーサーなのだ。

「森くん」が世界トレンド1位に

午後0時15分、3人は浜松オートレース場に到着、早速VIPルームに通される。まだ森選手のレースが行われるまで少し時間があるので、ここで彼らはフリーアナウンサーの井上英里香サン(彼女はテレビ埼玉で森選手が所属する川口オートの専属リポーターである)からオートレースの講習を受ける。

そして試しに、森選手が出場する1つ前のレースの車券を購入する。その時だった。なんと「森くん」というワードがTwitterの世界トレンド1位になったのだ。時計の針は午後1時11分。同番組が冒頭で掲げた目標が、この時点で達成されたのである。

香取慎吾の目に涙

そして午後2時過ぎ、いよいよ森選手がレース場に顔を見せる。まず、練習走行が行われるが、この時、走りながらチラッと3人のいる観覧席を眺める森選手。思わず感極まった香取サンが目頭を押さえる。
香取「泣いてないです……」
草彅「お前、泣いてるの?」
香取「泣いてない、泣いてない……」

3人が買った車券は当然、森選手の単勝狙いである。ちなみに、森選手が1位になると、賞金は“72”万円。偶然の一致だが、なんとも運命的な数字である。

午後2時20分、レーススタート。森選手は最初こそ4番手だったが、3周目で最後尾になると、あとはそのままの展開が続き、結果は8位、最下位に終わる。現実はドラマのようにはいかない。ここで3人も視聴者も、森選手が挑む世界が厳しいものだと、あらためて思い知らされる。
ちなみに、レース結果は「7―2」。ここでも、その数字に何か運命的なものを感じる。

21年ぶり歴史的共演へ

さて、レースも終わり、3人はレース場のバックヤードに案内される。通常、レース中は不正防止のために選手は外部との接触は禁じられるが、3人は特別な許可を受けたのである。

午後3時5分、森且行サンが姿を現す。小走りで3人の元へと駆けつけ、抱擁を交わす4人――この4ショットは“スクショ”され、Twitterのタイムラインに氾濫する。恐らく、この写真を見て、慌ててスマホのアプリを起動して、同番組を視聴し始めた人も多かっただろう。

森「緊張したよ……」
草彅「焦った?」
森「あぁ、焦った、焦った(笑)」

冗談を言い合う4人の姿は、21年前と何も変わらない。感極まって再度森サンに抱きつく香取サン。「デカいな」と笑いながら抱きしめ返す森サン。
この時の香取サンは、少年・香取慎吾に戻っていた。

思い出話に3時間以上

森サンは3人を食堂へと案内する。そして思い出話に花を咲かせるかつての仲間たち――。
この時、特に印象的だったのは、森サンと香取サンの関係だ。当時、2人はよくプライベートで一緒に過ごす時間が多かったという。2人の年齢差は3歳だが、10代でその差は大きい。いわば兄弟のような関係だ。傑作だったのは、香取サンが昔、森サンに呼ばれて自宅に遊びに行った時の話――「来いよと言われていったら、見たことのある芸能人の女の人がいた」

そんなぶっちゃけトークも交えつつ、続いて3人は森サンの案内で宿舎からレース場、そして整備場を見て回る。初めて目にするオートレースの世界。フェンスに張られた森選手の横断幕の前に座り込んで空を見上げる4人の姿は、まるで青春映画の1シーンのようだった。

結局、3人が森サンと別れ、オートレース場を後にしたのは、午後6時23分。なんと3時間以上も思い出話に花を咲かせたのだ。いや、オートレース場に来てからカウントすると、実に6時間以上も滞在したことになる。こんな贅沢な時間の使い方は、地上波じゃ絶対にマネできない。

最終日は個別行動に

4日目(最終日)は、3人別れての個別行動となった。
草彅サンはユーチューバーとなり、数々の「大実験」企画を慣行した。稲垣サンは「もしもの結婚式」と題し、道で“ナンパ”したカナさんとの疑似結婚披露宴を行った。そして香取サンは特殊メイクで「カトルド・トランプ」に扮し、浅草の雷門でもみくちゃになった。

特に印象的だったのは、香取サンの元へ、かつてのNHK大河ドラマ『新選組!』の共演仲間――佐藤浩市サンや山本耕史サン、谷原章介サンらが激励に駆けつけたこと。香取サンの人徳のなせる業だろう。谷原サンに至ってはサングラスをかけたSPに扮し、浅草寺の人混みの中を終始裏方に徹した。恐らく観客の中には、谷原サンと気づいていない人も多かったに違いない。そんなところにも、役者仲間の“絆”の深さを感じた。

フィナーレは72曲メドレー生ライブ

そして、番組はいよいよグランドフィナーレを迎える。3人による72曲メドレー生ライブである。
歌唱前の香取サンの言葉が印象的だった。「僕らには曲がない。アーティストの皆さんの曲をお借りして、好きな曲を歌いたい」――。

そう、その72曲は、彼ら自身のセレクトだったのだ。
これが、なかなか思わせぶりで、途中、『SOMEDAY』(佐野元春)から『いつか』(ゆず)を歌うくだりがあったり、ラスワンの71曲目に木村拓哉サンが信奉する故・忌野清志郎さんの『雨あがりの夜空に』を持ってきたり――。

この72曲に、3人はどんなメッセージを込めたのか。それをここで分析するのも無粋なので、ぜひ、皆さん自身で考えてみてください。

『72時間~』から見えたAbemaTVの可能性

ここで、ラストシーンの描写に移る前に、あらためて今回の『72時間~』がもたらした意味について考察したい。
それは、「新しい地図」の3人の門出を祝うものであったのは確かだけど、それと同時に、「新しいテレビ」の可能性を示す、いわばAbemaTVのプレゼンだったのではないか。

本コラムでも再三述べてきたが、同テレビが既存の地上波のテレビと大きく異なる点が2つある。
1つは、“視聴の動機づけ”である。従来のテレビがあらかじめ決められたプログラムを流し、視聴者がお茶の間でそれを楽しむ構図なのに対し、AbemaTVは今この瞬間、バズっていることをSNSで喚起し、視聴者はそれに触発され、外出先でもスマホでアプリを起動して視聴する――つまり、“SNS”が視聴の動機づけに欠かせない点である。「テレビを見る→何かが起きる」ではなく、「何かが起きる→テレビを見る」と、動機と結果が既存のテレビと逆なのだ。

大きな時間の流れゆえの“非・予定調和”感

そしてもう1つが、“大きな時間の使い方”である。既存のテレビはそれこそ1秒単位でテロップやナレーション、SEなどの編集が施され、お茶の間に届けられる。常に緊張感のある絵作りが行われる。対して、AbemaTVは2時間なら2時間、設定のみを与えて、その中で起きる化学変化を追う。

そう、だから同テレビは当然、何も事件が起きない時間帯もできる。だが、それゆえ一度何か起きた時の「非・予定調和感」が際立つのだ。
例えば、あの森且行サンとの再会ブロックにおいても、地上波なら3人がオートレース場に着いてから再会までの3時間は15分くらいに編集するだろう。でも、AbemaTVは敢えてその3時間をガッツリ見せる。そうすることで、いざ再会できた時の4ショットの喜びがダイレクトに視聴者に伝わるのだ。

AbemaTVが開いた新しい別の窓

「SNS発」と「非・予定調和感」――その2つが、AbemaTVが既存の地上波のテレビと大きく異なる点である。
そして、ここからが最も大事なことだけど、その“違い”は決して、既存のテレビを脅かすものではない。新しいテレビの在り方の可能性の扉を開いたのだ。

そう、奇しくも今回の『72時間~』の中で草彅サンが歌った『新しい別の窓』――まさしくアレなのだ。既存のテレビとは別の、AbemaTVという全く新しいテレビである。

今回の『72時間~』を、同テレビの藤田晋社長が大きなリスクを背負いながらも推し進めたのは、1つは「新しい地図」の3人の門出を応援したかったからだろう。そこに他意はないと思う。だが、彼はビジネスマンである。当然、それだけのために骨は折らない。
もう1つは――昨今の「若者のテレビ離れ」に対する“次の一手”だったと僕は推察する。SNSを通じて若者に接触し、従来のテレビ的な演出とは違う“非・予定調和”な世界観で、彼らを再びテレビに振り向かせたかったからではないだろうか。

「72」に託された意味――

午後8時47分、ライブ終了。その後、ゲストの方々からの「お疲れ様です」のビデオメッセージが流れた。トリを飾ったのは、森且行サンである。
「これからも、ずっとずっと仲間だから。応援しています」
――その瞬間、普段はあまり感情を表に出さない稲垣サンが手で顔を覆い、泣き出した。つられて後の2人も涙ぐむ。

番組は終わった。総視聴数は72曲目に7,200万を達成し、最終的に7,400万を超えた。
そう、ここでも運命の数字「72」が存在感を発揮した。

もしかしたら、その「72」には、番組を通じて、ここにいない2人へのメッセージも含まれていたのかもしれない。
中居正広と木村拓哉――奇しくも2人とも1972年の生まれである。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第31回 2017テレビマン・オブ・ザ・イヤー

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 ちょっと前の話になるが、先月――11月6日に放送された『しゃべくり007』(日本テレビ系)にゲスト出演したマツコ・デラックスさんが、こんなことを言っていた。
 「こないだ見た? 生放送のヤツ。ユリ・ゲラーみたいになっているのよ。山田君が。山田孝之が日本を元気にする力がありますっていう生放送」
 そしてひとしきり番組の感想を述べた後、最後にこう締めくくった。
 「これは……私がやりたかったって、ちょっと悔しくなっちゃって」

 今やテレビ界イチの売れっ子タレントのマツコさんをして「悔しい」と言わしめる山田孝之という男――。
 今回は、このTVコンシェルジュが独自に制定する「2017テレビマン・オブ・ザ・イヤー」に輝いた俳優・山田孝之について、今年彼が起こした2つの奇跡と、何ゆえ彼が選ばれたのか、その理由について語りたいと思います。

マツコ・デラックスも悔しがった番組

 件の番組は、去る10月6日深夜にテレビ東京系で放送された『緊急生放送!山田孝之の元気を送るテレビ』である。MCはいとうせいこうサン。山田孝之サンがスタジオから、電波に乗せて日本中に“元気”を送るという趣旨。基本、真剣モードだが、怪しさプンプンである。

 実は当初、同番組は別の企画で進んでいたという。それが諸事情あって、件のタイトルになったとか。番組の公式サイトには、こんなお詫び文が載っている。
「テレビ東京では、10月6日(金)深夜0時12分より『山田孝之の演技入門』と題し、役者・山田孝之が役作りの基本から、俳優のあり方まで説く番組をお送りする予定でしたが、急遽内容を変更し、『緊急生放送!山田孝之の元気を送るテレビ』を放送致します」

急きょ、差し替えられた企画という前フリ

 山田孝之の演技入門――そんなクソ面白くない番組がそもそも深夜に放映されるワケもなく――(笑)。
ちなみに、内容変更の理由は「いとうせいこうが水面下で進めていた取材により、山田孝之の周辺で科学的に説明できない不思議な現象が次々と起きていることが明らかになりました。当番組では、いとうせいこうが旗振り役となり、取材を通して不思議な現象を解明し、山田孝之自らが生放送のスタジオで前代未聞の壮大な実験を行います」――とある。ますます怪しい。

そして、その謝罪文は次の一文で終わる。
「また、『山田孝之の演技入門』のゲストとしてお呼びしていた小池栄子、松岡茉優、紀里谷監督にもご出演いただきます」

企画が180度変わったのに、ゲストは同じ――(んなアホな!)。
かくして、番組はオンエア日を迎えたのである。

異様な緊張感に包まれるスタジオ

「時刻は0時15分を回りました。今夜は『山田孝之の演技入門』をお送りする予定でしたが、大幅に内容を変更してお送りします」
水原恵理アナの進行で始まった同番組。スタジオは異様な緊張感に包まれている。水原アナの横には、いとうせいこうサン。2人とも神妙な顔つきである。彼らの後ろには番組タイトル。しかし、紙に乱雑な手書きである。看板の作成も間に合わないほどの緊急の内容変更だったのだろうか――(んなアホな!)。

司会の2人の横にゲストの3人――紀里谷和明監督、小池栄子サン、松岡茉優サンが座っている。3人とも一様に戸惑った表情を浮かべている。

座して目をつぶり、元気を送る山田孝之

 ここで、カメラはスタジオの中央にいる人物を映し出す。椅子に座り、黒装束に身を包み、目をつぶって両手を広げている男――山田孝之その人である。

 水原アナ「あちらでは、山田さんが精神を集中されているように見えるんですけど……何をされているんでしょうか?」
 いとう「もう既に、日本に“元気”を送っていると思います」
 水原アナ「“元気”を送るとは?」
 いとう「テレビをご覧の皆さんは、既に身の回りで不思議なことや、良いことが起きているかもしれません。番組ではそれを募集します。その時々で紹介したいと思います」

 かくして、番組ではTwitter(#山田孝之元気)とメールで、視聴者からの奇跡の報告が呼びかけられた。ここに、伝説の番組が切って落とされたのである。

3人のゲストたち

 いとうせいこうサンが3人のゲストに語り掛ける。
 「紀里谷監督はわざわざアメリカからお越しいただいたワケですが、番組の趣旨は変わりましたが、監督はむしろ……」
 紀里谷「来て、大正解でしたね。山田孝之という男は日本最高峰の俳優だと思いますが、彼がなぜそこまで人を惹きつけるのか。それを見届けたいと思います」
 一方、小池栄子サンは戸惑いを隠せない。
 小池「正直、山田クンのファンですけど……元気を送るというのは抽象的過ぎて……」
 松岡茉優サンは比較的フラットなスタンスである。
 松岡「きっと今日は奇跡の体験ができるだろうし、俳優としての山田サンの新しいステージを見たいなぁと……」

 三者三様だが、注目すべきは彼らが映画監督及び役者という点である。つまり、「演じる」という点において彼らはプロなのだ。
 そう、この番組にとって、彼らはゲストなどという生易しいものではない。欠かすことのできない共演者なのである。それは番組が進むに従い、次第に明らかになる。

未公開テープに映っていた奇跡

 「山田孝之は……元気ですっ!」
 いとうせいこうサンの決め顔とポージングでVTRが始まる。なぜ、この番組が企画されたのか、その趣旨説明である。
 その中で、いとうサンは1本の未公開テープに出会う。それは、山田孝之サンがかつて出演した番組『山田孝之のカンヌ映画祭』(テレビ東京系)の最終回で、山田サンが故郷・鹿児島に帰った際に映されたテープである。

 ――とある森の中。山田サンが池のほとりにたたずんでいる。その時だった。何気に山田サンが池に手を浸すと、数秒後、十数匹の魚たちが一斉に水面を飛び跳ね始めたのだ。続いて、上空では鳥の大群がけたたましい鳴き声を響かせる。単なる偶然とも言えなくもないが、ディレクター曰く、魚と鳥の声がシーンに似つかわしくなく、カットしたという(普通の理由だ)。

 しかし、これを見て、いとうせいこうサンは驚愕する。
 「山田孝之には、何か不思議な力があるのだろうか?」

金魚に“元気”を送る

 スタジオに、水槽が1つ用意される。中には金魚が数匹泳いでいる。今から山田サンが金魚に“元気”を送るという。未公開テープと同じ現象が再び起きるとしたら、金魚が水槽から飛び跳ねることになる。VTRを見た後なので、ゲストたちもいささか興奮している。
 小池「もしかしたら、ものすごい瞬間に立ち会えるのかも……」
 紀里谷「絶対、何か起きますよ。信じてます」

 不意に椅子から立ち上がる山田サン。水槽の前まで来て、おもむろに人差し指を水の中に入れる。
 次の瞬間、金魚たちは動揺したような仕草を見せ(そりゃ指が突然入ってきたら驚くだろう)、そして動きを止めた。
 松岡「(興奮して)固まってる!」
 
 それから金魚たちは、今度は指から離れるように逆向きに泳ぎ始めた(単純に怖がっているのだろう)。
 いとう「(興奮して)金魚が遠のいていく……遠のいていきますね!」

リアル笑ってはいけないショー

 ――ハイ、もうお分かりですね。これは、ある意味「リアル笑ってはいけないショー」。目の前で起きている茶番に、いとうサンはじめ、3人のゲストたちが真剣に付き合っている構図である。絶対に笑ってはいけない。クスリとでもしたら、番組が台無しである。その意味では、本家の「笑ってはいけない」より数段厳しい。もっとも、当の山田サンが一番大変だ。何せ、これは生放送なのだ。

 ゲストたちも、段々乗ってきたのか、次々にサービス発言が飛び出す。
 松岡「金魚たちのツヤが……さっきよりも強くなったと思います!」
 紀里谷「プロだから分かるんですが、発色が全然違いますね」
 小池「私まで……なんだか背中が熱くなってきました」

視聴者参加の大喜利ショー

 実は、オンエアの途中から、画面の下には視聴者からの“奇跡”の報告が続々と寄せられていた。
 一例を挙げると、以下のような報告である。

 ○録画予約を忘れていたのに、勝手に番組が録画されていました。
 ○今、ふと思って財布の中身を確認したら、所持金が777円でした。
 ○片目だけ二重になりました。
 ○カレーの味にコクが出ました。
 ○母が急にご飯を作り始めました。
 ○ケータイの充電がいつもより早く完了しました。
 ○ハイボールがいい感じの濃さで作れました。
 ○飼い犬がいつもと違う向きで寝ています。
 ○飲み会の後、普段はキャバクラに寄る旦那がまっすぐ帰ってきました。
 ○シラスの中にカニが入っていました。
 ○iPhoneのホームボタンが直りました。
 ○シャワーの出がよくなりました。
 ○LとRの発音がよくなりました。
 ○母が起きだして、爪を切り始めました。
 ○衣替えが終わりました。
 ○切れかかった蛍光灯が復活しました。
 ○ギターのFが押さえられるようになりました。
 ○15年前のミニスカートが断捨離できました。
 ○いい下の句が浮かびました。

 
 ――いかがだろう。もはやこれは大喜利である。スタジオのノリと同様、お茶の間もこの番組の空気感に付き合い、大真面目にボケてくれているのだ。
 これぞ、番組とお茶の間の“共犯関係”である。

スタジオ生ライブに踊るゲストたち

 番組のラストは、「山田孝之が元気を送るライブ」と称して、プロのミュージシャンとダンサーたちによるスタジオ生ライブが行われた。彼らは全員、動物の被り物をしている。その前で一心に“元気”を送り続ける山田孝之――。

 スタジオは段々とグルーブ感に包まれていく。動物たちが演奏し、踊る姿は、まるで太古の神々の祈りを連想させた。
 気がつけば、紀里谷監督がカメラを持ち出し、一心不乱に山田サンを撮影している。小池サンと松岡サンの2人の女優は立ち上がって踊り狂っている。
 そんな混濁と狂乱の中――番組は終わった。

ひと言も喋らなかった山田孝之

 結局、70分間の生放送中、スタジオの山田孝之サンはひと言も喋らなかった。ただのひと言も、である。
 ただ目をつぶり、両手を広げ、ひたすら“元気”を送り続けた。

 恐らく、この番組を見終えた人たちは、同じ感想を抱いただろう。「この番組は一体、なんだったんだ?」って。
 でも――考えたら、テレビとは本来、「今この瞬間、視聴者が求めるものを伝える」装置だ。ニュースやドラマ、バラエティといったジャンル分けは後付けでしかない。要は、この番組は、山田孝之という男をどう使ったら一番面白く、お茶の間が喜ぶかを考え、企画されたのだ。

バラエティの可能性の扉を開いた山田孝之

 ここで、僕らはふと気がつく。この番組に係わった人たち――いとうせいこうサンをはじめ、大真面目に茶番に付き合った3人のゲストたち、そして大喜利を通して共犯関係となったお茶の間――結果的に、僕らは大いに番組を楽しんだのは間違いない。もしかしたら、山田孝之サンが送り続けた“元気”の正体は、これだったのではないか。

 バラエティというジャンルに一石を投じ、新たな可能性の扉を開けた『緊急生放送!山田孝之の元気を送るテレビ』――その中心人物である山田孝之サンはある意味、奇跡の男と言って間違いない。

それはドキュメントなのか? ドラマなのか?

 振り返れば、2017年の山田孝之サンは、年の初めの1月から異次元の動きを見せていた。そう――お茶の間はもとより、テレビ業界人たちの間でも「あれは一体なんなんだ?」と話題となった『山田孝之のカンヌ映画祭』である。

 ご覧になられた方なら分かると思うけど、それは不思議な番組だった。ドキュメンタリーっぽいけど、ドラマのようでもあり、1クール全12話で終わった。
 種を明かせば、それはフェイクドキュメンタリーだった。要は、ドキュメンタリーを装ったドラマである。ただ、ちゃんとした台本があるわけではなく、おおよその流れを決め、それに沿ってドキュメンタリーっぽく作られるのだ。

2年前の挑戦

 実は、2年前にも一度、山田孝之サンはフェイクドキュメンタリーを仕掛けている。それが、『山田孝之の東京都北区赤羽』(テレビ東京系)だった。

 物語は、ある日、自分の演技に疑問を抱いた山田サンが心機一転、赤羽に引っ越し、そこに暮らす人たちと交わりながら、役者として再生する話である。
 だが、仕掛けは面白かったものの、正直僕は今一つ乗り切れなかった。ドキュメンタリーの要素が強すぎて、ドラマに昇華していない感じがしたのだ。

目標はカンヌの一等賞

 その点、この『~カンヌ映画祭』は違った。ストーリーが抜群に面白かったのだ。「カンヌ映画祭でパルムドールが欲しい」――そこを起点に物語が転がる。ゼロから映画の企画を考え、役者を揃え、スポンサーを集め、撮影する。そんな映画作りのハウ・トゥが描かれたのだ。

 最初は無謀と思われる夢に挑戦し、試行錯誤を重ねる中で、次第に夢が現実味を帯びてくる――それはサクセスストーリーとして、ドラマや映画の定番のフォーマットである。しかし、これはフェイクドキュメンタリーだ。あくまで現実とリンクしている体なので、本当にカンヌが取れるのか、お茶の間は続きが気になり、つい見てしまう。よく出来た構造である。

呼び出された山下敦弘監督

 物語は、以前『~東京都北区赤羽』でも組んだ山下敦弘監督(映画『リンダ リンダ リンダ』や『天然コケッコー』を撮った結構すごい監督です)が山田孝之サンに呼び出されるところから始まる。
 山田サンはこう告げる。「賞が欲しい。それも映画界の最高峰のカンヌの賞が」
 そう、カンヌ国際映画祭。ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭と並ぶ世界三大映画祭の1つであり、その最高峰。そのレッドカーペットを歩くのは、全ての映画人の憧れである。

既に“圧”が強い山田孝之

 この部分の山田サンと山下監督の会話が面白い。
 「カンヌ行ったことありますか?」と問いかける山田サンに、「カンヌはないけど、ナント(三大陸映画祭)やロッテルダム(国際映画祭)は招待されたことはある」
 山田「そんなハンパなやつではなく、取るならトップのやつを……」
 山下「ハンパではないんだけど……カンヌとは違う」
 山田「行きたいですよね? カンヌ。取りたいですよね? 賞」
 山下「正直、あんまり考えたことなかった」
 山田「だからでしょう。これまで意識してなかったから取れなかった。ここから本気出せば取れますよ」
 山下「本気……そういうことなのかなぁ?」

 それなりに実績のある山下監督に対して、かなり失礼な物言いだけど、既にこの時点で山田サンの“圧”が強い。撮りたい映画があるのではなく、まずカンヌの賞が欲しいと言ってる時点で、かなり嫌なタイプのプロデューサーである。
 だが、このキャラクターなくして、このフェイクドキュメンタリーは成り立たないのだ。

前のめりの山田プロデューサー

 そして始まったカンヌプロジェクト。
 同ドラマは終始、前のめりの山田プロデューサーと、それに翻弄され、付き合わされる山下監督の姿を追っていく。ある意味、真の主人公は山下監督である。

 まず、山田Pは横浜に事務所を借り、さらに「合同会社カンヌ」という会社まで立ち上げ、早々に名刺まで作る。いっぱしの“形”から先行するスタイルに、このプロデューサーの性格が表れている。

 そんな山田Pに戸惑いながらも、映画の企画内容を尋ねる山下監督。すると、題材は決まっているという。かつて実在した身長2メートルの連続殺人鬼、エド・ケンパーという男の話を作りたいと。テーマは「親殺し」である。

暴走する山田機関車

 かなりリスキーな題材に、殺人鬼を演じる俳優選びに苦労するのでは?と尋ねる山下監督。だが、山田プロデューサーは既にアタリはつけてあるという。
 山下「もう決まってるの? 誰なの?」
 山田「楽しみにしててください」

 早速、主演俳優に会いにいく2人。しかし、待ち合わせ場所に現れたのは、ランドセルを背負った芦田愛菜サンだった。
 「え? ちょっと待って」戸惑う山下監督と、どや顔の山田P。

 ――こんな感じで、そのフェイクドキュメンタリーは動き出す。

前代未聞の出資要請

 この後、同プロジェクトは、日本映画大学に行ってカンヌの傾向と対策の授業を受けたり、プロットを作る前からパイロットフィルムを作ったり、それを元に出資者を集めたり――と、山田Pの暴走機関車は留まるところを知らない。プロットがないのにパイロットフィルムを作るなど狂気の沙汰だが、既存の映画作りにこだわりたくないというのが、山田Pのポリシーらしい。

 笑ったのは、出資を要請しに、山田Pと山下監督、芦田愛菜サンの3人で東宝を訪れた時のこと。山田Pが制作費1億円を提示したところ、「やはり脚本がないと……」と困惑する東宝担当者。それを受け、山田Pはこれまで自分が出演した東宝作品の興行収入を積算して「大体500億円ですね」と大人げないリアクションを見せたのだ。クズである。

 結局、東宝をはじめ、大手から断られた山田Pは奥の手として、Twitterで自分のフォロワーであるガールズバーの経営者と接触し、出資を要請する。この辺りの切羽詰まって段々とアンダーグラウンドな世界に足を踏みいれるくだりは、妙なリアリティがある。

カンヌを下見する

 ある日、山田Pは急に「カンヌに行きません?」と切り出す。山下監督が「もう映画祭は終わってるけど」と返すと、山田P曰く、現地の空気を感じることが大事だと。
 芦田愛菜サンも誘うが、彼女は夏休みのラジオ体操を理由に断る。「友だちと皆勤賞を狙ってて、判子をもらわないと……」「どんな判子? 判子ならこっちで作りますよ」と、とんでもないことを言いだす山田Pに、「やっぱりズルは……」と苦笑いの芦田サン。この辺りのやりとりは相当おかしい。山田Pがどんどんクズになっていく。

 結局、カンヌへは山田Pと山下監督の2人で向かうことになり、2人は授賞式の会場を下見したり、タキシードを借りて記念撮影したりと、単なる観光客と化す。

フランスの映画人たちのアドバイス

 とはいえ、さすがにそれで日本に帰るわけにもいかず、2人は複数のフランスの映画関係者と会い、パイロットフィルムを見てもらい、カンヌの傾向と対策をリサーチする。ここでのアドバイスは結構、ちゃんとしており、それなりに使えそうである。
 「一風変わった作品なので、カンヌよりロカルノ(国際映画祭)の方がいいわ」
 「カメラは是枝組の山崎裕さんなのですね。有能なスタッフが関わっているのはそれだけでプラスだと思います」
 「包丁はもっと切れ味がよく見えるように強調したほうがいい」
 「アジア映画については、新しい手法が求められています」
 「最も大事なのは撮りたい場所を1つと、撮りたい俳優を1人見つけることです。場所と俳優が見つかれば、映画ができたも同然です」

 その後、余った時間で、2人はプロットを練る。映画のタイトルは『穢の森』(けがれのもり)である。そう、明らかにあの作品を意識している。2007年にカンヌでパルムドールに次ぐ「グランプリ」を受賞した河瀨直美監督の『殯の森』(もがりのもり)だ。

 そして、帰国した2人に芦田愛菜サンを加えた3人は、その女性監督に会いに行く。だが、ここで山田Pはとんでもない返り討ちに遭う。

容赦ない河瀨直美監督

 河瀨直美監督は高校時代にバスケットボール部キャプテンとして国体出場経験を持つほど、体育会系で男前の性格である。彼女は山田Pにも容赦しない。「そもそも、なんで俳優なのに、プロデューサーしようと思ってんの?」
 「中に入って……ものを作っている実感が欲しくて」と答える山田P。が、それに対して河瀨監督は痛烈なカウンターを繰り出す。
 「それやったら、カンヌとかどうでもいいんじゃない?」

 カンヌをよく知る女性監督の容赦ない問いかけに、答えに窮する山田P――。

クズ化する山田プロデューサー

 ここから、加速度的に山田Pがクズ化していく。
 まず、脚本を作らず、シーンごとのイメージの絵を発注する(コンテとは違う)。この絵をもとにイマジネーションで映画を撮るという。
 次に、劇中に登場する前科持ちの役を、リアルにこだわる余り、実際に前科持ちの人たちを集めて、オーディションで選びたいと言い出す。

 さらには、父親役に起用した村上淳サンに、首つりシーンを吹替えではなくリアルでいきたいと、過酷な練習を強いる。しかし、後日、ふとした気まぐれから森の木の役へと変更し、挙句の果てに歌がもう一つと降板させる。

 ここまでで十分クズだが、極めつけのエピソードがこの後に来る。母親役のキャスティングである。

長澤まさみを脱がそうとする

 山田Pが温めていた母親役のキャスティングが明らかになる。なんと、長澤まさみサンである。
 とはいえ、この母親役が難役なのだ。濡れ場はあるは、全裸で逃げるシーンはあるは、狂い死ぬシーンはあるは――要は脱がないといけない。
 「昔はヌードもいいかなと思ってましたが、大人になって、見え方とか気になって……」
 戸惑いを隠せない長澤サン。当たり前である。何せ脚本すらないのだ。

 後日、山田Pと山下監督、長澤サンの3人だけで話し合いの場が持たれた。全力で脱がしにかかる2人に、言葉を選びつつ、返答する長澤サン。
 長澤「もし、全裸が出演条件の一番なら、お断りしようかな、と……」
 山田「全裸が抵抗あるなら、チラッ、チラッと……片方だけとか」
 長澤「片方?」

 ――クズである(笑)。この翌日、長澤サンから正式に降板が申し入れられる。

クランクインの日、山下監督降板。そして……!

 迎えたクランクインの日、結局、母親役は巨大なオブジェで代用される。
 しかし、これを見た山田Pは迫力が足りないと、この3倍の大きさで作り直してくれと言いだす。しかし、作り直すと3週間もかかり、予算もオーバーする。何より、クランクインのために集まってくれたスタッフをバラさないといけない。それは山下監督としては避けたかった。

 プロデューサーと監督の間で話し合いが持たれた。しかし、平行線。遂には山田Pから山下監督へ決定的なひと言が発せられる。
 山田「帰っていいっすよ」
 山下「これで終わりなの?」
 ――走り出す山下監督。そして、監督の手によりオブジェが爆破される。

 「撮影は延期になりますが、監督は僕がやりますので」
 スタッフに延期を告げる山田Pに、珍しく厳しい表情の芦田愛菜サンが言葉を発する。
 「山田さん、何がやりたいんですか」
 その瞬間、言葉を失う山田P――。

強烈なアンチテーゼ

 物語は事実上、この11話で終わりである。翌週の最終回は山田Pが故郷である鹿児島へ戻り、自分の過ちに気づいて原点に立ち返る話だが、要はエピローグだ。
 
 一体、この一連の物語――フェイクドキュメンタリーは何を伝えたかったのだろうか。
 恐らく――それは、山田孝之サンの考える理想の映画作りへの強烈なアンチテーゼである。映画作りのハウ・トゥを描きつつ、暴走するプロデューサーを自身が演じることで、その“反面教師”を伝えたかったのだ。
 「まず、カンヌありき」
 「知名度優先の役者起用」
 「脚本軽視」
 「形から入る」
 「女優は脱がせる」
 ――そういった映画界の悪しき作法を浮き上がらせることで、その逆を説きたかったと推察する。

ドラマ界の可能性の扉を開いた山田孝之

 かくして、フェイクドキュメンタリーという手法で、2年前の初挑戦『山田孝之の東京都北区赤羽』からさらに進化した形でお茶の間を楽しませてくれた山田孝之――。

 普段の彼は心優しき青年で、およそ劇中の“クズ”プロデューサーとは180度キャラクターが違う。もちろん、山下監督とは今も変わらず朋友で、執拗に脱がそうとした長澤まさみサンとも互いにリスペクトし合う仲である。何より、この物語のナレーションを途中降板した彼女が務めているのが、その証左。芦田愛菜サンが最後に山田プロデューサーに発した“突き刺さる”ひと言も含めて、全ては“フェイク”なのだ。

 ここでも、ドラマの可能性の扉を開いた奇跡の男――山田孝之である。

フェイクではない、リアルなプロデュース映画

 ここから先の話はあまり長くない。
 2018年、1本の映画が公開される。山田孝之サンが初めて完全裏方に徹してプロデュースする映画『デイアンドナイト』である。彼は資金繰りからロケ地への挨拶、オーディションから脚本会議まで、全てのプロデュース業務を完璧にこなしたという。そう、まさにそれは、『~カンヌ映画祭』を反面教師にした作品なのだ。

 主演は同じ事務所で、親友の阿部進之介サン。監督は、映画『オー!ファーザー』や『光と血』などの藤井道人監督。フェイクでない証拠に、同映画は脚本をことさら重視し、山田孝之サンも度々脚本会議に参加し、その改稿は実に数十回に及んだという。脚本を作らなかった『~カンヌ映画祭』と真逆である。

『72時間ホンネテレビ』への参戦

 映画『デイアンドナイト』――栄えあるクランクインは、先の11月3日に行われた。そう、その日といえば、前回の連載でもお伝えした通り、あの「新しい地図」の3人が挑んだAbemaTVの『72時間ホンネテレビ』に、山田孝之サンが秋田から急きょ駆けつけた日だ。

 その日の午前中、秋田県三種町にて映画のクランクインを見届けた彼は、あとは現場を監督に任せ、藤田晋社長のプライベートジェットに乗り、帰京したのは周知のとおりである。
 現場に余計な口出しをせず、むしろ現場から離れ、プロデューサーの本分である映画の宣伝を皆が注目する『72時間ホンネテレビ』内でさりげなく行う――ここでも『~カンヌ映画祭』の教訓が活かされている。

新しいテレビのそばに山田孝之あり

 ――以上、「2017テレビマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた山田孝之サンの選考理由でした。
 自身が主役として深く関わった2つの番組でバラエティとドラマの可能性の扉を開く一方、新しいテレビと話題のAbemaTVの『72時間ホンネテレビ』にも顔を出す――しかも、その日は自身がプロデュースする映画のクランクイン日という最高の宣伝。

 新しいテレビのそばに山田孝之あり、である。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”では、『山田孝之のカンヌ映画祭』放送終了後のタイミングで松江哲明監督と山下敦弘監督にインタビューをおこなっています! そちらもあわせてどうぞ!
 
「ものづくりはブーメラン」松江哲明&山下敦弘が“山田孝之というジャンル”を通して見えたこと

第32回 2017連ドラ総決算

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 最初に断っておきますが、この記事で取り上げていないからといって、決してそのドラマが劣っているワケではありません。
 1年間に放映されるGP帯の民放の連ドラは約60本。それにNHKの連ドラも加えると――全てを扱うのはとても無理。そこで視聴率がよかったり、比較的話題になった作品をピックアップしつつ、2017年の連ドラを振り返りたいと思います、ハイ。

1月 木村拓哉vs.草彅剛で始まった2017連ドラ

 まず、2017年の連ドラ界で最初に話題になったのが、前年大晦日で解散したSMAPのメンバー2人、木村拓哉と草彅剛がいきなり同じ1月クールに登場したこと。前者が『A LIFE~愛しき人~』(TBS系)、後者が『嘘の戦争』(フジテレビ系)である。

 『A LIFE』はキムタク演ずる天才外科医・沖田一光を中心とした医療ドラマの群像劇。天才外科医というと、『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)をはじめ、医療ドラマの主人公の鉄板キャラだけど、同ドラマが珠玉だったのは、初回でいきなり沖田に失敗させたこと。これでスーパードクタードラマが人間ドラマになった。悩めるキムタクはちょっと絵になる。そして共演者で目立ったのが浅野忠信演じる副院長・壮大。彼の“怪演”は同ドラマのもう一つの見せ場で、彼の周りだけまるで昼ドラのような空気が流れていた。

 一方の『嘘の戦争』は、『銭の戦争』に続く復讐シリーズ第2弾。草彅剛演ずる一ノ瀬浩一は天才詐欺師。草彅クンお得意のヒールキャラで、毎度のことながら役に憑依する様が見事だった。笑ったのは、藤木直人演ずる二科隆が一之瀬の正体を探ろうと名刺にあるニューヨークのオフィスに電話したら、たった今、日本から到着したばかりの水原希子演ずる相棒のハルカが電話を取り、「ハロー」。そして一之瀬に「間に合った」とLINEすると、「よかった。すぐ帰国して」と。こういう遊びができるのも草彅ドラマの特徴である。

 マスコミは2人の同一クール対決をやたら煽ったが、僕に言わせれば、それぞれの特技を生かした盤石のドラマで、SMAPの2勝0敗という印象だった。

2月 登場・柴咲コウ。異例の子役4週だった『おんな城主 直虎』

 2月になると、NHK大河『おんな城主 直虎』にようやく主演の柴咲コウが登場する。そう、かのドラマは異例の“子役4週”で始まったのだ。演じたのはNHK朝ドラ『わろてんか』でもヒロインの幼少期を演じた新井美羽。その異例の措置は脚本を担当した森下佳子サンの作戦で、亀之丞と鶴丸(後の井伊直親と小野但馬守政次)との3人の関係性を描くには、幼少期の描写が肝になるからという。事実、2人が死ぬ12話と33話は物語のターニングポイントになった。特に高橋一生演ずる政次が処刑される33話『嫌われ政次の一生』は大河史上に残る名シーンに。

3月 『カルテット』最終回で吉岡里帆確変!

 視聴率は一桁続きだったものの、1月クールの連ドラでそのクオリティが高く評価されたのが、坂元裕二脚本の『カルテット』(TBS系)である。松たか子・満島ひかり・高橋一生・松田龍平演ずる4人のアマチュア演奏家がカルテットを組み、軽井沢の別荘で共同生活する話。4人の「唐揚げにレモンをかけるか?」論争や、中盤以降の松たか子演ずる巻真紀のダークサイドが話題になるも、最後に持っていったのは、元地下アイドルのアルバイト店員ながら、白人男性にエスコートされて登場し、指輪を見せつけ「人生チョロかった」と高笑いする吉岡里帆演ずる有朱(ありす)だった。

4月 渡瀬恒彦急死で警視庁捜査一課ドラマに脚光

 2017年3月14日、かねてから病気療養中の渡瀬恒彦サンがよもやの急死。4月クールで放送予定の渡瀬サン主演の『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)は代役を立てず、脚本を変えて放送することに。奇しくも同じクールには『警視庁・捜査一課長』(テレビ朝日系)、『小さな巨人』(TBS系)、『緊急取調室』(テレビ朝日系)と、「警視庁捜査一課」が舞台のドラマが4本並んだ。まるで渡瀬サンへの弔い合戦のようだった。

5月 湊かなえチーム『リバース』健闘

 4月クールのTBS金ドラは、湊かなえ原作の『リバース』である。同じく湊原作の『夜行観覧車』と『Nのために』の制作チームが再結集した。TBSは『陸王』の福澤克雄チームや、『天皇の料理番』の石丸彰彦チームなど、脚本・演出を同じ座組で制作することが多い。結果的にそれが同局のクオリティの高いドラマを生む。
同ドラマも主演の藤原竜也を筆頭に、共演の戸田恵梨香、玉森裕太、小池徹平、三浦貴大、市原隼人らが珠玉の演技を見せて、スマッシュヒット。ラストを湊サン自らドラマオリジナル用に書き換えたことも話題になった。

6月 ビートルズ来日で『ひよっこ』20%台へ

 4月からスタートしたNHK朝ドラ『ひよっこ』。開始2カ月ほどは視聴率18~19%台と低迷したが(もっとも、その責任は前ドラマの『べっぴんさん』にある。ラスト4週で19%台へ落ち込み、その流れが『ひよっこ』に持ち越されたから)、6月最終週のビートルズ来日のエピソードを機に20%台に上昇。さらに、有村架純演ずるヒロインみね子と、竹内涼真演ずる島谷が急接近する展開で、視聴率は右肩上がりへ。最終的に期間平均20.4%と、前ドラマを上回った。

 近年の朝ドラといえば、脇役陣に光が当たる“脇ブレイク”が名物だが、同ドラマも先のエピソードで竹内涼真が一躍ブレイク。
 そんな『ひよっこ』人気を支えたのは、彼ら役者陣の好演もさることながら、岡田惠和サンのハートフルな神脚本だった。また、桑田佳祐サンが歌う主題歌『若い広場』にも脚光。オープニングで流れる昭和をイメージさせるミニチュア映像は、ミニチュア写真家の田中達也サンと映像監督の森江康太サンによるコラボ作品。そんなスタッフたちの“総合力”で見せたドラマだった。

7月 月9を救ったガッキー『コード・ブルー』

 6クール連続平均一桁視聴率と低迷していたフジ月9が、久しぶりに平均二桁の14.6%と復活したのが、3rdシーズン目の『コード・ブルー~ドクターヘリ緊急救命~』(フジテレビ系)だった。脚本がそれまでの林宏司サンから安達奈緒子サンに変更され、不安視する向きもあったが、少なくとも視聴率の上では見事に期待に応えた。
とはいえ、本当の勝因は恐らく昨年(2016年)の『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)でガッキー(新垣結衣)人気がかつてないほど上昇し、お茶の間のガッキー・ロスがそのまま引っ張られ、半年後という絶妙のタイミングで同ドラマに着地したから。

 もちろん、ガッキー以外のメインの山下智久・戸田恵梨香・比嘉愛未・浅利陽介のメンバーも7年前の2ndシーズンからほとんど劣化しておらず、チーム力の勝利とも言える。教訓、月9が低迷するのは枠に原因があるのではなく、企画・役者・脚本次第で数字は取れる。

8月 『黒革の手帖』で武井咲株上昇

 原作の松本清張の没後25年となる今年、『黒革の手帖』がテレ朝で5度目のドラマ化。かつてアラサー女優が演じてきたヒロイン元子を歴代最年少の当時23歳の武井咲サンが演じるのは時期尚早との声もあったが、フタを開けたら、高身長・なで肩・細い首の3要素で着物姿が意外と様に。加えて、現代ものより、時代がかったドラマでキャラを立たせた方が彼女の演技が映えることも分かり、実年齢以上に銀座のママがハマり役に。視聴率も平均11.4%と健闘した。
これで武井サンには年上の役がハマると分かった以上、彼女は出産を経て、ある程度年齢を重ねても、女優復帰はラクかもしれない。出来れば、アラサー武井咲でもう一度『黒革の手帖』を見たい。

 そうそう、お約束だけど、同ドラマで高嶋政伸サン演じる橋田理事長の“怪演”っぷりも最高だった。もはや高嶋サンのシーンだけ空気感が違う。役者がハマリ役を得るとは、こういうこと。

9月 『過保護のカホコ』で竹内涼真人気爆発

 日テレの水10枠は“頑張る女性”の応援枠。7月クールの『過保護のカホコ』もそうで、箱入り娘が独り立ちするまでの物語だった。あの遊川和彦サンの脚本だが、元ネタは映画『ローマの休日』と言われており、箱入り娘がやんちゃな男の子と出会い、運命を切り開くフォーマットは王道中の王道。視聴率も最終回14.0%とスマッシュヒットした。
 勝因は高畑充希サンのコメディ演技がうまくハネたのと、朝ドラでブレイクした直後という竹内涼真サンの起用のタイミング。加えて、『ひよっこ』の優等生キャラとは真逆のキャラを引き出したことも、彼の魅力を広げるのに一役買った。

10月 テレ朝昼ドラ第2弾は鉄板の『トットちゃん!』

 テレ朝が倉本聰脚本の『やすらぎの郷』を引っ提げ、開拓した昼ドラ枠。その第2弾が黒柳徹子原作の『トットちゃん!』だった。『徹子の部屋』のテレ朝だけに、他局ではできない鉄板ドラマ。視聴率は前作に引き続き好調で、期間平均6.0%は、なんと前作を上回った。
 驚くのはそのクオリティだ。まるでNHKの朝ドラを思わせた。実際、脚本は『ふたりっ子』(NHK)の大石静サンだし、徹子の母・黒柳朝役に『ゲゲゲの女房』(NHK)の松下奈緒、その夫の黒柳守綱役に山本耕史と、盤石のキャスティング。徹子役にフレッシュな清野菜名サンを当てたのも、新人の登竜門の顔を持つ朝ドラを彷彿とさせた。感心したのは、徹子の祖母の門山三好役に、往年の朝ドラ『チョッちゃん』でヒロインを演じた古村比呂サンを起用したこと。これぞリスペクトの心得である。

 同ドラマは原作が黒柳徹子サンご本人なので、主要な登場人物がほとんど実名で登場するのも心強かった。森繁久彌、渥美清、野際陽子、坂本九、沢村貞子等々、全て実名である。高視聴率の背景には、フィクションに逃げない、そんな作り手の志がお茶の間に届いたからかもしれない。

11月 『ドクターX』シーズン5は横綱相撲

 『ドクターX』シーズン5の平均視聴率は20.9%、最高視聴率は25.3%。これは、同ドラマの過去のシーズンと比べても見劣りしない数字である。いや、昨今の連ドラの苦戦する視聴率事情を鑑みれば、むしろ伸びているようにも見える。主演の米倉涼子サンは今回のためにストイックに減量したというし(最終回で大門未知子がステージⅢの「後腹膜肉腫」を患っていることが判明)、期待されて、期待通りの結果を残すのは、やはり横綱相撲である。

同ドラマ、“現代の水戸黄門”とも言われ、偉大なるマンネリが指摘されるが、その一方で、例えば第1話で大地真央サンがゲスト・スターとして病院長役で登場した際、「患者ファースト」や「不倫で失脚」等々、時事ネタも積極的に投入した。守りを固める一方で、攻める姿勢も忘れない。強い理由である。

12月 『陸王』有終の美で20.5%

 そして、2017年の連ドラの有終の美を飾ったのが、クリスマス・イブに最終回が放映され、20.5%を叩き出した『陸王』(TBS系)である。シリーズものではない連ドラで20%を超えたのは、昨年10月クールの『逃げ恥』以来だ。

 とにかく、同ドラマは、演出チーフの福澤克雄サン率いるチームの企画・制作能力が半端ない。例えば、選手役の竹内涼真サンは、クランクインの3カ月前から本格的な走りの練習を始めたというし、劇中の大会シーンに数千人規模のエキストラを集めたりと、リアリティの追求が半端ない。こはぜ屋の古いミシン1つとっても、本物にこだわる姿勢に妥協がない。
 キャスティングも、今や映画にしか出ないイメージの役所広司サンを15年ぶりに連ドラに担ぎ出したり、いぶし銀の寺尾聡サンにクセのある役をやらせたり、竹内涼真と山﨑賢人という若手スターを贅沢にも脇で使ったりと、攻めの姿勢――。

本連載「TVコンシェルジュ」的には、2017年の連ドラでMVPを選ぶとしたら、やはり、この『陸王』を置いてほかにない。正直、福澤克雄チームの作品としては、あの『半沢直樹』や『下町ロケット』を超えるクオリティだと思う。

――とはいえ、ドラマの楽しみ方は人それぞれ。今回、ここに挙がらなかったドラマの中にも、傑作はまだまだあります。例えば、視聴率は低かったけど、7月クールの『僕たちがやりました』(フジテレビ系)なんて、攻めて攻めて、個人的には超・面白かったし。
 2017年――あなたの心に残る傑作ドラマは何ですか?

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第33回 2017-2018バラエティおさらいと展望

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ちょっと遅くなったけど、今年最初の『TVコンシェルジュ』はバラエティを語ろうと思う。

――とはいえ、一口にバラエティと言っても、現在、ゴールデンタイムで放送される番組の実に8割近くがバラエティ。当然、全部を網羅できるわけはなく、象徴的な番組をいくつかピックアップしたいと思う。

まず、今のバラエティ界で最も注目される番組の1つとして、これは外せない。今年のお正月――1月2日にも3時間スペシャルが放映された、テレ東の『池の水ぜんぶ抜く』である。第6弾となる今回の視聴率は13.5%。これは同番組史上最高だったんですね。ちなみに、過去6回の視聴率の
推移は――

  第1弾 8.3%
第2弾 8.1%
第3弾 9.7%
第4弾 11.8%
第5弾 12.8%
第6弾 13.5%

――惜しい! 第2弾さえ前回より上回っていたら、見事な右肩上がり。それにしても、テレ東のバラエティでこの盛り上がりは異常である。ちなみに、第4弾と第5弾は、裏のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』を視聴率で上回った。あのテレ東が、である。

タイトルに偽りなし

『池の水ぜんぶ抜く』の強さの秘密は何か。
よく言われるのが、そのシンプルなタイトルだ。実際、同番組は池の水を全部抜く。そこに何も足さない、何も引かない――そう、タイトルに偽りなし。ウケた理由の1つは、そんな分かりやすさにあると思う。

今や、テレビの視聴者はスマホ片手に番組を見る「ながら視聴」のスタイルが一般的。そんな時代に、小難しい番組は避けられる傾向にある。ある程度集中しないと話が分からないドラマの視聴率が落ちた一因はそんなところにもある。その点、『池の水~』は分かりやすさ満点だ。

タイトル=企画内容が意味するもの

思えばこの30年――テレビのバラエティで大事なのは、タイトルよりも鉱脈(ヒット企画)を掘り当てることだった。1980年代以前は、『クイズダービー』とか『クイズ100人に聞きました』とか、ストレートにタイトルが内容に直結した番組が多かったけど、90年代以降は、『進め!電波少年』とか『くりぃむナントカ』とか『中井正広のブラックバラエティ』とか『リンカーン』とか『今夜くらべてみました』とか――要するに、タイトルだけでは何をやっているのか分からないバラエティ番組が主流になった。

要は、司会を務める目玉キャストを押さえて(例えば、中居正広やダウンタウン)、あとは番組を転がしながらヒットの鉱脈を探り、ある企画が当たれば、それを広げていく――という戦略だ。『もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!』なんて、「帰れま10」の企画が当たって、途中からそればかりになり、とうとうコーナーが独立して番組になったほど。

そんな中、『池の水ぜんぶ抜く』は、最初からタイトル=企画内容である。つまり、「この番組はこの企画一本でやりまっせ!」という姿勢。実に潔いし、何よりそれは、「池の水を全部抜く」という企画が優れていることを意味する。そう、企画を転がす必要がないのだ。

王道エンタテインメントのフォーマット

そう、『池の水ぜんぶ抜く』は、その奇抜なタイトルばかりに目が行きがちだけど、同番組が強い本当の理由は、その極めて王道なエンタテインメントのフォーマットにある。順を追って説明しよう。

① まず、池という身近なロケーション。基本、生活圏内にあり、なじみ深い。取材先がアマゾンのジャングルの秘境だと感情移入しにくいけど、近場の池ならスッと入り込める。ほら、ドラマだってどこか遠くの星の異星人の話より、ごく普通の家庭の話の方が感情移入できるでしょ? あれと同じ。まず、これが一点。
 
② 次に、池の水を全部抜くことで、絵的に動きのある大きな変化が見られる。普段見られない広大な池の底が現れる。実にダイナミック。このビジュアルの変化は極めてテレビ的である。
 
③ 3つ目は、水が減るに従って現れる“外来種”という悪役だ。建前上、番組はこの外来種を駆除して、池を在来種のみの正常な環境に戻すのが大義名分である。地元の行政やボランティアの皆さんがお手伝いしてくれるのは、それゆえ。だが、大義名分と言いつつも、この「悪を退治する」図式は見ていて分かりやすい。勧善懲悪――これもテレビの王道である。
 
④ そしてクライマックス――池の底から現れる予想だにしない物体X。番組的にはこちらが真の目的だ。時にそれは、大阪・寝屋川市の池に潜んでいた北米原産の超巨大肉食魚「アリゲーターガー」だったり、日比谷公園の池に沈んでいた江戸時代の家紋入りの瓦といった“お宝”だったりする。そう、番組終盤にやってくるメインイベント。池の水を全部抜いたからこそ判明する最大の見せ場である。

――いかがです? ①馴染みのあるロケーションに、②池の水が全部抜かれるビジュアルのインパクト、③外来種を駆除する勧善懲悪のスタイル、④クライマックスにやってくる謎の物体X――と、同番組は極めてテレビ的に王道のフォーマットなのだ。奇をてらったワケでもなんでもない。人気があるのはそういう理由。勝ちに不思議の勝ちなし、である。

能動的に働くゲスト

同番組は、ロンブー淳とココリコ田中の2人のMCに、外来生物研究の第一人者の加藤英明氏と、環境保全のスペシャリストの久保田潤一氏の2人の専門家がレギュラーメンバーである。4人のチームワークは盤石だ。しかし、同番組で特筆すべきは、そのゲスト陣なのだ。

例えば、第3弾に出演した伊集院光は、この番組が大好きで、自らゲストに志望したという。そして以後、同番組が話題になるにつれ、この伊集院パターンが定例化する。第4弾ではあの芦田愛菜が自ら望んで登場。顔に泥をつけて外来種の駆除に奮闘する活躍ぶりだった。第5弾では小泉孝太郎、第6弾では満島真之介らが出演し、いずれも同番組のファンと公言し、積極的に活躍した。

そう、昨今、俳優がバラエティ番組にゲスト出演するケースはドラマや映画などの番宣が多い中、同番組は違う。純粋に企画に賛同して自ら志願して出演してくれるのだ。そのため、彼らは能動的に行動する。役者なのに、商売道具の顔に泥を付けて奮闘する。こういう絵はなかなか他のバラエティでは見られない。

企画の保険をかけない

同番組のプロデューサーは、『モヤモヤさまぁ〜ず2』でお馴染みのテレ東の名物男、伊藤隆行Pである。
今年のお正月にNHKで放映された恒例の『新春テレビ放談』(毎年、年始にやってる「テレビ」をテーマにした座談番組。局の垣根を越えてパネリストたちが語り合うのが超面白い)において、彼が同番組を立ち上げた経緯を明かしていたんだけど、これが興味深かった。
伊藤P、上から「大河の裏で戦える番組を」と言われたので、この『池の水ぜんぶ抜く』の企画を提出したところ、こう言われたそう。「面白そうだけど、企画の保険がかかってない」――。

「企画の保険」って?
視聴率を担保するための、文字通り“保険”だ。例えば、出演者が豪華だったり、お得な知識や情報を学べたり、テレビ的に映える「絶景」や「絶品グルメ」を見られたり――。これに対し、伊藤Pはこう反論したそう。「企画の保険? いや、“面白そう”なら、それでいいじゃないですか!」って。

大きな企画

結局、その時は伊藤Pが押し切って、同番組は日の目を見たんだけど、このエピソードはとても大事な教訓を含んでいる。
つまり――昨今のテレビをつまらなくしている一因は、この「企画の保険」を求める風潮にあること。キャスト優先主義が過ぎるあまり、テレビ界はいつまで経っても同じ顔ぶればかりで新陳代謝が進まないし、お得な知識や情報を求めるあまり、昨今のバラエティは「情報バラエティ」ばかりが氾濫してるし、「絶景」や「絶品グルメ」の企画に至っては、もはや食傷気味である。

そうではなく、今のテレビに求められるのは「大きな企画」なのだ。何か1つの大きな企画の柱があり、そこに集中して番組を構成すること。『池の水ぜんぶ抜く』をはじめ、『YOUは何しに日本へ?』や『家、ついて行ってイイですか?』などのテレ東のバラエティが近年好調なのは、そういうことである。

2つの伝説の番組の終了

さて、一旦、話題を変えて、この春に終了する2つの番組に触れたいと思う。もう何度も報道されている通り、フジテレビの伝説のバラエティ番組――『とんねるずのみなさんのおかげでした』(以下/『みなおか』)と『めちゃ×2イケてるッ!』(以下/『めちゃイケ』)がこの3月で幕を閉じる。

『みなおか』は、前身番組の『~おかげです』を含めると30年半、『めちゃイケ』は22年半と、共にフジテレビ黄金期を支えた偉大な番組だ。
とはいえ、両番組とも近年は視聴率が一桁台と低迷しており、フジが民放4位から浮上するためには必要な勇退だった。気がつけば、とんねるずの2人は50代後半、ナインティナインの2人は40代後半。いつまでもお笑い番組の最前線でプレイヤーとして活動するのは、ちょっとキツいかもしれない。

そう、お笑い番組の終了――。
今回、この2つの番組の終了について注目すべきは、この点なのだ。

消えゆくお笑い番組

コラムの冒頭、ゴールデンタイムにおけるバラエティ番組が締める割合は約8割と述べた。
だが、一口にバラエティと言っても、それこそ多様性がある。昨今多いのは、何かを学べる“情報バラエティ”と、ゲストを招いたり、あるテーマについて語り合う“トークバラエティ”の2つだ。これに、食レポや旅もの、チャレンジものといったロケのVTRが付随するフォーマットが一般的。スタジオがクイズ形式になることもある。

それに対して、衰退傾向にあるのが、いわゆる芸能バラエティだ。これは大きく2つのカテゴリーに分けられ、1つは、純粋にネタを披露する“ネタ見せ番組”。かつては毎週のように各局で見られたが、今や『M-1グランプリ』や『キングオブコント』など、スペシャルにその主軸を移してしまった。
もう1つが――先の『みなおか』や『めちゃイケ』も含まれる“お笑い番組”だ。かつてはコントやパロディが主流だったが、次第に企画モノやロケものの比重が増えていった。ただ、一貫して“笑い”を追求する姿勢は変わらない。

しかし――今やこの“お笑い番組”は絶滅危惧種なのだ。

バラエティの系譜

元々、バラエティは“ヴァラエティ・ショー”と呼ばれ、それこそテレビの黎明期から存在する人気のジャンルだった。
お手本はアメリカの番組で、これを模倣して、日本に取り入れたのが、かの日本テレビの井原高忠プロデューサーである。当時のヴァラエティは歌とコントの2本柱で、クレージーキャッツやザ・ドリフターズら、昭和の“笑い”をけん引したグループが元はバンドだったのはその名残だ。

それが1980年の漫才ブームを起点に、お笑い芸人が一気にテレビに進出。コントやパロディをベースとする新たなバラエティが量産された。その中心にいたのがビートたけしや明石家さんまで、70年代以前の作り込まれた笑いと違い、楽屋オチや業界ネタなどのホンネの笑いが特徴だった。

その一方、80年代はクイズ番組も進化を見せる。それまでバラエティから独立したジャンルとして、主に視聴者参加のフォーマットだったクイズ番組が、80年代以降、芸能人を解答者とするバラエティ番組へと変貌する。単なるクイズの正誤を競うスタイルから、トークやお勉強の要素も加味され、これが今日の“トークバラエティ”や“情報バラエティ”に発展する。

バラエティ・ビックバンの90年代

そして90年代、バラエティ番組はビックバンのごとく大拡散を遂げる。キーワードは「ダウンタウン」と「カメラの小型化」である。

まず、ダウンタウンの登場で、2人に憧れる全国の面白い若者たちがこぞってお笑い芸人を目指すようになり、吉本NSCをはじめとする芸能事務所の養成所の門戸を叩く。現在、テレビ界はお笑い芸人たちがバラエティに限らず、あらゆる番組に進出しているが、この飽和状態を招いた元凶はダウンタウンである。

もう1つが、カメラの小型化によるロケ企画の増大だ。火を着けたのは、かの『進め!電波少年』(日本テレビ系)である。それまで大きく重いテレビカメラを担いでのロケは、装備や人員を要して大変だったが、技術が進んでカメラが小型化したことで、カメラマン一人でのロケが可能になった。かくして、同番組は“ドキュメント・バラエティ”の手法を確立する。世界的なリアリティショー・ブームが起きたのも同じ頃である。

これ以降、バラエティ番組にロケ企画は定番となり、食レポや旅もの、チャレンジ系の番組が増大する。

2000年代のお笑いブームと収束

ロケものバラエティが増殖した90年代――。その反動からか、2000年代に入ると、『笑う犬の生活』(フジテレビ系)を皮切りに、コント系の“お笑い番組”が見直され、『ワンナイR&R 』や『はねるのトびら』といった若手お笑い芸人たちの活躍の場が次々に誕生した。
一方、『爆笑オンエアバトル』(NHK)を起点に“ネタ見せ番組”も注目され、『エンタの神様』(日テレ系)のブレイクを機に、『爆笑レッドカーペット』(フジ系)などの同種の番組が各局に氾濫した。

2000年代半ばに訪れた空前のお笑いブーム。ここまでの盛り上がりは80年の漫才ブーム以来である。

だが、とかくブームというものは長続きしない。急速に彼らがお茶の間に消費されると、お笑い番組もネタ見せ番組も、次第にネタ切れとクオリティの低下が叫ばれるようになり、2010年代に入ると、相次いで打ち切られた。

変わって台頭したのが、先にも述べたトークバラエティと情報バラエティである。そして現在、バラエティの主流はこの2つとなっている。あとは、ここ数年の風潮として、お散歩番組の隆盛くらいだろうか。

伝説の2つの番組の位置づけ

さて――少々遠回りになったが、ここで『みなおか』と『めちゃイケ』の話に戻りたいと思う。
2つとも、バラエティのカテゴリーでは衰退しつつある“お笑い番組”に該当する。『みなおか』は80年代に始まったことからも分かる通り、ベースにあるのは楽屋オチや業界ネタなどのパロディだ。
一方の『めちゃイケ』はこれも90年代に生まれたことが象徴するように、ロケもののドキュメント・バラエティがベースにある。

いずれも、メインキャストである、とんねるずとナインティナインは時代を象徴するアイコンとなった。最高視聴率は『みなおか』が『~おかげです』時代の29.5%、『めちゃイケ』が33.2%である。共にフジテレビの三冠王に貢献し、功労賞の側面から、バラエティが時代の荒波で移り変わる中でも、長くアンタッチャブルな案件として残されてきた。

終了発表もそれぞれのカラーで

だが、フジテレビが民放4位に転落し、現状ではなかなか浮上の目がない――相当重症だと分かってきたタイミングで、恐らく阿吽の呼吸というか、双方の番組とも自ら退く決意に至ったと思われる。

番組内での終了発表は、これまた各々のカラーを反映したものだった。『みなおか』はとんねるずの2人がお馴染みの「ダーイシ」と「小港」に扮して、初代プロデューサーの港浩一サン(現・共同テレビ社長)の前で「番組が終わっちまうんだよぉ」と終了発表。最後まで楽屋オチなところも彼ららしかった。

一方の『めちゃイケ』は、これまた番組の最高責任者である片岡飛鳥総監督から突然、ナイナイ岡村に「『めちゃイケ』、終わります」と告げられ、岡村が「……リアルなやつですか?」と返し、そこからメンバー全員に岡村自ら終了を伝える様子をドキュメントで見せる、番組お馴染みのスタイルだった。

片や楽屋オチ、片やドキュメント――終了発表すらも番組のネタにしてしまうところが、お笑い番組たる所以である。

お笑い番組絶滅の危機

しかしながら、この2つの番組の終了は、別の意味で大きな意味を持つ。既に報道されているが、それぞれの後継番組は、『みなおか』の後が坂上忍MCの情報バラエティ、『めちゃイケ』の後が『世界!極タウンに住んでみる』という旅もののバラエティだ。
いずれも情報バラエティや、ロケVTRをベースとしたトークバラエティで、昨今のバラエティの主流である。

そう、『みなおか』や『めちゃイケ』の終了は、単なるフジテレビの改編に留まらず、テレビ界全体にとって“お笑い番組”が2つ減ることを意味するのだ。

企画の保険が招いたテレビ離れ

気がつけば、ゴールデンの8割近くを占めるバラエティを見渡しても、純粋なお笑い番組はほとんど見当たらない。目に付くのは、情報バラエティやトークバラエティばかりである。

いずれも、お笑い番組と違って“大負け”しないのが特徴だ。そこそこの視聴率が保証されている。それが「企画の保険」が働いているということ。出演者が豪華だったり、何かお勉強できたり、絶景や絶品グルメのVTRが見られたり――etc.
しかし、大負けしないということは、裏を返せば、大勝ちもしないということ。ブレイクしない、弾けない――それ即ち、昨今の「テレビ離れ」を招いている元凶でもある。

ここで、あらためて『池の水ぜんぶ抜く』の伊藤Pの言葉が思い出される。「企画の保険? いや、“面白そう”なら、それでいいじゃないですか!」――そう、今こそバラエティはこの原点に立ち返る時期に来ているのかもしれない。

フジテレビさん、今がその時じゃないですか?

日テレvs.TBSのバラエティ戦争

ここからは2018年のバラエティ界の展望を見ていきたいと思う。
現在、バラエティで圧倒的な強さを見せるのは、やはり日本テレビだ。昨年、同局は年間視聴率で4年連続の三冠王(全日・ゴールデン・プライム)を達成したが、それはひとえに、ゴールデンの8割近くを占めるバラエティが好調だからである。

一方、現状でそれに唯一対抗できる可能性のある局はTBSだろう。近年、同局は少しずつ話題になるバラエティが増えており、例えば、昨年は『プレバト!!』が「俳句」のコーナーでブレイク。その健闘もあって、同局は年間視聴率で10年ぶりにゴールデン帯2位に返り咲いた。

とはいえ、日テレのバラエティを横綱とすると、TBSはまだまだ小結あたり。今年はこの差がどこまで縮まるかが見どころになる。

イッテQの強さの秘密

では、日テレのバラエティの強さを紐解いてみよう。
現在、同局のバラエティのトップを走るのは『世界の果てまでイッテQ!』である。昨年、番組開始10周年を迎え、視聴率は安泰どころか上昇傾向にある。アニバーサリー月となった2月は毎週のように20%台を連発。“テレビ離れ”が叫ばれる昨今、この強さは驚きである。

人気の秘密は、今の地上波が考え得る最高のフォーマットにある。家族で安心して見られて、ウッチャンを中心にスタジオはアットホームな雰囲気で、ロケのVTRは基本がんばる系の企画で、毎回それなりの達成感がある。いわゆる少年ジャンプの「友情・努力・勝利」みたいなカタルシスがある。お茶の間で家族揃って楽しめる――地上波において、これに勝る視聴習慣はない。

それと、これまでもイモトアヤコや宮川大輔ら、同番組は最初から人気者をブッキングするのではなく、自ら人気者に育てるスタイルをとってきたが、昨年は「世界の果てまでイッタっきり」の企画で、見事に“みやぞん”がブレイク。これも同番組の視聴率を押し上げる要因になった。

家族で楽しめるフォーマットに、自ら新しい人材を育てるスタイル――同番組に象徴されるこれらの要素は、日テレの他の番組でも見受けられる。同局のバラエティの強さの秘密である。

追うTBSの戦略

だが、一見、盤石に見える日テレのバラエティだが、弱点もある。
それは、家族で楽しめるフォーマットを優先するあまり、尖った企画がやりにくいこと。それと、軒並み長寿番組なので、必然的に金属疲労に陥りやすいこと。

つまり、日テレが王道なら、これに対抗するTBSがとる戦略は、古代中国の儒家の教えに従うなら「覇道」しかない。
覇道――テレビの世界に置き換えるなら、それ即ち、強烈な毒を含む演出だったり、ある特定のターゲットに響く濃い企画のことである。比較的新しいバラエティが多いTBSは、思い切った戦略がとれるのだ。

『プレバト!!』がブレイクした理由

例えば、先に挙げた『プレバト!!』もその戦略で伸びている番組の1つ。今や同番組は「俳句の才能査定ランキング」のコーナーが大人気。人気の秘密は、「俳句」という素材が極めてテレビ的だからである。
まず、五・七・五の短い文章の中に世界観を盛り込めるし、ビジュアル的に1ショットで作品を見せられる。歴史あるジャンルだから批評にも説得力がある。極め付けが、センスがモノを言う一方で、たまに一発逆転もある――まさにテレビ的。しかし、同コーナーがブレイクした真の立役者は、俳人の夏井いつき先生の容赦ない「毒舌」なのだ。

そう、生徒たちが詠んだ自信作を容赦なくぶった切る“寸評”だ。見ていて爽快感すらある。それでいて、夏井先生自身は天然で、時々ボケを発して浜ちゃんにツッコまれるので、どこか憎めない。
同番組が視聴者を惹きつける所以である。

『水曜日のダウンタウン』に見るバラエティの可能性

TBSの覇道路線を語る上で、もう一つ外せない番組がある。『水曜日のダウンタウン』だ。
テレビ界には、俗に「面白い番組は面白い社員が作る」なる説があって(そのうち番組で検証してもらいたい)、同番組も演出の藤井健太郎サン抜きには語れない。この方、『クイズ☆タレント名鑑』や『クイズ☆正解は一年後』も作った人で、TBSの名物男。とにかく攻めの番組作りが得意な人でなんですね。

個人的には、一昨年の秋に放映した「水曜日のダウソタウソ」が傑作だった。この回、ダウンタウン以下、出演者全員がそっくりさんなんだけど、一切そこには触れず、いつもの体裁で番組が進む。スタジオに漂う超・違和感。しかし、流すVTRは過去の傑作選で、こちらは本物。要は総集編のフリの部分をそっくりさんにやらせるギミックなのだ。有り体の総集編にせずに、一枚フェイクを噛ませるところに藤井サンの非凡さがある。

ちなみに、最近の回で面白かったのは、昨年暮れに放映されたクロちゃんにドッキリを仕掛ける「フューチャークロちゃん」の回。何が凄かったって、番組の終盤、思いを寄せる女の子が仕掛け人と気づいたクロちゃんが、分かっていながら自ら落とし穴に落ちる悲しい展開。もはやバラエティを超えた人間ドラマだった。

テレ朝の危機

テレ東、フジ、日テレ、TBSと来て、民放キー局で1つだけ外すのもアレなので、最後にテレ朝のバラエティに触れたいと思う。

同局のバラエティと言えば、長らく『アメトーーク!』だのみの状況が続いているが、気がつけば、ゴールデンで戦えるバラエティが枯渇している状況にある。かつて深夜で新しいバラエティが生まれ、次々にゴールデンに上げて成功した栄光も過去の話。昨年はとうとうTBSに年間視聴率でゴールデン帯を逆転されてしまった。

そんな中、同局で唯一の光明とも言える番組が、ナスDこと友寄隆英ゼネラルプロデューサーが活躍する『陸海空 地球征服するなんて』である。だが、これも単純に喜んでばかりもいられないのだ。

ナスDの立ち位置

先に、「面白い番組は面白い社員が作る」と申し上げたけど、確かに、『池の水ぜんぶ抜く』の伊藤隆行Pや『水曜日のダウンタウン』の藤井健太郎D、『アメトーーク!』の加地倫三GPなど、名物番組には名物社員が付きものである。その意味で『陸海空~』もナスDという名物社員が手掛けており、この法則に沿っている。

だが、1つ問題がある。同番組におけるナスDの立ち位置は、ゼネラルプロデューサーでありながら、出演者でもある。つまりプレイヤーだ。これは何を意味するかというと、誰もナスDのやることに異を唱えられないのだ。

社員が演者になることの是非

番組作りは、役割分担でもある。作家が台本を書き、ディレクターが演出をつけ、演者が演じ、カメラマンが絵を撮る。それぞれの得意分野を持ち寄り、1つの番組が完成する。そしてクオリティを一定に保ちながら、毎週のオンエアに乗せていく。これがプロの仕事だ。

だが、ナスDの行動を許してしまうと、例えそれが最高に面白くても――いや、面白ければ面白いほど、芸人は仕事を失い、編集するディレクターはテープを切れなくなる。それは結果的に、番組を一定のクオリティで毎週オンエアすることを難しくする。

石原隆サンの仕事術

かつて、フジテレビの面白いドラマは必ず、この男が携わっていると言われた社員がいる。石原隆サン(現・編成統括局長)だ。『古畑任三郎』や『王様のレストラン』、『踊る大捜査線』に『HERO』など、数々のヒットドラマは石原サン抜きには生まれていない。

そんな石原隆サンには、1つの信条がある。それは――「作家の台本に筆を入れない」こと。正直、国内外の映画に誰よりも精通し、並みの脚本家では到底太刀打ちできない豊富な知識と技量を持ちながら、石原サンは相手が新人脚本家であっても、直しが必要なら言葉で語り、脚本家自身に書き直してもらう。それが自分に課せられた役割と自負しているからである。

実際、それで石原サンは同時期に複数のドラマと映画を手掛け、高いクオリティの作品を次々に世に送り出した。石原サン自らが筆を入れていたら、とてもそんなペースで仕事は回らない。餅は餅屋なのだ。

ナスDへの期待

そう、ナスDに課せられた役割も、石原隆サンと同じじゃないだろうか。
あれほどのバイタリティーとテレビの見せ方を知り尽くした御仁である。本来、その類まれなる才能は自らプレイヤーになるのではなく、『陸海空~』をはじめとして、テレ朝のバラエティ全体を立て直すために、広く生かされるべきである。

同局のバラエティの復活は、ナスD――友寄隆英ゼネラルプロデューサーの手にかかっていると言っても過言ではない。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第34回 連ドラを最終回から見ちゃいけないって誰が決めたんですか?

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ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ系)の3rdシーズンにこんな話がある。

津川雅彦演じる小説家の安斎が、小学校時代に同級生だった古畑を家に招く。安斎は、若い妻が編集者と浮気していることに絶望し、自らの命と引き換えに彼女を陥れる犯罪を計画する。それは拳銃で自殺して、妻が殺したように見せかけ、古畑に逮捕させるというもの。しかし、古畑に計画を見破られ、未遂に終わる。老い先短い人生を思い、悲嘆に暮れる安斎。この時の古畑の台詞がいい。

古畑「また一からやり直せばいいじゃないですか」
安斎「俺たちはいくつになったと思っているんだ。もう振り出しには戻れない」
古畑「とんでもない。まだ始まったばかりです。いくらでもやり直せます」
そして安斎に詰め寄り、こう諭す。
古畑「よろしいですか、よろしいですか。例え、例えですね。明日、死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか? 誰が決めたんですか?」

――この回は、『古畑』史上唯一事件が未遂に終わり、犯人が逮捕されない珍しい回となる。え? 再放送もやっていないのに、いきなり何の話を始めるんだって?
いえ、これには理由があるんです。皆さん――最近、ドラマ見てます? 1月クールの連ドラ。多分、最初のほうは見ていたけど、途中から平昌オリンピックが始まったりして、何話か見逃すうち、いつしか脱落していた――なんて人も多いのでは。もう、終盤だし、最終回は目前。今から見直しても話についていけない、と。

そこで、冒頭の話です。古畑に倣って、そんな方々に僕はこう訴えたい。
「例え、例えですね。明日、最終回だとしても――連ドラを最終回から見ちゃいけないって、誰が決めたんですか? 誰が決めたんですか?」

山田太一さんの連ドラ理論

これは、本連載でも前に一度紹介したけど、脚本家の山田太一先生が連ドラの在り方として、こんな趣旨のことを話されたことがあった。
「連続ドラマというのは、映画館で見る映画と違い、視聴者がアタマから黙って見てくれるものじゃないし、途中2、3話飛ばされることもある。それでも、ある回を15分でも集中して見ると、物語の世界観とか、話の流れとか、漠然としたテーマみたいなものが自然と伝わってくる。そういうドラマが優れた連続ドラマだと思います」

いかがだろう。先ほどの古畑の言葉と併せて、この山田先生の言葉を解釈すると――例え、最終回からドラマを見始めたとしても、十分楽しめるということになる。そう、今からでも遅くはないのだ。皆さん、連ドラを見ましょう。例え、それが最終回からでも――。

そこで今回は、僕がおススメする1月クールの連ドラの見どころをサクッとご紹介したいと思います。

名人・野木亜紀子がオリジナルに挑んだ『アンナチュラル』

まず、TBS金ドラ枠の『アンナチュラル』である。ご存知、脚本は『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)でもお馴染みの名人・野木亜紀子サン。これまでは原作付きの脚色が多かった彼女だけど、今回はオリジナルに挑戦。しかも、法医学ミステリーという、かなり難易度の高い分野だ。正直、さすがの野木サンでもどうかと思ったが――いやいや、前言撤回。驚いた。これが、めちゃくちゃ面白いのだ。

物語の舞台は、不自然死究明研究所なる架空の施設。通称「UDIラボ」。石原さとみ演ずる主人公・三澄ミコトは、そこに勤める法医解剖医。不自然な死(アンナチュラル・デス)を遂げた死体を解剖して、死因を究明するのが彼女の仕事だ。

共演陣に、ミコトのよき相棒として市川実日子演ずる臨床検査技師の東海林夕子、そして窪田正孝演ずる医大生のバイトの久部。一方、UDIにはもう一人、法医解剖医がいて、全く組織に馴染もうとしない中堂を演じるのが、井浦新。そして、彼ら個性的なメンバーを束ねるのが、どこかトボけた神倉所長。演じるのは松重豊サン――。

そのフォーマットは『踊る大捜査線』

物語は基本、一話完結である。ただ、石原さとみ演ずる主人公ミコトの幼少期に壮絶な事件があったり、井浦新演ずる中堂の抱える秘密があったりで、ゆるく連続ドラマ的な側面もある。その意味では、あの『踊る大捜査線』に近い。だからUDI内の人間関係も刻々と変わる。

で、野木サンの脚本だけど、これがもう、神レベルなのだ。もはやハリウッド・ドラマのクオリティに近い。毎回2転、3転あって、表層的な事件だけじゃなく、人間の内面に訴える展開もある。それでいて連ドラ的に話も転がるから、次の回も気になって仕方ない。

そして特筆すべきは、その演出。これはヒロインである石原さとみサンの力も大きいけど、基本ライトコメディで見やすいんですね。法医学というと、つい暗い話を連想しちゃうけど、いえいえ、全然明るい。それって、連ドラにとってすごく大事なことなんです。かと言って、ちゃんと締めるところは締めるから、ふざけた話にならない。要はメリハリが効いているということ。

ハイ、今クール一番というより、今年一番のドラマだと思います。まだ1月クールだけどね(笑)。

吉岡里帆の単独初主演作『きみ棲み』

次に取り上げたいのが、同じくTBSの火曜10時の『きみが心に棲みついた』である。この枠は近年、『逃げ恥』や『カルテット』などの話題作が放映され、枠としての注目度も高い。比較的ドラマ好きの人たちが好んで見る枠で、作り手のモチベーションも高く、新しいことにチャレンジしやすい良枠だ。

で、1月クールは、吉岡里帆主演の『きみ棲み』。なんと言っても、彼女にとって初の単独主演ドラマになる。今、最も伸び盛りの女優なだけに、これは期待せずにはおられない。
――と言いたいところだけど、脚本は、深キョンとディーン・フジオカが共演した『ダメな私に恋してください』(通称・ダメ恋)や、波瑠と東出昌大が共演した『あなたのことはそれほど』(通称・あなそれ)の吉澤智子サン。いずれも同枠で放映されたドラマで、後半、視聴率を上げたのはよかったんだけど――特に『あなそれ』に顕著だったんだけど、軽く炎上したんですね。

そう、放映前から脚本に一抹の不安があったんです(笑)。そうでなくても、吉岡サンは同性の視聴者から誤解されやすい。炎上に発展しなければいいが――。
だが、悪い予感は当たる。

生温かい目で、ネタとして楽しみたい『きみ棲み』

『きみ棲み』は原作(コミック)付きのドラマである。だから、脚本が全て悪いワケじゃない。あらかじめ、そこはフォローさせてください(笑)。

まず、吉岡里帆演ずるヒロイン今日子は、下着メーカーに勤めるOLである。その性格は、昔から自分に自信が持てず、動揺すると挙動不審になるため、あだ名は「キョドコ」。まぁ、それはいい。
そんな彼女には、ある心のトラウマがある。それは、大学時代に知り合った、向井理演ずる星名に「君はそのままでいい」と言われ、つい好きになってしまい、彼の言うままに行動したところ、心も体も傷ついてしまったこと。これが物語のベースになる。

そして1話。会社の先輩から合コンに誘われたキョドコ。そこで、桐谷健太演ずる編集者の吉崎と出会うが、ストレートな性格の彼から説教を食らい、逆にその誠実な性格に惹かれる。最初はキョドコを避けていた吉崎も、次第に彼女の素直さに気づき、2人は接近する。しかし、キョドコの前に、再び星名が現れ――という三角関係。

視聴者の心情としては、キョドコと吉崎にくっついてもらいたいんだけど、星名から頼まれごとをされると断れないキョドコもいて(実は心の中では今も彼が好き)、下着姿でランウェイを歩かされたりして、「何やってんだよ!」とテレビの前でツッコんでしまう。

まぁ、早い話がヒロインに感情移入しづらいんだけど、それは吉岡里帆サン自身も分かっていて――とはいえ、役者というのは元来、変わった役をやりたがる生きものでもあり、彼女なりに前向きに演じている。
そんな次第で、生温かい目で、ネタとして楽しみましょう(笑)。

平凡なキムタクが見られる『BG〜身辺警護人〜』

続いて、テレビ朝日の『BG〜身辺警護人〜』である。ご存知、主演は木村拓哉。テレ朝の連ドラは『アイムホーム』以来3年ぶり。枠も前回と同じく、あの『ドクターX』と同じ木9枠だ。

で、キムタクと言えば視聴率だけど、中盤まで平均14%台半ばと、前回の『アイム~』と同じくらい。昨今の連ドラは2桁行けば御の字、十分だと思います。さすが木村拓哉。
そして脚本は、前に『GOOD LUCK!!』(TBS系)と『エンジン』(フジテレビ系)で彼と組んだことのある井上由美子サン。キムタクに何をやらせればいいのか、わかってる脚本家の一人ですね。

物語は、かつて有名プロサッカー選手のボディーガードを務めた、キムタク演ずる島崎が、とある事故の責任を取り、今はしがない民間警備会社で働いているところから始まる。社内の部署異動で再びボディーガードの仕事に就くが、腕は確かだけど派手な立ち振る舞いを好まず、堅実な仕事を身上とする。その辺りのキャラ設定は、1話で江口洋介演ずる警視庁SPの落合に対し、民間ゆえに、あえて丸腰で犯人と接する意味を説いたりして、これは見応えがあった。

鍵は平凡・キムタクの中年バージョンの確立か

そう、要は“平凡・キムタク”の路線なんです。系譜としては、かつての『あすなろ白書』や『ラブジェネレーション』、『GOOD LUCK!!』に近い。

その、警視庁SPに対する“民間警備会社のボディーガード”という立ち位置は、あの『踊る大捜査線』の本店に対する“所轄”を連想させる。それって、ドラマの主人公としては王道なんですね。小さな仕事を地道に遂行していたら、大きな仕事にぶつかって、結果的に大きな仕事まで解決してしまうのは、この種の物語の定番フォーマット。1話は比較的、その構造がうまく行っていたと思います。

ただ、回が進むごとに、かつての“一流ボディーガード”のキャラが見え隠れして、時おりスーパーマンぶりを発揮するのが、ちょっと惜しい。やるなら、過去の栄光を封印して、とことん平凡キャラで行くのも1つの美学。でも、思い切ってそこへ振り切れないのは、キムタク自身に迷いがあるからかもしれない。
若い時の彼なら、『あすなろ白書』であえて脇の取手クンの役を選んだように、引き算の芝居ができたんだけど、それは当時の彼の“自信の裏返し”でもあったワケで――。今の木村拓哉にそれを求めるのは少し酷かもしれない。

ただ、日本屈指の名優であるのは確かなので、その脱皮に期待したい。

『もみ消して冬』は類似作のない異色コメディ

さて、続いて紹介するドラマは、日テレの土曜ドラマ『もみ消して冬〜わが家の問題なかったことに〜』である。
最近はジャニーズの主演作が多い土曜22時枠だけど、今回もHey! Say! JUMPの山田涼介が主演を務める既定路線。脚本は、『プロポーズ大作戦』や『世界一難しい恋』の金子茂樹サンで、彼もまたジャニーズ主演作を書くことが多いが――昔から独特の作風で知られる人で、それは今回も同様である。

そう、このドラマ、かなり異色作なんですね。普通、ドラマは何らかの元ネタがあるものだけど、同ドラマに限っては類似作が見当たらない。山田涼介演ずる主人公・北沢秀作は華麗なる一族の末っ子で、エリート警察官。兄と姉がおり、小澤征悦演ずる兄・博文は天才外科医、波瑠演ずる姉・知晶は敏腕弁護士、そして一家の主は中村梅雀演ずる私立中学の学園長の父・泰蔵である。同ドラマはこの一家が繰り広げる異色コメディなのだ。

見どころは、ドSキャラの波瑠

物語は、北沢家に起きた不祥事を、兄と姉から、末っ子のエリート警察官である秀作がもみ消し工作(軽犯罪!)を押し付けられ、それを解決することで一家が平和を取り戻すというもの。いちいち「火曜サスペンス劇場」の音楽がかかったりして、コメディ全開だ。話自体もさることながら、中でも一番の見どころは――波瑠である。

本来、役者の格で言えば、彼女は主役を張るべき人である。だが、『世界一難しい恋』で脚本の金子茂樹サンと組んだ縁だろう、今回は敢えて脇に甘んじている。そして、その「ドSキャラ」が実にいいのだ。伸び伸びと演じている。

同ドラマはオリンピックの開幕前まで視聴率二桁と堅調に推移してきたが、それは波瑠のおかげと言っても過言じゃない。それくらいのハマり役なのだ。以前、彼女が主演した朝ドラ『あさが来た』のヒロイン・あさ以来と言ってもいい。彼女を見るために、このドラマはあるとも――。

『トドメの接吻』はよくある話だが…

そして最後に紹介したいのが、日テレの日曜ドラマ『トドメの接吻』である。このドラマ、早い話が、よくあるタイムリープものですね。アニメ『時をかける少女』や、漫画原作の『僕だけがいない街』と同じ系譜。時間をさかのぼって、何度も人生をやり直すというもの。

同ドラマは、山﨑賢人演ずる主人公・旺太郎の前に、ある日、門脇麦演ずる謎の女が現れ、無理やりキスされるところから始まる。気がつくと、なんと一週間前に戻っている――。鍵は“キス”。やがて旺太郎はこのからくりに気づき、学習することで自らの運命を変えていく。

この物語には、1つの大きな背景がある。それは12年前の海難事故。旺太郎の父が船長を務めるクルーズ船に、幼い旺太郎が弟・光太と密かに乗り込み、その時に事故が起こる。旺太郎は救出されるが、光太は消息不明に――。

そして現代――。実刑判決を受けた父の代わりに、賠償金を払うことになった旺太郎はホストとなり、客の金に執着するクズ男になっていた。そんなある日、100億の資産を持つセレブの令嬢・美尊(新木優子)が友人に連れられ来店する。美尊を格好の金づると狙いを定めた旺太郎は、彼女に取り入るために、何度もタイムリープを繰り返す――。

山﨑賢人vs.新田真剣佑

同ドラマの見どころは、この“クズ男”のホストを演じる山﨑賢人ですね。これが実に似合っている(笑)。チャラい、あくどい。普通、主役はどこかで賢者モードになりたがるけど、クズ男を振り切って演じる山﨑賢人サンはさすがである。

そして、もう一つの見どころは、山﨑賢人演ずる旺太郎が、美尊に会いに乗馬倶楽部を訪れた際に出会う、彼女の兄――新田真剣佑演ずる尊氏だ。こちらも、真剣佑お得意のキャラというか、段々とダークサイドに落ちていく描写が実にいい。

正直――よくあるタイムリープの話だけに、最初は連ドラで10話前後も話が持つものかと心配したが、稀有でした。オリジナルのドラマだけど、実によく練られている。それもそのはず、脚本は『ROOKIES』のいずみ吉紘サン。緻密なプロットを積み上げ、ストーリーテリングを練り上げるのが上手な方。これぞ名人芸だ。

――という次第で、まだまだ1月クールで面白いドラマはたくさんあるけど、ひとまずはこの辺で。あとは、皆さんの目でそれぞれお確かめください。
なに、今からでも遅くはありません。最後に、あらためてこの言葉を送りたいと思います。

「例え、例えですね。明日、最終回だとしても――連ドラを最終回から見ちゃいけないって、誰が決めたんですか? 誰が決めたんですか?」

(文:指南役 イラスト:高田真弓)


第35回 ポプテピピックはお祭りである

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皆さん、この1月クールで最も印象に残ったテレビ番組は何です?

――え? 『アンナチュラル』?
まぁ、確かに野木亜紀子サンの脚本はアメリカのドラマみたいで、法医学の話でありながら人間ドラマの側面もあったし、人の死を扱いながらコメディの要素もあって見やすかったし、1話完結ながら連ドラ的な面白さもあったし、何より主人公ミコトを演じる石原さとみサンをはじめ、中堂役の井浦新サン、久部役の窪田正孝サン、東海林役の市川実日子サン、そして所長役の松重豊サンら魅力的なキャスト陣だったし――。

うん、僕は『アンナチュラル』は1月クールで最高のドラマだったと思う。いや、間違いなく今年の連ドラTOP3に入る傑作だと思う。でも――“テレビ番組”全体にまで広げると、ちょっと様相が変わってくる。

1月クール最高のテレビ番組――僕は、それはアニメの『ポプテピピック』だったと思う。

『ポプテピピック』とは何か

そう、ポプテピピック――奇妙奇天烈なタイトルだが、特段の意味はない。ちなみに、英語表記は「POP TEAM EPIC」。微妙に発音と表記が合わない気もするが、直訳すると“ポップなチームの叙事詩”。
ま、それもよく分からないので(笑)、やはり、さしたる意味はないと思われる。

原作は、竹書房が配信するウェブコミックのサイト『まんがライフWIN』で連載中の4コマ漫画である(ちなみに無料で読める)。作者は大川ぶくぶ先生。2014年11月から連載を始め、2度の休載を挟んで、現在はシーズン3が配信中だ。

主人公はポプ子(背が低いほう)とピピ美(背が高いほう)の2人の女子中学生コンビ。無邪気ですぐ暴走するのがポプ子で、達観してクールなのがピピ美である。コスチュームはセーラー服。しかし、学園シーンなどは一切登場せず、漫画はひたすら2人を中心に、シュールやパロディ、スラップスティックな世界観が描かれる。版元の竹書房を罵倒することも多く、キャッチコピーは「とびっきりのクソ4コマ!!」――。

アニメ化にあたって

基本、不条理マンガなので、マーケットはそれほど広くないと思われがちだ。だが、これが意外にも連載開始1年ほどで人気が沸騰する。火をつけたのはLINEのスタンプだった。「おこった?」「完全に理解した」「二度とやらんわこんなクソゲー」「そういうの一番きらい」「クソリプ」「さてはアンチだなオメー」「サブカルクソ女」「私が最初に言いだした事になんねーかな」――etc.

――過激な言葉が並ぶが、それとは裏腹に、主人公2人の絵柄はポップで可愛い。そのギャップが若者たちにウケたのだ。以後、全国で『ポプテピピック』のコラボカフェが開かれたり、グッズが販売されたりと人気が加速、遂にアニメ化が決定する。当初は2017年10月スタートと告知されるが、製作元のキングレコードの「勘違い」(!)という理由で3カ月後に延期。この辺りの人を食った煽りも、同マンガの世界観だと違和感がない。

かくして運命の日――第1回放送の2018年1月6日深夜25時を迎える。

世界トレンド1位に

その日、世界が変わった。
――なんて書くと、また大袈裟なと思うかもしれないが、本当に世界が変わったのだ。なんたって、その日、「ポプテピピック」というワードがTwitterの世界トレンド1位になったのである。

そのアニメは何もかもが掟破りだった。
いきなり冒頭から『星色ガールドロップ』なるフェイクアニメが始まり、そのままオープニング(これもフェイク)に突入したり、事前に告知されたキャストの女性声優(小松未可子、上坂すみれ)とまるで違う渋い男性声優の声でポプ子とピピ美が喋り始めたり(ちなみに、ベテラン声優の江原正士サンと大塚芳忠サン。大御所です)――中でも最大のサプライズは、30分の放送枠の後半、ポプ子とピピ美の声優だけ変えて(三ツ矢雄二、日髙のり子)、全く同じ内容の15分アニメが再放送されたことである。

それらの掟破りの結果、Twitterのタイムライン上には「やっぱりクソアニメ!」「人類には早すぎる!」などのコメントが並び、タイトルの“ポプテピピック”が栄えある世界トレンド1位に輝いたのだ。そして、その“事件”に触発され、同アニメを配信したニコニコ動画は史上最速で100万再生を達成する。

常識破りのサイマル放送

世界トレンド1位ということは、裏を返せば、それだけリアルタイムで『ポプテピピック』が多くの人に見られたということになる。
だが、ここでも同アニメは掟破りの手法でそれを成し遂げる。

普通、アニメでTwitterをバズらせるには、日テレで放送されるジブリ映画がお手本だけど、地上波キー局の圧倒的な番宣とリーチを駆使して、リアル視聴の“共通体験”を煽るのが一番だ。典型的なのが、映画『天空の城ラピュタ』の呪文「バルス!」である。いわゆるお祭り視聴の創出だ。

対して――『ポプテピピック』が取った手法は、それとは真逆である。
まず、放送するのは地上波キー局ではなく、東京ローカルのTOKYO MX。こう言ってはなんだが、番宣もリーチも期待できない。だが、ここからが凄い。オンエアに合わせて、複数の媒体で同時に放送(配信)する、掟破りのサイマル放送(IPサイマル放送)を行ったのだ。

どういうことか。まず地上波のオンエアに合わせて、BSでも同時に放送した。局は、アニメ番組に力を入れるBS11だ。そしてネットでも同時配信した。あにてれ、AbemaTV、Amazonビデオ、GYAO!、dTV、ニコニコ動画、ビデオマーケット、Hulu、FOD、Rakuten TV――と、実に10のサイトだ。アニメ作品を複数のサイトで配信するケースは多いが、ここでポイントになるのは、“同時配信”であること。つまり『ポプテピピック』は、地方にいても、外出先でも、どこにいても、ちょっと手を伸ばせば、誰でもリアルタイムで視聴できる環境だったのだ。

そう、同アニメを語る際、この“リアルタイム視聴”が最大のポイントになる。

民放テレビのビジネスモデル

普通、1つの番組を同時に複数の放送局やサイトで見られるサイマル放送(もしくはIPサイマル放送)は、よほどの事情がないと行われない。かつて民放各局が持ち回りで作り、大晦日に同じ番組を同時放送した『ゆく年くる年』とか、4月21日の放送広告の日に全局で流す特別番組とか、そういう特殊なケースに限られる。

なぜなら、民放テレビは、スポンサー収入が何より大事だからである。番組を放送することは、イコールCMを見てもらうこと。何を置いてもCMが大事。そのためには、リアルタイムで番組を見てもらわないといけないし、それを阻害する要素は排除しないといけない。つまり、ネット配信するにしても、オンエアを邪魔しちゃいけない。必ずオンエア終了後の配信が鉄則になる。一人でも多くの視聴者にリアルタイムで放送を見てもらい、視聴率を稼ぎ、CMを見てもらう――これが地上波民放テレビのビジネスモデルである。

しかし、アニメ番組となると、少し様相が変わってくる。

深夜アニメのビジネスモデル

その昔、アニメといえば、子供向けにゴールデンタイムの浅い時間帯(19時台)に放送されるものだった。しかし、近年は大分様相が変わって、『サザエさん』や『ドラえもん』、『ちびまる子ちゃん』といった国民的アニメを除いて、ほぼ深夜に放送される。
なぜなら、アニメというものは制作費がかかり、その割に視聴率が稼ぎにくく、スポンサーの獲得が難しいからである。そのため、近年は「製作委員会方式」が取られることが多い。

それは、テレビ局や広告代理店、映画会社、玩具メーカーらが共同出資して、作品の二次利用の売上げを出資比率に応じて分配する制度。これなら制作費を集めやすいし、リスクも分散できる。要は、昨今のアニメファンはマーケットが縮小する一方、パトロン化しており、一人が高額のDVDやグッズを買ってくれるため、二次利用の売上げに特化したビジネスモデルである。極端な話、オンエアは作品の宣伝とも言える。

前代未聞の単独出資

――だが、『ポプテピピック』は、これらスポンサー方式とも製作委員会方式とも異なる、第三の道を選んだ。
それが、キングレコードの一社製作・提供体制である。つまり、全ての制作資金をキングレコードが出資する。その代わり、二次利用その他の版権も全て同社が手中にする。

これはちょっと珍しい。一社で制作費を負担するのはかなりの高額になるし、リスクも伴う。しかも相当、二次利用の売上げが大きくないとペイしない。だが――キングレコードは敢えてそのリスクを冒してまでも、単独出資にこだわったのだ。それには理由があった。

大事なのはリミッターの針を振り切ること

単独出資方式は製作委員会方式と比べて、リスクが高い。だが、メリットもある。それは――クリエイティブの自由度が格段に上がること。
製作委員会方式だと、どうしても合議制になって、作品の内容も無難になりがちである。一方、単独出資だと、キングレコードがいいと言えば、それでOKになる。

そう、これこそが『ポプテピピック』にとって、何より大事だったのだ。同アニメは先に述べたように、その内容が掟破りである。リミッターの針を振り切っている。つまり“クソアニメ”だ。だから祭りが沸き起こり、世界トレンド1位になれたのである。

お祭り視聴のメリット

そう、『ポプテピピック』にとって何より大事なのは、“お祭り”を作ること。そのために、同時配信の手段は多ければ多いほどいい。だから掟破りのサイマル放送(IPサイマル放送)なのだ。それは、従来の地上波の民放テレビのビジネスモデルと真っ向から対峙するもの。そして、『ポプテピピック』は見事にその賭けに勝った。

お祭り視聴が生むメリット――それは、濃いファンばかりでなく、ライトファンも、通りすがりの一見さんも、老若男女が見てくれることに尽きる。聞けば、同アニメの視聴者層は、下は子供から上は60代まで幅広いという。例えば、第3話の放送終了後に「秋葉原でポプ子のお面を配布するので、ポプ子でホコ天を占拠しよう」と軽く呼びかけたところ、老若男女の千人以上が殺到。たちまちイベントは中止に追い込まれた。
――そう、かようにそれは、一人のパトロンに高額の買い物をさせる従来の深夜アニメのビジネスモデルと全く異なる。視聴者のパイが大きい分、ごく普通のライトなファンに、同アニメ関連の軽い買い物をしてもらうだけで、二次利用の収入を増やすビジネスモデルである。

前代未聞の声優キャスティング作戦

今回、『ポプテピピック』が話題となった要素の一つに、メインキャストの2人――ポプ子とピピ美の声優を毎回変えるという前代未聞の作戦もあった。何より、初回から事前に告知していた配役と違ったのだ。
以下が、これまでに起用された声優の一覧である。

第1話
Aパート
ポプ子:江原正士、ピピ美:大塚芳忠(原作マンガにシャレで書かれた希望声優)
Bパート
ポプ子:三ツ矢雄二、ピピ美:日髙のり子(『タッチ』上杉達也と浅倉南)

第2話
Aパート
ポプ子:悠木碧、ピピ美:竹達彩奈(声優ユニット「petit milady」メンバー)
Bパート
ポプ子:古川登志夫、ピピ美:千葉繁(『北斗の拳』『うる星やつら』で共演)

第3話
Aパート
ポプ子:小松未可子、ピピ美:上坂すみれ(※事前発表キャスト)
Bパート
ポプ子:中尾隆聖、ピピ美:若本規夫(『ドラゴンボールZ』フリーザとセル )

第4話
Aパート
ポプ子:日笠陽子、ピピ美:佐藤聡美(『けいおん!』『生徒会役員共』で共演)
Bパート
ポプ子:玄田哲章、ピピ美:神谷明(『シティーハンター』海坊主と冴羽獠)

第5話
Aパート
ポプ子:金田朋子、ピピ美:小林ゆう(『けものフレンズ』で共演)
Bパート
ポプ子:中村悠一、ピピ美:杉田智和(声優界の「磁石コンビ」※イニシャルに由来)

第6話
Aパート
ポプ子:三瓶由布子、ピピ美:名塚佳織(『交響詩篇エウレカセブン』レントンとエウレカ)
Bパート
ポプ子:下野紘、ピピ美:梶裕貴(ラジオ「下野紘&梶裕貴のRadio Misty」コンビ)

第7話
Aパート
ポプ子:こおろぎさとみ、ピピ美:矢島晶子(『クレヨンしんちゃん』ひまわりとしんのすけ)
Bパート
ポプ子:森久保祥太郎、ピピ美:鳥海浩輔(『テニスの王子様』『NARUTO-ナルト-』で共演)

第8話
Aパート
ポプ子:諸星すみれ、ピピ美:田所あずさ(『アイカツ!』星宮いちごと霧矢あおい)
Bパート
ポプ子:小野坂昌也、ピピ美:浪川大輔(『よんでますよ、アザゼルさん。』アザゼル篤史と芥辺)

第9話
Aパート
ポプ子:中村繪里子、ピピ美:今井麻美(『THE IDOLM@STER』天海春香と如月千早)
Bパート
ポプ子:斉藤壮馬、ピピ美:石川界人(『残響のテロル』ツエルブとナイン)

第10話
Aパート
ポプ子:徳井青空、ピピ美:三森すずこ(『ラブライブ!』矢澤にこと園田海未)
Bパート
ポプ子:小山力也、ピピ美:高木渉(『名探偵コナン』毛利小五郎と高木渉)

第11話
Aパート
ポプ子:水樹奈々、ピピ美:能登麻美子(『いちご100%』『地獄少女』で共演)
Bパート
ポプ子:郷田ほづみ、ピピ美:銀河万丈(『装甲騎兵ボトムズ』キリコとロッチナ)

――いかがだろう、レジェンドからアイドル声優まで、華麗なる有名声優たちの名前が並ぶ。そのラインナップだけでも驚きだが、絶妙なのは、各回とも何かしら関係のある2人がキャスティングされている点。

その理由について、同アニメのプロデューサーを務めるキングレコードの須藤孝太郎サンはこんな風に語っている。「アドリブも含めて、役作りを全てご本人たちにお任せしています。そうなると、ごく親しい声優さん同士のほうが盛り上がるので」――つまり、良く知った仲ならアドリブも出やすいだろうという安直な理由である。しかも、ほとんどがリハーサルなしの一発本番とか。だが、それがよかった。かの黒澤明監督もテイク1を重視したというが、それは役者の自然な演技が見られるからである。『ポプテピピック』も同様、毎回、声優たちの個性がさく裂し、神回が頻発した。

声優大作戦のメリット

何度も繰り返すが、『ポプテピピック』にとって何より優先されるのは、リアルタイム視聴を増やして、“お祭り”を作ることである。それがマーケットのパイを広げ、ライトな視聴者を増やし、二次利用収入の拡大につながる。

そう、前述の声優キャスティング作戦も当然、お祭りを生んだ。視聴者サイドは、毎回「今度はどんな繋がりか?」と2人の共通点を推理し合い、さらにABパートのアドリブの違いもネタにした。そうなるとTwitterなどでのネタバレを恐れ、リアルタイムで見るしかない。「この祭りに乗り遅れるな!」の心理である。

さらに、その作戦は声優サイドにもプラスに働いた。第2話のBパートのポプ子に起用されたベテラン古川登志夫は、こんな風に語っている。

「声優個々の演技論の違いが明確に分かるポプ子とピピ美の複数キャスティング。ある意味、俳優教育、声優教育に一石を投じるコンテンツにも思える。基礎訓練(土台)は同じでもその上に建てる演技論(家)は多様」

極論にせよ「演技論はプロの表現者の数だけ有る」は成り立つ、と。

怪我の功名、ABパート

――いかがだろう。古川サンの言葉はベテラン声優だけに、業界に波紋を呼んだ。実際、今回キャスティングされた声優たちは、最初は“お任せ”演出に戸惑いつつも、やり終えた後は一様に満足感を覚えたという。
恐らくそれは、微妙な“競争心”が芽生えた結果である。同じポプ子とピピ美を演じる他の声優たちより面白くやりたい――と。特に顕著なのは、全く同じ内容で比較されるABパートである。ここでは台本にないアドリブの違いまでが視聴者に丸わかりで比較される。声優たちが燃えないはずはない。

これは、マーケットでは当たり前の法則だけど、競争こそが製品を面白くする最良の方法なのだ。テレビの世界でも、NHKの朝ドラが今日の地位を築けたのは、大阪放送局も制作を担当するようになり、東・阪がテレコに放送する体制に移行してからである。互いに競争心が芽生え、質が向上したのだ。一時期低迷していたTBSの日曜劇場が復活したのも、『JIN-仁-』の平川雄一朗チームと、『半沢直樹』の福澤克雄チームが互いに競争心を抱き、切磋琢磨した結果である。

このABパートは、実は苦肉の策だった。原作が4コマなので、どう作ってもアニメは15分がMAXだ。しかし、地上波で流すには30分枠がマストであり、残り15分をどう埋めるかを考えた結果、前代未聞の声優だけを変えて再放送するフォーマットが生まれたのである。
結果オーライだ。

リスペクトの系譜

アニメ『ポプテピピック』は1話15分だが、その中身はバラエティに富んでいる。ストーリーものあり、ショートネタあり、ヘタウマタッチのコーナーあり、ドット絵のコーナーあり、なぜかフランス人アニメーターのコーナーあり――とにかく、矢継ぎ早に画面が切り替わる。短いネタだと数秒程度。そして切り替わる度に「ポプテピピック」のロゴのアイキャッチが入る。

僕はそれを見て、ふと往年の伝説的バラエティ番組『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』を思い出した。矢継ぎ早に展開されるショートコント(短いものなら数秒)、スタジオVTR・屋外フィルム撮影・アニメーションといった多様な映像の見せ方、そして時おり入る「ゲバゲバピー!」のアイキャッチ。似ている――と思ったら、あるインタビューで前述のキングレコードの須藤孝太郎サンがこんなことを語っていた。
「そもそも原作自体が哲学だったので、どうしようかという話になった際、バラエティ感を出していく方向性に決定しました。オムニバスといいますか、ショートショートの形……例えば『ウゴウゴルーガ』のような……」

ビンゴ! やはりバラエティ番組だったのだ。しかも、『ウゴウゴルーガ』といえば、フジテレビの奇才・福原伸治サンの演出である。そう言えば以前、福原サンが「ウゴルーは、日テレの『カリキュラマシーン』のリスペクトから生まれた」と語っていた。カリキュラといえば――そう、日テレのヴァラエティー・ショーの神様、井原高忠サンの企画である。井原サンといえば――『ゲバゲバ90分!』だ。

繋がった。『ゲバゲバ』から『ポプテピピック』へ連なる名作バラエティの系譜。エンタメの世界では、“優れた作品に、旧作へのリスペクトあり”と言われる。

『ポプテピピック』が面白いワケである。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第36回 視聴率の正体

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前回の本連載の『ポプテピピック』のコラム、思った以上に反響があり、正直驚きました。お読みいただいた皆さん、ありがとうございました。
要は――地上波キー局の番組じゃなくても、まるでお祭りに参加するように見ていた人が多かったんですね。あらためて、過渡期にある今のテレビ界の姿をおぼろげながら可視化できたように思います。

さて、そこで1つ気になったこと――。そんな風に“お祭り視聴”が実現できた『ポプテピピック』、いわゆる視聴率はどれくらいだったのだろう。

もちろん――同番組は、TOKYO MXとBS11のサイマル放送に加え、10の配信元による異例のインターネット同時生配信。現状のビデオリサーチの計測方法では視聴率の全体像は測りようがない。とはいえ、初回放送時に、Twitterのトレンドランキングでは「ポプテピピック」が栄えある世界1位という偉業を達成した。仮に、地上波キー局の番組として放送されていたなら、どれくらいの視聴率を稼いでいたのだろうかと、単純に興味が湧く。

もう1つの世界トレンド1位

それを推測するのに、1つ参考になるかもしれない番組がある。
昨年11月にAbemaTVで放映された「新しい地図」の3人(稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾)による『72時間ホンネテレビ』だ。同番組も『ポプテピピック』同様、ツイッターのトレンドランキングで「森くん」が世界1位になるなど、SNS上を大いに賑わせた。しかも、インターネットによる生配信番組という立ち位置も同じだ。

ちなみに、同番組は、3日間の総視聴数が7400万を超えたことでも話題になった。ただ、それは視聴者が番組にアクセスした合計値なので、一人が何度も番組にアクセスしたケースもあり、単純な“視聴者数”とは異なる。それでも、ネット配信番組としては前代未聞の数値に「いよいよネットが地上波に追いついたか?」なんて感想も多く聞かれた。

しかし――同じ月の月末、それを打ち消すような報道が流れる。
突如、ビデオリサーチ社がニュースリリースとして、同番組の推定視聴者数を「207万人」と発表したのだ。先に発表された総視聴数との開きに、業界関係者ばかりでなく、お茶の間も少なからず困惑した。
いや、騒動はそれだけに収まらない。翌日、AbemaTVを運営するサイバーエージェントの藤田晋社長がビデオリサーチ社に抗議して、同記事は削除されたのだ。詳細な経緯は不明だが、なんとも後味の悪い空気が残った。

ちなみに、ビデオリサーチ社は推定視聴者数の算出に際し、同番組へのスマホやPCからの接触率を2.4%と推計したという。測定方法が違うので単純には置き換えられないが、仮に視聴率でこの数字なら深夜の番組だ。ゴールデンなら即打ち切りのレベルである。

推定接触率2.4%――。衝撃の数値だ。ネット生配信に、ツイッター世界トレンド1位と、同番組と成り立ちが似ている『ポプテピピック』も、実情はその程度の視聴率(接触率)だったのだろうか?

SNSと視聴率は連動しない?

『72時間ホンネテレビ』と『ポプテピピック』に共通するのは、SNS上の異常な盛り上がりである。両番組とも配信中(放送中)は関連ワードがツイッターのトレンドの上位を独占するなど、いわばお祭り状態だった。

その状況は――直近ならそう、「平昌オリンピック」が近いだろうか。肌感覚では、オリンピック中継と『72時間』と『ポプテ』は、SNS上の盛り上がりにおいて、さほど差がないようにも思われた。

ちなみに、下が先の2月の月間視聴率TOP5である。見事にオリンピックが独占している。しかも最近、とんとお見掛けしない高い数字ばかりだ。

2月の月間視聴率TOP5(ビデオリサーチ調べ/関東)
1位 平昌オリンピック中継(フィギュア男子フリー羽生金)   33.9%
2位 平昌オリンピック中継(開会式)             28.5%
3位 平昌オリンピック中継(カーリング女子準決勝日本対韓国) 25.7%
4位 平昌オリンピック中継(カーリング女子3位決定戦)    25.0%
5位 平昌オリンピック中継(スケート女子1000m小平銀・高木銅)24.9%

一方、昨年11月の『72時間』は推定接触率2.4%である。その差は10倍以上――。
もしかしたら、SNSと視聴率は連動しないのだろうか?

SNSで可視化されたテレビの強み

いや、そんなことはない。本連載でも以前、第1回の「テレビはオワコン!?」で指摘したように、例えば、アメリカの「スーパーボウル中継」は、スマホ元年と言われる2010年以降、それまでの40%台前半の視聴率から一気に40%台後半へとハネ上がり、以後もずっとその状態をキープしている。要は、スーパーボウルの中継を見ながらSNSにアクセスすると、皆が自分と同じ思いでいることが確認できたんですね。そんな“同時体験”の快感に視聴者が目覚めたのだ。

そう――これが、テレビ視聴が持つ快感。例えば、普段飽きるほど聴いている曲でも、テレビやラジオから流れてくると、思わず聴き入ってしまう。あれは「今この瞬間、自分は皆と同じ曲を聴いている!」という快感に浸れるから。SNSはそれを可視化してくれたのである。

「箱根駅伝」はお正月の孤独を紛らわせたい男女が集う

同様の現象は、日本でも見受けられる。日本のお正月の風物詩――『箱根駅伝中継』(日本テレビ系)もその1つだ。

実際、青山学院大がV4を飾った今年の視聴率は、往路が歴代1位の29.4%、復路が歴代3位の29.7%と、視聴率的には大成功の大会だった。断わっておくが、山の神もいない、際立ったスターのいない大会である。

番組は、レース開始時刻の午前8時10分前に始まり、往復ともゴールテープが切られる午後2時過ぎまで、実に6時間以上も完全中継される。そんな長時間にわたって30%近い視聴率を維持できるのは、ひとえにSNSのお陰である。何せ、レースが行われている間、ツイッターのタイムラインはほぼ「箱根」一色。みんな「この祭りに乗り遅れるな!」と、チャンネルを合わせるのだ。

ちなみに、NTTデータの調査によると、箱根駅伝のツイートを分析した結果、浮かび上がった平均的視聴者像は、男性が34歳、女性が28歳で、男女ともに未婚が多くを占めたという。そう――皆、お正月の孤独を紛らわすために、誰かとつながりたかったのだ。

視聴率と比例して増えた『逃げ恥』のツイート

視聴率とSNSの相関関係は、ヒットドラマを通して見ると、もっと分かりやすい。
例えば、2016年10月クールに放送され、「恋ダンス」現象を巻き起こしたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)。家事代行の雇い主と従業員の関係で出会った2人の男女が、“契約結婚”を通して、やがて真実の愛に目覚める話である。同ドラマで脚本家の野木亜紀子サンが一躍ブレイクし、主演を務めたガッキーと相手役の星野源サンの人気も爆発した。

同ドラマの視聴率とツイート数の変化を追うと、見事に比例して右肩上がりなのが分かる。初回は、視聴率10.2%に対して、ツイート数は1万そこそこだったのが、中盤の5話では視聴率13.3%に対して、ツイート数は約2万。終盤の8話になると視聴率16.1%に対して、ツイート数は3万5千、そして最終回は視聴率20.8%に対して、ツイート数は8万を超えたのである――。

SNSの落とし穴

――以上を踏まえると、やはり視聴率とSNSは相関関係にあると思って間違いないと思う。
だが、実は1つ、SNSには大きな落とし穴がある。それを教えてくれるのは、かの国民的歌番組である。

――そう、『紅白歌合戦』だ。
紅白も先の番組たちと同様、毎回、SNSが盛り上がる番組として知られるが、スポーツ中継やヒットドラマと違い、その関係は少々“いびつ”である。

面白い記事がある。
電通総研のフェローであり、メディアコンサルタントの境治サンの署名記事で、昨年1月6日のYahoo!ニュースにも取り上げられた『「グダグダ紅白」がツイッターでもっとも盛り上がったのは「ゴジラマイク」だった』がそう。この中で、境サンは2015年と16年の紅白のツイート数を比較・分析している。

興味深いのは、15年に比べて16年のツイート数が約1.5倍も増加している点。境サンは、同年の「シン・ゴジラ」ネタ(ありましたナ)を始めとするグダグダ演出がネガティブな反応も含めてSNSを盛り上げたと分析する一方、それが視聴率を押し上げたかどうかは、確認できないと結論付けている。
実際、ツイート数が前年の1.5倍になった割には、16年の紅白(第2部)の視聴率は15年(同)からわずか1%しか増えていない。

母数の圧倒的な違い

僕は、その記事を読んで、境サンの分析に頷く一方、あるデータにくぎ付けになった。それは、紅白についてツイートした人数である。15年が約3万3,000人で、16年が約5万9,000人――なるほど、そもそもツイートした人数が倍近く増えているので、ツイートも増えたワケである。

いや、僕が驚いたのはそこじゃない。その母数だ。紅白の視聴率は約40%。大雑把に言えば、約4,000万人が見た計算になる。対して、ツイートしたのは3万~6万人。桁が3つも違う。3つだ。正直、3万人が6万人に増えたところで、視聴率の母数――4,000万人に比べたら、吹けば飛ぶような数字である。

サイレントマジョリティー

総務省の「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」(2017年7月)によると、日本におけるツイッターの利用率は約3割弱という。つまり、約3,000万人だ。このうち40%が紅白を見たとすると、約1,200万人。そのうち実際に紅白に関してツイートしたのは6万人。率にして、0.5%――。

0.5%である。SNS時代と言いつつ、積極的に発言する人々の割合はこんなものなのだ。恐らく――0.5%の背後には、その10~20倍の沈黙の読み手がいると思われる。そう、サイレントマジョリティーだ。近年の米スーパーボウルや箱根駅伝の視聴率上昇は、そんな沈黙の彼らが動いた結果だろうし、SNS時代を迎えても紅白が大きく数字を伸ばせないのは、やはり彼らが動くのをためらっているからかもしれない。

地上波テレビの視聴率の正体

段々、見えてきた。
確かに、視聴率とSNSには相関関係がある。しかし、それは視聴率全体を押し上げるというよりは、一種の上澄み液みたいなもので、影響を及ぼすにしても全体の5~10%が上乗せされるに過ぎない。

一方、テレビの視聴率を構成する大部分――残る90~95%が、テレビの強みであり、今日に至るまでテレビが繁栄してきた正体なのだ。SNSが影響を及ぼさない、いわば視聴率の“幹”の部分だ。

僕は、その視聴率を構成する正体は、地上波テレビ(NHKとキー局)の持つ“リーチ”力だと思う。
リーチとは、テレビ業界の専門用語で「到達率」のこと。元々の意味は、ある期間内に特定のCMに触れさせることを指したが、それが転じて――テレビというメディアの持つ“引力の強さ”のような意味合いでも用いられるようになった。

地上波テレビの伝家の宝刀――リーチ

ほら、家にいる時、何をするともなくテレビをつけることってありません? 新聞のテレビ欄を見ることなく、とりあえず日テレにチャンネルを合わせてみたり、「今、なんかやってないかな」くらいの軽い気持ちでザッピングしたり――。

あの行動がリーチである。そして、テレビが他のメディアと比べて圧倒的に強いのが、その引力の強さとハードルの低さなのだ。深く考えもせず、ちょっと手を伸ばすだけで、簡単にテレビの扉を開いてしまう。別段、『紅白歌合戦』を見たいつもりじゃなかったのに、気がついたらテレビをつけて紅白を見ていた――それがリーチ。地上波テレビが半世紀を超える歴史で築き上げた、いわば“伝家の宝刀”である。

見たい人しか見なかった『72時間』と『ポプテ』

そして、話は冒頭に戻ります。
ビデオリサーチ社が一度は発表したものの、AbemaTVの藤田晋社長の抗議を受けて撤回した、あの数字。『72時間ホンネテレビ』の推定視聴者数は「207万人」で、推定接触率は「2.4%」――。

つまり、あの数字は、純粋に『72時間』を見たいと思い、行動を起こした人々の数値だったんですね。実際、番組を見るには、自らアプリにアクセスしたり、サイトを探したりといった強い行動力が求められる。
それに対して、地上波テレビの視聴率は、特に目的もなく、なんとなく手を伸ばしたらテレビを見ていた人々の数値――伝家の宝刀“リーチ”で構成される。その割合は、視聴率全体の実に90~95%にも達する。

藤田社長にしてみれば、ビデオリサーチ社の出した『72時間』の数字はそれなりに説得力のあるものかもしれないけど、そもそも地上波テレビとは視聴率の成り立ちが違うのだから、それと比較されるような数字はスポンサーの誤解を招きかねない――そんな心境だったのかもしれない。

そうなると、このコラムの冒頭で提起した『ポプテピピック』の視聴率の近似値も、自ずと見えてくる。それは、『ポプテ』を見たいと強く思い、行動したユーザーたちが、SNSによって可視化された数値である。地上波テレビのリーチで構成される圧倒的な視聴率とは別もの。恐らく――『72時間』の数値と大差ないと思われる。

民放キー局が放送法改正に反対する理由

ここから先の話はあまり長くない。
そういえば最近、「放送法改正」に関するニュースがチラチラとネットなどを騒がせている。聞けば、民放キー局の主要5局は、それに反対を唱えているという。その理由として、放送法4条の撤廃に触れて「政治的公平が保たれなくなる」云々――。

まぁ、欧米の先進国ではとうに、それに該当する放送法は撤廃されているし、極端な政治的偏りやフェイクニュースの類いは、政府よりも、BPOなりの第三者機関で取り締まるのが本来のスジなので、実はそこは大きな争点ではない。

ここまでお読みになられた皆さんなら、薄々、民放5局が法改正に反対する本当の理由が分かると思う。そう、放送法改正の要とは「放送と通信の融合」のこと。それはつまり――地上波テレビの伝家の宝刀である“リーチ”が失われる危険性を意味する。

アメリカのテレビは日本の未来?

実際、とうに放送と通信の垣根が取り払われたアメリカでは、地上波テレビの優位はない。4大ネットワークは有料放送のHBOや動画配信のNetflixらと同列に並べられ、人々はケーブルテレビと契約して、膨大なチャンネルの中から番組を選んで視聴する。視聴率はよくて2~3%という世界である。

そんな状況を見せられたら、民放5局が反対したくなるのも分かる。なんたって伝家の宝刀だ。フォースを失ったヨーダは、ただの老人である。

とはいえ、この4月から日本でも視聴率の測定法が変わる。それまでの世帯視聴率から、個人視聴率をベースとしたリアルタイムとタイムシフトの合計値になる。それは、まさにアメリカを後追いする行為だ。
そう、時代は変わる。結局、世の中を動かすのは視聴者のニーズである。視聴者がテレビの多チャンネル化を望めば、自ずとテレビの未来もその方向へ進む。

その時、テレビ界に求められるのは、SNSも含めた“能動的”な新たなる視聴率の指標だろう。シード権のように特定の事業者(放送局)だけが享受できる「リーチ」とは違う、創意工夫して視聴者を獲得した番組が正当に評価される環境づくり――。

そんな未来では、人々は今よりもっとテレビを好きになっているかもしれない。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第37回 未来のテレビ

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このごろ、テレビ関係者と話していると、よく「5G」の話題になる。
5Gって?
――いわゆるモバイルネットワークの第5世代移動通信システムのことだ。Gとは「Generation(世代)」の略。ちなみに現在が4Gである。

思い返せば、1G(第1世代)が登場したのが1980年代の半ばだった。そこで普及したのが自動車電話やショルダーフォンである。ほら、ドラマ『抱きしめたい!』(88年/フジテレビ系)で浅野温子が肩から下げてたアレ。そして、2G(第2世代)に移行したのが90年代前半。ここでアナログからデジタルになり、メールのやりとりが可能になって、女子高生の間でポケベルが大流行した。ドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(93年/日本テレビ系)がこの時期。とはいえ、当時は数字のやりとりしかできなかったので、彼女たちは「0840=おはよう」「0833=おやすみ」「114106=愛してる」などと、数々の暗号を編み出した。

3G(第3世代)の登場は21世紀である。ここで携帯電話もインターネットが可能になった。NTTドコモのiモードが活躍したのが、この時代。そして2010年代に入ると、モバイルの世界は4G(第4世代)へと進化し、高速での大容量通信が可能となった。ここで普及したのがスマホである。

日本は4G先進国

意外と知られていないが、日本は世界トップクラスの4G先進国である。
国別の4Gの普及率を見ると、トップはお隣の韓国で、次いで日本。その普及率は実に95%を超える。国土の面積や、離島や山岳地帯の多さを考えると、日本の普及率は驚異である。

それは、半世紀を超える日本のテレビ行政と無縁じゃないという。放送法のNHKの項目には「協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように……」と書いてあるが、NHKや民放各局が日本中に中継局を置いて、離島だろうが山岳地帯だろうが、誰もが公平にテレビを見られるよう努力を重ねてきたノウハウが、4Gのネットワークにも生かされているのだ。中継局が足りず、ケーブルテレビに頼るようになったアメリカとそこが違う。

そして、来るべき5G(第5世代)――。
その登場は、日本は世界に先駆け2020年ごろと予測されている。あと2年だ。そして――これがテレビの世界を一変させるかもしれないのである。

衝撃の5G

5Gで何が変わるか?
――簡単に言えば、動画の超高速化と大容量化、それに伴う低コスト化である。

現在、Wi-Fiなどに接続せずにスマホで動画を見ると、すぐに通信量が上限を超え、速度制限がかかってしまう。これがネックで、若い人たちはほとんどスマホで動画を見ることはない。
ところが、これが5Gになると、通信速度は100倍、通信量は実に1000倍になるという。要は、今の1000分の1のコストで動画が見られるようになるんですね。これだと、どれだけ動画に接続しても速度制限がかかる心配はない。つまり――外出先でも気軽にテレビ番組や動画が見られるようになるってワケ。

そして、その恩恵を最も受けると言われるのが、若者たちなのだ。

若者のテレビ離れの原因

テレビ界で「若者のテレビ離れ」が叫ばれるようになって久しい。
思い返せば、その発端は2011年あたりだったと思う。その年、何が起きたかというと――東日本大震災が発生し、SNSが脚光を浴びて、スマホが一気にマーケットを広げたんですね。前年まで一桁の普及率に過ぎなかったスマホ市場が、この年倍増。それをけん引したのが、10代と20代の若者世代だったんです。

そう、若者がスマホに夢中になった――これが2011年のトピック。その結果、どうなったかというと、彼らのテレビの視聴時間が減り、比較的若者層に見られていたフジテレビがその影響をモロに受けてしまった。
実際、この年フジは前年まで7年連続で保持してきた年間視聴率三冠王の座から陥落。それを象徴するように、かつて同局で07年に平均視聴率17.0%とヒットした若者向けドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』が、4年ぶりにリメイクされるも――平均7.1%と惨敗。そう、わずか4年の間に、若者がテレビから離れてしまったのだ。

そして以降、若者のテレビ離れはますます進み、一方でテレビ界は視聴率を取るために中高年層に照準を合わせるようになった。その結果、彼らが好む情報バラエティや刑事ドラマの類いが急増する。若者のテレビ離れと言いつつ、その実“テレビの若者離れ”と言われるのはそういうことである。

なぜ若者はスマホに夢中になったのか

それにしても――なぜ、スマホはそれほどまでに若者たちを惹きつけたのか?
1つ考えられるのは、“時間”である。

そう、時間――。
ネット社会の現代は、情報が氾濫している。Googleの元CEOエリック・シュミットが「人類が生まれてから2003年までに作られたデータ量と同じ量のコンテンツが、現在では48時間で作られている」と述べたほど、現代は情報の洪水の中にある。
そんな中、僕らは日々、莫大な情報の取捨選択に忙しい。嗅覚に優れ、好奇心旺盛な若者たちなら尚更である。そんな時代を生き抜くには、いかに時間を効率的に使いこなせるかが鍵になる。

そこでスマホだ。
それは、世界とダイレクトに繋がれるツールである。しかも、どこでも自在に持ち運べる。つまり――情報の取捨選択に費やす時間を、自分の思い通りに“編成”できる。そこに若者たちは惹かれた。

すべての情報はスマホから

一方、テレビに目を向けると、放送プログラムはテレビ局の都合で編成され、視聴者は決められた時間にテレビの前に座っていなければいけない。録画した番組を見るにしても、テレビの前にいないといけないのは同じだ。
若者にしてみれば、ドラマを見るために、貴重な1時間をテレビの前に束縛されるのは、耐えられないのだ。

そんな次第で、今や若者たちはあらゆる情報をスマホから取り入れるようになった。ファッション誌がここ数年、急速に売り上げを落として休刊が相次いでいるのも、スマホにマーケットを奪われたからである。わざわざ発売日を待って、書店に足を運ばなくても、スマホを開けば様々なアプリを通じて流行の服や探している服にアクセスできる。しかも、その情報は無料で、クリック一つで購入もできるのだ。

ドラマ受難の時代へ

――とはいえ、スマホが全てに万能というワケではない。スマホにとって苦手な分野もある。その最たるが「動画」である。先にも述べたように、Wi-Fiなどに接続せずにスマホで動画を見ると、すぐに通信量が上限を超え、速度制限がかかってしまう。これがネックで若者たちは大人たちが思っているほど、スマホで動画ばかり見ているわけではない。中には、「WiMAX」などのモバイル機器を使って動画を楽しむ若者もいるにはいるけど、まだまだ少数派だ。

一方、テレビ局の側は、視聴者に“見逃した番組”をタイムシフトで見てもらおうと、今や連ドラの多くは一週間限定で、ネットで無料配信されている。でも――その施策が若者たちに十分に活用されているとは言い難い。

だが、そんな心配も、あと2年もすれば解消されるかもしれないのだ。

2020年、テレビは再び若者メディアに?

そう、それが2020年に予測される「5G」時代の到来だ。
先にも述べたように、5Gになると通信速度は今の100倍、やりとりできる通信量は実に1000倍になるという。要は、現行の1000分の1のコストで動画が見られるようになるということ。
そうなると、Wi-Fi環境のない若者でも、外出先で好き放題、動画を見ることができる。連ドラの見逃し配信も24時間、好きな時にアクセスできる。

こうなると、何が変わるかというと――再びテレビ局が、若者向けにドラマを作るかもしれないんですね。現在、連ドラは、中高年層が好む刑事ドラマや医療ドラマが多くを占めているが、これが90年代のように若者向けのラブストーリーが氾濫するようになるかもしれないのだ。
バラエティも、現行の情報バラエティや医療バラエティの隆盛から、再び若者向けのお笑い番組やドキュメントバラエティ路線へ回帰するかもしれないのだ。

テレビの視聴スタイルが変わる

いや、それだけじゃない。
動画のコストが事実上、フリーになることで予想される最大のシフトチェンジ――それは、スマホなどのモバイル端末で動画が流し放題になることで起きる“テレビの視聴スタイルの変化”である。

そう、現在、僕らはテレビを見るとき、あらかじめテレビ欄などで番組をチェックしてから見る。しかし、その視聴動機が大きく変わるかもしれないのだ。ここで活躍するのがスマートウォッチ――腕時計型のスマホである。

まず、スマートウォッチでNHKのアプリを立ち上げ、番組をオンエア状態にする。そして一旦、メインの画面は他のアプリに切り替える(番組はバックグラウンドで再生され、音声も自動でオフに)。だが、他のアプリの操作中に、番組がSNSでバズったり、緊急性のあるニュースが流れたりすると――自動的にテレビ画面に切り替わり、音声もオンになる仕組みだ。かくしてユーザーは生で決定的瞬間に立ち会えるのである。

これ、以前のコラム「『AbemaTV 72時間ホンネ』テレビを検証する」でも解説したけど、テレビの視聴スタイルが「テレビを見る→何かが起きる」から、「何かが起きる→テレビを見る」に変わる――ということなんですね。
モバイル端末でテレビが流し放題になることで起きる最大のシフトチェンジが、まさにこれである。

2020年代はIPサイマル放送時代へ

その予兆はある。
来年の2019年、NHKはインターネット同時配信(IPサイマル放送)を始める予定なんですね。既に、先のリオデジャネイロオリンピックや平昌オリンピックで試験的に実施したIPサイマル放送が、いよいよ24時間体制になるということ。ちなみに、イギリスの公共放送のBBCは2007年からネット同時配信を始めているので、これでも随分遅いくらいだ。

一方、民放各局は今のところ、この流れに反対している。民放自身はスポンサー対策や設備投資、系列局との調整などでIPサイマル放送のハードルが高く、NHKの抜け駆けを許さないという姿勢である。
だが――放送行政の大きな流れで言えば、既にラジオ業界がNHKと民放の共同で、ネット同時配信アプリの「radiko」を実現させて聴衆者を増やしたように、早晩、テレビ業界もその流れに乗ると思う。何より優先されるべきは、視聴者の利便性だからである。

リコメンド+少し巻き戻し

そう、来るべき5G時代の2020年代――。
NHKと全民放がネット同時配信(IPサイマル放送)を実現すると、テレビの視聴スタイルは大きく変わる。
先に示したスマートウォッチによるモバイル視聴(動画流し放題)が標準となり、もはやテレビは“何かが起きてから見る”メディアになる。

それは、こんなイメージだ。
まず、スマートウォッチで全テレビ局のアプリを立ち上げ、全ての番組をオンエア状態にする(5Gの容量なら全く問題ない)。そしてメインの画面では、別のアプリを操作している。と、その時――突如、画面が切り替わり、××テレビの『△△』という番組が立ち上がる。サプライズでゲストが呼ばれ、自分の贔屓の女優の○○が登場したのである――。

そう、未来のテレビは“リコメンド機能”が進化し、ユーザーの嗜好を自動で解析して、リアルタイムで決定的シーンに誘導してくれるのだ。
いや、それだけじゃない。その際、ほんの少し巻き戻して、決定的シーンの直前から見せてくれる(追っかけ再生みたいなもの)のだ。これなら、コトが起きてから誘導されても、肝心のシーンを見逃す心配はない。

スポーツは究極の3D中継に

来るべき5G時代――。
実は、テレビの世界ではもう一つ大きな進化がある。“3D”だ。

5Gになれば、やりとりできる情報量が格段に増える。それが最も生きるのが3Dの分野なのだ。3D映像は普通の二次元の映像に比べて、情報量が格段に多い。だが、5Gならその処理は問題なくできる。

2020年代――スポーツ中継はテレビの最も人気コンテンツになっている。その時代、サッカーや野球などのスポーツ中継はスマートグラスで、3Dで見るのが標準仕様だからである。スタジアムの特等席で、首を回せば360度の臨場感ある中継映像を堪能できるのだ。

さらに、その時代はスイッチャー(映像の切り替え)機能も、視聴者が自ら行えるように進化している。ボタン一つで、スタジアム内に複数設けられたベストポジションに瞬時に移動できるのだ。例えば、サッカーならゴールポストの真裏でも観戦できる。正直、実際にスタジアムで観戦するより、遥かに臨場感があって面白い。

未来のテレビは楽しい

いかがだろう。来るべき5G時代の未来のテレビ――。

その時代、テレビはモバイル端末で見るのが標準になっている。リコメンド機能で、自分が見たい番組やシーンに、オンタイムでほんの少し巻き戻して誘導してくれる。もう、「番組を見逃す」なんて言葉は死語になるかもしれない。

また、その時代、スマートグラスを使った3Dスポーツ観戦も人気を博している。ベストの観戦ポジションを、自らスイッチャー一つで切り替えながら楽しめる。正直、スタジアムで見るより100倍面白い。

そう、未来のテレビは、今よりずっとずっと――面白いのだ。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第38回 まだ間に合う4月クール連ドラ

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突然ですが、割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウ理論)って、ご存知です?

――これ、かつて1990年代に米ニューヨーク市長を務めたルドルフ・ジュリアーニ氏が採用した犯罪撲滅策で、ニューヨーク市内の落書きを徹底的に消してしまおうというもの。当然、消してもまた描かれる。そうしたら、また消す。描かれる、消す――この繰り返し。大事なのは、描かれたらすぐに消すこと。そうこうするうち、気がついたらニューヨークの犯罪率は激減していたそう。

この理論の提唱者が、アメリカの犯罪学の権威であるジョージ・ケリング教授だ。かつて教授は、わざとクルマを放置する社会実験をしたところ、そのまま放置したケースでは一週間経っても何も起きなかったのに対し、フロントガラスを割って放置した場合はすぐに部品が盗まれたことに注目した。そして、こう理論付けた。
「小さな犯罪をそのままにすることで、やがて大きな犯罪の住みかになる」。

そう、これが割れ窓理論。つまりジュリアーニ市長は、これを逆手に取ったんですね。小さな犯罪(落書き)を根絶することで、その先にある凶悪犯罪を減らしてしまおうと。そして結果は大成功。90年代、ニューヨークの治安は劇的に回復したのである。

タイムシフト視聴は“週”回遅れにならないこと

え? なんでテレビのコラムなのに、突然そんな話を始めたのかって?
そう、それは――テレビのタイムシフト視聴も、これと似たようなものじゃないかって思ったから。「週末にまとめて見よう」と録画した連ドラを放置していたら、気がついたら2、3週分、録画が溜まっていた――なんて経験ありません?

僕の経験上、録画したドラマは、次の回が来るまでの一週間以内に見ないと、どんどん溜まる傾向にありますね。まさに割れ窓理論。小さなミスを放っておくと、どんどん積み重なり、やがて取り返しのつかない大きなミスに発展する。

そう、連ドラのタイムシフト視聴で大事なのは、“週”回遅れにならないこと――。

まだ間に合う4月クール連ドラ

――とはいえ、4月クールの連ドラも既に終盤。ぶっちゃけ、3話あたりで視聴が途切れて、後の回は録画したまま放置して、もはや回収を諦めている――なんて人も多いんじゃありません?
でも、大丈夫。前にも言ったけど、連ドラというのは基本、いつ見始めてもいいんです。例え、最終回からでも。繰り返し引用しますが、山田太一先生曰く「連続ドラマというのは、ある回を15分でも集中して見ると、物語の世界観とか、話の流れとか、漠然としたテーマみたいなものが自然と伝わってくる」――。

また、例の「ニコハチの法則」もある。連ドラで大事なのは節目となる2・5・8話。8話といえば、物語の終盤の起点になりやすい。大抵、主人公が自己を見つめ直し、そこから最終回に向けての新たなターンが始まる。つまり8話から見始めても、十分に満足できるんです。

そんな次第で、今からでも遅くない、4月クールの必見ドラマを4つほど解説したいと思います。え? あとのドラマは見なくてもいいのかって? いえね、連ドラを終盤から見始めるメリットとして、見るべきドラマを絞れるという利点もあるんです(笑)。ま、他はお時間のある時にでも――。

今年最大のお祭りドラマ『コンフィデンスマンJP』

一般に、4月クールの連ドラは、1年のうちでテレビ局が最も力を入れると言われる。年度の変わり目だし、そこで華々しくスタートを切って、新年度を盛り上げようと。そのために看板役者と珠玉の企画が用意される。

その意味では、この4月クールで最もその意気込みを感じるのが、フジの月9ドラマ『コンフィデンスマンJP』である。主演は大スター長澤まさみに、脚本は『リーガル・ハイ』や『デート~恋とはどんなものかしら~』のヒットメーカー・古沢良太。近年、視聴率も話題性もパッとしない「月9」にとって、久々の大型企画だ。

はっきり言いましょう。もし、未見の方がいたら、このドラマは絶対に見ておいた方がいい。最終回からでもいい。
聞くところによると、制作費はあのTBS日曜劇場の『ブラックペアン』を上回るというし(つまり今クール最高だ)、撮影もスタート前に全て終わっており、既に映画化も決まっているし――。そう、資金潤沢、用意周到。つまりフジテレビが社運を賭けているんですね。今年最大のお祭りドラマと言ってもいい。

アンチヒーロー&コンゲームもの

物語は、アニメの『ルパン三世』や往年のテレビドラマ『スパイ大作戦』のパターンだ。いわゆるアンチヒーローもの。そしてコンフィデンスマン(詐欺師)が活躍するコンゲームものでもある。

主人公の長澤まさみ演ずるダー子は、天才的な頭脳と、どんな専門知識も短期間でマスターできる集中力、そして変装の達人だ。ただし、ハニートラップの才能はない。
相棒は小日向文世演ずるベテラン詐欺師のリチャード。彼もまた変装の名人で、言葉巧みにターゲットに近づくインテリだ。この2人に翻弄されつつ、チームの一員として毎度奔走するのが、東出昌大演ずる正直者のボクちゃん。いつも最後は彼も騙されていたことが発覚するのも、お約束。そして2話で登場して、いつの間にかチームに加わっていた神出鬼没の五十嵐。演ずるは小手伸也――。

その基本フォーマットは、世の悪党たちをダー子たちが「詐欺」で懲らしめるというもの。だが、いつの間にか詐欺の実行役のボクちゃんも騙され、釣られてお茶の間も騙されるという二重、三重のどんでん返しが面白い。
普通、海外ではこの手のインテリ系のドラマは複数の脚本家によるチーム制で書かれるが、それを古沢良太サン一人で書いているのも凄い。『古畑任三郎』における三谷幸喜サンと同じだ。

ニコハチ傑作に駄作なし

今のところ、視聴率は8~9%台で推移し、一度も二桁に乗せていない。でも、SNSの反応や各種ネット調査を見る限り、内容に対する満足度はかなり高い。

ちなみに、「ニコハチの法則」に当てはめると――最初の通常回である2話は、「リゾート王編」。吉瀬美智子をゲストスターに、無人島を舞台に二転、三転のどんでん返しが繰り広げられた。正直、拡大版の初回の飛行機ネタが大ネタすぎて若干無理があったので、ジャストサイズのフォーマットを提供できた意味で、この2話は傑作だった。初回終了後にネットに渦巻いていたリアリティ面への批判も大方収束し、同ドラマへの評価がグッと増した回だった。

5話は「スーパードクター編」。大胆にもダー子が外科医に扮する話で、ターゲットの、かたせ梨乃演ずる病院理事長を騙して手術してしまう。当然無免許だ。いくらなんでもやりすぎと思ったら、開腹した臓器はハリウッドの特殊造形師ジョージ松原の手による作りもの。これを演じたのがカメオ出演の山田孝之だった。出演時間はわずか30秒。同回はネットでも話題となったので、見てなくても覚えてる人も多いだろう。

そして8話は、りょう演じるカリスマ美容社長を相手に、山形の廃村を舞台に大芝居が打たれた。「子猫ちゃん」と呼ばれる手下から美女たちを選抜し、村に送り込むなど用意周到にコトを運ぶが――最後に依頼者が裏切り、初のオケラ(無報酬)回に。この失敗が最終回へ向けた大逆転への布石にもなっており、節目という意味で、やはりエポックメーキングな回だった。

そう――ニコハチが傑作の連ドラに、駄作なし。

勝負はシーズン2から

さて、『コンフィデンスマンJP』は、既に映画化も決定して、間もなくクランクインと言われる。海外ロケも予定され、ゲストスターもかなりの大物が予想される。この調子なら、ドラマの知名度を生かしてヒットするのは間違いない。
要は、『ルパン三世 カリオストロの城』とか『ミッション:インポッシブル』とか『007シリーズ』とか、そんな娯楽大作ですね。むしろ、この手の企画は、映画こそ相応しいと言える。ウケない理由がない。

いや、それだけじゃない。
同ドラマは恐らくシーズン2が作られる。そして、その時――いよいよ視聴率がブレイクスルーする。
思い返せば、『古畑任三郎』も最初のシーズンは平均視聴率14.2%だったのが、シーズン2で25.3%とブレイク。古沢サン自身の作品『リーガル・ハイ』もシーズン1は平均12.5%だったが、シーズン2で18.4%と大化けした。

そう、1話完結のチームものの連ドラは、シーズンを重ねる毎にファンが増えて、数字が上がりやすいのだ。こと、『コンフィデンスマンJP』は内容面の評価も高く、映画版もヒットすれば――間違いなく、シーズン2は大化けする。その時、一緒になって盛り上がれるように、今からでも視聴しておくことをおススメします。

フジの冒険、モンテ・クリスト伯

続いては、同じくフジの木曜ドラマ、通称“木10”である。かつては月9と並ぶフジの2大看板と言われたが、近年は月9同様、低視聴率が続き、話題になる作品も少ない。

ところが――今クールはちょっと様相が違う。ディーン・フジオカ主演の『モンテ・クリスト伯』である。原作はデュマが書いた、かの有名な『巌窟王』。幸せな結婚を遂げるはずの主人公が、えん罪を被せられ、遠く流刑の島に幽閉される。そこで謎の老人と出会い、莫大な隠し財産の秘密を教わり、十数年後に故郷に戻り、かつて自分を貶めた連中に対峙するという復讐劇だ。これを、現代の日本を舞台にリメイクした。

このドラマ、正直、視聴率は5~6%台と振るわないが、総じて満足度は高い。理由は――“演出”である。
あらすじだけを聞くと、なんだか昔の大映ドラマや韓流ドラマみたいでリアリティに欠けるし、一歩間違えたらネタドラマになりそうだ。だが――同ドラマは違う。ちゃんと今の連ドラっぽいのだ。肝はそこである。

珠玉の演出

それもそのはず、同ドラマの演出チーフは、フジのドラマ班のエースの西谷弘監督。いわゆる連ドラっぽさ――リアリティ感のある絵作りは、彼の功績が大きい。一般に「ドラマの9割は脚本」と言われるが、こと同ドラマに限っては有名な物語のリメイクということもあり、カギを握る「ドラマの9割は演出」である。

え? その割にはディーン・フジオカ演ずるモンテ・クリスト伯の正体に誰も気づかない描写はヘンだって?
そこだ。ドラマの設定では彼は26歳で幽閉され、戻ってきて復讐を開始するのが15年後の41歳。そしてディーン自身の実年齢が37歳。どうやったって顔が同じだからバレバレだ。ならば――そこにリソースは割かない。

あるインタビューで、西谷監督はこう述べている。「整形したのかとか、昔はすごく太っていたのかとか、それを特殊メイクでやろうとかいろいろ考えました。だけど全部小手先だし、見る人にとっては同じ役者さんだとわかっているわけだし、そこは堂々といけばいいと思いました」

何を面白がらせるのか

――そう、そもそもこの物語の面白さは、バレるかバレないかの描写ではなく、復讐の方法だ。さらに、かつての恋人、山本美月演じるすみれだけが唯一彼の正体を見抜く伏線もあり、周囲が気づかないことが大前提。
だから、整形などの小細工は、逆にドラマを安っぽく見せてしまう。ならば――あえて、そこはぬぐって、そのまま演技をさせるのがベストと判断したのだろう。そうすることで、視聴者には顔に触れるのは無意味と伝わる。結果、極めて文学性の高い、リアリティある連ドラになったのだ。

つまり、大事なのは、何を面白がらせるか。
その軸がブレないドラマは面白い。演出の意図が、ちゃんとお茶の間に伝わっているからである。同ドラマには、それがある。

女性2人のバディもの

続いては、『ドクターX~外科医・大門未知子~』をはじめ、先のキムタク主演ドラマ『BG~身辺警護人~』など、今やすっかり高視聴率ドラマの枠として定着したテレ朝の「木9」である。

今クールは、波瑠と鈴木京香の女性バディもの刑事ドラマ『未解決の女 警視庁文書捜査官』で臨んでいる。中盤まで平均視聴率は12%台で推移し、昨今、二桁行けば御の字と言われる連ドラの世界で、十分結果を残していると言っていい。

同ドラマの原作は、麻見和史サンの『警視庁文書捜査官』のシリーズだ。文書解読のエキスパートが文字や文章を手掛かりに事件解決に挑む視点は新しい試み。とはいえ――主役2人が所属するのは地下の書庫にある第6係と、いわゆる“窓際部署”が活躍するフォーマットは、刑事ドラマのド定番だ。

原作では、男女のバディものだったが、ドラマ化に際して女性2人のバディものに改訂された。理由は、ある女優を使いたかったからである。もっとも、原作でも主役2人に恋愛要素はなく、さしたる影響はない。

視聴率女優、波瑠

そう、原作の男を女に変えてまでも起用したかった女優――それが同ドラマの最大の売りである。女優の名は波瑠。ずばり――同ドラマの安定した視聴率は、作り手の狙い通り、彼女のお陰と言っていい。

思えば、前クールの日テレの『もみ消して冬~わが家の問題なかったことに~』でも、波瑠は脇役ながら抜群の存在感を放ち、好調な視聴率は彼女のお陰と言われた。今、波瑠は数少ない“数字を持ってる”女優の一人なのだ。
実際、彼女が一躍ブレイクしたNHK朝ドラ『あさが来た』以降の出演作の平均視聴率を見てみると――

『あさが来た』(NHK)……23.5%
『世界一難しい恋』(日本テレビ系)……12.9%
『ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子』(フジ系)……8.1%
『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK)……5.7%
『あなたのことはそれほど』(TBS)……11.2%
『もみ消して冬〜わが家の問題なかったことに〜』(日テレ)……9.8%

――となる。どの作品もその枠の平均点以上の視聴率を残し、何より話題になったドラマが多いのが特徴だ。そう、波瑠は数字・記憶両方を残せる女優なのである。そして特筆すべきは、出演作が1つの局に固定されず、各局にバラけているところ。引く手あまたなのだ。

もう一人のキーマンは高田純次

もちろん、同ドラマは女性のバディものなので、表記上は文書解読エキスパートの鳴海理沙役の鈴木京香とのW主演だ。実際、2人のコンビワークはいいバランスを保っている。「静」の鈴木サンが堂々としているから、「動」の波瑠が自由に遊べる面もある。
とはいえ、脚本は朝ドラ『あさが来た』で波瑠と組んだ大森美香サンで、彼女の生かし方を心得ており、やはり事実上の波瑠の物語と思っていい。

それよりも、もう一人、キーマンを挙げるとするなら――定時に帰る、実直な財津警部を演じる高田純次サンをおススメしたい。昔から、『夜明けの刑事』の坂上二郎サンや『踊る大捜査線』のいかりや長介サンなど、コメディ系の人が実直な刑事を演じると、その刑事ドラマはヒットするという法則がある。同ドラマもその法則の延長線上にあると考えて間違いない。

安定のTBS日曜劇場

最後に挙げるドラマは、こちらもテレ朝の木9同様、今やすっかり高視聴率ドラマ枠として盤石の安定感を誇る、TBSの日曜劇場である。

元々、1956年から続く同局の看板枠。過去に橋田壽賀子脚本の『愛と死をみつめて』をはじめ、倉本聰脚本の『うちのホンカン』シリーズ、加山雄三が復活した『ぼくの妹に』、最高視聴率40%を超えた木村拓哉主演の『ビューティフルライフ~ふたりでいた日々~』等々、時代時代で話題作を輩出してきたが、安定して数字を稼げるようになったのは、2009年の『JIN-仁-』以降だろう。

なぜ、近年、同枠が復活したかと言うと、前にも述べたけど、『JIN-仁-』や『とんび』、『天皇の料理番』などを手掛けた石丸彰彦P、平川雄一朗D、脚本・森下佳子からなるチームと、『半沢直樹』をはじめ、『下町ロケット』や『陸王』を手掛けた伊與田英徳P、福澤克雄D、脚本・八津弘幸からなるチームが、互いに切磋琢磨した結果なんですね。
そんな局内の適度な競争が、ドラマの質と視聴率を高め、今日の盤石の日曜劇場を築いたんです。

毎度、デジャブのような展開に

さて、そんな日曜劇場の今作は――医療ドラマの『ブラックペアン』である。座組としては、チーム福澤(克雄)の作品になるが、原作はお馴染みの池井戸潤ではなく、海堂尊の作品。脚本もいつもの八津弘幸サンではなく、丑尾健太郎サンとちょっと変化球だ。

そのせいか、同ドラマは『半沢~』や『陸王』などに比べると、ちょっと話が荒く見える。毎度、デジャブのような同じ展開に見えるのだ。恐らく、福澤監督がかなりの部分で脚本にも携わっていると思われるが、やはり餅は餅屋なのかもしれない。

『ブラックペアン』のパターン考

そう、『ブラックペアン』の物語の展開は、大体パターンがあるのだ。
まず、最新医療器機が、小泉孝太郎演ずる高階によって東城大学に持ち込まれる。目的はボスである帝華大学の西崎教授(市川猿之助)の実績を作り、理事選に勝たせるため。それを見透かした内野聖陽演じる佐伯教授はこれに難色を示すが、カトパン――加藤綾子演ずる治験コーディネーターがフレンチで接待したりして、最終的には折れて手術が行われる運びとなる。

そして、手術当日。一同が新しい手術の行方を見つめる中、決まって予期せぬミスが起こる。竹内涼真演ずる研修医の世良は取り乱し、葵わかな演ずる新人看護師は廊下を走り回る。そんな中、趣里演ずる猫田看護師が手を回して、満を持して二宮和也演じる天才外科医・渡海が現れ、華麗なる手さばきで手術をリカバーするというもの。毎回、最新医療機器がスナイプやダーウィンに変わるくらいで、大筋は同じだ。

誰が主人公か

もっとも、あの『ドクターX』も毎度展開は同じだし、1話完結の医療ドラマはこれでいいのかもしれない。視聴率も中盤まで12~13%と推移し、決して悪くない。スマッシュヒットには違いない。

それよりも――同ドラマを見ていて気になるのは、「誰が主人公か?」という問題だ。一応、クレジットの順番で言うと、トップが二宮クンで、セカンドが竹内涼真。トメが内野聖陽サンで、トメ前が小泉孝太郎である。ならば二宮クンが主人公になるが、ドラマを見ていると、語りは竹内涼真だし、物語は彼の目線で進む。実際、原作の小説では、彼が演じる研修医の世良が主人公なので、こちらも違和感がない。

役者の格と、日曜劇場への貢献度(『JIN-仁-』『とんび』等)を思えば、内野聖陽演じる佐伯教授が真の主人公という線もある。いや、ボス(西崎教授)と佐伯教授に挟まれ、なんだかんだと振り回されつつも地味に生き残ってる小泉孝太郎演ずる高階の成長物語なんて見方も――。

ドラマ『ブラックペアン』の楽しみ方

はっきり言いましょう。この手の群像劇は、名目上はクレジットの順番はあるものの、視聴者は誰に感情移入して見てもいいんです。

例えば、僕は――小泉孝太郎演ずる高階医師の目線で楽しんでますね。ボスの論文の実績を上げるために、ライバル大学にスパイとして送り込まれた彼は、毎度、新しい手術にトライするも――思わぬミスで、いつも渡海にアタマを下げて、助けてもらう。プライドはズタズタなんだけど、患者の命を最優先に、前向きに考える――ほら、これって中間管理職であるサラリーマンの悲哀に通じません? いっそ、「サラリーマンドクター」とタイトルを改題して、高階を主人公にしたほうが面白くなると思ったり――。

カトパン攻略法

そう、ドラマはもっと自由に鑑賞していいんです。必ずしも、作り手が考える通りに見なくてもいい。
例えば――カトパンが演ずる役だってそう。

彼女の役は「治験コーディネーター」だ。これ、ドラマのオリジナルキャラクターなんですね。その割に出番が多く、また彼女の演技が女子アナの域を出ないためか、お茶の間からアゲンストが吹いている。
いや、それだけじゃない。彼女の役の描写(わいろ紛いの多額の研究費や負担軽減金を用立てたり、高級フレンチで医者を接待する)が、実際の治験コーディネーターとかけ離れているとして、日本臨床薬理学会がTBSへ抗議したとの報道もある。まぁ、これについては、彼女は言われた役を演じてるだけで、はっきり言って濡れ衣だ。

提案。そんなカトパンを見る際のおススメの鑑賞法がある。
「あれは、カトパンがカトパンを演じている」と思うといい。ドラマの役と思うから、つたない演技力や、事実とかけ離れた設定に違和感を覚えるのだ。そうじゃなくて、カトパン自身と思えば、よすぎる活舌は違和感ないし、権力と才能へすり寄ったり、高級フレンチで食事する描写も“素”と思えて気にならない。まんま、カトパンのままだ。むしろ、俄然リアリティが増して、面白く見える。

――そんな次第で、まだ間に合う4月クール連ドラ、いかがでした? そう、ドラマの見方なんて、もっと自由でいいんです。あなただけの目線で楽しんでみてはいかがでしょう。
そしてもう一つ――最終回から連ドラを見始めても、決して遅くはないってこと。

では、今回はこの辺で。また7月クールにお会いしましょう。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

第39回 フジテレビはV字回復できるか?

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少し前の話題で恐縮だが、フジテレビの4月クールのドラマ『モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-』の最終回(第9話)が2時間スペシャルで放映され、視聴率6.8%で幕を閉じた。最終回が2時間だったのは、評判がよかったから――ということではなく、単に次の週からロシア・ワールドカップが始まるからである。つまり、終盤の2話を1話にまとめた形だ。

ちなみに、全話通した平均視聴率は6.2%。これは最近のフジの木曜劇場――通称“木10”枠としては、ごくごく平均的な数値。高くも低くもない。実質全10話というのも平常運転。低視聴率で打ち切られたワケでも、評判がよくて最終回を延長したワケでもない。数字上は極めて平凡なドラマだった。

TLは“モンクリロス”の声一色に

――こう書くと、『モンテ・クリスト伯』は、最近のフジのパッとしない一連のドラマの1つと思われるかもしれない。いやいや、そうじゃないのだ。特筆すべきはSNSである。最終回の放映直後のTwitterでは、トレンドのベスト10の半分が――1位「#モンクリ」、2位「#モンテクリスト伯」、4位「#モンテ・クリスト伯」、8位「#モンクリロス」、10位「#ディーンフジオカ」――と、同ドラマ関連で占められたのだ。さらに、タイムラインは“モンクリロス”を叫ぶ声一色に――。こんなことは、久しくフジのドラマでは見られなかった。

そう、『モンテ・クリスト伯』は視聴率以上の爪痕を残したのである。

ゴールデンでテレ東に敗れたフジ

その一方で、最近、フジにとって不名誉な話もあった。
それは、『モンテ・クリスト伯』の最終回が放映された翌週――6月18日週のこと。このところ、2年連続で年間視聴率の「全日」「ゴールデン」「プライム」の3部門で、キー局4位に低迷しているフジテレビ。「振り向けばテレビ東京」と揶揄されているが、遂にそれが現実になったのだ。

その週――フジはゴールデンタイムで、テレ東に0.1ポイントの差をつけられ、民放5位に沈んだのである。これまでテレ東がゴールデンの週平均で他局に勝ったのは、毎年中継する『世界卓球』の期間中のみだったが、この週のテレ東は平常運転。しかも、W杯の中継を1つも持たないテレ東に対して、フジは2つのW杯のゲームを中継したにもかかわらずである。

フジの敗因は?
――それは、あの人の存在が大きなカギを握る。

カギを握る人物

その人物とは、ドラマ『古畑任三郎』や『踊る大捜査線』などの企画を立ち上げた、フジテレビきってのアイデアマン――石原隆サンである。

昨年6月、宮内正喜新社長の体制になって、新たに設けられた役職「編成統括局長」に就任した石原サン。それは、編成局・制作局・映画事業局・広報局の4つの局をひとまとめにして、よりダイナミックな環境で積極的にコンテンツを発信していこうという、アグレッシブな試みだった。

あれから1年――フジの改革はそれなりに進み、石原サンは一つのメドがついたとして、先日、その任を後進に譲っている。とはいえ、改革は道半ばという話もある。
一体、石原サンのもとで何が変わり、そして――何が道半ばなのか。

3つの成果

この1年、「編成統括局長」の役職にあった石原サンは、3つの“大改革”を成し遂げた。
1つ目の成果は、ご存知の通り、フジを長年支えた2つの長寿バラエティ――『とんねるずのみなさんのおかげでした』と『めちゃ×2イケてるッ!』の終了である。賛否あったが、やはり新しいことを始めるには、古い殻を破らないといけない。その意味では前向きな終了だったと思う。

ただ、スクラップ&ビルドの視点で言えば、次の番組を当てないことには、改革は終わらない。現状、新番組は『みなおか』の後が、坂上忍司会のトークバラエティ『直撃!シンソウ坂上』で、『めちゃイケ』の後が、紀行バラエティの『世界!極タウンに住んでみる』――。正直、両番組とも特段目新しくもなく、視聴率で苦戦中である。

ドラマに変化の兆し

2つ目の成果は、先の4月クールの2つのドラマ『コンフィデンスマンJP』と『モンテ・クリスト伯』である。
前者は、『リーガル・ハイ』でお馴染みの人気脚本家の古沢良太サンを起用してのコンゲームもの。脚本を1年前から準備し、初回の放映前には全話の撮影が終了していたという、盤石の体制で作られた。おまけに映画化まで決まっているという。

全10話の平均視聴率は8.88%。まるでフジを象徴するような数字だが、これも先の『モンクリ』同様、視聴率以上に毎回SNSで盛り上がったのは記憶に新しい。大スター長澤まさみの振り切った演技も話題になった。

そして、『モンテ・クリスト伯』は、かの有名なデュマの書いた名作『巌窟王』を、現代日本を舞台にアレンジしたもの。題材といい、設定といい、かなりチャレンジングな企画だったのには違いない。とはいえ、こちらもSNSで視聴率以上の反響を得たのは、先に書いた通りである。

まぁ、SNSで盛り上がったからといって、すぐに視聴率に反映されるとは限らない。以前、本連載の「視聴率の正体」の回でも書いたが、SNSによって動かされる視聴率はせいぜい全体の5~10%。一方で、視聴率を構成する“幹”の部分――90~95%は、“なんとなく”テレビをつけて、チャンネルを合わせている人たち。とはいえ、その幹を動かすには、やはり5~10%の“積極視聴者”の存在は欠かせないのだ。

カンヌのパルムドール

そして3つ目の成果が――先のカンヌ国際映画祭で最高栄誉となるパルムドールを受賞した映画『万引き家族』である。知らない人もいるかもしれないが、同映画の製作には、フジテレビが幹事会社として関わっている。

元々、フジと是枝裕和監督は、監督がドキュメンタリーのディレクターだった時代からの付き合いで、『NONFIX』で数々の秀逸なドキュメンタリーを世に送り出した。
そして、映画は2013年の『そして父になる』以降、『海街diary』(2015年)、『海よりもまだ深く』(2016年)、『三度目の殺人』(2017年)、そして今回の『万引き家族』と、5作連続で両者は組んでいる。『万引き~』が当初『声に出して呼んで』というタイトルだったのを、現行タイトルに変えるようアドバイスしたのは、フジの松崎薫プロデューサーである。そして石原隆サン自身も、是枝作品にはアドバイザー的な立場でずっと関わっている。

正直、フジと組む以前の是枝作品は海外で高い評価を得るも、興行的には今ひとつだった。それがフジと組んで以降は全国ロードショー公開となり、興行収入も10倍以上に。それまでの作家性に加え、大衆性も身に着け、メジャー作品へと昇華させたのはフジの功績だった。今回の『万引き~』のパルムドール受賞も、長年にわたる監督とフジとのパートナーシップが実を結んだ側面もあった。

天才プロデューサーの死角

――以上3点が、「編成統括局長」時代の石原サンの3つの成果である。映画で1つの歴史的結果を残し、ドラマでは反転攻勢のキッカケを作り、バラエティでは長年の懸案だった2つの伝説の番組を終了させた。

だが、そこが石原サンの限界でもあった。彼はフジテレビ入社以来、ずっと映画とドラマ畑しか経験していない。ゆえに、『コンフィデンスマンJP』や『モンテ・クリスト伯』のような、世の中の時流とは関係なく、シンプルに自分が面白いと思うドラマを見抜き、推す目は持っていた。しかし――バラエティでは何が面白いのか、多分、分からなかったと思う。天才プロデューサーにも死角があったのだ。

現状、フジに足りないもの

ゆえに、石原サンにできることは、他の民放で評判になっていたり、自局で数字を取っている番組の焼き直しという“後ろ向き”の方策しかなかったと推察する。
タレントではなくディレクターが海外で体当たりリポートする『世界!極タウンに住んでみる』は、テレ朝のナスDの『陸海空 地球征服するなんて』を彷彿とさせるし、坂上忍司会の『直撃!シンソウ坂上』は、やはり同局の『バイキング』の焼き直しに見えてしまう。『梅沢富美男のズバッと聞きます!』にしても、申し訳ないが巷のバラエティの既視感は否めない。

かくして、作り手が今ひとつ面白がっていないであろう番組を、お茶の間が面白がるワケもなく――。

そう、現状のフジに足りないのは、作り手が自ら面白がって作るバラエティである。今や、ゴールデンタイムの8割の番組が、バラエティで構成される。日テレを見れば分かるが、バラエティを制す局が、視聴率を制す時代。先のテレ東にゴールデンの週平均で敗れた話も、そういう事情である。

フジテレビがこれからやるべきこと

いかがだろう。
フジテレビの復活に必要な手順がなんとなく見えてきたのではないだろうか。多分、この先――ドラマは少しずつ持ち直すと思われる。石原隆サンが道筋をつけた“自分たちが面白いと思うドラマを作る”路線に従い、昔のようにフジテレビらしいドラマが増えるだろう。幸い、優秀な作り手やブレーンは、社内外に大勢いる。軌道に乗るまで、もう少し時間がかかるかもしれないが、SNSに引きずられる形で、徐々に視聴率も回復すると思う。

問題はバラエティである。
自分たちが面白いと思うバラエティを作るのは当然として、何か道筋になりそうなヒントはないのか?

――ある。僕は、それはフジテレビの“DNA”だと思う。

フジテレビのDNA

一般に、フジは1959年の開局から70年代までは「母と子のフジテレビ」の時代で、“第二の開局”と言われた80年代以降は「楽しくなければテレビじゃない」の時代だと思われていてる。

でも――実のところ、2つの時代は多くの点で連続している。「母と子」の看板を下ろした以降も、日曜夜7時半の『世界名作劇場』は1997年まで地上波で続いたし、『ひらけ!ポンキッキ』の後継番組の『ポンキッキーズ』も、BSフジに場所を移して、今年の3月まで続いた。ガチャピンとムックの再就職先が取りざたされたのは、ついこの間の話だ。何より、『ちびまる子ちゃん』や『サザエさん』といった国民的な家族アニメは今も続いている。

一方、80年代以降の「楽しくなければ~」の看板も、フジは開局の年から既に、クレージーキャッツの『おとなの漫画』という帯のコメディ番組を生放送していたし、長らくお正月の風物詩と言われた『新春かくし芸大会』も、1964年から2010年まで放送していた。あの『笑っていいとも!』も、その源流を辿ると、68年にスタートした前田武彦とコント55号司会の『お昼のゴールデンショー』に行きつく。

そう、「母と子」も「楽しくなければ~」も――図らずも開局から今日まで、フジのDNAとして連綿と続いているのである。

ここはフジテレビじゃない!

以前、本連載の「フジテレビ物語(前編)」の回でも紹介したが、1969年、日テレの伝説的バラエティ番組『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』の初回収録時に、こんなエピソードがあった。

それは、司会の前田武彦サンと大橋巨泉サンのトークのシーン。2人のやりとりには台本があり、最後に巨泉サンのひと言でマエタケさんがギャフンとなるはずだった。だが、これにマエタケさんがとっさのアドリブで切り返したのだ。スタジオに笑いが起きる。その時である。突然、副調整室のスピーカーからプロデューサーの井原高忠サンの怒鳴り声が鳴り響いたのだ。
「勝手な真似はやめろ! ここはフジテレビじゃない!」

フジテレビの持ち味

日テレのバラエティは、アメリカ仕込みの“ヴァラエティ・ショー”がベースにある。そこには台本があり、出演者はあたかも自分の言葉のように喋るテクニックが求められる。井原プロデューサーが演者に求めたのは、そういうことである。

一方、前武サンは当時、フジテレビで『お昼のゴールデンショー』と『夜のヒットスタジオ』という2つのヒット番組を持つ売れっ子司会者。フリートークとアドリブの名手と呼ばれた。そう、当時のフジは生放送で演者が自分の言葉を発し、アドリブを繰り出せる自由な空気で満ちていたのだ。

思えば、そんな局をまたいだ対比のパターンは、80年代にも再び繰り返された。それは、土曜夜8時の「土8戦争」である。台本通りにコントを演じる王者、TBSの『8時だョ!全員集合』に対し、挑戦者のフジの『オレたちひょうきん族』は、アドリブの宝庫。当初はトリプルスコアを付けられていた『ひょうきん族』だったが、じりじりと差を詰め、遂には『全員集合』を抜き去り、終了へと追い込んだのだ。

カギは非・予定調和

そう――思うに、フジの強み(DNA)とは、昔から一貫して、演者のフリートークとアドリブだと思う。その際、作り手に求められるのは、演者をリラックスさせて、自由な発言が飛び出す空気を作ること。これに関しては、フジは昔から他局に長けている。日テレもTBSも、この自由な空気感はマネできない。

これだ。フジがバラエティで復活する道は、この持って生まれたDNAを生かさない手はない。要はそれを21世紀にアップデートするのだ。コンプライアンスが叫ばれる今だからこそ、挑戦しがいがあるのではないか。

しょせん、日テレ流の作り込んだバラエティで勝負しても、フジに勝ち目はない。それは、日テレのDNAだから。『世界の果てまでイッテQ!』はその集大成なのだ。だったら、フジはフジのやり方で勝負するしかない。そう、何が飛び出すか分からない“非・予定調和”だ。

ターゲットは女性と若者

それともう一つ――フジテレビならではのターゲットの特性にも留意したい。
「母と子のフジテレビ」の昔から、フジは他局に比べて女性と若年層の視聴者が多い傾向にある。これは今も変わらない。各種データを見ても、NHKと民放キー局を通して、フジの視聴者層が最も若い。そして女性が多い。

現状、視聴率を稼ぐには、高齢者を狙えと言われる。日テレとテレ朝の視聴率が比較的高いのは、要は視聴者の年齢層が高いからである。だから、その線で勝負しても、フジに勝ち目はない。

だったら、ここは割り切って、女性と若者にターゲットを絞り、新しいバラエティを仕掛けるのだ。考えたら、『あいのり』や、その発展形の『テラスハウス』(現在は『TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS』)は今も人気だし、やはり餅は餅屋なのだ。
それに、本当に面白い番組を作れば、例えメインターゲットが女性と若者でも、幅広い層が見てくれる。全盛期の『みなおか』や『めちゃイケ』が20%から30%の視聴率を稼いだのは、そういうことである。

面白い番組は面白い社員が作る

そして、面白い番組を作るにあたって、忘れてはいけないこと――それは、つまるところ、“面白い番組は、面白い社員が作る”ということだ。

思えば、80年代にフジがバラエティで一世を風靡した時は、いわゆる“ひょうきんディレクターズ”らにもスポットが当たった。90年代にフジが連ドラブームをけん引した時は、大多亮プロデューサー亀山千広プロデューサーも注目を浴びた。2000年代に入り、フジが再び三冠王に就いた時は、『めちゃイケ』の片岡飛鳥総監督が脚光を浴びた。

それは、他局も同様である。90年代に日テレがバラエティで視聴率を伸ばした時代は、Tプロデューサーこと土屋敏男サンや五味一男サンが注目を浴びたし、今、バラエティで良くも悪くも物議を醸している『水曜日のダウンタウン』は、TBSの藤井健太郎Dの存在抜きには語れない。テレビ朝日なら『アメトーーク!』の加地倫三サンに、『陸海空 地球征服するなんて』のナスDこと友寄隆英Dが目立っているし、テレ東なら『池の水ぜんぶ抜く』をはじめ、面白い企画は大抵、伊藤隆行プロデューサーの影がちらつく。

そう、フジテレビ復活のカギは、面白い社員がどんどんオモテに出ることだ。もう、「裏方に徹する」なんて謙遜しなくていい。幸い、フジには面白い社員がまだまだ大勢いる。積極的に露出していこう。

フジテレビ復活の顔

最後に、フジテレビ復活を期待して、その顔になってほしい一人の女子アナを紹介して、このコラムを〆たいと思う。
その人物とは――宮司愛海アナである。

思えば、先日、物議を醸したサッカーロシアW杯予選リーグ最終戦の「日本対ポーランド」。フジテレビはその中継局だったが、あの時、スタジオにいたのが宮司アナだった。例の「フェアプレーポイント」で日本が決勝へ進む微妙な空気の中、そんな戸惑う空気をあえて隠さず、さりとてしっかりとした口調で進行する宮司アナが、気になった視聴者も多かっただろう。

彼女は福岡出身で、僕の同郷だから推すワケじゃないけど――似たようなミディアムヘアーの女子アナが多い中、そのショートカットの美貌は抜群の存在感を放っている。何より、アナウンス力・アドリブ・キャラと、その才能は申し分ない。この4月から週末のスポーツニュース『S-PARK』のメインMCに抜擢されたのが、彼女の実力を物語る。いや、それだけじゃない。ここ一番の大舞台のMC――最近では、先の衆院選の開票速報特番や今回のW杯など――は、決まって宮司アナが指名されることが多いのだ。それは図らずも、上層部からの信頼を伺わせる。つまり、彼女なら安心して任せられるのだ。

過去、フジテレビの調子がいい時は、必ず“顔”となる女子アナがいた。古くは80年代前半のひょうきんアナの3人に、80年代後半の『プロ野球ニュース』の中井美穂アナ90年代に入ると、有賀さつき・河野景子・八木亜希子の三人娘が注目を浴び、2000年代に入ると、『めざましテレビ』発でアヤパン・ショーパン・カトパンらが脚光を浴びた

そして今――その顔は、宮司愛海アナが担うべきだと僕は思う。
彼女がフジテレビの顔と世間から認知されたその時、フジは不死鳥のごとくV字回復を遂げていると確信する。

(文:指南役 イラスト:高田真弓)

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